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01


 エドウィンは待ち合わせのカフェのテーブルで、ちらりと腕時計に視線を走らせた。
 午後二時。約束の時間だ。
 コーヒーに手を伸ばしかけ、ふと顔を上げる。
 道の向こうから、スーツ姿の初老の男がこちらに向かって歩きながら、エドウィンをじっと見ていた。

(やっぱり、彼がブリザック警視か)

 入院中のサリーを見舞いに来ていた男だ。
 エドウィンがなんとなく刑事ではないかという印象を抱いた彼は、やはり警察関係者だった。
 しかも、警視という、かなりのお偉いさんである。

「やあ、初めまして、エドウィン」

 警視はまっすぐに屋外のテーブルにいたエドウィンに歩み寄り、人の良い笑みを浮かべながら、エドウィンに手を差し出した。

「お会いするのは二度目です。ブリザック警視」
「ああ、そうだね。だが、一度目はすれ違っただけだから。初めましてと挨拶するのは妥当だと思うよ」
「そうですね。初めまして、エドウィン・サヌールです」

 二人は握手を交わす。

「高名な魔法使いにお会いできて、とても光栄だよ」
「私の方こそ。お時間をいただけて、とても嬉しく思っています」

 腰を下ろした二人の元に、ウェイトレスがオーダーをとりにやってくる。
 ブリザックはコーヒーを頼んだ。
 とてもではないが、泣く子も黙る元敏腕刑事とは思えない穏やかさだと、エドウィンは思う。

 ブリザック警視にコンタクトを取ったのは、エドウィンの方だ。
 サリーの消えた夜以降、エドウィンはサリーの行方を捜しまわった。
 ツアー中だったので、仕方なくほとんど人任せだったのだが、プロの私立探偵でもサリーの行方はつかめなかった。

 三日前、ようやくツアーが終わったエドウィンは、サリーの捜査に自ら着手した。
 そして、サリーと同居していた時、サリーがエドウィンの家の電話を使って、どこかに電話していた事を思い出したのだ。
 通話記録を調べ、電話相手を調べたら、ブリザック警視の名前が出てきたというわけだ。

「さて。電話では、サリーのことを聞きたいということでしたが」
「はい。私は彼女に会いたいのですが、居所がどうしてもつかめません。もし、ご存じなら、教えていただけないでしょうか」

 駆け引きなしで、自分の希望を口にしたエドウィンに、ブリザックは苦笑をうかべたようだった。

「どうして彼女に会いたいのか、聞いてもかまわないかな」
「勿論です。なんでも聞いてください。私が彼女に会いたいのは、彼女を口説き落としたいからです」

 ブリザック警視の苦笑は、微笑にかわっていた。

「だが、サリーは君から逃げ回っている。ということかな?」
「そうです。その理由が、嫌いとかその気になれないとかなら、諦める…かもしれないんですが」

 今度は声をあげて笑われてしまった。

「彼女が私から逃げるのは、私の為だと彼女は考えているんです。側にいれば、事件に巻き込んでしまうと。それで彼女は身を引いてしまったのだと、思っています」
「なるほど。では、サリーは、自分がパンドラと呼ばれている理由について、君に話したんだね?」
「全部ではないと思いますが」
「なぜそう思う?」
「それだけでは、彼女の頑なな態度や、あまりにも自己犠牲的な生き方について、説明がつかないからです。少なくとも、私は納得できなかった」

 ブリザック警視は、運ばれてきたコーヒーに口を付け、カップを置いてから、エドウィンを改めてじっと見たようだった。
 口元に浮かんでいた穏やかな笑みは消え、敏腕刑事らしい鋭い眼光がエドウィンを観察する。

 今日のエドウィンは、ブリザック警視にあわせて、きちんとしたスーツ姿だ。
 ダークスーツに身を包み、輝かしい髪をきちんとなでつけ、カフェでお茶をしている姿は、ビジネスマンが外歩き中に休憩しているようにしか見えないはず。
 今現在、サリーにつながるただ一人の手掛かりだ。
 彼のお眼鏡にかなうよう、細心の注意を払って支度してきた。

「誰も君に気付かないんだな。顔を変えているわけでもないのに」
「服装だけで印象はかなり変わるんですよ」

 勿論、それだけでは完璧な変装は出来ない。
 表情の選択、声の出し方、ちょっとした仕草。それらすべてがうまく回って、周囲に溶け込める。
 魔法使いと呼ばれるマジシャンのオーラを、消してしまえるのだ。

「仕事柄、変装の名人と言われる人々を見てきたが、服装を変えるだけでこれほどまで別人になれてしまうとは知らなかったな。最近の、特に大きなステージで派手なショーをするイリュージョニストは、マジシャンというよりも俳優に近いことしかしていない者もいるそうだが、どうやら君は違うようだ」
「ありがとうございます」

 どうやらお眼鏡にかなったらしく、ブリザックの口調は明らかに賞賛がこもっていた。
 エドウィンはとても嬉しくて、つい全開で微笑みそうになって、慌てて表情筋を引き締めた。

「私は、サリーの親代わりでね。妻と娘を亡くしたこともあって、サリーのことは実の娘同然に思ってる。サリーには幸せになってほしいと、心から願っている。私も、彼女のあまりにも自己犠牲的な生き方には賛成出来ないのだよ。まあ、それには、君の推察通り、理由があるのだけどね……」

 だが、ブリザックはそれを話してくれる気はないようだった。
 大きな期待を持って待っていたエドウィンだったが、ブリザックは少し考えるようにしながらも、ついには口を開かなかった。
 そして、話題をかえようと、別の方向へと話をもっていった。

「私としては、サリーには警察に戻ってきてもらいたいんだ。彼女が警察を辞めた理由、君は知っているのかな?」
「彼女から直接聞いたわけではありませんが、誘拐事件で、子供を救えなかったことがきっかけなのかなと思いました」
「その通りだ。あれでサリーは、ひどく落ち込んでしまった。警察内部でも、彼女に冷たい目を向ける者が多くてね」

 ナリスが依頼したサリーの調査書には、警察でサリーが担当した最後の事件について、詳しく報告されていた。
 それは子供の誘拐事件だった。しかも、誘拐のプロによる営利誘拐ではなく、どちらかというと猟奇的な連続誘拐事件だった。
 犯人は可愛らしい子供に目をつけると誘拐し、暴行を加え、それに飽きてしまうと親に連絡して金を取る。
 ようやく取り戻した子供は、ほとんどの場合、死体になっていた。

 だが、サリーはその犯人のアジトを突き止め、あとは突入のタイミングを待つだけまでに追い詰めることに成功した。
 勿論、その現場指揮はサリーがとることになっていて、犯人が新しい被害者を連れてアジトに戻ったという連絡を受け、現場に急行していたのだが。
 途中で、ひどい交通事故にあってしまった。

 交差点で信号無視のトラックに突っ込まれ、車は大破した。
 運転席の刑事と、助手席のサリーも大怪我を負って、そのまま救急車で運ばれて入院することになった。
 現場はそれまでずっと指揮を取ってきた人物を突然失い、しかもそういった時に代理をするはずの副リーダー的な刑事も、その交通事故で重傷。
 アジトへの突入は別の刑事の指揮下で行われたが、現場の混乱はいかんともしがたく、すぐに犯人を取り押さえることが出来ず、自暴自棄になった犯人によって、誘拐されていた子供は殺害されてしまった。
 犯人確保には成功したものの、この突入は失敗とされた。当然かもしれない。

「サリーは入院中に辞表を提出してね。この件について責任を取るという名目で、辞めてしまった」
「交通事故にあったのが、彼女の責任であるわけがないのに」
「その通りだ。だが、それでも、警察の落胆は大きかったのだよ。サリーがあの時、事故にあわなければ、せめて、彼女のパートナーだったロバートがいてくれれば、子供を救うことが出来たのにとね」
「ロバート? 事故にあった時、運転席にいた刑事ですか?」
「そうだ。彼女のよき理解者で、敏腕の刑事で、サリーの片腕的存在だった。といっても、父親のような年齢だったがね。彼ならば、サリーの代わりに立派に現場指揮ができただろう。現場も、突然のサリーの不在にもそれほど動揺しなかったはずだ」

 ブリザックは大きなため息をもらし、コーヒーカップを取り上げた。
 そして、当時を振り返っているのか、しばらく遠い目をしていた。

「だが、あれから一年だ。あの時の鮮烈な痛みを忘れ、警察はまたサリーを欲している」
「……意外です。私の知る刑事は、サリーを毛嫌いして、私へ彼女に近づくなとさえ忠告してきました」
「それは、彼女と一緒に仕事をしたことのない、下っ端だろう」
「そうですね」

 一緒に仕事をしたかどうかは知らないが、コスナー刑事が下っ端だということは明白なので、エドウィンは素直に頷いた。

「サリーがパンドラと呼ばれるのには、トラブルメーカーという意味とは別の意味もある。彼女は最後に残された希望でもあるんだ」

 ギリシャ神話で、神々の祝福を受けて誕生した人類初の女性パンドラは、開けてはいけない箱を開けてしまう。
 その箱に封じられていた、ありとあらゆる災いは世界に散らばってしまい、最後に箱の中に一つだけ残っていたのは、希望だった。というのは、あまりにも有名な話。

「どうして、サリーが連続誘拐事件の担当になったかわかるかな。当時、あの誘拐事件はかなりセンセーショナルに報道されていて、世間の注目度も高かった。警察としては、威信をかけて解決しなければならない事件だった。その事件の担当に、まだ当時二十六歳の女性が起用されるのは、おかしいと思わないかい?」
「確かにそうですね。その二十六歳の女性刑事がサリーでなければ、ありえないと私も思います。彼女は、とんでもなく優秀だったんですね」
「そうだ。確かに彼女はトラブルメーカーだった。だから、普段は彼女を捜査に参加させたくないという上司もいた。だが、そんな連中でも、事件に行きづまると、サリーの助力を願ったぐらいだ。サリーは最後の最後に残された、警察の希望だったわけだ」
「なるほど」

 エドウィンは顔をしかめた。
 普段はサリーを毛嫌いしときながら調子よすぎるぞと、彼が思っているのは誰の目にも明白で。
 ブリザックも、苦笑をもらした。

「サリーを嫌っていた連中も多いが、そうでない者も多いんだよ。今も警察内部には彼女のファンが多いしね。神話のパンドラは、神々からありとあらゆる美徳を贈られたそうだが、サリーもまた、有能な上に美しいしね」

 それには全面的に賛成である。
 エドウィンは今度はうむうむと頷く。

「……警察という大きな組織の中にいれば、サリーもまた、その組織に守ってもらえることもある。だから、戻ってきてもらいたんだが」

 どうやら、サリーはそれを固辞しているようだった。

「サリーが刑事になったのは、やはりあなたの影響ですか?」
「というほどでもないと思うよ。サリーは力が欲しかったんだろうね。事件に巻き込まれたとき、それを自分でなんとか出来る力と、巻き込まれた第三者を守るための力。それには、刑事になるのが一番の早道だから」
「そんな理由なら、刑事でいる限り、サリーは幸せになれないのでは?」

 失礼かと思いながらも、エドウィンははっきりとそれを口にした。
 彼としては、ずっと疑問だったのだ。
 事件体質で、それを忌み嫌っているサリーが、なぜ更に事件に遭遇する可能性の高い刑事などという職業を選択したのか。

「事件に巻き込まれるのは、彼女の責任じゃない。それなのに、彼女は全てを背負い込みすぎる。いつかつぶれてしまいそうで、見ていられません」
「確かに、彼女のせいじゃない。だが、目の前で何人も事件にあうのを見ていれば、そんな風に割り切るのも難しいのかもしれないよ」

 ブリザックの言うことはよくわかる。
 サリーがどれほどの心の傷を負っているのか、殺意を持って銃を向けられながらも、何の反応も出来なかった、平和ボケした自分にはきっと想像も出来ない。
 だが、サリーがその傷の痛みを、誰に頼るでもなく、一人でずっと抱えているということはわかる。
 ずっと張り詰めて、一人でしっかりと立ち続け、きっとまともに泣いたことだってないのかもしれない。
 そんなサリーを、しっかりと抱きしめて、一時でもいい、彼女に安らぎをあげたい。

 エドウィンは歯を食いしばり、ぐっと拳を握り締めた。

「俺は絶対にサリーを守りますから。絶対に」

 そのためには、彼女に安心してもらえるぐらい、自分が強くなければならない。
 何があっても大丈夫だという、信頼だって必要だ。
 それだけの力を、絶対に手に入れてやると、エドウィンは心の中で誓う。

「彼女を幸せにします」

 ブリザックは、そんなエドウィンを好ましく思ってくれたようだった。
 何も言わなかったが、小さく暖かく微笑んでくれた。

 真剣に話し込んでいた二人のテーブルに、突然、人影が落ちた。
 驚いて、警視と魔法使いは顔をあげる。

「お兄ちゃん、魔法使いでしょ」

 いきなり、二人の間に割り込んできたのは、あどけない女の子だった。

02


 突然のことに、エドウィンもブリザックも、すぐに声が出なかった。

「アニーったら! 駄目よ。ちょっと!」

 その女の子の母親らしき若い女性が、隣のテーブルから慌てて駆け寄ってきて、女の子の手を引っ張る。
 そうしつつも、エドウィンとブリザックに、ペコペコと頭を下げていた。

「人違いよ。その方は、魔法使いさんじゃないから」
「ちがうわ! このお兄ちゃんは、魔法使いさんだもん。わたし、先週、ママとパパと魔法を見に行ったのよ。とってもステキだったわ」

 どうやら、真実を見抜く目を持つ子供には、エドウィンの変装も通用しなかったらしい。
 エドウィンは慌てる母親を視線で制し、少女の方へと体の向きを変えた。

 目を輝かせ、うっとりと見上げてくる少女に、エドウィンもにっこりと微笑みかえす。
 それは、スーツ姿のビジネスマンのではなく、ステージの上で多くの観客の視線を釘付けにする、魔法使いのとんでもなく魅力的な笑みだった。
 微笑みかけられた少女は勿論、その母親も真っ赤になって絶句してしまう。

「どうもありがとう。僕の魔法は気に入った?」
「ええ、とっても! ねえ、どうしてあなたは魔法をつかえるの? どこで魔法をおしえてもらったの?」
「それはヒミツ」
「おしえて! わたしも魔法使いになりたいの」

 少女は必死の様子だった。
 ブリザックはエドウィンがどう対応するのだろうと、興味深げに見ている。

「大丈夫。きっと魔法使いになれるよ」
「ほんとう?」
「本当だよ。一番難しいのは、魔法使いになりたいって思い続けることかな。ずっと思っていれば、いつか必ず、なれるよ」
「あなたみたいな魔法使いに?」
「君なら、もっとステキな魔法使いになれるさ」

 エドウィンはにっこりと微笑むと、ひらりと右手をひるがえす。
 少女の顔の前に右手が止まったとき、その手の中にはピンクの薔薇の花が一輪、咲いていた。

「これは未来の魔法使いさんへ、プレゼント」
「ありがとう!」

 少女はそおっと手を伸ばし、エドウィンから薔薇を受け取った。
 まるで、慌てて手を出してしまって、この魔法を壊してしまいたくないといった仕草に、ブリザックも少女の母親も微笑んでいた。



「さすがだね、魔法使いさん」

 少女と母親が礼を言ってテーブルに戻ってから、ブリザックはそう声をかけた。
 ブリザックの口調も視線も、からかっているわけではなく、本気の賞賛であることを示していたので、エドウィンは小さく頷いてそれに答えた。

「子供にはよく声をかけられるんですよ」
「それで魔法をせがまれる?」
「いつも子供用になにかしら持っています」

 話しながら、エドウィンはスーツの胸ポケットからメガネを出してかけた。

「もう一つの魔法はとけてしまったようだな」

 ブリザックも、カフェの客達が魔法使いに注目していることに気がついたのだろう、そんな風に言った。
 先程の子供とのやり取りを見られたからだ。
 メガネをかけて近寄りがたい雰囲気を作ろうとしても、人に囲まれてしまうのは時間の問題だろう。

「どこまで話をしたか、忘れてしまいましたね」
「そうだな。だが、私が話せるのは、ここまでなんだよ」

 すまなそうに微笑むブリザックに、エドウィンは内心、嘆息した。

 あの、あの!サリーの親代わりの人だ。そう簡単に話がすすむわけないと覚悟はしていたが、やはり落胆は隠せない。
 なにしろ、これでまた、サリーに繋がる糸は切れてしまうのだから。

「ロッシュに会うといい」

 唐突にそう言ったブリザックに、エドウィンは軽く目を見張った。

「ロッシュ? 誰ですか」
「それは言えない」

 と、片目を閉じながら、ブリザックは席を立った。

「あの!」

 立ち上がりかけたエドウィンを、ブリザックは目線で制す。

「幸運を。魔法使い」
「……ありがとうございます」

 去っていくブリザックの後ろ姿をクールな表情で見送りつつ、エドウィンは内心で狂喜乱舞していた。










 サリーの事に関して、エドウィンは細心の注意を払っている。
 特に、マネージャーのナリスが、サリーをよく思っていないことを知ってからは、人前でサリーの名前を口にすることさえ避けた。

 ナリスとは長いつきあいで、彼が何を考えているのか、エドウィンにはよくわかる。
 マジシャンとしてのエドウィンを何よりも大切しているナリスは、サリーを出来るだけ遠ざけようとするだろう。
 エドウィン個人の意志など、魔法使いとしてのエドウィンを守るためなら、ナリスにとっては些末な事でしかないのだから。

 それもあって、ツアー中は動きが取れなかったのだ。
 わずかな空き時間を利用してサリーを探したくても、ナリスの目が光っていて、ままならなかった。
 エドウィンとしても、発砲事件の後だということもあり、ステージに集中する必要があって、時間を作ることが難しかった。
 全て放り出して、サリーを追いたかったのだが、やはりプロとしては中途半端な事も出来ず。

 だが、ようやくツアーも終了し、エドウィンは休暇に入った。
 邪魔をするナリスもいないし、エドウィンは心おきなく、サリーに集中しだしている。

 ブリザック警視と会った翌日、エドウィンは郊外の自宅へと移動した。
 ステージなどの仕事がつまっているときは、都心のペントハウスを使っているのだが、本当の自宅はこちらだ。
 マジックで使うギミック(仕掛け)を製作している、こじんまりした小さな工場を兼ねていて、ここはエドウィンの活動を裏で支えるものが全て収まっている。
 勿論、ここの存在は誰にも教えていないし、工場自体も外から見ただけでは、広大な敷地を持つお屋敷としか見えないように作ってある。

「おかえりなさいませ、エドウィン様」

 車寄せに停車すると、すぐに正面玄関が開き、この屋敷を管理しているバートが姿を見せた。
 三十代後半から四十代といった男で、一般人よりも長身なエドウィンよりも、更に頭半分ほど背が高い。
 手足が長く、だがひょろりとした印象を感じさせないのは、動作が機敏で、しっかりと筋肉のついた体をしているからだろう。

「ただいま。車、頼むよ」

 と、エドウェインはバートに車のキーを渡す。
 クラッシックな外観の屋敷にふさわしい、執事といった感じのバートは、きびきびとした動作でキーを受け取り、エドウィンのために扉を大きく開いた。

「こちらにはしばらくご滞在ですか?」
「いや。多分、そう長くはいないと思う。探し物をしててね」
「探し物、ですか」
「その情報をさがすのと、探検の準備といったところかな」

 コーヒーを頼み、エドウィンはジャケットを脱ぎながら、地下にあるコンピュータールームに直行した。

 ブリザックの教えてくれた「ロッシュ」という名前は、サリーにつながる人物の名前である可能性が高い。
 しかも、あんな風に口にしたのだ。エドウィンに、ロッシュを探してみろ、探し出せたならサリーに近づけると、そういう意味合いがあったのだと思う。
 だとすれば、ロッシュなる人物は、電話帳に載っているような一般人ではなく、特殊な環境の中にいる人物だということになるのではないかと、エドウィンは考えていた。

 昨日、ブリザックと会って帰ってから、自宅のパソコンで調べられる限りのデータは調べた。
 公開されているデータ、調べればすぐにわかるデータの中から、警察関係者、私立探偵、サリーが勤めていた会社を調べ、ロッシュなる人物がいないことは確認済みだ。
 となれば、後は、公開されていないデータ、裏側の方へとアクセスする必要がある。
 自宅のパソコンでは、それをするにはかなり危険なので、ここに移動してきたというわけだ。

 だが、何の手がかりもなく、ただロッシュという人物を探すというのは、そう簡単なことではない。
 エドウィンの本業はマジシャンで、情報処理やハッキングのプロに比べれば、そちらの方の腕前はまだまだ未熟だ。
 ここ数年、その道のプロに色々とレクチャーしてもらって、かなり腕は上がっていると思うのだが、必要とする情報には、かすることも出来なかった。

「なかなか……。やり手だってことだろうなぁ」

 エドウィンがため息をつくと、背後の扉が開き、バートがコーヒーを持ってきてくれた。

「探し物は見つかりましたか?」
「お手上げかも。俺の腕も、まだまだだな」
「そんなことはありませんよ。そこらへんのハッカーを気取る連中なんかよりは、ずっといいはずです」

 その道のプロで、エドウィンに情報処理のレクチャーをしているバートは、そう言ってくれたのだが。

「ありがと。だとすれば、やっぱ、一筋縄じゃいかない相手だということかなぁ。追いかけがいがあっていいけど」
「探し物は、人でしたか」
「うん、そう」

 と、エドウィンは椅子を回して、バートの方へと体ごと振り返った。
 ナリスは、マジシャンとしてのエドウィンをサポートしてくれているマネージャーだが、バートはもっとエドウィンのプライベートな部分をサポートしてくれている。
 この屋敷の管理は勿論のこと、エドウィン個人の執事として、各種手続きから顧問弁護士との調整、個人的な友人達との連絡など、様々な面でなくてはならない人だ。

 だから、バートになら、サリーのことを話してもいかもしれないと、エドウィンは思った。
 ナリスとは違い、バートなら反対はしないだろうし、エドウィンも誰かに聞いて欲しい心境だったのだ。

「この前、発砲事件があっただろう? その時、俺をかばって撃たれてしまった女性を探しているんだ」

 エドウィンは、自分がサリーをどう思っているのか、その後、サリーとはどうなったのか、細かく説明した。

「それで、彼女は消えてしまったわけですか?」
「そうなんだ。会社は辞めていた。彼女の部屋も、もぬけの殻。手がかりゼロ」
「会社の人事ファイルはどうです? あれはそうすぐに消したりしないでしょう」
「消えていたよ。綺麗さっぱりね。人事の女の子に頼んで見てもらったんだけど、彼女も驚いていたから、ファイルを削除したのは、きっとサリーの仕業だろうな」
「彼女がハッキングしたわけですか。それで、彼女の個人情報もつかめないとなると、いい腕ということになりますか?」
「どうかな。素人だとは思わないけど」

 エドウィンの奥歯に物がはさまったような言い方に、バートがいぶかしげな視線を投げてくる。

 バートは、情報部の凄腕のエージェントだった。
 エドウィンは詳しく知らないし、詳しく聞いたこともないのだが、裏の世界では名の知れたハッカーだったらしい。
 実際、彼の知識は表裏ともどもに幅広く、いつもエドウィンを驚かせる。
 そんなバートなら、もしかしたら、サリーのあだ名を知っているかもしれない。そしてそれにまつわる嫌な噂も。
 だから、エドウィンはそれをあえて出さなかったのだが。

「パンドラって、知ってる?」

 バートのポーカーフェイスはいつも完璧だが、わずかに眉がひそめられた。
 それで充分だった。


03


「……とんでもない女性に惚れこんだものですね」
「追いかけがいのある女性だというのは否定しないけど」
「彼女にまつわる噂については、勿論、ご存知なんですよね?」
「知ってるよ」
「あれは嘘ではありません。彼女の凶運は本物です。きっと、死神か悪魔が取り付いているのでしょう」
「追い払ってみせるさ」

 あっさりと言ったエドウィンを、バートはなんともいえない表情で見返した。

「俺だって、とんでもない強運の持ち主だって、よく言われるぜ」
「ええ。あなたには、天使か女神の加護があるように思いますよ」
「じゃ、彼女とあわせて二で割れば、丁度いいんじゃん?」

 エドウィンらしい言いように、バートは微笑をもらした。

「二で割られては困ります。彼女の凶運を追い払って、あなたの保護下に引き込むことですね」

 珍しいバートの笑顔に、エドウィンもぱっと輝くような笑顔になる。

「バートならそう言ってくれると思った!」
「ナリスは反対するでしょう。当然ですよ」
「すごい積極的に反対してるぜ、あいつ」
「マジシャンとしてのあなたを、彼は心底愛しているのですから」
「わかってる。……だから、色々見逃してる」

 多分、サリーが出て行ったきっかけを作ったのは、ナリスだろう。
 招待したあのステージの後、サリーとナリスがロビーで話していたことも、エドウィンはスタッフから聞いて知っている。
 だが、ナリスの気持ちはわかるから、何も言っていない。

「パンドラなら、きっと協力者がいるでしょう。刑事なら、懇意にしている情報屋がいても不思議ではありません。その協力者が、彼女を隠しているんでしょうね」
「多分、そいつがロッシュだと思うんだ。知ってる?」
「残念ながら。私はもう五年も一線を離れていますから。きっと、若い情報屋なんでしょう」
「でも、いい腕らしい」
「そのようですね。協力しましょう」

 エドウィンは驚きに目を見張った。

「いい。俺一人で大丈夫だ」

 そしてすぐに、強い口調で断った。
 バートはエージェントでいることが嫌で、ここに来たのだ。
 エドウィンのために、常にある程度の情報収集をしてくれているが、彼自身が言ったように、もう第一線からは引退している。
 この屋敷で、エドウィンの世話をし、時にはマジックの仕掛けを作るのに手を貸したり、穏やかな時間をすごして、バートはずいぶんと笑顔を見せてくれるようになったのだ。
 それをとても嬉しく思っているのに、また彼を復帰させるつもりなんて、エドウィンにはこれっぽっちもない。

「協力させてほしいんです」
「バート」

 厳しい表情のエドウィンに、バートは本日二度目の微笑をみせた。

「自分でも少し意外なんですが、本当にそう思っているんです。そうすることに、抵抗感もありません。それどころか、少々、ワクワクします」
「ワクワク?」
「そうなんです。あなたはいつも楽しそうだ。前向きで、自信たっぷりで、どんな困難もどこか楽しそうに乗り越えていかれる」
「いつも楽しいわけじゃねえぞ」
「それでも、私にはそう見えるんですよ。あなたには悲壮さがない。それがとても、好きなんです。今回も、あなたはとても楽しそうだ。そして、私にも協力できる分野なので、私もその楽しみに参加できるのが、なにやらワクワクするんですよ」
「バート……」

 エドウィンはなにやら複雑な表情で、力なく首を左右に振った。
 お前、もっと重厚なキャラクターだったはずじゃ。俺に毒されてどーする。と、その顔に書いてあったが、バートは頬笑みを消さない。

「だから、協力させてください。それに、彼女にだって協力者がいるわけですから、私があなたを協力したって、ルール違反にはならないでしょう?」

 いや、だから、ルール違反とかそういう問題じゃなくて。そもそもいつルールなんて決まったんだよ。と、思いつつも、エドウィンは本当に楽しそうなバートの表情と口調に、ふうと息をついて、肩を落とした。

「その、ロッシュって奴に会えるようにしてほしいんだ。どれぐらいかかる?」
「明日までには、連絡をつけましょう」
「了解。よろしく頼むよ。その間、俺は準備しとくから」
「おわかりかと思いますが、ボディチェックをされてもわからないような物ではないと、意味はありませんよ」
「まかせとけって」

 エドウィンは椅子を立つと、すれ違うときに、バートと手と手を打ち合わせ、地下室を出て行った。

 そして、バートがいい知らせを持ってきたのは、約束どおり、翌日の午前中だった。


04


 ひょろりと痩せた体に、つんつんと立たせた髪は、明るいオレンジ。
 鼻の上に小さな丸いサングラスをのせ、大きな紙袋を抱えた若い男は、のんびり鼻歌を歌いながら歩いている。
 だが、彼の歩いている界隈は、あまりのんびり出来るような所ではない。
 旅行者向けのガイドなどには、絶対に立ち入ってはいけないと明記されているような場所だ。

 その男はこの街の風景にとけこみ、道端に座り込んでいる男達も、誰も彼には注意を向けない。
 ちらりと姿を見て、すぐに興味を失うといった感じだ。

 男は、アパートメントのエントランスをくぐる。
 大きくひびの入ったドアのガラスには、けばけばしいポスターが貼られ、ずらりとならんだ郵便受けには、いたるところに悪戯書きがされている。
 自分の部屋の郵便受けを開き、中から封書をいくつか取り出し、封書の差出人を確認する男の横に、すっと、中年の男が並んだ。

 男はそちらをちらりと見ただけで、郵便受けの扉を閉ざして鍵をかけ直す。
 そのまま階段を登っていこうとして、声をかけられた。

「なあ、あんた」

 男は階段に足をかけたまま、振り返った。
 声をかけてきた中年の男は、郵便受けにもたれかかり、おずおずといった感じに、見上げてきていた。
 所々穴のあいた古びたジーンズに、サイズの合わないシャツ、ざんばらの艶のない長い髪は、首の後ろで無造作に縛られていた。
 ここら辺にはよくいる、浮浪者になりかけといったところだろうか。
 それでも、目にはちゃんと正気の光が見えて、これで薬中毒者なら放っておいたのだが、男は一応、話をきくつもりになった。

「あんた、ロッシュだろ?」
「………」
「頼みてぇ、仕事があんだ。あんたにとっても、悪い話じゃねえよ」
「………」
「話しぐらい聞いてくれよ」

 こういう言い方をする奴ほど、有益な情報など持っていないものだ。
 ロッシュはそれをよく知っていたが、時に、本当に希にだが、特別な情報を得ることが出来る。
 それに、彼は情報屋で。どんなつまらないことでも、ゴミのような情報でも収集してしまうのが性分なのだ。

「わかった。そこで待ってろ」

 両手に抱えた今日の夕飯を、とりあえず冷蔵庫に納めたい。
 それに、両手が塞がったままでいるのは、不安だ。

 ロッシュは五階まで階段を駆け上がると、部屋の鍵をあけた。
 中に入り、また扉に施錠しようと振り返ると、その扉の前には、下にいるはずの、あの中年の男が立っていた。

「!」

 勿論、玄関の鍵を開けるとき、周囲をよく確認した。
 扉だって、大きく開けたわけじゃない。
 それに、誰か入ってきた気配だって、感じなかった。

 まるで、魔法のように、そこに現れた男に、ロッシュはぞっとした。
 だが、彼が自失していたのは、ほんの一瞬だった。

 両手に抱えていた荷物を、その男に投げつける。
 至近距離だった。絶対に当たるはずだったのに、荷物は男には当たらず、玄関の鉄の扉に当たって、大きな音を立てた。

「こっちこっち」

 声は背後から。
 ロッシュは胸ポケットから拳銃を引き出しながら、振り向きざまに撃とうした。
 遠慮も躊躇もない。この世界では、自分の身は自分で守らなければならないのだ。

 だが、引き金を引く前に、銃を握る手に激痛が走り、ロッシュは銃を取り落とした。
 カン! と、乾いた音を立て、小さな鉛色をした丸い物が、フローリングを滑っていく。これが手に当たったのだ。

 それを目の端にとめながら、落とした銃に手を伸ばす。
 幸い、銃は不法侵入者よりもロッシュの近くに落ちていたので、うまくいくかもしれないと思ったのだが。

 手が届くと思った瞬間、銃は、フローリングの床の上をずずっと滑っていった。
 それは、異様な光景だった。
 誰も触れていない、紐などで引っ張っているわけだってない。この銃は、ついさっきまで、ロッシュの胸ポケットの中に入っていたのだ。
 それなのに、そんなわけがないのに、銃は勝手にフローリングの床を滑り、不法侵入者の前まで行くと、そのままふわりと、今度は宙に浮かび上がった。
 くるくると回転しながら、不法侵入者の目の高さまで上がると、ぴたりと止まる。銃口を、ロッシュに向けて。

 その間、不法侵入者は、じっとロッシュを見下ろしたまま、ぴくりとも動かなかった。
 この男は、超能力者なのかと、ロッシュは床に片膝をついた姿勢のまま、凍り付いたように動けなくなった。

「手荒な真似して悪いな。あんたとは、サシで話したかったんだ」

 下で、声をかけてきた男とは、話し方も声の張りも、まるで違っていた。

「荷物、駄目にして悪かった。あんたに危害を加えるつもりはない。話を聞いてくれないか」
「……人に銃口向けたまま、危害を加えるつもりはないだと?」
「俺にはないが、あんたがどう思っているかは別だろう。友好的にお話してくれるなら、銃は返す」

 と、男はにやりと笑った。
 ボロを着て、生活に疲れた浮浪者のような男に、その不適な笑みはあまりにも不似合いだった。

「あんた何者だ。まず名乗ったらどうだ」
「こりゃ、失礼」

 男は、長い髪を無造作につかむと、それをむしり取った。
 カツラの下からは、ピカピカな金髪が現れる。
 更に、男は自分の顎の下に指をかけると、自分の皮膚をべろりと剥いでみせた。
 それは精巧にできたマスクで、そのマスクの下からは、とんでもなく美貌の若い男が姿を見せた。

「エドウィンだ。俺のことは、サリーから聞いていると嬉しいな」

 宙に浮いたままの銃を手に取り、銃口を下げたエドウィンは、さっきと体格さえ違うように見えた。
 枯れたように痩せている印象だったのに、今はパワーと俊敏さを併せ持つ、引き締まった体躯を持つ長身の若い男なのだ。

「……早変わりが得意だったな」

 思わずつぶやいてため息をつくと、エドウィンはにやりと笑った。

「得意なのはそれだけじゃないぜ」
「ああ、サリーに聞いている」

 ぱっと輝くような笑顔を、エドウィンが浮かべた。
 サリーが自分のことを話していてくれたことが、よっぽど嬉しいらしい。

「警視から連絡も受けている。来れたら、話をしてやってくれともね」
「で? あんたはそれを実行してくれるわけ?」
「……いいだろう」

 エドウィンは銃の安全装置をかけると、握りをロッシュの方に向けて、銃を返した。
 その、無防備な仕草に、ロッシュは少し眉をひそめかけたが、エドウィンのお日様のような笑顔に毒気を抜かれ、笑顔をうつされそうになったのには抵抗して、小さく嘆息した。

05


 ロッシュは狭いリビングに、エドウィンを招き入れた。
 リビングというよりダイニングで、テーブルと椅子が二脚あるだけ。
 エドウィンと一緒に玄関から回収してきた食料を冷蔵庫に納め、コーラを二缶とりだして、一つをエドウィンに投げ渡した。

「今のトリックを教えてくれよ」

 言われて、エドウィンは渋い顔をした。

「あんたもサリーと同じだな。マジックは仕掛けを知ってしまうことほど、つまらないことはないんだぜ。そんなことより、サリーはどこだ。知っているんだろう?」
「仕掛けを教えてくれよ。そうしたら、考えてもいい」
「……難しい仕掛けはないんだけどね。何が不思議だ?」

 プルトップをあけ、エドウィンはコーラを飲む。
 対してロッシュは、目を輝かせ、テーブルに両手をついて、エドウィンの方へと身を乗り出した。

「最初からだ。どうやって、中に入った?」
「扉から」
「無理だ。俺は、自分が通るぶんしかドアを開けなかった」
「そう思ってるだけさ。あんたは、大きな荷物を抱えていた。だから、いつもより大きくドアを開いていたのに気づかなかっただけのことだ」

 コーラを飲みながら、エドウィンはなんでもないことのように話している。
 確かに、なんでもない当然のことなのだが。

「俺が荷物を投げたら」
「あんたが次にどうするかなんて、すぐわかるさ。持っていて邪魔な物があれば、まずそれを敵に投げつけるのは、当たり前のことだろう?」
「俺の動きを予測して、背後に回ったのか」
「そーいうこと」
「だが、あの銃は! あれは予測出来なかっただろうし、仕掛けする時間もなかったはずだ」
「あったぜ?」
「……いつだよ」
「床にいい音して鉛玉が転がっていったのを、あんたが目で追っていた間」

 エドウィンは、指と指の間に、アメーバ状の透明な物体を取り出してみせた。
 そのネバネバには、これまた透明な糸がつながっている。

「その間に、これを銃身に投げつけて、同じ物を天井に以下同文。で、天井にくっつけた方には、ちょっとした金具が仕掛けてあって、そこに糸が通っていて、糸を巻き上げれば、銃は引きずられ、宙に浮くと。こういうわけだ」

 聞いてみれば、どうという仕掛けではなかった。
 糸と透明なゴムは、特別な物なのだろうが、それ以外は、至って普通な仕掛けで。

「でも、あんた、ずっと手は動かさなかったし」
「動かしてたぜ? そう思いこんでいるだけさ。最初、あんたの視線は動く銃にしか向いていなかった。その間、俺が何をしていたかなんて、見ていないだろ? 糸を巻き上げていたリールは電動式だから、手の中に握っていればいいしな」
「……そんなことでだまされたのか」

 エドウィンはまたも渋い顔をする。

「あーのーな。だますとか言うな! あの場所は暗かった。だから、この糸は至近距離でも全く見えなかったはずだ。それに、あんたはひどく動揺していた。起こるはずのないことが起き、安全なはずの自宅に侵入されたんだから当然だ。もっと冷静なら、床を動く銃を奪い取って、俺に銃口を向けただろう」
「………」
「マジックは仕掛けじゃない、演出さ。ほらみろ、つまらなかっただろう?」

 ロッシュは何とも答えられなかった。
 ただ、小さく吐息をついた。

 サリーが話していたことを思い出した。
 魔法使いと呼ばれるこのマジシャン。彼は観客の目を欺くのではなく、心に魔法をかけるのだと。

「サリーは、あんたから逃げてるぜ、魔法使い」
「………」
「実は、彼女はしばらくここにいた。誤解ないように言っておくが、そういう関係じゃないぜ。ブリザック警視から、あんたに会って俺の名前を教えたという連絡があってすぐ、ここを出ていった」
「どこに」
「それは、俺も聞いていない」

 エドウィンは落胆の表情を隠さなかった。

「サリーはやめておけよ。あんたなら、どんな女だって、選び放題だろ」
「サリーとは長いのか?」
「まあね。俺は元々、ロブに情報を回していた。その縁だな」
「ロブ…警察時代のサリーの相棒だった、ロバート?」

 ロッシュは頷く。

「彼は今どうしているんだ。まだ警察に?」
「いいや。あの交通事故をきっかけに退職したよ」
「ああ、高齢だと聞いている。やはり、事故の後遺症もあったんだろうな」
「それもあるんだが、サリーが辞めたってのが大きかったんだろうなぁ。交通事故の責任は、ロブの方がずっと重く考えていた」
「運転者だったし、スピードも出していたし」
「なのに、サリーが全ての責任をとる形で辞職したから、納得出来なかったのさ」
「彼はいい相棒だったんだな。サリーの凶運についても、気にしていなかった。きっと、サリーも彼を信用していたんだろう」
「そりゃそうさ! 初めて会った時のサリーは、そりゃもう、ハリネズミもいいとこだった。自分に近寄るなってオーラまき散らして、しかも鬼のように頭よくてなんでも一人で出来るから、それで何も問題ないときてる」

 エドウィンは声をあげて笑った。

「ロブは猛獣使いの才能があるな」
「同感だよ。俺も彼を尊敬してた。凄い刑事だった」
「サリーも彼を信頼していたんだろうな。彼女の信頼を勝ち取るには、とても苦労したに違いない」
「まあなぁ。その点、俺なんかは、ロブの信頼のおこぼれもらったって感じでさ」

 ふと、ロッシュは自分がいつになく饒舌だということに気が付いた。
 まるで、ロブとサリーをとてもよく知っている旧友と、昔話を楽しんでいるような気分になっている。
 そんなはずはないのに。
 目の前にいるエドウィンは、ロブのことはほとんど何も知らないだろうし、サリーのことだって、それほど詳しくはないはずだ。

「そういえば、テレビで、人の心を読むってマジックを見たことがあるぞ」

 エドウィンはにっこり笑うだけで、答えない。
 コーラを飲むエドウィンを、ロッシュは改めて警戒した。
 明るい笑顔と、人なつっこい話し方に、つい彼が魔法使いとまで呼ばれるマジシャンだということを忘れてしまう。

「サリーの居場所以外に、何が知りたいんだ」
「サリーのことなら、何でも知りたい」
「彼女に直接聞くんだな」



 硬化したロッシュの態度に、エドウィンはどうやらここまでだと、残念に思った。
 だが、相手は一筋縄ではいかない情報屋だ。
 これだけ話を聞けて、よしとするべきだろう。

 飲み干したコーラの缶をテーブルに置き、エドウィンはもう少し、聞いてみることにした。

「サリーは警察を辞めて、イベンターをしていたが、それには何か意味が?」
「……地味で事件とは無縁の職場なら、なんでもよかったのさ」
「それなら、会社の事務とか」
「サリーの経歴じゃ、事務職には採用してもらえねーよ」
「なるほど。それでイベンターを辞めて、また職さがし?」
「彼女に直接聞けよ」

 エドウィンはロッシュの様子を、ずっと注視してきた。
 自分の言葉に彼がどんな反応を示すのか、言葉だけではなく、表情や仕草、目線の移動など。
 そんなちょっとしたことでも、かなり相手の気持ちが読みとれるのだ。
 マジシャンの中でも、読心術をおこなうメンタリストと呼ばれる者たちの、ごく基本的な技術。
 エドウィンもそれなりに心得がある。

 そして、部屋の中の様子。
 雑多に置かれている小物の中に、カラーの違うものがいくつか。
 ロッシュの抱えていた夕食の材料だという大荷物。
 冷蔵庫の中身。

 それら全ての情報から、エドウィンは一つの確信をえた。

「サリーに伝言を頼みたい。それぐらい、いいだろう?」
「サリーが俺に連絡取ってくるとは限らないぜ」
「それでもいい。彼女と話すことがあったら、伝えてくれ」

 と、エドウィンは、ロッシュに背を向けた。
 そして、部屋の奥、隣室に繋がっているのだろうドアに向かって、結構な大声で話しだした。

「怪我が完治するまで同居するという約束を、忘れたとは言わせないぞ! この大嘘つき! いつか絶対っ捕まえる。だから、いい加減、隠れてないで出てこいよ!」

 言い終わり、ふうとエドウィンは息をついて、肩を下ろした。

「邪魔したな」

 呆気にとられて、ボーゼンとした顔のロッシュにそう言い残し、エドウィンはさっさと情報屋の部屋から消えていった。



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