目次
第一章 秋の終わりの長い一日
第二章 北の部族
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第三章 黒の宰相
第四章 レセクルとエスクロル
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第五章 王国の闇
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第六章 後継者
第七章 嵐の前
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第八章 二人
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第九章 前夜
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第十章 鳥の巣
第十一章 鳥の目覚め
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第十二章 クラコワ攻防
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第十三章 ロンダルト回復
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第十四章 休 息
第十五章 それはまた違う戦い
第十六章 ロンダルト陥落
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第十七章 悲 劇
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真下魚名の既刊
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 秋の終わりの長い一日。
 
 長い日差しが幾筋かの光の帯となり、窓から壁際までの空間を
斜めに切っている。
 
 その部屋の一面は、人の生業にはもう長い間背を向けたままなのだろう。
干からびた文字と革の変色した古い書物が整然と納められていた。
 
 窓から差し込んだ光はその足元に届くあいだ、幾多の浮遊物を空中に
きらきらとさせ、緩やかに立ち上っている。それらはこの部屋にあって
既に千年近くを経ているかもしれない。
 
 まるで影だけが動いているかのように、給仕の男が食前のささやかな
飲み物をささげたとき、若い男の顔は光の中にあり、老いた男は薄暗く、
やに色の鈍い照り返しを受けていた。
 
 オルクサンは、目の前に座っているこの古臭い親族と、王国の命脈の
長さからすればほんの瞬きに近いこの時間をともにするだけで、自分も
また湿気たかび臭い石の下に埋められてしまうような、陰鬱な気がした。
 
 北の古王国を治めるカラバ公は、その歴史の澱を凝り固め、人の型に
したような人物である。
 
 オルクサンのように、新王国の世継ぎとして、世の流れや未来を見通
そうとするものにとっては、なんともそりの合わない、 —その年の差を
考えにいれたとしてもなのだがー 、二人の間には、体型の合わない衣服
に、袖を通すような違和感が付きまとうのであった。
 

 この会談は、いつもながらにオルクサンが主導し、それに
カラバ公が応える形式で進められた。
 
「東方では、ながく主なき統治の時代が続いていましたが、
 このところは、名も知られなかった部族の、まだ誰とも分からぬ
 首領が、周囲の小さな部族を力によって支配下に組み入れています。
 四、五年もすると一つの国を名乗るかもしれません。」
 
 
 オルクサンの起居する南のロンダルトを、さらに南下すると海に
行き当たる。
交易の船が、西へ東へと帆を上げれば、東から西からは、荷物と商人と
噂話が帰ってくる。そんな話のうちのひとつが、宮廷人の口を賑わす
こともある。
 しかしその話題は、北の王、カラバ公の興味をあまりひかない
ようだった。
 
「それはだな、河の流れに浮かぶうたかたのように、興こっては消え、
 また新たに興こっては消えることを繰り返すものだ。
 民族というものは、そうした興亡を幾度と無く繰り返す。」
 
 公の、それなりに長い人生の中で、同じようなことが西や東の
諸国の間で何度かあった。
 
「そうであったかもしれませんが、この国を脅かすような存在と
 なることが、まれにはあるかもしれぬではないですか。」
 
 その言葉の中には、これだから年寄りは困るのだ、という
オルクサンの嘆きがある。
 
 公の人生は、あと十年か長くても十五年。けれどもオルクサンは、
これから五十年近くの長きに渡り、新王国で生きなければならない。
 行く末の長さを比べれば、その感じ方の違いは、いたし方無いこと
かもしれない。
 
 
「この千年の長きにわたって、我々を悩ませたのは北方の遊牧民族
 であった。しかしその憂いも、いまは昔のことになりつつある。」
 
— 取り付く島が無いというのは、このことだな。のらりくらりと
躱される。まったく、、、
 
「まだ帰りませんか。奴は。」
いらだつ気持が、オルクサンの言葉の調子に出た。
 
 だがカラバ公は、その若いいらだちを一向に気にする様子も無かった。
「帰着すれば、何よりも先に、ここに来るのが習いだ。ここで待つのが
 確実でなによりも早い。」
と応じた。
 
— それは、そうなのだろうが・・・。なぜこの年よりは、・・・実際の
年齢よりも老けて見えるのだが、待つことが苦にならないのだろう。
老人というのは、そういうものなのだろうか。

「ところでイーリアスは、どうかな。」
 
—あの“おてんば”め、どこへ姿をくらましたのか。
 
「あのような年頃の娘には、こういう政りごとの話は退屈でしょう。
 中庭にでも出ているのか。それとも、ロンダルトの城の者の目の届
 かぬのをいいことに、何処かに出歩いているのか。
 もはや私の手にはおいかねます。」
 
 手に負いかねる、というのは事実その通りだった。イーリアスが
古王国に来なければならぬ理由など、何もなかった。が、何かにつけ、
付いてくる。
 
 宮廷の、とある事情により、王家のおかれた立場は蓮の葉の上の
水玉のようであった。一見美しく見えるが、風が吹けばこぼれ落ちる。
乾けば干上がり、消えてしまうやもしれぬ。
 
 なので、宮城に置き去りにするのは可哀想と連れ出したのだが、
それが仇となったかもしれない。
 しかし、だからといって、今更どうなるものでもなかった。
 
「あれはよい娘になったものだ。」
カラバ公の目が細められた。
 
「そろそろ、嫁ぎ先を見つけてやらねばならないのですが。」
「お前のような兄だと、相手の腰が引けて、なかなか成らぬのでは
 ないか。仮になるような話であったとしても。」
 
 冗談のつもりか、カラバのジジイにしては珍しい、と思った。
 
 オルクサンはそう思ったが、カラバ公が冗談一つ言わない堅物か
といえばそうでもない。
 カラバ公にとっても、ロンダルトとの関係は微妙な神経を使うこと
だった。それには、オルクサンにも関係する、ある男の存在が影を
落としているのであるが、その登場はもう少し後になる。
 
 まぁ、話しづらいのは、“お互いさま”のことなのだ。
 
 
 オルクサンは、その軽口をどういう風の吹き回しかと思いつつも、
「卑しくも王国の姫ともなれば、それに見合う縁談はなかなかありません。
 他国にも今は適当な王子は無く、貴族どもの中から選ぶとなると、
 それはそれで宮廷内の勢力争いの火種になりかねません。」
 
「ふむ。ロンダルトは特にそうだろう。宮廷での勢力争いと政りごとが
 混乱しておる。嘆かわしいことだ。」
 
 カラバ公は、白い髭の先を指でいじった。
 それで妙案が浮かぶというわけではないが、髭というのはそういう
役割も持っている。
 
 この一件に関しては、カラバ公はオルクサンに同意らしい。ただ、
言葉ではそう言うが、本心はあまり気にしていないようにもみえる。
 
「何よりイーリアスに、その気がないというか・・・。」
 と言ったあと、まだ子供の気質がぬけないからとでもいうように、
肘掛けに載せた腕を立て、黒く波打った髪の横で手の平を開き、
首を振った。
 
「そんなことをいっている間に、婚期は過ぎるぞ。」
「いや、そうではなく、どうも意中の者が居るとか。とはいえ
 口さがない侍女たちの噂話しですから、まことのところは分かりません。
 私が問いただしても、兄には関係ないの一点張り。
 王位継承者としての自覚も何も、あったものではありません。」
 
「なんと、お前の意のままにならぬは、先ほどの東方の国々だけでは
 ないということか。」
 カラバ公は、オルクサンの、“ままならぬ”という様子に愉快そうだった、が。
 
「是非にも、お忘れなき様。
 ことが起こった暁には、古王国と新王国。合わせて向かわねば
 なりません。新王国の都は、平和の都。けして守るには適しては
 おりませぬゆえ。」
 と、話しが元に戻ったところを捕らえて、言わねばならぬことを
割り込ませることを、オルクサンは忘れはしなかった。
 
「分かっておる、そのために我が公家が古王国をおさめ、わしがここに居る。」
 
 ー 存外、くどい男だな。この王子は。
 
食前酒を飲み干しながら、公は、そう思った。

 王国は、およそ千年の昔、建国の祖アズール・イクン・ロンダベルが、
弓と剣と智謀によりいまの古王国の原型を築いた。
 
 以来、四十世代にわたり、歴代の王たちが治世と拡張を続け、
広くなりすぎた領国をめぐり、貴族や王位の継承の絡んだ争いが、
しばしば起こった。
 
 王国の歴史が、陰謀と血によって書き変えられる時代が続くことも
珍しくは無い。こうした王国の混乱を収拾する形で、というのか、
分割統治により王権の支配力を高める目的で、南の新王国と北の古王国が
設けられた。
 
 そのとき王位継承者は南の新王国に遷都し、それから既に四百年の
歳月が流れている。
 
 新王国は、南は海に開け異国との交易も盛んで、温暖と肥沃に恵まれた
土地柄であるが、古王国は冬ともなれば雪も降り積もるし、山や渓谷や
森や湖沼も多く起伏に富んでいる。
そうした地勢は、それぞれに人の形質にも影響した。
 
 新王国の人々は楽天的で解放的なのに対して、古王国の民は総じて
保守的であり、純朴でもある。  
 
 古王国の首都クラコワは、町全体を三重の城壁が取り巻き、外敵の
侵入をたやすくは許さない。堅固な守りを誇ってはいるが、その対価
として、町が容易に拡張できないという欠点を持っている。 
 王家が南に去ったのは、王国の肥大化に比して、この旧都の拡張が
ままならないこともひとつの原因ではあった。
 
 クラコワはこの旧都の名前であり、古王国そのものを意味する名でもある。
 
 同じようにロンダルトは新王国の名称でもある。旧都には当時の王弟が
残り、公王として旧王国を支配した。その十二代目がカラバ公である。
 
 当代の公王にして最も旧王国的な人物。には、子が居なかった。
 
 カラバ公に世継ぎがないことで、彼がそのまま世を去ったからといって、
古王国がそのまま消滅するということにはならない。新王国と分離し、
長い年月を独自の歴史を刻んで歩んできた両国は、併合するには、あまり
にも異なる体制を築いてしまった。
 
 クラコワにはクラコワの貴族が居り、ロンダルトの宮廷にはロンダルトの
貴族が生息している。その枠組みを変えるとしたら、国を覆い尽くすかの
ような巨大な指導力か、歴史を変革させるような民衆のエントロピーが必要と
なるだろう。
 
 故に、カラバ公が亡き後は、いずれか王家の血を引くものが、この
古びた国と体制を引き継ぐことになるだろうと、王国民たちは考えていた。
 ただ、王家に若い息吹がないことは、彼らに、この国をいっそう
年老いたものに感じさせざるを得なかった。
 
 そして、公の口癖は、
「この国は、長い黄昏の中にある。黄昏の王国に風が舞っている。」
であった。
 

 木の軋む音、聞き様によっては厳かな音を立て、扉が開かれた。
 
 回廊に蓄えられた冷気をまとうかのように、銀髪の頭を深々と
垂れたのはカラバ公の側近中の側近、ハイアルト卿である。
 
「アレスミリアが戻りました。さきほど内城の門をくぐりましたので、
 まもなく・・・。」
と言い終えるころには、廊下の奥から急ぐような足音と、若い男女の
話し声が石壁に反響しながら次第に大きくなってきた。
 オルクサンもカラバ公も、まるで待ち焦がれた夕食が運ばれるのを
待つ子供のように、入り口に視線をやっていた。
 
「ただいま戻りました!」
それは、牢獄に持ち込まれた燭台の光のように響いた。
 
「これはオルクサン様、ご機嫌麗しく・・・。旅装束の見苦しさは
 お赦しください。
 カラバ様。ただいま戻りました。」
 
 アレス(またはアレスミリア)と呼ばれた若者は、そこまでを一息に
言ったあと、連れの娘を勢いよく振り返って言葉を続けた。
 
「お話の続きは、また改めていたしましょう。わたくしはカラバ様に
 ご報告しなければなりません。」
「わたくしも、聞かせていただいてはいけませんか。」
「そうではありませんが、姫には退屈ではありませんか、表向きの話など。」
 
ばら色にほほを上気させた姫は、まだその感情を秘することも、駆け引きもしなかった。
 
「よろしいのです。それよりも、さんざん待たされた上に、子供扱い
 されて追い出されるのではたまりません。」
 アレスミリアは、姫にあれこれ意見できる立場には無い。
 


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