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季節の詩     rita
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狙うは“メッシ(滅私)”効果?  那智タケシ(ライター)×松本成悟(農家)
物質的問題(material question)について J.クリシュナムルティの場合
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宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力  菊池クミユキ
狙うは“メッシ(滅私)”効果? 後編 
0円ハウスに住む新政府総理大臣~無我的生き方の実践例としての坂口恭平
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 「夏至」(最終回)
編集後記
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季節の詩     rita
例外者たちの宴1 鎮魂歌     那智タケシ
書評:『スプーン』、『オカルト』森達也著
現代女優試論
「1未満であることの大切さ」    たまちゃん×那智タケシ
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「変身願望を直視する」     たまちゃん×那智タケシ
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例外者たちの宴3  秋      那智タケシ
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「変身願望を直視する」     たまちゃん×那智タケシ

◇対談                       722日 西荻窪にて

 

根元共鳴×無我表現 2  

 

「変身願望を直視する」     たまちゃん×那智タケシ

 

                 た・・・たまちゃん 根元共鳴体験をした主婦

                           スピリチュアルアーチスト

                              (ブログ「たまちゃんSOUZOU学科」)

                 那・・・那智タケシ ライター 無我研代表

 

●般若心経は生命の賛美歌

 

那 根元共鳴についてもう少し聞かせてください。

た あまり人に言わないんですけど、何かおかしなことを言ったらごめんなさいね。

那 ええ…

た いろんな感情、あるじゃないですか。振動がある。根元って人間の感情の振動を欲しがっている。刺激として。それで1に近づく感じ。感情の揺れが。それが実体を作っている。いろんなところで感情が揺れるじゃないですか。

那 揺れますね。

た 一番残念なのは感情が揺れないこと。根元にとって。無関心でいることが一番、何にもならないっていうのがわかった。何となく。何を思ってもいいんだよねって。関心を持つこと。いろんなことに。それで、こんにゃろーと思ったり、安心したり、様々な感情、私が揺れることで他の人も揺れる。みんなこう、揺れる。一人が揺れれば他の人も揺れる。一人が気づけば、隣人も同じように…

那 共鳴する。

た そういうことです。なるほど、と思って。ずっと般若心経を読んできて、意味はわからない。私もばかだし、漢字もよくわからない。最後のギャーティ、ギャーティ、ハラギャーティというやつも意味がわからない。それは解説がないっていう。根元共鳴で風船が一つになったのがずつと頭にあった。あれは何だったのだろう?って。その時に、あれが生命の賛美歌じゃないけど、やったれ、やったれ、みたいな。感情を震わしていこうぜ、みたいな。やったれ、やったれ、と。そういう風に捉えられた。ああ、そうだったんだ、と。般若心経って生命の賛美歌だったんだ、もっと感情を震わせていこうぜ、というそういうものだったんだ、と認識したんですね。

那 うん。

た 他の人ならもうちょっと違う言い方になるかもしれないけれど、何と言うのかな、そんな風に感じましたね。

那 この世界の意味とは何かという話になっちゃう。人間がなぜ存在するのか、みたいなね。みんなが言っているようなことで、あまり言いたくないけれど、人間がこの世界の色即是空じゃないけれど、人間が空なるものを色にしている。その色なるものが感情の揺れとか、世界の広がりを表現するための人間。色即是空の色の部分。

 ぼくはどっちかと言うと、翻訳を読んだ時に、一人の人間の感情や意志、肉体等はすべて幻想であると書いてあるのを見てもう読む必要はないと感じた。まったく同じように感じていたからです。我はない。自分を構成しているものは条件付けられた集積物。日本人、こういう性格で、こういう血液型で、こういう大学を出ていて。でも、それは一つ一つ見てゆくと自分ではない。だから空。空は何もないかというとそこには強烈なエネルギーの世界があって。でも目に見えないエネルギーだけでは世界は存在しないから、そのエネルギーを具現化すると今度、一人ひとりの人間の感情の揺れとか、そういう豊穣な世界が現れ出る。

 問題は、ぼくの場合は、揺れの世界の中にあって、いかに落とせるかという。どっちかっていうと、揺れに耐えられるタイプじゃなかった。例えば、恋愛とか、失恋すると。すると一年くらい立ち直れなかった。

た (笑)

那 ドラマは見ている分には楽しい。泣いたり、笑ったり。

た うん。

那 でも、自分が物語の渦中にいると、変な言い方だけど、感受性が強すぎて耐えられなかったんです。物語を書く側にはなりたいけど、自分が主人公になっちゃだめだ、と思って。

 仏教って間逆なんですよね。生病老死。ヒューマンドラマに捕らわれないで、それをいかに落としていくか。釈迦や道元はある意味、耐えられる人ではなかった。ある意味、軟弱で弱かった。

た うん。

那 たくましく、荒波の中で生き抜ける人は、宗教的にならないし、それはそれですばらしい。強い人。でも、弱い人は、こんな苦しみだらけの世の中で耐えられない、みなさんも耐えられないでしょう、と。その耐えられない世界から抜け出すためにはどうすればいいか、と考えに考えて、修行して。その苦しみは自分じゃないんじゃないか、と。私のものじゃなんいだ、と気づいて脱することができましたと。私じゃないんだから、私の苦しみはありません、と。というのが仏教であり、心身脱落だったり。それはすごいわかるというか。

た うん。

那 ひ弱だもんね。強い人は、いるでしょ強い人? たくましい生命力のある人はそっちにいかない。それを楽しんでいる。それはどちらの立場でもいいと思う。タイプによるから。重要なのは、自己中心性を超えたものがあるかどうかであって。つまり無我的な行為、実在感のあるなしだと思うんですよね。方法論、つまり無我に至るプロセスを過剰に重要視する人がいるけれど、本当に重要なのは無我の顕現そのもので、宗派とか、修行法じゃない。だから仏教の宗派同士で喧嘩したりしている。そんなのどうでもいい。本当にそれがわかったら、どうでもよくなるはずなんだけど。

 ただ、一切空というか。ぼくはそっちの方。感情というのは絶対なくならない。仕事で失敗したら落ち込むとか、褒められたらうれしい、とか。ただ、それは自分ではない、という風に感じる。単なる世界のひずみというか。それは「ここ」にあるだけ。それは味わったら落として浄化してしまう。そういう流れができている時は良い時。

た うん。

那 例えば良いことがあって喜んだら、喜びがずっと「ここ」にある時は良くない。例えば、ぼくがこの間ゴーストで書いた本が売れました、即日増刷です、と。おれはできるな、みたいな。うれしいですよね。でも、ずっとその喜びといつまでも一体化していたらろくでもない。それはおれじゃないんだから、と。一瞬、喜んだら終わり。その後、問題起きました、と。だめじゃん、と。でも、それに捕らわれていたらやっはりろくでもない。それも終わり。悟りとかね、絶対がある、と。でも、それに捕らわれていたら終わらだめで、それも捨てる。

 

●不幸を知らないから幸福もわからない

 

那 娘さんが三人いるということですが、お子さんにそっち系の話をしたりしますか?

た 私は絶対に言わないですね。思想と言論の自由だから。宗教になっちゃいますよね。それを言ったとたんに。逆に教わっているというか。探求目線で。私が教えることなんか何もない。

那 人生はこういうもんだよ、なんて教えたら止まっちゃいますもんね。親を超えられない。

た いや、面白いですよ。最近の若い子。今、中学生くらいの子が大人になった時にまた新しくなるじゃないですか。けっこうリアルですよ。中高生とか、震災があったりして、リアルな子が多い。

那 妙に冷めてたりね。偽善を偽善とわかっているような子が多い。

た うん。

那 その分、モデルがないというか、人間なんてこんなもんでしょ、社会なんてこんなもんでしょ、と、そういうなんか、興ざめしているような。

た たぶん、今の子たちって不幸を知らないんですよ。不幸って何なのかわからない。ということは、同じく幸せもわからないんですよ。だから、幸せになろうというのか薄れている?

那 かもしれない。

た この間読んだ本でね、「貧困の国の中の幸福な若者たち」っていう。二十六歳くらいの哲学者みたいな人が書いた本があって、幸福度は若者になるにつれ高い。一番幸福じゃないのが五十代とか。六十代とか。何か面白いな、と思いながら。

那 かっこいいシルバーエイジってなかなか会えないですよね。たまたま何人か知っているけれど、それは日本の社会の枠内にいない人。

た うん。

那 リンパのK氏とか、鳩レースの世界で日本一になっている人とか。その日本一になった人は、鳩一本で生きてきて、四十年間、鳩より早く朝飯を食べたことがない。それで彼女二十人いたり。破天荒だけど魅力的。枠内にいない人。この社会はだめ。魅力がない。

 アウトサイダー的な人と気が合うんですよ。アウトサイダーでアグレッシブな感じ? 一番苦手な人は常識人なんです。

た (笑)

那 ゴーストの仕事をする時も、苦手なタイプってありますか?って聞かれることがある。ないけど、唯一だめなのが常識人ですって。もちろん、悪い意味での常識人ね。親ばかでPTAの会長の息子自慢の本とか。最悪。笑えない。格好いい人が少なくなったな、って。

た 保守的な人は苦手なんです。自分の意見を言わない。そのうち、飲んでいるうちにおまえは何を言いたいんだって(笑)

那 まぁ、日本人はそういうところがあるけれど。

た フランス人に好かれてたんですよ。哲学が好きだから。今、ネットの仲間にずっとヨーロッパで過ごしてきた女の子が一人いて、ずっとがんがんに言うんですよ。私もがんがんに言う。久々に楽しくて。日本人はひいちゃうから。

那 日本人は傷つきやすいから、あまり言うとね。ぼくもいろいろ失敗しているので、最近はあまりいろいろ言わなくなってしまいました。悟り系、とかね。ハードルを下げて広めようとしたけれど。難しい。

 

●権力の連鎖を切る

 

那 人を集めて、自己啓発セミナーとか、宗教みたいにやるのが一番楽ですよね。楽なやり方。段階とかね、次はこの講座で、とか。高額になっていく。批判的な人は実はたくさんいるけれど、言わないだけだと思う。おかしいもん。面倒くさいだけでね。

た だから、なぜそういうところに行くのかっていう、そこがポイント。自分の中の権力を見つける。

那 動機ですよね。

た なぜそうしたいのか、と。あの人はすばらしいな、とか。その連鎖を切っていく。

那 根っこの根っこの部分ね。

た そう。ずっと上下関係の中にある。あの人、素敵だな、というのも要注意。一見、ポジティブと言われているものに対しても注意深く気づいてゆく。権力と不安は同じだから。

那 権力の連鎖。

た うん。

那 スピリチュアル業界でも、何でそういうものを自分が求めているか、と。一つひとつつぶしていくというか、直視していく。それはすごいわかる。基礎的なワークになる。

た 変身願望を削りながら、純真な探究心まで落とし込んでゆく。成瀬さんの瞑想なんかを私は参考にしているのだけれど、ヴィパッサナーに近いような。そこまでいかないと瞑想も危険ですよ、と。変身願望ありありで、らりぱっぱの覚醒体験なんかすると、おかしくなる。

那 パウダー化というのはつまり、ごつごつした変身願望とか、権力構造を粉々にしていく?

た そう、粉々にする。細かく。不安とか、こう、不安、いらいらしている、みたいな。考えて、自分の中の権力を見つけ出しながら、純粋に五感を磨いてゆく。

那 ある種のセミナーなんかでは、みんな変身願望で人を集めて、最高の体験をしたとか、体験談を語らせていたりする。そうなりたいというお前は何者か?ということですよね。ちっぽけな自我でしょ、と。それが巧妙になくならないようにできている。だから、彼らが見つけたと思っているものは、リアルではなく与えられた観念なんです。それは彼らの表現しているものを見れば一目瞭然なんだけど。

た 外に向かうのは答えが最初からある。でも、内に向かう探求は、ばんと爆発する。

那 最初からそういう瞑想をしていたんですか?

た 最初は違います。ほんとに不思議で、瞑想とかばかみたい、とか、やっている自分が恥ずかしいとか、くすくす笑って寝ちゃったりしていたんですね。でもある日、なんかこう、感確を磨くようにして、集中してやる、というのをやった。

 山歩きしていて、いろんな音がする、とか。例えば、白い箱の中に自分がいて、そこで聞く。より繊細に聞かないと聞こえないじゃない? それが瞑想の繊細な感覚を磨く、強化する。そういう風にもっていきました。そしたら自分の感情の揺れとかもすごく、体に現れてきて、血流とか不安とか、揺れとか感じるようになった。感覚過敏になってきているんだ、と。そういうような位置づけです。それが日常になっちゃうんですよね。わざわざじっとして座っていなくても、歩いていても何しても。それまで、訓練するまでは修行する。テクニックですよね。

那 最初はそうですね。

た チャクラとパウダーという風に人間の感覚を分けて認識しているんですけど。チャクラというのは、五感とか、体感覚。パウダーというのは意識を細かくしていく。繊細に見つめていく。だいたいこのバランスが悪いと人はなんかおかしい。うちの旦那はチャクラ系。これは霊性系と真理系と言い換えてもいいと思うんですけど、霊性が高い人は現実的な王道を行くような人。何の疑問もなくいける人。こういう人は、ものを目の前からちゃんと見る能力には長けている。実は、私は正面からはあんまり見ていない。横からとか、後ろからとか、いろんな角度からは見てる。うちの旦那は私といろんなことがあって、お互いの見方で足りないところをお互いに気づいたりした。バランスが大事だな、と。

 これ(パウダー系)は人生の中で、恋愛結婚、妊娠、ありとあらゆる感情を経験して、自分を知っていく。こっち(チャクラ系)は人生のありとあらゆる食べ物だったり、スポーツだったり趣味だったり、をする中で五感を磨いてゆく。私がやっているプチ修行というのは、この両輪を早くする。短期間で回していこう、と。一ヶ月、一週間で集中してやる。日記を書いたり。滝行したり、面白いですよ。そうすることで自分の感情に一刻も早く気がつくことができる。するとストレスにならない。溜め込んじゃうと、いらいらしたり、知らないところで出てきちゃう。そうするとまぁ、創造的にストレスがなくなっていく。

那 自分の感情の揺れを見つめることで、パイプ詰まりがなくなる。

た うん。どう思ってもいいんです。むかっとしても。なんだこいつ、と思っても。それに気がついていることが大事っていう雰囲気なんですよね。みんなそれ、あまりやらないんですよね。正直に見ないというか。

那 詰まりやすい世の中なのにね。

た 表現もしづらい。

那 出口がないもん。価値観としての出口が。普通に生きていて、いらいらして、どの方向にいけば解消するかといったら、買い物したり、サラリーマンならぐちったりその程度。積極的な価値観がないから生き方としての出口がない。昔だったら武士道とか、わびさびとか、自我を超えた価値観があって、そっちの方向で修行していけばいいんだ、というモデルがあった。武士でも坊さんでも。かっこいい人。でも、今はそういう人はなかなかいない。人口比率からいったら、圧倒的に絶滅状態。だから出口がないから、安易なスピリチュアルが流行ったりする。伝統的なものが切れてしまったから。出口として、地に足がついた方法論が必要な時代に来ているとは思います。

 

(次号につづく)


編集後記

★編集後記

 

先日、ファミレスで仕事をしていると、背後で女子高生たちが何やら夢中で話しこんでいました。何かと思いきや、「竹島が・・・尖閣諸島が・・・おかしくない?」と何時間も話しているのです。

尖閣諸島や竹島の問題が連日、ニュースで取り上げられています。元々、あの島々に問題などないのかもしれませんが、問題にしているのは人間です。反日デモをしている人々の顔を見ていると、改めて悪しきナショナリズムとその超克の可能性について考えさせられる今日この頃です。(那智)


目次

MUGA 第15

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

 

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

 

◆目次

 

◇アート

 

・詩

 

『季節の詩』     rita

 

・短編小説

 

「例外者たちの宴3」 秋 

那智タケシ

 

 

◇評論

アフォーダンス理論について

高橋ヒロヤス

 

◇社会

 

原発弁護団から見える風景

弁護士 高橋弘泰

 

                                     

◇対談

 

根元共鳴×無我表現 3(最終回)

 

「新しい教祖を作らない」    たまちゃん×那智タケシ


季節の詩     rita 

◇ア

 

★詩

 

季節の詩     rita 

 

 

【・虫の声・】

 

ベランダに出て真っ暗なくさはらに

虫の声を聞いていた

 

虫がなくたび発光したら

パーティーみたいにごきげんだよ

しおれた夜が明るくなるの

虫がなくたび発泡したら

シャンパンみたいにとっておきだよ

いびつな夜がくすぐったいの

 

虫がなくたび発電したら

エネルギーみたいに重宝だよ

あわれな夜があたたかくなるの

 

胸の内を去来する戯言

月の光に仄白く浮かんでは

寄る辺のない夢と揺れていた

 

目を閉じていつまでも

物憂い秋の夜長を

虫の声のゆりかごに揺れていた

 

 

【・コスモス・】

 

コスモスに繕う風の衣に

風が吹くほどに

袖を通してみたら

しなやかで軽やかな肌触り

 

戯れ流れてゆく今を

十字に仰いだ空

果てしない天井を創りだして

空気の層が粛々と膝を伸ばしている

 

降り注ぐ光を追いかけて

姿をあらわす天使がところどころで

 

おもしろそうに私を見つめる

薄物の私を

 

そのほかに身に付けてるものは

首に繋いだその言葉

耳に留めたその思い

指に通したその約束

 

薄紅色の秋の衣に隠された暗号

細かく切れ込んだ葉のかたちは

ばらされず破られず

そよそよと応答を求めている

 

空をいっそう青々とかみしめた

 

 

【・金木犀・】

 

出し抜けに立っていた丸い夜

日射しを受けてぽっかり街かどにいた

それは暗闇を夢想した木

 

そこで打ち上げられた金木犀の花火

オレンジ色の星がそこはかとなく

ストップモーションで広がりを呈している

 

秋の麗らかな梯子を伝って

何食わぬ顔でぼくの胸へ降り立つ芳香たち

 

人の体は水面のように柔らかくて透明だから

安心して消えてしまってね

 

君たちの歓喜は

体温に溶けると安息をもたらしてくれる

ゆとりはほろほろと背中をゆるませる

 

翼を生成して

ぼくは黎明へと飛び立った


例外者たちの宴3  秋      那智タケシ

・短編小説

 

 例外者たちの宴3                 那智タケシ

 

  秋

 

この季節になると思い出す人物がいる。秋のメランコリーに浸るわけではないが、街路樹が風に揺れ、金色の木の葉のシャワーを降らしているのを見ると、「あんな人がいたなぁ、今、どうしているのかなぁ」などと思うのだ。もちろん、たいがいの時は忘れているし、自分の人生の中でそれほど大きなウェイトを持った存在ではないのだが、どういうわけか、決して心の片隅から出ていかない人物というのがいるのである。

 

 十二、三年ほど前のことである。定職にも就かず、博打に明け暮れる日々を送っていた私は、出会い系サイトにはまっていた。無頼を気取ってはいたものの、元来、内気な性質でナンパはおろか、キャバクラなどの夜遊びもしたことがなかった私にとって、この「出会い系」なるものの登場は、人生を変えるほどの出来事であった。私は水を得た魚になった。どういうわけか、次から次へと興味深い女性と出会い、女性というものはどんな存在か、といったことや、メロドラマから精神病的関係まで、生きた人間関係の機微というものを二十代半ばにしてようやく学ぶことができたからである。当時はサクラが少ないこともあったが、それにしても苦することなく、様々な女に出会う自分に対し、若い雀友が聞いてきたことがある。

 

「どうしてそんなに出会えるんですか? 自分はなかなかヒットしないんですが」

 

「きみは気取っているから会えないんだよ。自分を自分以上のものと見せている。どんなにうまくやっても、相手は、なぜかそういうのはわかってしまうんだよ」

 

 そんな風な知ったようなことを答えていたが、本当は、私にも理由はわからなかった。

ただ、人間は、見た目やお金よりも真実を求めていることを本能的に知っていたように思う。出会いというのは結局、そういうことなのだ。みんな生きた人間の真実と触れ合うために、もう一人の他者を求めているのだ。だから低次の欲望だけで相手を求めていた場合、その出会いは失敗に終わるか、仮に出会ってもろくでもないことにしかならないのである。私は、身をもってそれを知ったのだった。

 

 ヒロムなる人物に新宿で会ったのは、世紀も変わり、ようやく残暑も終わりかけた十月の初旬のことだったと思う。ヒロムといっても男性ではなく、もちろん女性である。本名は裕子(ひろこ)というようだったが、ヒロムは、イラストレーター志望の彼女が自ら作ったペンネームということであった。

 

「裕子って名前、嫌いなの」とヒロムは言った。

「どうして?」

「おじいちゃんがつけたんだけど、ある人物の名前から取ったから」

「ある人物って?」

「昭和天皇」

「裕仁様ね。そっち系の人だったんだ?」

「戦争には行ってないけど、そっち系だったの。でも、私はそっち系でもどっち系でもありたくないの。だから嫌いなの」

「どっち系って?」私は笑って聞いた。

「私は、何ものにもなりたくないの」とヒロムはどこか思いつめた、頑なな口調で言った。「右にも、左にも、男にも女にもなりたくない。だからヒロムにしたの」

 

 彼女は、二十歳前後に見えたが、実際は二十三歳ということであった。百五十センチにも満たない、痩せた、少年のような体型をした女性で、顔つきもまだ輪郭の定まっていない子供のようなあどけないものだった。ショートの髪は完全な金髪で、古着を上手に着こなし、外交的な話し方を心得ていて、一見、ちょっとサブカルにはまった今風の子に見えたが、話は、怪しげな方向に向かっていた。

 

「私ね、薬をやっているの」

「薬って?」

「スピードとか」

「そうなんだ、でも、やばくない?」

「だから最近はマジックマッシュルームとかやってる」

「やるとどうなるの?」

「ふわっとする」

「ふわっと?」

「うん、世界が回ったり。でもそれだけ」

「何のためにそんなことをするの?」

「私ね、頭の中に雑音がするの」

「雑音って?」

「テレビの砂嵐みたいに、ノイズがしているの。そのノイズをなくしたいのよ」

 

 それから、話は瞑想や、スピリチュアルマスターの方向へと流れていった。どうやら、ヒロムは私のことを同種の人間とみなしたらしく、安心してラジニーシやクリシュナムルティのことを語りだした。私は、モーニング娘の中にでもいそうな金髪の若い女性が、このような話題を振ってくるとは思わなかったので、楽しげに聞いていた。しかし、ヒロムの口調の中には共感者に出合った喜びというよりも、今にも切れそうな張り詰めた弦のような真剣さがあり、それが私の胸をどこか苦しくさせた。

 

「私、毎朝、井の頭公園にいるんだよ」

「何してるの?」

「座禅組んでる」

 私は、思わず笑い出してしまった。

「おかしい?」

「おかしくはないよ。でも、なんか笑えるじゃん」

 

 ヒロムは心外そうにしていたが、私は小ばかにして笑ったわけではなかった。今時のギャルのような見た目のヒロムが、まだ夜も開けきらぬ早朝、井の頭公園の木の下で必死に座禅を組んでいる姿を想像すると、そのギャップが面白く感じられたのである。しかし、そこまでやるからには、きっとヒロムの絶望は、彼女の軽やかな口調や身振りよりもはるかに深いものであることが察せられた。

 

 それから、ヒロムとは友人として二年ほど付き合った。当時、私に付き合っていた女性がいたこともあるが、彼女とは男女との関係にならなかった。実際は、粉をかけて何度か振られたこともあるし、ヒロムにも彼氏がいたりいなかったりした。それでも、私たちはお互いをそのような俗世の関係とは異なる、特殊な席を占める存在とみなしており、男女の関係を超えた深いつながりを感じていたように思う。最後は、二人で伊豆にあてもない旅行に出かけた際、その一線を越えようとした私に嫌気がさしたのか、「しばらく会えない」というメールがきて、そのままになってしまった。半年ぐらいしてメールをすると、連絡先が変わっていたので、彼女とはもう二度と会うことはできない。

 

 ヒロムには言わなかったが、知り合ってから一ヶ月ほど経ったある日、座禅する彼女の姿をこっそり見に行ったことがある。新宿で明け方まで徹マンをしていた私は、もしかしたらヒロムがいるかもしれないと思い、始発の電車に乗って井の頭公園に足を運んだ。別段、彼女がいようがいまいが、本当はどうでもよかったし、実際にいるとも思っていなかった。狭苦しい雀荘で一晩中、煙草の煙と欲得にまみれた汚い空気を吸っていたのだ。ちょうどよい朝の散歩になるのだろう。

 

 散歩道から少し離れた、奥まった林の中にある巨大な銀杏の樹の下で、ヒロムは眼を閉じて座っていた。足はしっかりと結跏趺坐で組まれ、手は仏像のそれと同じく、法界定印を形作っていた。眼は固く閉じられていて、何か口の中でぶつぶつとつぶやいているようだったが、何を言っているのかわからなかった。

 

 まだ暗い最中、金髪の少女――なぜか少女のように見えた――が必死に生きるか死ぬかの座禅をしている。その姿は美しくもあり、痛ましくもある、胸が打たれるものであった。ふと、どこからともなく大きな風の塊がやってきた。あたり一面の樹木の枝葉が、まるで危険を察した動物たちがいっせいに動き出すように、ザワザワカサカサと激しく揺れた。ヒロムの背後の銀杏の樹の枝葉も風に揉まれて激しく揺れ、黄金色の枯れ葉が頭上からシャワーのように降り注いだ。その金色のシャワーは、まるでヒロムの輝かしい未来と愛をそっと約束する恩寵のように見えた。

 

 ヒロム、眼を開けてごらん。美しい光のシャワーが見えるよ、と私は念じた。

 

 しかし、ヒロムは眼を開けなかった。眉間に皺を寄せ、苦しそうに呪文を唱えながら、まだ見ぬ光の可能性を探して、暗闇の中で煩悶していた。しかし、その姿は限りなく美しく、何ぴとたりとも彼女に近づくことは許されなかった。

 



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