目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

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第25話 針のずれ *

 カバを連れた女性は寝る様子もなかったけど、二人だけでいるのもどうかと思ったので簡単な食事の用意をしておいて灯台に戻った。
 泊まる場所も決まってないようだったから、雨がやまなければ、あのままリブロールで一夜を明かすのかもしれない。大きなザックのようなものも持っていたので、いつもは野営しているのだろう。実際、夏になると島に遊びに来て屋外で朝を迎える人も多い。
 
 ミドリ鮫のことが気になって、ミドリ鮫を見たあとのページを読み返してみた。
 
*****ノート*****
 
 南西の風と日差しが強い
 
 今日は驚くことがありました。日時計の針が指す位置が前と少しちがっているのです。太陽の位置が変わらないと考えると日時計は石に固定されていましたから、地面が動いたとしか思えません。周辺を見渡しても何も変わるところがないのに、最初に植えた苗の場所と比べてみると、島そのものが少し右回りの向きに動いたということになります。
 しげしげと日時計を眺めていると、草むらから ”きまぐれ” が顔を出して、こちらの様子を伺うようにじっと見ていました。昨日から今日にかけて身体に感じる振動もなかったので、何も起こらなかったと思いたいところですが、目の前の日時計がそれをどうしても許してくれそうにないのです。
 もしかすると、気がつかなかっただけで、もっと以前に何か起こったのかもしれないとも考えてみましたが、まったく心当たりにありません。最後に考えられるのが、ミドリ鮫の中で意識がなくなっていたときだけです。そう思うとますますあの時間が悔やまれるばかりです。
 
 ”きまぐれ”はこちらが考えるのをあきらめたのを見届けるようにして消えてしまいました。同じ島の仲間と言いたいところですが、なかなかつれない友達です。どこで寝起きしているのかはよくわかりませんが、いつも出会うのは灯台の近くなので、このあたりをネグラにしているのだと思います。
 
*****ノート*****

第26話 おいしい水

 翌日は雨もすっかりあがって、草木に乗った雨露の粒が朝日に照らされたあちらこちらで小さく光っていた。リブロールに行ってみると、昨日の女性が店のまわりの掃除をしていた。雨のせいで少し汚れてしまったのかもしれない。

 

「おはようございます。今日はいい天気になりましたね」気づかないようなので挨拶した。

 

「昨日はありがとうございました。お礼にと思ってお掃除をしていました」と言うとにっこりと微笑んだ。少し元気が出たようだ。 

 

 気になっていたカバを探すと、店の横にある小さなプールで朝から水浴びをしている。環境がどうあろうが、わが道を行く姿勢は見上げたものだ。きっと大物になるに違いない。でも、大きくなったらどうなるかは考えない。

 

「ご挨拶が遅くなりましたが、私、ネモネと言います」

 

「私は、オルターです。どうぞよろしく」

 

「昨日は、助かりました。こちらは雨が少ないと聞いていたので、雨具も用意してなくて」

 

「突然の雨でしたからね。カバ君も元気でよかったです」

 

「彼にとっては、雨は生活そのものなので一向に気にならないらしいです。水が命の次に大切なものなんです」

 

「人間も水がないとだめですからね。人もカバも同じです」当たり前すぎて、自分でも何を言ってるのかわからない。こんなことを言ってしまうのでも、カバがここにいること自体がそもそも普通じゃないからなのだ。

 

 話しているうちに、ノーキョさんが手を振りながら、こちらに近づいてくるのが見えた。 

 

「ノーキョさん、いらっしゃい」

 

「オルターさん、来ましたよ。印刷うまくいったみたいですね。新聞の第2号を拝見しました。昨日、コピちゃんが届けてくれて」

 

「あのインキのおかげで、いい新聞ができました」

 

 ネモネさんとノーキョさんは初対面のようだったので、それぞれを簡単に紹介した。二人はすぐに打ち解けて話をしている。若いと仲良くなるのも早い。

 

「また少し、資料整理をさせていただきますね。」といって、ノーキョさんはテーブル席のほうに資料のどっさり入ったかばんを下ろした。ほんとうに勉強熱心な人だ。本だけでなく、ノートや使い道のわからない道具もたくさん出てきた。布製のボロボロになった筆入れは見てくれにこだわらないノーキョさんらしい。

  

「あれ、オルターさん、この本。どうしたんですか?」

 

「本? ああ、それは昨日、定期船のダルビー船長が持ってきてくれたものなんですよ。まだ、整理できてなくて」

 

 ノーキョさんも、新しい本が気になったようだ。しばらく見ていたと思ったら、いきなり大きな声をあげた。

 

「おー、これはすばらしい。この水の本、手に入れるのが難しいといわれていたものですよ。たしかにこれだ、間違いない」驚きを隠せない様子だ。こちらはそれを聞いて少し慌てた。

 

「え、そうなんですか? 実は、私もまだよく見てなくて」希少本に気づかないなんて本屋の面子もあったものではないけど、もともとそんなものは持ち合わせていないのはみんなのほうが良く知っている。

 

「かなり古い本で、今はほぼ入手不可能だと思います」手に取った本を何度もひっくり返したり、ページをめくったりしながら言った。

 

 ノーキョさんもどこかで探したことがあるのだろうか。

 

「実を言いますと、私も水をさがしに来ました。最初その本を見てほんとうにびっくりしました」ネモネさんも同じように思っていたのだ。これじゃあ、もう本屋だなんてはずかしくて言ってられない。やはり、船長の目利きがあってのリブロールということか。

 

「そうだったんですね。それでカバを?」また、変なことを聞いてしまった。とにかく外のカバが頭から離れないのだから仕方ない。 

 

「あ、あのカバはミームという名前なんですけど、他のカバにはない特別な力をもっているんです」

 

「特別の力というと?」ノーキョさんが聞いた。

 

「身体にいいお水を見つけられるカバなんです」秘密を明かすように小さな声で教えてくれた。

 

「それがあそこにいるカバですか?」ノーキョさんが驚いた顔をして、プールで水浴びをしているカバを見に行った。

 

「水の具合がいいと皮膚がピンク色に染まるんですね。それでいい水を探せるんです」

 

「それはすごい。いい水というのは?」 

 

「疲れも取れて、長生きができるお水です」

 

「長生き...それは聞き捨てならないな。そんな水が見つかれば、みんな欲しくなるでしょうね」

 

そう言ったときに、ふと思い出した。

 

「あれ? もしかして最近島のあちこちをこのミーム君と歩いていました?」

 

「ええ。何かご迷惑をおかけしましたか?」昨日と同じ困った表情を見せた。

 

ピンクのカバ……これをみんなブタと見間違えたのかもしれない。

 

「どうかしましたか?」ネモネさんのほうが心配になってこちらを見た。

  

「いや、ちょっと思い出したことがあって。大丈夫ですよ。だれも気にしてないですから」

 

「気にしてないんですね。よかった」と言ってほっとしたような表情をした。

 

「オルターさん、あのカバ、もしかすると水を探すカバかもしれないですよ。以前、聞いたことがあって、いい水を見つける力をもったカバがいるらしいんですよ」

 

「あ、そのカバです」ネモネさんが、あまりにさらりと答えたのを聞いて、ノーキョさんは、空いた口がふさがらなくなってしまった。 

 

「え? そうなの? いやー、これは驚いた。今日は、本といいカバといい、とっても水日和な朝になってしまいましたねえ。こんなこともあるんですね。あの、ネモネさんは、ずっとこちらにいらっしゃるんですか?」

 

「ええ、もしいいお水がみつかったらというか、いい温泉がないかと思ってまして」

 

「おー、それはすばらしい。ぜひぜひ、温泉を。ねぇ、オルターさん。いいですよね」

 

「そうですね。温泉できればきっとノーキョさんと、それこそ入り浸り」

 

「ほんどだ、ほんとだ、文字通り入り浸りだ。あはは。温野菜だってできるし。最高ですね。願ったり叶ったりですよ」 

 

「それで、歩いてみた感じはどうでしたか?」

 

「まだ、来たばかりでわからないのですが、冷水のいいお水はいくつかみつけられたので温泉もみつかるのではと期待してます」こちらの反応に安心したのか、ネモネさんもうれしそうだ。

 

「いやー、それは楽しみだ。オルターさん、みんなで温泉ですよ。温泉に入って、ここでうたた寝。考えただけで楽しいじゃないですか。ネモネさん、何かお手伝いすることあったら言ってくださいね。穴掘りでもなんでも協力しますから」

 

「ありがとうございます そう言っていただけると心強いです」

 

 カバは相変わらずプールに浸かったまま全く動く気配もない。気のせいか、肌がピンク色に見えた。


第27話 雨上がり

 大きな虹が島を見下ろしていた。夏の時期には、島をすっぽり囲むような虹が出る。時期によっては、オーロラの帯のような形になることもある。あんな虹が見えるのもこの島ならではではないかと思う。島にいる住人の何人かしか見たことがないほどめずらしい虹ではあるけれど。オーバー・ザ・レインボウはノルシーさんが好んで弾く曲だ。この虹の向こうには何かがあるのか。海に出る習慣の少ない島民には島や周辺の海のこともわからないことだらけだ。でも、みんな知らないことがたくさんあるほうが楽しいと思っている。 

 

 ノーキョさんは、水の本を読み終えられなかったことを残念だと言い残してお店に戻って行った。どうしても雨上がりの今日収穫しないといけない野菜があるのだそうだ。なんでも、朝露をたっぷり含んでいて、とてもおいしいのだとか。

 帰り際に思い出したように村の食堂の案内を置いて帰った。週末に自然食のパーティーをやりますと書いてあった。島向けに新聞を出して欲しいとのことだ。もしかすると、そのための野菜を今日収穫するのかもしれない。 

 

 村の食堂には2年前まで器用になんでもつくれるコックさんがいたのだけれど、持病の過食症がひどくなってメーンランドに戻ってしまった。コックさんの過食症というのも実際困ったもので、料理を作るに作れなくなってしまう。とにかく、作ったそばから自分で食べてしまうのだから。美味しい水がそうさせたのであれば、とても残念なことだ。

 そんなことがあって、食堂の建物だけがそのまま残され、今では村の公民館のようにして使われている。村の集まりで良く使われるけど、所有者が不在なので自由に使ってよいことになっていて、パーティーをやりたい人が食材を持ち込んで、好きなときに自由に食堂を開く。持ち込みOKではなく、持ち込みしかないのだ。

 

 ノーキョさんの後を追うように、ネモネさんも温泉探しに出かけていった。ネモネさんといっしょに出て行くカバは心なしか楽しそうに見えた。プールの水はあまりいい水ではなかったのだろうか。

 

 二人を見送ったあとにミリルさんが入れ替わるように入ってきた。

 

「ミリルさん、そろそろメーンランドで新聞配られているころでしょうかね」気になる新聞のことを聞いてみた。

  

「あの雨をうまく切り抜けられていれば、そろそろ一週間ですから。楽しみですね」

 

「来週ぐらいには、新聞を読んだ人から何かしらの連絡が入るといいですね。そうそう、今週末にノーキョさん恒例の自然食の会をやるらしいので、 新聞で告知してほしいそうですよ」

 

 「あら、新聞も期待されちゃって大変」うれしそうにこちらを見た。どうやら、記事を書くことが私の性に合っていて楽しくてしょうがないのを見抜かれているようだ。 

 

「みんなの役に立ってますね」ミリルさんが褒め上手なのはわかっていても、そう言われるとうれしいものだ。

 

「次は、美味しい水の話と自然食パーティーの話で書いてみますね」

 

「私、もう少し水の本を読んでみます。ウォーターランドって呼ばれていた由来が知りたくて。お客さんにもお話ししたいし。この島が人を集める理由がこのあたりにあるのかもしれないですよね。ノートさんも知っていたのかしら? もしかして、不老不死になってしまったなんていう話はないでしょうか。そう思うとなんだか楽しくなります」 

というと読む本を選びはじめた。仮に不老不死でなくても、この島のスピードの遅さ程度に長生きしてゆっくりと生活を楽しめればと思う。  遅ければ遅いほどいい。

 

 虹はいつのまにか空から消えて、瑞々しい空気が島いっぱいに広がった。おいしい水もたくさんたまっただろうから、あとで、水採り機も見ておこう。

 

 書き上がった新聞記事の推敲をしているとミリルさんが、「どこかで音楽が聞こえませんか?」と言った。

 

「 ノルシーさんのピアノですか?」

 

「風の音かな。遠くのほうで太鼓のような音。聞こえませんか?」

 

 「うーん、私の耳には何も」

 

「あれ、空耳かな。聞こえなくなりました」

 

 島には音楽がない。自然の奏でる音がピアノのように聞こえることもある。彼らは、とても上手な演奏家だ。季節や時間によって人の心を読むようにさまざまな演奏を聞かせてくれる。ほかのどこでも聞くことのできない自然の奏でるメロディーに時間が過ぎるのをしばしば忘れる。お気に入りのハンモックに身を委ね、しばしのお昼寝を楽しむことにしよう。


第28話 小さな楽団

「トンテケ、トンテケ、ピーリョリ、ピーリョリ」

 

「コピちゃん、ご機嫌ね」

 

「コピが踊ってる。よっぽどいいことがあったのかな。昨日は配達さんありがとう、コピ」    

 

「 トンテケ配達隊!」とぴょこぴょこ踊りながら言った。

    

「あれ、やっぱり太鼓の音。聞こえますよ」ミリルさんが南の方角に耳を向ける仕草をした。  

   

「音楽隊来た!」

 

 コピが飛び出して行った。  

 

「音楽隊? なんのことかな」

 

「オルターさん、あそこに。見えますよ。鼓笛隊みたいな。なんでしょう。あそこから聞こえてくるんですよ」    

 

 ハンモックから起き上がり、キャビネットの引き出しから観察用の単眼鏡を出して見ると、太鼓、バンドネオン、笛の小さな楽団が踊りながら歩いている。    

 

「あれ、トラピさんがいる。いっしょだ」最後をついて歩いているのは間違いなくトラピさんだ。    

 

 楽団のトンテケな音が、こちらに少しずつ近づいて来る。陽気な音楽が繰り返し、繰り返し演奏されている。少し小さく見えるのは子供だろうか。    

 

「オルターさん、私、見て来ます」ミリルさんも出て行った。   

 

 今日はメーンランドだと日曜日にあたる。休息日にトンテケと思うとおかしくなった。普段は何の音もない島でリズミカルな音が鳴り響くと妙な気分になる。村の人たちもさぞや驚いていることだろう。ちょっとした騒ぎになっているのかもしれない。

 

 戻ってきたミリルさんが、わかったというように、

 「トラピさんのお友達らしいですよ。お手紙出したら、遊びに来たんだそうです」と教えてくれた。  

 

「大道芸の関係なの?」

 

「どこかのお祭りでいっしょになったことがあるらしいです。トラピさんと同じような旅芸人の一座だそうです」   

 

 「そういう仲間ってあるんでしょうね。いろんなところでいろんな人と出会うのも楽しそうだ」

 

「しばらくは休養もかねて島でゆっくりするみたいですよ。今日はそのご挨拶まわりなんですって。ね、コピちゃん」  

 

「トンテケ、トンテケ!」コピも大喜びのようだ。

 

「なんでも、双子の子供さんとお母さんでやってるらしいです。もともとは、本格的な楽団にいたらしいんですけど、地方回りのほうが楽しくなったそうで、今ではもっぱらそちらで生活をしているそうです。トラピさんの説明ですけど」  

 

「まさか、ジャズはやらないよね?」一応聞いてみる。

 

「どうなんでしょう。音楽に違いはないし。今度、聞いてみましょうね」

 

「いやいや、トンテケも楽しいから」音楽の選り好みなんて言うようなところではなかった。 

 

 トンテケ、トンテケ...音楽隊...気がつくと不思議なリズムがすっかり頭に残ってしまった。音楽のおもしろいところだ。 なんだか聞いているうちに楽しくなってきた。今度の村の食堂の集まりでトラピさんと何かやってもらえないか聞いて見るのもいいかもしれない。

  よーく見ると、みんな背中に何かしょっているようだ。白いカバンのようにも見えるけど、どうやら羽の ようだ。見ようによっては天使の声楽隊にも見えなくもない。虹の後に地上に舞い降りた天使というところだろうか。 

 コピがリズムに合わせて、首を左右に振っている。楽しい週末になりそうな予感がしてきた。

 


第29話 窓の記憶 +

「これぐらいでどうかな?」背伸びしたままのノルシーさんがもういいだろうと言いたげに聞く。

 

「もう少し右が上かな」

 

「これぐらい?」無理して首をこちらに向けるている。  

 

「も少し……」まだ右が低いように見える。

 

「ああ、それで、いい具合かな。ちょっとそのままで」金槌を取って踏み台に上がり、窓枠の蝶番に釘を5、6回打ちつける。  

 

「もう、いい? いいかな?」背伸びして伸ばしている手がさすがにつらいようだ。

 

「待って、待って。もう一箇所」上のほうも手早く釘を打つ。

 

「それにしても、この窓もお客さんが開けたとたんに、枠ごと落ちるかな」ノルシーさんがあきれ顔でぼやく。

 

「まあ、そういうこともあるってことですな」島に来てからずっと外の雨風にさらされて、海の向こうを見続けた窓に多少の気遣いもしたくなる。  

 

「そういうことなわけね。まあ、この家みつけたとき、最初にくっつけたのがこの窓だし。彼も彼なりにがんばったと」  

 

キイコ、キイコ。ノルシーさんは窓が固定されたのを確認するために開けたり閉めたりを試している。

 

「彼だか彼女だかはわからないけど、それだけ開けたり閉めたりされれば、足腰も弱くなるってものですな。ご苦労様なことです」  

 

「おお、これはお窓様失礼いたしました。ゆっくりおくつろぎください」ノルシーさんは取り付けがうまくいったのを確かめると窓をゆっくり閉めた。  

  

 

☞ ジャズ喫茶 エバンヌ

 

 

 今日はエバンヌにお茶をしに来たら、いきなり窓の修理を手伝わされることになった。エバンヌの建物は風格があるものだけど、二人で取り付けた窓も骨董品のような味わいのある美しい窓だ。その窓が落ちたというのだから、手伝わないわけにはいかない。  

 

 改めて取り付けてみると、この窓から飽きもしないで海を眺めていたのを思い出す。あのころは二人以外にあまり住人もいなくて、来る日も来る日もこの窓越しに海を見ながら時間をすごした。当時はリブロールもなかったから、ここが唯一の休憩場所でもあった。お茶を飲みながら、これから先のことを考えたり、新しい発見を披露しあったり、いつか世界周遊の大型客船でも通るんじゃないかと、できるかぎりの想像を膨らませて楽しんだものだ。二人共に、この窓が唯一外界とつながっていると感じていたのかもしれない。

 

「窓はできるだけ大きくしようなんて言ったのはオルターさんだよね? よくもこんな大きな窓をつくったもんだよ」と懐かしそうに言うと、息を吐きかけながら窓ガラスを丁寧に拭き始めた。  

 

「そうだったかな。とにかくきれいに拭いてやってくださいね」ノルシーさんにお願いする。  

 

「今でもね、この窓からの眺めが好きで来るというお客さんは多いよ。暗いお店だから、海のほうにどうしても目が向くんだろうけど」  

 

 たしかにエバンヌは照明を落としている分、明るい海が外で見るより一層もきれいに見える。とくに北側の海の透明度はきわだっているから、始めて来た人にとっては思いがけないプレゼントになるだろう。   

 

「あ、そうそう、豚のことだけど。あれは豚じゃなくてカバみたいだよ」

 

「え? 豚じゃなくてカバ? それじゃあ、ますます話がわからなくならない?」

 

「なんでもね、いい水を探す力のあるカバらしいよ。知る人ぞ知るカバだとか」  

 

「じゃあ、いい水探してもらって、おいいしい水割りもいただけるってわけだ」ノルシーさんが窓を拭く手を止めて、いたずらっぽい目をしてこちらを見る。  

 

「ああ、そっちの話ね。それもありですかね」

 

「しかし、誰もカバとは思わないでしょ。カバと散歩なんて。どれだけのどかな島なんだろう。ほんとにカバなの?」 

 

「プールに浸かってるの見たからね」 

 

「そうなんだ。プールにカバか……」 

 

 ノルシーさんが磨く窓を通して灯台を見ていると、忘れてしまった記憶が思い出されるような気がする。

 

「しかし、この窓から見る灯台は格別だよね。あれがレンガ作りの灯台だったんだからね」 

 

「今の、白い灯台もよくない?」 

 

「どちらもいいけど、この窓越しに見ると、もともとあった赤いレンガの灯台が見えるんですよ」 

 

「オルターさん、ノートの読みすぎ」 こっちを見て笑った。

 

「そうかもしれないけど、やっぱり赤い灯台なんだよね」 

 

「そんなこと言ってたら、ほんとうに自分の記憶が何処かに行ってしまうかもよ。痴呆に注意」 と言いながらレコードジャケットの入った棚を見ている。

 

「それならそれでも」 

 

「まあ、ご本人がご所望ならそれもいいかもしれないけど。記憶なんて過去のものでしかないしね」 ノルシーさんもメーンランドの話をあまりしたがらないから、過去にこだわりもないのだろう。 

 

 この島の景色はときどきデジャヴのように思えることもある。なくした記憶は案外近いところにあるのかもしれない。記憶なんて、断片の組み合わせでしかないと思うこともあるし、人間は思い出に生かされていると感じることもある。この窓から見える気がする赤い灯台がその答えを出してくれる時がくるのだろうか。
 


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