目次
MUGA11号
目次
季節の詩     rita
第一回ウルトラリンパ講座
狙うは“メッシ(滅私)”効果?  那智タケシ(ライター)×松本成悟(農家)
物質的問題(material question)について J.クリシュナムルティの場合
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 「ユア、山菜採り」
編集後記
MUGA12号
目次
季節の詩     rita 
宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力  菊池クミユキ
狙うは“メッシ(滅私)”効果? 後編 
0円ハウスに住む新政府総理大臣~無我的生き方の実践例としての坂口恭平
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 「夏至」(最終回)
編集後記
MUGA13号
目次
季節の詩     rita
例外者たちの宴1 鎮魂歌     那智タケシ
書評:『スプーン』、『オカルト』森達也著
現代女優試論
「1未満であることの大切さ」    たまちゃん×那智タケシ
編集後記
MUGA14号
目次
季節の詩     rita 
例外者たちの宴2 白竜様   那智タケシ
無我表現という言語ゲーム 
あっちゃん卒業に思う
ウルトラリンパ講座 番外編
「変身願望を直視する」     たまちゃん×那智タケシ
編集後記
MUGA15号
目次
季節の詩     rita 
例外者たちの宴3  秋      那智タケシ
アフォーダンス理論について 
原発弁護団から見える風景 
「新しい教祖を作らないために」     たまちゃん×那智タケシ
編集後記
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編集後記

★編集後記

 

 雑事に追われ続け、個人的にはクリエイティブなモードに入れない月でした。詩も、評論も書いていません。人間、ビビッドにしびれること、楽しいことをしていないと、体だけ健康でもだめになっていくなー、とつくづく感じる今日この頃です。常に新しいものに触れていることが創造的生活というものなんですね。

 菊地氏の話は、ここまで載せて良いのかな、というギリギリのラインまでいってしまいました。ほぼノー編集(笑)。時間がなくて、本人チェックもなし。大丈夫かな、と思いつつ多少は冒険してもいいかな、と。コアな方しか読んでないし。

 16日はウルトラリンパの第2回講座(実技中心)がありますが、広島、大阪の方含め、前回の方がほぼ全員出席というのもすごいことだと思いました。とりあえず一期生でいろいろ試しながらやって、次のことは次に考えます。行き当たりばったり主義。(那智)


目次

MUGA 第12

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

 

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

 

◆目次

 

◇アート

 

・詩

 

『季節の詩』     rita

 

◇インタビュー

 

宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力  菊池クミユキ

 

 

◇対話

 

 狙うは“メッシ(滅私)”効果?

 

那智タケシ×松本セイゴ(農家)

 

 

◇評論

0円ハウスに住む新政府総理大臣~無我的生き方の実践例としての坂口恭平

 

 高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

 

 

◇エッセイ

 

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 

「夏至」(最終回)

 

  長岡マチカ


季節の詩     rita 

◇アート

 

★詩

 

季節の詩     rita 

 

  【・沙羅の花・】

 

鳩の羽根をしきつめたような

その鳩の物憂げに鳴きわたるような

逡巡として絞られるもの

 

ヴェールを被りうなだれる完熟の頬より

迸る甘くて重たい言葉を

惜しげもなく綴り連ねる一日

 

沙羅の花はそんな空が好きみたい

豊潤な雨粒の抱擁がお気に入り

打てるさざめきに柔々と肩や指先は流れゆく

 

君は日に日に雨が似合っていく

誰よりも美しく着こなしたストライプのドレスを

白磁の肌をより白く凛と佇ませていた

 

 

  【・紫陽花・】

 

大きな昆虫が背中を丸めて 街に沸いて出てきた

 

青や水色、紫と赤紫色を 肺胞みたいに膨らませ

息を吸い込んで呼吸を開始する

 

雨足のリズムにうるうると

しだいに街を賑わして それらは街を支配していったんだ

 

坂道では水母に羽化して漂い始める

多くの視界はぶくぶくと その群れの中に沈みゆく

 

戸口では天体に羽化して廻り始める

小さな一隅に延々と その群れの奥へ引かれゆく

 

ある日 夢から覚めたように浮上したぼく

これは偽物の花弁だったのかな

 

雇われ色素が光へ逃走したもよう

神の御手に手ずれして 紫陽花は色褪せていったんだ

 

 

  【・くもの巣・】

 

ここの垣根も乗っ取られたよ

くもの巣マンションになっちゃった

今年も間近なの 夏の到来

 

その戸口もあの戸口も

ノックして トントンと覗き込んだら

隠れてしまったよ

小さなサロンの小さな住人

 

自分はギョロ目の怪物なの

 

こんなの食料じゃないじゃない

朽ち葉のクズ葉 雨つゆばかり抱えても

お腹はおよそ満たされないよ

 

そんなの大きなお世話じゃない

1ミリも2ミリでも 小さくたって生命ひとつ

守っていくのは大変なんだもの

 

 

  【・ちょうちょう・】

 

ジャガ畑やキャベツ畑や

緑の波涛に見え隠れ

 

恋仲ちょうちょうのかくれんぼ

 

もしかして初対面かな

恋する季節は

瞬く間の感応なんてお手のもの

 

おいでおいでと誘っては

スキップして近寄って

 

ハミングする唇は

触れ合うばかりに

螺旋を描いてまた崩してる

 

そんなふうに造りつづけているよ

ふたりだけの愛のお城を


宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力  菊池クミユキ

◇インタビュー

 

宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力  菊池クミユキ  73日 茨城県稲敷市にて

 

 

 聞き手・那智タケシ(ライター)

 

●場の雰囲気が人間を調整する

 

 菊 友人のカナダの祈祷師・サムは、刑務所に行って、死刑になる人間のセラピーをやっている。国から依頼されてね。精神を安定させて生きている間だけでも安らかに行けるようにって。カナダではそういうのがある。

 那 牧師なんかがやっているのは聞きますが、牧師じゃ響かない人もいるのでしょうね。みんながキリスト教徒じゃないし。

 菊 牧師ね、宗教の話になると面倒くさくなるから(笑)この間、寺も教会も全部ぶっつぶしてやろうかな、なんて書いてたんだけどね、ちょっと過激すぎて消したよ(笑)すごいことになるから。世界の宗教家、思想を全部つぶすことになるから。

 だってさ、どんなこと言ったって、世界の宗教家にさ、神を連れて来てよ、出してよって言ったってできないじゃん。

 那 結局、彼らの神は観念でしかないでしょ。だからぶつかるんでしょ。観念だから。

 菊 そうそう。

 那 何千年も経った宗教なんてろくでもないと思いますよ。形骸化していて。最初はね、何か感覚があった人がいたのかもしれないけれど、仏陀であれ、キリストであれ。

 菊 うん、それに近い人がね。

 那 その後、権力に結びついておかしなことになっていく。

 菊 金と権力でさ。

 那 ローマカトリックなんかその典型ですよね、十字軍。

 菊 平和だ愛だというけれど、結果的にはそうじゃないもんね。

 那 そういう社会の中で、権力構造で洗脳された人々がいて、権力を持たなくて負けだとなる。社会で成功しなくては負けだ、と。その構造の延長が原発の事故になったり…全部自分のためにだけ動いてるから。

 菊 そうそう、全部がそこじゃないの。人のためにという大義名分を持ちながら、本質は自分の欲と権力。そのためにみんなが動いているから上手くいかないし、いくわけない。

 那 そういうことに強烈に気づいたら、反社会的な立ち居地にならざるを得ない。社会の中で戦わなくちゃいけないんだけど、迎合しちゃいけない。

 菊 戦うのも面倒くさいというか(笑)自分が今までやってきたエネルギーと経験の中で、そこの部分でどうやって生きていくかというか、そこだけだね、おれは。社会を直そうとか変えようとか考えたことないね、もったいないもん。

 那 ただ、いい影響をね、石ころを投げて波紋が広がるように、何か一ついいものを生み出したり投げかけたりすれば、それが影響としてね…

 菊 うん、本当に、基本的に良い方向に生きている人間っているわけだよ、最初から。そこは変えられない。一歩がみんなと最初から違うんだよ。その正しい一歩を踏み出している人にちょっとしてあげれば、戻れるなと。

 那 共鳴するようなね。

 菊 そう。そういう人と一緒に何かをやりながら、お互いによくなることをやるっていうのはできるけどね、最初の基本的な一歩を間違えている人はちょっとたいへんだね。

 那 小さな頃から、良い人や良い文化の中で育つ環境があれば一番良いと思いますね。さっき言ったインディアンのサムの子供たちとか、そういう村とか、絶対そういう人をモデルにして生きているわけだから、世界観が違ってくるじゃないですか。だから、環境だと思うんですよ。それが文化的な環境、価値観を変えるって意味で、無我表現研究会とかね、やろとういうことになった。真逆の価値観を具体的に提示したり、評価する会を作ろうか、と。

 菊 あのね、おれはカナダでいろんな社長とかと付き合ってきたけどね、山の中で。みんなそれぞれがものすごく個性派だけどね、山の中にいると仕事の話や宗教の話は一切出ないわけ。だけども、話しているうちにお互いがバランスを取りながらいいものを出していくわけです。お互いが調整していく。その雰囲気に合う自分を作っていくわけ。だからどこが悪い、どこがいいとか会話は全然ないし、それぞれの個人的な話にもならない。

 那 それは場のエネルギーがいいからでしょ。

 菊 そう、だからこの間、リンパの講座でみんなで会うじゃん。そうすると宗教の話にはならないけれども、良い雰囲気の場になるわけじゃん。あれでいいの。するとそれぞれが修正していくわけ。言葉はいらない。

 例えば、おれがリンパをやっていると、見ている人がおいおい泣き出した。どうしたの?何があったの?って聞くと、菊地さんが集中している姿を見ていて、我慢できなくて泣いた、と。それは出ているエネルギーと集中に対して感動したわけでしょ。だから言葉っていらないんだよ。おれが今までカナダでサバイバルやってきてね、すごい会社の社長とかでも、みんなそうなっちゃう。良い人間や友達に合って、自分を修正していく。

 那 そういう人間関係の良い輪ができれば一番良いのでしょうけどね。

 菊 そういう人間関係の輪を作って感化させていく。そういう集まりの方がいいね。言葉でいろいろやる会ってのは、やっぱいろいろあるよ、きっと(笑)

 那 それはわかるんですよ、でも、詩や評論とかね、具体的な形にしていくのはありだと思うんですよ。だって今、音楽とか文学とか、結局、恋愛至上主義とか、薄っぺらくて、エゴを助長させる情報がマスメディアからがんがん流れてきていて、こうやったら金持ちになれるとか、子供がそれを見て育ってきたら、その価値観の頂点に立ちたいという人間になるに決まっているし、もっと優れた、愛に満ちたような作品があったり、目立つようになれば、あれ、こっちなのかなって思うようになる。

 菊 うん、おれは思うんだけど、そういう社長たちはお金にも地位にも恵まれているわけだよ。全部ある。でも、そこまでいっちゃっても満足しない。じゃあ、何なの?っていうと、そういうことなの。だからそこまでいかない人間でも、そういう場を作っておいて感じたものを文章にしてもいいんだよ、言葉にしてもいいんだよ。

 那 ぼくはそれしかできないんで。

 菊 だからこのシステムを文章化できたらすごい。それを見ていきながら、広まっていくのを見ながら、何でこうなるかというのを言葉にできたらすごい。結局、みんなそこにいきたいのよ。そのエネルギーと雰囲気。どんな金持ちだって、どんなに高い地位があったって満足できない。逆に邪魔になる。

 那 人生の贅肉。持ちすぎると。適度な肉は生きていくために必要だけれど。

 菊 おれの友達に、松下幸之助の日本一の所得番付を二年連続で破ったH氏の孫がいる。今、そこの会社の社長をやっている。でも、それだけの人が偉ぶらない。菊地さん、遊びにきてよ、仕事しようよ、という。おれといると会話できるわけだ。二十代でカナダでゴルフやったり、材木を仕入れにきていたから、知り合った。この間も会ったけど、丁寧よ。

 彼が言ったのは、今は、分刻みのスケジュールで動いている。菊地さんがうらやましいよ、と言う。でも、いろんな役や地位のせいで自由がない。おまけに病気になって悩んでいる。やっぱり人間というのは、自由な時間が自分で作れて、好きなこと言えて、時に好きな所に行けてというのが一番幸せ。いくらお金があったって、もう自分の人生が自分の人生でなくなっちゃう。だけど、そういう人がいっぱいいるわけだよ。世の中に。だからうちは幸せ。

 おれは今貧乏生活しているけれど、パンも野菜もいくらでももらえし、こっちの方が全然人間らしい生き方だよ。自分で生きていけるわけだから。

那 ぼくもたまにうらやましいと言われますよ、自由に好きな時間に起きたり、好きな時に動けたり。本当はそうでもないですし、安定も何もないけですど、イメージで。

 だからみんな自由を求めていて、菊地さんみたいに自由に発言して、自由に生きている人に憧れているけれど、日本では一番できないこと。本当に引退して、年金生活になって、細々楽しもうというくらい。

 菊 おれはホームレスなんて一番幸せなんじゃないかと思うよ。

 那 若いのもいますもんね。三十代とか。

 菊 食うもの困らないものね。

 那 でも女性のホームレスとか、何とかしてやりたいと思う時がありますよ。夜中に道に老婆が座り込んでいるのを見ると、どういう運命でこうなったのかな、とか。思う時があります。感傷かもしれないけれど。

 菊 まぁ、男の人も女の人も変わらないんだろうけど、女性が弱いと思うとそんな風に見えるのかもしれないけれど。

 

●生贄(いけにえ)の意味

 

 菊 毎年、六月末にサムの住んでる所に世界の有名な霊能者が集まるのね。霊能者のお祭り。会合してるの。一昨年アジャリさんと行った。

 那 それは本物だけ集まる?

 菊 本物だよ。

 那 それはどうやって知るんですか?

 菊 どうやってかな? わからないな。でも、本物というのは違うんだよね。(写真を見せながら)この人もそうだね。カナダで出会った人で、ロッキー山脈の向こう側にある小さな町に、インディアンの血の入っている霊能者が集まるお祭りがあって、息子を連れて行ったことがある。

 那 いい雰囲気ですね、オーラがある。

 菊 このレベル。目が違う。

 那 うん。

 菊 偽物がいても、いられなくなっちゃう(笑)

 那 インディアンにはそういう人がいるんですかね?

 菊 まぁ、日本人にもいるだろうし、人種関係なくいるんじゃない? 

 那 日本は怪しい人ばかりな気がします。

 菊 でもさ、いろんな人と出会ったけど、みんな自分に素直に生きたいんだよね、でも、なかなかできないっていうね。

 那 しがらみとかね、そういうのがたくさんありますからね。みんな生きづらくなってる。

 菊 そうそう、そこでそれを落とせれば、もっとクリアに人から見えて、もっと良いものが伝わるんだろうけどね。なかなかそれができない。でも、カナダ行くと変わる。おれが社長室の椅子に腰掛けても怒らない(笑)日本じゃありえないでしょ。おれは名前で呼ぶ。対等なんだよ、社長も、社員も。自分の仕事をちゃんとやってくれている対等な仲間。だからお互いに名前で呼び合う。

 那 そういう関係になれれば一番良いのでしょうけど。日本の社長が一番わかってない。

 菊 だから日本は社員全員に同じような格好させて、同じような金銭で雇っていないと安心できない。ちょっと優秀なやつがいると応援してもらえると考えればいいのに、自分の立場が危うくなると思って首にしちゃう。それが日本の世界。何が足りないかというと自分に自信がない。そこに尽きるんだよ。

 人それぞれ違うのだろうけれど、どういう形で自分が、生活して満足していくかという…二度とないもんね。いくらノーベル賞取ったってさ、地球は何十億年後にはさ、爆発しちゃうんだから(笑)何も残したってね。

 那 (笑)

 菊 じゃあ、次の世はあるのってさ、死んだら。誰も保障してくれないしね。

 那 輪廻とかってよく言うじゃないですか。生まれ変わりとか。

 菊 ええ。

 那 そういうのって、本当はわからないところあるんじゃないですか?

 菊 うん、おれはばあさんと息子でカキンときたね。実際に。

 那 それが不思議だなって。

 菊 すごい犠牲払ったけど、ばあさんが死ぬ前の会話。実際に死んでから現れた会話。息子が生まれてきて、息子との会話。これはおれしかわからない。ばあさんとのつながり。

 那 何かがあるんでしょうね。

 菊 でも、おれには確認はそれしかできない。それをわからせるためにばあさんがやったのか、それもわからない。

 那 不思議。

 菊 でも、ただそれだけのことじゃなくて、息子が生まれるためにおれが変えた行動があるわけだよね、生活を変えたり。いろんな新しいことをやったり。生活が変わって周りの人間も変わったために、今度は新しいことをやらなくてはならなくなった。それがリンパであったり。そこからまた新しい世界に入っていく。今、ここにきてリンパの仲間とかね。新しい息子っていう問題がいなかったらこうなっていない。新しい息子がいなかったら、カナダにずっといて、こっちの人とは関係なかった。

 那 新しい課題というかね、必要とされている場所にちゃんと行くようにできている。

 菊 おれはね、この時に思ったのは生贄という意味がよくわかった。

 那 スケープゴート。

 菊 うん。おれが三十七、八で人生で一番たいへんな時があった。どうしようもないなと。その時にうちのじいさんが死んだのね。そしたらパーっと変わった。それで四十過ぎた前後にもう一度来た。そしたらばあさんが死んだ。今度は、新しい息子が生まれるためには、おれは最高の家庭を捨てなくてはならなくなった。それもひとつの生贄だよね。死にはしないけれど、そういうことだよね。

 那 うん。

 菊 子供たち、奥さん、全部取られて。新しい息子を世の中に出すために、それだけの犠牲を払わなくてはならなくなった。カナダの嫁さんは今まで出会ったことのない人間。女性としても素晴らしいし、人間としても素晴らしい。今でも尊敬してる。そういう人と別れなくてはならない。

 那 生贄ですね。サクリファイスという世界を救うために家を燃やす映画を思い出しました。

 菊 その意味がすごくわかってきた。昔から、生贄という言葉があったじゃん。一番大事なものを失わないと、そこをクリアできない。

 那 新しいものを手に入れられない。

 菊 これは理屈でも何でもないね。おれは経験したことでしか感じられないけれど、結局、おれの人生で三回あったね。

 那 それは器なんじゃないですかね。そこで安定して幸福になっちゃいけないよって。

 菊 だから課題だよね。

 那 そこで終わる人なら、運命がそのままどうぞってことはあるかもしれないけれど。まだ、楽させないよって(笑)

 菊 (笑)うん、おれは四十二歳の時に何もしなくても食える状況を作ってしまった。そこでポーンと一つ、問題が起きた。バブルが崩壊して。でも、じいさん、ばあさんに助けられて。もういいだろうと思った時に、新しい息子を作るという課題が出てきた。

 だからやれってことなんだよ、結局ね。おまえにはもっとやらなくてはならないことがあるよ。

 那 厳しい方向に行くほど上に行く。

 菊 うん、厳しい方向に行けばいくほど自分で考えなくてはいけない。努力もしなくてはいけない。そこでまた一つ、磨かれるものが出てくるんじゃないの。自分の中にあるもので出てきてないものが引き出されるんじゃないの。

 那 潜在能力。

 菊 うん、おれはそう思うね。成功するとそこに行くの嫌になっちゃう。全然知らないところに行ってゼロからやるのが好きなの。昔からね。

 那 楽すると堕落しちゃうというのもあるでしょうね。

 菊 当然あるでしょ。だから危険な所に行ったり、たいへんな時は、センサーがいっぱい出て、いろいろものを感じなくてはならない。そうでしょ? 仕事のことに関しても、危険に関しても感じなくてはならない。それを楽すると全部吸い取られて家畜になっちゃうよね。今の日本全体がそうなってんじゃない? 家畜化して、戦う能力がなくなって。

 那 しかも、白痴化してる。みんなネットの薄っぺらい情報で話している気がする。全然自分の言葉じゃない。

 菊 目を合わせてコミュニケートしないから、なおさらそれが通用するよね。目と目を合わせて会話したら、そういうわけにはいかない。自分のものじゃないとすぐに見破られてしまうけど、ネットでいかにもえらそうなことを、ね?

 那 実際会ったらたいしたことないのは、わかる。

 菊 文章でも見ているうちに出てくるんじゃない? ぼろが出る。どこかに自分のものじゃないなっていうね。どこかに出る。

 那 出ますね。

 菊 電話で話していても、声に出る。どこかに出る。顔を見ていない以上に出る。だから電話で話をすれば一発でわかるよって言ってる。

 

●宮本武蔵に通じる「自分に勝つ」力

 

 菊 でも、喧嘩ってあまりしちゃいけないけれど、喧嘩をして伸びることもたくさんある。おれはね、宮本武蔵が若い時に、次から次へと強いやつと戦っていったっていう気持ちがわかる。戦っていると怖いよね。負けたら死ぬんだもんね。でしょ?

 那 六十回戦ってすべて勝ったと聞きますけどね。

 菊 すごいよね。負けたら死ぬ。

 那 複数と戦った時もあった。でも、一度の怪我もしなかったと聞きます。切られたらカタワになっちゃう世界じゃないですか。ところが苦戦もしなかった。怪我をしなかったわけですから。ちょっと違うわけです。

 菊 彼は頭も使えた。今なら卑怯だと言われることもやった。

 那 でなければ無理だと思う。腕だけでは勝てない状況もある。

 菊 だから戦うというのはそういうこと。結果だから。作戦だから。戦争だったら落とし穴を作ったりする。それを卑怯だと言われたらさ。きれいごとばかりじゃない。

 那 ぼくなんかは麻雀をやるので、ある種の原理というか、きれいごとで勝ちたい派ですけど、どうしても相手を揺らす言葉を使ったりする。生きるか死ぬかならもっといろいろ考えると思います。ぎりぎりなら感性も思考も違ってくるでしょうね。質的に。

 菊 おれが、カナダの山でやっていたことはそれに近い。おれが嫌いなやつ二人と、おれ一人で山に入るとするでしょ。森林だよ。やつらがおれを殺そうと思えばいつでも殺せるよ。そこを信頼して入っていく。前も喧嘩をやったりしている。仕事の取り合いをしていたりする。こいつがいたら邪魔になる。それをいろんな状況判断をしながら、歩いていく。でも、こいつらといると三割危ないなといつも頭に入れて行動しなくてはならない。何かあった時、どう身を交わすかとか。そういう癖がついてる。今も。

 海外に住んでいて、誰も知らない所に行って、病気になったら死んじゃう。お金がなかったら。病気になれないということは健康でなくてはならない。そこから気をつけなくてはならない。きちっと食べるものは食べる。怪我をしないようにする。そこから入る。毎日。それをつい三、四年前までやっていた。人間だけではなく熊もいるわけでしょ。

 那 若い時から、自分への厳しさとかちょっと他の人と違っていたんじゃないですか?

 菊 気持ちの作り方だと思う。カナダに行く前に営業をやっていたことがある。怖いんだよね、知らない場所での営業ってのは。そこでどうやって気持ちを奮い立たせていたか。必ずどこかに神社やお寺がある。その町に行くと。神社の賽銭箱の前で集中しながら、自分の好きな彼女のことを想像する。その彼女が今、殺されるという状況。この真っ赤に焼けた鉄を一分間握れたら助けてやる、と。できなかったら彼女は殺される。握る気持ちを作る。神社の前でうーって作った。その気持ちで行くと、うまくいく。相手次第じゃない。自分次第。相手のことを考えたら負けてしまう。戦う時は自分。自分に勝てば勝てる。相手を計算したら絶対負ける。強いなぁ、とか。

 那 麻雀をやっていても同じです。

 菊 麻雀もそうなの?

 那 自分の状態が悪かったら、誰が相手でも負ける。相手のことがひっかかって「こいつ、いやだな」とか思っている時は勝てない。

 菊 自信満々で行くと、相手がそれを見た時点で負けている。同じ精神のレベルでは来ていないはずだから。仕事でも何でもそうだけど、自分なの。自分の作り方なの。だから自分の母親のことや一番大事な人がピンチな状況を思って、集中力がガーンと来る。そこから違う。出ている雰囲気が全然違う。だから威圧じゃないんだよね。違うものが出ている。何とも言えないもの。

 だから二十四歳の時に数百ドル持ってカナダに行って、二ヵ月後に一千万儲けてしまった。集中の仕方で奇跡が何度も起きる。今、考えるとガキもいいとこ。だけど、全然自信満々だった。今、できるかと言ったら、できない。

 那 必死さもあったんでしょうね。変化球はなくても直球だけで行く。

 菊 そうそう(笑)

 

●消費税をどう生かすか――日本とカナダの政治の違い

 

 那 原発も再稼動して、本当にどうしようもないな、と思いますね。

 菊 結局、戻るよね。

 那 福島原発の事故にしても、最悪までいかないで、ここまでの状況になったんだから気づけよって自然がシグナルを出してくれているのに、また元の悪い道に戻ってしまった気がする。

 菊 努力をした振りはしている。ここまでやったけど、だめだったからまた稼動する、と。

 那 ここでまた悪いことが起こっても自業自得と思ってしまうくらいの状況…

 菊 カナダでクルマエビを日本に輸出する時に、特殊な防腐剤をかける。アメリカやカナダでは体に有害ということで販売禁止されている薬物。でも、日本ではいい。日本の農林省は全部受け入れている。スジコもイクラもそう。農業では農薬のこととか、中国にいろいろ言っているけれど、カナダには何も言わない。現地の人はみんな知っているんだよ。頭が黒くならないようにする薬がある。スジコも赤さを保つ薬がある。見た目で日本人は買う。でも、カナダ国内では絶対販売禁止。売ったらたいへんなことになる。それを日本人が食っているんだよ?

 那 カナダの方が福祉も含めて成熟している。

 菊 消費税だって、十四、五パーセントだけど、食料品や子供の医療についてはかからない。ぜいたく品にかかる。日本もそういう風にすればいい。真似ればいい。

 那 結局、うまいこと言いながら、庶民に負担がかる。みんな、それを疑問に思っていない。

 菊 カナダは直線で八千キロの高速道路がある。全部無料だよ? 日本はこんな小さな国で、カナダより経済能力があって、それでいてこんだけ金を取るんだよ。

 那 なぜこんな生きづらくなってしまったのか。年間三万人の自殺者が出る異常な国。どこからどう見ても異常なのに、まだ正常と思っている人がいる。

 菊 それは天下りのためだよ。

 那 一部の権力者だけが肥えるシステムですよね、この構図が変わらない。

 菊 カナダみたいな経済力のない国が、高速道路無料で、ちゃんと管理もできている。きれいなんだよ。

 那 日本の政治、経済の方が腐敗しているってことですよね。

 菊 だから、いかに給料を余計にもらっているいらない人間がたくさんいるかってことでしょ。だって、カナダで医療費は無料だよ? 一銭もかからない。

 那 払う人もいるんですか?

 菊 いない。保険を払っておけば。消費税十四パーセントの中に全部入っている。

 那 日本はたぶん十四パーセントになってもそうはならない。誰かが吸い取っちゃう。

 菊 官僚がいるから政治家ががんばっても変わらない。官僚に負けちゃうわけでしょ? 官僚の方が頭がいいから。

 那 官僚と経済界がくっついちゃってるから、金持ちのための法律になっている。

 菊 官僚とくっついているところが金儲けできる。何のビジネスでも。官僚が食えるようになっている。日本の政治家が勉強不足ですよね。海外に上辺だけで行ってきちっと調べていない。カナダの消費税のことだけだって、すごい勉強になる。学校だって高校卒業まで無料だよ。

 那 十四パーセント取っていれば、本来ならそれくらいできる。

 菊 できるんじゃない? 余計な支出がなくなれば。高速だってこんなに高くなければもっと乗るんだよ。数が増えるんだよ。東京湾の道路だって、五千円なんて乗らないよね。あれが千円なら乗る量が違う。そっちの方が経済力が上がるんだよ。日本のビジネスは全部そうだよ、高いんだよ。だから高速道路は今の三分の一ぐらいにしてごらん。地方に行く人が増えるから、地方も活性化するわけだよ。

 カナダなんか面白いよ、田舎の良い場所にサッカーのグラウンドを十面くらい作る。

 那 十面?

 菊 うん、野球の試合できる所も五面くらい作る。するとサッカーや野球の決勝が田舎で行われる。するとそこに人が集まる。近くのホテルがいっぱいになって、食料品も売れる。地方の活性化になる。甲子園は大阪だけであるけど、田舎でやると経済が回る。

 那 カナダには自然も多いけど、良い空気が流れている気がしますね。今の日本は本当に危うい。何かを変えなくてはならない時期に来ていると思いますし、そういう動きも少しずつ出てきているように感じます。とりあえずは体の方から歪みを治すということで、リンパ講座をね、お願いしたいと思います。


狙うは“メッシ(滅私)”効果? 後編 

◇対話                  

 

狙うは“メッシ(滅私)”効果? 後編           

610日 新富士駅内の喫茶店にて

 

那智タケシ(ライター)×松本セイゴ(農家)

 

●現象が自分を通過している

 

 松 那智さんが体験されたことは、般若心経に書いていることと同じなんですか?

 那 本当はあの本にね、般若心経のことを思い切り書いてたんですよ。ちょっと読んで読む必要なくなったって。同じだから。結局、五ウンが幻想であるとわかれば、空で、世界だと。これは本当のことが書いてある、と思って。びっくりしたけれど、逆に読まなかった。そのくだりは書いたんですよ。でも、その時に般若心経は間違った経典である、という説が出てきていたんです。

 松 そうなんですか?

 那 要は、菩薩が阿羅漢に教えを説いているのはおかしい、と。上座部仏教の人が言い出した。つまり、悟りを目指して修行中の観在自菩薩が、シャーリープッタという仏陀の弟子の阿羅漢、つまり悟った人に教えを垂れている、という構図が間違っている、と。別に、そんなことは気にならなかったのですが、この手の本を出すということでナーバスになっていた時だったので、全部カットしてしまった。突っ込まれたら面倒だなと思って。だから文章の意味がよくつながっていないところがあるし、薄い本になってしまった。今にして思えば、出すべきでしたね。

 松 仏教では預流果とか一来果とか、段階があるって言いますね。そういう段階はあるんですか?

 那 ぼくは、あると思う。

 松 あるんですか? 那智さんの体験よりも上がある?

 那 理屈としてはあるのはわかる。般若心経は、基本的に「我はない」という預流果の認識によって救われた話だと思う。自分の本もそのライン。でも、その後に自我の残滓がどばーって落ちる体験があって、自我は他我だな、と。これは一つの段階ですよね。

松 そこが少しわかりにくいです。自我は他我というのが。

 那 例えば、仕事で人から文句を言われて、苦しいと。これは自分だけの特別な悩み、苦しみに見えて、実は、これはいろんな所で起きているわけです。世界のゆがみ、ひずみがたまたま自分のところに来た。自分のものでもなんでもない。だから喜びも悲しみも、感情というのは意外と個性はない。深さはあるとしても。世界の至るところで悲劇があり、喜劇があり、悲しみがあり、喜びがある。現象が自分を通過している。自分の肉体を通して。だから自分の経験とか、感情とかというのは、蓄積ではあるけれど、それは「私」ではない。イスラム教徒の両親に生まれた子供はイスラム教徒になるわけだから。条件付けられて。それは実在ではない。

 だから、今、話しながらも認められようと思っているとか、ちょっと今、いい気になっているとか、へらへらしているとか、それに気づいている。それは起こるべくして起こっていることで、実在ではない。起こっては、去っていく。ところが、「起こった」ものを実在だと思うから、みんな自分を特別視したり、えらく感じたりする。単に現象があって、消えていって、後は同じ。等価的。だから自我の起こる様を見てゆくと、崩れていく。自分は特別だ、という意識はまがいもので、屑だな、と。劣等感であれ、優越感であれ、それ自体がアンバランスなもの。見てゆくと、中身がないのがわかる。麻雀を打っていても、「嫌なことをされたから、やっつけてやろう」とか、「どんなずるいことしても勝とう」とか、自我が出てくる。自己中心性がね。ところがそれがあると本当に勝てない。全体の流れが見えなくなるんです。一番良かったのは、麻雀でごまかしが利かないこと。これ(胸の中心)がない時が強いんだもん。流れだけがある状態が強い。自我では勝てないとわかるから。

 松 神秘体験のことが本に書いてありますね。

 那 神秘体験というのはある。おれは道端の石ころで、道の中央にある岩ではなかった。その時にすべてが等しい価値を持った世界にいるとわかる。ぼくと松本さんと、このコーヒーカップと、すべてが。自我はいろんなところにある石と同じ。

 松 モノと同じ。

 那 自我でも、モノでも、すべて同じだな、と。自己中心的な実在というのはない。それに気づいた時に、ぱーっと世界が広がる。ああ、こっちかと。でも、石ころはあっていい。端の方に転がっていれば、それは世界の一部なわけだから。

 松 それを表現しようとした。

 那 ただ、すぐにはしなかった。三年くらい、黙っていた。どう言ってよいかもわからないし。ただ楽になったな、と思っていた。これでずーっと悩んでいたけど、あるだけじゃん、と。ある種の数学的理解。でも、それがゴールっておかしい。分母が入れ替わったとして、そこから肉体を通して何をするべきかという行為の領域になってくる。ぼくはね、たまたま仕事がフリーの編集ライターで、人様の本を書くことが多かったんですよ。ひと月、ふた月で人の本は一冊書いてしまう。でも、人の自己啓発的な本なんて書いていると、自分の体験の方が、情報として伝えるべきものだろうな、と当然のことながら思うわけです。ジレンマが出てくる。だからね、ある時、出版のあてもなく書き始めた。こういう体験をした人、たくさんいるのかもしれないな、とは思ったし、今でもそう思っている。でもね、たまたまぼくは本を書く仕事をしていた。だから書いただけです。役割かもしれないし、特別でもなんでもない。ただ、どうせなら、ろくでもない世の中だし、自己中心性を破壊するようなものを書きたいな、と。ちょっとラディカルな表現にしてね。自我が実在じゃない、ということを知っていれば、本質的に傷つかない。それが救いになる。

 

●コップは実在するか?

 

 松 このコップは実在しないんですか?

 那 (笑)。あると言えばありますよね。

 松 量子力学や超ヒモ理論とか、突き詰めていくと素粒子はただのエネルギーになる。元々何もないところに。

 那 何かが起こる場が在るでしょ。そこに何かが流れ込んでいる。そしていろんな形になったり消えたりする。このコップだって、千年後にはないでしょ。人間の感情も三分後にはなかったりする。永続的なものはないし、関連性の中で、形になっては消える。このコップは人間が意図的に作り出したもの。このコーヒーも意図的に作り出した。場のエネルギーを人間は形にしていって、そしてまた消えていく。結局は、仏教なんですけどね。量子力学も。

 松 量子力学で、Wスリット実験というのがあって、電子を飛ばして、記録紙(スリット)を通り抜けていく。観測していると、粒のような状態になって当たる。観測していないと、波のような状態になって記録される。非常に不思議だな、と。観測するという行為が物質の形態に影響を与える。

 那 結局、見るということ自体が何らかのエネルギーを与えている。見ていない時に月があるかというアインシュタインの話があるけれど、まぁ、それはあるでしょ。

松 ハイデッガーは独我論で、自分が見ている所以外は存在していない、と言いますよね。ああいう系の本は読んでも難しくて理解できないんですけれど。

 那 つまり、認識はないということですよね。

 松 ああ…

 那 ただ、世界は在る。ただこの世界の拡がりを本当の意味で認識できるのは人間しかいないのかもしれない。認識の話になると非常に面倒なんだけれど、「見るものは見られるものである」というクリシュナムルティなんかが言っていることがありますよね。我という単位がないと、ひとしなみに物があるだけになる。世界が在るだけになる。しかし、それを表現するのは非常に難しい。言葉がなくなる。

 松 般若心経も同じようなことを言っていますね。言葉にできない般若の教えって。

 那 ただ思うのは、それは曖昧だから言葉にできないのではなくて、明晰すぎて言葉にできないということなんです。

 松 言い表す言葉がない。

 那 つまり完璧な回答はある。ただその答えを記述する方程式を誰も見出していない。仏陀でさえ見出していないし、そういう風にできているかもしれない。何らかの形で表現している人はいるけれど、これが答えだ、という正確な記述ができないようにできているような気がする。それが科学式であっても、哲学的レトリックであっても、何でもね。

 いろいろ聞かれるんですよ。見ている者は誰なの?とか。でも、それを直接的に答えようとすると、こんな風に饒舌にならざるを得ない。だからいつもは控えている。普通に一人でいれば、何の疑問も惑いもないのに、説明しようとすると曖昧にいろんな言葉を使わなくてはいけなくて、わかってないんじゃないの?となる。

 だから説明うんぬんよりも、それを生きることができるか、より純粋になって、何かを具体的に表現できるかという勝負になると思う。

 松 修行は意味がない?

 那 いや、そんなことはない。ただ、ぼくの場合はいつも強制的なんです。悟りたい、とか修行しようとか、そういうのは一度もない。前向きに何か良きものに向かうのではなくて、どうしようもないからやっているし、楽をしようとすると、なぜかどうしようもない状態に追い込まれてしまう。

 松 心身滑落という体験をされていますね。

 那 痛みの受容で、痛み、自我は自分のものではないとより強烈にわかった。段階の話に戻ると、認識の段階から、自我が多少落ちやすい状態になったってくらいです。節目、節目には強烈な体験がある。これですべてを手に入れた、という全能感さえある。けれども、その強烈さは持続しない。ただ、心身の構造が変わっている。それが少しずつ日常生活に反映されていく。段階はあると思う。ただ、段階を狙って修行するとか、それは興味がない。あまりぼくが何かを言うべきことでもないし。

 松 この間、手を怪我した時に、誰かのために痛みを受け入れようと思ったら楽になったりしました(笑)

 那 そう、タンスの角に足の小指をぶつけた時なんかね、快感だったりね。マゾ(笑)

 松 禅とか、伝統的な修業方法についてはどう思いますか?

 那 伝統的な方法はね、方法論としては優れているに決まっている。公案でも、ヴィパッサナーでも何でもね。基礎訓練にはなるんですよ。個々人の体力をつけるというか。それが自我を破壊する可能性がある。ただ、それだけが目的の時代は終わった、ということです。それぞれが基礎体力をつけながら、社会を変えるために何をしてゆくか。地に足を着いて、直接的に社会にかかわりながら、自我の外にあるものを表現していく時代になると思います。



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