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特撮考察/ババタカオ

特撮考察/ババ タカオ

  特

ババ タカオ

 

 幼い頃より、特撮番組が好きで、そんな子供がそのまま大人になったような僕である。

宅配レンタルと言うものは、本当に便利で、近辺のショップでは扱っていない作品なども手軽に見る事ができる。

 便利な時代である。

 

 そんな便利な時代の寵児として、今昔の特撮についての愛を語ってしまおうかと言う趣旨の本文である。

 主観まみれの雑文なれど、主観こそが文章の醍醐味と思われる方は、お読みいただきたい。

 

 今回は、仮面ライダーとウルトラマンである。

 共に、日本を代表する特撮ヒーローとして名高いが、ここ最近は、仮面ライダーは10年以上テレビシリーズを続けているのに対して、ウルトラマンは映画と、「ウルトラマン列伝」という過去のシリーズからのダイジェスト番組で展開されており、ウルトラマンは少々分が悪い。

 

 この差は、いつからついてしまったのか。

 僕が子供の頃は、ウルトラマンも、仮面ライダーも同じくらいの人気であった。

 ちなみに、ウルトラマンも、ライダーも、長寿シリーズであるものの、いずれもテレビ放送をしていない空白期間がたびたび存在する。

 ウルトラマンのテレビシリーズは2006年の「ウルトラマンメビウス」以来、新作は映画展開が中心である。

 一方の仮面ライダーは、2000年の「仮面ライダークウガ」以来、シリーズは休むことなく継続されており、この長さは、昭和シリーズを超えている。

 

 さて、ではウルトラマンと、仮面ライダーはどういった違いがあるのか。

 

 ウルトラマンは、M78星雲から来た宇宙人が、地球人に乗り移り(或いは、普段は地球人の姿をして)、いざ怪獣が現れた時に人間に変わり、それを討つ! というもの。

 

 仮面ライダーは、悪の組織ショッカーに改造人間にされた主人公が、脳改造される前に脱出し、改造された体を利用して、悪の組織と戦う。と言うのが、最初のシリーズ。

 

 ここで争点となるのは、ヒーローそのもののキャラクター性だ。

 ウルトラマンは宇宙人であり、劇中でウルトラマン自体の人格が描かれる部分はほとんどない。


 ドラマは、怪獣がどのように発生し、人間がどのように対処して行くかという所にあり、ウルトラマンは「どうしようもなくなった時」に現れるもので、ドラマの中で言うと主人公どころか、第三者となるわけである。

 古代ギリシアの演劇の演出方法で「デウス・エクス・マキナ」と言うものがある。「機械仕掛けの神」と言う意味で、物語が解決困難な状況になった際に、絶対的な存在(神)が現れ、無理やり物語を収束させると言う手法で、我々にとって一番身近な例は「夢オチ」がそれに近い。が、ウルトラマンの役目は、まさにそれである。

 ウルトラマンは、言い換えれば神なのだ。

「地球上では、3分間しか戦えない」という制約はあるものの、それ以外では様々な技を駆使して、怪獣を倒していく。

 言い換えれば、ウルトラマンが出てきた時点で、ドラマは既に終わっているとみても良い。

 

 一方の仮面ライダーは、「改造人間の悲哀」が前提としてあり、それに悩み苦しみながら戦っていく、等身大の人間である。

 石ノ森章太郎の漫画版では、仮面ライダーのマスクは、改造手術を受けた際の傷を隠すためで、「仮面ライダー」と言う姿は、人外の力を持ってしまった男の、悲しみの象徴として描かれる。

 これがウルトラマンと徹底的に違う所で、仮面ライダーは、自身が様々な問題を背負う主人公なのだ。

 

 とはいえ、仮面ライダーも最初は苦戦を強いられた。その悲哀が、物語を暗くし、視聴者から敬遠された。

 それに加わる出演者の事故。

 しかし、仮面ライダーはそこを逆手に取り、『2号ライダー』を登場させ、その際に番組の色を明るくした。

 その後、仮面ライダーは人気を博し、シリーズとなっていく。

 

 しかし、そのシリーズもマンネリが出てくると、継続が難しくなってくる。

 そこで原点回帰として、より異形性を強調した「仮面ライダーアマゾン」が登場する。

 この「アマゾン」は、結局数字的には失敗するのだが、著者的には、これが仮面ライダーのターニングポイントとなっている。

 仮面ライダーはここで、それまでのライダー像を壊したのだ。

 昆虫モチーフではない。主人公が野生児。必殺技が鋭い爪での攻撃。噛みつきなどの野性味あふれるバトルスタイル。などである。

 その後もライダーは、シリーズを重ねるごとに、従来のイメージを壊し、ライダーの幅を広げ、ここまで来た。


変わらないのは、主人公にある、「悲しみ」である。

仮面ライダーは、常に「人間」として描かれてきた。

 

 一方のウルトラマンも、シリーズを重ねるにつれ、人間の醜悪な部分なども描き、「それでも守らなければいけないのか」と葛藤する物語もあるものの、基本的に第三者であり、最後には「人間は、ウルトラマンの力を借りずに、地球を守らなければならない」と言う結論に至り、ウルトラマンのほとんどは、宇宙に帰っていく。

 平成シリーズで、一部宇宙人ではない「光の巨人」と言うウルトラマンや、地球の守護神のようなウルトラマンも存在するが、結局は超越した存在であり、この辺りは、現代の差を語る上で外せないのではないかと思っている。

 

 しかし。ウルトラマンには強みがある。

 話の幅が広げやすいのだ。

 仮面ライダーは、半ば連続ドラマとなっているが、ウルトラマンは、大きな筋があることもあるが、基本的には一話完結で、その中で作家は、野心的な物語をいくつも輩出している。

「途中を見ても面白い」のがウルトラマンであり、SFとしても優れている。

 SFとは、つまりは比喩である。

 現代の問題を、未来や、未知のテクノロジーの力を借りて、物語を作っていく。

 自然、物語には、時代性が出てくる。

 

 無論、仮面ライダーも時代を反映している。

 しかし、一話完結のウルトラマンの、時代に対する姿勢は自在である。

 1エピソードで傑作を挙げよと言われると、おそらくウルトラマンの方が多いと思われる。

 しかし、シリーズ全体でみると、勝敗はつけがたい。

 

 結局のところ、現在は仮面ライダーが優勢だという事で、だからと言ってウルトラマンが元気がないわけではない。

 映画もアジアを中心にヒットし、「ウルトラマン列伝」は、6クール目を超え、ウルトラシリーズの長寿番組になった。

 現在は、新たなテレビシリーズに向けて充電中だと思いたい。

 仮面ライダーも、平成シリーズでこれまで以上の人気を博し、映画版では、他の石ノ森キャラクターなどのオマージュも取り入れており、少々古参ファンに媚びすぎな面もあるが、そう言う話題が出てくるたびにわくわくする。

 著者は、どちらも好きだが、現在はウルトラマンの新シリーズを、のんびりと待っているところである。