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09


 翌日。
 エドウィンの郊外の自宅。

 エドウィンはナリスからの電話で起こされ、今もベッドの中で電話をしていた。

「だーかーら。しばらく休み。そう言っただろう?」

 答えながら、壁の時計を見る。
 現在、九時。
 もう起きる時間だったとはいえ、こんな風に電話で起こされると、損をしたような気分になるのはどうしてだろう。

「休むのは、イリュージョンだけろう? クロースアップの仕事はいつもやっているじゃないか。テレビの依頼もきているし」
「断ってくれ」
「エドウィン」
「悪い、ナリス。でも、駄目だ。しばらく休む」

 電話の向こうで、ナリスがため息をつくのがわかった。
 申し訳ないと思いつつも、エドウィンは主張を変えなかった。
 ナリスが諦めるまで、拒否し続けた。


「電話は終わりましたか?」

 コーヒーのいい香りと一緒に、バートが姿を見せる。
 ベッドの上に座り込み、ぼーっと考え事をしていたエドウィンの前に、ベッド用のテーブルをだし、コーヒーを置いた。

「ああ。ナリス、すっげー怒ってた」
「彼もきっとわかっているんでしょう」
「……多分な」

 エドウィンがサリーを諦めていないこと。
 今も追いかけていること。

「彼女とは無事に会えたようですね」

 エドウィンがコーヒーを飲み始めるのを待って、バートは話し出した。

「ああ、なんとか」
「逃げられませんでしたか」
「今のところは」

 一昨日の夜、サリーの遭遇した事件のことを知った。
 それから徹夜でサリーのことを調べて、午後五時の終業に間に合うように、午後四時からずっとサリーが出てくるのを待っていた。
 ようやく会えて、話しも出来て、今日も会う約束も取り付けることが出来た。

 何もなければ、今日も会えるだろう。
 ただ、サリーの場合、何かある可能性が人より高いのだ。
 しかも、約束を破られた実績もある。

 目の前に居るのに、触れることも出来るのに、安心など出来ない。
 ふわふわ浮いている風船のよう。
 油断すれば飛んでいってしまう、だからといって強く抱きしめれば、割れてなくなってしまいそうで。

「……生殺しな気分」
「なんですかそれは」

 バートは笑っている。
 最近、本当によく笑っている。いいことだが。

「キスはいいけど、それ以上は駄目。でもさ、なんていうか、強引に迫れば、それ以上だって大丈夫な雰囲気でさ」
「据え膳みたいな?」
「それともちょっと違うんだなぁ。下手に手を出して、それがきっかけで逃げられそうな気もするから、何も出来ない。でも、したい」

 コーヒーを飲み終えると、エドウィンは大きく伸びをして、ベッドから下りた。
 額におちてくる髪をかきあげながら、バスルームへと歩いていく。

「焦らず、ゆっくりと」

 まるで標語のようにバートが言うと、エドウィンは口の端をあげた。

「わかってるよ。お前の時だってそうだったし?」

 エドウィンは、笑い声を残して、バスルームに消えていった。
 残された、元凄腕の、エドウィン曰くひねた性格だった元情報部員は、軽く肩をすくめ、コーヒーカップを片づけ始めた。
 口元に、微笑を浮かべながら。

10


 ダイニングテーブルに用意してあった朝食をトレーに戻し、エドウィンはそのトレーを持って、地下のコンピューター室に向かった。
 中では、バートがモニターをチェックしていたが、エドウィンが食事を抱えてやってきたことに、顔をしかめた。

「食事はきちんと取るべきですよ。仕事の片手間にとるようなことは、出来るだけしないでください」
「時間の節約だよ」
「何度も言いますが、休息と仕事と、きちんと区別しないといけません」
「以後、努力します! で、その後、どう?」

 びしっと敬礼してみせたかと思うと、何もなかったようにバートの肩越しからモニターを覗き込むエドウィンに、バートは諦めのため息をついた。
 この魔法使いは、集中しだすと、それ以外のことはすっぱり忘れるタイプなのだ。
 最近は、勿論、サリーを中心にこの魔法使いの生活は成り立っている。
 健康管理する立場の者としては、ちょっと待てと言いたい気分だ。
 勿論、言ってきく人ではないことも、よく知っているのだが。

「警察の捜査は、思っていた以上に進んでいます。どうやら、素人の犯行のようですね」
「手がかりが残っていたとか?」
「被害者の女性のものと思われるバッグが、近くのゴミ置き場から発見されています。血痕付です」
「殺してから奪い取って、逃げる途中に捨てたってことか」
「そうでしょう。指紋もでていますね」

 エドウィンはサンドウィッチを食べる手を止め、呆れた顔で首を左右に振った。

「馬鹿?」
「一応、ふき取っていますよ。ですので、指紋といっても、完全な形ではありません。照合するには足りません」
「それほど慌てていたんじゃ、バッグの中身はそのまま?」
「そのとおりです。財布からパスポートまで、全部残っていました」
「パスポート?」
「被害者は、外国人ですね。殺された日の夕方、飛行機で入国しています。航空券の半券が確認されています。現在、捜査員が、被害者の身元調査に現地へ向かっているようです」
「ふーん」

 通り魔でもなく、強盗目的でもないなら、怨恨だろうか。
 それとも、慌てていたので、何も出来ず、とりあえず逃走しただけか。

「これだけ杜撰な犯行なら、きっと目撃者がいるでしょう」
「逃走中を見られているだろうなぁ。警察の聞き込みは?」
「難航しています。あそこらへんは、警察に非協力的な連中ばかりですからね」

 犯行現場はまだ表通りに面しているが、そこを一本裏に入れば、一般人はほとんど立ち入らないような場所になる。
 いわゆる裏社会に属している人々が生息しているところだ。
 当然、警察に協力的な人種よりも、犯罪者の方が多いだろう。

「ライに連絡してみますか?」

 バートに聞かれて、エドウィンは嫌そうに顔をしかめた。

「やだ。あいつに借りを作ると、後が怖い」

 ライは、エドウィンの熱烈なファンの一人で、いわゆる裏社会のボスの一人だったりする。
 ファンでいてくれるのは嬉しいのだが、その愛情表現が非常に個性的で、かなり苦労させられていた。

 とんでもなく高価なプレゼントが届くのは、まあ理解の範疇として、ツアー中の護衛をすると黒服のいかつい連中を大量に送ってきたり、会場から宿泊先のホテルまで何十台もの車で周りを固められたり、イベンターとトラブルと聞けば、こわもての弁護士が駆けつけてきたりと、エピソードには事欠かない。
 それでも、ここ数年は、エドウィンの苦情と脅しの数々によって学習し、ライもだいぶおとなしくなってきているのだ。
 ここで下手にお願い事などして、また勢いづかせることだけはしたくない。

「情報屋にあたってみておいてくれ。それから、被害者のプロフィールがわかったら、知らせてほしい」

 もしかしたら、サリーに関係する人物かもしれない。
 サリーは面識がないようだが、もしかしたらということもある。
 何よりもサリーが恐れているのは、自分の周囲でおきた事件に、友人知人が巻き込まれることだから。

「第一発見者の女性はどうしますか?」
「そうだな……。何も見ていないから、警察からはもう帰されているんだよな」

 今のところ、サリーの周囲で事件に関わったのは、第一発見者のエミリーだけ。
 現場を目の辺りにしたのはショックだろうが、それだけですんだのなら、よかったと言えるだろう。

 前回、被弾したサリー。
 警察での最後の事件で、重症を負ったサリーやロバートのことを考えれば。

(だが、もしこれでエミリーに何かあれば、サリーはひどく傷つくだろうな)

「彼女の住所、わかるか?」
「はい。護衛をつけますか」
「そうしてくれ。気づかれないように。距離をおいてもいいから」
「ディーに頼みますが、構いませんか」
「ああ。よろしく言っておいてくれ」

 ディーは、エドウィンの後援会のメンバーの一人で、警備会社のオーナー社長。
 この屋敷の警備システムは勿論、ツアーの警備からエドウィンの周囲は全て、ディーの会社が受け持っている。

「あとは、犯人だな」

 見つけて捕まえれば、サリーの心配もなくなるはず。
 そして、サリー自身も、そう考えているだろう。
 きっと彼女は、また危険なことをしてでも、犯人を捜そうとするだろう。この前の時と同じように。

「言っておきますが、あなたもあまり危険な真似はしないでくださいね」
「そりゃ、すすんで危険な目に会おうとは思っていないよ」
「あなたが怪我でもしたら、彼女はきっと自分を責めて、あなたの前からまた消えますよ。彼女はパンドラですからね」

 そう。サリーが今最も恐れているのは、エドウィンが事件に巻き込まれることだろう。
 もしまた、事件にまきこまれて、それこそ怪我でもするようなことがあれば、今度こそ、サリーはエドウィンの前から姿を消すはずだ。

 それでいて、側にいても、巻き込まれることはない、影響を与えることはないのだという確証を持ちたいと願ってくれていると、思う。思いたい。
 側を離れたのは、迷惑をかけたくないからだと言ってくれたし、うぬぼれてもいいと、キスをしてくれた。
 だから、後は自分次第だと、エドウィンは思う。

「彼女を守り、尚且つ自分も無傷って、かなり難易度高いな」

 エドウィンがぼやくと、バートはおやっという感じに眉を上げた。

「大丈夫ですよ。あなたは魔法使いですから」
「タネも仕掛けもある魔法使いなんだけどなぁ」

 楽しそうに笑うバートを見つめながら、いつかサリーもこんな風に笑ってくれるのだろうかと、エドウィンは思った。 

11


 必ず残業だから、午後六時以降に来てと言っておいたのに、エドウィンは五時に現れたようだった。
 なぜわかったかというと、店に入ってきた二人組みの女性客が、店の外で人待ち顔で立っている男性について、噂をしていたからだ。

 これはわざとではないかと、サリーには思えた。
 昨日だって、きっと五時前から待っていてくれただろうし、女性客だってたくさんいたのに、誰も噂にはしなかった。
 待っていることを知られたくなかった昨日と違い、今日は、待っているからと意思表示されている……と思えるのは気のせいではないはず。

 幸い、今日は昨日ほど仕事がたてこんでいないから、それほど残業をしなくてすみそうだ。
 これでは、エドウィンのことが気になって、のんびり仕事などしていられない。
 急いですませてしまおうと、仕事に集中しだすと、携帯のメール着信音がなった。ロッシュからだった。

 『★の目撃情報あり。連絡よこせ』

 ★とは、先日の殺人事件の犯人のことだ。
 やはりと思えた。
 どう見ても、犯行は衝動的だったし、現場が現場だ。
 あそこらへんでは、挙動不審な人物は必ず誰かにチェックされる。警戒心の強い人種が多く住んでいるから。

「やあ、サリー」

 背後から声をかけられ、サリーはびくっとしてしまった。
 慌てて、携帯をぱちんと閉ざして、ロッシュからのメールを隠す。

「お帰りなさい、カスパー」

 ちょっと笑顔が不自然だったかなと思ったが、カスパーは気づいていない様子だった。
 外回りから帰ったばかりの彼は、サリーの隣のデスクに、重そうなバッグを置いて、ふうと息をついた。

「お疲れ様。コーヒーでもいれる?」
「いいよ、ありがとう。出先で飲んできたんだ。今日はもう帰りたいしね」
「エミリーの様子はどう? そろそろ仕事に来れそうかしら」
「それはちょっと……無理じゃないかな」

 手を止めて、カスパーは表情を曇らせた。
 なんだか考え込むような彼の様子に、サリーはエミリーの様子がとても心配になった。

「まだ怖がっている?」
「そうなんだ。夜中に飛び起きて、泣き出したりして」

 ということは、カスパーは朝までエミリーと一緒にいたのだろうか。
 だとしたら、エミリーの片思いはうまくいき、この緊急事態に頼もしい恋人が側にいてくれるということになるのだろうか。
 思わず、じいっとカスパーの顔を見てしまったサリーの視線に気がついて、カスパーは照れくさそうに微笑んだ。

「え、あ、まあ、そういうことなんだけど」
「よかった。エミリーは、ずっとあなたが帰ってくるのを待っていたのよ」
「あはは。知ってたのか」
「本当によかった。きっとすぐにエミリーも立ち直れるわ」
「ちょっと相談なんだけどさ」

 少し声をおとし、カスパーは真剣に何か考えている顔で、椅子に腰を下ろす。
 サリーと目線の高さをあわせ、内密の相談という体勢になった。

「思い切って、エミリーを海外旅行に連れて行こうかと思うんだ」
「今すぐに?」
「気分転換になるだろ? 俺は休み残っているし。エミリーは仕事辞めたいみたいなことを言っているしさ」
「………」

 エミリーが仕事を辞めるというのは、サリーにはショックだった。
 仕事を辞めようと考えていたのはサリーの方で、エミリーが元気に復帰してきたら、すぐにそうしようと思っていたのだ。

「すぐには辞めないと思うから、休暇ということになると思うけど、そうなるとサリーに負担がかかるだろう?」
「そんなこと、全然構わないわ」
「無理していない?」
「大丈夫よ。それに、気分転換に旅行って、いい考えだと思う」
「……でもさ、エミリーは一応、第一発見者だろう? このタイミングで海外に行くのって、どうかなと思うんだよ」

 カスパーが本当にエミリーのことを大切に思ってくれていて、サリーは嬉しかった。
 二人きりで旅行をすれば、きっとエミリーも元気になってくれるだろう。

「警察からは、旅行なんかで長期不在になるときは、連絡先を教えてほしいと言われているわ。旅行に行くなとは言われていないから、大丈夫だと思うわよ」

 勿論、そんなことは言われていないのだが、警察がどう言うかなんて、サリーには聞かなくてもわかる。

「そうか。ありがとう」
「どこに行くのかは、もう決めているの? チケット、手配しようか」
「これから、エミリーと相談して決めるよ。ありがとう」

 エミリーが心配だからと、カスパーはすぐに帰っていった。
 その前に、上司に休暇申請をだすのを忘れなかったが。

(エミリーには会っておきたかったけどな……)

 最後に別れたとき、エミリーはひどく混乱して、興奮している状態だった。
 冷静に対処していたサリーを頼っていたが、同時に奇異の視線を向けてもいた。
 同類だと思っていたサリーが、実は違っていたのだと気が付いて、驚き恐怖しているようだった。

 エミリーが殺人事件の第一発見者になったのは、サリーのせいじゃない。誰のせいでもない。
 ロッシュはそう言うだろうし、エドウィンだってそうだろう。
 だが、ごく普通の平和な生活の中にいる人々が、自分の目の前で、否応なく非日常的な凄惨な事件に巻き込まれていくのを何度も見ていれば、その凶運をもたらしたのは自分に他ならないとしか思えなくなる。
 自分の存在が事件を引き寄せ、周囲の人々を巻き込んでいるようだ。

(エミリーに謝りたかったけど)

 それに、仲良くしてくれたお礼も言いたかった。
 だが、優しい恋人が側にいる今、自分が会いに行っても、事件を思い出させるだけ。
 しかも、また何かの事件に巻き込んでしまっては、本当に申し訳ない。

(もう、こういう仕事、辞めた方がいいんだよね……)

 平凡で平和な環境の中にいたら、もしかしたら、何もおこらないかもしれない。
 誰も不幸にせず、自分もならず、ごく普通に生きていけるかもしれない。

 この前のイベント会社では、十ヶ月も平和な日々が続いた。
 もしかしたら、このまま望み通り、パンドラなんていうありがたくない呼び名から逃れられると思った。
 だが、やはり事件はおきて。今度の職場では、半月しかもたなかった。

(でも、やめてどうしよう)

 刑事に戻ることは、考えたこともない。
 私立探偵として開業したところで、パンドラの異名を持つ自分に、捜査依頼など来るのか疑問だ。
 ロッシュは一緒に情報屋するかと言ってくれているが、そこまで甘えてしまっていいのか、迷いがある。受けるつもりはない。

(どんどん居場所がなくなる。……当然かもしれないけど)

 ため息をひとつつき、サリーは気持ちを切り替えると、仕事を再開した。

12

 六時過ぎになんとか仕事を終わらせて外に出ると、案の定、エドウィンが店の前で待っていた。
 今夜は、サリーにあわせたのか、いかにも仕事帰りのエリートビジネスマンといった感じのスーツ姿。
 それでも、彼本来の華やかさは隠しきれず、道行く人々の多くは、エドウィンを振り返っていた。

「五時には終わらないって、言っておいたのに」

 ため息混じりにサリーが言うと、エドウィンはにっこりと微笑み、手を伸ばしてサリーの髪止めを抜き取った。

「ちょっと」
「俺の前ではしないこと」

 と、メガネも持って行かれてしまった。
 そして、エドウィンの手の中から、メガネはいつの間にか消えてしまっている。
 その鮮やかな手並みに、サリーは文句を言う気力を失ってしまった。

「早く終わったね。七時に予約してある店があるから、行こうか?」
「何時に終わるかわからないって言っておいたのに」

 無駄になってしまう予約をとってもらっていたのが申し訳なくて、でも素直にそうは言えず、サリーは怒ったように非難してしまった。

「だって、今夜はちゃんとした食事をしたかったからさ。六時にも八時にも予約入れといたんだ」

 だが、エドウィンはそんなサリーの態度など気にせず、にこにこしている。
 だから、サリーの中の小さな罪悪感とか、自己嫌悪とか、そんな感情は行き場を失ってしまい。
 ぷいと顔を背けて、サリーは歩き出す。

「すねないすねない」

 すぐにサリーを追ってきたエドウィンが、ぎゅっとサリーの肩を抱いて、耳元で囁く。
 ぼっと、火が出るような勢いで、サリーは真っ赤になった。

「エド!」
「可愛いね、サリーちゃん」

 ぴたりと足をとめると、サリーは真っ赤になりながらも、エドウィンをにらむ。
 エドウィンは小首を傾げ、サリーをとても楽しそうに見つめていた。

「今日は帰るからっ」

 断言すると、エドウィンの表情が急に強張った。

「どうして」
「ロッシュに用があるの」
「どんな用事? 電話やメールではすまないわけ?」
「大事な用事だもの」

 エドウィンは仁王立ちになり、怖い顔でサリーを見下ろしている。
 普段はあまり感じないが、エドウィンはかなりの長身で、サリーとでは、頭一つ分の身長差がある。
 サリーは気圧されて、いつの間にか後じさろうとしていた自分に気が付いて、ぐぐっと気合いを入れ直した。

「この前の事件のことよ」
「それなら、俺も一緒に行く」
「なに言ってるの」

 事件にエドウィンは何の関係もない。
 それどころか、絶対に関わってほしくないし、関わらせるつもりだってない。
 サリーがそう思っていることを、エドウィンだってわかっていると思っていた。
 それなのに、事件のことなら、一緒に行くというのは、どういうつもりなのか。

「サリー。今日は俺との約束が先だろう?」

 そのとおりなので、サリーはぐっと押し黙った。
 エドウィンが強引に迫ってくるのなら、自分も強引なことだって出来るが、こうやって正攻法で来られると、それも出来ない。
 元々、サリーはとても真面目で、義理堅く、約束は破れないタイプだから。

「それに、君とロッシュが二人きりで会うのは感心できないね」
「私とロッシュは、そういう関係じゃないわ」
「わかってるけど。そういうのは理屈じゃないだろ?」
「エド」
「俺と一緒にロッシュの所に行くか。それとも、ロッシュとの用事は後回しにして、俺と食事に行くか。今の君に許された選択肢は二つだけだよ」
「………」
「………」
「………」
「………」
「……ロッシュのところに行くわ」
「了解」

 途端ににっこりとしたエドウィンは、サリーの肩を抱いて、歩き出す。
 なんだかもの凄く強引に決められてしまったような気がして、大切なことを忘れているような気もして、釈然としないながらも、サリーはエドウィンに引かれて歩き出していた。


13


「をわっ」

 サリーに続いて、部屋に入ってきたエドウィンを見つけて、ロッシュは珍妙な声をあげた。
 そして、椅子に座ったまま、エドウィンから逃げるようにのけぞったため、デスクの上の本の山を崩しそうになる。

「落ち着いて、ロッシュ」
「やあどうも~。ご無沙汰」

 サリーは両手を腰にあて顔をしかめ、エドウィンはのんきに手を振りながら、テーブルの隙間に持参した夕食をのせた。
 どういうことなのかと、ロッシュが視線でサリーに尋ねると、サリーは嫌そうな顔で肩をすくめた。

「他に選択の余地がなかったのよ」
「はあ?」
「邪魔はしないって約束したから。気にしないでくれる?」

 それは、はっきり言って、激しく不可能だと、ロッシュは思う。
 だが、エドウィンはまるでサリーの隣にいるのが当たり前のように振る舞い、ロッシュにも旧知の友人に対するようだ。
 コップ借りるよと言って、さっさとキッチンに入っている。

「会っていたとは知らなかった」
「昨日よ。見つかったの」
「もしかして、事件のせい?」
「そうみたい」

 エドウィンがキッチンからコップを三つ持って帰ってきたので、二人は話すのをやめ、なんとなく、エドウィンに視線を向けた。

「腹減っててさ。サリーが食事に行ってくれないって言うんで、ここで食べさせてもらうよ」
「だから、一人で帰って食べたら?」
「嫌だね。今日は君の顔を見ながら夕食するって、もう決めてあるんだ」

 どうやら、車の中ですでに議論し尽くしてきたらしい。
 唖然としているロッシュに、サリーはメールで知らせてくれた情報を教えてくれるように言った。

「食べながら話したら?」

 と、エドウィンはテイクアウトしてきた中華料理を広げながら、二人に声をかける。
 サリーとロッシュは顔を見合わせたが、ただよってきた食欲をそそる香りに、エドウィンが差し出してきた箸を受け取ってしまっていた。

「その、ホシなんだけどさ」

 ロッシュはエドウィンの存在を気にしながらも、話し始めた。

「やっぱり、逃走中の姿を目撃されている。かなり慌てていたみたいだ」
「被害者のバッグを捨てていくぐらいだもの。でも、よく目撃情報が手に入ったわね」
「苦労したよ。あの辺りはライの目が光っているから、なかなか情報まわしてもらえなくてさ。ようやく。高くついたよ」
「ありがとう。ちゃんと付けておいてね。それで?」

 二人は話しに集中し、エドウィンの存在を気にしなくなっていた。
 エドウィンは自分の気配をできるだけ消すようにし、黙々と食事を続けていたが、勿論、耳はしっかりと二人の会話に集中している。

「まだ若い男らしい。二十代後半といったところかな。ブロンドで、あまりお堅い職業という感じではなかったそうだ」
「そんな条件に当てはまる男性は、星の数ほどね」

 と、二人の視線は再びエドウィンに。
 条件にぴったり当てはまる男は、にっこりとその視線を受け止める。

「俺のアリバイをご所望ですか?」
「結構です。それで、他に情報は?」
「それ以外にはなし。今のところは。もう少し時間かければ、まだ何かわかりそうな雰囲気ではあった」
「そう……。警察の方はどう? 進展があった?」
「まだないな。動いてはいるみたいなんだが」

 これでは、まだ何もわかっていないのと同じだ。
 だが、エミリーが旅行に出ることがわかっていたので、サリーはそれほど焦りを感じなかった。
 エミリーさえ無事ならば、それほど事件を急いで解決する必要はないのだから。
 旅行から帰ってくるまでに解決していれば、エミリーもきっと新たな気持ちで普段の生活に戻れるだろう。

「被害者の女性は、小さな露天で果物を売っていたらしい」

 箸をとめ、エドウィンが話し出す。

「実家が果物農家。収穫の一部を観光地で露天を開き、観光客相手に売っていたらしい」
「ちょっと、エド。どうして、そんなことを知っているの」
「調べたから」
「どうして調べたりするの!」
「そりゃ、君が巻き込まれた事件だから」

 サリーはテーブルに両手をつき、エドウィンの方へと身を乗り出す。
 いつもポーカーフェイスのサリーには珍しく、怒りを露にしていた。
 にらまれているエドウィンは、逆に冷静に、そんなサリーをじっと見つめている。

「私は、あなたを事件に巻き込みたくないの」
「それは聞いたよ。そのために、俺のところから逃げ出したこともね」
「な、なにか誤解していない? 今、私があなたから逃げ出さないのは、あなたを事件に巻き込んでもいいと思っているからじゃないのよ?」
「そうだろうね。君のことだから、何があっても俺を守りきろうという覚悟と、俺への罪悪感で一杯といったところかな」
「わかっているなら!」

 ふと、エドウィンが口の端をあげる。
 どこか飄々としていた彼の雰囲気が、それだけでひどく剣呑なものに変わった。

「君こそ何もわかっていない。俺は言ったね。俺は君に守られるような男じゃないし、君を守ることだって出来るんだと」
「あなたはまだわかっていない。私がどれほど」
「ひどい事件体質か? だいぶ知っていると思うけどね。それに、君がどれほどひどい事件に巻き込まれているか知っても、俺は逃げるのではなく、逆により一層、君を守らなければと思うだけだ。それから、俺にはそれが出来ると君に信じて欲しいから、時間をくれとも言ったぞ」
「………」
「逃げたのは誰だ」

 サリーは唇をかむ。
 エドウィンから離れようとした自分の行動を後悔などしていないが、約束を破って、一方的に出てきてしまったのはいいことだとは思えないから。
 結局、エドウィンとの話し合いを今日まで引き延ばした結果にしかならず。
 それまでに、自分の中のエドウィンに対する気持ちの整理をつけようとも思っていたのに、それも出来ず。

「俺は君を守る。それによって、自分が傷つくこともない。約束する」

 その言葉を嬉しく思う自分がいる。
 それと同時に、そんなことは絶対に駄目だと思う自分もいる。
 もしかしたら、大丈夫かもしれないと期待するのと同時に、それはあまりにも危険すぎる賭だと恐怖する。

 結局、自分の中で答えが出ていないから、中途半端な態度になってしまう。
 きちんとエドウィンを説得して別れるか、断固として拒絶するか、それともエドウィンを受け入れるか。決めなければ。

(それが出来れば、こんなに困らないっ)

 これも中途半端な、どうしょもない選択だとわかっていても。
 サリーはエドウィンに背を向け、その場を逃げ出していた。


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