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インターローグ2

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 女が男の腰の上にまたがり、激しく腰を振っている。
 二人とも全裸だ。こうして見ていると、動物の交尾を見ているような気さえする。
 獲物はセックスに夢中になりすぎて、自分に『死の危険』が迫っていることに気づいていない。
 ゴシュウショウサマ。
『私』は『ポール』を握りしめた。
 まず女から。
 月のあかりが女の裸の背中に当たり、その肌は白く光っている。
ゴムマスク越しに、サバイバルナイフで尖らせた旗竿の先端が視界に入った。
できるだけ一突きで目的を達成したかった。
 二人がかりで抵抗されるのは願い下げだ。
『私』は月に照らされた女の背中に狙いを定めた。
 背骨は外すべきだろう。
 狙うとしたら背中の下のほう。骨がなく、一突きで内臓に致命傷を与えることのできる『腹』。
『私』は激しく腰を動かす女の腰に、
ポールを、
突き刺した。
 女はびくん、と大きく揺れた。
 動きがぴたりと止まる。
硬い感触。柔らかい感触。アルミの棒は雑多な手触りとともに、ずぶずぶと女の身体にめりこんでいく。
 何も知らない男は、女の腹の下で激しく腰を振っている。
 男が絶頂の短いあえぎ声をあげた。
男は欲望を全て放出し、動きを止めた。
 このまま二人揃って『くし刺し』というのもいいかもしれない。
『私』はポールを持つ手に力を加えた。
 しかし、あるところからいくら押しても動かなくなった。
 骨か何かに当たったのだろうか。
 女の身体が男のほうにぐにゃりとくずれた。
 女が小さな声で男に何かつぶやいた。
 男が上体を起こす。
『私』はポールで男の命を奪うことをあきらめ、女の身体で死角になる位置に移動した。
 ポケットを探る。
 スタンガンの硬い感触。
 こいつは草むらで見つけた。
 この公園は魔法のツボだ。楽しいアイテムがいくらでもころがっている。
『私』は迷わず『それ』を呆然としている男の首筋に押しつけた。
 ちち、と鳥が泣くような音がして、男は目を開けたまま昏倒した。
 男の手の力が抜け、女はベンチから崩れおちた。
 背中に刺さったままのポールがベンチの縁にひっかかり、女の身体は頭からずり落ちた。
 ぐしゃり、という音がして、全裸の女の顔が地面に叩きつけられた。
 もう起き上がることもないだろう。
『私』はうつ伏せに倒れた女の背中に刺さったポールに手をかけた。
 力を入れて抜く。
 深く刺しすぎたのだろうか。うまく抜けない。
 女の脇腹に足を置き、両手でポールを引く。
 ぐにゅりと柔らかい感触が手に伝わってくる。
 足の裏からは、女の身体が微かに震えているのが感じられる。
 ポールは半分くらい抜けた。
 そこで引く力をゆるめ、軽く動かしてみる。
 ぐにゅ、ぐにゅ。
 女の内臓がかき回される手触りがする。
 ポールの先が腰のあたりの硬いものに当たるたび、裸の女の太股がびくん、びくんと跳ねあがる。
 瀕死の身体をいたぶるのはあまり面白いものではない。
 やはりいたぶるのは元気な身体がいい。
『私』は一気にポールを引き抜いた。
 全裸の女の身体が大きく一回うねるようにひきつって、動かなくなった。
 傷口からはまだだらだらと血が流れている。
 やはり、いたぶるのは元気な身体がいい。
『私』はもう一人の獲物をじっと見た。
 意識が朦朧としているのだろうか。薄目をあけて、低い声で唸っている。
 茶髪の生意気そうな男が、すっ裸でうめいている様子は実に滑稽だ。
『私』は、女の血でぬらぬらと朱く光るポールに視線を移した。
 結構使えそうだ。こいつは。


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15

テニスコート奥・ベンチ  午前二時

 目の前の景色だけが揺れている。
 ゆら、ゆら。
 夢とも現実ともさだかではない世界の中で、カズヤの瞳は目の前で起こることをただ見つめていた。
 グレーのパーカーを着たドクロマスクの男が動き回っている。
 視界から男が消える。しかし今のカズヤには『男の姿を目で追う』ことができない。
 身体全体がしびれ、言うことをきかない。
 いや、それ以前に身体を動かそうという気力がわかない。
 ぼんやりと霞む思考。
 霧の向こうの景色と現実。
 焦点の定まらない視界のすみに、強烈な『何か』が映っている。
 カズヤは気力をふりしぼってその『何か』に焦点をあわせた。
トモヨ…
全裸のまま。
トモヨ…
血だまりの中で。
トモヨ…
彼女は息絶えていた。
最愛の女性の変わり果てた姿をみて、カズヤの思考の一部が覚醒した。
身体を動かそうとするが、痺れが残っていて腕も足も頭も動かない。
頬がベンチに当たっている。
うつぶせに寝かされているのだろうか。
腕は後ろで縛られているようだ。
肩にねじられたような違和感と、手首に痛みがある。
腰から下はベンチからはみだしているようだ。
太股あたりには何も感じないし、膝からすねにかけては土や草があたっているのがわかる。
ベンチの冷たさを胸や腹からも感じるということは、俺も全裸なんだろうな、やっぱり。
全裸で後ろ手にしばられて、ケツをつきだすようにしてベンチにうつぶせか。
ぞっとする。ホモのオヤジじゃあるまいし。
待てよ…全裸。ケツをつきだしてベンチにうつぶせ。『ホモ』。冗談じゃねえぞ。
強烈な嫌悪感と不快感。
カズヤはベンチからはね起きようとした。しかし、身体が動かない。
いやだ。嫌だ。イヤだ。それだけは、厭だ。
カズヤの意志に反して、彼の尻のあたりに絶望的な痛みが走った。
嫌だ。痛え…痛え…
肛門から直腸へ。巨大な異物が挿入されている。
腸壁が削られ、尻の皮膚が裂けるような激痛。
情けねえ。俺、ホモにカマ掘られてる。
気が遠くなりそうな激痛が断続的に続く。直腸近くのどこかの血管が裂けたのだろうか。心臓のどくんどくんというリズムにあわせて、下半身のどこかがじいんじいんと痛む。
一瞬、自分が男にレイプされている様子が脳裏に浮かんだ。
屈辱的な姿だった。
トモヨの前で…
彼女の顔があちらを向いているのがせめてもの救いだった。
ずぶずぶずぶと、その異物はカズヤの内部を突き進む。
カズヤの身体が内部から壊されていく。
俺、カマ掘られてるんじゃねえよ…
これってホモ野郎の『アレ』じゃなくて、
さっきの『ポール』が、
『入れられて』る。
カズヤがそう気づいた瞬間、腹の内側に激痛が走った。
カズヤの小柄な身体は『男』の怪力でポールごと持ち上げられた。
ステンレスのポールがカズヤの身体の中で斜めに傾こうとする。
内臓がポールの先端にかきむしられる。
動物のような唸り声が喉からこぼれた。
うめいて、叫んで、楽になれるんだったらいくらでもわめく。
しかし、苦痛は止まらなかった。
ポールはベンチ脇の鉄柵にまっすぐに立てかけられた。カズヤの身体は重力に導かれるまま、ずぶずぶとポールに深く刺さっていく。
 自らの体重が自らの内臓を破壊していく。
 カズヤは悲鳴にも近い声をあげながら、太股でポールを挟み込んだ。
カズヤの脚の力で身体が沈み込むのが止まった。
『男』はカズヤを突き刺したポールを、針金で柵に結びつけた。
 足の下に男の頭があるが、カズヤにはどうすることもできない。
 ぬるり、と血で太股がすべった。
 ずん、という激痛。
 もう一度足に力を入れ、身体を止める。
 地獄だ。
 足の力が抜けると、ポールは身体を貫通する。内臓の器官をつき破る。
『男』は満足そうにカズヤを見ている。
 骸骨マスクの奥で、サディストの瞳が笑っている。
 もういいだろう。もう充分楽しんだだろう。
 だから、頼むから…
 早く殺せ。
 男は芸術作品を完成させたアーティストのように自分の仕事ぶりを観察している。
 右から。左から。斜めから。
 ポールに突き刺さったカズヤの身体を見ている。
 男の動きが止まった。
 喉の奥で男は小さく笑った。
 そして、あちこちに広げてあった武器を片づけはじめた。
 何してんだよ。逃げる準備か?
あたりに散乱していた殺人道具をきれいにかたづけた男は、グロテスクな笑い声だけを残し、闇の中に消えた。
 とどめ、ささないのかよ…
 生殺しかよ。
 ふ、と意識が遠くなった。
 ずん。激痛。
 カズヤはまた太股に力を入れなおした。
 これって、今まで『狩り』とかしてきた『罰』なのかよ。
そうなのか?トモヨ…
だったらオレ、死んでお前に謝らなきゃいけないな。
お前、ずっと『狩り』、やめさせたがってたもんな。
ごめんな、トモヨ。
カズヤはポールに半ば身体を貫かれたまま、声をあげて泣いた。


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土曜日(未明)・春日競技場運動公園・2

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テニスコート前  午前二時十分
黒木大介は深夜の公園じゅうを走りまわって、オジサンの着ていた白のポロシャツと自分のジーパンを見つけた。
このまま朝までどこかに隠れていて、公園の門が開くと同時にここから逃げ出す。
いや、朝までここにいるのは危険かもしれない。『奴ら』が油断する四時とか五時とかにゲートを突破するべきだろうか。
大介には門以外の出入り口がどこにあるかわからない。
あてもなく公園内を歩きながら考える。
どちらにしても、『今』は一番危険な時間帯だ。
それにしても、とんでもないことになった。
学生証を盗まれたのが痛い。
金ならあきらめがつく。どうせなくなるものだ。またバイトでもして稼げばいい。
しかし、学生証は。
ダイガクの住所も、名前も、学生番号も書いてある。写真までついている。
そこまでわかれば、所属クラブだとか家の住所や電話番号などは簡単に調べることができる。
それが危険なのだ。
当然、大介は自分自身の性癖のことを周囲の誰にも知られないようにしている。
もし、『奴ら』がそれを自分の周囲の誰かにその秘密をばらしたりしたら。
生きていけない。
少なくとも大介の周囲には、同性愛者に対する『理解のある』人間など、いない。
これからの残された人生、ホモだゲイだ同性愛者だと好奇の視線にさらされ、嘲笑の的にされながら生きていくことなど…
耐えられない。
今宵一晩だけ、『ホモ狩り』の手から逃れられればそれで終わりなのではない。あの学生証が『奴ら』の手元にあるかぎり、大介にとっての『狩り』は続くのだ。
自分ひとりの問題ではなく、親や兄弟にも『とんでもない』迷惑をかけてしまうことになる。
いまさらのように、軽率で、あさはかで、愚かな自分に腹がたつ。
この公園から脱出する前に、何としてでも返してもらわねばならない。
殴られても、蹴られても。
土下座をしても、裸踊りをしてでも。
抵抗などするつもりはない。
ダメでもともとだ。
話をしてみるしかない。『彼ら』と。
そのためには、『彼ら』の前に立つこと。
しかし…
武器を持った『いかれた集団』に無防備な身体を晒すのはさすがに度胸が必要だ。
ついさっきも、鉄パイプのようなものを持った二人連れを見かけて、身を隠した。
頭で考えるよりも、身体が先に反応してしまう。
そのとき見かけたのは、中学生だとか言ってた小柄な奴と、ピアスをした背の高い奴。
どうせ話をするなら、リーダー格のバスケットのユニフォームを着た奴か、腕に刺青をいれたデブがいいように思う。根拠などないけれど。
突然、目の前の植え込みが割れた。
大介は反射的に身をかがめた。
かなり体格のいい男。
ネズミ色のフードをすっぽりとかぶり、その下にマスクをかぶった男が闇の中から現れた。
こいつも『奴ら』の仲間なのだろうか。
そういえば、あの展望台で、後ろのほうにラグビー体型の大きな奴がいたが。
『展望台』ではずっと正座を強制させられていたので、『彼ら』一人ひとりの身長がよくわからない。
 さっき見かけた中学生が『この男』と同じマスクをかぶっていた。おそらくこの男も仲間であるには間違いないだろう。
 声をかけよう。大介はそう思って植え込みから身を乗り出そうとした。
 そのとき、大介は『見てはいけない何か』をその男の内側に見たような気がした。
 思わずもう一度身を伏せる。
『見てはいけない何か』。
 何だろう。
 それは、男からあふれでる『ただならぬ雰囲気』。
 手にはナイフを握っている。
 荒い息づかい。
 ぐっしょりとどす黒く濡れた衣服。
 何なんだ。こいつは。
 男は大介には気づかず、テニスコート前を横切ってゲートのほうへゆっくりと歩いていく。
 どうすればいい。
 こいつが『彼ら』の仲間ならば、うまく話をして、リーダーのバスケットウエアに会わせてもらうこともできるかもしれない。
 しかし、今は『彼ら』の言う『狩り』の最中で、自分はその『獲物』である。
 こいつに追いたてられて、ひどい目にあうおそれもないわけではない。
 だが。
いや、考えていても事態は変わらない。
 今は何としてでも、『彼ら』と話しをするべきだ。
大介は『男』との距離が充分に開いていることを確認してから、『男』に向かって声をかけた。
「おい。待てよ」
 その声に、男はびくりとして立ち止まった。
「話しあおう。君の仲間に会わせてくれ。これ以上こんなことを続けても、無意味だよ。もう終わらせよう」
 男は大介に背中を向けたまま動かない。
 近づかないほうがいい。
 大介と男との距離は五メートルほど。
『男』が急に振り向いて襲いかかってきたとしても、飛び道具でもないかぎり逃げきれる。
 男はゆっくりと振り向いた。
 そのとき。
 植え込みの向こう側から、鳥が鳴くような声にも似た、悲鳴のような声が聞こえた。
 大介は一瞬、男から目をそらせて、声のほうに目をやった。
 悲鳴は次第に咆哮にも似た『声』に変わっていく。
「何があったんだよ」
 大介は『声』の場所を探りながら『男』に声をかけた。
「どうしたんだよ」
 そう言いながら彼が向き直ったそのとき…
『男』は姿を消していた。
 
 嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感が。
 大介は『男が出てきた方向』、『声の方向』に走った。
『男』がなぜ姿を消したのかがわからない。
 なぜ、大介にかまわずに姿を消したのか。
 ここにいては『まずい』事情でもあったのだろうか。
 あの『声』がその事情だとしたら。
『彼ら』の間でもめごとでもあったのだろうか。
 仲間割れとか。
 むくむくと『嫌な予感』が成長する。
『あのとき』みたいに。

 大介がコウコウ一年のときだった。
 そのころには、大介は自分自身の恋愛感情をコントロールできるようになっていた。
 クラスの女子生徒やスイミングクラブの女子選手などとも普通に話すことができたし、もちろん男子生徒とも普通に話せた。
 大介のクラスメートに、モリモトという男がいた。
 彼はとにかく勉強がよくできる。水泳以外のスポーツは大介よりも得意だった。
 モリモトは医者の息子で、医大に進学することが決められていた。
 好きなサッカーを禁止され、ガッコウが終わると毎日ジュクに直行するような奴だった。
 大介はモリモトのことを愛していた。
 もちろん、自分が男性しか愛せないことは秘密だったから、『友人』として、モリモトと接していた。
 大介はモリモトをいつも見つめていた。いつだって、自分の席から『彼』の後ろ姿をながめていた。
 その日。コウコウ一年二学期の期末試験の日。
 モリモトは普段から青白い顔色をいっそう悪くして登校してきた。
 具合でも悪いんだろうか。大介はモリモトの体調が心配だった。
「モリモトお、お前、顔色ワリイぞ。医者行ったほうがいいんじゃねえか?」
 大介はぶっきらぼうにそう言った。それが精一杯の愛情表現だった。
「ホットイテクレ」
 その一言で、大介からモリモトにかけるべき言葉はなにもなくなった。
 やがて試験が始まった。
 一夜漬けで暗記した内容をそれらしいところに記入したら、何もすることがなくなった。
 大介は見るとはなしにモリモトのほうを見た。
 いつもならいつものモリモトなら、答案用紙の半分以上を正解で埋め、残り半分の白紙の行と格闘しているはずだが、今日の彼は違っていた。
 チラリと試験官の教諭を盗み見る。
 袖口が気になるのか、ゴソゴソと左手首あたりをさわる。
 答案用紙に向かう。
 そしてまた試験官をチラリと見る。
 おかしい。今日のモリモトは何か変だ。
 大介は思った。
 どき・どき・どき・どき…
 自分の心臓の鼓動が妙に大きく聞こえる。
 大介はモリモトの動きを凝視した。
 彼の袖口に小さな紙片のようなものが見えた。
『カンニング…かよ』
 大介がそれに気づいたとき、試験官の教諭が動いた。
 教諭は大介をじっと見ていたのだ。大介の視線の先にあるものも。
 大介はあわててモリモトから目をそらせた。が、もう遅かった。
 試験官はモリモトにつかつかと近づき、無言でその袖口に手を入れた。モリモトの『不正行為』の証拠を教諭は手にしていた。
「森本。カンニングは処罰対象となる不正行為だ。君にはもうこの試験を受ける資格はない。退室を命じます。試験終了後、生徒指導室へきなさい」
 モリモトは黙って立ち上がった。
 大介は顔をあげることができなかった。
 自分がセンセイに気づかせてしまった。
 俺さえモリモトのことをじっと見ていなければ、こんなことにはならなかった。
 かつかつと硬い革靴の音。
 モリモトは教室から出て行った。
 そして…戻らなかった。
 テスト終了後、生徒指導の教諭たちは真っ青な顔でモリモトを探しまわった。
 嫌な予感がした。
 とてつもなく、嫌な予感がした。
 教諭たちとは別に、大介もモリモトを探した。
むくむくと嫌な予感が成長し、肥大化する。
大介には一カ所だけ、モリモトが行きそうな場所の心当たりがあった。
体育館の裏の空き地。
桜の木がぽつんとある。
モリモトは一学期のころは、ほとんど毎日、昼休みにはそこにいた。彼は体育館の壁に向かって一人でサッカーボールを蹴っていた。
大介はいつもその姿を遠くから見ていた。
…モリモトはやはりそこにいた。
ぶらり、ぶらり。
桜の木にぶらさがって。
どき、どき、どき。
(俺が…モリモトを…)
だらりと舌をだして。
紫色の顔をして。
モリモトはもう死んでいた。
(俺がモリモトを…殺した…)
 結局、モリモトは受験ノイローゼで、テストを受け終わったあとに発作的に自殺したということになった。彼がカンニングしていたこと、それを試験官が発見したこと、そしてその教諭が生徒指導室に彼と同行せず、退室を命じたことなどは、『モリモトの名誉のために』伏せられた。
 モリモトの名誉のためじゃなく、コウコウの名誉のために、伏せられた。

 どき、どき、どき。
 今日も自分の心臓の鼓動が聞こえる。
 ほとんど明かりのない植え込みの間を、大介は進んだ。
 確か、この先にちょっとした広場があるはずだ。そこにはベンチもあった。
 また叫び声。
 どき、どき、どき。
 足元で虫が鳴いている。
 大介の歩みにあわせて、その弱きものたちは声をひそめる。
 どき、どき、どき。
 植え込みが途切れて、視界が広がった。
 ぐん。
 胃の下のほうが押されるような不快感。
 光景は見える。
 そこになにがあるのかも見える。
 ただ、大介の理性は、そこにあるものが何であるのか、認識することを拒否している。
『なんだかわからないけど不快なもの』が、目の前に広がっていた。
『あのとき』みたいに。
『あのとき』
 大介は『モリモト』のことが大好きだったけど。
 愛していたけど。
 いつも見つめていたけど。
 桜の木からぶらさがっている『それ』が『モリモト』なんだと気づくまで、ずいぶん長い間、『それ』をながめていた。
 今も。
 大介の目の前には、『死』が横たわっていた。
 裸の女はベンチの横に倒れていて、ぴくりとも動かない。
 裸の男は涙を流しながら、磔にされたようにポールに飾られている。
 裸の男の発する叫び声がやがて小さくなり、そして途切れた。
 ぐん。
 腹の奥から、また何かがつきあげてきた。
 大介は吐いた。そして叫んだ。
 誰でもいい。
『狩り』の相手でも、警察官でも、センセイでも。
 ここにきて欲しかった。
 あたりの虫の声がぴたりと止んだ。
 もう一度叫んだ。
 そしてもう一度。
 しかしここはあまりに静かだった。
 絶望的なほど、静かだった。

 遠く、やがて近く。虫がまたざわめきだした。
「…て…」
 小さな声がした。近くの虫はまたぴたりと鳴き声を止めた。
大介は顔をあげた。
 オブジェのように磔にされている少年。
 打ち壊されたマネキンのように横たわる少女。
 動くもののなにもないその場所で、大介が求めていた『声』が再び弱く聞こえた。
「…け…て…」
大介はすがるような目でその声の主を探した。
 声はポールに突き刺さされた少年の口からもれていた。
 大介を救済する者の声ではなく、大介に救いを求める者の声だった。
 大介は少年に駆け寄った。
 黙って見ていてはいけないんだ。助けなきゃいけないんだ。
(そうだよな、モリモト…)
「助けて…」
 半ばうわごとのように、少年は繰り返す。少年と大介の目があった。
 少年は驚いたように目を見開き、やがて大介から目をそらせた。
 かまわない。俺はこいつを助ける。
 俺がこいつを助けるのは、こいつのためじゃない。自分自身と『あいつ』
(モリモト…)
のためなんだ。
 ポールは針金で植え込みの柵に固定されている。
 大介は針金をほどきにかかった。
 滴ってくる血糊で手がぬるぬるとすべる。
 こうしている間にも、少年の身体はゆっくり、ずぶずぶとポールに刺さっていくように感じられる。
 針金が緩められていくにつれ、少年を突き刺したままのポールはゆっくりと傾いていく。
 大介は途中で針金を緩める手を止め、斜めになった少年を抱きとめた。
「…ありがとう…ございます…」
 少年の身体は、大介の前に仁王立ちしていた姿からは想像もできないほど小さくて軽かった。
 少年を抱いたまままっすぐに引く。針金からポールが抜けた。
 少年には手錠がはめられている。
『ひでえ』
 大介は思った。
 身体の中の傷は想像以上に深そうだ。浅い呼吸を繰り返している。
 大介は傷を広げないように、少年の身体をそっと下ろした。
 少年の尻からは尻尾のようにポールが突き出したままだ。
「ごめん…ズボンのポケット、見て…」
 手錠の鍵が入っているのだろうか。
 乱雑に脱ぎ散らかされた少年のハーフパンツのポケットを探る。
 名刺くらいの大きさの紙が指に当たった。
 大介の学生証だった。
「ごめん。それ、返す…」
「何言ってんだよ、こんなときに。それより手錠の鍵、どこにあるんだよ」
 大介は自分の学生証を少年の手に握らせ、声を荒らげて言った。
「煙草入れてるポーチの中…」
 大介はベンチの足元に転がっていたポーチから鍵を取り出し、手錠を外した。
「ありがとう…もうひとつ…お願い聞いてくれるかな…」
「何だよ」
「…あいつに、トモヨに服着せてやってくれないかな。あれじゃあカワイソすぎるよ…」
「待ってろ」
 大介はあたりに散乱していた少女の服を集めた。
 もう動かない裸の下半身にジーンズをはかせ、血まみれの胸をノースリーブのサマーセーターで隠す。
 突然、背後でびちょびちょと音がした。
 驚いて振り返ると、少年が自分の身体に刺さったポールを抜こうともがいている。
「止せよ、こういうの、抜いたら出血とかひどくなるんだぞ」
 大介はダイガクでそういうことを習った覚えがある。
「いいんだよ。俺、もうほとんど死んでるし。それにこんなの刺して死んでたらカッコ悪すぎじゃんか…」
 少年は自嘲ぎみにそう言った。そして自分の下半身に刺さった『槍』を、力をこめて引き抜いた。
 ぐぼっ、という音がしてポールの先が現れた。
 それと同時に赤黒い血が流れだす。
 その汚れた血には汚物やらちぎれた肉片やらが混ざっているのだろう。
 少年の身体がぐにゃりと崩れた。
「ごめん。学生証、血で汚れちゃった。早く受け取ってくれよ。これ、お詫びのつもりなんだから…」
少年の声はだんだんと小さく、力ないものになっていく。
 大介は少年の血で汚れた学生証を受け取った。
「悪い。お願いばっかだけどさ。俺も、服着たいんだ。手伝ってくれないかな。足…もう動かないんだよ」
 きっと、この少年は死ぬ。
 しかし、大介はそれを認めたくはなかった。
 大介は少年の着替えを集めながら必死に話しかけた。
「おまえさあ、いくつ?」
「十七…」
 足が動かないと言っていたのは事実のようだ。重く、硬直した太股を抱くようにしてトランクスをはかせながら大介は必死で話しかける。
「コウコウは?」
「やめた…」
「仲間の奴らって、みんなお前のタメくらいなの?」
「年下ばっか…」
「あのさ、『狩り』っていつもやってるの?」
 次はハーフパンツ。
 紫色のハーフパンツがまたたく間に血の色に染まる。
「ときどきかな。でももうやんねえよ…ソツギョウしよって、トモヨと決めたんだ」
 最後にタンクトップを着せる。上半身はまだ動くようだ。
「煙草、吸うか?」
「いらねえよ。それよりさ、トモヨの近くに行きてえんだけど、肩かしてくんね?」
 大介は少年に肩に首を入れ、立ち上がれるようにした。
 やはり足がまるで動かない。大介は少年の腰に手を添えて彼を抱えあげた。
「お兄さんさ、優しいんだね。ひょっとして、俺に気があるの?」
「バカ。何言ってんだよ…」
「冗談だよ。あのさ…」
「何だよ」
「いや、お兄さんみたいな人とだったら、ホモとでも友達になれたのかもしれないなって思って。もう遅いけどさ」
 少年はうわごとのように話し続ける。
 二人は息絶えた少女の傍らに立った。
「トモヨ…どこにいるんだろう。暗くて見えないよ」
 もう目が見えていないのだろうか。
 大介は少年の身体を『トモヨ』の傍らに寝かせ、手をつながせた。
「お前たちをこんな目にあわせた奴って、お前らの仲間なのか?」
 少年は頭を振った。
「わからない。いきなりやられたから。マスクかぶってたし…」
 やはりさっきの男が二人をこんな目にあわせたのだろうか。
 あのとき、この少年の悲鳴が聞こえなかったら、自分も殺されていたかもしれない。
「悪りい。ちょっと寝ていい?」
 少年は言った。
 休ませてやろう。
 大介は思った。
 ほんの少しだけ、大介は少年のことがわかった。少年も大介のことがわかったようだった。それで充分なのかもしれない。
「お前の仲間がここに来たら、起こしてやるよ。それでいいだろ?」
 少年は返事をしなかった。
 大介はゆっくりと立ち上がった。
 この公園の中に殺人鬼がいる。
 今、それを知っているのは大介だけだろう。
 ならば、やらなければならないことがある。
 大介は闇に向かって走りだした。


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17

公園内ランニングコース  午前二時三十分

「マニアって言葉あるじゃんか」
 ヨシキが言った。
「え?下着マニアとか、水着マニアとかのマニア?」
 マサは聞き返した。
「ホモってさ、男マニアとかいうのかな」
「言わないんじゃないかな。フツーの男のこと、女マニアなんて言わないだろ?」
「んじゃマニアってどんなときに使うの?」
 知るかよ。マサは思ったが、自分の少ない語彙の中から適当な答えを探してみる。
「ちっこい女が好きな奴はロリコンだよな。マニアって言わないよな。少年が好きな変態もショタコンだよな。少年マニアなんて言わないしな。マニアっていったら…制服マニアとか、下着マニアとか水着マニアとか。だから、集めなきゃいけないんじゃない?」
「じゃあマニアとフェチは違うの?」
 これも…知るかよ。
「わかんねえけど。似たようなもんじゃない?」
「フェチっていったら、下着フェチとか足フェチとかいうよね」
「下着マニアはいうけど、足マニアとは言わないんじゃないかなあ」
「あとさ、死体マニアとか内臓マニアとか」
「そんなの言うか?」
「言わないかな」
「わかった。マニアって、犯罪ってか、変態っぽくない?いけない香り、みたいな」
「殺人マニアとか?」
「そうそう。そういう感じ。そもそもさ、マニアって、英語で発音するとメエイニアってんだぜ。いかにも危なそうじゃん。メイニアって言ったら…」
「そうだよね。イカレた奴のこと、メイニアックっていうんじゃなかったっけ?ビデオで見たよ」
「そうそう。だから、かなり危ない奴のことなんじゃないかな。メイニアって」
「ふうん。そういうことにしとこうか。じゃあさ、ホモとオカマとゲイってどう違うの?」
 は?俺がそんなこと知るかよ。
「わかんねえよ。ってか、ヨシキのほうが詳しいんじゃねえの?ホモさんとメールとかしてたんだろ?」
「ってかさ。マサさんて…ホモなんじゃない?」
 マサとヨシキを包む空気が一瞬、凍りついた。

 マサはガッコウを捨ててカズヤの仲間に加わった。
 カズヤはマサにとって、ヒーローだった。
 マサはカズヤと過ごすうち、カズヤらしく生きること、カズヤらしく振る舞うこと、つまりはカズヤを模倣することが自分にとって価値のあることだと考えるようになっていた。
 カズヤが『狩り』をやろうと言えば、マサは必ずついていった。
 カズヤがピアスの穴を開けると、すぐにマサもそれにならった。
 そして、誰に恥じることもなく、マサはカズヤを愛している。
 ただ、その感情が『恋愛感情』とか、『同性愛の感情』とか、そういったものなのか、それともそうではないのかがマサにはわからない。
 カズヤを愛している。カズヤが好きだ。いつもカズヤといっしょにいたい。
 だからといって、カズヤとセックスをしたいとは思わない。
 でも…
 もしも逆なら。
 カズヤに好きだと言われたら。
 カズヤが『俺にキスしろ』と言ったなら。
 カズヤが『俺を抱け』と言ったなら。
 カズヤが『俺のペニスをなめろ』と言ったなら。
 そして、カズヤが『ケツを掘らせろ』と言ったなら。
 マサは抗うことなく、従うだろう。
 マサはカズヤという『男性』に対してそんな感情を持っている。それを『ホモ』と呼ぶのなら、自分はきっと、ホモなのだろう。
 
 ユカとうまくいかなかったのは、傷つくのが怖かったからだけじゃない。
 人を愛することが苦手だったんじゃない。
 本当は俺は『隠れホモ』で、
 俺が本当に愛しているのは『カズヤ』で、
 だから、だからユカを心から愛することができなかった。
 しかし、マサはヨシキの言葉を認めるわけにはいかない。
『ホモ狩り』のグループで、いや、『ホモ狩り』のグループだからこそ。マサは自分の感情を隠さなければならなかった。何があっても。

「はあ?お前、何言ってんの?てか、誰に言ってんの?あん?」
 マサはつかみかからんばかりの勢いでヨシキをにらんだ。
「俺、マサさんの気持ち、わかるんだよ。俺…本当は…」
「言うな!」
 聞きたくなかった。いや、聞いてはいけなかった。誰が誰のことを好きで、誰が誰を愛していて。
 この『グループ』にそんな感情は必要ない。
 いや、むしろ邪魔だ。
 マサはとっくに気づいていた。自分に向けられていた、ヨシキの気持ちを。
 しかし、その気持ちを受け入れてしまうと、自分たちはこのグループにいることができなくなる。
 俺たちは『ホモ狩り』をしているんだ。『ホモ狩り』のグループの中に二人もホモがいるなんて、シャレにもならない。
「…思ってるだけならいいんだろ?」
 ヨシキが小さな声で言った。
「誰にも気づかれないように、マサさんのこと思ってるだけならいいんだろ?」
 人が人を好きになることを止めることはできない。
 男が女を、女が男を。
 男が男を、女が女を。
 マサがカズヤを。
 ヨシキがマサを。
 ヨシキの思いにどう答えるべきか、マサは言葉を探している。
 ヨシキはマサの言葉を待ちながら、歩いている。
 虫たちが小さく鳴いている。

 芳樹が仲間に入ったのは今年の三月ごろだった。
 トウコウキョヒ。
 芳樹はモンダイジだった。
 小学校を卒業するまでの彼は、むしろ目立たない、おとなしい、優等生タイプの少年だった。
『彼』が変わってしまったのは、チュウガク一年のときだった。
 芳樹の父はチュウガクの教諭、母はコウコウの講師。
 教育者の両親に育てられた彼は父の勤務するガッコウに進学したが、それこそが彼の壊れる原因となった。
 父はダメ教師だった。
 授業の最初から最後までずっと教科書に目をやったまま、生徒の顔を見ようともしない。
 小さな声でぼそぼそと数式を解き、騒ぐ生徒に注意することもない。
 芳樹のクラスは崩壊していた。
 勉強ができる生徒は父を無視して問題集を解いている。
 勉強のできない生徒は教室内をうろつき、話し、騒ぐ。
 目の前で、子供のころから一緒に過ごした『教育者としての父』の虚像が崩れた。
 父に対する尊敬も、憧れも、誇りも、同時に崩壊した。
 悪辣な同級生たちは、次第に芳樹に対して、理不尽な言いがかりをつけるようになった。
 父の授業の内容や授業の進め方のことで、彼は責められた。
 同級生の彼らにしてみれば、それはゲーム以外のなにものでもなかった。
 しかし、標的にされた側にとっては『ただのゲーム』ではすまない。
 少しずつガッコウには彼の居場所がなくなっていった。
 それでも一年間はチュウガクにしがみついた。
 芳樹にしてみれば、それは必死の努力だった。
 そしてチュウガク二年の秋、彼はトウコウすることをやめた。
 
 深夜のゲームセンターで、他人がゲームする姿をただじっと眺めていた芳樹に声をかけたのはマサだった。
 どこにも行き場所のない芳樹の目。一年前に同じような寂しい目をしていたマサだからこそ、ありきたりな言葉に頼ることなく彼の心の隙間を埋めることができたのだろう。
 マサと出会った芳樹は、チュウガクに入るまでの本当の自分に戻った。
 少なくともそう思っている。
 永遠に失った、永遠に修復できない『何か』に、
 気づかないふりをしているだけなのかもしれないけれど。

『ヨシキ、よく聞け。お前まだ中坊だろ?俺的にはさ、お前、愛とか恋とかまだゼンゼンわかってないんだと思うぜ。そりゃそうだべ。俺だってまだよくわかんねえもん。だから、今、勝手に決めちゃいけないと思わねえ?そりゃさ、俺、カズヤのこと好きだよ。あいつかっこいいし。でもさ、あいつが好きだとかこいつが好きだとか、今無理に結論とか出さなくてもいいと思うんだよ。わかる?』
 話ながらマサは次にヨシキにどう話すべきかを頭の中で慌ただしく組み立てていた。
 だがその言葉はヨシキに伝わることはなかった。

 突然、ヨシキの目の前に『獲物』のオヤジが立ちはだかった。
 オヤジの腕には、どこで手に入れたのか、鉄パイプが握られている。
 カラテ映画のクンフーマスターのような獣じみた奇声をあげながら、オヤジはヨシキに殴りかかった。
 鉄パイプがヨシキの右肩にくいこむ。
 ヨシキの身体が崩れた。
 オヤジはバランスを失ったヨシキの後ろにまわり、ヨシキの首を腕で締め上げる形をとった。
「てめえ…」
 マサがうめくように言った。
「近寄んな、ガキ。動いたらこいつの目玉、潰すぞ」
 ヨシキの眼球の数センチ先にオヤジの指がある。へたなことはできない。
 さっきの鉄パイプ攻撃で鎖骨あたりが折れているかもしれない。右腕がぶらりと垂れ下がっている。
「俺は今からここを出る。こいつは人質だ。逃げるときに解放してやらあ。妙な真似するとこいつがひでえ目にあうぞ」
「ヨシキ」
 マサは首をしめあげられ、苦しそうな表情を浮かべている『友』。しかも、たった今自分のことを思い続けると言ったその少年の名前を小さな声で呼んだ。
 マサにはオヤジに従うことしかできない。
 ただ、ヨシキに何かしたら。ブッ殺す…
「おう、オメエは前を歩け。テニスコートんとこから外に出られるはずだ。仲間が邪魔しそうになったら、オメエが止めろ。わかったな」
 テニスコート横の出口には、カズヤが張ってる。カズヤならきっと何とかしてくれる。 
 今はヨシキの安全のほうが大事だ。
「人質」が解放されるまでは、手出しできない。
 マサはテニスコートに向かってゆっくり歩きはじめた。


18

18

公園内ランニングコース・通称『心臓破りの坂』付近  午前二時三十五分

 男と女の影が、手をつないで近づいてくる。まだだ。もっと近くへ。もっと近づいてから。
二人の話し声が聞こえる。二人は恋人同志のようだ。男は金髪で太った奴。女は太股をさらけだしたホットパンツ姿。
 どこで仕掛けるべきか。とりあえずやりすごして、背後からのほうがいいだろう。
 闇の中の植え込みに身体を沈める。
 二人は自分たちを注視している者の存在に気づきもせずに話を続けている。
 影が通りすぎた。
 大介は植え込みから飛び出した。
「動くな」
 二つの影はびくり、と反応し、凍りついたように動かなくなった。
「動かないで。話を聞いてくれ」
 自分が『狩りの標的』であることは変わっていない。
 今、彼らにとっても自分にとっても必要なのは、狩りを中断させること。
 自分たちにとっての『危険な状況』を理解させること。
 そしてこの『危険な状況』を打開する方法を一緒に考え、行動に移すこと。
 まずはこの二人に、事実を理解させること。
「落ちついて聞いてくれ。お前たちの仲間、バスケットウエアの奴と、ジーンズにサマーセーターの女の子。二人がテニスコートの近くのベンチで…殺されてる」
 二人には大介が言っていることが理解できていないようだ。
 デブの金髪がゆっくりとふり返った。
「はあ?ざけんじゃねえよ。くだらねえヨタ飛ばしてたらブッ殺すぞ、てめえ」
「信じねえならいいよ。俺、行くわ。他の奴探して、同じこと言わなきゃなんねえから」
 向きを変えて走り出そうとした大介の背中に少女の罵声が降りかかった。
「カズヤがやられるわけないじゃん。逃げたいからって汚ねえウソついてんじゃないよ」
 大介は二人の目を直視しながら叫んだ。
「落ちついて聞けって言ってるだろうがよ。そもそもよお、おめえらの仲間が殺されたってのがウソだとしても、なんでそんなウソをつくためになんで俺がおめえらを呼びとめるんだよ?考えろバカ」
「俺たちをはめるつもりなんだろ…」
「バカ。ホモは信用できねえか?もういいよ。おめえうぜえよ。勝手に死んでろバカ」
 大介はあきらめてかけだそうとした。
 不意にデブの金髪が駆け寄り、大介の胸をつかんだ。
「バカって言うな」
 大介と少年は数センチの距離でにらみあった。
 大介も必死だ。
 金髪デブは大介の目をじっとみている。やがて、彼の目の力強さに何かを感じたかのように、ポツリとつぶやいた。
「…マジかよ」
 その言葉にはそれまでの勢いはなかった。
「ウソなんかつかねえよ」
「ウソだろ?ウソだって言えよ、ホモ」
「信じねえならいいよ。おめえら二人仲良くどっかの誰かに殺されてろ。おめえらに話すことなんかねえよ」
 大介はデブの胸をつき返した。金髪の少年はよろよろとその場に座りこんだ。
 さっきは威勢のよかった連れの少女も黙りこんでいる。
「お前さあ。この子のこと、大事だと思ってないの?大事に思ってて、守りたいって本気で思ってるんだったら、俺のこと信じろ。もしものときは先に殺されてやるから」
 例えようもないほどの重い空気が三人を包む。
「あんた、カズヤが死んでるとこ、本当に見たのかよ?」
 金髪がぽつりと言った。
 大介はポケットに入れていたくしゃくしゃの学生証を金髪に向かって投げた。
「返してくれた。赤く汚れてるところが彼の血だ…」
 少年は大介の学生証を拾い上げ、じっとそれを見つめている。
「トモヨさんも殺されたの?」
 思い出したように少女がつぶやいた。
「俺が行ったときは、女の子はもう死んでた。男の子とは少しだけ話しできたけど。二人とも裸でやられてたから、服着せるの手伝ってやった。男のほうは少し眠るって言って、そのまま…」
 声を押し殺すように少女が泣きはじめた。『ダチ』が殺されたことが、やっと現実のものとして受け入れられたようだ。
「誰がやったんだよ。あんた犯人見たのか?」
「…見た」
「誰だよ。てか、どんな奴なんだよ…」
「顔までは見てない。身長は百八十以上あったかな。筋肉モリモリでおまえらみたいな骸骨のマスクかぶってた」
 少年も少女も、ふざけて頭にのせていたマスクを取った。じっとそれを見つめている。 蛍光塗料を塗られた白いマスクが、月の光を浴びて崩れたような奇妙な笑い顔を浮かべている。
「あいつだ。ムキムキホモだ。さっき見かけた奴」
「えっ?タクちゃん、さっきの話、ホントだったの?」
 少女が少年にたずねる。
「ああ、俺、本当に見たんだ。『獲物』の…あんたらの服を公園のあっちこっちに隠してるとき。六号トイレのあたりで」
「みんなに連絡とろうよ。とりあえず『狩り』中止して集まろう。ハルユキくんとマサくんに電話しよ」
「何言ってんだ。電話があるんならケーサツが先だろ」
『タクちゃん』と呼ばれた金髪の少年は困惑しきっている。仕方のないことだろう。彼らのグループにはもうリーダーはいない。誰かの指示をうけて兵隊のように動くことはできても、自分の判断で何かをすることに彼らは慣れていない。
「勝手にサツとかよんだらやばくない?あんたのこと信用しないわけじゃないけど。アタシたちまだカズヤさんたちのこと、見たわけじゃないし」
「…じゃあこうしよう。まず、他のメンバーに連絡とって、テニスコートのところに集めてくれ。俺の言うこと信じてない奴は現場でも何でも見ればいい。それからすぐケーサツに連絡して、話したくない奴やヤバイ奴は逃げる。サイアクでも俺が残ってジンモンとかうけてやるから。それならいいだろ?」
 タクがうなずいた。ユカと呼ばれた少女も同意したようである。
 タクがポケットから携帯を取り出して忙しくボタンを押している。
 不安そうに携帯を耳に押しつけるタクの仕草はやはりまだまだ幼い。
 遠く。やがて近く。
 虫が鳴いている。
 タクは携帯のボタンを忙しく操作し、それを耳に押し当てる動作を繰り返している。
「だめだよ。マサもハルユキもつながらねえよ。どうしよう…」
「あのさあ。つながらないの?呼び出してるけど出ないの?どっち?」
 イラつきながら大介がたずねる。
「つながらないんだ。電源切ってるか、圏外か、どっちか…」
「俺、よくわかんねえんだけど。おめえら、『狩り』の最中って、携帯の電源とか切ったりするの?」
「基本的には切らない。エッチのときとかは切るけど」
「二組とも男と女の組み合わせなのか?連絡とれない奴」
「ハルユキはカノジョとだけど。マサはヨシキと組んでる。なあ、どうしたらいいんだよ、俺たち…」
 大介にもよくわからない。どう動けばいいのか。
 そのとき、ギターの弦をひっかくような不快な音がした。
『何だかわからないけど、ヤバイ』
 大介は瞬間、そう感じた。無我夢中で身をすくめながらタクとユカの方向へ飛ぶ。その直後、『ひょん』という音。タクはその音に気づいていない。ユカは不思議な音のほうに顔を向けていた。
 この『場所』に満ちている『死の危険』をより切実に感じていた大介の行動が、結果的に正しかった。
三人はもみくちゃになりながらベンチ脇の植え込みに倒れ込んだ。
ベンチに何かが当たる高い音がした。
「…ってえなあ。何すんだオラ」
 抗議の声をあげようとした少年が息をのみこむ音が聞こえた。大介の肩口から、だらりと血が流れている。彼の肩の肉をえぐった『矢』は、ベンチになげだされていた骸骨マスクの頭を射抜いていた。
大介がタクをつきとばさなかったら、その矢は少年の背中あたりに命中していた。
「奴が狙ってる…」
 植え込みから頭を出さないように周囲をさぐりながら大介はつぶやいた。
「これって弓矢?」
 ユカが震えた声をあげた。
「ボウガン。ハルユキの持ち場に隠してあったやつ…」
 蚊の鳴くような声でタクが言った。
「おめえらホントに飛び道具用意してたのかよ」
「うん」
 罪悪感からだろうか。それとも自分が『狩ろう』としていた相手に命を助けられたからだろうか。その相手に自分と自分が守りたい女性の命を委ねなければならない負い目からだろうか。
「あそこ」
 ユカが指さした。
 ゆらりと影が動いた。ボウガンを持った殺人鬼が立っている。
闇に染まりそうな濃紺のパーカーを頭からすっぽりとかぶった骸骨マスクがじっとこちらの様子をうかがっている。
 大介もタクもユカも。
 さっきまで追い、追われていた三人は、呼吸することすら忘れて、植え込みの影から骸骨マスクをみつめた。
 三人のうち誰かが、少しでも物音をたてたら、『狂人』の矢は、再びこちらに飛んでくる。
 恐ろしいほど長い時間が経ったような気がする。
 すこしも時間など過ぎていないような気もする。
 骸骨マスクがゆらりと動いた。
 何度も何度もこちらを振り向きながら、その影は心臓破りの坂を登りきり、やがて大介たちの視界から消えた。
「タクだったよな、お前の名前」
「ああ」
「あいつが行った道、どこに通じてるかわかるか?」
「えっと…わんぱく公園の手前で二つに別れてて、公園に行くか、ジョギングコース沿いに駐車場のほうに行くか、どっちか。抜け道とかはないはずだけど…」
「この坂を下ったら?」
「テニスコートのところに出る。俺、何度もきたから間違いない」
「『あいつ』は坂の向こうへ行ったよな。俺たちの知らない抜け道なんかないとしたら、『あいつ』と反対方向に走れば安全だよな」
 大介の説明にタクが小さくうなずく。
「展望台で、お前らのリーダーが言ってた。門以外のところから出ようとしたらお仕置きするって。門以外の出口ってどこにあるんだ?」
「俺たちも二カ所しか知らないんだよ。一カ所はゲートの脇。もう一カ所はテニスコートの奥。どっちもフェンスの切れ目があって、そこからフェンス沿いに少し歩くと公園の外にでるんだ…」
 タクが一気に話した。
「…ってことは、テニスコートまで一気に走って、そのまま外に出るってこともできるんだ」
「そのまま逃げちゃうの?マサくんとか、ヨシキくんとか、ハルユキくんとか、放っておくの?」
 ユカが小さく言った。
「あとの奴らは俺が探すから、お前ら二人で先に逃げろ。で、外からケーサツ呼んでくれ。俺、もうヒガイシャだから逃げたりとかしないほうがいいし。これがベストな選択だよ、きっと」
 若い、というよりもまだまだ幼い二人は小さく頷いた。
「走れるだろ?二人とも」
「私は大丈夫。タクちゃんは?」
「遅いけど、がんばる。ユカの近くにいないと、お前のこと守れないし」
「俺は最後を走る。ひょっとしたら『奴』はあっちに移動したふりをして俺たちが動くのを隠れて待ってるのかもしれない。俺が最後を走って楯になってやるから、お前らのうちどっちか、二人ともがベストなんだけど、ここから出て、助けを呼ぶ。いい?」
「あのさ…」
 真剣な表情でタクが言った。
「何?」
「あの、ごめん。水かけたり、追いかけ回したり、財布盗ったりして」
「そういうの、助かってからにしろよ。今は力あわせなきゃ。そうしないと殺される」
「あのさ。あとさ…」
「ん?」
「…いいや。後で言う」
「…じゃあ走るぞ。イチ、ニイ…サン」
 二人の少年と一人の少女は闇の中を走った。



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