閉じる


<<最初から読む

20 / 25ページ

20


「待って、エミリー」

 走り出しそうなエミリーの隣に、サリーは駆け寄って、肩を並べる。

「お願い。彼のことは私に任せて」
「ありがとう、サリー。でも、私が思っていた以上に、彼は追いつめられているみたいだから。まずは、私が話してみる」
「でも」
「大丈夫よ。一緒に来てくれる?」
「それは勿論」

 サリーは、自分がかなり焦っていることを自覚していた。
 この事態は、自分の油断による失敗のように思えて苦しい。
 もっとしっかりしていれば。エミリーのことをカスパーに任せたりせず、ちゃんと顔を出していたらと思えて仕方がない。

 そして、もうこれ以上、エミリーを危険な目にあわせたくなかった。
 エミリーのためなら、カスパーを警察に引き渡したって構わないと、心に決める。

「エミリー」

 ふらりと、細い路地から現れて、エミリーの前に立ちはだかったのは、カスパーだった。
 エミリーはぎくりと立ちすくみ、サリーも驚きに足を止める。
 カスパーは泣きそうな、怒ったような顔で、じっとエミリーを見つめていた。

「駄目じゃないか。外へ出ないでと言っておいたのに」
「ごめんなさい、カスパー。今、急いで戻ろうと思っていたのよ」
「サリーと会っていたの?」

 カスパーの視線が、エミリーの背後にいるサリーへと向かう。
 我に返ったサリーが、エミリーの肩に触れようと手を伸ばすと、カスパーは怒ったようにエミリーを自分の胸の中へと引き寄せた。
 どうしようか迷ったサリーを、エミリーが肩越しに振り返る。
 その目は、大丈夫だから、カスパーを刺激しないようにと言っていた。

 だが、このまま黙ってエミリーとカスパーを行かせることなど出来ない。
 どうしても、エミリーだけは保護したい。
 だが、カスパーを自首させたいエミリーが、それに応じるはずもない。

「エミリー、まさか」
「大丈夫よ、カスパー。仕事のことで、サリーと話す必要があったの」
「そうか」

 エミリーと話すにつれ、カスパーの表情に少し余裕が戻ってきた。
 微笑みらしきものさえ見える。

(どうして、一度でも、彼がエドに似ているなんて思ったのかしら)

 エドウィンはもっと強い人だ。
 余裕を失って、愛している女性にすがりついて堕落していこうとする男とは違う。

「話があるのよ、カスパー」

 サリーが言うと、エミリーがぎょっとした顔で振り返ってきた。
 カスパーは途端にまた余裕を失い、エミリーの肩をつかむ手に力がこもり、白くなった。

「エミリーは帰して。二人きりで話せない?」
「サリー」
「俺には君と話しなんてないよ」
「私にはあるの。そんなに時間はとらせないわ」
「サリー、明日では駄目?」

 エミリーがすがりつくような目で見ているのがわかったが、サリーはどうしても今ここでエミリーを保護したかった。
 追いつめられた弱い男が、エミリーにどんなことをするのか、わかったものではない。
 サリーは、カスパーを信用することなど出来なかった。

「ちょっと、すみませ~ん」

 エミリーとカスパーの背後、近づいてきた男が、この修羅場に気が付くことなく、のんきな声をかけてきた。

「ロッ……」

 ロッシュと名を呼びそうになって、サリーは慌てて言葉を飲み込む。
 エミリーとカスパーの二人をにこにこと見ているロッシュは、サリーに対して知らん顔をしている。
 その態度が、サリーの介入を拒否していて、とりあえずサリーも口を閉ざした。

「ちょっと時間いいですか? マジックに協力してくれるカップルをさがしてるんですよ」
「……マジック?」

 エミリーが、この急展開に呆然としている。
 それはカスパーも一緒で、そんな二人をいいことに、ロッシュは腕をつかんで、そのまま引っ張っていこうとしていた。
 そして、サリーはマジックという言葉に、ぎょっとして目を見開く。

「ちょっと!」

 サリーは慌てて、エミリーのもう一方の腕をつかむ。
 だが、ロッシュは止まらない。
 サリーとロッシュと、二人に引っ張られる格好になったエミリーが、困惑して足を止める。

「あ、あの、困ります」
「ちょーっとだけですから。変なことしませんし」
「君! 俺達はそんなことをしている暇は」

 カスパーが、ロッシュとサリーの腕を振り払い、エミリーを取りかえす。
 そんな二人に、ロッシュは情けない顔をしてみせる。

「お願いしますよ~。どーしても、未婚の若いカップルの協力がないと駄目だって、うちのマジシャンが怒るんですよ」

 と、肩越しに、視線を向ける。
 その視線の先には、結構な人だかりが出来ていた。
 人の輪の中心にいるのは、長身で金髪の男。顔の上半分をマスクで隠していたが、サリーには一目でエドウィンだとわかった。

「他の人にお願いして。この二人は忙しいのよ」

 サリーは身を乗り出し、強い口調でそう言った。
 この二人に、この事件に、エドウィンを関わらせるなんてとんでもない。
 エドウィンとロッシュが何を考えているかわからないけれど、それだけはさせられない。

 仁王立ちになって睨んでいるサリーを、ロッシュはあっさりと無視して、エミリーとカスパーに更に話しかける。

「うちのマジシャン、人気あんですよ~。で、毎週、未婚の若いカップルに協力してもらってですね、ちょっとしたマジックをしてまして」
「………」
「どうです? ちょっとしたプレゼントもありますから」
「いいわ」

 カスパーは態度と表情で断固拒否をしていたが、エミリーが承諾した。
 驚くカスパーの腕を引いて、ロッシュの後についていく。
 きっと、サリーと押し問答するよりも、まだましだと判断したのだろう。

 エミリーとカスパーを、人の輪の中心に連れて行くロッシュを、サリーは苛立ちと腹立たしさを抑えながら睨みつける。

(どうしてこんな余計なことを!)

 エドウィンはともかく、ロッシュはサリーの気持ちをよくわかってくれていると思っていたのに。

(もう!)

 悔しくて、ままならなくて、もうなにがなんだか、ぐしゃぐしゃで。
 じわりとわきあがってきた涙を、サリーは手の甲で乱暴にぬぐう。

 でも、きっと、ロッシュとエドウィンは、こちらの事情を知っている。
 その上で、何かしようとしているのだろうと思う。
 もう、それは始まってしまったのだから、こんな所で腹を立てている場合ではない。
 危ないことになったら、すぐに飛び出せるように、サリーは人混みをかき分けて(かなり嫌な顔をされたが)、前の方に出た。

21


「おや。ようやく、ロー君が今日のカップルを捕まえてきたようです」

 と、ロッシュとエミリー、カスパーの姿を認めて、エドウィンが言った。
 すっかりエドウィンのアシスタントになっているらしいロッシュが、頭をかきかき情けない顔をすると、くすくすという笑い声があがった。

「それじゃ、本日のメインイベントにうつるとしましょう」

 今まで両手の指にずらりと挟んでいたスポンジボールを、一瞬で消してみせる。
 それに対する観客達のどよめきを、あっさりと受け流し、エドウィンはその場に設置してある小さなマジックテーブルへと歩み寄った。

 どうやら、自分が魔法使いと呼ばれるマジシャンだということを、この場では隠しているらしい。
 顔の上半分をぴったりと覆うマスクは光沢のある黒で、目の色もわからないタイプのものだ。
 スーツの上着を脱ぎ、シルクの黒いチョッキ、白いシャツは胸元を開き、ネクタイもゆるめていて。
 それでも、エドウィンが整った顔立ちをしているのは隠せていなかったし、何よりも、やはり彼の持つ華やかさは隠せるようなものではない。

 道端でのマジックショーは、そこを通る人がもれなく足を止める事態となっていて、どんどん人の輪は大きくなっている。
 エドウィンのショーなのだから、当然だろうと思いながら、サリーは油断なくカスパーの動きを監視していた。
 エミリーは勿論、エドウィンにまで何かあったら、後悔してもしきれないだろうから。

「さて。それでは、この二人が本当に愛し合っているカップルなのか、確認しましょう」

 エドウィンは二枚のハート型な白い紙を取り出すと、観客に向かってひらひらと振って見せた。

「この紙は特別製。その名も、恋のリトマス試験紙!」

 観客の笑い声が収まると、エドウィンはその紙をマジックテーブルに置き、エミリーとカスパーの二人を手招いた。

「今から、この二人に、紙に手を置いてもらいます。気持ちが本当なら、赤い手形が。ちょっと問題ある場合は、青い手形が残ります。では、覚悟はいいですか?」

 二人の手を、濡れタオルで軽くしめらせると、エドウィンは紙に手をおくように促した。
 いつのまに、こんな仕掛けを用意したのだろうと、サリーは首をかしげながら、二人が手を置くのを見つめている。
 そんなサリーの横に、いつの間にか、ロッシュが来ていた。

「よお」

 そ知らぬ顔で、そんな挨拶をするロッシュを、サリーは睨みつけたくなったが。やめておいた。
 視線はエミリーとカスパーに向けつつ、口だけ開く。

「事情は知っているのね?」
「まあね。一つ、確認したいんだが」
「なに」
「彼女は、自分の意思で、捕らわれていたんだよな?」
「ええ、そうよ」

 サリーが答えると、ロッシュがエドウィンに目配せをした。
 エドウィンは小さく頷いてみせる。

「ってことは、自首の相談に呼び出された?」
「ええ」
「サンキュ。それなら、あとは、あの魔法使いに任せときゃいいよ」
「ちょっと」

 サリーは抗議したかったし、エドウィンとロッシュがなぜここにいるのか、その事情も聞きたかったのだが、ロッシュは聞くだけ聞くと、あっさり離れていってしまった。

「おおっと! 大変だ!」

 エドウィンの大きな声と、青く浮き出してきた手形に、観客がどよめいた。
 もう一枚、エミリーの手形は、赤く染まっている。

「これはちょっと、彼氏をチェックしないと駄目なようですねぇ」
「なっ」

 こんな展開になるとは思わなかったのだろう、カスパーは驚いて声を上げた。

「それでは、彼女の方には、ちょっと離れていていただきましょう」

 エドウィンが目配せすると、ロッシュがエミリーの手を引いて、観客の輪の外へと連れ出してしまう。
 勿論、カスパーは驚いて焦りだした。

「お、おいっ。彼女をどこに連れて行くんだ!」
「まあまあ。彼氏の『愛』が確認できれば、ちゃんとお返ししますよ」

 愛という言葉を強調し、エドウィンはカスパーの肩をぐわしっとつかむ。

「でないと彼女が可哀相でしょう? 『愛』のない彼氏と一緒にいるなんて」
「………」

 そこまで言われては、カスパーとしても納得せざるをえなかったらしい。
 不承不承という表情で、エミリーのあとを追うことを諦めた。

「それでは、この彼氏に何が足りないのか、探ってみることにしましょう」

 くすくすと観客達が笑っている。
 カスパーの少し怒りながらも困っている様子と、エドウィンの芝居がかった口調がミスマッチしているからだ。
 ちょっと間違えば陳腐になりそうなことを、エドウィンはコミカルに演じている。ここらへんは流石だ。

「一枚、引いてもらえますか?」

 鮮やかな手つきでカードをシャッフルし、エドウィンはカスパーの前で扇状に綺麗に広げた。
 カスパーが一枚抜くと、エドウィンはそのカードを見ずに、観客にだけみせてほしいと言った。
 言われたとおりに、カスパーが自分では見ず、カードを観客達に向かって掲げてみせると、どっと笑いがおこった。
 カスパーの引いたカードには、コミカルな手書きで『浮気厳禁!』と書いてあったのだ。

「そのカードには、二人がこの先、結婚してもうまくいかないかもしれない要因が書いてあります。それをあなたが当てられたら、反省して懺悔出来たら、彼女をお返ししましょう」
「なんだって?」
「まあまあ。胸に手を当ててですね。彼女に対する自分の行いを思い返してみてくださいよ」
「どうして、俺がそんな」
「彼女を幸せにしたいでしょう?」

 エドウィンは笑顔で、その口調さえ、どこかコミカルだ。
 だから、これが本気のやりとりではなく、ショーの一部であることを観客は疑わないし、この場の雰囲気も決して堅くはならない。

「愛しているのでしょう? 彼女にとって、何が一番幸せなのか、あなたにはわかりますか?」
「………」
「胸に手を当てて、ちょっと自分の旧悪についてなど、考えてみたらいかがです? 自分が彼女の前に立てるだけの、清廉潔白な男かどうか。罪をおかしたことがあるとしても、それはまあ、人間誰しも罪をおかすことはありますからね、人の価値というのは、その罪にどう決着付けるかで決まるものですよ」

 観客は笑っている。
 カードに書かれていた言葉を、エドウィンがほのめかし、その言葉に誘導しようとしていると思っているから。
 だが、カスパーは表情を堅くし、何か化け物でも見るような目で、エドウィンをじっと凝視していた。

「女性が結婚に求めるのは、幸せで円満な愛のある幸せな家庭と相場が決まっているものです。あなたの彼女も、子供好きのように見えましたよ? そんな幸せな家庭を目指す二人に、影を落とすような『罪』はよくないですよね」
「………」
「どうです? 彼女をちゃんと幸せにするために、あなたが気を付けなければならないことは何か、わかりましたか?」
「………」

 カスパーは答えない。答えられないと言った方が正しいのかもしれない。
 今、カスパーが何を考えているのか、どういう状態にあるのか、サリーにはよくわかった。

 逃げ回っている殺人犯では、エミリーに幸せなどあげられない。あげられるはずがない。
 それどころではなく、自分と一緒にいる限り、エミリーは不幸になるばかりなのだと、ようやく気が付いた。
 殺人事件からずっと、ある種の興奮状態だったカスパーが、現実から遊離したところにいたカスパーが、今ようやく現実に立ち返り、地に足を着けたのだ。

 自分が出来なかったことを、今、目の前でエドウィンがやり遂げた。
 そう感じた途端、サリーは大きな虚脱感を覚えた。そして、緊張感と焦りから開放されて、体から力が抜けていくのを感じていた。

(私……)

 とても泣きたい気分になった。
 今日の自分、最近の自分、エドウィンと出会ってからの自分が、ひどく情けなく馬鹿な存在に思えた。
 子供みたいで。都合が悪くなれば、逃げるだけで。勝手ばかり言って、エドウィンの言葉に耳を貸さずに。

(最低)

 唇をかみ、サリーは俯いた。
 そんなサリーを見つめていたエドウィンが、そばに駆け寄って抱きしめたいという表情をしていたことに、気がつくはずもなかった。

 カスパーは、エドウィンの言葉に、みるみる真っ青になっていた。
 観客も彼の様子に気が付いて、笑い声は小さくなっていく。

「おやおや。どうやら、彼には旧悪がありすぎる様子ですね」

 と、エドウィンはカスパーが持っているカードを取ると、カスパーにそのカードの内容を見せた。

「どうです? 当たってます?」
「なっ! 俺は浮気なんてしないし、したこともない!」

 カスパーは今度は真っ赤になり、大声で叫んだ。
 その様子に、観客達に笑い声が戻る。

「あらら。外れちゃいましたか。時々、こういうこともあるんですよね~」

 エドウィンがのんきにそんな事を言うので、ますます笑いは大きくなる。

「じゃ、こっちも間違いだったかな」

 と、さきほどの『恋のリトマス試験紙』を取り上げた。
 マジックテーブルに置きっぱなしにしてあった、先程、カスパーの手形が青くでた紙だ。
 まだ湿っていて、薄く青い手形が残っていた紙をぱたぱたと振って水気を飛ばすと、青い手形はすぐに消えた。

「じゃ、やり直してみましょう」

 カスパーが濡れタオルで手を湿らせると、再びその紙に手を置いた。
 すると、今度は見事に、赤い手形が現れた。

 エドウィンが促して、観客達が大きな拍手を始める。
 その拍手をバックに、ロッシュがエミリーをエスコートして現れた。
 いつの間に用意したのか、エミリーは薔薇のブーケを持ち、レースのベールを被っていた。

 エドウィンが始めた即席の結婚式。
 勿論、それはマジックで華やかに演出された。
 観客達は若い二人に惜しみない拍手を送った。

22


 エドウィンの車で、サリーはエミリーとカスパーを、殺人事件の所轄警察署に送った。
 もう受付は終わっている時間だったが、当直の刑事に事情を話すと、すぐに担当の刑事を呼び出すので待つように言われた。
 常夜灯だけの、薄暗い待合室に戻ると、少し離れたところに立っていたエドウィンが、にっこりと笑顔を見せてくれた。
 とても笑顔をかえす気分にはなれず、サリーは長椅子に並んで腰掛けているエミリーとカスパーの前に戻る。

「今、担当の刑事が来るから、待っていて欲しいって」

 カスパーは強張った表情のままで、小さく頷く。
 そんな彼の手をぎゅっと握りしめたエミリーは、にっこりとサリーを見上げた。

「ありがとう、サリー。あなたがいてくれて、本当によかったわ」

 お礼を言われて、サリーはひどく居心地悪い気分になった。
 結局、エミリーの力にはなれなかった。
 カスパーに自首する決心をさせたのは、エドウィンだ。
 エドウィンがいなかったら、自分はカスパーを強引に逮捕させていたかもしれないのだから。

「お礼はやめて。それに、今回のことは、私が」
「サリー」

 ぎゅっと肩をつかまれて、サリーは口を閉ざす。
 肩越しに振り返ると、いつの間にか、エドウィンが側にいて、サリーをじっと見つめていた。
 目が合うと、小さく首を横に振られた。

「エドウィン、ありがとう。あなたに会えて、本当によかった」

 エミリーが、そんな二人の無言のやりとりには気が付かず、エドウィンにもお礼を言う。

「今日のことは、私達にとって、これからを乗り越える励みになると思います」

 と、エミリーは薬指の細い指輪に触れる。
 エドウィンがマジックのショーとしておこなった結婚式の最後で、指輪の交換に使った揃いの指輪。
 マジックに付き合ってくださったお礼にと、高価なプラチナの指輪を贈られてエミリーは辞退したのだが、エドウィンがサリーの知り合いで、どうやら事情を知っているとわかると、涙ながらに受け取った品だ。

「どういたしまして。頑張ってください」

 エドウィンがエミリーとカスパー、それぞれと握手を交わすと、奥から刑事がやって来た。
 サリーは事情聴取にも付き合うつもりだったのだが、エドウィンに無言で引き留められた。
 そして、エドウィンと一緒に、カスパーとエミリーを見送ることになった。

23


「……聞きたい事と言いたい事が、山のようにあるんだけど」

 カスパーとエミリーの姿が見えなくなってから、サリーがそうつぶやいた。

「いいけど。場所は変えようか」
「エド」
「ちゃんと答えるって。コーヒーでも飲もう」
「エド!」

 サリーの腕を引き、強引に警察署から出たエドウィンだったが、足を止めたサリーに仕方なく振り返る。

(そんな顔、してくれるなよ)

 睨もうとしてして、失敗しているサリーの姿に、エドウィンは心の中でつぶやく。
 サリーの青い瞳は涙で少し潤み、それなのに睨んでいるものだから、ひどく痛々しい。
 華奢な体は小さく震え、それでなくても白い顔は、青ざめて夜の闇の中に浮き上がっている。

 エドウィンは迷うことなく、サリーを腕の中に引き込んだ。
 だが、ぎゅっと抱きすくめようとして、サリーの抵抗にあった。

「いや!」

 女性にしては強い力だったが、鍛えている男のエドウィンには簡単にねじ伏せることが出来る程度で。
 エドウィンはサリーの抵抗を物ともせず、しっかりと腕の中に抱きしめた。

「どうして。どうして、こんなことっ」

 がむしゃらにエドウィンの腕を押しのけ、サリーは暴れる。
 エドウィンの胸を、拳で強くたたく。

「私っ、もうっ」

 サリーの目から、ぼろっと涙がこぼれ落ちた。
 エドウィンも驚いたが、サリー自身も驚いた様子だった。
 暴れるのをぴたりとやめると、見開かれた目から涙が次から次へとこぼれ落ちてきた。

 エドウィンはたまらない気持になって、サリーにしっかりと両腕を回し、胸の中に抱きしめる。
 ぎゅうっと抱き込まれたエドウィンの胸の中で、サリーは声を押し殺しながらも、本格的に泣き出していた。



 しばらくしてサリーは泣きやんだが、今度はさっきとは一転して、静かに黙り込んでしまった。
 エドウィンはその様子に内心ひどく動揺しつつも、送っていくよと、サリーを車の助手席に乗せる。

 しばらく、二人とも口をきかず、車内は静まりかえっていた。
 サリーは何を考えているのか、じっと前を見たまま身動きさえしない。
 そしてエドウィンは、そんなサリーの様子を気にしながらも、どう声をかければいいかわからず、彼らしくもなく黙り込んでいた。

「お礼も言っていなかったわ。ごめんなさい。エミリーのことでは、本当にありがとう」

 いつもの完璧なポーカーフェイスを向けられ、エドウィンはかなり落胆した。
 再会してから、サリーはいつも表情豊かで、それは自分が彼女にとって特別な存在になれた証拠のように思えて、嬉しかったから。
 それなのに今、サリーはまた、ぴしゃりと全てを閉ざしてしまったように見えた。

(失敗したかな)

 落胆と動揺を、サリー同様にポーカーフェイスの下へと押し隠し、エドウィンも口を開く。

「協力できたのなら、よかったよ」
「どうしてあそこにいたのか、教えてくれる?」

 頷き、エドウィンは説明を始める。
 犯人が目撃されたと話していたこと。
 エミリーの自宅に入ると、監禁されていたような形跡があったこと。
 監禁されていた部屋に出入りしていたのは、恋人のカスパーだけだったこと。
 エミリーに護衛をつけていたことを知って、サリーは何か言いたそうにしていたが、少し考えて、沈黙を守っていた。

「最初、エミリーは逃げだそうとしているのかと思ったんだ。だが、近所の喫茶店で君と会って、話をしていることがわかって、どうやら違うなと思ってさ」

 しかも、部屋の中には、身分証明書などの貴重品がそのままになっていた。
 そして、逃げるのなら、サリーに会うよりも警察に駆け込むのが自然だ。

「犯人を目撃しているのに、黙っていたことといい、これは犯人を守ろうとしているんだろうなと思った。それに、カスパーがエミリーの後を付けていることも、護衛から聞いていたし。カスパーが外国行きの航空券を手配したことも知ってね」
「大変。警察が見つける前に、なんとかしないと」

 自首する前に、高飛びする予定があったことがわかれば、裁判で不利になる。

「なんとかしておいた。逃げられるのは困るから」

 再び、サリーが何か言いたげにエドウィンを横目で見る。
 きっと、どうして事件に関わるのだと言いたいのだろうが、その議論を今ここで蒸し返すつもりはないようだ。

「エミリーが自首することを希望しているなら、俺にその手助けが出来るかなと思ってさ」
「それで、マジックショーを?」
「そう。車にそれなりの道具が乗っててよかったよ。あと、すぐ近くに宝石店があったのがラッキー。結婚指輪、買えたし。花嫁のベールがどうしても手に入らなくて、宝石店のディスプレーに使ってたレースを、無理言って借りてきた」
「……とても即興のショーだとは思えなかったわ。どうもありがとう」

 丁度、信号で車を止めたところだったので、エドウィンはサリーの頬に手を伸ばし、そっと指先でなでた。

「どういたしまして。でも、君にお礼を言われる理由はないと思う」
「いいえ。私はあの時、エミリーの意志を無視してでも、カスパーを逮捕しようと思っていたもの」

 強張った表情で見上げてくるサリーの顎を少しつまみ、エドウィンは優しく触れるだけのキスをした。

「あの時の君の立場なら、そうするのが最善だったと思うよ」
「でも」
「俺には時間があった。少しだったけど、君とエミリーが話している間、これからのことを考える余裕があった。ロッシュが手伝ってくれたし」

 即席のアシスタントは、自首の付き添いは辞退して、そのまま帰宅している。

「余裕。そう、余裕よね」

 つぶやいて、サリーは今も頬に触れているエドウィンの手をどかすと、前を向いてしまった。

24


「私には……なかったわね」

 唇をゆがめ、苦笑をもらすサリーの横顔を、エドウィンはじっと見つめる。

(やっぱり、やりすぎだったな)

 即席ショーの途中、泣きそうなサリーの顔を見つけた時から、エドウィンは自分の行いを反省しだしていた。
 サリーを守ること、彼女のために事件に関与することは、サリーに何を言われても譲れない。
 だが、サリーだって事件解決に向けて頑張っていたというのに、その頑張りを無視するかのように、彼女の目の前で勝手に事件を終わらせてしまったのは、少々、やりすぎだった。

 サリーを事件の外に追いやって、自分だけで解決してしまいたいというのは本音だけど、それをサリーがどう思うかなんて、わかりきっている。
 それに、サリーは守られているだけで満足してくれるような女性ではないし、とても有能な女性だ。
 こんなことをしたら、彼女のプライドを傷つけるなんて、わかりきっていたことだったのに。

 それでも、頑張りすぎてしまったのは、一日も早く、サリーに認めて欲しかったから。
 側にいること、一緒に事件に関わっても許されること、そして、彼女を守る存在だということを。

(頑張りすぎて、嫌われたら、本末転倒もいいとこだ)

「俺の部屋で、コーヒーでも飲んでいかない?」
「悪いけど、早く休みたいの」

 決死の思いで口にした誘いも、呆気なく辞退されて。
 エドウィンは、彼には珍しく、背中に黒雲を背負いながら、黙々と運転を続けた。

 

 サリーのアパートの前に車を止めると、サリーは小さく礼を言って、そのまま車を降りようとした。
 勿論、部屋にあがってコーヒーでもなんてお誘いが、あるはずもない。
 エドウィンは、少し迷いつつも、サリーの手をつかんでいた。

「エド、休みたいの」
「わかってる。ごめん。でも、謝りたいんだ、今すぐ」
「謝る?」

 サリーは眉を寄せ、いぶかしげにエドウィンを振り返ってくる。
 彼女の青い瞳を、エドウィンは思いを込めて、じっと見つめる。

 うじうじ迷っているのは、性に合わない。
 それになにより、サリーの場合、明日も会えるかどうかなんてわからないのだ。
 今夜、これからサリーがどこかに消えようと考えていても、全く不思議はないと、エドウィンは思っている。

「今回の事、俺は出過ぎた真似をしたと思っている。悪かった」
「エド?」
「最低でも、事前に君に相談すべきだった。反省してる。ごめん」

 サリーは驚いた顔をしていた。
 それは演技のようには見えなかった。

「私、そんな風には思っていないわ」

 エドウィンの方へと体を向け、サリーはどう説明しようか、言葉をさがしているようだった。

「エミリーの望みどおりで、カスパーにも一番いい結末になって、私、本当にほっとしている。それに、私では出来なかったから。あなた以外の人に、ここまで短時間でカスパーの気持ちを変えることなんて出来なかったと思う。あなたは本当に魔法使いよ。とても感謝しているわ。出過ぎた真似だなんて、思っていない」

 話しながら、何に思いついたのか、サリーはふと眉を寄せる。

「事件に積極的に関わってくるということで、出過ぎた真似だっていうのは……それは、否定はできないけど」
「けど?」
「仕方ないわよね。あなたに会っておいて、事件には関わるなって言う私の方が、中途半端だったのよ」
「中途半端?」

 サリーは小首を傾げ、口元に疲れたような笑みをうかべた。

「あなたにこれからも会うか、それとももう会わないか。私はどちらかを選ばなければならないのよ」

 全てを受け入れるか、それとも完全に拒絶するか。
 サリーがそんな事を考えていたなんて、今まで思いもしなくて、エドウィンはぞっとした。

「い、今すぐに決めることはないじゃないか! 俺は時間がほしいと言ったし、信頼関係はゆっくりつくっていくものだろ。これからは、俺も事件にどう関わるか、もっとよく考えるよ。君の望むとおりにするし」
「………」
「サリー。まさか」

 もう、会わないつもりじゃと、言いかけて、エドウィンは口を閉ざした。
 そう言って、頷かれてしまった時には、自分がどういう行動に出るのかわからない。

 それでも、急に態度を硬化させているサリーからは、どう考えても、これからも会うという選択肢を選ぼうとしているようには見えない。
 ようやく、自分に向かって開かれ始めていたサリーの心が、目の前で音を立てて閉ざされたような気がして、エドウィンは恐ろしかった。

 気が付けば、サリーの両肩をつかみ、抱き寄せながら、唇を重ねていた。
 抵抗はほんの少しだけ。すぐに、サリーは従順にエドウィンの唇と舌を受け入れてくれる。
 抱きしめれば、キスをすれば、サリーに受け入れられている自分を実感できて、エドウィンは少し自信を持てる。
 もしかしたら、愛されているのかもしれないとさえ、思えた。
 だからこそ、サリーは自分を凶運に巻き込みたくなくて、逃げ回っているのではないかと思っていたのに。

(もう会わないって、どうして)

 事件に関わっても大丈夫、頼りになるんだぞというところを見せたかったのに。
 それなのに、どうしてもう会わないという結論になるのか。
 そこまできっぱり拒絶されてしまったら、これからどうすればいいのか。

 唇をはなしても、サリーは胸の中にくったりと寄りかかってくることはなく、そっとエドウィンの胸を押して、体をはなしてしまった。
 頬は薔薇色に染まっていたけれど、サリーはエドウィンの視線から逃げるように、顔を背けていた。

「サリー」

 そんな拒絶を見ていたくなくて、エドウィンはまたサリーへと腕をのばす。

「待って」

 だが、サリーのしっかりとした声での拒絶に、触れることは出来なくなった。

「待って、エド。お願い。時間を頂戴」
「時間?」
「お願いだから。一人にして。ちゃんと、結論だすから」

 そこまで言われて、エドウィンも手を出せなかった。
 迷って戸惑ったすきに、サリーは車を降りて、アパートへと走り出してしまっていた。
 すぐに追いかけようとしたが、一人にしてという言葉と、エドウィンを拒絶している後ろ姿に、エドウィンは深く息をついた。

「……時間やったら、消えていなくなるくせに」

 つぶやいて、でもどうしようも出来なくて、手出しできなくて。
 エドウィンは目を閉ざし、ずりずりとシートに深く身を沈めた。


読者登録

鴫原かいさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について