目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

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第23話 水の島 +

 

 鮫の大群を見ることもなく、いつもと同じ朝を迎えた。その日も船長の船は来ないで、結局2日後になった。  

 

「やっほーい! みんな元気かー? 船長様のご到着だぞ」いつもの元気なダミ声が聞こえてきた。

 

「船長、いらっしゃーい」ミリルさんがまだ見えない船長の声に応える。

 

「しばらくぶりに来てみたらすっかり夏になっちまったな」ドタドタとデッキ側からお店に入ってくる。

 

「夏といってもまだはじまったばかりですよ」ミリルさんが答える。

 

「おうよ。でも、ナツヨビもあんなにいるしよ、今年の夏は暑くなりそうだな」

 

 そうだ、船長ならミドリ鮫のことを知っているかもしれない。

 

「船長、ご苦労様だね。唐突だけれど船長はミドリ鮫って見たことあるかね?」

 

「ああ、一度だけな。たしかこの島の少し東のほうだった。なかなか壮観だったな」

 

「やっぱりいるんだ。今でも」離れたところにあるソファーに座っていたトラピさんが独り言のように言う。

 

「今でもと言ったか? もう30年も前のことだぞ。あんなきれいな色してりゃ目立ってしょうがないだろ。生き残りがいるかどうかもあやしいな。もともとこのこのあたりに生息していた鮫なんだろうけどな。みんなで缶詰にでもしちしまったか?」

 

「船長ったら」ミリルさんが呆れ顔で見た。

 

「 俺は鮫にはとんと興味なくてな、あんなもの見るだけで十分だろ」

 

「見たいというか......」ことの事情を話そうとすると、それをさえぎって、

 

「まさか、水族館をやりたいなんて言わないだろうな、爺さん。頼まれてもお断りだぞ。鮫になんの義理もないしな。鮫に食われるなんてごめんだ」

 

「船長、 ノートにねミドリ鮫のことが書いてあるんですよ」ミリルさんが口を挟んだ。

  

 「それならいい。ノートを読んでいる分には命にかかわることもないだろう。それはそうとして、今回は品物なしで、土産話だけ持ってきた」

 

 いつもの調子で、人の話を聞く気もないようだ。 忙しい人だから仕方ない。ただ、ミドリ鮫が肉食のように言うところは気になった。

 

「えー、普通の本だけなんですか? ちょっと残念」

 

「残念? そりゃあ、ないだろう。はるばるやってきた客人を迎えるお言葉とは思えませんぜ、お嬢さん」

 

「あら、ごめんなさい。だって、いつもおもしろいもの持ってきていただけるから」

 

「おもしろいものときたか。わははは。それなら俺だけで十分だな」たしかに船長の話はいつも突飛でおもしろい。思わずみんなで顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「船長、はじめまして。トラピです」ペコリと頭を下げて挨拶した。

 

「新入りだな? よろしくな。この店の次期オーナーになるダルビーだ。こう見えても、義理と人情に厚く、気は優しくて力持ちだからな。親切にしておいて損ははないぜ」

 

「また、好き勝手なことを言ってる。オルターさん、船長が言いたい放題ですよ」

 

「船長にはお願いしないといけないこともあるしね。ここは、手厚い歓迎をしておかないとだめかな」船に積み込む新聞のことが気になって頭から離れない。

 

「まあ、オルターさんまで」

 

「さすが長老、よくわかってる。その話というのはだな。ここの水が滋養強壮にいいという噂が流れててな。調べてみると、その昔、ウォーターランドという名前で呼ばれてたっていうんだな、これが。知ってたか?」

 

「それは初耳だな」以前住んでいた人からも聞いたことがない。

 

「そうだろ? そこで船長さん考えたね。水の島って売り文句はどうかって」

 

「あら、すてき。水の島、ウォーターランドね。覚えやすいわ」   

 

「ところで、何もないとは言ったものの、俺らしからぬ普通の本は持ってきてるわけよ。よかったら見てくれ。いらなけりゃ、俺の本棚にでも入れておいてもらおうか」

 

「船長の本棚?」どうやら船長もリブロールを自分の書斎のように思ってるらしい。長旅の途中でちょっと立ち寄る自宅のような場所と思ってくれているのなら、それはそれでうれしいことだ。

 

「いつになくたくさんあるね。どれどれ」何冊か手にとって見る。船長が言うように今回は普通の本がたくさんある。

 

「俺だって、たまには選書のできるところを見せないとな。ただの運搬人のように思われちゃたまらんからな」

 

「えっと、これみんな水の話ばかりですね」トラピさんが何冊か見て言った。

 

「あれ? 水の話はお気に召さないと?」

 

「いや、そんなつもりは」トラピさんがあわてて言葉を取り消す。 

 

「船長の選書であれば、みんなもらうよ。お返しはいつものように水と食料の補給で」

 

「取引成立な。それさえあれば、こちらは百人力だ。世界の果てまで行けるってもんだ。あ、そうそう。ここの水はいいっていう人は確かにいるな。飲ませてやるとほっとするってよ。なにか仕込んでいるのか?」

 

「いや、なにも」

 

「この前、違う島で乗せた客人もえらく喜んでたな。どこかで料理人やってたらしくて、水のうまさに驚いていたぞ。ミリルさんよ、今日は水だな。うまい水をくれ」

 

「あら、また水……」

 

「もしかして、あのドラム缶に水を入れるんですか?」トラピさんが外のドラム缶に気がついて尋ねた。

 

「若いの、あんたは勘がいいみたいだな。ドラム缶はいくらでもあるからな。水あってこそのオフェーリア号ってことだな。オフェーリアは水死したじゃないかって? そんな名前じゃ沈むだろうって思ったか? 水もしたたるいい女って言うのを知らないか? そういうことだ、わはは」

 

「いえいえ、いい名前ですよ」トラピさんが一生懸命ご機嫌を取っているのがわかる。何度か会っているうちに船長の人柄がわかるのだけれど、初対面だとみんな面食らうのだろう。

 

「船長、ボルトンってわかります?」ミリルさんが思い出したように聞いた。

 

「あー、俺がここの定期連絡船をやってるって聞きつけたらしくて、ハトポステルの番号を聞いてきた。何か言ってきたか?」

 

「水をくださいって……」ミリルさんがそのまま伝えた。

 

「まったく仕方ないやつらだな。あれほどだめだって言ったのに。戻ったらもう一度釘を刺しておこう。俺の目の黒いうちは許さないからな」

 

「あの、ボルトンというのは?」トラピさんが聞いた。

 

「ありゃ、ただの水で金儲けしようって企んでいるやつらだ。公社なんて言ってるけど、頭の中は金のことしかないな。あんなところと契約でもした日には島の水をすっかり抜かれて、からからに干からびちまうぜ」

 

「えー、そうなんですか?」ミリルさんが困った顔をした。 

 

「だいじょうぶだ、契約さえ結んでなければ、俺が止めさせる。いいか、ここの水はだれのものでもない。ほんとうに必要な人がいるんだから、だれにでも気安く渡しちゃだめだ。いいな」

 

 船長が妙に真剣な顔をしている。やはり、メーンランドのほうで何かあったのかもしれない。その話をしようとしたときに、時間もないからと新聞の話になった。

 

「おお、いいじゃないか。これだな。俺にまかせとけ。悪いようにはしないから」

 

 船長にまかせておけばきっとうまくいく。頭のいい人だから心配ない。それに、この島のことを大切に思ってくれている。

 

「お、待てよ、この包みなんだか臭うな。なにか入れてるのか?」

 

「それがインキの匂いなんですよ。海の匂いがするでしょ?」ミリルさんがうれしそうに言う。

 

「海の匂いか。おもしろい。どこかで嗅いだことがある匂いだな。どこだったかな……」天井を見上げて、昔の記憶をたどっているようだ。

 

 船長には何か心当たりがあるらしいが、どうしても思い出せないようだ。新聞を手にした人からいい知らせが入る予兆かもしれないと期待がふくらむ。

 

 船長は、水をドラム缶に入れ終えると、先を急ぐようにリブロールを後にした。どうも雲行きが怪しいのだそうだ。海が荒れないといいのだけど。

先を急ぐ船を3人でいつまでも見送った、東の空に黒い雲が見え始めていた。

 

 


第24話 雨の夕暮れ

 いつものように船長の船はなかなか島を離れない。天気も悪くなりそうだから、早く移動できるといいのだけれど。
 
「雨が来ないといいですね」とミリルさんが心配そうに言う。
 
「そうだね。海が荒れると航海するのも大変だろうね」
 
風も心なしか強くなっているように感じる。
 
 今日は外に出るのも億劫なので、リブロールで船長の持ってきてくれた本でも読んでいることにしよう。
ミリルさんは洗濯物を取り込んでくるといって家に戻った。新聞の積み出し準備で疲れただろうからゆっくり休むように言った。
 
 新しい本の何冊かに目を通したときに、雨が降り始めた。初夏に降る雨は大雨になることも多くて、海辺の地形がかわるようなことさえある。海抜の低いこの島は、島の形さえ一定しない。天候の悪いときには住民も海辺にはあまり近づかないようにしている。
 
 雨が降りはじめてしばらくしたときに、一人の女性が尋ねてきた。はじめての人だったのでこちらから声をかけた。
 
「こんにちは」とても小さな声が返ってきた。
 
「島ははじめてですか?」
 
「1週間ほど前に来ました。」ちょっと不安そうな表情を見せた。
 
「今日はあいにくの天気になりましたね」この時期には珍しい雨に遭うというのも気の毒なことだ。
 
「こちらは本屋さんなんですね」と聞かれたので、「ええ、まあ、本屋というか、図書館のようなものかもしれないですが」と答えた。
 
「少し雨宿りさせていただいていいですか?」
 
「あ、どうぞ、どうぞ。遠慮なく」とテーブル席に案内した。
 
「ここは動物も大丈夫ですか?」遠慮がちに聞いてきた。
 
「ああ、人も動物もなにもかも大丈夫ですよ」
 
「よかった。」と言うとすぐに店の外に出て、見たことのない動物を連れて入ってきた。
 
「それは……」
 
「カバの子供です」
 
 返す言葉もなかった。どうしてカバなんだろう。このあたりでカバなんて見たこともない。
 
 テーブルの上に広げてあった船長の本を眺めていたと思ったら、「これ水の本ですね。私にも読ませてもらっていいですか?」と聞かれた。とても遠慮深い人のようだ
 
「今日届いたばかりの本なんですけど、よかったらどうぞ。水にご興味が?」と言いながらも、実は横にいるカバが気になって仕方がない。
 
「ええ」と一言だけ言うと、椅子に腰掛けて、カバをつれたまま本に目を落とした。
 
 どこの人だかは知らないけれど、この島では余計な詮索はしないというのが決まりごとなので、お互いに話すこともなく雨だれの音を聞きながら静かに読書を楽しんだ。雨に濡れるのをいやがる人も多いけど、砂漠のような土地があることを考えると、雨の降ることにも感謝しないといけない。木々や草花は雨を喜んでいるに違いない。雨をしのぐ場所さえあれば、本でも読んでいればいいのだ。雨は人に休むことを教えてくれる。
 
 船長がこんなに水の本ばかりを持ってきたのには何か理由があるのだろう。ウォーターランドという名前を聞いたから、それならということで関係書籍を集めたのか。ここの水がいいという話もしていたから、自分でも調べてみたかったのだろう。
 
 その中の一冊に、南部地方のことを書いてある本があった。気候風土について書かれた本だった。目を通していると、思いがけずミドリ鮫の文字が目にとまった。雨のあとに土地の恵みが海に流れ込むときに、ミドリ鮫は捕食のために集まるのだと書いてある。そうか、緑色は海草ではなく苔や藻の色なのかもしれないと想像してみた。森の恵みが海とつながるという話もわかる気がする。そしてその海の水が蒸発して雨になって森の命を育む。自然の循環というわけだ。ミドリ鮫が森と海の間を取り持っているのかもしれない。でも、それと時間がゆるりと動くことが関係しているのかどうかはわからない。関係がないことなのかもしれない。本には当然そのことについては何も書かれていなかった。
 
「今日は雨もやみそうにもないから、よかったらここのソファーで休んでもらっていてもいいですよ」本を静かに読んでいる女性の様子をうかがってみた。
 
「ほんとうですか?」とすぐに返事があった。やはり宿に困って来たようだ。
 
「ここはみんなのうたた寝の場所でもありますから。よかったらかけるものもあるので使ってください」とブランケットのある場所を伝えた。
 
「すいません」と頭を下げた。小さなカバは見かけとちがって、妙におとなしく横に寝転がっている。カバのことを聞くのがはばかられるほど当たり前に寝ている。
 
 ミリルさんがいれば、うまく接客もしてくれるのだけど、こんな爺さんでは何の役にも立たない。とにかく女性のじゃまをしないようにしないと。気まずいようであれば灯台に戻ろうかとも思ったが、こちらを気にしている風でもない。
 
 リブロールの窓を雨の雫が幾筋も不規則に流れ落ちる。見ているとそれが音符のように見え、雨の奏でるメロディーが聞こえてくるようだ。雨の日の読書はなかなか楽しい。雨読とはよく言ったものだ。一文字、一文字が恵みの雨のように心に沁みていく。

第25話 針のずれ *

 カバを連れた女性は寝る様子もなかったけど、二人だけでいるのもどうかと思ったので簡単な食事の用意をしておいて灯台に戻った。
 泊まる場所も決まってないようだったから、雨がやまなければ、あのままリブロールで一夜を明かすのかもしれない。大きなザックのようなものも持っていたので、いつもは野営しているのだろう。実際、夏になると島に遊びに来て屋外で朝を迎える人も多い。
 
 ミドリ鮫のことが気になって、ミドリ鮫を見たあとのページを読み返してみた。
 
*****ノート*****
 
 南西の風と日差しが強い
 
 今日は驚くことがありました。日時計の針が指す位置が前と少しちがっているのです。太陽の位置が変わらないと考えると日時計は石に固定されていましたから、地面が動いたとしか思えません。周辺を見渡しても何も変わるところがないのに、最初に植えた苗の場所と比べてみると、島そのものが少し右回りの向きに動いたということになります。
 しげしげと日時計を眺めていると、草むらから ”きまぐれ” が顔を出して、こちらの様子を伺うようにじっと見ていました。昨日から今日にかけて身体に感じる振動もなかったので、何も起こらなかったと思いたいところですが、目の前の日時計がそれをどうしても許してくれそうにないのです。
 もしかすると、気がつかなかっただけで、もっと以前に何か起こったのかもしれないとも考えてみましたが、まったく心当たりにありません。最後に考えられるのが、ミドリ鮫の中で意識がなくなっていたときだけです。そう思うとますますあの時間が悔やまれるばかりです。
 
 ”きまぐれ”はこちらが考えるのをあきらめたのを見届けるようにして消えてしまいました。同じ島の仲間と言いたいところですが、なかなかつれない友達です。どこで寝起きしているのかはよくわかりませんが、いつも出会うのは灯台の近くなので、このあたりをネグラにしているのだと思います。
 
*****ノート*****

第26話 おいしい水

 翌日は雨もすっかりあがって、草木に乗った雨露の粒が朝日に照らされたあちらこちらで小さく光っていた。リブロールに行ってみると、昨日の女性が店のまわりの掃除をしていた。雨のせいで少し汚れてしまったのかもしれない。

 

「おはようございます。今日はいい天気になりましたね」気づかないようなので挨拶した。

 

「昨日はありがとうございました。お礼にと思ってお掃除をしていました」と言うとにっこりと微笑んだ。少し元気が出たようだ。 

 

 気になっていたカバを探すと、店の横にある小さなプールで朝から水浴びをしている。環境がどうあろうが、わが道を行く姿勢は見上げたものだ。きっと大物になるに違いない。でも、大きくなったらどうなるかは考えない。

 

「ご挨拶が遅くなりましたが、私、ネモネと言います」

 

「私は、オルターです。どうぞよろしく」

 

「昨日は、助かりました。こちらは雨が少ないと聞いていたので、雨具も用意してなくて」

 

「突然の雨でしたからね。カバ君も元気でよかったです」

 

「彼にとっては、雨は生活そのものなので一向に気にならないらしいです。水が命の次に大切なものなんです」

 

「人間も水がないとだめですからね。人もカバも同じです」当たり前すぎて、自分でも何を言ってるのかわからない。こんなことを言ってしまうのでも、カバがここにいること自体がそもそも普通じゃないからなのだ。

 

 話しているうちに、ノーキョさんが手を振りながら、こちらに近づいてくるのが見えた。 

 

「ノーキョさん、いらっしゃい」

 

「オルターさん、来ましたよ。印刷うまくいったみたいですね。新聞の第2号を拝見しました。昨日、コピちゃんが届けてくれて」

 

「あのインキのおかげで、いい新聞ができました」

 

 ネモネさんとノーキョさんは初対面のようだったので、それぞれを簡単に紹介した。二人はすぐに打ち解けて話をしている。若いと仲良くなるのも早い。

 

「また少し、資料整理をさせていただきますね。」といって、ノーキョさんはテーブル席のほうに資料のどっさり入ったかばんを下ろした。ほんとうに勉強熱心な人だ。本だけでなく、ノートや使い道のわからない道具もたくさん出てきた。布製のボロボロになった筆入れは見てくれにこだわらないノーキョさんらしい。

  

「あれ、オルターさん、この本。どうしたんですか?」

 

「本? ああ、それは昨日、定期船のダルビー船長が持ってきてくれたものなんですよ。まだ、整理できてなくて」

 

 ノーキョさんも、新しい本が気になったようだ。しばらく見ていたと思ったら、いきなり大きな声をあげた。

 

「おー、これはすばらしい。この水の本、手に入れるのが難しいといわれていたものですよ。たしかにこれだ、間違いない」驚きを隠せない様子だ。こちらはそれを聞いて少し慌てた。

 

「え、そうなんですか? 実は、私もまだよく見てなくて」希少本に気づかないなんて本屋の面子もあったものではないけど、もともとそんなものは持ち合わせていないのはみんなのほうが良く知っている。

 

「かなり古い本で、今はほぼ入手不可能だと思います」手に取った本を何度もひっくり返したり、ページをめくったりしながら言った。

 

 ノーキョさんもどこかで探したことがあるのだろうか。

 

「実を言いますと、私も水をさがしに来ました。最初その本を見てほんとうにびっくりしました」ネモネさんも同じように思っていたのだ。これじゃあ、もう本屋だなんてはずかしくて言ってられない。やはり、船長の目利きがあってのリブロールということか。

 

「そうだったんですね。それでカバを?」また、変なことを聞いてしまった。とにかく外のカバが頭から離れないのだから仕方ない。 

 

「あ、あのカバはミームという名前なんですけど、他のカバにはない特別な力をもっているんです」

 

「特別の力というと?」ノーキョさんが聞いた。

 

「身体にいいお水を見つけられるカバなんです」秘密を明かすように小さな声で教えてくれた。

 

「それがあそこにいるカバですか?」ノーキョさんが驚いた顔をして、プールで水浴びをしているカバを見に行った。

 

「水の具合がいいと皮膚がピンク色に染まるんですね。それでいい水を探せるんです」

 

「それはすごい。いい水というのは?」 

 

「疲れも取れて、長生きができるお水です」

 

「長生き...それは聞き捨てならないな。そんな水が見つかれば、みんな欲しくなるでしょうね」

 

そう言ったときに、ふと思い出した。

 

「あれ? もしかして最近島のあちこちをこのミーム君と歩いていました?」

 

「ええ。何かご迷惑をおかけしましたか?」昨日と同じ困った表情を見せた。

 

ピンクのカバ……これをみんなブタと見間違えたのかもしれない。

 

「どうかしましたか?」ネモネさんのほうが心配になってこちらを見た。

  

「いや、ちょっと思い出したことがあって。大丈夫ですよ。だれも気にしてないですから」

 

「気にしてないんですね。よかった」と言ってほっとしたような表情をした。

 

「オルターさん、あのカバ、もしかすると水を探すカバかもしれないですよ。以前、聞いたことがあって、いい水を見つける力をもったカバがいるらしいんですよ」

 

「あ、そのカバです」ネモネさんが、あまりにさらりと答えたのを聞いて、ノーキョさんは、空いた口がふさがらなくなってしまった。 

 

「え? そうなの? いやー、これは驚いた。今日は、本といいカバといい、とっても水日和な朝になってしまいましたねえ。こんなこともあるんですね。あの、ネモネさんは、ずっとこちらにいらっしゃるんですか?」

 

「ええ、もしいいお水がみつかったらというか、いい温泉がないかと思ってまして」

 

「おー、それはすばらしい。ぜひぜひ、温泉を。ねぇ、オルターさん。いいですよね」

 

「そうですね。温泉できればきっとノーキョさんと、それこそ入り浸り」

 

「ほんどだ、ほんとだ、文字通り入り浸りだ。あはは。温野菜だってできるし。最高ですね。願ったり叶ったりですよ」 

 

「それで、歩いてみた感じはどうでしたか?」

 

「まだ、来たばかりでわからないのですが、冷水のいいお水はいくつかみつけられたので温泉もみつかるのではと期待してます」こちらの反応に安心したのか、ネモネさんもうれしそうだ。

 

「いやー、それは楽しみだ。オルターさん、みんなで温泉ですよ。温泉に入って、ここでうたた寝。考えただけで楽しいじゃないですか。ネモネさん、何かお手伝いすることあったら言ってくださいね。穴掘りでもなんでも協力しますから」

 

「ありがとうございます そう言っていただけると心強いです」

 

 カバは相変わらずプールに浸かったまま全く動く気配もない。気のせいか、肌がピンク色に見えた。


第27話 雨上がり

 大きな虹が島を見下ろしていた。夏の時期には、島をすっぽり囲むような虹が出る。時期によっては、オーロラの帯のような形になることもある。あんな虹が見えるのもこの島ならではではないかと思う。島にいる住人の何人かしか見たことがないほどめずらしい虹ではあるけれど。オーバー・ザ・レインボウはノルシーさんが好んで弾く曲だ。この虹の向こうには何かがあるのか。海に出る習慣の少ない島民には島や周辺の海のこともわからないことだらけだ。でも、みんな知らないことがたくさんあるほうが楽しいと思っている。 

 

 ノーキョさんは、水の本を読み終えられなかったことを残念だと言い残してお店に戻って行った。どうしても雨上がりの今日収穫しないといけない野菜があるのだそうだ。なんでも、朝露をたっぷり含んでいて、とてもおいしいのだとか。

 帰り際に思い出したように村の食堂の案内を置いて帰った。週末に自然食のパーティーをやりますと書いてあった。島向けに新聞を出して欲しいとのことだ。もしかすると、そのための野菜を今日収穫するのかもしれない。 

 

 村の食堂には2年前まで器用になんでもつくれるコックさんがいたのだけれど、持病の過食症がひどくなってメーンランドに戻ってしまった。コックさんの過食症というのも実際困ったもので、料理を作るに作れなくなってしまう。とにかく、作ったそばから自分で食べてしまうのだから。美味しい水がそうさせたのであれば、とても残念なことだ。

 そんなことがあって、食堂の建物だけがそのまま残され、今では村の公民館のようにして使われている。村の集まりで良く使われるけど、所有者が不在なので自由に使ってよいことになっていて、パーティーをやりたい人が食材を持ち込んで、好きなときに自由に食堂を開く。持ち込みOKではなく、持ち込みしかないのだ。

 

 ノーキョさんの後を追うように、ネモネさんも温泉探しに出かけていった。ネモネさんといっしょに出て行くカバは心なしか楽しそうに見えた。プールの水はあまりいい水ではなかったのだろうか。

 

 二人を見送ったあとにミリルさんが入れ替わるように入ってきた。

 

「ミリルさん、そろそろメーンランドで新聞配られているころでしょうかね」気になる新聞のことを聞いてみた。

  

「あの雨をうまく切り抜けられていれば、そろそろ一週間ですから。楽しみですね」

 

「来週ぐらいには、新聞を読んだ人から何かしらの連絡が入るといいですね。そうそう、今週末にノーキョさん恒例の自然食の会をやるらしいので、 新聞で告知してほしいそうですよ」

 

 「あら、新聞も期待されちゃって大変」うれしそうにこちらを見た。どうやら、記事を書くことが私の性に合っていて楽しくてしょうがないのを見抜かれているようだ。 

 

「みんなの役に立ってますね」ミリルさんが褒め上手なのはわかっていても、そう言われるとうれしいものだ。

 

「次は、美味しい水の話と自然食パーティーの話で書いてみますね」

 

「私、もう少し水の本を読んでみます。ウォーターランドって呼ばれていた由来が知りたくて。お客さんにもお話ししたいし。この島が人を集める理由がこのあたりにあるのかもしれないですよね。ノートさんも知っていたのかしら? もしかして、不老不死になってしまったなんていう話はないでしょうか。そう思うとなんだか楽しくなります」 

というと読む本を選びはじめた。仮に不老不死でなくても、この島のスピードの遅さ程度に長生きしてゆっくりと生活を楽しめればと思う。  遅ければ遅いほどいい。

 

 虹はいつのまにか空から消えて、瑞々しい空気が島いっぱいに広がった。おいしい水もたくさんたまっただろうから、あとで、水採り機も見ておこう。

 

 書き上がった新聞記事の推敲をしているとミリルさんが、「どこかで音楽が聞こえませんか?」と言った。

 

「 ノルシーさんのピアノですか?」

 

「風の音かな。遠くのほうで太鼓のような音。聞こえませんか?」

 

 「うーん、私の耳には何も」

 

「あれ、空耳かな。聞こえなくなりました」

 

 島には音楽がない。自然の奏でる音がピアノのように聞こえることもある。彼らは、とても上手な演奏家だ。季節や時間によって人の心を読むようにさまざまな演奏を聞かせてくれる。ほかのどこでも聞くことのできない自然の奏でるメロディーに時間が過ぎるのをしばしば忘れる。お気に入りのハンモックに身を委ね、しばしのお昼寝を楽しむことにしよう。



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