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−4ー

大蔵ヒルズ野外コンサート会場は大勢の聴衆で賑わっていた。もうすぐ日は西に沈む。オレンジ色の初夏の夕焼けは、肌をじりじりと焼いてゆく。
 僕はすり鉢状になったコンサート会場の、真ん中辺りの階段席に座っていた。早めに来たのでいい席が確保できたのだ。
 コンサート会場のあちらこちらに募金箱がある。しかし、基本的に入場料無料のチャリティコンサートという事で、周りを見回すと、普段はクラシック音楽など聴いた事もなさそうな人達もかなり見かける。
 デートのついでに立ち寄った若いカップルは、おしゃべりに夢中になっている。ベビーカーに子供を乗せた奥さんは、泣きじゃくる子供をあやそうとジュースを飲ませている。その隣の太った男性は旦那だろうか。さっき露店で買ってきたらしいジャンボフランクフルトにかぶりついては、口をもしゃもしゃ言わせている。
 階段席の上は芝生席になっていて、更にその上は通路である。そこには所狭しと露店が並んでいる。焼きそばや、イカ焼き、トウモロコシなどを焼く芳ばしい香りが僕のところまで漂ってきて、おもわず食欲をそそる。そんな賑わいは、どこか懐かしい下町の縁日を思わせた。
 今日のプログラムは、オオザワ・セイジ率いるニッキーランド・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。共演は今人気急上昇の若手ヴァイオリニスト、エミー宮本。それに世界的なチェロ奏者のヨー・ヨー・丸という豪華なものだ。
 夕日が名残り惜しそうに沈みかけ、西の空が血のように赤く染まる頃、場内アナウンスがあり、コンサートが始まった。会場からの拍手と共に楽団員達がそれぞれの席についてゆく。そして全ての団員が席についた後、いよいよメインキャストの登場だ。
 オオザワ・セイジとエミー宮本が舞台袖から現れた。
 待ってましたとばかりに、会場から割れるような大きな拍手が送られた。満面の笑みを浮かべて、オオザワとエミー宮本は観客席に向かって深々と一礼した。そしてオオザワが笑顔でエミー宮本に何か一声かけながら、ひょいと軽いステップで指揮台に上がった。会場は一瞬にして静かになった。
 エミー宮本は長い艶やかな黒髪をさらりと手で払い、愛器のストラデイヴァリウスを構える。オオザワはリラックスした両腕を、ゆっくり胸の高さにセットする。準備完了だ。
 全ての楽団員達は、「いつでも来い」とでも言うかのようにオオザワの指揮棒に集中する。それまで微笑んでいたオオザワの目が、一瞬険しさを見せたかと思うと、傍らのエミー宮本に素早く目線を移す。「スウッ」と息を吸い込み、その直後柔らかく、ふわり、と腕を振り下ろした。
 どこか物悲しく、郷愁を思わせる旋律が流れ始めた。それはエミー宮本の華奢な体と同じで、あまりに儚く美しいメロディだった。鍛え抜かれたオーケストラは、彼女のヴァイオリンをどっしりと重々しいタッチで支える。会場は音楽の天使達が舞い降りたかの様な厳かな雰囲気に包まれた。
 コンサート会場の所々には、黒いサングラスをかけた男達が警備員のように立っていた。ゆっくりと周囲を見回っている。もう初夏で暑いだろうに、ご丁寧に黒いネクタイと黒のスーツを着用している。皆、頭はスキンヘッドだ。そして手のひらサイズのトランシーバーを片手に持っている。
 階段席の一番後ろの席、中央に腕組みをして立っている女がいる。ハンバーガーショップで見かけた金髪の黒いサングラスの女だ。タイトなミニスカートから惜しげもなく美しい脚を見せ、会場を見下すかのようにゆっくりと視線を移動させている。
 やがて女の視線がピタリと止まった。その先を辿ってゆくと、若いカップルがいた。
「きゃははは!! 信じらんなぁ〜い、ジュンちゃん、そこ、ダメだってばぁ〜」
「いいじゃん、ねっ、先っちょだけ。ねっ、ねっ」
 金髪の女はその様子を確認しながら、トランシーバーを口元に当てると何か喋った。とたんに黒スーツの男達が反応した。じゃれ合っている若いカップルに、黒尽くめの男達四人がサッと駆け寄った。口にガムテープを張る。次の瞬間には軽々と持ち上げた。そして会場の外に何台も停めてある、ニッキーランド行きの直行バスに放り込んだ。
 金髪の女はその後何度も指示を出した。その都度、黒い男達が現れ、何人もの人達がニッキーランド行き直行バスに放り込まれた。
 結局、次の共演者であるヨー・ヨー・丸の演奏が終わるまでに、百組以上の観客がバスに放り込まれていったようだ。僕はこのコンサートは何回も来ていたので大丈夫だったが、中には途中で怖くなって逃げ出そうとする客がいた。しかし、少しでも逃げ出そうという素振りを見せたものは、残らず屈強な黒尽くめの男達によって駆除されていった。

 陽はすでにとっぷりと暮れていた。
 暗闇の中、スポットライトを浴びた指揮者のオオザワは、アンコール曲の前に、聴衆に向かって挨拶した。肩で息をしながらオオザワはマイクを持って話しかけた。
「ここにお集りの皆さん。本日は、最後まで、ご無事に、私たちの音楽を、お楽しみ頂き、有り難うございます。皆さんは今日、素晴らしい体験をされました。それは皆様が、この世界で、生きるに値する、貴重な人種である事を証明したからです。皆さんの勇気に、そしてニッキーランドの、今日の繁栄を支えてくれた、あまたの食用に供された人達の霊を慰めるべく、この曲を捧げます」
 オオザワはマイクを置くと、オーケストラの方に向き直った。すでに体力を消耗し切っていた。顎からはぽたぽたと汗が滴り落ちている。しかし目だけはオーケストラを力強く統率しきっていた。
 地平線を撫でるようにオオザワの腕が開かれた。目を閉じ、天を仰ぐ。そして指先が、音の魂に優しく触れる様にそっと動いた。
 やがて微かな、しかし、地の底から湧き上がる様な音楽が生み出された。芳醇なハーモニーは会場を満たしてゆく。多くの魂を鎮めるように、美しい星空のもと、オーケストラの奏でるハーモニーは、巨大な音のモニュメントのように揺るぎなく天に昇っていった。


−5−

 主任は椅子に反っくり返ってテレビモニターを眺めていた。大蔵ヒルズ野外コンサートの模様が中継されていた。彼は特にクラシック音楽のファンではなかった。この地域ではテレビは3つのチャンネルしか映らない。他の二つはニッキーランド主催の政治討論会と、ニッキーマウス出演の子供向けの教育番組をやっている。
 やがて主任は一枚の写真を手にとって眺めた。
 そこには彼の愛する妻と、そして何より大切な二人の愛娘が写っている。二人の娘はどちらも写真の中から主任に向かって、笑顔でピースサインを送っている。
「お幾つになられたんですか? ユイちゃんとケイちゃんでしたよね」
 横から助手が写真を覗き込んだ。
「九歳と六歳だよ」
 主任は顔をほころばせながら応えた。
「へぇ〜、そうかぁ〜、もうそんなになるんですね。確か前に、ピクニックでお会いしたときは、上のユイちゃんもまだ小ちゃかったですよね」
「ああ、あれからもう三年だ。子供なんて、あっという間に大きくなるもんさ」
 主任と助手は、二人共に三年前、このニッキーランド大蔵ヒルズスタッフとして転勤してきたのだ。助手はまだ独身だ。主任は単身赴任である。
「早く帰って会いたいでしょ?」
 助手は主任の心を見透かしたように微笑んだ。
「まぁ、独り者の君には分らないだろうがね」と主任は、少しはにかんだように写真を見つめる。そして写真を大事そうにパスケースの中に挟み込んで、作業服の胸ポケットにしまい込んだ。
「まぁ、君も早くいい嫁さんを見つける事だな」
 そう言って主任は助手の肩をポンと叩いた。主任の言葉には、一家を支えているのは自分だと言う自負と頼もしさ、そして二人の子供に恵まれた満足感に満ち溢れていた。
「まあ、僕は当分、独身貴族を満喫させてもらいますよ」
 助手はニコニコしながら、頭の後ろに手を組んで椅子に背を持たせかけた。

 「ヴィィィィー、フォン、フォン、フォン、ヴィィィィー」

 二人の頭上にあるブザーが鳴り、赤いランプが点滅した。
 コンサート会場からの直行バスが、今、着いたのだ。
「さあて、一丁やるかぁ〜」
 主任はおもむろに椅子から立ち上がった。目の前にある制御盤の向こう側はガラス張りになっていて、食肉製造ラインの様子が一望出来た。隣にいた助手も体を起こして、様々なスイッチや、計器や、レバーなどの並んだ制御盤に向き直った。製造ラインに横付けされた大型バスからは、これから処分される個体が次々と工場内に運び込まれてゆく。
 主任はいつもの手順で助手に指示を出す。
「安全ロック解除」
助手はカバーを開けて中の赤いスイッチを押す。
「安全ロック解除しました」
「よし、コンベアー運転開始」
「コンベアー運転開始します」
助手がいくつかのレバーを順番に手前に引いてゆく。やがて、地鳴りの様なモーターの唸る音が、制御室まで響いてきた。
「ニッキーマシーン、オールグリーン! 投入準備完了しました」
助手は、主任の方を凝視する。
主任はじっと製造ラインを注視している。やがて意を決したかのように、重々しく命令を発した。
「よし、行こう。投入開始」
「投入開始します」
助手は制御盤中央の赤いレバーを両手でガクンと手前に引いた。
すると、製造ラインの巨大なロボット達が、それぞれ独自の動きを始めた。あるものはチョン、チョン、と人体を輪切りにするロボットであり、あるものは人体を丸ノコで縦に真っ二つにするロボットだ。そのロボット達の頭にはニッキーマウスの顔がついていて、いつものにこやかな笑顔で人体を的確に処理していった。それらのロボットが、おのおの一定のリズムで規則正しく動く様子は、どこかコミカルで、まるで遊園地のアトラクションのようであった。
 制御室のつけっ放しのテレビモニターは、まだ屋外コンサート会場の様子を中継していた。スピーカーからはアンコール曲の静かな響きが流れてくる。
「G線上のアリア」
 それは儚くも美しいメロディだった。音楽は制御室にいる助手と主任を包み込んだ。更には製造ライン全体をも包み込むかのようであった。
 やがて、テレビモニターはコンサート会場の夜空を映し出した。
 画面の中央に丸い月が映っている。アンコール曲が流れる中、番組終了のアナウンスが流れた。

「この番組は、”人肉バーガーで、世界をひとつに” ニッキーランド、並びにヒューマンバーガー社がお送り致しました」
 アナウンスが終わると、トレードマークのニッキーマウスが現れた。健康的な笑顔を画面いっぱいに振りまく。
「G線上のアリア」は満月の夜空、何億光年の向こうに届きそうな程、澄み切ったハーモニーで奏でられている。
 そこには静かで永遠の平和があるかのように思われた。
 漆黒の夜空に映える満月。
 それはまるで、ニッキーマウスの笑顔のように、どこまでも丸かった。
(了)


奥付



人肉バーガー⑵


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著者 : 天見谷行人
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/mussesow/profile


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