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前書きー水は器に随う

  年齢を重ねると肉眼の衰えに反して心の眼が冴えてくる。

 人生は人柄や能力で決まるのではない、何か別な力に左右されている、ということも見えてくるものの一つだ。努力が一番とか何事にも感謝とか言っているのは苦労を知らない者の言うことで、身を粉にして働いても不幸のまま一生を終える人がいる一方、並みの能力しか持ちあわせていないのに順調に満たされた生涯を送る者もいる。直視すればそれが人の世の現実である。 


 別の何かとは何なのかというと、その一つが運である。経営の神様と言われた企業家は社員採用に当たり、応募してきた人物に運があるかどうかを判断材料にしたそうだが、運という不思議な力があることを知っていたのであろう。商人の町の出身者らしい現実主義だと感心させられる。

 

 幸福になるためのマニュアルは皆同じなのだが、それを実践しても結果は人によって異なるのが人生の難しいところだ。

 運の分かれ道には家が大きく関わっている。持ち家でもマンション、アパートでも、水がその器に随って形を変えるのと同じく人の運勢は住む家によって大きく左右されるのである。家は、外国の高名な建築家が言ったように人が住むための機械ではない。例えて言うと、家とは人という変化して止まない水を入れる器であり、もう一つの身体であり配偶者である。水がどれほどもがいても結局は容器の形に落ち着くように、家は内部で暮らすものの運勢を形作る力がある。

 本書を書くに当たって紹介する花蔵(かくら)流家相は独特かつ理屈で分かる家の選び方、相の見方である。この家相は自然の摂理を土台に、霊や気を柱や壁としたものだ。

 家族の誕生日を並べて計算したり、方位盤とにらめっこしなくても方角と家の建つ場所、間取りが分かれば十分という簡単な方法だ。しかし、目に見えないものや身体で感じないものは存在しないという方には納得するのが難しいだろう。残念だが、人には信ずることしか見えないという性質がある。
 
 衣服は、二本の腕と脚を持つ人体に合うように造られ、手袋には五本の指が付いている。場所が違ったり一本でも数が狂うと不便であり危険でもある。だが、家を選ぶ際にはそれが人体を容れる器であるにも関わらず腕や脚、指の部分が完全に備わっているのかなどは全く考慮されない。「建築主の思いのままに」自然の摂理を無視した家が続々と建っているが、これによって生じた個人、社会、国家の不幸はどれほどのものか、考えると実にもったいない。特にそれから生ずる悩み事に費やした時間とエネルギーが・・・

 全てが家相で決定したり好転するわけではないが、努力を積み重ねても幸せになれない・・・ということがないよう、家の選び方を知り、無駄な苦労や悩み事から縁遠くなることを願って止まない。


 
 

   平成二十四年十二月吉日 

    

                                                  花蔵 静人

                                                                                                                                        

                 

                                                                                          
   
   

               
 
                                                        



                                                   



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東西南北ー方角が持つ基本的性質

 

 家と言えば方角である。

 海には海の、山には山独自の性質があるように方角にもそれぞれの性質がある。方角の性質に沿った家や建物でなければ建物は自然に逆らうことになり、逆らえば自然に滅びることになる。常識という程度の簡単な知識なのだが、これを守っている家や建物はいまだかつて見たことがない。自分の希望や好みを第一にしている家がほとんどである。いわば人間は自然という借地借家に住まわせて貰っているのだが、そのことを忘れているのである。

 <東>は太陽の昇る方角であり、その性質はむろん向上、発展、誕生など、日の出の勢いがこの方角だ。そのため、東側の位置には次代を担う青壮年が住む部屋を置くのがふさわしい。老人がいつまでもこの方角を占めると世代交代が進まず、後継者の気持ちが萎えてしまう。ある程度の年齢に達したなら社会的な地位はもちろん、家族の中の地位も部屋も譲り、若者に責任感や意欲を持たせるべきである。
 東側には間違っても便所や浴室を置いてはならない。もしそうしたなら運勢にも臭気や汚れが付きまとうことになる。

 <西>は太陽が沈む、いわば太陽を納める方角である。その性質は沈むから悪いというのではなく、太陽をしまう方角だから物を納めるには最適ということになる。車庫、物置、倉庫などの設置は住宅の背後の西の方角にすべきである。
 農家の屋敷をみるとほとんどが門を入ると左に土蔵、右に物置があり、その奥に住宅という配置になっている。伝統的に命の糧となる農作物を大事にする精神が強いことを示している反面、自らの財力を誇示する意味もあるのだろう。しかし、どれほど大切な農作物でも人間以上のものはないのだから、家の後ろに置くべきである。人間よりも物を重視していると家族が財産で争うのは無理からぬこととなる。
 

 西側には又、日が落ちてくると灼け付くような西日が当たるが、これを嫌って窓を設けないのはもったいない。この高温に家中を乾燥させる役目を担って貰うのだ。そのため、西側の窓は普通の大きさにして自然の乾燥機として活用すべきである。

 <南>は年中暑く、汗ばみ、成長を促す反面、暑さで息苦しくなる方角である。この方角にある部屋は落ち着きをなくする元である。活気を維持するためには老人の部屋とすべきだが、老いた身体にはこの激しさは毒となる。そのため、縁側と言う緩衝地帯があればいいのだが、日本人が発明した素晴らしいこの場所はもはや目にしなくなって久しい。ここで祖父母と孫、あるいは老夫婦が語り合っている光景ほど幸せな場面がないと思うのだが、わが国の風景から消えつつあるのは寂しいかぎりである。
 

 南は最も人気のある方角で建売住宅や分譲マンションには「全戸南向き」を宣伝しているものが多いが、こうなると逆に玄関は「全戸北向き」となり、最悪ということになる。たとえ家相も方角の性質も一切考慮しなくとも、毎日冷え冷えとした入り口から家へ入るのは気が滅入るのではないだろうか。暖かい家に帰るために家族は家路を急ぐのだが、何となく帰りたくない気持ちになる原因が、この玄関にあるのかも知れないと想像してほしい。

 <北>は冷えた、静かな、成長を止める人気がない方角である。しかし、その性質を利用してやや北側に勉強部屋や書斎を設けると冷静な気持ちで学習ができる。もちろん、だからといって北を寝室にしてはならない。浴室、洗面所、便所などがこの方角である。庭がある場合には池なども適している。池は家の東や南に配置すると成長の気を冷やすので避けるべきである。
 
 北で記憶すべきことは浮遊霊がこの方角から流れて来ることだ。そのために北側には窓を設けない、のではなく反対に窓を設けて浮遊霊が家の中を通り、南側から外へ出て行くように誘導することだ。北側が壁だけとなると霊がそこに留まってしまう。逆に憎まれたり怨まれたりしている人がいたら、その相手が住む家の南ではなく北の方角に住めば念から受ける被害は少なくて済む。

 

 ついでに鬼門について述べておきたい。これがなぜ東北とされたのか、歴史上の理由は定かではないが、わが国の中央からみて東北地方が行き止まりで、冬の寒い風がその方角から吹いてくるのが理由ではないかと想像する。つまり、その方角自体が鬼門というほど悪いものではなく当時の為政者が勝手に決め付けただけということではないのだろうか。家相からみて他の理由は見当たらないので怖れることはない。活用次第である。

 方角の性質を利用して仕事や人間関係を多少有利に運ぶことができる方法があるので書いておきたい。それは、交渉の席などで自分が太陽の昇る方角か南の暖かさを背にした席に陣取り、相手を日の沈む西側か、活気が生じない北側に座らせることである。これにより交渉相手は太陽と交渉している気になり嘘を言ったり精神面で圧されてしまう効果が生ずるはずだ、もちろん話の内容にも拠るだろうが。

 この項の最後に、家族の誕生日が家相に影響があるか否かを述べておく。これは考慮すること自体が無意味なである。なぜなら、家族は生まれたり死んだり、結婚や離婚で増えたり減ったりと変動するからだ。転勤もあれば長期出張もあり、一定しない者の干支や誕生日を考えたところでどうにもならない。


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建物の向きと配置ー方角と闘うことなく、適切な間を取る

  家の向きは玄関が東から南西の方角を向くように配置するのが最も良いのだが、肝心な点は例え5度でも構わないので真東、真南に正対しないことである。正対するとは、スポーツや競技でも分かるとおり相手と闘うことである。方角とそのような関係になるのは良くない。風を真正面から受けるよりも身体を斜めにした方が楽なのと同じことだ。

  門の位置も宅地に入って真直ぐ歩けば玄関に当たるという形は避けて少しでもズラスことである。外部と直接に相対しないように、家庭内に外部の物事が真直ぐに入り込まず、闘うことのないようにするためである。

 

 塀は風通しをよくするのが良い。物騒な世の中なのでコンクリートやブロックにしたい気持ちは理解できるが小窓や隙間のある板塀とかにするべきである。最も好ましいのは生垣であるが、そこから吹いてくる生きた風が家族の間に生じる様々なゴミやホコリを吹き払ってくれるだろう。


 又、敷地の中に家をどう置くか、つまり家の配置についてほとんどの家相では重視していないが、そこにも自然に則った原則がある。第一に敷地の西、北側よりも東側と南側を広く取ることである。そして隣家の敷地からできれば一間以上、空間を設けることである。そのため、東および南側は一間以上の空き地、庭等が存在することになる。

 

 言うまでもないことだが、その理由は家と家族が陽光を得て健やかに成長するためである。全国どこの駅でも変わらないと想像するのだが、西口、北口よりは東口、南口方面が発展して行っていると思うがどうだろうか。東と南の方角には家が発展する余地を残して置かなければならない。


 都会の狭い宅地では難しいことは承知しているが、これをしないと他人と並んで体がぴったりくっついているのと同じで窮屈きわまりない。我が家に帰っても開放された感じがしないというのは、おそらくそのような家の配置になっているからではないかと思う。


 大分前に日本人と外国人の行列の仕方の違いを何かで知ったのだが、日本人は前後の人に対して触るか触らないかの微妙な間隔を空けて並ぶのに対し、外国人は前後の人と体を密着させて並んでいる。すべてのことに対して適切な間を取ることは必要である。


 

 

 


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基礎(土台)ー地球を痛めない方法で造る

  時代には合わないと言われればそれまでだが、最も優れている基礎とは大き目の石を用いてその上に家を乗せるやり方である。しかし残念なことに我が国では一般的な住宅の場合、地面に穴を掘り、鉄筋を組み、コンクリートを流し込んで固めなければならないことになっている。

 

 地面に穴を掘るのは重機で容易くできることだが、地球は筋肉を抉られるような痛みに耐えているのである。童話を書いているつもりはないが、住まわせて貰っているのだから地主である地球に配慮するのは当然のことなのである。しかし、筆者は地球には回復力がもう残っていないと見ているので、そのことをあれこれ言うのは最近は止めにした。 
 地面に基礎を埋め込まないで石を配置すれば、地球に痛みを与えることもなく、重さも分散されるので許される範囲だと思う。石がなければ柱を代用すればいい。この方法は土地の項で語った神社の霊魂の怒りを和らげる効果もあるので許可の得られる場所では試してみる価値はある。気分だけではなく運勢が変わるのを実感できるのではないだろうか。

 基礎は高くなると安定性を欠き、低くなると地面の影響、具体的にはそこに棲むさまざまな霊魂の影響を受けやすくなる。低い場合でも高さ60cmはほしい。地震対策上はどうなのかは分からないが90cmなら十分だと思う。その高さだと窓から内部を覗きにくく、防犯対策にもなる。

 肝心なのは基礎の内部、つまり床下の空気が流通しやすいようにすることだ。それも、止むを得ない場合は別として自然に換気がされるような造り方が望ましい。換気扇もあるが機械ではなく生きた空気の流れが一番である。住む人の健康のためというよりも地面から立ち上る悪い霊気の影響を減らすため。

 

 悪い霊気とは失礼なと思うかもしれないが今や全国どこへ行っても土地は霊的に汚染されているとみて間違いない。事故や事件、ごみ捨て、節操のない人の営みなど取り返しのつかないほど汚されている。排気ガスや放射能も又、大気を汚染し、人や生物のみならず地球自体の呼吸の障害となっているのは確かだ。清浄な土地はどこにもなくなったのだから、そういう場所を探すよりはその対策を立てる方が現実的である。

 悪い土地には悪い霊気が昼夜を問わず霧のように浮かび上がっているが、換気が悪いとそれが床下にこもる。そうなると床の上に住む人の運勢を大きく狂わせる。早く拡散し、床下から追い出すことである。四六時中同じ調子で吹く換気扇の風よりも自然の空気の流れが効果的なのは、扇風機よりも外から入る風が心を洗ってくれるのと一緒である。

 又、床下を高くして空間を設け、倉庫代わりにしたり、車庫に使用している家もあるが止めた方がいい。そのような設計を考えているのなら直ちに中止すべきだ。この設計だと人間が物置の上で暮らすことになる。鳥や獣の真似をするべきではない、真似をすれば獣らと同列になって家庭の中が獣の様相を呈することを覚悟すべきである。

 もし、現在そのような家に住んでいたら、使用しないわけにも壊すわけにも行かないだろうから、できる限り内部を清潔に保ち、空気の流れをよくし、家の一階と同じように考えて使用目的を変更すべきである。

 べた基礎は近年珍しくはなくなったが地面からの恵みを遮ることになるので良いことではない。恵みを遮ると、家の発展を望むことは難しくなる。土地からは霊的な悪影響を受けることはあるけれども地球の生命力は有難く戴かなければならないのだ。

 

 同じ理由で宅地全体をコンクリートで覆うことも良くない。雑草が生えるのを防いだり、水はけを良くしようとしているのだろうが、その部分の土地は確実に息絶えている。例えて言うと、地球の死んだ部分に家が建っていることになる。そんな所に住んで運勢が発展して行くことは到底望めない。


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玄関ー華やかに造って幸運を招き入れる

 玄関は最近、軽視されている。少しでも建築費を節約しようと考えてのことだろうが大きな間違いである。玄関は飾りではなく人のみならず物、事の入り口である。他人の目を避けるように母屋に凹部を設け、そこを玄関にしている家さえある。

 玄関が人の何に例えられるかといえば口である。そこは鼻ほどではないにしても顔からやや食み出しており、女性にとっては古来、化粧の主たる対象でる。男性も豊かで美しい唇、口元に魅入られてきたのだ。

 
人相を見る際に口が表すものは富の入り口である。貧弱な口は豊かな富を入れることが出来ない相である。

 
家の口である玄関は花蔵流の見方では人、物、事の入り口として見るために母屋よりも多少豪華にすることが望ましいとされる。隠したり、粗末な造りだとせっかく入ろうとする幸運が通り過ぎてしまうのだ。
 高価な贈り物をいただく際に我々は満面の笑みを浮かべていただくが、それを真似て玄関は母屋から前に出る凸型でなければならない。そして笑っているように美しくやや派手な造りが好運を招く。食べることは口でしかできないのだから、その場所に当たる玄関は清潔にしていつでも良い客を迎え入れることができる態勢を保っておくべきである。

 玄関前を駐車場代わりに使用している家も多いが、外部からやってくるものに自動車は邪魔以外の何物でもない。物置は物置に過ぎず玄関とは格が違う。どんな高価な自動車でも幸運を遮っては元も子もなくなる。

 
また、玄関部分は家の内部まで入り込まないようにする。三和土(たたき)を母屋の中にまで通してはならない。そこは外から内へ続く部分であるが、内と外は区別しなければならない。そして三和土は家の床よりもいくらか下がるように造るべきである。外よりも家が格上ということである。

 他
に注意すべき点は玄関付近に水関係の設備を置かないことである。湿っぽく冷たい、流れるものはせっかく贈り物や良い縁がやってきてもそれを流してしまう。玄関は想像以上に運勢を左右する力があるので軽視してはならない。

 玄関に柱を二本建て、それに屋根を乗せただけで壁がないという、これ以上ないほど貧相にしている家もあるが、いったいどんな運勢を迎え入れるつもりなのだろうか。良い運勢を求めるならある程度の資金は注ぎこむべきで立派な玄関がそれを取り返してくれると信じ、母屋よりやや豪華な造りが望ましい。

 例えばあなたが他家を訪問して玄関に立ったとき、入ったとたんにそこに洗濯物が乾かしてあったらどんな気持ちがするだろうか。少しばかりおしゃれをしてお土産を携えて行ったのに用を足さないでそのまま帰ってしまいたいと思わないだろうか。そのような雰囲気が毎日繰り返される玄関口が良い運を招きいれるわけがないのである。


 物騒な世の中なので設計上の防犯対策を一つ提案したい。玄関横の壁に小窓を造り、宅配便の受け取りや細かい用事をそこで済ませるというものである。こうすると、用件があるように見せかけた強盗であってもいきなり侵入することは不可能になる。可能なかぎり玄関の横にしたいが難しい場合は正面側でも仕方ないだろう。その場合、窓を壊されて腕を入れられてもドアのカギに手が届かない距離にすることをお忘れなく。









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