目次
著者
2006年
(1)青天のヘキレキ
(2)「笑い」が唯一の健康法
(3)ナチュラル・キラー細胞くん
(4)胃の検診は胃カメラで
(5)黒い便は要注意
(6)セカンドオピニオン(上)
(7)セカンドオピニオン(下)
(8)腫瘍内科
(9)悔いのない第二の人生を
(10)インターネットは良薬
(11)副作用は怖くない
(12)インディアンの秘薬
(13)痔主、元痔主はご注意を
(14)白血球数に一喜一憂
(15)回復には運動も大切
(16)幸せの黄色いピアノのコンサート
(17)副作用もいろいろ
(18)前半戦を終わって
(19)体重も重要なバロメーター
(20)ガンの専門医の養成を
(21)やっと第4クールへ突入
(22)柿のへた
(23)ガンちゃんはバナナが苦手?
(24)久しぶりに温泉へ
(25)しぼんだガンちゃん
(26)バナナと柿のへた(続)
(27)うれしい先輩の励まし
2007年
(28)楽しく正月を過ごしました
(29)杏仁豆腐
(30)延長戦へ
(31)温泉旅行
(32)魔の土曜夜
(33)医療費控除
(34)腫瘍マーカー
(35)用いられた抗がん剤
(36)爪もみ療法
(37)1,2割の好運
(38)同伴退院しました
(39)免疫療法
(40)皮下埋め込み型ポート
(41)初めての通院治療
(42)健康御守
(43)NHK「きょうの健康」を視て
(44)通院治療の効果
(45)お花見ができた
(46)湯治に行ってきました
(47)同憂の士・小田実さん、がんばって
(48)順調に下がっている腫瘍マーカー
(49)がんとどう向き合うか
(50)ガンちゃんが反撃?
(51)再入院へ…
(52)ふたたび入院しました
(53)通院のような入院
(54)腫瘍マーカーが下がった?
(55)最後の親孝行
(56)第3クール延期
(57)腫瘍マーカーが下がり始めた
(58)ムカツキ
(59)治療生活のペース
(60)ふたたび退院しました
(61)手術はまた見送り
(62)生存率
2008年
(63)二度目の正月
(64)ガンちゃんもまた太り始めた??
(65)「がんと生きる」[がんに生きる]
(66)腫瘍マーカーは頭打ち?
(67)薬漬けの日々
(68)ガンちゃんもしぶとい
(69)二度目の花見
(70)腫瘍マーカーが下がらない
(71)三度目の入院へ
(72)三度目の入院にチャレンジ
(73)薬が効かなくなってきた?
(74)CT検査では変わりなし
(75)心の治癒力
(76)耐久レース
(77)ガンちゃんとの闘いは膠着状態
(78)三度目の退院
(79)ガンちゃんが暴れだした?
(80)突然の入院
(81)ガンちゃん、再活動始める
(82)ガンちゃん治まる?
(83)白血球が増えない
(84)ビワの種とワクチン
(85)四度目の入院治療へ
2009年
(86)また入院しました
(87)また下血
(88)ガンちゃん弱まる?
(89)「明日の風」と「がん残日録」
(90)腫瘍マーカーが下がりだした
(91)また入院治療から外来治療へ
(92)TS-1
(93)じわじわと出血
(94)突如、手術へ
手術速報
(95)手術成功! 大きな虹が出た 
(96)内科と外科の連係
(97)術後の経過は順調
(98)退院しました
(99)手術はしたけれど
(100)100回目を病院で書いています
(101)主治医の交代
(102)ガンちゃんの逆襲
(103)現治療法を継続
(104)ガンちゃんへの逆襲
(105)一難去ってまた一難
(106)薬が変わった
2010年
(107)ふりだしに戻る
(108)在宅ケアへ
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(7)セカンドオピニオン(下)

2006.10.20 Fri

せっかく苦労したのに、最初の化学療法は効果が見られませんでした。
胃の腫瘍はやや小さくなり、貧血の原因となった出血も止まったのですが、肝臓の方はむしろ大きくなっており、腫瘍マーカーの値も増えました。これにはさすがにがっかりしましたが、抗がん剤は元々人によって効いたり、効かなかったり、その確率も低いということなので、余り期待する方が無理なのでしょう。

さてでは次の手はどうなるのか? 病院側の説明も余り明確ではありません。そうするうちに、娘がまたセカンドオピニオンが聞ける、ガン治療に力を入れている病院を探してくれました。それは何と我が家からもっとも近い、徒歩でも約15分で行ける市立芦屋病院でした。

ところで日本ではこういう抗がん剤の専門医がまだ少なく、約50人ということですが、アメリカではガン専門の腫瘍内科医が約4千人といわれています(99年時点)。日本でも最近「腫瘍内科」の看板を掲げる病院が出てきましたが、まだまだ少なく、関西では大学病院などのほかは、この芦屋病院だけです。

まさに「灯台下暗し」とはこのことで、早速アポイントをとって、一時帰宅のついでにセカンドオピニオンを聞きに行きました。お目にかかったのは、腫瘍内科の責任者、古林部長です。

先生は、「せっかく体調が戻ったのだから、今のままこの状態を保つか、あるいはもしもう一度化学療法にトライするか、どちらかでしょう。化学療法を採られるなら、副作用も前よりきついかもしれません。また効果が期待できる確率は1、2割です。それでも、もしがんばると言われるなら、私もがんばりましょう。期間は3カ月、入院費は月20~30万円掛かります。高額医療費補助で一部が返ってきますが。」

私はドクターが費用の見積もりまでしてくれるのには驚きました。厳しい言い方も、率直に話をしてくれると好感を持ちました。まだ一縷の望みがあるなら、それに賭けるしかない、この先生なら信頼できると決断し、その場で入院をお願いしました。もちろん自宅から近いので、毎日2回通ってきてくれる妻の負担も少しは軽くなるということも考慮しての上です。

ガンちゃんと闘うには、まず信頼できるドクターにめぐり合うこと、そしてその先生と共に戦う気持ちが大切だと思います。

さっそく西宮病院に戻って、主治医に転院の希望を伝え、快く了承してもらいました。そして今までの治療の資料はもとより、看護師が記録していた日々の看護日誌までも芦屋へ送ってもらいました。

「セカンドオピニオン」というのは、言葉は知っていましたが、その実態は病気になるまでまったく知識がありませんでした。しかしガンのように治療法に選択肢が多い場合は、絶対に利用すべきと思います。

(8)腫瘍内科

2006.10.22 Sun

市立芦屋病院は大阪湾を一望する芦屋市の高台の静かな環境にあります。ここ辺りは日ごろウォーキングコースにしていた馴染みの場所であり、家からも近いので何かと安心感もあり、落ち着いた環境です。

かつて財政的にも恵まれていた芦屋市は、11年前の阪神大震災の影響を受け、突然財政的にも苦しい状況に陥りました。市立病院もその影響を受け、いわゆるリストラを実施、その対策の一つとして、診療科目を重点的に絞って、新しく「腫瘍内科」を設けたようです。今では内科全体のベッドのうち、腫瘍内科の患者が約半数を占めているとのことです。

私の家は西宮市の西の端にあり、すぐ隣が芦屋市ですが、こういうニュースはまったく入ってきませんでした。すぐ近くの掛かりつけのホームドクターも知らないほどでした。病院選びには、インターネットなどを活用して、よく探すことが重要なことを痛感しました。

毎日のように、主治医である部長先生が回診に来られます。検査があった日は、かならずその日のうちに、CTのフィルムなどを持ってきて、説明してもらえます。ですから常に自分の病状が把握でき、自ら積極的に治療に参加しようとの意欲が湧いてきます。

看護師の皆さんも、多くの腫瘍患者を看護してきた経験から、ちょっとした病状の変化にもよく対応してくれ、質問に対しても、的確な答えが返ってきます。時おり説明やアドバイスを受ける薬剤師や栄養士も同様です。

こうして今では、落ち着いた環境で、安心してキメ細かい治療を受けています。思い切って転院して正解だったようです。

【追記】インターネットで検索していましたら、次のような書き込みがありました。
<抗がん剤治療に強い病院としては 東の 都立駒込病院(東京都 ) 西の 芦屋市立芦屋病院(兵庫県)が専門医の間で評判が高い ...>
残念ながら、そのサイトはもう閉鎖していて、前後の詳しい内容は分りません。

(9)悔いのない第二の人生を

2006.10.24 Tue

私は1995年に40年近いサラリーマン生活を卒業し、第二の人生に入りました。そこでまず今後の長期計画として、(1)今まで時間的余裕がないのでできなかった海外旅行(2)世の中の進歩にについていくためのインターネット(3)体の健康維持のための生涯スポーツ(クオーターテニス)(4)頭の健康維持のための知的ゲーム(コントラクトブリッジ)などを柱とすることにしました。

それ以来約10年間、この四本柱を中心に、充実した生活を送ってきたつもりです。中でも(2)のインターネットについては、思っていた以上の機能や効用にすっかりのめり込んでしまいました。最初は単なる情報収集のためと思っていましたが、ある時ふと(1)の海外旅行の記録をホームページで公開しようと思いつき、1999年に「シニア夫婦の手づくり海外旅行記」を作成、自分の情報を、ローコストで手軽に、世界中に発信できる機能にすっかり魅せられてしまいました。

そのうち、自分の楽しみだけでなく、もう少し社会的にも意義のあるものをと翌2000年に立ち上げたのが、「戦争を語り継ごう リンク集」というサイトです。そしてさらに一方的な情報発信だけでなく、戦争体験者と若い世代の交流を通じて過去の戦争の体験を伝えていく場として、、「戦争を語り継ごうML」というメーリングリストを2002年に立ち上げました。

さらに2004年には、アメリカに住む高校時代の友人が、長年独力で手がけていた旧日本軍人の戦争遺留品の返還活動をインターネットで支援すべく「旧日本軍人の遺留品」というサイトも立ち上げました。今まで若干ですが、かつての戦争で日本の軍人が戦場に残した遺留品を、ご本人やご遺族にお返しするお手伝いができたのは、望外の喜びでした。

こうしたインターネットによる活動が、新しい試みとして多くの新聞やテレビ・ラジオなどでも紹介されました。この歳になって初めて、NHKテレビに出演できるなどとは、これはまったく当初の計画の想定の範囲外でした。

健康には自信があったので、引き続き70代も、自分のため、またささやかながら社会のため、がんばれるかと思っていましたが、思いがけないガンちゃんの出現で、第二の人生は突如断ち切られ、第三の人生へと移行を余儀なくされてしまいました。

よくこの歳になると、お互い「できるうちにしておこう。行けるうちに行っておこう」といいますが、自分もそのとおり実行してきたつもりです。それもこれで終わりかの残念さがないといえば嘘になりますが、まあわが第二の青春に悔いなしというべきでしょう。

ガンちゃんとの出会いが分かった時、自分でも意外なほど冷静でおられたのも、そういう満足感があったからでしょう。またそれだからこそ、ガンちゃんとの闘いにも、前向きに向かっていけると思います。

これから団塊の世代が、新しい第二に人生に入っていかれると思います。60代は第二の青春として、ぜひ日々充実した生活を送ってください。


(10)インターネットは良薬

2006.10.26 Thu

私の第二の人生の中でインターネットが欠かせないものになっていると、前回お話しました。入院と決まった時、他はともかく、このインターネットだけは何とか利用したいものだと思いました。それは単なる個人的な趣味というだけでなく、社会的にもいささか意義のある活動のツールにもなっているからです。しかしたとえ病院にパソコンを持ち込んだとしても、ネットに接続することは無理のように思えました。

家族もそのことをよく理解してくれていて、当初は病室に持ち込んだノートパソコンを毎日家に持ち帰り、メールの受発信をするなどの協力をしてくれました。しかしそれではやはりじゅうぶんな利用は無理で、家人にも負担を掛けます。ところが幸い次男が、ウィルコムというシステムを使って、PHSでネットに接続させるという方法を考えてくれ、その設定をしてくれました。

その結果、病院の病室からノートパソコンで自由にインターネットに接続することが可能になりました。ダイヤルアップですから、ちょっと接続のスピードは落ちますが、それ以外は自宅にいるのと同じ環境でパソコンを使うことができるのです。それ以来、私の病院生活は一変しました。物理的には外界から隔絶された環境ですが、サイバー空間では社会とのコミュニケーションが従来と変わりなく可能なのです。

こうしてメーリングリストなどを通じ、多くの人たちと従来どおりの交流が再開できました。そして実に多数の、国内外のメル友たちから、お見舞いや、激励、アドバイスのメールをいただきました。その中には、もう長年ガンちゃんと同居しながら、現役で活躍しておられたり、海外旅行やスポーツを楽しんでおられたりする同病の士も少なからずおられることも分かり、希望が湧いてきました。

ご心配いただきました皆さんに、病気なった経緯やその後の経過などをいちいちご報告するのはたいへんなので、失礼してこのブログで公表させていただくことにしました。病床からブログを簡単に立ち上げることができるとは、IT技術の驚くべき進歩はまことにありがたいことです。

皆さんからよく「メールをくれるのもいいが、余り無理しないように」と気遣っていただくこともありますが、私は「無理をしてでもメールすることが、闘病生活にエネルギーを与えてくれるのです」と返事をしています。まさに私にとっては、インターネットが何よりの良薬となっているのです。

横浜に住んでいる長男が、ウェブカメラなどのテレビ電話のシステムをお見舞いにプレゼントしてくれました。休日などにはそれを利用して、彼の家のパソコンとスカイプでつないで、テレビ電話を楽しんでいます。孫たちの元気な笑顔も、これまたすばらしい良薬です。

(11)副作用は怖くない

2006.10.28 Sat

さて本論に戻って、市立芦屋病院における化学療法の「再チャレンジ」について、ご報告します。今回は、1クール2週間を6回繰り返して、各種の抗がん剤の投与が行われる予定です

10月5日の転院直後から、まず検査が始まりました。血液検査、胸部レントゲン、心電図、CT検査(上腹部、胸部、頭部)、心臓エコー検査です。なぜか苦手の胃カメラはありませんので、ほっとする反面、それでいいのかの思いもありました。看護師さんの話しでは、「古林先生は、患者に苦痛を与えることがお嫌いな、優しい先生よ」とのことですが、そのせいでしょうか。

結果は、肺、脳は異常なし。ただ肝臓の下あたりに大きな腫瘍があるとのこと、ただしその真ん中が黒く写っているので、いわば腐ったミカンのようで、若くて張り切ったミカンより、元気はないとのこと。結果が出るとすぐ部長先生が直々病室へ来て、フィルムなどで説明してもらえるので、常に病状が正確に把握できます。

この“腐ったミカン”は、自分でも手で触って分かるほどで、初めて「ガンちゃん、こんにちは」を体感することができました。それ以来毎日、「小さく、小さく、小さくなぁ~れ」と押さえていますが、気のせいかだんだん小さくなったきたように思えます。

この検査結果に基づき、まず第1クールに使う抗がん剤が4種類選ばれ、13日から45時間連続の点滴によって注入されました。薬の種類は、当然県立西宮で使用したものとは違います。

2日目の夕方ころから、やはりもっとも代表的な副作用の吐き気が出てきました。といっても、少し胸がムカッとする程度ですが、夕食は半分くらいしか食べられませんでした。それ来た、これからひどくなるぞということで、明日からの病院の食事は取り消し、妻に食べれそうなものを出前してもらうことにしました。病院側も、患者に好きなものを好きなだけ食べれるようにと、「持ち込み」食を勧めています。ドクターも顔を見るたびに「食事はしっかりと」と言われます。幸いむかつきはそれ以降も余りひどくはなりませんでした。

「持ち込み」食は県立西宮でも経験していますので、妻がこちらの体調に合わせ、食べれそうなものをうまく見繕って、持ってきてくれます。そして1週間後の週末、一時帰宅した時には、ほとんど普通に食べられるようになりました。出前となりますと、やはり「スープの冷めない距離」がものをいいます。魚沼産のコシヒカリの新米が手に入ったといって、炊き上がったばかりのご飯を持ってきてくれたこともあります。こうした物理的にも、精神衛生上も「温かい」家庭の味で、体調もみるみる回復しました(今後も続けてもらいたいので、ちょっとゴマをすらせていただきました。-笑-)。

前回は、もともと入院時から胃の調子が悪かったので、抗がん剤の点滴で、食事を見るのも厭なくらい食欲が落ち、主として点滴でカロリーを補給していいましたが、それと比べると、雲泥の差です。それから、しゃっくり、高熱、腕の湿疹なども今回は出ません。
ということで、前は1週間ほどもほとんど寝たきりの状態でしたが、今回は点滴終了後3日くらいしか経っていないのに、すっかり衰えた足腰を鍛えようと、4階屋上にあるリハビリ・コースで、日光を浴びながらの散歩を始めるほどでした。ドクターも「どうですか、苦しいことはありませんか?」と気遣ってもらうのですが、「いやぁ、前に比べればずっと楽です」などと答えるものですから、拍子抜けした感じでした。

しかしもう一つ定番の副作用である白血球の減少は、やはりこれは逃れることはできません。その対策の注射を5日間打ったのですが、第1クールの最終日になっても、ドクターの期待値ほどに回復していません。しかしその他の体調は好調なため、ドクターの決断で、予定どおり27日から第2クールが始まりました。

もう10年も前の、妹のガン死の経験から、副作用は厳しいとのイメージがありました。そのため県立西宮で初めての化学療法の時は、正直身構えていました。しかし今回と比べられないほどきつかったその時ですら、想像よりまだましだったと思います。

10年前からですと、副作用に対するノウハウも進んでおり、そのための薬も格段の進歩を遂げているようなので、1回や2回の経験で言うのはおこがましいですが、今では副作用はそれほど心配することはないのではないかと思います。

「本当は怖くない!!?抗癌剤治療」



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