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通称『テニスコート側出口』 午前二時五十分

 ぶんぶんと。
 頭の中で音がしている。
 えへへ。えへへ。
 笑いがとまらない。
 口の中は、鉄くさい血の味。
 現実らしさが微塵もない空間のなかで、三浦雄二は戯れていた。
 自分のなかの。
 もう一人の自分が勝手に話している。
『こいつに…って言ってやれ。どっちみち…だよ、こいつは…どうせなら…く…ぜ』
 もう一人の自分が楽しみながら言っている。
 その言葉は決して自分の言葉ではないのだけれど。
 普段の自分が使う言葉ではないのだけれど。
 その言葉は、いつか、『かつての自分』が…今よりももっともっと若かったころの自分が使っていた言葉に似ている。
 あの頃の自分は、
 世界というものがまるでわかってはいなくて。
 自分だけが正しく、自分だけがまっすぐで。
 オトナたちは汚くて、オトナたちはいつも間違っていて。
 そう思い込んで生きていた…
尾崎を聞きながら。
 コウコウのころの自分が使っていた『言葉』。
止めようと思えばその『言葉』は止めることができる。
しかし、その『言葉』は自分にとっては心地よかった。
そうなのだ。
この『言葉』は『自分』が忘れかけていた本当の自分の言葉なのだ。
楽しいなあ。
えへへ…えへへ…
え?
何?あれ。
影が走ってくる。
三つ。
三人。女がひとり。男が二人。
雄二は影の方向をじっと見つめた。
こちらに向かって、まっすぐに走ってくる。
雄二の目は、その影のうちの一つに釘付けになった。
なぜあいつがいる?
走る奴らの中に。
なぜあいつが混じっているんだ。
あの『個室』で、俺とむきあい、俺と見つめあい、俺の性器を愛撫し、俺とキスをした…
坊主頭の若い男がいる。
男と走ってきたのは、間違いなく『ホモ狩り』の金髪デブとその連れの女だ。
あいつ、グルだったんだ。
ずきん、と頭の中に血が流れ込む音がした。
ぶんぶんとまた頭の中を駆けめぐる音。
蠅が耳元で戯れるような音。
蜂が顔のすぐ横をかすめ飛ぶような音。
つまりは虫の羽音が、頭の中から聞こえてくる。
『あいつ』。丸刈りの若い男が大声でなにかを怒鳴っている。
『公園に…(ぶうん)人殺しが…仲間が(ぶうん)…殺される…逃げろ(ぶうん)…』
 男の声は頭の中を飛び交う虫の音でよくききとれない。
 別に、聞き取ろうとは思わない。
 どうせ(ヤツラは)俺をだまそうとしているんだ。
 言葉で。理屈で。
 俺を丸め込もうとしているんだ。
 そうはいかないさ。(オレはオトナにはだまされない…そうだろ?オザキ…)
 えへへ…えへへ…
 笑い声が口からこぼれた。
 俺はだまされない。
 勝つのは俺だ。
 殺されるのは俺じゃなくて。
 そうだよ。人殺しは俺なんだよ、きっと。
 だから、殺されるのはキミなんだよ、ヨシキくん。
 大事なメル友の君を失いたくはないけど。
 君は汚いオトナたちの手先だったんだよね。
 オザキだって言ってる。ソツギョウしなくちゃいけないんだ。
 理不尽な支配からね。
 雄二は鉄パイプを握りしめた。
 丸刈りの若い男と、ピアスをはめた背の高い高校生くらいの奴と、金髪のデブが大声で何かわめいている。
 ぶうん。ぶうん。
 虫の羽音が一段と大きくなる。
 雄二は金属の武器を大きく振り上げ、ヨシキの腹あたりをめがけ、
 振りおろした。

   *

 ユカが悲鳴をあげた。
 オヤジの鉄パイプで腹のあたりを殴られた少年は、ぐぼりと血の塊のようなものを口から吐き出した。身体を海老のように丸め、低い声でうめいている。
「どうしてわかんねえんだよ!」
 大介は大声で叫んだ。
「やばいんだよ、俺たち。狙われてるんだよ。ホモもホモ狩りも関係ねえんだよ。みんなして逃げないと皆殺しになるかもしれねえんだよ。どうしてわからねえんだよ」
「マサ、ヤバいよ。バリケード破って助けよう…」
 タクがピアスの青年に声をかける。
「ちょっと待って。何あれ?」
 タクがフェンスに向かって走り出そうとするのを、ユカの声が制止した。
「あん?」
 大介はユカが指さす方向を見つめた。
 男は中学生を殴りつけたままの姿勢で、動かない。
 大介はその『姿勢』に、とてつもない『違和感』を感じた。
「タク。バリケードから離れろ…」
 大介は叫んだ。
 危険を感じる。
 タクは男を見つめたまま動こうとしない。
大介は夢中でタクを引き戻した。
 大介の腕からと流れる血がタクのシャツに飛び散った。
 引き戻されたタクもまた、その視界に飛び込んできた異様な光景に言葉を失っている。
 鉄パイプをつかんだままの男の足が宙に浮いている。
 男はえへらえへらと笑い続けている。
 男の腹からは、鈍く光る棒のようなものが突き出している。
「マジかよ…」
 我に返ったタクがつぶやいて後ずさりした。
 ずぶずぶずぶ、としか形容できないような音がして、男の腹の棒が伸びていく。
 いや、伸びているのではない。
 男の背中から突きたてられた槍のような形状のその棒が、男の身体を突き抜けているのだ。
 男の足が宙に浮いていたのは、刺されたままもち上げられていたからなのだ。
 壊れた人形のような笑い声が止まった。
 消化器官を逆流したのだろうか、夥しい量の血が、その口からあふれ出す。
 男の首ががくりと垂れた。
 それが合図だったかのよう壊れた操り人形が崩れおちた。
 身体を貫かれた男の後ろに立っていた『殺人鬼』の姿が露になった。
 グレーのパーカーをすっぽりとかぶり、髑髏のマスクを被った怪人。
 圧倒的なその威圧感に押され、若者たちは動くことさえできない。
 髑髏マスクは四人を牽制するように睨んだ後、腰にぶらさげていた鞘のようなものから巨大な棒を抜き、フェンス前で苦痛の声をあげ続けている少年に向かって一歩踏み出した。
「ヨシキ…逃げろ」
 タクが叫んだ。
「ヨシキ…」
 ピアスの青年がフェンスに駆け寄った。
「助けて…マサ」
 少年がフェンス越しに言った。
 髑髏マスクが一歩、また一歩と中学生に近づく。
 大介はバリケードに向かって走った。
 タクも少し遅れて走る。
 大介は出口に積み上げられた角材や看板を動かしながらフェンスの向こうを見た。
 髑髏マスクの持っている棒が月の光りをうけてぎらりと光った。
 あれは…牛刀だ。
 やばい。あのピアスの奴、マサって奴も危ない。
 オヤジを槍ごと持ち上げたあの力で刃を横に振れば、金網のフェンスくらい簡単に切り裂くことができる。そうなると、フェンスにへばりついている彼もやられる。
「離れろ。フェンスから離れろ…」
 大介はピアスの男の方向に走りながら叫んだ。
 ピアス男は大介の言葉が耳に入らないのか、その場から動こうとしない。
 大介はピアスの青年の肩あたりをつかみ、力まかせに引っ張った。
 髑髏男が刀を横一文字に振った。
 フェンスの金網は音をたてて破れ、青年がしがみついていたあたりの空気を切り裂いた。
 引き倒されてしりもちをついたピアス青年は、ズタズタに切り裂かれた金網を呆然と見つめている。
「ヨシキ…」
 我に返ってフェンスのほうににじり寄ろうとする青年を、大介は後ろから押さえつけた。
 髑髏の怪人の目が、二人を見て笑った。
 大介はそう感じた。
 マスクの男は中学生のほうに向き直り、ゆっくりとその刀をふりあげた。
「ヨシキ!」
 大介に押さえ込まれたままの青年が叫んだ。
「助けて…マサ」
 フェンスの向こうから聞こえてくる少年の言葉は、刃が空気を引き裂く音にかき消された。
 中学生の下顎から喉元あたりがばっくりと割れた。
悲鳴をあげながら、中学生の手足がバタバタと動く。
 傷口から血が吹き出す。
 髑髏は次に胸あたりに武器を振りおろした。
 少年の身体がびくん、びくんと跳ね上がる。
 そして腹。
 悲鳴が次第に小さくなる。
次に下腹部。
激しく動いていた手足は、今は小刻みに痙攣を繰り返している。
 やがてその小さな身体はぴくりとも動かなくなった。
「ヨ…シ…キ…」
 ピアスの青年が小さくつぶやいた。
 髑髏は満足そうに立ち上がった。
 そして牛刀を腰の鞘におさめ、自分が手を下した二人の男の足首をもった。
 ずる。ずる。
 血の跡を残し、『狩り』の成果を誇示するようにひきずりながら殺人鬼は歩きはじめる。
 ちらり、ちらりと振り返りながら。
 早く自分を追いかけてこいと挑発するように。
 やがてその姿は立ち木の陰に消えた。
 二人の犠牲者の血が空気に混じり、『濃い血の香り』だけが残った。


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テニスコート付近 午前三時

「もうわかっているだろうけど、この公園に『ひとごろし』がいる。奴はお前たちのリーダー、カズヤとカノジョのトモヨを殺した。それからランニングコースの『心臓破りの坂』あたりで俺とタク、ユカをボウガンで襲って、坂の向こう側に姿を消した。俺たちは逆の方向、テニスコート側の出口まで走れば安全だと思い込んだ。しかしそれは罠だったんだ。奴は坂から出口に通じる抜け道を知っていたんだ。先回りした『あいつ』はじっとタイミングを待っていた。それにかかったのが、あのオヤジとヨシキ君だった。ここまでが俺たちが説明できる話だ」
「ダイスケさんに言われてケータイ持ってるメンバーに連絡とってみたんだけど。ゲート側出口を見張っていたはずの二人、ハルユキとアイコちゃんに連絡がとれないんだ。で、サイアクなことに、俺のケータイ、バッテリー切れ」
 ユカが口を開いた。
「ねえ、マサのケータイは?」
 ユカの問いかけに、顔を伏せて黙って聞いていたマサがぽつりと言った。
「俺のも駄目だ。バッテリー切れてる」
「君は持ってないの?」
 大介が少女に声をかけた。
「あ、ダイスケさん。説明してなかったよね。狩りのときって女の子はケータイ持たないようにしてるんだ。もし何かあっても身元とかバレないように…」
 ユカに代わってタクが口を開いた。
 使える携帯はない。重苦しい沈黙が場を支配する。
「公園の中に公衆電話とかないの?誰か知らないかな」
「公衆電話は、テニスコートのクラブハウスの中と、門の向こうの駅前。あと、競技場の中。どこも無理だよ。鍵とかかかってるし…」
 タクが説明する。
「てことは、どっちにしても誰かがここから出ないと、助けを呼ぶことはできないってことか…」
 大介は必死に考えていた。どうすればみんな逃げることができるのか。
「でも、出口の向こうにはさっきのイカレた殺人鬼くんがいる。そうだろ?ホモ…」
 マサが言った。彼だけは大介を『ホモ』と呼ぶ。
 マサと合流したあたりから、タクとユカは『ダイスケさん』と呼びはじめている。
 二人は自分のことを信用してくれている。大介はそう感じていた。それだけに、どうにかして二人を助けてやりたい。それが大介の本心だった。
 マサはチームのナンバー2だったプライドがあるのか、なかなか大介に心を開こうとしない。
 今はまだ無理だろう。
 彼はパートナーとリーダーをほぼ同時に失ったのだから。
「とりあえず、方針を決めなきゃいけない。髑髏の男がどこに隠れているのかわからない今の状況じゃあ、外に出て助けを呼ぶのだってかなり危険なことだ。どっか見通しの良い場所で朝まで待つのもいいかもしれない」
「でも奴、飛び道具持ってるのよ」
「いや、たとえば駐車場の真ん中とかの見通しのいい場所なら安全だと思う。そういう場所だったらボウガンで狙うとしても、姿を見せないと攻撃できないだろうし」
「朝まで公園に隠れてるの?怖いよ…」
「俺が行って助けを呼んできてもいいんだけど。ただ、そうなると君たちの『狩り』のことも警察に説明しなきゃならない」
「そう言ってお前はそのまま逃げるんだろ?お前がホモだってことを知ってる俺たちが皆殺しになったほうが都合いいだろうしな」
「マサくん…」
 大介がマサと口論になる前に、ユカが非難の声をあげた。続けてタクも口を開く。
「そうだよ。言い過ぎだよ、マサ。ダイスケさんはそういう人じゃないよ。俺、さっきも助けてもらったし…」
「お前に惚れてるのかもよ。デブが好みだったりしてな。このホモは…」
「いいかげんにしてよ。マサくん、あんた相当ウザイよ。カッコワルイよ。ダイスケさんはさ、みんなが生き残る方法を真剣に考えてくれてるんじゃない。それを何よ。自分は何も意見と言わないでさ、人の言うことに文句ばっかつけて。あんた、そうとうダサいよ。やっぱあんたにカズヤの代わりは無理だよね」
 キレたユカがマサに怒りをぶちまけた。今度は大介が場をとりなす役割にまわる。
「止めよう。状況が異常だから、みんな気が立ってるんだ。マサくん、俺、実際ホモだから、ホモって言われても仕方ないんだけどさ。たださ、ホモもフツーの奴も、助かりたいって気持ちは同じだよ。犠牲になったヤツラのためにも、生きてここから逃げ出す方法、考えようよ」
 マサは小さくうなずいた。
「とりあえず、ゲート側の出口のほうに行ってみて、あとの二人を探そう」
 リーダーが殺され、目の前で仲間を一人失い。マサはいじけたような態度をとり続けている。チームは明らかに求心力を失いつつある。
 誰かが統率をとらないと。一人ひとりが勝手な行動をとりはじめたら、それこそ『あいつ』の思うつぼだ。
 とりあえず、俺がこいつらをひっぱらないと。
 目の前に屍を突きつけられるのはもうゴメンだ。
 そうだろ?(モリモト…)
 大介と他の者たち(チームの奴ら)との違いは、ヒガイシャたちと過ごした時間の緊密さのただ一点にあるのかもしれない。だから俺だけは冷静でいられる。
 それともう一つ。
 大介は、友人の死を目の当たりにし、そしてそれを乗り越えた。
(モリモト…)
 だから。
 マサや、タクや、ユカよりも強くなれる。いや、強くならなければいけない。
「ちょっと待てよ…ホモ」
 マサが再び口を開いた。
「とりあえず、今ここであんたとやりあうつもりはない。でもさ、俺はあんたを全面的に信用したわけでもない。ホモはやっぱりホモだ。俺たちは今日までホモを追い回してきた。俺たちはホモを人間だなんて思っていない。だから『獲物』として追いかけ回すことができた。俺はホモっていう人種を嫌ってる。憎んでいる。だから…」
「だから?」
 大介はその続きの言葉をじっと待った。
「だから…」
 ふいにマサは言葉を切った。
「もういいや。とりあえず無事にここを出ることが優先だったよな。続きは助かってからだ…」
 マサは立ち上がった。
「俺、あんたのこと嫌いだよ…」
 マサが吐き捨てるように言った。
「俺も好きじゃないね。お前みたいな奴は」
 大介もつぶやいた。
「おい、ホモ。カズヤのところに案内しろ。お前の言葉だけじゃあ信用できねえ…」
「あんた、目の前で仲間殺されてまだそんなこと言ってんの?」
 ユカが非難がましい口調で言う。
「いいよ。それでお前の気がすむんだったら…」
 大介はゆっくりと腰をあげ、マサと同じ目線に立った。
 マサはなぜかすぐに目をそらせた。

  *

 どこだ…どこにある。
『私』は混乱した頭で『それ』を探していた。
 いくらこの国の警察が愚鈍なものであっても…
 いくら私が明日から巧妙にたちまわっても…
『それ』が誰かの手に渡れば、この『事件』の犯人である『私』にたどりつく。
 致命的なミスだ。
 ここまでで五人の人間を殺した。
 明日の朝になれば、ケーサツやマスコミは本気で『殺人鬼』の割り出しに取り組むに違いない。
ここまでの仕事が完璧だっただけに、このワンミスが悔やまれる。
 手がかりを残さぬように、『仕事』のほとんどにヤツラが隠していた武器を使った。
 証拠というものは残りようがない。
 私が用意した唯一の『武器』は、最後に使った牛刀だけだ。
 これは『私』が『今日のため』に用意した。
もちろん、これも、誰が、どんな手段で出所を洗おうとも、私にたどりつくことは不可能だ。
それだけに。
いや、だからこそ。
何としても『それ』を見つけなければならない。
可能性のある場所は二カ所。
アベックをくし刺しにした『テニスコート』のベンチのあたりか、最初に男を殺した『ゲート横』のあたり。
『私』はテニスコートのベンチに向かうことにした。
 それにしても、あのとき。
 殺人を終えた後、坊主刈りの男にいきなり声をかけられたのには驚いた。
 あまりのことに、冷静な対処ができなかった。
 そう、ああいう場合には…
 迷わず殺すべきだったのだろう。
 しかし残念ながら、『あの時』、『私』は飛び道具を持っていなかった。
 だから止むなく、男が『獲物』の悲鳴に気をとられた隙に『身を隠す』しかなかったのだ。
 次は迷わない。
 殺す。
 間違いなく、殺す。
 植え込みが途切れて、アベックを殺してやった場所が目の前に広がった。
『私』の作品、くし刺し男のオブジェは誰かに撤去されたようだ。
 すこし不愉快ではあるが、今はそんなことに気をとられている場合ではない。
『あれ』を探さなければ。
 男を括りつけた鉄柵。
 女にポールをつきたてたベンチ。
 どこにもみつからない。
 ヤツラが『お楽しみ』を始める前、潜んでいた茂みに落としたのだろうか。
『私』はベンチの前を横切り、柵を乗り越えて茂みにもぐりこんだ。
 身体をかがめたそのとき、背後から若い男の声が聞こえた。
 ヤツラが来た。
『私』は腰にさげた牛刀の柄を握り、息を殺して『獲物』が近づくのを待った。

  *

 結局、タクとユカは『現場』までは来なかった。
 やはり『見たくない』のだろう。
二人は途中の植え込みのあたりで見張りをしている。
ただ、大介にしてみれば、タクはともかく、ユカに『その現場』を見せるには抵抗があった。
服を着せ、まともな状態にしたとはいえ、ここはトモヨが全裸でくし刺しにされ、カズヤがケツからポールを突っ込まれて死にかけていた場所なのだから。
正面にベンチが見える。
その奥に、寄り添うように二人が『眠って』いる。
その姿を認めた瞬間、マサは小さく声を漏らした。
 それでも目をそらすことなく、じっと『それ』を見る。
ずいぶん長い間。
あのときの俺みたいに。

不意に大介は、マサの眼差しのもつ『熱っぽさ』のようなものに気づいた。
同性愛者である大介だからこそ、それを感じたのかもしれない。
マサはカズヤを愛していたのではないだろうか。
彼の視線がそれを物語っている。
「あのさ…」
 大介の視線を感じたのだろうか、意を決したようにマサが話しはじめた。
「…俺たちさ、ホモ狩りをすることで、つまり、あんたたちを追い回すことでケッソクしてきたグループなんだよ。わかるよね」
「ああ」
「だからさ、そのグループのメンバーにホモとかいちゃあ、絶対にダメなんだ。たとえ自分がそうであると気がついていても」
 大介には、マサが何を自分に伝えようとしているかが朧に見えてきた。
「俺たちだって胸をはってホモやってるわけじゃないよ」
 大介は答えた。
「そうだろうな」
 マサの返事は驚くほど普通だった。
 重い、沈黙。
大介の口は彼が本当に語りたい言葉とは別に、まるで静寂を恐れるかのように無意味な言葉を紡ぎだしはじめた。
「好きな奴に自分の気持ちとか伝えることとかできないし、エッチとかしてるときだって、フツーの奴なんかに見つからないかとか心配しなくちゃならないし。あと、やっぱ『狩り』とかにも気をつけなきゃなんないし」
 こんなことじゃない。マサに伝えなければならない言葉は。
 大介は大きく深呼吸した。そして、ゆっくりと言った。
「お前、好きだったんだろ?彼のこと」
 マサは答えなかった。
 しかし、その沈黙が答えだった。
「俺、しばらくむこう向いてるから。カズヤにお別れとかしてやれよ。そうしないと、きっとこれから先、お前はずっと今日のことひきずって生きていかなきゃならなくなる」
(俺が、そうだったから)
 あの日。あんなに大好きだったモリモトに、どうしてお別れしてやらなかったんだろう。
 あの桜の木から、どうして降ろしてやることができなかったんだろう。
 そして、どうして『別れの言葉』をかけてやることができなかったのだろう。
 どうして最後のキスができなかったんだろう。
 誰かがそこに来れば、そんな機会など永遠に失われてしまうというのに。
「行ってこいよ」
 躊躇するマサに、大介は言った。
 マサは小さくうなずいて、ベンチに向かって歩きだした。

  *

 二つの影が何ごとか話している。
 恐らく一人は『私』に話しかけてきた坊主頭。こいつはテニスコートの出口のところにもデブといっしょに現れた。もう一人は『殺してあげた』中学生のガキといっしょにいた背の高い奴。
 背の高い影がこちらに向かって近づいてくる。
 もう少しだ。もう少し近くに来い。
 そうすればまず飛び出しざまにスタンガンで気絶させてやる。
 そしてそのまま坊主頭のところまで走り、牛刀の一撃をくれてやる。
 さあ、二人とも。こっちだこっち。
『私』の思惑は裏切られた。
背の高い奴は近づいてくるが、坊主頭はその場から動こうとしない。
 だめじゃないか。こっちに来い。
そんなに遠くちゃ、殺してあげることができないよ。
お前ももう少し近づくんだ。
 背の高い男は、『私』が殺してあげた『獲物』の男の前にかがみこんだ。
 月の光が陰った。
 奴は『死体』何か話しかけた。
 言葉までは聞き取れない。唇の動きも読み取れない。
 そして、男はもう動きもしない茶髪の男の顔に唇を近づけ、
 キスをした。
『死体』と。
 お笑いだね。お前ら、ホモ狩りのグループとかじゃなかったの?
ホモだったんだ。お前も。
『キモチワルイ』ホモさんにはとっととご退場いただこう。
『私』は二人の男を殺すためにここから飛び出すタイミングだけをはかっていた。
 坊主頭はさっきの場所から動かない。
 しかたない。これ以上は待てない。
 行くぞ。サン、ニイ…
 飛び出そうとして踏みしめた『私』の足元で、小枝が折れる甲高い音が響いた。

  *

 茂みの向こうで小枝が踏み折られるような高い音がした。
 マサは顔をあげた。
 音をした方向に目をこらす。
 闇。どこまでも闇。
 夜。どこまでも夜。
 暗がりは少しも動こうとはしない。
 静寂。
 あたりはどこまでも静かだ。
 遠くで虫が鳴いている。
 彼はもう一度、ゆっくりと愛する人に目を落とした。
 もう息さえしてはいないけれど。
 しかし『彼』はまぎれもなく、自分が愛した人だ。
『カズヤ。君がいたから、今、俺はここにいる。今日まで本当にありがとう。そして、さようなら。誰よりもお前のこと、愛してた』
 マサはもう一度、カズヤの口許に唇を押し当てた。
 カズヤは軽く口を閉じている。
 マサがどれだけの思いを込めて口づけをしても、彼はもう反応すらしなかった。
 カズヤの唇は、微かに血の匂いがした。
『カズヤ、カズヤ、カズヤ、カズヤ…』
 声にならない声で、マサは何度も呼びかけた。
 しかし、微かに笑っているように見えるカズヤの表情は全く動かない。
 突然、背後で物音がした。
 二人が歩いてきた小道の方向だった。
 マサより先にダイスケが反応した。
「誰だ?」
 凄味すら感じられる声で、ダイスケが言った。
「あの、ダイスケさん、俺です。タクです…」
 草むらの向こうから、畏まった声が聞こえる。
「今はこっちに来んな。そっから喋ったら聞こえるから。どうしたんだ?」
「誰かがこっちに来ます…」
「誰が?」
「暗くてよくわかんないです。一人です…」
 遠くでダイスケとタクの会話を聞きながら、マサはやっとカズヤの顔から目を離した。
 タクの声が聞こえなければ、永遠に彼の顔を眺めていたかもしれない。
「じゃあな。カズヤ、俺、もう行くわ」
 彼にだけ聞こえるような小さな声で、マサはつぶやいた。
 立ち上がって、ダイスケを振り向く。
「行こうか、ホモ…」
ダイスケさんのことを『ダイスケさん』とは呼べない。少なくとも、今は、まだ。
「もういいのかよ…」
 ダイスケ(さん)が声をかけてくる。
「ああ。いつまでもフニャフニャしてらんないさ。とりあえず、俺はあいつのかわりにチームのメンバーまとめなきゃならない。そうでないと…『あいつ』に笑われちまう」
「笑ったりしないさ」
 マサは強い口調で言った。
「手伝ってくれ。ここから出してやりたいんだ。少なくとも、残ったヤツラだけでも」
 ダイスケ(さん)は返事をするかわりに、軽く顎を動かしてマサに『行け』と言った。
 マサはまっすぐにタクのところに向かって歩いた。
 振り返ることはあえてしなかった。
 それがマサの選んだ『別れ』だった。
 
  *

 あと少しのところでとり逃がした。
 背の高い男に飛び掛かろうとした瞬間、足元で乾いた木が音をたてて折れた。
『私』は反射的に身を隠した。
 男は音を聞いて顔をあげた。
 そして『私』が隠れる草むらをじっと見つめた。
 かなり長い時間、見られていたような気がする。
『私』は物音をたてないように刀の把手を握りしめた。
 汗がひたりと流れ、『私』の手と凶器を濡らした。
 今はだめだ。
 相手が警戒している。
 そんなタイミングで襲っても、致命傷を与えることはできない。
 相手が油断しているときに必殺の一撃を食らわせる。
 それが『狩り』の鉄則だ。
 やがて男は顔を落とした。
 チャンスだ。
 私は再び、武器を持つその手に力をこめた。
 いや、待て。
 これは、演技かもしれない。
 キスをするふりをして、男は周囲の物音に聞き耳をたてているようにも見える。
 進むべきか、退くべきか。
『私』は一瞬、迷った。
 自分の中のもう一人の自分が『待て』と命じた。
 その直後。金髪のデブが茂みの向こうから姿を現した。
 もしも。
 さっきのタイミングで背の高い奴を襲っていたならば。
 坊主頭を殺す前に金髪に見られていただろう。
 そうなれば思わぬ反撃を受けていたかもしれない。
 足元で枯れ木を踏んだのは彼らにではなく、『私』にとっての幸運だったのだ。
 ツキは『私』の側にある。
 そう思うことにした。
 やがて三人の『獲物』は走り出した。
 ヤツラがどこに行こうとしているのかは見当がつく。
ついさっき『私』が二人を殺した場所とは反対側の出口。
 ゲート側の出口だ。
『私』は次の舞台に向かっての移動を開始した。


22

22

テニスコート付近 午前三時二十分

 タクは月明かりに浮かぶ人影に目をこらした。
影が近づく。
 ユカも同じように一点をみつめている。
 鳴りやまない虫の声。
 それだけしか聞こえない。
 影の足だけがゆるゆると動き続けている。
 月が陰り、近づく人影がひときわ黒く染まる。
 ともするとその陰影さえ闇に溶け込んで見えなくなりそうなほどの闇。
 影がゆっくりとタクの前を通りすぎる。
 タクとマサは『獲物』をやりすごしてから飛び出し、退路を絶つ。
 ダイスケさんは『獲物』の正面に立ちふさがる。
 そして、影が『殺人鬼』、ムキムキホモだったら。
 そのまま奴を出口とは逆の方向に追い立て、その隙に脱出する。
 ダイスケさんとマサが作戦を考えた。
 もっとも、考えたのはほとんどダイスケさんだが。
 さすがだよ。ダイスケさん。
 ホモでもなんでもいい。これからはダイスケさんみたいな人とチームを組みたい。
 さっき、ムキムキホモの矢が飛んできたとき。
 ダイスケさんは身体をはって自分とユカを助けてくれた。
 いや、ダイスケさんじゃなくても、カズヤだってそうしてくれたのだろうとは思う。
 それにひきかえ。俺ときたら。
 いつも、いつも。
『チーム』の足をひっぱるだけで、迷惑ばっかかけてる。
 俺は、きっと。
 ホントはカッコイイ人間になりたかったのに、チュウガクに入ってからはイキがってばかりいて。それで、結局、今やってることといえば。ホモ狩りじゃん。
 逆じゃん。ホモ狩りって、結局、弱いものいじめじゃん。
 今、ムキムキホモに追われる『弱い立場』になったけど。
 俺、何もできてねえ。
 怯えて、騒いで、うろたえて、誰かが指示してくれるのを待って。
 けどダイスケさんは違う。俺とは違う。
 優しさも強さも賢さも持ってる。カッコイイよ。実際。
 かなわない。
 かなわないけど、かないはしないんだけど。
 何年後かには、ダイスケさんみたいな奴になりたい。
 ホモだとかゲイだとか、そんなことは関係なくて。
 チョーエツってのかな、こういうの。
 そう、チョーエツしちゃって、憧れる。
 だから。
 だから。
 ダイスケさんとチーム組んで、暴れたい。ホモ狩りとか、そういうせこいことじゃなくて、でかいことしたいんだ。
 そこにユカとかマサとかいたら、最高だけど。
 で、そこにカズヤさんとかいたらもっといいんだけど。
 タクがとりとめもない未来図を夢想している間に、影はダイスケ(さん)が待ち受けるポイントにさしかかった。
 まず、ダイスケさんが飛び出した。
 影はびくりと動いて、慌てて向きを変えて走り出そうとする。
 タクが飛び出した。少し遅れてマサも。
 昨日までのタクなら、マサの背中を見ながら動いただろう。しかし、今は必死になって誰かについていこうとしている。
 その『誰か』がダイスケさんなのかカズヤなのかはわからないけれど。
 三人は『影』をとりかこむように立った。
 突然、影はパニックに陥ったような耳障りな声で叫んだ。そしてその場にへたり込んで泣き叫びはじめた。
「みんな、待って!」
 植え込みの陰で見ていたユカが叫びながら飛び出した。
 ユカの言葉を待つまでもなく、そこにいた全員がその影が『ムキムキホモ』ではないことに気づいていた。
「アイコちゃん」
 マサがつぶやくように言った。
 月を覆う雲が途切れた。
 そこに浮かび上がったのは、『ゲート前出口』をハルユキとともに見張っていたはずの少女が、恐怖に震えながら泣いている姿だった。

  *

「…やっぱ見たこと全部話さないといけないよね。なんか思い出すの怖いんだけど。みんなと別れてから、ハルユキと私、まっすぐ言われた場所の、ゲート前まで行ったの。歩きながら、二人でいろんなこと話したんだ。これまでのことや、これからのことや。私ね、決めてたんだ。ハルユキのこと、大好きだったから、今夜、ハルユキにあげようって。決めてたんだ。
 歩きながら話してて、なんとなく会話がそういう方向になって。二人ともそういう雰囲気になって。でね、えっちする前に身だしなみとか、したかったから、アイコ、お手洗いに行ったの。で、お手洗いから出たら、ハルユキ、もう倒れてた。ネズミ色の服を着た大きな男の人が鉄パイプを持って、ハルユキの顔のところを…何度も何度も。何度も何度も。そのたびにハルユキ、びくん、びくんって魚みたいに跳ねた。そのときは生きてるって思ったの。そのうち起き上がって、ハンゲキとかしてくれるって思ってた。だけど、ハルユキ、起き上がらなかった。トイレのとこからずっと隠れて見てたけど、ハルユキ、起き上がらなかった。
 そのうち、そいつ…ハルユキを殺った奴。ハルユキのマスクかぶって、ボウガンとか持ち出して、他にも武器とかいっぱいポケットなんかに入れて。
 ヤバイって思った。誰も守ってくれないって思った。それに飛び道具まで持ってるんだよ。あいつ。
 私、ハルユキを置いて逃げた。走って逃げた。すぐに行ったらハルユキのこと助けてあげることできたかもしれないのに。
それからあとは、よく覚えてない。
ずっと歩いてたような気がする。立ち止まったら、あいつが後ろから追いかけてきそうで。疲れて、へとへとになって、草むらのところでちょっと休んだんだけど、そしたらやっとフツウに考えることとかできるようになって。みんなを捜そうと思って。でも私、ケータイとか持ってないし。で、テニスコートにカズヤがいるって言ってたの思い出したんだ…」
  *

 ホモ狩りのターゲットだったダイスケ(二十一)。
 チームのナンバー2、背が高くピアスをしている元サッカー選手のマサ(十七)。
 金髪短髪デブのタク(十六)。
 タクの幼なじみでマサの元カノジョ、ユカ(十七)。
 今回初めて『狩り』に参加した、ハルユキのカノジョ、アイコ(十六)。
『生き残って』いるのは四人。
 それに対し、犠牲になったのはカズヤ、トモヨ、ヨシキ、ハルユキの四人に、ホモオヤジこと三浦雄二が加わる。
『ひとごろし』野郎の武器はボウガン、鉄パイプ、牛刀、スタンガン。
 それに『尖らせたポール』なども使っている。
 武器調達係のタクの話によると、ボウガンやスタンガンを隠した場所周辺には他にも、サバイバルナイフなどが隠されているはずだ。
 アイコは泣きながら今夜の出来事を話している。
 しみや傷ひとつない、真っ白な脚。
 引き締まった太股。
 タンクトップの胸元からちらちらと覗く白いブラジャー。
 ボーイッシュなショートヘア。
 ずっと歩き続けていたためだろうか、髪も服も汗でじっとりと濡れている。
 アイコはタクから『支給』されたゴムマスクをにぎりしめながら、長い話を終えた。
 大介はアイコの白い足をじっとみつめている。
「おい、ホモ。どうしたんだ?女に目覚めたのか?」
 マサがからかうような口調で声をかけた。
「あ、いや、そんなじゃないけど…」
 大介は慌ててアイコから目をそらせた。短い間のあと、話しはじめる。
「これでだいたいの状況はわかった。みんなの話を聞きながら考えたんだけど、駐車場で朝までねばるにしろ、テニスコート前かゲート横かどっちかの出口から脱出するにしても武器が必要だ。タク、どこに武器が隠してあるかは君が一番よくわかってる。どこにどれぐらい残っているかわからないけど、隠し場所まで案内してくれないか」
「わかった」
「どのあたりに隠してるんだ?」
 マサがタクに声をかけた。
「ほとんどゲート横にまとめてあるんだけど」
「もう一カ所の出口の様子も見ておかないとな」
 もう一ヶ所の出口。そこまでのルートを思い浮かべながらマサが言う。大介が再び口を開いた。
「くれぐれも言っておくけど、相手は飛び道具を持っている。変な音とか聞いたら、すぐに大声で全員に知らせること。みんな、常に周囲の状況をしっかり見ておくこと。いいね。じゃあ…行こう」
 その声が合図だったようにみんなが立ちあがった。
 ユカが少し遅れて立った。
「タク…ユカちゃん大丈夫か?」
「あ、走ったりとかしたから、脚が痛いみたいだけど」
 大介はユカのむきだしの脚を見た。
 ユカの脚には小さなすり傷や打ち身の跡があちこちについている。
 太股や腕には蚊に刺された跡が何カ所かついている。
 膝頭などは真っ黒で、まるで小学生のオトコノコの足だ。
「走ったせいだけじゃないんだろ?エッチして、走って転げて疲れたってか?少なくとも朝までがんばったら帰れるさ。帰ったら、タクにマッサージでもしてもらえよ」
 マサがユカの耳元で言った。
 微笑んで、ユカが切り返す。
「マサ、ひょっとして、それってヤキモチ?」
「かもな…」
 タクは二人の会話など聞こえないようなそぶりで先を歩きはじめた。
 大介が続く。
 大介は一度だけふりむき、斜め後ろを歩くアイコを見た。
 汗に濡れた白い太股をもう一度見て、彼は先頭を歩きはじめたタクの背中に目を戻した。
 

23

23

ゲート付近 午前四時
六号トイレ付近 午前四時

「ここだよ、俺が武器隠した場所」
 タクは自動販売機横の茂みに頭を突っ込みながら言った。
 マサとダイスケは周囲を見張っている。
 二人の少女は寄り添うようにタクの作業を見つめている。
「やっぱないか。当たり前だけど…」
 沈んだ口調でタクが言った。
 武器なんか残されているわけない。タクは自嘲的につぶやいた。
 スタンガンも、ボウガンも、サバイバルナイフも無かった。
 タクは顔をあげた。
 周囲に忙しく目を配りながら、ダイスケがちら、ちらとアイコの太股のあたりに盗み見るような視線を送っている。
(ダイスケさん、アイコに気があるのかな)
 そう思いながらもタクはダイスケに声をかけた。
「ダイスケさん、やっぱ、何も残ってないです」
 新しいリーダーは我に返ったようにタクを見返した。
「そっかあ」
 ダイスケの代わりに、マサがつぶやくように言った。
 重苦しい空気が若者たちを包む。
「でもさ、他の場所にも隠してるんだよ。俺、行って見てくる」
 この雰囲気はよくない。少しでもみんなの士気をあげないと。
 武器さえあれば、なんとかなる。助かるんだって気持ちになれる。
 残された皆の気持ちをひとつにしないと、助かるものも助からない。
「待て、タク」
 マサが呼び止めた。
「一人で動くのはよくない。俺とホモとで、出口の様子を見てくるから、女の子たちのこと、頼む。武器を探しながら移動して、駐車場で合流。いいか?」
「了解」
 ユカとアイコも黙ってうなずいた。
「じゃあ、行くぞ、ホモ」
 マサがフェンスの切れ目に向かって歩きだした。
 そんなマサをちらりと見ながらも、ダイスケがタクに駆け寄ってきた。
「タク、気をつけてな。何かあったら大声で叫べ。声が聞こえたらすぐ行くから」
「あ、ダイスケさん。フェンスの切れ目から三メートルくらい行ったとこの左手の茂みに、催涙スプレー隠したんだ。今回じゃなくて、三カ月くらい前の狩りのときなんだけど。もしまだあったら持ってきてよ」
「わかった」
「気をつけてね、ダイスケさん」
「…ありがとう」
 ダイスケはマサのほうに向き直った。タクの喉からあ、と小さな声が漏れた。怪訝そうな表情でダイスケがタクを振り返った。自分が何を言いたいのか。何を伝えたいのか。タクにはそれが何なのか本当はわかっていたけれど。
「あのさ」
 進んでいくマサの後ろ姿を気にしながら、タクはダイスケに言った。
「俺、ダイスケさんが俺を守ってくれたみたいに、絶対、ユカのこと守るから。守ってみせるから」
「頼む」
 そう言うと、ダイスケはマサに追いつこうと走り出した。
 タクには小さくなる二つの影がなぜか遠くに感じられた。

  *

「あのさ」
 マサが不意に言った。
「俺の考え、聞いてくれるかな」
「ああ…」
 ダイスケにも聞いてもらいたいことがあった。しかし彼はその考えをマサに話すことをためらっていた。
「あんた、ウソついてないよね」
「もちろんだ。どうかしたのかよ」
「あんた、いや、ダイスケさんの話が本当だとすると、『奴』はどうやって心臓破りの坂からテニスコート出口まで移動したんだろう」
「ホントに抜け道とかはないのか?」
「この公園、確かにあちこちにいろんな抜け道とか、あるにはあるんだ。でも、少なくとも、心臓破りの坂からテニスコートまでは、あんたたちが走ってきた道が最短距離だ。抜け道なんて考えられない。わかるだろ?『心臓破りの坂』はほとんど直線に近い道なんだから」
 確かにあの道は直線の下り坂だった。
 その道を、三人は全力に近い速さで走った。
 先回りするには、マサもダイスケも知らない『とんでもない』抜け道を、逃げる三人以上の速さで走らなければならない。
「…ってことは?お前の考えって?」
 ダイスケはマサの意見が聞きたかった。
「わかんねえよ。もしかしたら、奴、人間じゃないのかも…」
「どういうことだよ、それ」
「空飛べるとか、瞬間移動できるとか」
 ダイスケは『奴』の姿を思い出した。
 背が高く、返り血をあびて、髑髏のゴムマスクをかぶって。
 しかし、『この世のものではない』という印象は持たなかった。
 特別な『力』をもっているという雰囲気もなかった。
 ならば。どう理解すればいいのだ。
「あのさ。仮に、『奴』にそういった『力』なんかないとしたら。『奴』も俺たちと同じ人間なんだとしたら…どうやって移動したと思う?」
「わかんねえよ」
 もしも、相手がこの世のものでないとすれば、戦うことも、生き延びようとすることも無意味だ。しかし大介はそうは思わなかった。
「こういうのはどうかな…『奴』は最初から移動なんてしていなかった。心臓破りの坂で俺たちを狙った奴と、テニスコートの出口で二人を殺した奴は別人だった…」
「二人の人間が共謀して俺たちを襲ってるってこと?ありえないよ」
「でも、そうとでも考えないと説明つかないだろ?」
「坂のところでボウガン持ってた奴も髑髏マスクかぶってたんだろ?」
「マスクだったら殺した奴から奪ったってことも考えられる」
「ハルユキのマスクだろ?奴がそれをかぶってるってことは俺だってわかってるよ」
「あと、カズヤとトモヨちゃんのマスクがあるだろ?」
「残念。二人ともマスク持ってなかったんだ」
「配ったマスクとは別に誰かがどっかに隠してたとか」
「マスクは狩りの当日にタクが買い出しで調達してくるんだ。予備はないし、『狩り』のメンバーは今日自分たちが髑髏マスクかぶることになるなんて知らなかった…」
「偶然、『奴ら』も同じマスクを持ってたとか…」
「ありえないよ。そんな偶然」
 だとすると。
 だとすると。
 やはり。
「マサ。怒らないで聞いてくれるか。俺の考え…」

  *

 少し遅れてユカとアイコがついてくる。
 二人はタクが見つけた鉄パイプと木刀を持って、不安そうな表情で歩いている。
 鉄パイプに木刀にヌンチャクかよ。
 こんな武器で『ボウガン』や『スタンガン』や『槍』と戦えるわけない。
 タクは自分の手に握られたあまりにもちっぽけな武器を見た。
 まあ、ないよりはましかもしれないけど。
 タクは振り向いて明るく言った。
「もう少し行ったところにまた別の武器とか隠してる場所、あるから。大丈夫だよ。もし『奴』が襲ってきても、俺が責任もって守ってやるから」
『守ってやる』そう言ったタクの言葉に根拠なんてない。自信だってない。
 しかし、女の子たちの前では。カノジョたちの前でだけは。
 強がっていないと、彼自身がつぶれてしまいそうになる。
 タクがいくら話しかけても、女の子たちのリアクションは鈍い。
 ユカはおどおどした目をしてあたりに視線を泳がせている。
 例えて言うならば、その目は、小動物の目。
 兎や栗鼠や。
 つまりは自らを守るための武器を持たない、弱い生き物の目。
 そしてそれは、タク自身がこれまで見てきた、『狩り』の獲物…『ホモ』たちの目と同じ『怯えた』光を持っている。
 こういう気持ちで逃げ回っていたんだ。あいつらは。
 こういう目をして、逃げ回っていたんだ。あの『ホモ』たちは。
 俺たち、すげえ悪いことしてたのかもしれない。
 今さら気づいても遅いけど。
「あのさ。トイレ、行きたい…」
 アイコが言った。
「え?」
「トイレ」
「あ、トイレか」
 タクは周囲を見回した。
 五メートルほど先に、朧な光で周囲を照らしているトイレ棟が見える。
 閉門の時間を過ぎても、トイレの電気だけは消されない。
 闇を見つめることに慣れた目には、その薄暗い蛍光灯の明かりさえ新鮮だった。
 タクとほぼ同時に、アイコもトイレ棟を見つけたようだ。
「アタシ、いってくる。タクくんとユカちゃんはトイレの前で待ってて…」
 かけだそうとする少女をタクは慌てて制止した。
「ちょっと待ってよ。俺、先に入って安全かどうか確認するから。合図するまで二人はここにいて…」
 タクは走り、女子トイレの入口で足を止めた。
 そこはまるで人の気配などなく、静まり返っている。
「やっぱ、個室全部確認しないとダメだよな…」
 タクは小声でつぶやいた。
 こういうホラーなシチュエーションには弱い。
『トイレ花子さん』は小学生が面白がって創造したものだとわかってはいるのだが、『トイレのドアの陰』は何が隠れていてもおかしくない不気味さをもっている。
 三つの個室が並んでいる。
 タクはヌンチャクを握りしめた。
 心臓がバクバクいってる。
 手前の個室から。
 まずできるだけ遠くから、中の様子を探る。
 誰もいないようだ。
 近づいてみて、中をのぞき込む。
 大丈夫。扉の影にも『奴』は隠れていない。
 真ん中の個室。
 同じように、武器を構えながら中の様子を探る。
 やはり誰もいない。
 最後に奥の個室。
 タクはゆっくりと近づく。
 突然、背後から声が聞こえた。
「タク、まだ?」
 アイコの声だ。
 さっきまで一緒だった少女の声を聞いただけでも飛び上がって大声を出しそうになった。
 脅かすなよバカ。
 それどころじゃないって…
 タクは最後の個室をのぞきこむ。
 誰もいない。
 ほ、と息がもれた。
「アイコちゃん、大丈夫。入っていいよ…」
 その言葉を待っていたかのように、ミニスカートの少女が飛び込んできた。
「…怖いけど、外で待っててよね。音とか聞いたりしたらやだよ」
 そんな余裕ないって。
「俺、外で待ってるから」
 タクは女子トイレから出た。背後でバタンと個室ドアの閉まる音。
 ユカはどうしてる? 
 タクは周囲を見回した。
 彼女は少し離れたところで鉄パイプを抱えるように抱きながら周囲を見張っている。
 安堵の息がもれる。
 それと同時に、タク自身も尿意を覚えた。
 やべえ。もれそ。
 そういやあ『狩り』始まって今までそれどころじゃなかったもんなあ。
 タクはそのまま男子トイレに駆け込んだ。
トイレの中は薄暗く、誰もいない。
 四つ並んだうち一番手前の小便器の前に立ち、ズボンのジッパーを下ろす。
 ユカとのエッチの余韻だろうか、まだ少し濡れている性器を出して勢いよく用をたした。
 排水口に小便が流れていく音がトイレに響く。
『じいん』
 背後の『大』用の個室から小さな音がした。
え?
『じいん』
 また小さな音。
 やべえ。俺、女子の個室は確認したけど、『こっち』は見てねえよ。
 解放されはじめた小便は止まらない。
 やべえ。やべえ。小便が…止まらねえよ…

  *

 タクもアイコもなかなか出て来ない。
 何してるんだろう。
 ユカの疲労感は限界に近かった。
 周囲は不気味なほど静かだ。
二メートルほど離れたところにベンチがある。
 いくらあの『骸骨マスク』が神出鬼没でも、物音ひとつたてずに近づくことなんてできないだろう。それにこのベンチの前はかなり見通しが良い。
あそこなら安全だよね。座ってても見張りできるし…
 ユカは鉄パイプを抱いたまま、ベンチの前までとことこと歩き、腰掛けた。
 足がだるい。
 あんなに真剣に走ったのって、チュウガクの体育祭…いや、ひょっとしたら、小学校のときの『あのリレー』以来かも。
 身体が変な汗かいてる。
 タクちゃんとえっちした直後に走ったからかな。
 太股のあたりなんか、ねちねちして気持ち悪い。
 え?
 違う。
 これ、汗じゃない。
 ベンチが濡れてる。
 べとべとに、濡れてる。
 ユカは反射的にベンチに手をやった。
 ねっとりとした液体がベンチを濡らしている。
 ユカは薄暗い明かりに手をかざした。
 ユカの手は真っ赤な血で濡れていた。

  *

『じょろっ』という音がして最後の雫が便器に落ちた。
 タクはゆっくりと振り返った。
 やはり背後には誰もいない。
ジッパーを上げるまでの時間がもどかしかった。
 何の音だったんだろう。あの『硬い音』は。
 タクはゆっくりと個室に近づいた。
『奴』がそこに隠れているのかもしれない。
 タクは脇の下にはさんでいたヌンチャクを構えた。
 個室のドアが閉まっている。
 どうして先に確認しなかったんだろう。この時間に個室のドアが閉まっているなんてフツー考えられないじゃないか。
 タクはドアの前に立つ。
『じいん』
 また小さな音がした。
 間違いなくこの個室の中から音がしている。
 タクはゆっくりと『そのドア』をノックした。
 何やってんだろう。俺…
ノックなんか返ってくるわけない。
 強行突破しかないじゃん。『奴』が中にいるかもしれないんだから。
 タクはヌンチャクを片手に構え、力まかせにそのドアを蹴った。
 ドアは思いのほか簡単に開いた。
 個室の中には、二人の男が全裸で倒れていた。
 向き合い、抱き合うような姿勢で。
 まるで騎乗位でセックスしているみたいだ。
 しかしここで流れ出るものは精液ではない。夥しい量の『血』だ。
『ぐっ』
 身体がその残虐な光景に勝手に反応した。
 トイレの床に胃の中のものをまき散らし、タクは顔をあげた。
 上になっているのは髪の長い男。腹に二本、顔面に一本、ボウガンの矢を突き刺さして男の上に馬乗りになっている。
 下になっているのは顔面をメチャメチャに潰されたかなり体格の大きな男。タクにはその姿に見覚えがあった。
『じいん』
 さっきの音がもう一度鳴った。
 何の音だ?この音。
 重って倒れている男の足元あたりに、携帯電話が落ちている。
 タクは手を伸ばしてそれを拾い上げた。
 携帯?助かった。これで助けを呼べる…
『じいん』
 携帯電話のバイブレーターが作動した。ディスプレー画面に発信者が表示される。
 え?
 どういうことだよ。
 どうしてこいつから『着信』するんだよ。
 タクは恐る恐るその携帯を見た。携帯の裏側にプリクラが貼ってある。
 タクにはその携帯の持ち主がわかった。
 同時に、彼は自分たちが『とんでもない』危険と隣り合わせであることに気づいた。
 ユカが…危ない。
 トイレ棟の外から、ユカの悲鳴が聞こえた。

  *

 マサは何も言わない。
 大介は『絶望的』とも思える推理を話しはじめた。
「今のお前の話を聞いて、ますますはっきりしたことがある。それは後で説明するけど。まず、全速で走る俺たちを『奴』が追い抜いたっていうのが一番不思議な点だ。で、俺は考えたんだ。『殺人鬼』は二人いる。これが俺の結論。
 多分、『奴ら』の中で役割分担みたいなものが決まってて、ちょうど『君たち』の『狩り』みたいに、一人がボウガンで追い立てて、もう一人が出口で待ち伏せする。そういう打ち合わせができているように思うんだ」
「マスクの謎はどう説明するんだよ」
「じゃあ殺人鬼が二人だと仮定して話を続けるよ。奴らがマスクをかぶるのには理由がある。途中で殺人鬼が入れ替わってもマスクさえかぶっていたらそれがオレたちにはわからない。あともう一つ。『顔』をキミたちに見せたくなかった。『そいつ』は君たちが知っている顔だったんじゃないだろうか。
 ここでマスクについて整理しておこう。タクが用意したのは今日の買い出しで、だったよね。つまり君たちメンバーの誰も、今日の『狩り』で自分たちが髑髏マスクをかぶることは知らなかった。
 もしも、タクが今日のマスクの種類を誰にも話してなければ、タクがあの展望広場で配ったもののうち二つが使われたってことになる。
 もちろんここでは殺人鬼が『髑髏マスク』をたまたま用意していた、なんて都合のいい偶然は考えない。
『狩り』が始まった時点でマスクを持っていたのは…タク。ハルユキ。アイコ。ヨシキ。あとユカちゃんと君だ。
 カズヤとトモヨは最初からマスクを持っていなかったから、マスクは六つしかなかった。
 問題になってるのは、俺たち三人が襲われてから君と合流するまでの時間だ。タクとユカちゃんはマスクを持っていたし、君もヨシキもマスクを誰かに奪われたり落としたりはしていない。そのときにあの場所になかったマスクは二つ。いなかった人間も二人。計算はあうよ…」
「だってハルユキは…『持ち場』についてすぐ襲われて…」
「でも誰もそれを見ていない。それを見たって言ってるのはアイコだけだ」
「じゃあ…」
「殺人鬼はハルユキとアイコの二人だ」
 大介がそう言った直後、遠くから女の悲鳴が聞こえた。

  *

 掌に、べっとりと血がついている。
 ユカは叫んだ。
 タクちゃん、タクちゃん。
 私、どうなったの?
 私、身体のどこかを誰かにやられたの?
 助けて、タクちゃん。
 私、死ぬの?
「ユカちゃーん」
 遠くの方から誰かの声が聞こえた。
「逃げろ。このトイレから離れろ…」
 ユカは何が何だかわからないまま立ち上がった。
 自分が座っていたベンチがべっとりと血で濡れている。
 ユカはまた叫んだ。叫んで、叫んで、叫んだ。
「…ちゃん…ユ…ちゃん」
 自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
 その声はユカ自身の声にかき消され、途切れとぎれにしか聞こえない。
 タクちゃん?
 ユカは声のする方を見た。
 タクちゃんが何か叫んでいる。
 タクちゃん。助けて…
 何だかわからないけど、私の手、血でべとべと…
そのとき。
 不意にタクの表情がひきつるように動かなくなった。
 え?どうしたの?タクちゃん。
 タクの後ろに黒い、小さい影が動いている。
 タクの口から、赤いものが吐き出され、それはタクのシャツを染めた。
 ユカはもう一度、叫んだ。

  *

 ゲート横のトイレから聞こえてくる叫び声は、ユカの声だ。
 反射的に走りだそうとしたダイスケが、『ぐう』という声をあげてその場に崩れおちた。
 あたりの草むらに血をまき散らしながら『のたうちまわって』いる。
 見ると、肩のあたりから背中にかけて、斜めにざっくりと切り裂かれている。
「ダイスケさん…」
 マサは動くことができなかった。
 ダイスケが背中をむけていたあたりの植え込みが揺れ、男が立ち上がった。
パーカーつきのフードをすっぽりとかぶった男。
身長は高く、肩幅は広い…格闘技か、ラグビーでもやっていそうな体型の大男。
タクが話していた『ムキムキホモ』とあまり変わらない体格の…
『ハルユキ』が血に濡れた牛刀を持って立っていた。

  *

『携帯』を見つけたタクは、自分たちを狙っている『殺人鬼』が誰なのか悟った。
 ハルユキとアイコ。
落ちていた携帯はハルユキのものに違いない。バッテリーボックスのあたりにハルユキとアイコのプリクラが貼ってあった。
しかし、それ以上に衝撃的だったのは…
もう一枚のプリクラ。
ハルユキが、もう一人の『男』と肩を組んでフレームにおさまっている写真を見たときだ。
タクはその『男』に見覚えがあった。
こいつの顔は覚えている。
半年くらい前。タクたちのグループが『狩り』で追い回した、ホモの大学生。
ハルユキは『そいつ』と知り合いだったんだ。
そいつと肩を組んで『プリクラ』を撮るような仲だったんだ。
それだけじゃない。
着信はアイコからだった。
アイコは携帯なんて持ってきてないって言ってたのに。
アイコはハルユキがやられるところ見てたはずなのに。
そのアイコがどうしてハルユキの携帯に電話するんだよ。
どうしてトイレに行くってウソついてまでハルユキの携帯に電話するんだよ…
考えられる可能性は一つ。
ハルユキは生きている。
たまたま彼は『ここ』に携帯を落とした。
この、男同志の性交に見立てられた二つの死体のそばに。だとすると、この凶行を行ったのはハルユキ。そうとしか考えられない。
ならば。『ハルユキはムキムキホモにやられた』、そう言ったアイコもグルだ。
矢で目玉を射抜かれている長髪の男は、知らない顔だ。
もう一人の、顔をつぶされている奴も、少なくともハルユキじゃない。
体格は似ているが、違う。別人だ。
もしかしたらこいつが『ムキムキホモ』なのかもしれない。
ユカが危ない。トイレ棟の出口に向かって走りながら、タクは叫んだ。
「ユカちゃん、逃げろ。このトイレから離れろ」
 そうだ、そうだ、そうだ。そうなんだ。
 なぜ気がつかなかったんだろう。
 さっき、ダイスケさんがユカちゃんとアイコのむきだしの足を見比べて、妙な顔をしていた。
 あれって、ダイスケさんがアイコに気があるとかじゃなくて…
 違ってたんだ。足が。
 逃げ回っていた足だったらすり傷とかかすった傷とかできる。泥がついて汚れたりもする。どっかに隠れていたら虫とかにも刺される。
 ユカちゃんの傷だらけの足は、『逃げまわっていた』足だから、傷だらけでどろどろなんだ。
 でも、もしも、ミニスカートの上にズボンはいて、タンクトップの上にパーカー着て、マスクかぶって、パーカーのフードすっぽりかぶったら。
 汗はべとべとにかくだろうけど、傷や虫さされなんかはほとんどないだろう。
 アイコの『妙にきれいな足』が、『人殺し』の証拠だったんだ。
「ユカちゃん…ユカちゃん…」
 さっきまでユカが立っていた場所には誰もいない。
 タクは慌てて周囲を見まわした。
 また叫び声。
 ユカだ。
 タクは声の方向の闇に目をこらした。
 少し離れたベンチの前で、ユカが叫んでいる。
ウソだろ?
こちらに背中を向けているユカの背中は、真っ赤だ。
やられちまったのか?
ユカがゆっくりとこちらを振り向いた。
『ユカ!』
 タクは叫んで彼女のそばに駆け寄ろうとした。
 え?
 声が出ない。足が動かない。
 彼女を呼ぶ声の代わりに、鉄さびのような苦い液体の塊が喉の奥からあふれ出た。
 腹のあたりがじんじんと痛む。
 やっべえ…
 タクは自分の腹のあたりを見た。
 やられちまった。
 へそのあたりから矢の先が突き出している。
 痛え。すっげえ痛え。
 ふうっと意識が飛びそうになるのをタクは堪えた。
 約束したんだ。ユカを守るって…
 でも…俺、ダメかもしんない。下半身がすげえ重い。
 背後できりきりという音。
 多分、ボウガンの矢をセットする音。
 ひょん、という音がすぐ後ろから聞こえた。
 ずん。衝撃、という表現がぴったりとくる鈍い痛みが身体を貫いた。
 ふらつきながら身体が前に進む。ボウガンの矢を食らった勢いで足だけがよろよろと動く。
 足が…動いた。動けるじゃん。すげえ痛くて、すげえ辛いけど…動けるじゃん。
 タクはゆっくりとふりむいた。
髑髏マスクで顔を隠し、パーカーをすっぽりとかぶった『奴』がボウガンを構えてそこに立っている。
「痛いじゃんか。ダメだよ、こんなことしちゃあ。…アイコちゃん」
 髑髏マスクはびくりと身体を震わせた。突然名前を呼ばれて混乱しているようだ。
タクは髑髏マスクに向かって一歩足を進めた。
歩ける。いける。
でも…気を失いそうだ。
何か喋らないと…
「幻滅だよ。アイコちゃんのこと、いいなあって思ってた時期あったのに。もうこんなことしないでくれよ。俺、約束したんだ。ユカのこと守るって」
 また一歩。
 髑髏マスクは慌てている。次の矢をセットしようとボウガンをガチャガチャとやりはじめた。
また一歩。
きりきり。
細い指が弓の弦を引く。
タクは下から上へ、右手を振り上げた。
硬い音がして、髑髏マスクのボウガンが跳ね飛んだ。
ヌンチャク使った不意打ちって、こうやるんだよ。
俺は、守らなきゃいけないんだ。ユカちゃんを。
俺がさっき抱きしめた…あの娘を。
俺の全てを受け入れて、包み込んでくれた…カノジョを。
涙がぼろぼろ勝手に流れてきた。
オンナノコを『殺す』なんて、やだけど。
お前をなんとかしないとユカちゃんを守れない。
髑髏マスクを被った奴は完全に狼狽している。『奴』は意を決したようにフードとマスクを外した。
ショートカットの栗色の髪。整った顔だち。
その表情に悔しげな色を浮かべて、アイコが言った。
「ばれてたのかあ…」
 この場の空気にはおよそ似つかわしくない、緊張感のない声。
「ねえ、タクちゃん。私のこと好きにしていいから、見逃してよお」
「アイコちゃん。俺にこんなひどいことしておいて、そんなこと言っちゃだめだよ」
タクは自分の背中から腹にかけて貫通している矢を見ながら言った。
「俺、ユカを守りたいんだ…」
 タクの一言でアイコの表情が凍りついた。
「アイコちゃんのこと、抱きしめてあげる」
 タクは渾身の力を込めて、少女を抱きしめた。
 アイコの下腹部の皮膚が裂ける音と、タクの腹からつきでた矢の先が少女の体内に埋もれていく小さな音がした。
 タクは力を強めた。強く。さらに強く。
 少女の身体の中から何かがつぶれるにぶい音がした。アイコは獣のような声で叫んだ。
ユカちゃんごめん…俺、きっとここから出られない…
でも…約束、破ってないよ。
ユカちゃんを守るってのと…
ユカちゃんの前で暴力ふるわないっての…
こいつ…サイテーな女だったけど…でも俺、殴ったり蹴ったりしなかったぜ。
ただ…抱きしめてやっただけだぜ…
だからたまにでいいから…
俺のこと思い出してくれよな…ユカちゃん…
タクはアイコを抱きしめたまま、あおむけに倒れた。
背中から刺さっていた矢が、彼の身体の重みでさらに腹側に飛び出した。
ぐにゅう。
アイコの内臓の器官がさらに破れる音がした。
少女が口許からどす黒い血を吐き出した。
抱きしめた少女の下腹と口からだらだらとあふれる血に濡れながら、タクは空をみていた。
雲間から星が覗いた。
「きれいだな…星」
 つぶやいたその声が、少年の最後の言葉だった。

  *

 椎名晴之はホモなどではない。
 同性愛者のことをキモチ悪いと思う。
 変な奴らだとも思う。
 しかし、彼らが『殺される』ほど悪いことをしているとは思わない。
 晴之には兄がいた。
兄弟の仲はそれほど悪くはなかった。
 子供の頃はよく遊んでくれたし、面倒もよくみてくれた。
 彼がコウコウに入ってからも、兄は晴之をよく遊びに連れて行ってくれた。
 彼の兄は同性愛者だった。
 晴之はそのことを、兄を失う直前に知った。
 ある晩、兄は血まみれで家に戻った。
「襲われた。ホモ狩りの奴らに。春日運動公園で…」
 自分が襲われた真相を晴之だけに話し、兄は病院へ搬送される救急車の中で息をひきとった。
 ホモ狩り。
 春日運動公園でのホモ狩り。
 兄は『狩り』の獲物として弄ばれ、そして死んだ。
 ホモはキモチ悪い。
 同性愛なんて理解できない。
 だけど、殺されたのは『兄』だ。
 晴之はその日から、春日運動公園に通うようになった。
 彼はただ知りたかったのだ。
 兄がそこで何をしていたのか。
 兄はそこでどういう目にあったのか。
 どんな奴らが兄を『獲物』として追い回したのか。
 復讐とか、告発とか。
 そんな気持ちからではない。
 ただ、知りたかったのだ。

 公園でのホモ狩りグループを調べるうちに、晴之は同じグループに接触しようとしている少女の存在を知った。
 早瀬愛子。
 彼女の兄もまた、『狩り』で被害にあったらしい。
 晴之と愛子は急速に親しくなった。
それぞれの兄の思い出を語り合い、涙し、励まし合う間柄になった。
ある日、愛子は晴之だけに自分の決意を明かした。
『私、ホモ狩りのグループに潜入しようと思うの。メンバーの名前とか、暴行の動かぬ証拠とかを集めましょう。ああいうくだらないことを二度とさせないことが、残された者のやるべきことなんじゃないかって思うの…』
 晴之でさえ舌をまくような熱心さで、愛子はグループのことを調べあげた。
 メンバーの構成。氏名。住所。公園以外のタマリ場。
 メンバーの中に晴之のチュウガク時代の同級生がいたことが突破口となった。
 石橋卓哉。チュウガクのときはぱっとしないただのデブ野郎だったが。
 こんな悪さする奴になってたとはね。
 晴之は卓哉と連絡をとった。慎重に、慎重に、チームの仲間として入り込む。
 ゲーセンで遊んだり、コンビニ前でたむろしたり。
 グループは無為な行為を繰り返し、無軌道な時間を浪費していた。
 なかなか卓哉は『狩り』に誘ってはくれなかった。
 晴之を仲間として信用していいのか、試していたのかもしれない。
 ある夜、ついにケータイが鳴った。
 卓哉からの『狩り』の誘いだった。
 晴之はすぐに愛子に連絡をとった。
 しかしこの時点で晴之はまだ気づいていなかった。晴之と愛子のそれぞれのイメージする『報復』に距離があることに。そして自分が少しずつ、愛子の思想に染められつつあることに。

『狩り』の前日、晴之は愛子に呼び出された。
 愛子は『復讐』をもちかけた。
『狩り』の最中に、メンバーたちを殺す。殺す。殺す。
 それは晴之の思う報復とは明らかに形が違っていた。
 晴之は、兄が命を落とすに至った経緯が知りたかっただけだった。
 そして、しかるべき機関にしかるべき処置を請う。『未成年』にはろくな刑罰など課せられないことは承知の上で。
 しかし愛子は。
『彼ら』に兄と同じ恐怖と、同じ絶望を感じさせた上で『殺す』ことこそが『復讐』であると言った。
 いいえ、それだけじゃ不足だわ。
『獲物』はホモ狩りのバカな人たちだもの。ホモとして殺してあげましょうよ。
 それに、公園に集まる『変態』たちも同罪だわ。
 あんな人たちさえいなければ、兄が『あんな場所』へ行って『あんな』みじめな死にかたをすることはなかったんだから。
晴之は愛子と話すうち、少しずつ。少しずつ…
愛子の『毒』に感染していった。
愛子と別れた晴之は、その日のうちにホームセンターで巨大な『牛刀』を購入した。
晴之がその夜、深夜までその刀を研ぎ続けたことを知っているものはいない。

  *

ハルユキがこちらを向いて牛刀を横に振った。
マサにはそれがまるで夢の中の出来事であるように感じられた。
どん、という音がしたように思えた。
首のつけねがじいんと痛んだ。
突然、視界がぐるりと回った。
え?
マサは倒れた。
右頬に草の感触。
やられた…のかな? …俺。
身体が動かない。腕や、足や、背中や。身体のいたるところが痛むような感覚。
息が苦しい。
え?
視界の隅に変なものが立っている。
そいつは、俺と同じ服を着ている。
でも…そいつには…首がない。
え?
あれって、俺じゃん。
首がないけど、俺の身体じゃん。
てことは…俺…
それでも身体のあらゆる場所が痛む。錯乱した彼自身の脳が勝手に痛みの信号を送っていることに彼は気づいてはいなかった。
マサは首を斬られた自分の身体が、感電したように激しく震えながらゆっくりと倒れていく様子をただじっとみていた。

  *

狩りがはじまってすぐ、和也に指示された『持ち場』に着いた晴之と愛子は、すぐに周辺に隠してある武器を探した。
途中、あちこちの植え込みを探して『彼らが用意した武器』を何点か手に入れた。
狩りの前に公園のあちこちに武器を隠しておく。卓哉は晴之への電話でそう言っていた。その言葉通り、ここには様々な武器が配置されている。
逆襲を避けるためにも、攻撃力の高い武器はこちらのものにしておくほうがいい。
愛子が晴之の耳元でささやいた。
「復讐の前に抱いて欲しいの、晴之。そうでないと…あいつらを本気で憎めない」
 言い終わると同時に愛子が女性器をこすりつけるように足をからませてきた。
 マジかよ。
 ま、いいか。
 俺、本気で愛子のこと、好きだし。
 晴之は少女の細い身体を抱きしめた。
 ピンク色の唇に顔を近づけ、舌と舌をからませる。
「愛子ちゃん、本当にいいの?」
「ちょっとだけ待って。トイレ行って準備してくる」
 何だよおい。こっちは完全にその気になってんのに。
 愛子は身体を離した。
 ミニスカートからすらりと伸びた形の良い足。
 肉付きのいい太股。
 そしてそのスカートの下…
 もうすぐ、夢にまで見た彼女の身体を抱くことができる。
「じろじろ見ないでよお。恥ずかしいじゃん…」
 愛子が小声で言った。晴之はあわてて目をそらす。
「いや。あの、すげえミニのスカートはいてるなあって思って。かっこいいけど、それ…短すぎないか?」
 何言ってるんだろう、俺。
「スカート?短すぎないよ。それに見せパンはいてるもん。ほら」
 愛子はあっけらかんとそう言って、ミニスカートをめくりあげた。
 どきん。
 喉元が小さく動いた。
「この下も見たい?」
 小さな妖婦が肩頬だけで笑いながら言う。
「それの下って、ちゃんとはいてるんだろ?下着…」
「これの下?晴之、見たいの?勝負パンツはいてたりして…」
 言い終わると同時に少女はスパッツを下ろした。
 成熟しきっていない愛子の陰部が微かに透けて見えるシースルーのTバック下着。
 彼女はスカートをたくしあげ、スパッツを下ろしたままその場でくるりとまわる。
素早く元に戻し、晴之の顔を見て、笑った。
「待っててね。ちょっと身だしなみしてくるから…」
彼女はまるで重力を持たないものように晴之の視界から消えた。
 晴之は自動販売機にずらりと並ぶダミー缶を見ながら、ため息をついた。
…でも俺、完全に腹がくくれてるわけじゃない。
決断できたわけじゃない。
 愛子の計画を実行するべきなのか。それとも、愛子を止めるべきなのか…
 彼はすでに愛子の虜となっていた。彼女のためなら、何でもできる。
 そう思う自分と、『愛子のために』計画を断念させるべきだと考えているもう一人の自分がいる。
 晴之はさっきの彼女の肢体を思いうかべながら、ため息をついた。
 彼女が欲しい。
彼女のことを思うと気が変になりそうになる。しかし。
『ひとごろし』が自分にできるのだろうか。
『そこらじゅうにスポット、ありだぜ…』
『晴之。えっちポイントは、ゲート横の自動販売機横のベンチ。ここだと販売機の陰になって何しても周りからは見えないから。がんばれよ』
『獲物』である卓哉の囁きが頭の中をぐるぐる回る。
 とりあえず、セックスしちまってからでもいいか。
 それからじっくりと、話しあおう…
 朝まではたっぷりと時間がある。
…そうしよう。
気持ちが固まると、急に愛子が恋しくなってきた。
愛子。
 彼女は俺にとって完璧な存在だ。だからこそ今まで君に触れることさえためらっていた。
 今夜。彼女は俺の物になる。
 背後でごそりと音がした。
 晴之は振り向いた。
 そこにはグレーのフードを頭からすっぽりとかぶった大きな『男』が立っていた。
 誰だよ。こいつ…
『男』の右腕が晴之の頭めがけて動いた。
 晴之は身をかがめた。
 空気を割くような音がして、頭の上を男の拳がかすめた。
 …俺を殺す気か?
 そう思った瞬間、男の拳が腹にめりこむ。
 鈍い痛みが内臓に響く。
 晴之はその場に崩れるように倒れ込んだ。
 倒れた身体に容赦なく男の蹴りが入る。
 気力をふりしぼって、男の足にしがみついた。
 男は両腕で背中や肩を殴りつける。
 愛子…
 意識が飛びそうになるのを晴之は必死でこらえていた。
 このまま、やられるのかな…俺。
 そのとき、頭の上で『ちちち…』と鳥が鳴くような小さな音がした。
 不意に大男の身体の力が抜け、そいつは崩れるように倒れた。
 スタンガンを構えた愛子が立っていた。
「殺して…」
 少女が言った。
 そうだ、殺すんだ。
こいつの息の根を止めておかないと…
愛子にもしものことがあったら大変だ…
 半ば白濁した意識の中で、晴之の中の晴之が命じた。
 獣じみた雄叫びをあげながら、男に馬乗りになり、そいつの顔に拳を叩きつける。
 殴る。殴る。殴る殴る殴る。
やがて『男』はぴくりとも動かなくなった。
「誰?こいつ…」
 愛子が言った。
 その言葉で正常な思考が一部だけ覚醒した。
「わかんねえ。タクが言ってた、ムキムキホモかも…」
「どうして襲われたの?」
「こいつきっと勘違いしたんだ。そのへんのホモ野郎と…」
「こいつ、動かないよ…」
「いいじゃん。別に」
 愛子がいなければここに転がっているのは自分だった。
『こいつ』は俺を殺そうとしやがった。
 だからやった。
 理由は充分だ。
『殺されかけた』という事実が晴之の背中を押した。
彼は『この男』にとどめをさすのにふさわしい武器を探した。
 棍棒、鉄パイプ、角材。野蛮な武器であればあるほど、ホモで筋肉マンのこいつにふさわしい。
 自動販売機横の茂みになにかが見える。
 微かに右足に違和感がある。さきほどの格闘で膝を痛めたのかもしれない。
 ゆっくりとその茂みに近づいた。
ここにも武器が隠されている。
 鉄パイプ・登山ナイフ・手錠…ボウガン。
晴之は鉄パイプを手に取った。
 この重さ。悪くない。
男と格闘した場所に落としたマスクを手に取り、かぶってみた。
 髑髏マスクの怪人。
 面白い。
 足元で『男』が低く声をあげた。
 まだ生きてやがる。
 いいよ、すぐに楽にしてやるから。
 その前に…
 晴之は男の着ているパーカーを脱がせた。
 彼は悪魔のような企みを思いついていた。
 愛子が持ってきている紺のパーカー。男が着ているグレーのパーカー。
 その下に髑髏のマスク。
 今は夜。紺とグレーのパーカーの見分けなんかつかない。
 同じ格好をした二人の殺人者に追い回される『獲物』たち。
 別々の場所で、同時に殺される『兎』たち。
 混乱し、錯乱し、その中で奴らは死んでいく。
 最高のハンティングだよ、これは。
晴之は鉄パイプを握りしめた。
 握った手を、ゆっくり、大きくふりかぶり。男の頭めがけて。
 振り下ろした。
 頭はもっと硬いものだと思っていたが、彼の手に伝わってきた感触は硬質のものではなく、むしろ『ぐにゃり』としたものだった。
 男の身体がぴくぴくと震えている。
 へえ…人間って、死ぬとき、こんな震えかたするんだ。
 晴之は思った。
「死んだ?死んだの?」
 愛子が言った。
「ああ。殺してやった…」
 マスクを外し、返り血で真っ赤に染まった手を誇らしげに愛子に見せた。
「ステキ。カッコイイよ。晴之…」
 愛子は晴之に抱きつき、激しく唇を吸った。
「震えてるよ。私の手、興奮して震えてるよ。抱いてよ、強く抱いてよ」
 晴之は愛子を抱きしめた。
「もっと強く抱いて…」
 唇を重ねながら、抱かれながら、愛子は晴之の下半身をまさぐる。
「今、ここで、して…」
 二人は死体のすぐ横で、服をきたまま交わりはじめた。
「もっと。もっと…」
 立ったまま晴之を迎え入れながら、愛子は荒い息で繰り返す。
「愛子。愛子…」
 少年は少女の名前を繰り返し呼びながら、その鍛えられた腰を激しく動かす。
 晴之も。
 愛子も。
『殺人』の余韻を味わいながら性交を続ける。
「もっと強く…もっと…もっと…」
 二人の傍らで小さく身体を震わせ続ける男。
 視界の隅でその動きを確認しながら、二人の行為は続く。
 絶頂のときが近づく。
 愛子は繰り返し押し寄せてくる快感の中で、無意識に声をあげている。
 間断なく喉から漏れるあえぎ声。
 その声が快感を倍増させる。
 少年はもう限界に達しつつあった。
「もっと激しく…深く…いつもみたいに…中に出していいから…」
 え?
 いつもみたいに?
 どういうこと?
 しかし彼の疑問の意識は激しい快楽の波に呑み込まれた。
 せりあがるような快感が下半身を支配する。
「い…く…」
 愛子は腰をくねらせ、あえぎながら言った。
「私も…いっちゃいそう…お兄ちゃあん…」
この瞬間、晴之は愛子の中に放出した。
五感を支配する圧倒的な快感。急速に覚醒する思考。
晴之はもう気づいていた。
そうだったんだ。
愛子が復讐にこだわった本当の理由。
きっと…
愛子の『兄』はただ兄であるだけでなく…
恋人でもあったのだ。
おにいちゃんおにいちゃんと幾度か繰り返した後、愛子は我に返ったかのように口を閉ざした。
少女はちら、と少年の目を見た。そして目を伏せた。
晴之はそんな少女の身体を、もう一度後ろからやさしく抱きしめた。

  *

 アイコは目を開けた。
 目が、かすむ。
 畜生。畜生。畜生畜生畜生。
 デブに…やられた。
 目の焦点が合わない。
 霞む視界の中央に、誰かの顔。
 タク。このデブ野郎…
 嫌悪感で吐き気がしそうだ。
 思わず身体をよじる。
 腹から背中にかけて激痛が走る。
 こんな奴といっしょに串刺しなんてごめんだ。
 身の毛がよだつ。
 復讐のためだって割り切ってたから、一緒に歩いたり話したりできたけど。
 でも、こんな奴と死ぬのなんて絶対にイヤだ。
 本当はハルユキとセックスするのだってすごくイヤだった。
 私にとっての『男』は…
 おにいちゃんしかいないんだよ、やっぱ。
 私が中学生のときから、嫌なこと、辛いこと、苦しいことがあったときは、『おにいちゃん』がいつもやさしいセックスで慰めてくれた。
 だから私も、お兄ちゃんがつらいときはこの身体でなぐさめてあげた。
 私がパパにレイプされたときとか。
 お兄ちゃんがギャクタイされたときとか。
 私が小学生のころは私の身代わりになって、お兄ちゃんよくパパに犯されてたっけ。
 お兄ちゃんのセックスはパパの力ずくのものとは違う。
 お兄ちゃんがするときはいつもとても優しかった。
 でもお兄ちゃんは、このデブの一味に殺されたんだよね。
 死ねないよ。こいつら全員殺すまで。
 あとたった二人だもん。
 打ち合わせ通りにハルユキが動いているとしたら、マサって奴は彼が始末しているはずだから、獲物はあとユカ一人。
 あの目障りな坊主頭もハルユキに殺されているだろう…
 それにしても、目の焦点が合わない。
 アイコは『デブ』から離れたい一心で地面を力いっぱい押した。
 ずずず、という音がして、彼女とタクを繋いでいた矢が抜けた。
 鈍い痛みが下半身を周期的に襲う。
 じいん。じいん、じん。
 出口を見つけた傷口の血が、一気に噴き出していくようだ。
 気が遠くなりそうな痛み。
 汗がじわりじわりと身体じゅうから噴き出してくる。
 死ねないよ、まだ。あいつらを皆殺しにするまで…
 アイコは立ち上がった。
 ゲートのほうから足音が聞こえた。

  *

晴之と愛子が『行為』を終えたころには、『男』はすっかり動かなくなっていた。
 このままここに死体を置いておくわけにはいかない。
『狩り』のメンバーに警戒されることは、計画の遂行の妨げになる。
 人目につかない死体の隠し場所。
 愛子が『ある場所』を提案した。
 トイレの個室。そこに死体を押し込めておけば大丈夫だ。
 晴之はマスクをかぶり、その上に男から奪ったグレーのヨットパーカーのフードをかぶった。
 男の足首をつかみ、ずるずるとひきずるようにトイレまでの道を移動する。
 愛子もマスクをかぶっている。紺のパーカーをすっぽりとかぶり、ボウガンを構えて用心深く晴之の前を歩く。
 不意に愛子の足が止まった。
 トイレ横のベンチに誰かが座っている。
 若い、長髪の男。
 煙草を吸い、ときどき目をこすりながら座っている。
 男がこちらを見た。
 まずい。見られた。
 いや、見られたのは晴之ではない。
 晴之と『死体』は公園の植え込みの陰になっていてベンチからは見えない。
 見られたのは、愛子。
 彼女は少しも躊躇することなく、むしろ毅然とした様子で…
 男に向かってボウガンの矢を発射した。
男は愛子の姿を見てベンチから立ち上がろうとしていた。ひょんと小さな音がして、凶器は男の下腹部に命中した。
「なんだよ、オメーよお」
 男の声が聞こえた。愛子はボウガンに次の矢をセットした。
 ひょん。
 鳩尾のあたりに命中した。
 男の喉奥から漏れた声が、音にならずにひゅうと鳴った。
 愛子はゆっくりとベンチに近づいた。
 三本目の矢は既にボウガンにセットされている。
ごぼり、ごぼり。
男が口から大量の血を吐き出した。
口からこぼれ出た赤褐色の液体は、薄汚れたシャツとズボンを朱一色に染めていく。
びく、びく、びくん。びくん。
男の身体が小刻みに痙攣をはじめた。
彼女は歩みをゆるめることなく、男に近づく。
男の目の手前五センチあたりで、撃鉄に少女の細い指がかかった。
晴之は、愛子の指がゆっくりと動くのを遠くからじっと見ていた。
たん。と硬い音がした。
頭蓋骨を貫通した矢がベンチに突き刺さった。
 男の身体は最後に大きく動いたが、やがて動かなくなった。
「早く…」
 愛子が言った。
 晴之は最初の男の足を持ち、ひきずりながらトイレ棟に入った。
「ねえ、どうせだったらさあ。こいつら、エッチしてる格好でおねんねしてもらわない?ホモにふさわしくさ」
 愛子が肩頬だけで笑いながら言った。
 晴之は愛子の言葉通りに動くことにした。
 まず、大男の服を全て脱がせ、トイレの個室に押し込む。
そして長髪の男を血で真っ赤に染まったベンチから運び、服を脱がせ、二人の犠牲者を騎乗位で性交する形に見立てて座らせる。
この死体を発見するのが誰かは知らないが…驚くだろうな。
途中、晴之のポケットから何かが落ちた。
「細工」に夢中になっていた彼は『携帯電話』を落としたことに気づかなかった。

  *

首を撥ね飛ばされたマサの身体は、感電したように激しく震えながら倒れた。
グレーのパーカーの大男『ハルユキ』は、牛刀を持ったまま、周囲を見回している。
やがて大介が倒れこんだあたりの場所に見当がついたのか、大股で歩きはじめた。
草を踏みしめる音。枯れ木を踏みしだく音。
ハルユキの足音が倒れている大介のすぐそばまで迫る。
ハルユキが牛刀を握り直す気配を、大介は感じていた。
男に斬りつけられた背中の傷の痛み。
ボウガンの矢がかすめた肩の傷口の痛み。
しかし、そんなこと言ってられない。
やるか、やられるか。
大介は倒れたまま、待った。もう少し。もう少し。
一メートルくらい離れたところで男の足が止まった。この近さなら『逃げる』ことはできない。逃げるのを確認されてから牛刀が振られても、致命傷を受ける。
ハルユキの荒い呼吸音。
今だ。
大介は寝返りをうつ要領でハルユキの足に向かって勢いよく転がった。
濃紺の空の色と、同じくらい蒼い草や地面の色。
世界が反転し、戻り、反転し、戻った。
大介の身体がハルユキの足にぶち当たる。殺人鬼の身体は倒れこそはしなかったものの、大きくバランスを崩した。
同時に大介は右手に握っていた唯一の武器をハルユキの顔に向けた。
催涙スプレーの噴射口から勢い良く出されたガスが、殺人鬼の目と呼吸器を直撃した。
タクが茂みに置き忘れていた催涙スプレーだ。
草むらに倒れこんだとき、大介の手に硬い何かが当たった。それが催涙スプレーだった。
動物のような野太い叫び声をあげながら、ハルユキはうずくまった。
効いた。
大介は飛び起き、ハルユキに体当たりを食らわせた。
巨体は顔面を覆うような態勢のまま背中から地面に倒れ込んだ。
殺人気のポケットから何かが転がり落ちた。
あれは…スタンガン?
大介はその黒い機械にとびついた。
背後で素振りのバットが空気を裂くような高い音が鳴った。
そのまま身体を伏せる。
ハルユキがしりもちをついたまま四方八方に牛刀を振り回している。
目のあたりが腫れ上がり、そこからボロボロと涙を流している。
多分、今、奴は何も見えていないだろう。それゆえにパニックに陥っている。
俺は…生きてここから出られればそれでいい。
お前を殺したいわけじゃない。
パニクる必要なんてないのに…
死んだり、やられたりするのがそんなに怖いのなら…
どうしてこんなことするんだよ。
大介はやるせない怒りのような感情を押し殺し、動きはじめた。
大介は腹ばいに伏せたまま、一旦ハルユキから遠ざかり、刀の動きの圏外…ハルユキの真後ろから近づいた。
へたりこんだままのハルユキの肩あたりを狙い、スタンガンのスイッチを押しながら電極を大きな身体に押しつける。
巨体はゼンマイが切れたブリキの玩具のように動きを止め、そのまま後ろに倒れた。
息苦しいほどの静寂が訪れた。
いつか読んだ本に書かれてあった『スタンガン』の記述を信用すると、こいつの効力はおよそ二~三時間。それだけあればここから逃げることができる。
しかし、逃げるにしても…
タクはどうしてるのだろう?
さっきの悲鳴はユカの声だったような気がする。
タクとユカは『ハルユキの共犯者・アイコ』と一緒に駐車場に向かった。
二人が危ない。
大介は立ち上がった。
マサまでやられてしまった。
俺もかなり重傷だけど。
足に力が入らない。
どく、どく、どく。
背中がじんじんと痛む。
肩の感覚はもうほとんどなくなっている。しかし腕を動かそうとすると、思い出したように痛みが走る。
病人のような足どりで、大介は歩く。
ともすると白く霞んだようにぼやける世界の中を、彼は必死で歩いた。
催涙スプレーを拾った茂みを越え、フェンスを通りぬけ、自動販売機の前を通り。トイレの前を過ぎて…
え?
トイレを通りすぎるとき、視界の隅に何かが映った。
何か。
とてつもなく、いやなもの。
うすぼんやりとした明かりに照らされて、『それ』はあった。
タク。
大介はタクのそばにすわり込んだ。
タク。
彼はもう息絶えていた。
仰向けに倒れた腹から、二本の矢がつき出ている。
矢の先はこちらを向いているから、おそらくは後ろから射たれて、倒れたときに矢が身体を貫通したのだろう。
それでも彼の表情は柔らかだった。
何かを達成したかのような、満ち足りたような表情。
彼はユカのことを想いながら逝ったのだろうか。
そうであって欲しかった。
恐怖に震え、絶望に打ちのめされて死んでいったなんて、残酷すぎる。
月あかりの下、ユカと手をつないで歩いていたタクの姿が一瞬浮かんで消えた。
タクの死に顔がぼやける。
涙でぼやけたのではない。目の焦点があわない。
大介は軽く頭を振った。
ユカちゃんはどこだろう。
アイコの奴はどこに隠れている…
まだ終わってない。
戦わなければならない。
大介はタクの周囲に武器になるものがないか探してみた。
何もみつからない。
まさかタクの身体に刺さった矢を抜いて戦うわけにもいかない。
背後から甲高い奇声が聞こえた。
大介が振り向くより早く、女子トイレの入り口から飛び出した小さな影が木刀を振り下ろした。
大介は反射的に頭をかばった。
傷のある肩口に凶器が当たる。
身体がばらばらになるかと思えるほどの痛み。
大介は残された力をふりしぼって影に組みついた。
 木刀が撥ね飛ばされ、茂みの向こうに飛ぶ。
 組み合った二つの影が、もつれながらベンチ側に転がった。
 影が大介の上にのしかかるような形で動きが止まった。
 月が雲間から姿をあらわし、影の顔に光があたる。
 悪鬼のような形相のアイコが大介をにらみつけている。
 決して重いとはいえない彼女の体重を跳ね返す力がもうない。
 小柄な殺人者の両手が大介の喉元をぐいぐいと絞める。
 締め上げる。
 この身体のどこにこんな力が隠されているのだ。
 ぐい、ぐい、ぐい。
「死ね。死ね。死ねホモ…」
 相手の腕をとって、ひねるとか、ふりはらうとか…
 それだけでいいんだろうけど。
 腕が動かない。
 意識が遠くなる。
 目の前に白い世界が広がる。
 あのとき、お前が見たのは、こんな風景だったのか?
 モリモト…
 頭の上のほうで『あの音』がした。
 ひょん。
 大介の首を締め上げる力が急に抜けた。
 きりきり。
 白くかすんでいた視界が色を取り戻す。
 馬乗りになったアイコの肩に矢が刺さっている。
「タクちゃんの仇だよ」
 ユカの声が聞こえた。
 ひょん。
 次の矢は血まみれのアイコの腹に。
 きりきり。
「タクちゃんを返してよ!」
 ひょん。
 肩と腹にボウガンの矢を喰らい、アイコが苦痛の叫び声をあげた。
 三本目の矢はその口の中に飛び込んだ。
 叫び声はその異物によって行き場を失った。
 ごっ。
 声かわりに彼女の喉からあふれ出る大量の血。
 真っ赤な『命のかけら』が容赦なく大介に降りそそぐ。
 アイコの手がじたばたと何かをつかもうとしているように動く。
 彼女が最後につかもうとしたものは一体何だったのだろう。
 異様なうめき声を残してアイコはゆっくりと仰向けに倒れた。
 憎悪に歪んだ表情のまま。

 大介は首をしめられていたときの態勢のまま、動くことができなかった。
 おそるおそる近づいてきたのはユカだった。
「大介さん…」
 大介はゆっくりと起き上がった。
 いや、ゆっくりと動くことしかできなかった。
 体中の筋肉や関節が悲鳴をあげている。
「ユカちゃん、ごめん。マサ、やられた」
「タクちゃんも…」
「うん」
「それに私、この子を殺しちゃった…」
 二人は同時に倒れているアイコに目をやった。
 目を見開き、歪んだ表情のまま息絶えた少女。
「仕方ないよ。やらなきゃやられてたよ、俺たち…」
「うん…」
 哀しげな表情でユカはうなずいた。
「さあ、行こう。ここを出て、人を呼ぼう…」
「フェンスのところから出るの?」
「いや、メインゲートのほうに行こう。もう少ししたら、門が開く」
 二人は立ち上がろうとした。
 そのとき。
ゲートの方向から、奇妙な音が聞こえてきた。
 からん、かららん、ずるずる。
 からん、かららん、ずるずる。
ハルユキ…
スタンガンの電圧レベルが低すぎたのだろうか。
おそらく、鉄パイプを杖代わりにして、ゲート横からこちらに向かっているのだろう。
からん、かららん、ずる、ずる。
「ユカちゃん、ボウガン…」
「もう矢がないよ。どうしよう」
「俺も、もう何も持ってないよ…」
 催涙スプレーもスタンガンもない。
 自分のこの傷では、もう戦うことも逃げることもできない。
 からん、からん、ずる、ずる。
 それでも、いや、『だからこそ』大介の頭の中は冷静だった。
「あのさ。ユカちゃん…」
「え?」
 からん、からん、ずる、ずる。
「こんな時に変なこと言うけど」
「うん」
 からん、からん。
「もしもさ、もしも、助かって、ここから出ることができたら…」
「うん」
 ずる。ずる…
「もう一度、改めて、会ってくれないか。友達として…」
「いいよ。当然じゃん」
「俺、こんなだし、ホモだし。だけど、なんか好きになったみたいなんだ。ユカちゃんのこと」
「私、女っぽくないからね。だから気に入ったんじゃない?」
 からん、からん。
「何て話してるんだろうね、俺たち。こんな非常事態に」
「いいじゃん。追い詰められないとこういうことって言えないんでしょ、オトコノコって」
 ユカの言うとおり、こんな状況にでもならないと、言えなかっただろう。
 それでも言えた。
 これで、本気で守ってあげることができる。
 ユカちゃんのことを。
 タク。君の代わりに。
「俺があいつに飛びかかる。その間に横を走り抜けて、正面ゲートまで走れ。そこで大声で叫ぶんだ。人を呼んでもらって、大騒ぎするんだ。そうすれば、きっと助かる」
 ユカはうなずいた。
 藍色から青に変わりつつある風景の中に、異形の怪人が浮かび上がった。
 鉄パイプにもたれかかるように立ち、右手に牛刀を持った『ハルユキ』。
 彼の視線が少女の死体のあたりで止まる。
 悲しみとも怒りともつかぬ叫び声が白みはじめた空に響く。
 男は鉄パイプを捨て、両手で凶器を構え直した。
 やっぱり、逃がしてくれるつもりはないらしい。
 でも、いいんだ、別に。ユカちゃんさえ助かればそれで良い。
 走って、あいつに飛びかかる。
 勝算は、ないわけではない。
狙いは奴が軽くひきずるようにしていた右足。
『奴』が刀を振る前に、そこにとびつくことができれば。
 いや、身体のどこをどう斬られたとしても、身体の一部分だけでもそこにぶつけることができれば。
 ユカは助かる。
「同時に走るぞ。さん、にい、いち、行け!」
 大介は最後の力をふりしぼって走った。
 ハルユキに向かって。
 ユカを助けたい、それだけを願いながら。
 大介は大声で叫んだ。
 哀しげな笑みをうかべながら。
 ハルユキも大介の叫びに呼応するように雄叫びをあげた。
 二つの影が近づく。
 少し遅れて、小さな影が走る。
 二人の男の骨どうしがガツンと当たる音があたりに響いた。
やがて全ての音は公園の木々に吸い込まれていった。

 白みはじめた空に向かって、公園を根城にしていた鳥たちが飛ぶ。
 公園はもう静寂をとりもどしていた。
 

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エピローグ

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「春日公園事件。二〇××年×月×日、春日公園陸上競技場で、若者数人が殺される事件が発生した。被害者の多数はこの公園で問題行動を起こしていた少年グループ。この公園でたむろしていた同性愛者三名も被害にあった。この事件について語ろう」
「〇〇一『名なしさん』スレ一番のり。この事件って、なぜか実名報道されてないよね。被害者少年がホモ狩りしてたんでしょ。そういう奴らって罰が当たったんじゃないの?」
「〇〇二『テポドンさん』ホモのほうに天罰くだって、少年たちはむしろ巻き添え。ホモの奴らには生きる資格なんてなし」
「〇〇三『ポン太さん』そういう言い方ないぞ。ホモ狩りとかのほうがよくないだろ」
「〇〇四『ゲイバッシャーさん』ここにもいたよ。ホモ擁護派のくだらん人権主義者が」
「〇〇五『テポドンさん』ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい。ホモは死ね。気持ちわるい」
「〇〇六『大統領さん』〇〇五みたいな奴ほっといたら荒らしはじめるで。管理者削除権はよ使え」
「〇〇七『のっぺらぼうさん』被害者の少年グループってどんな子たちだったんだろう」
「〇〇八『ロリロリ仮面さん』一人だけ生き残った女の子ってけっこうかわいい子だよ。もう消されたけど、別の掲示板に顔写真載ってたぞ。ミニスカが似合うかわいい子。萌えー」
「〇〇九『名なしさん』この板にもいたか。変態ロリコン男」
「〇一〇『メフィストさん』殺されちゃった子もレベル高いぞ。リーダーって子のそばで殺されてた子なんか超タイプ。死体でいいから抱きたかったよーん」
「〇一一『スパークさん』その子の死体検死写真が流出してネットに出たってホント?」
「〇一二『アルトさん』あれはガセみたい。コラージュだったらしいよ。ってか、〇一〇の奴危なすぎ」
「〇一三『ジョーダンさん』殺された女の子って、たぶん知ってる子だと思う。中学のいっこ上の先輩で、バスケやってた子。高校は行かなかったみたいだよ」
「〇一四『のっぺらぼうさん』グループの男の子のうちの一人が、知りあいかもしれないんだけど、何か情報もってる人いませんか?」
「〇一五『ユンゲルさん』グループの首謀者はよく知らない。でもナンバー2とかいう子は同級生だった。サッカーやってた写真が週刊誌に出てた子。なんかすげえいじめられてたよ」
「〇一六『チョンチさん』バスケがリーダー。サッカーがナンバー2。あとデブのキモい子と中学生が被害者。犯人はラグビーやってた高校生。この子も死んだんでしょ?なんかスタンガンでふらふらになってるところにタックルされて、頭からぶっ倒れて、そのまま脳挫傷か何かで死んだってネットのニュースで見たけど。事件のあと入院した大学生はホモだったんじゃなかったっけ?」
「〇一七『ゲイバッシャーさん』そいつも人生終わりだな。日本中にホモがばれたから、どこに行ってもいじめられるぞ。いい気味だ」
「〇一八『テムテムさん』でもそのホモの大学生、消えたらしい。そいつの通ってた大学の子に聞いたけど。大学やめて、引っ越したらしいぞ」
「〇一九『薔薇さん』僕は同性愛者だけど、ゲイだからってバッシングする奴らのほうが変だし、歪んでると思う」
「〇二〇『のっぺらぼうさん』サッカーやってたっていう男の子のこと、詳しく知ってる人いたら教えて」
「〇二一『ゲイバッシャーさん』〇一九死ね。バカホモ」
「〇二二『テポドンさん』ホモはホモ板に行け。ここはまともな人間が集まる場所だ。ホモ来るな」
「〇二三『スマイルさん』別にいいじゃん。ホモが来たって。嫌なら〇二一・〇二二が来なけりゃいいんだよ」
「〇二四『ネムネムさん』〇二〇さん、俺は男の子の同級生でした。彼はクラスでいじめにあって、登校拒否になって学校やめた子です。そいつの母親、包丁もって学校にどなりこんでくるような危ない親だった」
「〇二五『スイングさん』危ない親だったんだ。危ない親の息子はホモ狩りかいな。できすぎだね」
「〇二六『のっぺらぼうさん』〇二四ネムネムさん、もっといろいろ聞きたいんで、直メしませんか?よかったらアド教えます。一五六×四十八×十八。女子高三年生です」
操作中止。
『接続を切断しますか?』
 クリック。
 もうかなり長い時間、パソコンに向かっていたような気がする。
 私は椅子に座りなおし、深呼吸した。
 のっぺらぼう。それが私のハンドルネーム。
顔のない女。あの子を失ってから。
 もうすぐ、全てがわかる。
 何故、マサがいじめられるようになったのかが。
 マサ。私のマサユキ。
 私があなたの仇をとってあげる。
 あなたがコウコウを退学すると言い出したとき、私は包丁をもってガッコウの職員室まで行ってあげたよね。結局、ガッコウの「イジメなどなかった」という見解は変わらなかったけど。
 私はあなたが変わっていくのを黙ってみているしかなかった。
 でもね。
 私は知っていたの。あなたたちが何をやっていたか。
 あなたのケータイやパソコンのアクセス履歴から、あなたたちがいつも使っていたチャットルームのアドレスを知った。
 私はこっそり自分専用のパソコンを買って、あなたたちがどんな話をしてるのか、ずっと見ていた。ゲイ専用の掲示板にいろいろな情報を流したのも私。私はあなたの『狩り』のために、すてきな獲物を確保してあげていた。
 ゲイだとかホモだとか。そんな連中を『狩る』ことで、あなたが幸せになれるんだったら、それでいいと思っていた。
 だってあなたは私のタカラモノだもの。
 それなのに、あいつらがあなたをあんな目にあわせた。
 汚らわしい同性愛者たちとバカな若者たちが。
 だからね。
 だから私は決めたの。
 罰をあげるの。あいつらに。
 まず、あの公園に出入りしているホモの人たち。
「あの日」、生き残ったホモの大学生君。彼は特別。とびきりの罰をあげる。
 不公平でしょ。あのホモの大学生だけが生き残って、今も息をしてるなんて。
 それから、マサくんを誘ってくだらない狩りをしていたグループの生き残り。あの夜、一人だけ助かったバカ女。
 そもそもあの女がマサくんを誘惑したからこんなことになったの。
 だからホモ大学生とバカ女には、マサくんと同じ苦しみをあげる。
 素敵だよね。マサと同じように殺してあげた二つの首が、一つのテーブルの上に並ぶの。
 テーブルは花をあしらったように真っ赤に染まるんだよ。
 次は、マサくんの同級生たち。コウコウで、マサをイジメのターゲットにしたクラスメート全員。
 ひとりひとりの首を斬ってあげることはちょっと無理だろうから、同窓会か何かを名目にして、一つの会場にみんなを集めて、料理に毒を入れて。
 あなたをいじめたみんなが死んでいく様子を、あなたの遺影が見てるの。
 素敵だよね。
 考えただけでぞくぞくする。
 その日までに、即効性の毒薬と、切れ味のいい刃物を用意しておかないと。
 心配しなくてもいい。欲しいものは何でもネットで手に入る。

 私は再びマウスを握った。
更新、クリック。
「〇ニ七『ネムネムさん』のっぺらぼうさん、アド教えてください。サブアドでもいいよ。よかったら会いたいな。よろしくね」
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「〇ニ八『のっぺらぼうさん』簡易メールだったらこの掲示板から送れるみたいだから、アド交換しようね。よかったらネムネムさんの同級生の子とかにも会いたいな。詳しくはメールで。よろしくお願いします」
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