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初めての海外生活

私がオーストラリアのシドニーに駐在したのは、今から20年前の約4年間である。それまで海外と言えば、大学卒業したての頃、友人と2人で行ったロサンゼルス7日間のパック旅行と家内と結婚したての頃行ったサイパン(一応外国)旅行の2回しかなく、オーストラリアはコアラとカンガルー以外、何も思い浮かばなかった。まして、そこでどのような生活が待っているのかなど見当もつかなかった。 
  3月下旬、シドニー・キングスフォードスミス空港に降り立って、まず感じたことは空気が澄んでいるということ。まるで軽井沢にいるかのような爽やかな気分だったことを覚えている。この「快適さ」がその後、4年間にわたるオーストラリア生活の重要なキーワードになろうとは知る由もなかった。 
 空港まで迎えに来てくれた上司の車に乗って、市内へ向かう。道路も沿道の住宅も実に広々としていて、その間に緑の美しいゴルフ場が点在している。 
車窓からずっと遠くに見えていたビルの摩天楼がすぐ近く迫ってくると市内中心部(シテイ)も近い。ほどなくウィンヤードのホテルに到着した。ウィンヤードは鉄道、バス、ビジネスの一大拠点で、朝夕のラッシュ時には通勤客で非常に混雑する(といっても新宿ほどではないが)。 
数日間、 ウィンヤードでラッシュ時の混雑を観察していたら、あることに気がついた。ラッシュの時間帯(特に夕方)が、東京と比べると早いのである。大体、4時半ごろから始まり、5時半ごろに終わってしまう。これは一つにはサマータイムの影響もあろう。午後8時半頃まで明るいので、仕事が終わって6時くらいから、市内に、数多くあるゴルフ場でハーフラウンド回れてしまう。平日の夕方、ゴルフをするという感覚、これはトーキョーでは全く考えられないことである。 
だいたい、オーストラリア人は、仕事を人生の真ん中に考えていない人が多いように思われる。極端な話、遊ぶために働いているように見える。そのいい例が、ホリデー・ペイ・ローディングという制度である。年次有給休暇割増賃金制度と呼ばれているが、要は従業員が年休を取る時、使用者は事前に17%増しの賃金を支払わなければペナルティ(罰金)が課されると国が決めているのだ。休暇を取って遊ぶためにはお金がかかるだろうという観点から考案されたらしいが、トーキョーではおよそ考えられない制度である。(日本人もあくせく働いてばかりいないで、考え方を変えたほうがいい)。この国に滞在する期間が長くなるにつれて私は次第にそう思うようになってきた。 
 
 
 
 
 

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初めての住居選び

さて、数日間のホテル暮らしの間に、住む場所を決定しなければならない。事情が良く分からないので、とりあえず、前任者の家を引き継ぐことにした(これが失敗であったことは後で気づくのであるが)。場所は、シテイから車でハーバー・ブリッジを渡り、15分位走ったところにあるニュートラル・ベイの閑静な住宅地。タウンハウスと呼ばれる形式の建物。1階が駐車場、2階がリビングとダイニング、3階に3部屋とトイレとベランダがついており、お隣さんも全く同じ間取りで、2軒で1つの建物を構成している(ちなみにお隣さんはオーストラリア海軍にお勤めだった)。 
さて、引渡しの日、私と前任者とシドニー北部ノースナラビーンの不動産屋の3者でインベントリー・チェックを行った。インベントリー・チェックとは家を借りるときに、不動産屋を交えて、家の内部の破損、毀損状況を事前にチェックするシステムで、後々「こんなはずじゃなかった」などとトラブルが発生することを回避するためのものである。 
 だが、オーストラリアにきてまだ日が浅く、現地事情にほとんど無知な者にとっては、不動産屋の言い分に押されるケースが多いのではないだろうか。 
  失敗だったと前述した訳は、一つには前任者の引継ぎ状況が悪かった(一言で言うと荒れ放題)ためだが、もう一つの理由は、この家、とにかくゴキブリが多く現れたのである。オーストラリアのゴキブリは日本のものより、大柄で、いかにも昆虫といった風情である。しかし、動きはゆっくりしている。これが、天井や床、台所、スリッパの中、ベランダなど家のありとあらゆる場所から現れたのである。これにはまいった。ゴキブリ・ノイローゼになりかかり、職場の同僚の知人宅に1週間くらい一時緊急避難したほどであった。現地の不動産屋に聞けば、ゴキブリはシドニー市内、どこでも出るとのことだったが、2度目、3度目に住んだ家からは全く出なかったので、家の使用状況が荒れていたこの家だけ特別だったと今は思う。だが、1年契約をしてしまったので、後の祭りである。とにかく1年はがまんすることにした。 

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オペラハウスを眺めてフェリー通勤

  家の選択では失敗したが、通勤環境は素晴らしかった。 
自宅からます最寄りのバス停まで緑の多い住宅地を歩いて5分。そこからニュートラル・ベイというフェリー乗り場まで5分ほど。そこから公設のステート・フェリーに乗船して、オペラハウスを眼前に見ながらサーキュラ・キーまで10分ほどの船旅である。 
サーキュラ・キーはステート・フェリー乗り場だけでなく世界各国から来る国際船舶のターミナルも併せ持つ埠頭である。豪華客船「クイーン・エリザベス」が数日間サーキュラー・キーに停泊していたことがあったが、まるで海に浮かぶ10階建てのマンションのような威容であった。日本の豪華客船「飛鳥」が停泊したときは閲覧式に参加して内部を見せてもらったが、印象としては船というよりは娯楽施設の完備したリゾート・マンションといった感じであった。 
サーキュラー・キーはオペラハウスやロックスといった国際的な観光名所にも近いため、週末は地元の人のみならず世界中から集まる観光客で大変混雑する。埠頭の至る所で大道芸人や音楽家の卵たちが芸を演じたり、音楽を奏でている。アジア系の貧乏音楽家風情が多く、大抵は眉唾ものと思われたが、時々思わず聞き惚れてしまうような弦の名手も混じっていた。そのような名手には必ず大勢の人だかりが出来て、皆黙って曲を聴いているのだった。そして曲が弾き終わると、音楽家の前に置いてある空の楽器入れに小銭を投げ入れて散っていくのであった。 
余談であるが、国際オリンピック委員会が2000年のオリンピック開催の地をシドニーに決定した瞬間(たしか朝4時位だったと記憶しているが)、シドニーっ子が大喜びし、お祭り騒ぎになったのもここサーキュラー・キーである。 私は眠くて行かなかったが、日本人の同僚は、このお祭り騒ぎの渦中に身を置いた。                              
さて通勤の話に戻す。サーキュラ・キーからは歩いて10分ほどで事務所の入居しているビルに着く。トーキョーで生活しているときは、「オペラハウスを目の前に見ながら、毎日フェリー通勤」なんて生活は想像もできなかった。 

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車の免許を取ると生活が快適になる

家が決まると、次にしなければいけないことは車の運転免許の取得である。日本から国際運転免許は持ってきたが有効期間は1年間。数年駐在予定であったので、ニューサウスウェールズ州の運転免許を取得する必要があった。昼休みに職場近くのRTA(Road Traffic Authority)へ行って、教則本を購入。1-2週間、家で勉強した後、コンピュータテストを受けたところ、2回目で合格した。問題は択一で一定以上、正解するとCongratulationという7色の表示が出る。(これが結構気持ちいい)。筆記に受かると、次は実技である。試験場にいきなり行って受験してもよいが一発合格は難しいと聞いていたので、現地に住む日本人教官について4時間ほど習って受験したところ、首尾よく一発合格した。 
さて、免許を取れば次は車の購入である。自宅近くのモスマン・トヨタというディーラーでブルーメタリックのカムリを購入。これで、行動範囲がぐんと広がった。それまで週に1度、ノースブリッジ・ショッピングセンターにある日本食料品店へ、バスを使って買出しに出かけていたが、この不便かつ重労働の作業ともお別れだ。 
ノースブリッジ・ショッピングセンターの中には肉屋、魚屋、花屋、ウールワースという現地のスーパーマーケット、日系の医院などが入っており、日本人にとってはシドニーで生活していく上で必要不可欠な場所といってもいい。自宅から車で10分程度である。  
車で市内を走らせると、この町は本当に美しい町であることに感動する。オレンジ色の屋根に白い壁の家々が緑豊かな森や公園の所々に点在しているイメージである。そして、近くには、美しい海岸がたくさんあり、週末ともなると多くのシドニーっ子や観光客が集まり、日がな一日、のんびりと過ごしている。自宅から車で5分のところにバルモラル・ビーチという美しい海岸があり、よく出かけた。沖合いにノースヘッドという岸壁が見え、海岸の真ん中あたりに陸続きの小島がある。ビーチにはしゃれたレストランもある。ノースヘッドはサウスヘッドとともにシドニー・ハーバーの出入口となっており、そこから先ははるか大海原の太平洋が広がっている。かの日本人南極探検家白瀬氏も第1回の南極上陸を阻まれ、ここノースヘッドからシドニー・ハーバーに入り、およそ1年にわたりシドニーに留まり、再度南極を目指した。 
さて、車であちこち移動できるようになってからは、シドニー生活も快適となり、ぐっとこちらの生活にも慣れてくる。 

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カルチャーショックを感じるも生活を楽しむ

しかし、こちらに来て半年くらいの間は、いろいろ面食らったことも多々あった。いわゆるカルチャー・ショックという奴である。 
たとえば、シドニーのシテイをりんごをかじりながら、裸足で歩いているスーツを着たビジネスマンを時々見かけるとか、自宅の庭でカメレオンのような舌の青いオオトカゲ(ブルータン・青い舌と呼ばれていた)を見かけたとか、電気屋へ行ってテレビを購入しようと思ったら、陳列している品物だけしか売ってなくて在庫は一切置いてなかったとか、家の電気製品が壊れたので修理を依頼したら、業者が来るのに数ヶ月かかったとか、話し出せば切りがない。 
初めのうちはこちらもイライラしていたのだが、やがて、そんなことはどうでもよくなってしまった。ここはニッポンではないのだ。それより、ビーチに行って日光浴を楽しんだり、のんびりゴルフでもエンジョイしようよと。やれやれ、いつの間にやら、こちらもオージー流が身に付いてしまったのである。 
そんなある日、たしか8月下旬(日本では2月)だったと思うが、私たち夫婦は市内のトーマス・クック旅行代理店で見つけたキャンベラ・ファームステイ(農場体験)ツアーに参加した。 
シドニー・キングスフォードスミス空港からアンセット航空を利用して約30分でキャンベラに到着。キャンベラは言わずと知れたオーストラリアの首都である。 
昔、シドニーとメルボルンのどっちを首都にするかという議論が巻き起り、なかなか決まらなかった。そこで政治的決着として、両者の中間点を首都にしようということになり人工都市キャンベラが建設された。政治的に造られた都市なので、国家の中枢機能である国会議事堂、現職のポール・キーティング首相が執務する首相官邸、最高裁判所、中央官庁、各国の大使館などが森の中に存在するが、それ以外は何もないという不思議な都市である。何となくSF小説に出てくる未来都市を想像してしまったのは私だけだろうか? 
ツアー一行はキャンベラ空港からバスに乗車し、オーストラリアの国家中枢機能を巡回してまわる。中でも名物は、各国のお国柄が良く建物に表現されている大使館巡りと連邦国会議事堂であろう。大使館街にはもちろん、日本大使館もある。
 
一通り市内巡りを終えると、バスはキャンベラ空港まで戻ってきた。そこで待っていたのは4WDのジープである。夕方4時過ぎのことである。ジープに乗り込んだのは、私たち夫婦と日本人の若者男女の計4人。 
ジープはキャンベラ市内からひたすら郊外に向かってひた走る。やがて日もとっぷり暮れる頃になるとジープは山道を登っていくようになる。人家がないためかあたりは真っ暗で、月明かりだけが妙に明るく感じられた。後ろを振り向けば、遥かかなたがうっすらと頼りなく明るくなっているのはキャンベラ市内の町明かりであった。 
 やがて、アバランチ・ファームという表札のかかった広い門をくぐると一軒の家の前にジープは止まった。ちなみにアバランチとは英語で「雪崩」の意味だが、何故このような名前がついているのかはついに分からなかった。車を降りると、農場の主である中年のご主人と奥さん、それに人懐っこいボブという名の元気のいいダックスフンド犬が出迎えてくれた。標高が高いのであろう。周りはひんやりしていて、家の中には暖炉が置かれていた。 
その夜、「面白いものを見せてやるよ」というご主人について近くの山に入っていった。しばらく、歩いていくと、突然ご主人が「ストップ。」とつぶやいて、一同の歩みを制し、ある方向を指差した。じっとその暗黒の方向を見つめていると、小さな2つの光が、あちらこちらで光っている。「あれがカンガルー、これがポッサムだよ」とご主人が説明してくれた。見上げると空には、無数の星が瞬いていた。およそ、日本では考えられないほどの星の数だった。ご主人は、指をさし示し、サザンクロス(南十字星)の位置を教えてくれた。 
次の日は快晴だった。私たちは牧場で乗馬を楽しんだり、また山に分け入り、落ち葉や枯れ木を集めて火を起して、肉を焼いて食べた。こうして、素朴なもてなしを受け2日間の充実した時間を過ごし、私たちはキャンベラを後にして、シドニーに戻った(シドニーに戻ったという事実がいやが応でもオーストラリアに住んでいることを実感させられた瞬間でもあった)。 


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