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解脱の理解

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現象論としての解脱の理解

 解脱は、基本的には心的現象である。したがって、すでに解脱を果たした覚者といえども、それを客観的に明らかにすることはできない。しかしながら、普遍妥当な客観性を以て、現象論としての解脱論を語ることはできる。

 さて、解脱を現象論として扱うためには、先ず現象としての対象を指定しなければならない。この場合、解脱の本体とでも称すべき対象が必要となるであろう。ここでは、それを「解脱の体」と仮設することにする。こうすれば、解脱を次のように規定することができよう。

  『解脱とは、解脱の体が裂け落ちることである。』

 さて、ここにおいて、すでに解脱を果たした覚者達からの話を綜合することによって、解脱の体が何であるか、その正体に迫ることができる。

 それは、次のようなものであると説かれる。

  名称(nama)と形態(rupa)が、解脱の体である。

 これらが解脱することによって、それぞれの体の作用が消滅し、安らぎが得られることになるのである。ここで、

 名称(nama)作用が滅びた場合、世間の煩いが終滅する。これを心解脱と呼ぶ。

 形態(rupa)作用が滅びた場合、識別作用が終滅する。これを身解脱と呼ぶ。

 名称と形態(nama-rupa)の両方の作用が滅びた場合、一切の苦悩が終滅し、また一切智を得る。これを慧解脱と呼ぶ。

 それぞれの解脱の詳細については、次節以降に譲るとして、ここで大事なことは次のことである。

  『解脱は、何かを付け加える手段ではなく、余計なものを裂け落とす手段である。したがって、誰もがそれを達成できる筈のものであると言える。素質も才能も要らない。それぞれの人の出発点がどこであろうとも、苦の体として心に何を纏っていようとも、それをいわばゼロに帰すことが解脱に他ならないからである。』

 少なくとも解脱を現象論として語るときには、このことが周知されていれば充分であり、他の論議を要しない。修行者は、このことを忘れずにいて、混迷に陥らないようにしなければならない。


想定される解脱の体

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解脱が起こる根拠

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解脱の要因

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解脱の因縁

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解脱と懺悔

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衆生はなぜ容易に解脱しないのか

 解脱の根拠や要因を語るのは、いわば解脱を生じつつある人に向けた言葉である。現実には、衆生は容易には解脱を生じない。その理由について述べたい。ここで、こんなことを述べるのは、人々(衆生)に解脱を目指そうとする心を起こしてほしいからである。自分のことを省みて、思い当たることがある人は、きっと解脱を目指す心を起こすであろう。そう信じて、以下に、衆生が容易には解脱を生じない理由を列挙する。

 
 一番の理由は、衆生は、まさか自分が解脱することができるとは思っていないことである。たとえ解脱という言葉を聞き知っていたとしても、それは自分には縁のない、遠いところの話であり、それがそのまま自分に当て嵌まることだとは夢にも思わない。つまり、その気がない。それで、衆生は容易には解脱を生じないのである。
 
 二番目の理由は、衆生は、解脱が何か恐ろしいことを伴う現象だと決め込んでいることである。たとえ、解脱は何も恐ろしいことはないものであり、何の苦悩も、何の痛みも、何の心配もいらないものだと説明したとしても、それでも衆生にとって解脱はまったく未知のことがらであり、知らないというだけでそれを怖れるに充分な理由になるだろう。
 
 三番目の理由は、衆生は、今の生活を何一つ変えたくないと頑迷に思っていることである。苦があっても、それは多少のことであり、我慢の利くものであり、やり過ごせばよいものであり、苦があって楽があると信じられるものであり、多くの人々が生活の変化を好まないものであり、それが常識的で、現実的であると考えている。現状を打破すべきだと感じていても、それと解脱とは結びつかない。お茶を濁すようなことで対処できればよいと考え、それが結局は自分にできる最善の方法なのだと信じているのである。
 
 四番目の理由は、衆生が、解脱の真実とその真相を知らないということである。知らなければ、興味を抱くこともない。それで、衆生は容易には解脱しないのである。
 
 さて、どうであろう。思い当たる節があるだろうか。思い当たることがある人は、解脱を目指す心を起こしてほしい。
 
 私は、菩薩に向けてではなく、衆生に向けて本書を著そうと思った。人々(衆生)を、直接解脱に導く方法は存在しないが、解脱の真実とその真相を読み物として示すことはできると考えたからである。
 
 解脱の真実とその真相を知った人は、解脱を、つまり覚りを目指すであろう。円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至る道は平らかであり、その進むべき方角には何の危険もない。栄えと楽しみとともに目的地に到着する道である。しかも、目的地に至ればそこには苦悩がない。そこには憂いがない。そして、苦悩の世に逆戻りすることもない。人々がこの安らけく境地を目指さない筈がない。この世の享楽にとらわれ、苦に安住している衆生といえども、真実を知れば、ニルヴァーナを目指すであろう。そうであることを、私は確信している。