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Baker St.でロンドン生活をスタート

シドニーで洗礼を受けたためであろうか。ロンドン生活で違和感はほとんど感じられなかった。もともとオーストラリアはイギリスからの流刑の移民が造った国であるし、シドニー市内にはイギリス縁の地名が随所に残っていたし(例えばシテイにあるハイドパークとか)、いわば本家本元に戻ってきたような感じである。

 

 赴任後1か月間は、ベーカー・ストリートとヨーク・ストリートの交差点からヨーク・ストリート側に2軒入ったところにあるゲストハウスに滞在して、週末は家探しに費やした。ちなみにベーカー・ストリートは、コナン・ドイルが描いた名探偵シャーロック・ホームズの舞台となったところである。

着いた翌日から早速、アンダーグラウンド(地下鉄)を利用して通勤する。地下鉄ベーカー・ストリートからノーザン・ラインでボンド・ストリートまで行き、そこでセントラル・ラインに乗り換えてオックスフォード・サーカスまで行き地上に出る。そこからはリージェント・ストリート沿いに10分ほど歩いて職場に着いた。

 

帰路は、ロンドンの街に早く慣れるため、歩いてゲストハウスまで帰ってみた。さすがは多国籍の国である。街は欧米系はもちろんのこと、中国人が多いのはどこへ行っても同じだが、中近東系やアフリカ系、インド系の人の姿も目につく。さながら世界中の人種のるつぼの観がある。

 

リージェント・ストリートは東京で言えば銀座のような所である。バーバリーやローラアッシュレイなどのブランドショップや銀行の建物などが屏風の壁のようにずらりとピカデリー・サーカスまで立ち並び、その間を名物の赤い色をした2階建てバスや黒塗りのムスタング型タクシーが縫うように所狭しと走り回っている。

 

ところで、このタクシーの運転手になるには、難しい地理や歴史の試験をパスしなければならないと聞いた。そのため、どんなに分かりづらい場所を指示しても、きちんと連れて行ってくれると評判である。私もロンドン時代は何度もタクシーを利用したが、1度たりとも間違いはなかった。

 

シドニー赴任のとき、最初に感じた感覚は「快適さ」であったが、ロンドンに着いてすぐ感じたことは「慌ただしさ」だった。それはトーキョーにいたときと似た感覚、ストレスの多い都会の生活を予感させるものであった。

 

 ところでロンドン生活で私が面白いと思ったものにアンダーグラウンド(地下鉄)がある。アメリカでは地下鉄をSubwayと呼ぶが、イギリスではUndergroundと呼ぶ。

イギリスでSubwayというと、地下道を意味してしまう。ちなみにSubは下を表す接頭語


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ロンドンの地下鉄は面白い

で、例えばSub-marineと言えばMarine()の下、つまり潜水艦を意味する。

さて、この地下鉄、チケットを買って自動改札を通り、迷路のような通路をくねくね曲がりながら、ようやくホームへ出るのである。通路は狭い穴蔵のようなトンネルの中に縦横無尽に張り巡らされていて、まるで蟻の巣の中を通っているような感覚に囚われる。少し圧迫感もある。ロンドンに初めて来た人はまず戸惑うものと思われる。ホームは狭く、電車の内部もトーキョーのそれに比べると狭く、汚い。その形状から、チューブと呼ばれている。     

地下鉄の種類はセントラル・ライン、メトロポリタン・ライン、ジュビリー・ライン、ノーザン・ライン、サークル・ライン、ディストリクト・ライン、ビクトリア・ライン、ベイカールー・ライン、ピカデリー・ラインなど豊富である。 電車がホームに止まり、ドアが開くと、「Mind the gap!(ホームと電車の隙間に気をつけて!)という構内アナウンスがどこへ行っても必ず流れる。一つ、不思議に思ったのは、朝のラッシュ時、チューブの中は空いていて、奥へ詰めればまだ人がいっぱい乗れるのに何故かドア付近のスペースにしか乗らず、それ以上、奥へ詰めないのである。詰め込むだけ詰める日本のラッシュアワーの風景と明らかにそれは異質だった。ホームで待っている人々もそのことに対して別に不満を言うわけでもなく、当たり前のような顔をして、その電車を見送り、次の電車が来るのを待っているのである。不思議で仕方がなかった。余り過度に他人と接近するのを嫌がっているようにも見受けられた。思うに人との距離をある程度保って置き、それ以内の距離感は自分のプライバシーを守っておきたいのだろうと私なりに解釈をした。

この地下鉄が乗り越し清算が利かず、乗り越しをすると10ポンドのペナルティを課されるという事実を知ったとき、(融通が利かないな。)と思った。実際、ロンドンの地下鉄はサービスが悪いことにかけては有名である。


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地下鉄のストライキで徒歩通勤

地下鉄の話を続けよう。この地下鉄、私が在勤中、帰宅のラッシュアワー時に地上から切符売り場に降りる階段の入り口を、何の前触れもなく、いきなり全て閉鎖してしまったことが何度かあった。

何でも構内で不審物が発見されたとかで、安全が確保されるまでシャッターが開かず、1時間近く地上で大勢の帰宅の途につく人々が待ちぼうけを食らったことがある。地下鉄が時間通りに来ることはまれで、また時々、駅を1つ飛ばして運転したりする。そして、しょっちゅうストライキを起す。 毎日何が起きるのかが分からないのがロンドンの地下鉄だと言えよう。1分遅れてもアナウンスする正確無比な日本の地下鉄とは比較にならない。

 

ある年のストライキの当日、セントラル・ラインのウエスト・アクトンに住んでいた私は、たまたまホワイト・シテイ駅(国営放送BBCの最寄り駅)まで臨時列車が走ることになったので、ホワイト・シテイまで臨時列車で行き、そこからバスで街の中心部へ出ようと試みたが、来るバス、来るバス満員でいつまで経っても乗車できなかった。バスを諦め、ホワイト・シテイから事務所のあるリージェント・ストリートまで歩くことにした。途中、壮重な建物で名高い自然史博物館や映画「ノッティン・ヒルの恋人」で有名なノッティン・ヒルゲート駅、ランカスター・ゲート駅と地下鉄駅に沿って歩き、広大なハイド・パークの横を通りながら、オックスフォード・ストリートをマーブル・アーチ駅、ボンド・ストリート駅と歩き、会社の最寄り駅であるオックス・フォード・サーカスに着いたのは家を出てから3時間後、お昼近くになっていた。

 

ベーカー・ストリートのゲストハウスに滞在しながら、週末は住居探しに費やしたことは前述したが、家探しといっても、広いロンドン、どこでも良い訳ではなく、1年後に妻と2人の子供が渡英することを考えて日本人学校から歩いて通学できるエリアに限定された。

 

地下鉄セントラル・ラインでオックスフォード・サーカスから約20分西へ行ったところにあるウエスト・アクトンという駅が最寄り駅だった。小さな駅で、外に出るとインド人が経営するニュース・エージェントが2軒、酒屋が一軒、日系の不動産屋が一軒、クリーニング屋が1軒、それに「あたりや」という名の日本食料品店と薬局位しかなかった。   

 


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家探しは難しい

を出て右方向に歩いていくと、すぐプリンセス・ガーデンと呼ばれる住宅エリアに入る。このエリアに建っている住宅は全て、チューダー王朝スタイルと呼ばれるイギリス伝統の建築様式で、白い壁に黒い格子の入った、日本でもお馴染みの英国風建物であった。市内では北部のゴルダース・グリーン地区(ユダヤ人が多く住むエリア。休日ともなると黒い帽子に黒い服を着たユダヤ人が大勢教会へ向かう姿をよく目撃した)とここウエスト・アクトン地区しか見られない貴重なものらしく、その中の何軒かを不動産屋の案内で見て回ったが、どれも古くて、似たように思われたので、深く考えることなく、その中の1つに決めてしまった。(子供の通学の関係で住居エリアは初めから限定されている。日本人も多いのでまあどこでも大差ないだろう)と何とも大雑把な考えで早々に家探しを終了した。 

 

この家が不良物件だったとはその時知る由もなかった。シドニーでもそうだったが、家探しはつくづく難しいものであると思う。その土地に慣れないうちは、頭の中に何の知識も比較するものもないから、大体変なものを掴まされてしまうのだ。もっともウエスト・アクトン地区以外にもスイス・コテージやビートルズのアビー・ロードのアルバムの表紙の舞台となったセント・ジョーンズウッドのマンションも参考ながら見てみた。緑の多いセントジョーンズ・ウッドの物件はグランドフロア(日本で言うところの1階)にクラークが常駐しており、今から思えば、単身赴任の1年間位はこうした物件に住んでも良かったのではないかと思われる。後の祭りであるが。

 

家も決まり、ベーカー・ストリートの仮住まいからウエスト・アクトンに引っ越してしまうと、途端に時間を持て余し気味となった。賑やかなベーカー・ストリートの仮住まいにいたときは気づかなかったが、静かな住宅街であるウエスト・アクトンに引っ越してからは、異国の地で一人で生活するということが何とも味気ないものであることを夜になると痛切に感じるようになった。

 独り身の寂しさを紛らわす意味もあって、とにかく何かをしようと思い立ち、自分の下手な英語力を少しでもアップさせるべく、語学学校に通うことに決めた。7月のある週末、ノーザン・ラインのゴルダーズ・グリーン駅近くにある英語学校の門をたたいた。今更、大人数の教室も何なので、家庭教師を頼むことにした。まずはレベル・チェックの筆記テストを受ける。結果はinter-mediate(中級レベル)であった。この結果は、既に英語圏の海外駐在を経験している者からしてみれば、かなり憂慮すべきことだった。思うに英会話力の出来不出来は、その人の性格が明るく、社交的で話し好きか、あるいは寡黙かといった要素でだいぶ違ってくるようである。寡黙な性格の人は、日本語であれ、英語であれ、やはり寡黙であって、言語が変わったからといって突然、性格も変わって饒舌になる訳がない。当然、おしゃべりで話好きの人の方が日本語でも英語でもボキャブラリー(語彙力)は増えると思われる。その点、女性の方が英会話の上達が早いというのは本当の話で、その理由は男性と女性の脳の違いにあるらしい、とある本で読んだことがある。


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英会話学校とウィンザー城

まあ、それはともかく私は、無口な性格なので英会話の上達はあまり期待できないと初めから諦めていた。 おそらく、当時の日本人のロンドン駐在員の中でも私の英語力は最低レベルに属していたと自負している(自負してどうすんじゃい!)

私のような人間をロンドンに赴任させるのであるから、いかに私の勤務する団体の上層部がいいかげんか読者諸兄はお分かりになるであろう。

さて、余談はともかくとして、私の担当のチューター(家庭教師)が決まった。ケンブリッジを出た才媛でお父上はジャーナリスト、お母上は大学で人類学を教えているというアカデミックな家庭に育った人だった。

彼女は、ロンドンのイースト・エンド(東の外れ)に住んでいて、毎週2回、平日の夜、西の外れのウエスト・アクトンにある私の自宅まで来てくれた。彼女の教え方は一冊の薄い本(オックスフォード出版)とカセットテープを使うもので、ビジネスでありそうなシチュエーションを想定した会話をまず、テープで流して私が聞きとる。その内容について彼女がいろいろと質問をして、それに私が答えるという形式だった。私のような中級レベルの人間は、テープから流れる音声から、全体として何を言わんとしているのかはおぼろげながら理解できるのだが、一言一句正確に発音を聞き取り、その意味を正確に理解できるところまではいっていないのだった。実は20代の独身の頃、(将来、海外勤務になる可能性がある)ということで水道橋にある英語専門学校に数ケ月通ったことがある。何のことはない。その時のレベルとほとんど変わっていなかったのだ。シドニー駐在を経験したにもかかわらず、である。最初の数ケ月こそ気合を入れて、英語と取り組んでいたのだが、だんだん熱意が薄れてきて、しまいには約束した時間をすっぽかして、時々さぼるようになり、先生にご迷惑をおかけしてしまった。どうにか半年位続けたものの、彼女は彼女で冬休みに1か月以上の長期休暇を取って旅行に行くので休講ということになり、それを口実に英語学校を止めてしまった。

ウエスト・アクトンの家に引っ越した頃、中古のドイツ車を購入した。これで週末、ちょくちょく郊外ドライブに出かけるようになった。

 手始めに、ウインザーにあるウインザー城へ出かけた。自宅から、Hanger Laneを通って、M4に入る。ちなみにMとはMotor wayの略で高速道路を指す。以前、別のエッセイでも書いたが、イギリスの高速道路はどこまで行こうがただである。あとはひたすらM4を西へ向かって車を走らせる。途中、進行方向左手にヒースロー空港の国内線、国際線、貨物ターミナルの誘導標識を見やって、郊外環状線であるM25を通り過ぎると、道の左右にのどかな田園風景が広がってくるようになる。しばらく行くと、左手の方角の森の中にウインザー城が見えてくる。城の屋上に旗が立っていれば、城の主、すなわちエリザベス女王が現在、滞在していることを示している。今日は旗が立っていないので、女王は不在のようだ。Winsor Castleの案内標識板に従って、M4を降り、ウインザー市内へ向かう。

 

イギリスの道路標識、観光案内標識は実に分かりやすい。特に観光案内標識は、通常の青色のボードの道路標識と区別する意味もあって、茶色のボードに名所・旧跡名が大きく白地で書かれており、おまけにその名所、旧跡を表す絵まで描かれているのだから間違えようがない。イギリスで私が感心したものの一つである。

 



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