目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
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第31話 水玉の光 +

 楽しい時間はすぐに経つ。みんなと話しているうちにすっかり夜も更けてしまった。料理の提供は終って、ナミナさんがリクエストに答えて、小曲を演奏している。本当はピアニストなのだそうだけど、旅に出るときはバンドネオンに変えてみんなに近いところで演奏するのだそうだ。聴く人に近づけば近づくほど演奏の勉強になることも多いと言っていた。

 楽器をやらない人間にはその意味はよくわからないけど、演奏も人のつながりということか。それとも旅芸人の醍醐味なのか。楽器のできない私にはよくわからない。 

 

 お腹もいっぱいになったので、カウンターを離れて広場の向かいにある水玉画廊のほうに席を移した。年を取ると若い人たちの中にいるのもなかなか大変になる。離れてそれぞれの時間を楽しんでいるのを見るのもいいものだ。

 

☞ 水玉画廊

 

「オルターさん、こんばんは」ユーヨアさんが水を持ってきてくれた。

 

 この画廊も食堂のように自由に使えるようになっているのだけど、ユーヨアさんの水玉のコレクションの展示以来水玉画廊と呼ばれている。実質的にもユーヨアさんがオーナーのようになって掃除や催しなどの面倒をみてくれている。画廊といっても古い建物を画廊として使っているだけで、なにも飾ってなければただの小屋でしかないそんな殺風景な場所でもある。

 

「ユーヨアさんのポートレイトはいつ見てもいいね。写真が話しかけてくるんだよね。それぞれの人生が見えるようだな」

 

「あら、オルターさんから褒めていただけるなんて」笑いながら言った。少しお酒も飲んでいるのか、謙遜の仕方がいつになく大げさだ。

 

「このポートレイトはだいたい島で撮られたんでしょ? それぞれの人の人生を感じますね」

 

「今ここには新しいものが並んでますけど、本当は名も知られてない人の古いポートレイトが好きなんですよ。写真ならモノクロのポートレイト、モノなら使い込まれた骨董品。そういうものに興味が行っちゃうんです。なんていうか、記録じゃなくて記憶? そんなものが感じられるものが好きなのかな」

 

「記憶なんですよね。問題は……」自分でもよくわからないままに、なんとなく相槌を打った。

 

「私はそういうのが好きですよ。蒐集家って言われる人ってみんなそうなんじゃないかな」

 

  アートコレクターのユーヨアさんは、ときどき島を離れ、いろんなところからめずらしいものを集めてくる。船長もユーヨアさんのためにと、たまに古いポートレートを持ってきてくれる。

 

「記憶って形になるもの?」

 

「というか、形に記憶が込められるような。モノってそういうことじゃないです?」

 

「なるほどね」

 

 とすると、自分の過去の記憶もなにかのモノの中にあるってことかな、と考えてみる。形のない記憶がなにかのモノに残っているとしたら...なんだか不思議な気分になる。

 

「今度、オルターさんのポートレイトとも撮らせてください」

 

「私がモデルに?」驚いて聞き返す。

 

「オルターさんの記憶も写真に」ユーヨアさんは楽しそうに笑っている。

 

 写真に残る記憶はだれのものなのだろう。なんとなく自分のものではないような気もした。並んでいるポートレイトを見ていると、記憶ってだれのものなのだかわからなくなってきた。少し飲みすぎたかと思いちょっと椅子に腰掛けて休むことにした。

 

「そうだ、これ見てみてください」ユーヨアさんが思い出したように言った。

 

「ノートを書いた人が子供のころに見た空虫ってこれじゃないかと思って」彼女の指差したカゴの中には、キノコとその周りを青く光りながら舞う小さな虫が数匹いた。

 

「おお、空虫……」

 

「半島のほうで、ホタルを見かけますよね。その中にまざっていたんですよ。そこを見ていたらこのキノコがあって。キノコごと持って来てしまいました」

 

 これが空虫なのだろうか。ホタルみたいだけど光は青く見える。暗闇を舞う姿が水玉のようにも見えた。ふと気配を感じて半島の先のほうを見ると数百もの青い光が夜空を舞っていた。

 

「ああ、空虫が……」

 

「え? どこですか?」そばに来ていたトラピさんが聞いた。

 

「向こうの空に。ほら」南の空を指差した。

 

「あれー、オルターさんお酒飲んだ?」トラピさんが笑っている。

 

目を擦ってみたら、なにかの見間違いだったのか見えなくなってしまった。キノコのほうを見るとそちらの青い点滅も消えていた。

 

「あれ、青くない……」

 

ユーヨアさんが、ホタルをみつけたとトラピさんに説明している。

 

「オルターさん、よかったらこのホタルお持ちになりませんか?」ユーヨアさんが勧めてくれた。

 

「あ、ありがとう。今日は少し飲みすぎたかもしれないから、またあらためてももらいに来ます」自分の意識になんだか自信がなくなりはじめていた。

 

 しばらくしてナミナさんたちの演奏がまた始まった。陽気な曲に合わせるように、一部の人はいっしょになって仲良く踊っている。ミリルさんとノーキョさんもその輪に入っているようだ。今夜は夜空を楽しむのにちょうどいい陽気だ。広い草原に浮かぶ自然がいっぱいの島に灯された小さな明かりのもとで、おいしいものをたくさんいただいて、楽しい手品を見て、音楽とダンス。こんな贅沢な時間はなかなか得られるものではない。

 

 月が南の空高くにたどり着くころになると、早い人は家路につきはじめる。もしかして、途中でだれかが空虫を目にすることはないだろうかと思いながら見送った。

 

 


第32話 飛行船

 日差しが目にまぶしい。リブロールのソファで眠ってしまったようだ。グラスの水を一息に飲み干す。昨日は、いい気分になって遅くまで酒宴の席を楽しんだ。ノーキョさんの新作ワインが口に合ったのか、久しぶりのパーティーが楽しかったせいか、ついついアルコールがすすんでしまった。    

 机の上を見るとエモカさんのパンが置いてある。お土産に持たされたのだろうか、帰り道のことはほとんど覚えてない。少しのお酒で曖昧になってしまう記憶というのは何なのだろう。人は忘れるから生きられると聞いたことがある。それも程度の問題だという注釈が必要だろう。 

 

  窓から外を見ると、ブランコのポールに張られた紐に、洗ったばかりのテーブルクロスが揺れている。洗濯物とオーブンの白い煙がいつものように島の朝を告げる。ミリルさんが朝の日課にしている洗濯をもう済ませたようだ。日の差し込み具合からすると朝というよりお昼に近い時間かもしれない。 

  いつものように、白い紙を出して昨日の楽しい夜のことを書く。これが日課になったのは、島便りをつくりはじめてからだ。身の回りで起こったことを紙に書いて、最後に今日の日付をダイアル式のスタンプで押す。うまく力を加えないと文字がかすれてしまうので注意がいる。黒いスタンプを押したときに、1枚のなんでもない紙が特別なものに変わっていく。それが記憶というものなのかもしれない。そして記憶の時間がスタンプとともにはじまる。   

    

「オルターさん、こんにちは!」

 

「あれ? トラピさん、なんだか今日はよそ行きじゃないですか」  

いつものシャツ姿とは違い、青いストライプのジャケットが新鮮だった。手には身体ほどもありそうな大きなバッグを持っていた。  おそらく荷物の少ないトラピさんの生活道具一式が入っているのだろう。 

 

「実は、来週開催される、メーンランドのお祭りに呼ばれたもので、今日はこの足で島を立ちます。しばらく、会えませんが、またすぐ戻ってくるので」

 

「それはそれは。また急な話ですね」     

 

「予定は以前から決まっていたんですが、ナミナさんがこちらに来ることもあったので、ぎりぎりになっちゃいましたね。 まあ、旅芸人なんていつもこんなものです」

 

「ナミナさんといっしょに?」

 

「彼女たちは後から合流の予定です。島が気に入ってしまったみたいで」

 

 「そうなんですね。でも、今日は船が入る日ではないのでは?」

   

「ああ、なので今回は飛行船にしました。次の船だと公演に間に合わないので」  

  

 最近は飛行船も時々見かける。巨大な風船を2つつけた熱気球だ。空港のようなしゃれたものもないし、上空の気流が安定しないこの地域には低空で飛ぶ飛行船がいいのだそうだ。荷物の制約はあるらしいけれど、大きくてもカバンひとつぐらいなら載せてもらえるのだろう。旅行することのない私は飛行船がどういうスケジュールでこの島に来るのかさえも知らない。

 

「メーンランドですか。もう、どんなところだったかも忘れてしまいました。どちらのほうに?」

 

「それが、例のリアヌシティなんですよ」

 

「おお、そうなんですか!」思わず大きな声を出してしまった。あのノートの主が住んでいたところにトラピさんが招かれるなんて、これはなにかの縁に違いない。

 

「リアヌシティまで行く機会なんてなかなかないですからね。僕もそちらのほうでなければ、しばらく島でゆっくりしたいと思っていたんですけど。なにかみつからないかって期待してしまいますよね」

 

「ほんとです。これは楽しみだな。トラピさんもすっかりトレジャーハンターだ。飛行船だとリアヌシティまでどのぐらいで行けますか?」

 

「普通便でまる1日というところですね。明日の夕方までには着いているのかな。というか着いてないと困るんですけど」  

 

「便利になったものだな。私も機会があったら行ってみたいとずっと思っていて……」   

「オルターさんのためにもしっかり見てきますよ。観光コースも考えてきますね」

 

「いやいや、トラピさんは仕事だから……

 

「だいじょうぶですよ。公演の空き時間も結構あるので」

 

あまり無理は言えないけど、講演の合間にいろいろな情報を集めてもらえるとうれしいと思う。

 

「それでは、そろそろ出発の時間なので」

 

「あ、気をつけて。公演の成功祈ってますよ」

   

「ありがとう。オルターさんもお元気で。向こうからハトポステルを出しますね」

 

 

 飛行船はいつも沼地の西側に面した草原に降りる。リブロールからもちょうど見えるあたりだ。まだ機影も見えないから到着は少し後だろうと思っていたら、トラピさんが店を出たところでリブロールの上を大きな影が覆った。   

 

ぶおーん、ぶおーん……

 

小さなエンジン音が風に乗って聞こえる。気がつかないうちに飛行船は島のすぐ上まで来ていたようだ。10人乗りほどの飛行船はゆっくりと旋回しながら草原のほうへ向かう。風を切るプロペラの音も少しづつ回転を緩めてゆっくりとした周期になっている。

 

  力を抜いてベッドに横たわるようにふわりと着地すると、階段がするするっと地面に下ろされて2、3人の人が降口に立った。トラピさんは降りる人が終ると、操縦士らしき人とひと言ふた言話すとこちらに手を振りながら乗り込んだ。ミリルさんも見送りに来ているようだ。コピもいっしょにいる。昨夜、この予定を聞いていたのかもしれない。

 

 ナツヨビが船を追うイルカのように飛行船の周辺を飛んでいる。息をためて笛を長く吹いたような、風音にも似た独特の鳴き声が聞こえる。飛行船から降りた人たちは水玉模様の鳥の歓迎に驚いていることだろう。

 しばらくすると飛行船はなにもなかったかのようにまた静かに地面を離れた。そして風に押されるようにして、ゆっくり、ゆっくりと大空の中に溶け込んでいった。


第33話 レンズの掃除 *

 天候が崩れるとさすがの飛行船と言えども休まざるを得ないが、幸い昨日、今日と好天に恵まれた。トラピさんを乗せた飛行船はもうそろそろリアヌシティの郊外あたりまで行っただろうか。

 今日は、しばらくやっていない灯台のレンズ磨きでもしようと思い立ち朝から準備をはじめた。小さい灯台とはいうものの照射灯のレンズの表面はでこぼこで、それなりの大きさもあるので、部屋ひとつを掃除するぐらいの手間はかかる。

 近海を通る船は多くはないものの、岩礁や浅瀬の多いこのあたりでは灯台の役割も大切だ。船長も灯台のランプだけは忘れずに磨いてくれと口癖のように言っている。島民にはわからないが船乗りにとっては、灯台が唯一広い海で安全な航海の見守ってくれるもの。たかがレンズ磨きと片付けられない大切な仕事なのだ。昔はオイルの灯火を使っていたそうだが、今は風の力を借りて電気が蓄えられ夜のあいだ闇を照らす。考えてみると、この灯台が島でもっとも近代的な施設なのかもしれない。でもそれを支えているのが雨の日も晴れの日もわけ隔てなく吹く風という自然の力というのもおもしろい。

 

 灯台に着くと、いつものようにインクが迎えてくれた。眠そうな目でこちらを見ている。みんなから慕われているインクがいてくれる限りこの灯台も安心だろう。少なくとも忘れられる心配をしないでいい。  

机に目をやると引き出しが少し開いていた。開けてみるとだれかが見たのか、ノートに栞がはさまれていた。出発前にトラピさんが来たのかもしれない。栞のページを開いてみた。

 

***** ノート *****

 

 島の少し高くなっているところでは、いたるところに果実のなる木が自生しています。リアヌシティで売られている食用の果物と比べると人の手がかけられていない分見劣りはしますが、人ひとりが空腹を満たすのには十分すぎるほどの量です。ところが、食べる人もいないだろうと安心していると、その果物が一夜にして食い散らかされてしまうことがあります。この実を好物にする渡り鳥の群れでも来るのでしょうか。目覚めると熟したものだけ選んですっかり食べ尽くされています。

 

 中でも飛びぬけておいしいのが、私がピーチプルと名づけた淡いピンク色の果物です。名前で想像がつくかもしれませんが 、桃とリンゴを掛け合わせたような見た目で、柔らかく果肉がとても口当たりのいい果物です。もし、この世に楽園と呼ばれるところがあるなら、このピーチプルのなる土地がそれにもっともふさわしいように思います。食べる時にこぼれ落ちる果汁の雫はこの世のものとは思えないほどのおいしさです。至福に味があるなら、まさにこのピーチプルに違いありません。

 おもしろいものでは野菜のような果実もあります。葉を巻き込んだような実が木になります。こちらは鳥も好まないようで、熟すとぽとりと落ちてしまいます。こんな果物はこれまで一度も見たこともありません。こんなものが木になっていることが ほんとうに不思議です。こればかりは見た人にしかわからないでしょう。 

 これらの植物の写生を何度か試みてはいるのですが、なかなか納得のいくものが描けません。記録として価値のある絵にならないのです。子供のころから絵を描くことより外を走り回っているほうが好きだったのですが、こんなことならもう少しきちんと習っておけばよかったと今更ながらに後悔しています。

 

  おいしい食べ物に出会うといつもあのジギ婆さんのことを思い出します。貧しくて普段なかなかおいしいものを口にすることのない婆さんに持っていってあげればどんなに喜ぶだろうかと思うのです。

 婆さんは二度と帰って来られないと言っていましたが、未だにその言葉の意味するところはわからないままです。島に渡る時に使ったボートはしっかり陸にあげて蔦で縛り止めてありますし、同じ道を辿ればいつでも戻れそうな気もします。あえて言えば、こんな楽園のような場所から急いで帰ろうとは誰も思わないということでしょうか。もし、過去にだれかがこの島に来ていたなら、私と同じように考えたに違いありません。それほどに居心地のいい場所なのです。

 行方のわからなくなった爺さんはこの島には足を踏み入れなかったのかもしれません。踏み入れていれば、あんなに慌てた手紙を書くこともなかったでしょう。そう考えてみると、私が消えたはずの島にいること自体も不思議に思えてきます。

 一ヶ月ほどの予定だったこの旅も、リアヌシティを発ってもう2ヶ月を過ぎようとしています。新聞社の人たちも私の行方を捜し始めているかもしれないと思うと少し申し訳なく思うのです。

 

***** ノート ***** 

 

 トラピさんは、200年以上前のジギ婆さんの何かを探そうとしているのだろうか。もっともノートを書いた本人の名前がわからないから、手がかりはジギという名前以外にはないのだけれど。 

 

「おじゃまします」

 

 ノートを読みふけっていて、入口に人が立っているのにまったく気がつかなかった。

 

「こちらの灯台は入らせてもらっていいですか?」

 

「どうぞどうぞ」あわててノートを片付けた。

  

 「島ははじめてすか?」

 

「はい、最近知りました」

 

 よく見ると小さな手に島便りを持っている。

 

「あ、それ……

 

「港で配られていたチラシをいただいて 」

 

「そうでしたか。それを見てこちらに?」

 

「そうなんです。本当に何も知らなくて……

 

「もしかして、昨日の飛行船ですか?」

 

「あ、そうです。このチラシに書いてあった水玉の鳥が迎えてくれました。ほんとうにいるんですね。感激しました」

 

「ほんとうなんですよ。驚いたでしょ。あんな鳥いないですよね」島便りを見て来たという人とはじめて会って、大人げもなく興奮している自分がおかしかった。

 

「島の印象はどうですか?」

 

「想像していた通りのところだったので、もう少し近ければ毎週来たいぐらいです」

 

ザックを背負っているところをみると、この子も野営のつもりで来たのだろう。最近の女性は元気がいい。

 

「この灯台は上に上がれますか?」

 

「ええ、もちろんですよ。ただ、階段が急なので気をつけてください」

 

「じゃあ、失礼して……」

 

 インクが案内人にでもなったつもりなのか先に駆け上がって行った。はじめて来た人には、今でもこの灯台が島巡りの目標のひとつになるだろう。島で唯一目立つ建物といっていい。

 

上がったまましばらく降りて来る気配がなかったので、「どうですか」と上のほうに向かって声をかけてみると、

  

「海が丸く見えます! 大きな水玉みたいできれい。夜見るときっと宇宙にいるようですよね」と返事が来た。

 

「そうなんです。宇宙に放り出されたみたいな気分になりますよ」

 

客人はその後もずっと海を眺めているようだった。ときおりカメラのシャッターを切る音が聞こえる。それ以外には、波の音だけしか聞こえない。

 

どうやらこの調子だと、照射灯のレンズ磨きはまた先送りになりそうだ。船長の来るまでに終らせられるだろうか。

 

結局1時間ほどして女性は降りてきた。ありがとうございましたとひとこと言って、そのまま出口に向かった。その後ろ姿は何か考えごとでもしているように見えた。

背負っているザックが動いたので見ると、ウサギが顔を出していた。インクがふーふーいっている。ネコとウサギとは相性が悪いのかなと思う

 

小さな女性は名前も告げないままにエバンヌのほうに向かって行った。島便りの配られている様子をもう少し聞きたかったけれど、ここは配られていることがわかっただけでもよしとしよう。早速ミリルさんに報告して次の島便りも考えないと。


第34話 名前の由来

    次の新聞には、エバンヌのことを書こうと決めてペンを取る。 ところが、エバンヌの何がこの島の特徴なのかと考えてみると、ノルシーさんの人柄以外に書くことを思いつかない。そこに島の情報がありますと書けばアピールになるのだろうか。エバンヌというよりも、島をともに楽しんで来たノルシーさんへの思いが強いのかもしれない。それはそれで島の温かみを使えることになるかもしれない。

   しかし、記事にするのであれば、あのきれいな海と潮騒、古いレコードから流れるジャズの話のほうがいいだろう。昨日のうさぎ少女は、今日はどこを歩いているのか、リブロールに立ち寄ってくれればもう少し話を聞けるのにと思いながら筆を進めた。 

 
「オルターさん、冷たいお水はいかがですか?」ミリルさんがいつものように飲み物をすすめてくれる。
 
「あれ、めずらしい。今日はお水ですか」
 
「よければ、ひと口飲んでみてください」
 
 渡されたグラスを飲み干して、「この時期に飲む冷たい水はいい」と言うと、
 
「それだけです?」とミリルさんがちょっと物足りなさそうな顔をした。
 
「何か入ってました?」
 
「きっと、ネモネさんが悲しみますよ」
 
「え? ネモネさんの水なんですか?」
 
「そうですよ。昨日ネモネさんが来て、おいしい水の候補って置いていかれたんです」
 
「あれ、もう一杯もらっていいですか?」
 
 言われてみるとさっきよりおいしい気がする。
 
「たしかにおいしいですね」とあらためて感想を言うと、「あら、急においしくなってしまいました?」と、味に無頓着なところを知っていてクスクス笑っている。
 

「いや、そういうわけではなくてね、最初からおいしいですよ。ミリルさんも人が悪いな。何か隠してますね?」

 
「ごめんなさん。いつも飲んでいるお水なんですよ。ネモネさんが、灯台の水もおいしいって言われて」
 
「え、灯台の水? これ、灯台の水なの?」
 
「ピンクレベルには届かないそうですけど、十分おいしい水だって言われてました」
 
「なるほど。おいしい水もいろいろあるわけだ。もしかすると、程度の差こそあれこの島の水は全部おいしいってことなのかな?」
 
「そうみたいですよ。その中でも特別なお水がみつかるかどうかということみたいです」
 
 水にレベルがあるというのはよくわからない。同じ水でも効用が違うというのはどういうことなのだろう。成分の何かが違うということなのだろうか。
 
「そうすると、ネモネさんはまだ水探しに精を出しているということですね」
 
「そうみたいです。早く、いいお水がみつかるといいですけど」
 
 妙な話ではあるけれど、あのブタ君の活躍に期待したいところだ。
 
「あ、そういえば、ウォーターランドの名前の由来がわかりました。昔、船が遭難して瀕死の状態でこの島に流れ着いて、そのまま命を落とした人がいたそうで。そこで、おいしい水を口に含ませたら奇跡的に息を吹き返して元気になったらしいんですね。それ以来、水の精霊の宿る島として名が知られ、その水の効用に授かろうと遠くから海をわたって訪れる人が増えたと本に書いてありました」
 
「それはいつごろの話なんですか?」
 
「何百年も前の話のようですよ。言い伝えに近いような話ですね」
 
「そんなに前の話だと、ノートの主が来る以前の話かもしれないな」
 
「もしかすると、神代の時代の話なんでしょうか。実際、ミドリ鮫の漁師もこの島の水を好んだと書いてありました」
 
「なるほど、なんだか聖水伝説のような歴史のある話なんですね」
 
それと、もともとはウォーターランドではなくてウォーターリーフと呼ばれていたと書かれてました 」
 
「ウォーターリーフ? リーフって珊瑚礁の集まったところですよね。島じゃなくて
 
「でも本にはそう書いてありましたよ」
 
ノート氏が訪ねたのはアターリーフだったから。それがウォーターリーフになったと? それとも違う 珊瑚礁域だったのかな。地図にもまともに書かれてなかった時代だからそれも考えられますね。でもそうだとしたら、この島でノートがみつかったこととつじつまが合わなくなるし。いや。待ってくださいよ。もしかしたら、もしかしたらですよ、アターリーフってwaterのwが消えていたのだとしたら……
 
「あ! そうだ、オルターさんそうですよ。だって、看板の字が消えかかっていたって、ノートに」
 
「なるほど、とすると、ここは本に書かれていたようにもともと水で名の知れたところだったというわけですね」
 
「きっとそうですよ。知らないのは今の住人だけだったと。私たちって本当にのんき」
 
 思わず顔を見合わせて笑った。 
 
「それにしても、珊瑚礁は簡単に島になるものなのかな」いまひとつすっきりしない。ミリルさんはおいしい水があればどちらでもいいですけどと言っている。トラピさんに連絡が取れたらこの話も一応伝えよう。何かの助けになるかもしれない。
 
私たちも無意識のうちにここの水に惹かれて集まったのかも。でも、住民も気付かない特別な水っていったいどこにあるんでしょう 」
 
「そこがカバくん頼みなわけですよ」
 
「ネモネさんのカバちゃんにがんばってもらわないとですね」
 

「ネモネさんは、他に何か言ってませんでした?」

 

「みつからなければ、温泉だけでも作ろうかなっておっしゃってましたよ」

 

「お、そうですか。温泉の候補地はみつかったのかな?」

 

「周辺の小島のほうにあったようなことを言われてたかな。あそこなら迷惑はかからないだろうって。ノーキョさんにはももう伝えたようなことを言われてました」

 

 この年になると年寄り扱いされても仕方はないのだけれど、声もかけてもらえないのもちょっと寂しいので、あとでノーキョさんを訪ねてみることにしよう。何か手伝えることもあるかもしれない。

 

「ミリルさん、水をもう一杯いいですか?」

 

「これからはお茶をよして、水にしましょうか」

 

 「おしいし水を使ったものであればなんでもおいいしいでしょうから、いままでのままで」

 

 入れてもらったグラスの水をしげしげと眺めてみたものの、特別な色も香りもない。おいしいお酒は水に近いという。人の身体もほとんどが水でできているとも聞くし、結局すべては水に始まるということなのだろうか。水に始まり水に終わるとしたらおいしい水は本当に養老の水なのかもしれない。ウォーターリーフが今のようなウォーターランドと呼ばれるようになったのも気にはなるところだけど、まずは名前の由来がわかっただけでもなにかの手がかりになるかもしれない。

 

「 オルターさん、お水まだ飲みます?」

 

「あ、そうですね、お願いいします」

 

 もう立て続けに5杯も飲んでいる。いい水とはいうもののさすがにお腹がたぷたぷになってきた。いい水でお腹を下すことはないと書いてあったのかどうかも気になる。


第35話 留守

  ノーキョさんのお店はガチョウやアヒルが放し飼いになっている。お店に入ろうとすると、グワグワいいながら後をついてくる。出迎えのつもりなのか、それとも番犬ならぬ番鳥なのか。横をみると生みたてのタマゴがころがっていた。これはアヒルの卵なのだろうか。ひとつ拾ってみるとほのかな温もりが手に伝わる。
 アヒルには名前がついているらしく、小屋にはガーコとガースの新居と書いてある。もしかするとツガイなのかもしれない。ということはこの卵には命が宿ってるということだ。小さな命もこの島の住人、大切にしないと。2羽に挨拶の気持ちを込めて、そっともとの場所に戻した。
 
「ノーキョさん、います?」
 
  何の返事もなく、音もしない。机を見ると15時まで、小島に渡るとの手紙が残してある。用がある方は、裏の信号煙でお知らせくださいと書いてあった。信号煙というのはスロウさんがつくったもので、何かの連絡があるときに、火をつけて煙を出すもの。回転する蓋で煙の間隔が選べるようになっているので、煙の色と量でいくつかの連絡が読み取れるようになっている。昔でいうところの狼煙といわけだ。これは手先の器用なスロウさんならではの作品だと思った。島一番の発明家としても誰もが認める人で、なんでも作れてしまうスロウさんが羨ましい。
 
  15時までにまだ2時間もある。こんな、時間に店をあけるのもめずらしい。急用でも入ったのだろうか。店の中を眺めるとこの前にもらったインキが濃い、普通、淡いの3種類の瓶に入れられ棚に並んでいる。気泡が入った手作りの瓶も味わいがあっていい。これも新しい商品ということになったのだろう。島便りに使っているインキとわかれば、お土産に持ち帰る人もいるかもしれない。
 
 もう一度置き手紙を見ると赤い矢印と双眼鏡の絵が書いてあった。もしやと思い壁に掛かっている双眼鏡を持って外に出た。矢印の向いていた西の海のほうを眺めるとそれは西側の小島のひとつを指していてた。双眼鏡を覗いて見るとノーキョさんの姿が見えた。なにをしているのだろう。ネモネさんとスロウさんもいる。そうか、あそこで温泉が出たのに違いない。ネモネさんもあんなところまで探していたとはご苦労なことだ。見た感じでは、温泉もずいぶんそれらしい形になっているように見える。もう何日も掘っていたのかもしれない。カバくんもすっかりピンクになっている。あれはきっといい水なのだろう。小島に渡るか、3人が戻るのを待つかを考えていると、ナミナさんが、旅行鞄を持って歩いて来た。
 
「こんにちはナミナさん。お出かけですか? 」
 
「ええ、カーニバルに呼ばれているんで」
 
「あ、トラピさんと同じところですね」
 
「そうです。彼はもう現地に入ってます。私のほうはご覧の通りのゆっくりでー……クナ、センカ、静かにしててねー」
 
「あはは、元気いいお子さんだ。お兄ちゃんがクナくんでお姉さんがセンカちゃん?」
 
「この子たち双子なんですね。もう、いたずらで、いたずらで」
 
「でも、楽器のほうは上手に演奏できる。たいしたものだ」
 
「小さい頃から旅回りでいっしょに演奏してたので、知らず知らずのうちに覚えちゃいましたね。と言っても、太鼓と簡単な笛ですけど。あ、この子たち私の子供じゃないですよ。ある人から旅で遠くに行くので預かってくれと頼まれて」
 
「そうなんですか。でも、3人の演奏はとても楽しくていいですよ。聞いてるだけで身体が踊り出してしまう」
 
「音楽は楽しく……あ! クナ、だめだめ。そんなことしたらセンカが困るじゃない。静かにしないといっしょに行けないよ」
 
 まだ、小さい二人の子供は元気がいい。なかなかじっとしていられないようだ。親子じゃない3人がいっしょにいるのには事情もあるのだろう。あまり詮索しないほうがいいかもしれない。
 
「オルターさんは、ここで何を?」
 
「ノーキョさんを訪ねて来たんですけど、ちょうど小島のほうで温泉堀をしているようで」
 
「あ、今日にでも入れるようになるって言われてた温泉ですね。温泉入ってから出発の計画だったんですけど。間に合わなかった」
 
「今日と言ってました?」
 
「建物はそのうちにとは言われてましたけど、お湯にはいるだけなら今日からでもって」
 
「また、張り切って掘ったもんだな、ノーキョさんも」
 
「私が入りたいってわがままを言ったからかもしれません。悪いことしちゃったな……あ、オルターさん、私、飛行船の時間があるので、これでー」島に向かってくる飛行船の機影を見つけたようだ。
 
「ああ、お引き止めしてごめんなさい。気をつけて。トラピさんにもよろしくお伝えください」
 
「わかりましたー。ハトポステル出すように言っておきますね」
 
「ノートのことわかったら、連絡くださいって伝えてください」
 
「ノート? 」
 
「そう言えばわかると思うので。わからなかったらいいです」
 
「はーい。じゃあ、オルターさん、いってきまーす」
 
「いってらっしゃい。クナちゃん、センカちゃんも気をつけて」
 
「はーい、おじいちゃん、ばいばーい」
 
 3人を見送って、あらためて小島のほうを見ると、座って休憩しているように見えた。もう、石を敷き詰めるだけということのようだ。あの様子だと海との境目がないような温泉になるのかもしれない。海とつながった温泉なんてこの島ならではの楽しみだ。みんながメーンランドから戻って来る頃にはいい水のきれいな温泉が完成しているだろう。
 
 この日は、結局3人が戻ってくるまでガーコとガースを相手にノーキョさんのを待つことにした。島の時間は使いきれないほどたっぷりある。みんなが戻ってくると、温泉の湯船が完成したので、翌日はみんなで試し湯をしようということで話がまとまった。手伝いで来たはずだったのだけど、若い人の勢いにはとても追いつけない。


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