目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

23 / 186ページ

第21話 ミドリの海 *

 ハトを見送った後、3人でメーンランドに向けた島便りの積み出しの準備をした。そろそろ船長の船が来るころなので用意を済ませておかないといけない。メインランド向けの新聞なんて簡単に言ったもののいざ用意するとなると、慣れないこともあって結構な時間もかかる。印刷されたものを油紙で包んでしばるのもなかなか手のかかる作業だ。

 

 1時間ほどもかけて準備が終わって一休みをしているとトラピさんが湿地から戻ってきた。

 
「ありがとうございました。この小さな島にもいろいろなところがありますね」
 
「いかがでした?」ミリルさんが尋ねる。
 
「あの壜にノートが入ってたんですよね。よく水が入らなかったものですね」
ちょっと古い壜選んで置いたこともあってみんなから聞かれる。現物と誤解されてしまうのだ。
 
「あれは、代わりのものを置いてあるだけで」いつもと同じ返事をする。
 
「そうなんですね」トラピさんは納得したように何度か小さく頷いた。
 
「実物には多少水も入り込んでいたみたいで、読めないところもかなりあるんです」
 
「じっじは読むの上手。いつも読んでくれる」コピがうれしそうに言う。
 
「あそこの場所がこの島の発祥の地ということになりますね。メモリアル・ボトルというところでしょうか」個人的な思いが強いのかもしれないけど、実際あのノートの主がこの島の実質的な開拓者となったことは間違いない。
 
「ほんとうですね。あそこにあった壜に何百年も前のノートが入っていたと思うといろいろ感じるものがあるなぁ……」橋のほうを振り向くようにしてトラピさんが言った。
 
「また、あのノートの続きを読ませていただけませんか」
 
「いつでもいいですよ。灯台の引き出しに入れてあるので。だれでも見られるようになってますから」
 
「コピは読んでもらう」とうれしそうにトラピさんのほうを見る。
 
「コピちゃんも、ノートさんのファンなんだよね」みんなはノートを書いた主のことをノートさんと呼んでいる。
 
 トラピさんが灯台のほうに向かうと、コピもそのあとをちょこちょことついて行った。
 
***** ノート *****
 
 深夜に海のほうが騒がしいので、窓から覗いて見ると、赤い月に照らされた海が波立って見えました。
 
 そのとき、ミドリ鮫の群れが島の近くまで来ていることに気がつきました。この群れを追って漁師が来ていたと思うと、今島にこうしていることの喜びは言葉にできないほどのものでした。興奮のあまりしばらくは動くこともできずに海を見ていたと思います。島が消えたのを見た漁師も、あのミドリ鮫を追いかけてきたのです。
 
 急いでボートを海に出して、鮫たちのほうに漕ぎ出しました。数えられないほどの鮫を間近で見ると恐ろしくもありましたが、闇の中でエメラルドのように輝く美しい鮫を見ているうちに恐怖心は消え去ってしまいました。
 
 鮫の渦の中に入ると、人ひとり分の隙間もないその数に圧倒されました。それは海が緑色に染まるほどの数でした。島の周囲を覆いつくすほどでしたから、数百、数千もいたかもしれません。鮫は人の大きさほどもありましたが、するどい歯があるようにも見えなかったので、人を襲う鮫ではないことはすぐにわかりました。もしかするとこの島に彼らが好む海草のようなものがあるのかもしれません。それとも繁殖の場所なのでしょうか。緑の海草が彼らを保護色にしているのか、海草の色に染まってしまったのか、それも私にはわかりませんでした。
 
 ミドリ鮫の群遊の中で夜明けを待っていると、一匹の鮫がボートにぶつかってきて、逃げるまもなく海に落とされてしまいました。もともと泳ぎは得意でなかったこともあって、鮫の群れにもまれているうちに気を失ってしまいました。意識が遠のく中、鮫がお爺さんのことを話しているように見えました。
 
 みんな......知ってる......元気。会いたいか......ぶくぶく、ぶくぶく......
 
 なにも、どこも、だれもない......ぶくぶく、ぶくぶく.....
 
 それは最初にして最後のとても不思議な体験でした。幻聴と思うには、あまりにはっきりした言葉だったのです。
 
 気がつくと、夜も明けてすっかりあたりは明るくなっていました。私は一人浜辺に打ち上げられていました。ときおり波が足先を撫でるのを感じ、命が助かったことに心から感謝しました。起き上がってみると少し先にボートも見えました。もしかすると鮫が助けてくれたのかもしれないと思うと、知らず知らずに涙がこぼれ落ちました。そして、この島への思いが一層強くなっていくのがわかりました。
 
 自然はたくさんのやさしさにあふれている。人が心を開くとき、誘われ、迎えられる。
 そこでは、一人でいる世界ではなくなり、生かされていることに気づく。
 
 あれほど海を覆い尽くしていた鮫の群れが嘘のように消え去って、朝日が採れたての果実のように瑞々しくきらめく穏やかな夜明けでした。鮫の残したものはないかとあたりを探してみましたが、浜辺はいつもと変わらず、昨日の乱舞を思い起こさせるものは何もありませんでした。ぼんやり昨夜の余韻に浸っていると、突然あの手紙のことを思い出しました。時間がゆるりと動いたのは、ミドリ鮫の現れた夜ではなかったのか。
 
 そう思ったとたん何か変わったものがあるのではないかと、何かに取りつかれたようになって海岸線を隅から隅まで探し回りました。何日探したでしょうか。それでも何かが起きた痕跡をみつけることはできませんでした。二度とないチャンスだったかもしれないと思うと、意識をなくしてしまったことが悔やまれてなりません。
 
 鮫が現れた日をあらためて思い返してみると、赤い満月の上った夜で、雨の降った翌日でした。季節は初夏。これが次の日を予想する材料になるのかどうかはわかりませんが、またミドリ鮫が来てくれることを祈って、今夜は床につくことにします。
 
***** ノート *****
 
「鮫いっぱい」コピが最初に口を開いた。
 
「そうなんだ。なにも起こらなかったんですね」トラピさんもちょっと納得がいかないようだ。
 
「それもわからないままですよね。なにかが起こったのかどうか」あとからいっしょに来たミリルさんもトラピの気持ちを察して残念そうに言った。
 
「コピはミドリ鮫見た」
 
「え?」思いがけない言葉に3人があっけに取られてコピの顔を見ると、「ときどき島に来る」と不思議なことじゃないよとでもいうようにコピが言った。みんなの気持ちが理解できないのかきょとんとしている。
 
「コピちゃん、見たことあるの?」
 
「うん」
 
「今でも来ている......」トラピさんが興奮を隠せないようだ。
 
「でも、少しだけ」
 
「少しだけ......でも、来ているのかい?」思わず、3人そろって海のほうを見てしまった。ミリルさんとトラピさんはしばらくだまったままで、それぞれにこれまでに見た島の風景に鮫がいなかったか思い返しているようだった。
 
「まだ、しばらく謎解きは続きそうだな」トラピさんが独り言のように言った。
 
 しかし、コピはこの島のことをほんとうによく知っている。というより、この子にしか見えないものがあるようにさえ思える。いずれにしても、この島に今でもミドリ鮫が来ているのであれば、その日にこそ時間がゆるりと動くのかもしれない。

第22話 かすむ目

 4人でミドリ鮫のことをひとしきり話すと、それぞれ午後の休憩を楽しむために家に戻って行った。午後はゆっくりするというのもこの島の決まりなのだ。みんなが帰ってしまった後、しばらくベッドの上に横になったままミドリ鮫のことを考えた。

 

 窓の外のは、地球を包む大きな布のように見える海が、何事にも動じないと言いたげにぺったりと地表に張り付いている。そして、生き物のように大きく呼吸をし、ぬらりぬらりと揺れている。この海のどこかにあのミドリ鮫がいるのだろうか。この島を取り囲んでしまうほどのミドリ鮫の群れは、さぞや幻想的な情景だっただろう。

 海面のきらめきが鮫の姿を隠そうとしているようにも思える。自然は人間の営みなどまったく意に介さない。

 

 窓からは、いつものようにやわらかな日差しが差し込んでいる。一瞬、机の上のノートを太陽が覗き見しているような気がした。風がいたずらで持って行ってしまうといけないので、引き出しの中に片付けた。こんなことを考えてしまうのも、自然の中で長く暮らしているせいだろうか。目に見えるものすべてにそれぞれの命と意志があるように思うのは考えすぎだろうか。

 

 さっきから、インクがバスタブの横にできた陽だまりでおなかを出して寝ている。野生の動物はおなかを見せないものだけど、この子ははじめて見たときからこうで、よほど怖いものがないと見える。まるで灯台は自分の持ちものだと言わんばかりだ。コピに言わせると今日のインクは何色ということになるのだろう。ときおりまぶしそうに薄目を開けては欠伸をしている。はじめて会ったのが10年近く前だったことを考えると、コピの言うようにもうすっかりおばあさんということになる。もっとも20年以上生きる猫もいるらしいから、 おばあさんと決めつけては失礼かもしれない。

 

「インク、今日もいい天気だね」 寝ている素振りのインクに話しかけてみる。

 

  案の定、少し耳をこちらに返しただけで、知らんふりだ。

     

 横目で西の海を見たときに、キラリと光るものが目にとまった。もしかしてと思って目を凝らすと、どうやら鮫ではなく船の帆のようだった。  

  そうか、明日にも船長が来る予定だった。新聞もできたし、あとは船に積み込むのを待つだけだ。好奇心旺盛な船長のことだから、あの海の見えるインキの魅力に取り憑かれるに違いない。  

 水平線に見える船は小さな米粒ほどにしか見えない。視界の両端まで広がる海に比べれば、米粒にも満たないかもしれない。そう思うと、 大海原の彼方から毎月のように来てくれる船長の島への思いの強さを感ぜずにはいられなかった。ほんとうにいつの日にか船長にリブロールを任せる日がくるのかもしれない。  

 

 そのとき海面で何かがジャンプした。

 

「あ、ミドリ鮫……」

 

 海面のきらめきがじゃまをしたけど、あれはミドリ鮫にちがいない。イルカと思っていたのがミドリ鮫だったのだろうか。もっとよく見ていればコピの言うようにミドリ鮫にも会えるのかもしれない。そう言えば、今はちょうど赤い満月の時期だった。今夜にでもミドリ鮫の群れが来ると考えただけで、ノートの主が書いていたのと同じような興奮を覚える。仮眠をして今夜は夜通し海を見てみようかと真剣に考えてしまった。

 

 インクもさっきの鮫を見ていただろうか。振り返るとインクの姿がかすんで見えた。ちょっと疲れたかなと思いメガネをはずして目をこすってみると、もうそこにはインクはいなかった。また、どこかに遊びにいってしまったのだろうか。それにしても目がかすむようになるようだと、爺さんもいいところだ。本を読むのもほどほどにしなさいと言われているようだ。

 

 後ろから物音がしたので、振り返るとインクがバスタブのほうから出てきた。どうも目の調子がよくないみたいで、またかすんで見える。まったくおいぼれたものだ。


第23話 水の島 +

 

 鮫の大群を見ることもなく、いつもと同じ朝を迎えた。その日も船長の船は来ないで、結局2日後になった。  

 

「やっほーい! みんな元気かー? 船長様のご到着だぞ」いつもの元気なダミ声が聞こえてきた。

 

「船長、いらっしゃーい」ミリルさんがまだ見えない船長の声に応える。

 

「しばらくぶりに来てみたらすっかり夏になっちまったな」ドタドタとデッキ側からお店に入ってくる。

 

「夏といってもまだはじまったばかりですよ」ミリルさんが答える。

 

「おうよ。でも、ナツヨビもあんなにいるしよ、今年の夏は暑くなりそうだな」

 

 そうだ、船長ならミドリ鮫のことを知っているかもしれない。

 

「船長、ご苦労様だね。唐突だけれど船長はミドリ鮫って見たことあるかね?」

 

「ああ、一度だけな。たしかこの島の少し東のほうだった。なかなか壮観だったな」

 

「やっぱりいるんだ。今でも」離れたところにあるソファーに座っていたトラピさんが独り言のように言う。

 

「今でもと言ったか? もう30年も前のことだぞ。あんなきれいな色してりゃ目立ってしょうがないだろ。生き残りがいるかどうかもあやしいな。もともとこのこのあたりに生息していた鮫なんだろうけどな。みんなで缶詰にでもしちしまったか?」

 

「船長ったら」ミリルさんが呆れ顔で見た。

 

「 俺は鮫にはとんと興味なくてな、あんなもの見るだけで十分だろ」

 

「見たいというか......」ことの事情を話そうとすると、それをさえぎって、

 

「まさか、水族館をやりたいなんて言わないだろうな、爺さん。頼まれてもお断りだぞ。鮫になんの義理もないしな。鮫に食われるなんてごめんだ」

 

「船長、 ノートにねミドリ鮫のことが書いてあるんですよ」ミリルさんが口を挟んだ。

  

 「それならいい。ノートを読んでいる分には命にかかわることもないだろう。それはそうとして、今回は品物なしで、土産話だけ持ってきた」

 

 いつもの調子で、人の話を聞く気もないようだ。 忙しい人だから仕方ない。ただ、ミドリ鮫が肉食のように言うところは気になった。

 

「えー、普通の本だけなんですか? ちょっと残念」

 

「残念? そりゃあ、ないだろう。はるばるやってきた客人を迎えるお言葉とは思えませんぜ、お嬢さん」

 

「あら、ごめんなさい。だって、いつもおもしろいもの持ってきていただけるから」

 

「おもしろいものときたか。わははは。それなら俺だけで十分だな」たしかに船長の話はいつも突飛でおもしろい。思わずみんなで顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「船長、はじめまして。トラピです」ペコリと頭を下げて挨拶した。

 

「新入りだな? よろしくな。この店の次期オーナーになるダルビーだ。こう見えても、義理と人情に厚く、気は優しくて力持ちだからな。親切にしておいて損ははないぜ」

 

「また、好き勝手なことを言ってる。オルターさん、船長が言いたい放題ですよ」

 

「船長にはお願いしないといけないこともあるしね。ここは、手厚い歓迎をしておかないとだめかな」船に積み込む新聞のことが気になって頭から離れない。

 

「まあ、オルターさんまで」

 

「さすが長老、よくわかってる。その話というのはだな。ここの水が滋養強壮にいいという噂が流れててな。調べてみると、その昔、ウォーターランドという名前で呼ばれてたっていうんだな、これが。知ってたか?」

 

「それは初耳だな」以前住んでいた人からも聞いたことがない。

 

「そうだろ? そこで船長さん考えたね。水の島って売り文句はどうかって」

 

「あら、すてき。水の島、ウォーターランドね。覚えやすいわ」   

 

「ところで、何もないとは言ったものの、俺らしからぬ普通の本は持ってきてるわけよ。よかったら見てくれ。いらなけりゃ、俺の本棚にでも入れておいてもらおうか」

 

「船長の本棚?」どうやら船長もリブロールを自分の書斎のように思ってるらしい。長旅の途中でちょっと立ち寄る自宅のような場所と思ってくれているのなら、それはそれでうれしいことだ。

 

「いつになくたくさんあるね。どれどれ」何冊か手にとって見る。船長が言うように今回は普通の本がたくさんある。

 

「俺だって、たまには選書のできるところを見せないとな。ただの運搬人のように思われちゃたまらんからな」

 

「えっと、これみんな水の話ばかりですね」トラピさんが何冊か見て言った。

 

「あれ? 水の話はお気に召さないと?」

 

「いや、そんなつもりは」トラピさんがあわてて言葉を取り消す。 

 

「船長の選書であれば、みんなもらうよ。お返しはいつものように水と食料の補給で」

 

「取引成立な。それさえあれば、こちらは百人力だ。世界の果てまで行けるってもんだ。あ、そうそう。ここの水はいいっていう人は確かにいるな。飲ませてやるとほっとするってよ。なにか仕込んでいるのか?」

 

「いや、なにも」

 

「この前、違う島で乗せた客人もえらく喜んでたな。どこかで料理人やってたらしくて、水のうまさに驚いていたぞ。ミリルさんよ、今日は水だな。うまい水をくれ」

 

「あら、また水……」

 

「もしかして、あのドラム缶に水を入れるんですか?」トラピさんが外のドラム缶に気がついて尋ねた。

 

「若いの、あんたは勘がいいみたいだな。ドラム缶はいくらでもあるからな。水あってこそのオフェーリア号ってことだな。オフェーリアは水死したじゃないかって? そんな名前じゃ沈むだろうって思ったか? 水もしたたるいい女って言うのを知らないか? そういうことだ、わはは」

 

「いえいえ、いい名前ですよ」トラピさんが一生懸命ご機嫌を取っているのがわかる。何度か会っているうちに船長の人柄がわかるのだけれど、初対面だとみんな面食らうのだろう。

 

「船長、ボルトンってわかります?」ミリルさんが思い出したように聞いた。

 

「あー、俺がここの定期連絡船をやってるって聞きつけたらしくて、ハトポステルの番号を聞いてきた。何か言ってきたか?」

 

「水をくださいって……」ミリルさんがそのまま伝えた。

 

「まったく仕方ないやつらだな。あれほどだめだって言ったのに。戻ったらもう一度釘を刺しておこう。俺の目の黒いうちは許さないからな」

 

「あの、ボルトンというのは?」トラピさんが聞いた。

 

「ありゃ、ただの水で金儲けしようって企んでいるやつらだ。公社なんて言ってるけど、頭の中は金のことしかないな。あんなところと契約でもした日には島の水をすっかり抜かれて、からからに干からびちまうぜ」

 

「えー、そうなんですか?」ミリルさんが困った顔をした。 

 

「だいじょうぶだ、契約さえ結んでなければ、俺が止めさせる。いいか、ここの水はだれのものでもない。ほんとうに必要な人がいるんだから、だれにでも気安く渡しちゃだめだ。いいな」

 

 船長が妙に真剣な顔をしている。やはり、メーンランドのほうで何かあったのかもしれない。その話をしようとしたときに、時間もないからと新聞の話になった。

 

「おお、いいじゃないか。これだな。俺にまかせとけ。悪いようにはしないから」

 

 船長にまかせておけばきっとうまくいく。頭のいい人だから心配ない。それに、この島のことを大切に思ってくれている。

 

「お、待てよ、この包みなんだか臭うな。なにか入れてるのか?」

 

「それがインキの匂いなんですよ。海の匂いがするでしょ?」ミリルさんがうれしそうに言う。

 

「海の匂いか。おもしろい。どこかで嗅いだことがある匂いだな。どこだったかな……」天井を見上げて、昔の記憶をたどっているようだ。

 

 船長には何か心当たりがあるらしいが、どうしても思い出せないようだ。新聞を手にした人からいい知らせが入る予兆かもしれないと期待がふくらむ。

 

 船長は、水をドラム缶に入れ終えると、先を急ぐようにリブロールを後にした。どうも雲行きが怪しいのだそうだ。海が荒れないといいのだけど。

先を急ぐ船を3人でいつまでも見送った、東の空に黒い雲が見え始めていた。

 

 


第24話 雨の夕暮れ

 いつものように船長の船はなかなか島を離れない。天気も悪くなりそうだから、早く移動できるといいのだけれど。
 
「雨が来ないといいですね」とミリルさんが心配そうに言う。
 
「そうだね。海が荒れると航海するのも大変だろうね」
 
風も心なしか強くなっているように感じる。
 
 今日は外に出るのも億劫なので、リブロールで船長の持ってきてくれた本でも読んでいることにしよう。
ミリルさんは洗濯物を取り込んでくるといって家に戻った。新聞の積み出し準備で疲れただろうからゆっくり休むように言った。
 
 新しい本の何冊かに目を通したときに、雨が降り始めた。初夏に降る雨は大雨になることも多くて、海辺の地形がかわるようなことさえある。海抜の低いこの島は、島の形さえ一定しない。天候の悪いときには住民も海辺にはあまり近づかないようにしている。
 
 雨が降りはじめてしばらくしたときに、一人の女性が尋ねてきた。はじめての人だったのでこちらから声をかけた。
 
「こんにちは」とても小さな声が返ってきた。
 
「島ははじめてですか?」
 
「1週間ほど前に来ました。」ちょっと不安そうな表情を見せた。
 
「今日はあいにくの天気になりましたね」この時期には珍しい雨に遭うというのも気の毒なことだ。
 
「こちらは本屋さんなんですね」と聞かれたので、「ええ、まあ、本屋というか、図書館のようなものかもしれないですが」と答えた。
 
「少し雨宿りさせていただいていいですか?」
 
「あ、どうぞ、どうぞ。遠慮なく」とテーブル席に案内した。
 
「ここは動物も大丈夫ですか?」遠慮がちに聞いてきた。
 
「ああ、人も動物もなにもかも大丈夫ですよ」
 
「よかった。」と言うとすぐに店の外に出て、見たことのない動物を連れて入ってきた。
 
「それは……」
 
「カバの子供です」
 
 返す言葉もなかった。どうしてカバなんだろう。このあたりでカバなんて見たこともない。
 
 テーブルの上に広げてあった船長の本を眺めていたと思ったら、「これ水の本ですね。私にも読ませてもらっていいですか?」と聞かれた。とても遠慮深い人のようだ
 
「今日届いたばかりの本なんですけど、よかったらどうぞ。水にご興味が?」と言いながらも、実は横にいるカバが気になって仕方がない。
 
「ええ」と一言だけ言うと、椅子に腰掛けて、カバをつれたまま本に目を落とした。
 
 どこの人だかは知らないけれど、この島では余計な詮索はしないというのが決まりごとなので、お互いに話すこともなく雨だれの音を聞きながら静かに読書を楽しんだ。雨に濡れるのをいやがる人も多いけど、砂漠のような土地があることを考えると、雨の降ることにも感謝しないといけない。木々や草花は雨を喜んでいるに違いない。雨をしのぐ場所さえあれば、本でも読んでいればいいのだ。雨は人に休むことを教えてくれる。
 
 船長がこんなに水の本ばかりを持ってきたのには何か理由があるのだろう。ウォーターランドという名前を聞いたから、それならということで関係書籍を集めたのか。ここの水がいいという話もしていたから、自分でも調べてみたかったのだろう。
 
 その中の一冊に、南部地方のことを書いてある本があった。気候風土について書かれた本だった。目を通していると、思いがけずミドリ鮫の文字が目にとまった。雨のあとに土地の恵みが海に流れ込むときに、ミドリ鮫は捕食のために集まるのだと書いてある。そうか、緑色は海草ではなく苔や藻の色なのかもしれないと想像してみた。森の恵みが海とつながるという話もわかる気がする。そしてその海の水が蒸発して雨になって森の命を育む。自然の循環というわけだ。ミドリ鮫が森と海の間を取り持っているのかもしれない。でも、それと時間がゆるりと動くことが関係しているのかどうかはわからない。関係がないことなのかもしれない。本には当然そのことについては何も書かれていなかった。
 
「今日は雨もやみそうにもないから、よかったらここのソファーで休んでもらっていてもいいですよ」本を静かに読んでいる女性の様子をうかがってみた。
 
「ほんとうですか?」とすぐに返事があった。やはり宿に困って来たようだ。
 
「ここはみんなのうたた寝の場所でもありますから。よかったらかけるものもあるので使ってください」とブランケットのある場所を伝えた。
 
「すいません」と頭を下げた。小さなカバは見かけとちがって、妙におとなしく横に寝転がっている。カバのことを聞くのがはばかられるほど当たり前に寝ている。
 
 ミリルさんがいれば、うまく接客もしてくれるのだけど、こんな爺さんでは何の役にも立たない。とにかく女性のじゃまをしないようにしないと。気まずいようであれば灯台に戻ろうかとも思ったが、こちらを気にしている風でもない。
 
 リブロールの窓を雨の雫が幾筋も不規則に流れ落ちる。見ているとそれが音符のように見え、雨の奏でるメロディーが聞こえてくるようだ。雨の日の読書はなかなか楽しい。雨読とはよく言ったものだ。一文字、一文字が恵みの雨のように心に沁みていく。

第25話 針のずれ *

 カバを連れた女性は寝る様子もなかったけど、二人だけでいるのもどうかと思ったので簡単な食事の用意をしておいて灯台に戻った。
 泊まる場所も決まってないようだったから、雨がやまなければ、あのままリブロールで一夜を明かすのかもしれない。大きなザックのようなものも持っていたので、いつもは野営しているのだろう。実際、夏になると島に遊びに来て屋外で朝を迎える人も多い。
 
 ミドリ鮫のことが気になって、ミドリ鮫を見たあとのページを読み返してみた。
 
*****ノート*****
 
 南西の風と日差しが強い
 
 今日は驚くことがありました。日時計の針が指す位置が前と少しちがっているのです。太陽の位置が変わらないと考えると日時計は石に固定されていましたから、地面が動いたとしか思えません。周辺を見渡しても何も変わるところがないのに、最初に植えた苗の場所と比べてみると、島そのものが少し右回りの向きに動いたということになります。
 しげしげと日時計を眺めていると、草むらから ”きまぐれ” が顔を出して、こちらの様子を伺うようにじっと見ていました。昨日から今日にかけて身体に感じる振動もなかったので、何も起こらなかったと思いたいところですが、目の前の日時計がそれをどうしても許してくれそうにないのです。
 もしかすると、気がつかなかっただけで、もっと以前に何か起こったのかもしれないとも考えてみましたが、まったく心当たりにありません。最後に考えられるのが、ミドリ鮫の中で意識がなくなっていたときだけです。そう思うとますますあの時間が悔やまれるばかりです。
 
 ”きまぐれ”はこちらが考えるのをあきらめたのを見届けるようにして消えてしまいました。同じ島の仲間と言いたいところですが、なかなかつれない友達です。どこで寝起きしているのかはよくわかりませんが、いつも出会うのは灯台の近くなので、このあたりをネグラにしているのだと思います。
 
*****ノート*****


読者登録

noelさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について