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社会人ドクターにかかるお金

入学金:22万
半年分の授業料:28万

3年間で卒業する場合
22万+28万×6=190万

190万かかります。
そのほかには、社会人パワーを生かして関連書籍は惜しみなく買っていましたし(10万ぐらい)、
金で時間や集中できる環境が手に入るならば惜しみなく使っていました。

190万はいいとして、そのほかにも金をつぎこむのは、190万払った上に卒業できない、形としては何も残らない、という最悪の事態を避けるためです。

うまくいけば、成果が出て、国際会議に発表に行ければ、旅費分は研究費から出ますので、その旅費だけで半年分の授業料に匹敵する可能性もあります。

学会に行けば旅行ができる(笑)→そのためには論文を何としても書かなければいけない→結果として成果が残り、卒業も一歩近づく

という好循環を生み出すためには惜しみなくお金を使っていました。


社会人ドクターを始めるための決断

ドクターを始めるにあたって、やるかやらないかを決断しなければいけない。
社会人ドクターを始めるにあたっての決断であるが、決断というものはどうも大げさに考えられる傾向にある。
というのは、やるかやらないかのゼロイチ思考に陥ってしまっている人が多い。
本当はこの間に、自分は本当に何をやりたいのかを考える、どういう大学があるか調べる、勉強時間を確保するための日常生活の中での様々な工夫を模索する、などなど、決断する前にやるべきことは山のようにある。

社会人ドクターを始めるか否かに関わらず、人生の大きな決断となると、どうもそれをやるかやらないかに目を奪われて、こうした小さなステップの存在を忘れがちだ。
「やるかどうか考えている」、という表現がよく使われるが、本当に考えているだけでは結局は悩み続けるだけである。
私はここでいう「考える」というのは、上記で述べた小さなステップをこなすことであり、それをこなす中で、本当にその社会人ドクターをやりたいのかどうかがわかってくると考えている。
そのステップをこなす中でわくわくしてくるなら、それは本当にやりたいことであり、面倒くさくなるならば、それは実はやりたいことではない。
なんとなく現状に対する不満が、「社会人ドクターでもやってみようかな」という考えに現れただけである。

「調べながら考える」、この考えをおすすめします。


社会人ドクターになろうと思った理由

自分の性格は繊細であると思っている。
繊細というのは、傷つきやすいということでもある。
人が何とも思わないちょっとしたいやなことを、ずっとくよくよ悩み続ける。
現在著者は33歳であるが、この性格を、27年間本当にいやだと思い続けてきた。
例えば会社で、現場に配属され、6歳下の高校卒の同期に仕事でばかにされる。
耐えられない。屈辱だった。こんなに年下の人にばかにされるなんて。
おれはもっとすごいはず。
そう思い続けて、プライドを守るためだけに、よくわからずに資格にチャレンジしたこともあった。
そうして簿記3級、ビジネス実務法務3級、知的財産検定2級、第2種電気主任技術者、エネルギー管理士などの資格を取り続けた。
多少のプライドは満たされてきたが、まだしっくりこない。
それが大して仕事できることにつながらない。

でもあるとき思った。
自分が傷つかなかったら、こんなに努力しただろうか。
自分は傷つくことによって、それを克服しようと努力をする才能があるのではないか。
27年間いやだと思い続けた自分の性格を、裏返してみると、繊細だからこそ努力できるという才能とみることができるのではないか。
そしてそれを生かせば、一つのことに集中させれば、何かを達成させられるのではないか。

でもそれが何かはやっぱりまだわからなかった。
こうしたもやもやとした思いを抱えていたところ、社会人ドクターの誘いを受けた。
大変そうだからと一度は断ってみた。
しかし、もしかして探し求めていた、自分の力を集中させるべき何かはこれではないかと思い直し、社会人ドクターの入学を決意したのでした。


英語ができるようになるまで

現在、状況や内容にもよるが、1対1ならば英語で研究の話をできるぐらいの英語力はついた。
社会人ドクターを始めるまでは無理だった。
それまではTOEICを何度も受けた。
大体いつも600点前後をふらふらするようなレベル。
でもなかなかまともな会話はできなかった。

社会人ドクターになってからは、ドクターならば国際会議に一度は出たい、それに研究費で海外に行けるなら、授業料のもとをとれるかもしれない、このように思うようになった。
香港で行われる国際会議に論文を出すことにした。
はっきり言って論文を書くのに慣れているわけでもなく、国際会議への論文提出は無謀ではあった。
しかし、香港旅行という人参を目の前にぶらさげてひたすら論文作成をした。
やっとの思いで日本語6ページを書いたが、ここからが本番。
全日本語を英訳しなければならない。
最初は一文に下手をすると30分程度かかってしまう。
100文はあるだろうから、このペースだと絶対に終わらない、、
泣きそうになりながらもやり続けたら、だんだんとある法則に気づいた。
法則というほど大げさではない、英語をやるには超基礎の基礎、主語と動詞を見つけることである。
一文の英訳に30分かかっていたときにはあまり気づかなかったが、とにかくこの主語、動詞をみつけようとすると、その後の英訳が進むのである。
6ページ、100文の英訳をやる中で、自然と思考回路が主語動詞、主語動詞、という風に変わってきた。

やっとの思いで完成させて、無事に学会発表を行ってきたところ、学会での質疑はたどたどしいながらも沈黙になることはなかった。
そればかりか、ホテルのフロントとのやりとり、レストランでのやりとりなどに対するストレスが、以前より格段に小さくなっていた。
今までTOEICの対策本とかで勉強してきたのはなんだったのか、と思った。

振り返ってみると、本田直之さんの著書「レバレッジ英語勉強法」にもあるとおり、ある狭い範囲、今回の例でいえば論文を仕上げることに集中して勉強したのがよかった。
勉強というよりもとにかく仕上げるしかない状況に身を置いたのがよかった。
締め切りのプレッシャーとともに、強制的に一日に何時間も英語に触れた。
そのことがよかったのだと思う。

英語を話せる、話せない、と、これもついゼロイチ思考で考えてしまう。
しかし実際には、これの間にもいろいろある。
私も英語のニュースはたぶん聞き取れないだろうが、自分の研究についてゆっくりと1対1でしゃべる、ということはある程度できる。
つまり、英語ができるようになるには、ある程度限定された状況で練習し続けるのがよいだろう。

とりあえずはそれぐらいのレベルになれたこと、社会人ドクターをやってよかったと思った一つである。


締切効果を利用した研究の強制執行

社会人ドクターをやっていると、よくかけていただける声が、「よくそんな時間あるね。」という言葉。
たしかに。
冷静に考えるとそうかもしれません。
けど、仕事が増えただけと考えることもできる。
つらくても、仕事の締切はたいていはどうにかこうにか守ろうとするもの。
だったら研究も同じようにすればいいのではないか、こう考えた。
そして、一般的によくありそうな考えである、「成果が出たら学会発表」とか、「結果が出たら研究打合せ」という発想をやめた。
かわりに、「学会に出すことを先に宣言する」、「先生と打合せの約束を先にしてしまう」、という発想でいくことにした。

そうすれば、強制的に締切が設けられ、ある意味徹夜してでもやらざるをえない。
締切さえ決まれば、学会に出すには○日までに論文をださなきゃ、論文を書くには△日までには結果を出さなきゃと、スケジュールがある意味自然に決まってくる。
すると毎日睡眠不足である。
それはしかたがない。
逆に言えば、これをこなせば成果が出るのだから。

これを、「成果が出たら学会発表」の発想でいくとどうか。
今月は○○の業務で忙しいから来月からやろう。
来月になると、急きょ○○の業務が入ってきた、忙しい。
妻が体調を崩した。
子供が体調を崩したから治るまでは子供優先で。
昨日は懇親会で飲みすぎて体調が悪い・・
そもそも働きながら勉強するのに無理があるんだ。
やっぱり社会人ドクターなんて無理だったんだ。
いや、卒業を延期すればいいのでは?
もともと3年で卒業というのに無理があるんだ。
そうか、4年で卒業にしよう。
となると今はまだ余裕があるな。

いくらでも言い訳していつまでたっても終わらない。
強制的に締め切りを設けるから、何とかタイムマネジメントをし、家族を含めた体調管理に注意をするのです。
必要なのは、自ら強制的に締め切りを作り出す勇気。
一度設定してしまえば、あとは何とかなります。
その締切に対して成果が中途半端だとしても、設定しないよりは確実に研究は進んでいることでしょう。



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