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3月20日収穫『応援が欲しい人』

「あの人はいいなあ、ファンがいて、友達もいて、応援してもらえて。その上有料で高値でも1万冊以上も本買ってもらって。羨ましいなあ」

 

 これは極端な例だが、誰でも一度は、「応援してもらいたい」と思うだろう。それも、できれば言葉や態度に表わしてほしい、と。それは咎めることのできない、ごく一般的な感情である。

 

 応援とは、本物であれば、好意の表れの一種でもあり、社会的支援でもある。

 

 得られる人、得られない人の差はなんだろうか。人徳?運?普段の行動?人づきあい?

 

 確かにどれもその通りだ。

 

 しかし、何もこれはあなただけの問題ではないのである。

 

 どこで何をやっても、盛り上げようとしているのに、周りが物静かな人だらけという人もいるし、黙って見守っていてほしいのに、どこへ行ってもにぎやかで辟易して埋もれてしまう人もいる。

 

 また、ネットでは理想通りでもリアルでは散々な人もいるし、リアルは充実していてもネットではそうではない人もいる。

 

 …リアルについては省くが、ネットの場合は、文字、絵文字などの量や、文章の書き方、画像やサムネイル、投稿内容、頻度で様々な判断がされている。

 その評価はフィーリングに近く、言い方は好ましくないが「相性」の良しあしの(当然、最初のそれは実際のものではない)判定に使われる。

 わかりやすく言うと、「言い方が小難しい」「わかりやすい」「下ネタばかり」「政治の話ばかり」「芸能界の話ばかり」「自分の興味のないジャンルのオタク」などといったものがそれにあたる。

 自分に合わない人には人はくっつこうとしないし、低レベルでためにならない情報ばかり発信している人にもくっつかない。

 

 実際に会ったら、どんなに感じがよさそうで、話しやすい人でも、ネットでは関係ないのだ。

 

 これは、人徳というより、もはや文章力や画力、話のセンスの問題である。

 

 (※当然、関係を維持していくには、リアルで求められる要素と同じものが要求される)

 

 そうやって初めは「偏見」によって集まった人間が、今、あなたの周りにいるユーザーというわけだが、応援につなぐには、さらに試練が求められる。

 

 そのユーザーが、ネット上で何をしたいか、どんなことを避けているかに左右されるのである。

 

 「文章を考えるのは苦手」「なんか暇つぶし」という人は、「見るだけ」派だし、「積極的に情報を発信(受信)したい」という人は、大抵、桁違いの情報を求めるアクティブユーザーだ。

 前者は水みたいな関係でも気に入れば軽い気持ちで「いいね!」くらいはかろうじてするかもしれないが、後者は、求めるものがないと分かれば簡単に縁を切ることだって辞さない。しかも、黙って。

 

 これではあなたにとって、いつまでたっても「応援者」はつかない。ユーザーの気分に振り回されて自分をころころ変えてしまっていては、人は離れていく一方である。

 

 どうすればよいのか。

 

 結論、応援なんて欲しがるな。

 

 応援が欲しい気持ちは分かるが、なにか署名活動でもしているとかそういうものでない限り、応援はほとんど必要ないものである。自分さえしっかりしていればいいのだから。

 自分のしっかりしている人を、人は自然に好む。

 そこからまた自然と人が集まる。

 無言の好意や、無言の応援だけかもしれないが、ぶれずに活動を続けていれば、いつか望む形でそれらを感じ取れる日が来るだろう。

 

 まず、自分の表現したいことを確立しなさい。何の考えもなしに見切り発車してはダメだ(それ自体を探すのが目的なら構わないが)。

 

 そして、そのための手段や方式を決めなさい。ブログでもいいし、電子書籍でもいいし、音楽やイラストでもいいだろう。

 

 それから、活動を地味に続けなさい。花咲かないからと言ってあきらめずに(※「売れたい」という欲求については論外なので参考にしないでハウツー本でも買ってほしい)。

 

 自分の信念が6割~9割ほど固まってくる頃には、あなたの周りにはそれなりに人が集まってくるのである。

 

 肝心なのは、応援してもらいたいから活動するのではなく、応援してもらえるから活動する、でもなく、「活動したいから活動する」ことである。そうすることで、いつしか「そっちじゃなくて、こっち見て!」という際限なき無意味な欲求も薄まっていく。


3月24日収穫『隣の花は赤くない』

 嫉妬の花は赤黒いが、本当は隣に咲いた花は赤くもなく白くもなく、あなたの知らない色で、隣から見たあなたの花もまた、その人の知らない色なのだ。だから互いにいとおしいのである。

 

 とりあえず、嫉妬を捨てることから始めようか。捨てるのは簡単だ。心のスイッチを切り替えよう。嫉妬を感じたら、心を、帰る時間の来た仕掛け時計みたいにしまいこむ。そして言い続ける。「あなたの出番はないの。自分が何を求めているか知りたいときにだけ、参考人としていらっしゃい」と。

 

 そして素直にいいことのあった人を褒めてみる。とりあえず上っ面だけでもいいから、褒めてみる。「羨ましいー」というのも、まあ、ありだ。おめでとう、ありがとう、などの言葉を忘れずに。

 

(時間がある人は嫉妬への冷酷な摘出オペでもしようか。心にメスを入れるのだ。3,2,1)

 

 とりあえずでも嫉妬が無くなると、頭の中が涼やかで晴々してくる。チャンスだ、自分の道を探るのだ。

 

 大事なのは、あなたの進むべき道がどんな風になるのか、である。獣道かもしれないし、誰か偉人を追従する道かもしれない。なんでもいい。

 

 再び嫉妬が訪れても、同じことを繰り返して、やり過ごす。自分の劇的欲求がわかってくると不安や嫉妬の病巣は小さくなり、取り除きやすくなる。

 

 とにかくこれは修行するしかない。叩き込むしかない。

 

 自分に厳しく。

 

 その内、「なぜあんなに羨ましいだけで何もしなかったんだろうか?愚かな」と過去を呆れて見つめる自分が現れて支配権を握るようになるものなのだ。

 

 人間は何を言ったかでなく、何をしたかで測られる。


4月7日収穫『素直に喜ぶことも大切』

 ここまで、「他人を羨むな」「ほしがるな」などということを書いてきたが、対称的だが忘れてはいけないこともある。

 

 それは、「素直に喜ぶ態度」である。

 限界までストイックになったところで、結局、人と人との付き合いの上では、どうしたって両極の答えが出てくるに違いない。「いい」「悪い」(この中には「ノーコメント」という選択肢もあるが気にすることはない)に振り回されるのは好ましくはないが、「いい」と言ってくれる人をあからさまに拒絶する必要もないのだ。

 

 確かに、「いい」には恐ろしい魔力もある。過去に出会った人間の中で、とある怖い人間に出会った。それは、自作の漫画が、ある有名な漫画家さんにコンテストでダメ出しをされて没になったからといって

 

「妹も『すごく面白いね』って言ってくれたし、なんでこんなに酷評(※僕の知る限りおそらく普通かためになるコメントだろう)されるのかがわからない。妹もそう言っている。あの先生は頭がおかしいし、まともな漫画家じゃないって二人で文句を言ってた」

 

…ということを平気で言う人物だった。一種の狂気すら感じるセリフである。

 この人物は、例のように「悪い」を拡大解釈して、「いい」も拡大解釈して、視野が狭くてそのくせ色彩は大げさな世界に住んでいる人間だった。だから、「正しい」を「好意」でしか判断できなかった。自分に好意を抱いてくれる人は優しくて正しい。自分を否定する(どんなみみっちい拒否であっても)人は悪くてダメ人間と、常に選り分けていた。まあ…それがいいなら、悪いともいえないが、円満に生きていくためには少々世間知らずのお嬢様すぎる。

 このように、人によっては「いい」が麻薬の様に作用する場合もあるので、注意はするに越したことはない。

 

 しかし、やはり、「いい」と言ってもらえたことは素直に喜ぶべきである。長点を見つけてもらったのだから。あるいは友好な態度。ノリにのっておいてもいいのである。問題は、それを過剰に意識しないことと、「付点」を付けないことと、高みを目指したいなら「いい」に溺れないで客観的に自分を見つめることの三つである。

 

 「良いね」「ありがとうございます!でも自分はまだまだです!これを励みに頑張らせていただきます!」

 

 それが、本来理想とする、「いい」の素直な受け取り方である。


奥付



「誰か、私を見て」コンプレックス~Look at me, someone~を克服しよう


http://p.booklog.jp/book/43952


著者 : 細雪美紅(リリーナ)
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/sasameyuki39/profile


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