目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第19話 時間のカタチ

 エバンヌを出て東浜のほうに向かっていると、海辺にロスファさんのような人影が見えた。はっきりはしなかったけれど、行方がわからなくなったロスファさんに違いない。

 ロスファさんはまだこの島のどこかにいるのかもしれないと思い、急いで家を訪ねてみたものの疾走したときと何も変わった様子がない。

 

 気になって、すぐにリブロールに戻った。

 

「ミリルさん、こんにちは。いつもご苦労様です。突然だけど最近ロスファさんの情報、なにか入ってますか?」 

 

「新聞のなくしものコーナーの話ですか?

 

「コーナーというか、ロスファさんその人の行方なんだけどね」

 

「ああ、ロスファさん、うーん残念ですけどまだないですね。元気だといいんですけど」

 

「そうですか……」

 

「なにかありましたか?」

 

「いやその、そろそろなにか情報入ったかなと思っただけです」自分の見間違いだったかもしれないと思い、そのことを口にするのをとどめた。なぜか言ってはいけない気がした。

 

「もう、この島にはいないのかもしれないですね。ものがなくなることに疲れてしまったんでしょうか?」

 

「そうですね。こんなにも時間に無頓着で、ものに執着しない人ばかりじゃ、ロスファさんみたいな人にとっては暮らしにくいのかもしれないね」

 

「慣れるととてもいいところなのに、残念です」

 

忙しくて、すべてが時間通りに進まないといけない町に暮らしていた人にとっては、こういう生活に馴染むのも簡単ではないのかもしれない。

 

 考えてみると、この島にはほとんど時計がない。湿地に誰かが捨てた時計があるけど、それが忙しさの象徴だったかのように、ずっと針が止まったまま放置されている。錆びて朽ちていくのを見てると湿地が時間を飲み込んでいるようにも思える。あの何もない湿地がこの島の生活をもっとも雄弁に伝えているのかもしれない。

 

 リブロールにも時計はあるものの、それは形だけで、いつでも動いたり止まったりしながら勝手な時間を刻んでいる。だれも時計の時間なんてあてにしていない。普通よりもずっとゆっくりとしたコチコチという刻みが子守唄のように聞こえるぐらいだ。

 

 船長から飾り物としてもらったものだけれど、骨董品でもないのにまちがった時間を刻む時計を持ってくるのが船長らしい。きっと、なにか船長のこだわりがあるのだろう。何も言わないで勝手に置いて行ってしまったから理由は聞いてない。 

 

 この島にも時計のある生活があったのだろうか。時間を形にした時計。もしあったのなら、そのころの人たちはメーンランドに戻ってしまったのだろう。時間を形にしたときに人の生き方は変わってしまったのかもしれないと思う。今は止まった時計と遅れて時間を刻む時計が島のモニュメントのように置かれているだけだ。

 

 「ロスファさんは、腕時計をしていました?」ちょっと気になってミリルさんに聞いてみる。

 

「いつでも忙しそうに腕時計を見てましたね。そう言えば、その腕時計もなくなったって言ってたような……

 

「そうですか」

 

「なくても生活に困ることなんてないんですけどね、この島では」

 

 時の流れを手に入れようとしたことにはたして意味があったのかと思いを巡らせていると、掛け時計が6を告げた。

 

「そろそろお昼をしにしましょうか。船長の時計はまだ6ですけどね」ミリルさんが笑いながらお弁当を開いた。


第20話 ハトの手紙

 中央広場の陽だまりでぽたぽたと過ごしていると、初夏の日差しが心地いい。椅子を倒して目を閉じるとまぶたの裏に太陽の影が見える。おおらかな自然を独り占めできるときだ。耳に届くのは風の音と草のさわさわと揺れる音だけ。
 

「じっじ、戻った!

 
「おや? お帰り。どこかに行ってたのかい?」目を開けるとコピが覗き込むようにしてこちらを見ていた。
 
「トラピちゃんと橋の壜見てきた」くりくりした目でこちらを見る。
 
「ノートの入ってた記憶の壜かい?」
 
 目を閉じるとまた草の音が聞こえてきた。
 
「トラピさんが見てみたいって言われたので、コピちゃんに案内してもらったのよね。」ミリルさんも一緒に行ったようだ。
 
「コピの案内さん!」
 
「案内さんお疲れさま。それで、トラピさんは?」
 
「他も見るって」と言うなり、リブロールのほうに走って行ってしまった。いつでも子供は元気だ。
 
 壜の場所は、チャルド川の中流にある橋の下あたりになる。知らない人が見ると、川の淀みに浮かんでいるただの空き瓶のように見える。実際そうなのだけれど、あそこでノートが見つかったという証に壜が浮かべられている。言われなければわからないということではあるけど、この島ではあれでもちょっとしたモニュメントになっている。壜は澱みにとらわれたまま流れない。
 
「ハトの手紙来てた。赤2号さん到着!」戻ってきたコピがミリルさんに手紙ロールを渡した。
 
 メーンランドとの連絡手段が船長の船しかないのは不便だということで、ハトポステルを置くことにしたのはいつだっただろうか。あのときは名案だと思ったものだけど、メーンランドで手紙のやり取りをする人もいないので、めったにハトの姿を見かけることもない。
 コピはハトが飛んでくるのを見て取りに行ってくれたのだろう。メーンランドのハトポステルほうでもほとんど手紙の入らないポストはあまり気に留めてくれていないだろう。届くだけでもありがたいと思わないといけない。
 
「あら、めずらしい。お手紙ですよ」ミリルさんが指先を小さくしてロール状に丸められた手紙を伸ばす。
 
「だれからですか?」思い当たる人もいないから、差出人が誰か気になる。
 
「えっと、水公社ってところからみたいですよ。水をもらいたいって書いてあります」ミリルさんが困惑したような顔をしてこちらを見る。
 
「水を? 水なんてどこにもあるのに」町のほうは水まで探すようになっているのかと想像してみる。夏を前にした乾期で水不足にでもなっているのだろうか? それにしてもこんなに遠いところの水じゃあ役にも立たないだろうに。
 
「水おいしいよ」コピが横でコップで水を飲む仕草をした。
 
島のどこでも自然の水を飲むことができるだから、水に恵まれているのは間違いないかもしれない。軽い病であれば、この水を飲んでるだけで治ってしまうということもよくある。
 
「もらえるなら、お返事くださいって書いてありますね」
 
「ミリルさん、ちょっとみせてもらっていいですか?」
 
 小さな手紙を見ると、ミリルさんが言ったこと意外に何も書かれていなかった。もっともハト手紙自体が小さいものだから、それ以上書く余白もないのだけど。
 
 ハトポステルのハトは赤い洋服を着せられていて、まちがって撃たれないための目印になっている。島の住人さんのところにはハト手紙用の鳥小屋が置かれている。ハトの鳴き声が手紙が届いた合図になっている。リブロールに来るハトは2代目のベテランで、最初のハトは大雨の中を飛んで行ったきり戻ってこなかった。ハトにとってもメーンランドとの往復は楽な仕事ではないのだろう。
 
「ミズコウシヤ ボルトン……名前なのかな?」
 
「ボルトンさん?」ミリルさんが、人の名前のように言う。
 
「会社の名前かもしれないですね。でも、水ならいくらでもあるのはわかっているのに、こんな手紙を書いてくるなんて丁寧な人ですね」
 
「コピ、水あげるよ」
 
「そうよね。水なんてだれのものでもないし。みんなで飲めばいいのよね」ミリルさんもコピに賛成のようだ。
 
「どうぞ、って書いておきまますね」ミリルさんが引き出しから小さな巻紙を出して適当な長さに切っている。
 
 この島で水を汲んでどうしようというのだろう。
 
 ミリルさんはテーブルに座って文面を声に出しながら書いた。
 
「オルターって書いておきますね」
 
 紙を小さく巻くとコピの肩に止まっていたハトの右足の筒に手紙をそっと入れた。
 
「よろしくね!」とコピが言うと、それがわかったかのように、風に翼をあわせて北に向けてまっすぐに飛び立った。
 
「ハトの配達さんも大変だね。メーンランドは遠いから。がんばってね」ずっとハトの方角を見たままでミリルさんがつぶやく。
 
「おなかすく?」コピがおなかを押さえながらミリルさんを見た。

第21話 ミドリの海 *

 ハトを見送った後、3人でメーンランドに向けた島便りの積み出しの準備をした。そろそろ船長の船が来るころなので用意を済ませておかないといけない。メインランド向けの新聞なんて簡単に言ったもののいざ用意するとなると、慣れないこともあって結構な時間もかかる。印刷されたものを油紙で包んでしばるのもなかなか手のかかる作業だ。

 

 1時間ほどもかけて準備が終わって一休みをしているとトラピさんが湿地から戻ってきた。

 
「ありがとうございました。この小さな島にもいろいろなところがありますね」
 
「いかがでした?」ミリルさんが尋ねる。
 
「あの壜にノートが入ってたんですよね。よく水が入らなかったものですね」
ちょっと古い壜選んで置いたこともあってみんなから聞かれる。現物と誤解されてしまうのだ。
 
「あれは、代わりのものを置いてあるだけで」いつもと同じ返事をする。
 
「そうなんですね」トラピさんは納得したように何度か小さく頷いた。
 
「実物には多少水も入り込んでいたみたいで、読めないところもかなりあるんです」
 
「じっじは読むの上手。いつも読んでくれる」コピがうれしそうに言う。
 
「あそこの場所がこの島の発祥の地ということになりますね。メモリアル・ボトルというところでしょうか」個人的な思いが強いのかもしれないけど、実際あのノートの主がこの島の実質的な開拓者となったことは間違いない。
 
「ほんとうですね。あそこにあった壜に何百年も前のノートが入っていたと思うといろいろ感じるものがあるなぁ……」橋のほうを振り向くようにしてトラピさんが言った。
 
「また、あのノートの続きを読ませていただけませんか」
 
「いつでもいいですよ。灯台の引き出しに入れてあるので。だれでも見られるようになってますから」
 
「コピは読んでもらう」とうれしそうにトラピさんのほうを見る。
 
「コピちゃんも、ノートさんのファンなんだよね」みんなはノートを書いた主のことをノートさんと呼んでいる。
 
 トラピさんが灯台のほうに向かうと、コピもそのあとをちょこちょことついて行った。
 
***** ノート *****
 
 深夜に海のほうが騒がしいので、窓から覗いて見ると、赤い月に照らされた海が波立って見えました。
 
 そのとき、ミドリ鮫の群れが島の近くまで来ていることに気がつきました。この群れを追って漁師が来ていたと思うと、今島にこうしていることの喜びは言葉にできないほどのものでした。興奮のあまりしばらくは動くこともできずに海を見ていたと思います。島が消えたのを見た漁師も、あのミドリ鮫を追いかけてきたのです。
 
 急いでボートを海に出して、鮫たちのほうに漕ぎ出しました。数えられないほどの鮫を間近で見ると恐ろしくもありましたが、闇の中でエメラルドのように輝く美しい鮫を見ているうちに恐怖心は消え去ってしまいました。
 
 鮫の渦の中に入ると、人ひとり分の隙間もないその数に圧倒されました。それは海が緑色に染まるほどの数でした。島の周囲を覆いつくすほどでしたから、数百、数千もいたかもしれません。鮫は人の大きさほどもありましたが、するどい歯があるようにも見えなかったので、人を襲う鮫ではないことはすぐにわかりました。もしかするとこの島に彼らが好む海草のようなものがあるのかもしれません。それとも繁殖の場所なのでしょうか。緑の海草が彼らを保護色にしているのか、海草の色に染まってしまったのか、それも私にはわかりませんでした。
 
 ミドリ鮫の群遊の中で夜明けを待っていると、一匹の鮫がボートにぶつかってきて、逃げるまもなく海に落とされてしまいました。もともと泳ぎは得意でなかったこともあって、鮫の群れにもまれているうちに気を失ってしまいました。意識が遠のく中、鮫がお爺さんのことを話しているように見えました。
 
 みんな......知ってる......元気。会いたいか......ぶくぶく、ぶくぶく......
 
 なにも、どこも、だれもない......ぶくぶく、ぶくぶく.....
 
 それは最初にして最後のとても不思議な体験でした。幻聴と思うには、あまりにはっきりした言葉だったのです。
 
 気がつくと、夜も明けてすっかりあたりは明るくなっていました。私は一人浜辺に打ち上げられていました。ときおり波が足先を撫でるのを感じ、命が助かったことに心から感謝しました。起き上がってみると少し先にボートも見えました。もしかすると鮫が助けてくれたのかもしれないと思うと、知らず知らずに涙がこぼれ落ちました。そして、この島への思いが一層強くなっていくのがわかりました。
 
 自然はたくさんのやさしさにあふれている。人が心を開くとき、誘われ、迎えられる。
 そこでは、一人でいる世界ではなくなり、生かされていることに気づく。
 
 あれほど海を覆い尽くしていた鮫の群れが嘘のように消え去って、朝日が採れたての果実のように瑞々しくきらめく穏やかな夜明けでした。鮫の残したものはないかとあたりを探してみましたが、浜辺はいつもと変わらず、昨日の乱舞を思い起こさせるものは何もありませんでした。ぼんやり昨夜の余韻に浸っていると、突然あの手紙のことを思い出しました。時間がゆるりと動いたのは、ミドリ鮫の現れた夜ではなかったのか。
 
 そう思ったとたん何か変わったものがあるのではないかと、何かに取りつかれたようになって海岸線を隅から隅まで探し回りました。何日探したでしょうか。それでも何かが起きた痕跡をみつけることはできませんでした。二度とないチャンスだったかもしれないと思うと、意識をなくしてしまったことが悔やまれてなりません。
 
 鮫が現れた日をあらためて思い返してみると、赤い満月の上った夜で、雨の降った翌日でした。季節は初夏。これが次の日を予想する材料になるのかどうかはわかりませんが、またミドリ鮫が来てくれることを祈って、今夜は床につくことにします。
 
***** ノート *****
 
「鮫いっぱい」コピが最初に口を開いた。
 
「そうなんだ。なにも起こらなかったんですね」トラピさんもちょっと納得がいかないようだ。
 
「それもわからないままですよね。なにかが起こったのかどうか」あとからいっしょに来たミリルさんもトラピの気持ちを察して残念そうに言った。
 
「コピはミドリ鮫見た」
 
「え?」思いがけない言葉に3人があっけに取られてコピの顔を見ると、「ときどき島に来る」と不思議なことじゃないよとでもいうようにコピが言った。みんなの気持ちが理解できないのかきょとんとしている。
 
「コピちゃん、見たことあるの?」
 
「うん」
 
「今でも来ている......」トラピさんが興奮を隠せないようだ。
 
「でも、少しだけ」
 
「少しだけ......でも、来ているのかい?」思わず、3人そろって海のほうを見てしまった。ミリルさんとトラピさんはしばらくだまったままで、それぞれにこれまでに見た島の風景に鮫がいなかったか思い返しているようだった。
 
「まだ、しばらく謎解きは続きそうだな」トラピさんが独り言のように言った。
 
 しかし、コピはこの島のことをほんとうによく知っている。というより、この子にしか見えないものがあるようにさえ思える。いずれにしても、この島に今でもミドリ鮫が来ているのであれば、その日にこそ時間がゆるりと動くのかもしれない。

第22話 かすむ目

 4人でミドリ鮫のことをひとしきり話すと、それぞれ午後の休憩を楽しむために家に戻って行った。午後はゆっくりするというのもこの島の決まりなのだ。みんなが帰ってしまった後、しばらくベッドの上に横になったままミドリ鮫のことを考えた。

 

 窓の外のは、地球を包む大きな布のように見える海が、何事にも動じないと言いたげにぺったりと地表に張り付いている。そして、生き物のように大きく呼吸をし、ぬらりぬらりと揺れている。この海のどこかにあのミドリ鮫がいるのだろうか。この島を取り囲んでしまうほどのミドリ鮫の群れは、さぞや幻想的な情景だっただろう。

 海面のきらめきが鮫の姿を隠そうとしているようにも思える。自然は人間の営みなどまったく意に介さない。

 

 窓からは、いつものようにやわらかな日差しが差し込んでいる。一瞬、机の上のノートを太陽が覗き見しているような気がした。風がいたずらで持って行ってしまうといけないので、引き出しの中に片付けた。こんなことを考えてしまうのも、自然の中で長く暮らしているせいだろうか。目に見えるものすべてにそれぞれの命と意志があるように思うのは考えすぎだろうか。

 

 さっきから、インクがバスタブの横にできた陽だまりでおなかを出して寝ている。野生の動物はおなかを見せないものだけど、この子ははじめて見たときからこうで、よほど怖いものがないと見える。まるで灯台は自分の持ちものだと言わんばかりだ。コピに言わせると今日のインクは何色ということになるのだろう。ときおりまぶしそうに薄目を開けては欠伸をしている。はじめて会ったのが10年近く前だったことを考えると、コピの言うようにもうすっかりおばあさんということになる。もっとも20年以上生きる猫もいるらしいから、 おばあさんと決めつけては失礼かもしれない。

 

「インク、今日もいい天気だね」 寝ている素振りのインクに話しかけてみる。

 

  案の定、少し耳をこちらに返しただけで、知らんふりだ。

     

 横目で西の海を見たときに、キラリと光るものが目にとまった。もしかしてと思って目を凝らすと、どうやら鮫ではなく船の帆のようだった。  

  そうか、明日にも船長が来る予定だった。新聞もできたし、あとは船に積み込むのを待つだけだ。好奇心旺盛な船長のことだから、あの海の見えるインキの魅力に取り憑かれるに違いない。  

 水平線に見える船は小さな米粒ほどにしか見えない。視界の両端まで広がる海に比べれば、米粒にも満たないかもしれない。そう思うと、 大海原の彼方から毎月のように来てくれる船長の島への思いの強さを感ぜずにはいられなかった。ほんとうにいつの日にか船長にリブロールを任せる日がくるのかもしれない。  

 

 そのとき海面で何かがジャンプした。

 

「あ、ミドリ鮫……」

 

 海面のきらめきがじゃまをしたけど、あれはミドリ鮫にちがいない。イルカと思っていたのがミドリ鮫だったのだろうか。もっとよく見ていればコピの言うようにミドリ鮫にも会えるのかもしれない。そう言えば、今はちょうど赤い満月の時期だった。今夜にでもミドリ鮫の群れが来ると考えただけで、ノートの主が書いていたのと同じような興奮を覚える。仮眠をして今夜は夜通し海を見てみようかと真剣に考えてしまった。

 

 インクもさっきの鮫を見ていただろうか。振り返るとインクの姿がかすんで見えた。ちょっと疲れたかなと思いメガネをはずして目をこすってみると、もうそこにはインクはいなかった。また、どこかに遊びにいってしまったのだろうか。それにしても目がかすむようになるようだと、爺さんもいいところだ。本を読むのもほどほどにしなさいと言われているようだ。

 

 後ろから物音がしたので、振り返るとインクがバスタブのほうから出てきた。どうも目の調子がよくないみたいで、またかすんで見える。まったくおいぼれたものだ。


第23話 水の島 +

 

 鮫の大群を見ることもなく、いつもと同じ朝を迎えた。その日も船長の船は来ないで、結局2日後になった。  

 

「やっほーい! みんな元気かー? 船長様のご到着だぞ」いつもの元気なダミ声が聞こえてきた。

 

「船長、いらっしゃーい」ミリルさんがまだ見えない船長の声に応える。

 

「しばらくぶりに来てみたらすっかり夏になっちまったな」ドタドタとデッキ側からお店に入ってくる。

 

「夏といってもまだはじまったばかりですよ」ミリルさんが答える。

 

「おうよ。でも、ナツヨビもあんなにいるしよ、今年の夏は暑くなりそうだな」

 

 そうだ、船長ならミドリ鮫のことを知っているかもしれない。

 

「船長、ご苦労様だね。唐突だけれど船長はミドリ鮫って見たことあるかね?」

 

「ああ、一度だけな。たしかこの島の少し東のほうだった。なかなか壮観だったな」

 

「やっぱりいるんだ。今でも」離れたところにあるソファーに座っていたトラピさんが独り言のように言う。

 

「今でもと言ったか? もう30年も前のことだぞ。あんなきれいな色してりゃ目立ってしょうがないだろ。生き残りがいるかどうかもあやしいな。もともとこのこのあたりに生息していた鮫なんだろうけどな。みんなで缶詰にでもしちしまったか?」

 

「船長ったら」ミリルさんが呆れ顔で見た。

 

「 俺は鮫にはとんと興味なくてな、あんなもの見るだけで十分だろ」

 

「見たいというか......」ことの事情を話そうとすると、それをさえぎって、

 

「まさか、水族館をやりたいなんて言わないだろうな、爺さん。頼まれてもお断りだぞ。鮫になんの義理もないしな。鮫に食われるなんてごめんだ」

 

「船長、 ノートにねミドリ鮫のことが書いてあるんですよ」ミリルさんが口を挟んだ。

  

 「それならいい。ノートを読んでいる分には命にかかわることもないだろう。それはそうとして、今回は品物なしで、土産話だけ持ってきた」

 

 いつもの調子で、人の話を聞く気もないようだ。 忙しい人だから仕方ない。ただ、ミドリ鮫が肉食のように言うところは気になった。

 

「えー、普通の本だけなんですか? ちょっと残念」

 

「残念? そりゃあ、ないだろう。はるばるやってきた客人を迎えるお言葉とは思えませんぜ、お嬢さん」

 

「あら、ごめんなさい。だって、いつもおもしろいもの持ってきていただけるから」

 

「おもしろいものときたか。わははは。それなら俺だけで十分だな」たしかに船長の話はいつも突飛でおもしろい。思わずみんなで顔を見合わせて笑ってしまった。

 

「船長、はじめまして。トラピです」ペコリと頭を下げて挨拶した。

 

「新入りだな? よろしくな。この店の次期オーナーになるダルビーだ。こう見えても、義理と人情に厚く、気は優しくて力持ちだからな。親切にしておいて損ははないぜ」

 

「また、好き勝手なことを言ってる。オルターさん、船長が言いたい放題ですよ」

 

「船長にはお願いしないといけないこともあるしね。ここは、手厚い歓迎をしておかないとだめかな」船に積み込む新聞のことが気になって頭から離れない。

 

「まあ、オルターさんまで」

 

「さすが長老、よくわかってる。その話というのはだな。ここの水が滋養強壮にいいという噂が流れててな。調べてみると、その昔、ウォーターランドという名前で呼ばれてたっていうんだな、これが。知ってたか?」

 

「それは初耳だな」以前住んでいた人からも聞いたことがない。

 

「そうだろ? そこで船長さん考えたね。水の島って売り文句はどうかって」

 

「あら、すてき。水の島、ウォーターランドね。覚えやすいわ」   

 

「ところで、何もないとは言ったものの、俺らしからぬ普通の本は持ってきてるわけよ。よかったら見てくれ。いらなけりゃ、俺の本棚にでも入れておいてもらおうか」

 

「船長の本棚?」どうやら船長もリブロールを自分の書斎のように思ってるらしい。長旅の途中でちょっと立ち寄る自宅のような場所と思ってくれているのなら、それはそれでうれしいことだ。

 

「いつになくたくさんあるね。どれどれ」何冊か手にとって見る。船長が言うように今回は普通の本がたくさんある。

 

「俺だって、たまには選書のできるところを見せないとな。ただの運搬人のように思われちゃたまらんからな」

 

「えっと、これみんな水の話ばかりですね」トラピさんが何冊か見て言った。

 

「あれ? 水の話はお気に召さないと?」

 

「いや、そんなつもりは」トラピさんがあわてて言葉を取り消す。 

 

「船長の選書であれば、みんなもらうよ。お返しはいつものように水と食料の補給で」

 

「取引成立な。それさえあれば、こちらは百人力だ。世界の果てまで行けるってもんだ。あ、そうそう。ここの水はいいっていう人は確かにいるな。飲ませてやるとほっとするってよ。なにか仕込んでいるのか?」

 

「いや、なにも」

 

「この前、違う島で乗せた客人もえらく喜んでたな。どこかで料理人やってたらしくて、水のうまさに驚いていたぞ。ミリルさんよ、今日は水だな。うまい水をくれ」

 

「あら、また水……」

 

「もしかして、あのドラム缶に水を入れるんですか?」トラピさんが外のドラム缶に気がついて尋ねた。

 

「若いの、あんたは勘がいいみたいだな。ドラム缶はいくらでもあるからな。水あってこそのオフェーリア号ってことだな。オフェーリアは水死したじゃないかって? そんな名前じゃ沈むだろうって思ったか? 水もしたたるいい女って言うのを知らないか? そういうことだ、わはは」

 

「いえいえ、いい名前ですよ」トラピさんが一生懸命ご機嫌を取っているのがわかる。何度か会っているうちに船長の人柄がわかるのだけれど、初対面だとみんな面食らうのだろう。

 

「船長、ボルトンってわかります?」ミリルさんが思い出したように聞いた。

 

「あー、俺がここの定期連絡船をやってるって聞きつけたらしくて、ハトポステルの番号を聞いてきた。何か言ってきたか?」

 

「水をくださいって……」ミリルさんがそのまま伝えた。

 

「まったく仕方ないやつらだな。あれほどだめだって言ったのに。戻ったらもう一度釘を刺しておこう。俺の目の黒いうちは許さないからな」

 

「あの、ボルトンというのは?」トラピさんが聞いた。

 

「ありゃ、ただの水で金儲けしようって企んでいるやつらだ。公社なんて言ってるけど、頭の中は金のことしかないな。あんなところと契約でもした日には島の水をすっかり抜かれて、からからに干からびちまうぜ」

 

「えー、そうなんですか?」ミリルさんが困った顔をした。 

 

「だいじょうぶだ、契約さえ結んでなければ、俺が止めさせる。いいか、ここの水はだれのものでもない。ほんとうに必要な人がいるんだから、だれにでも気安く渡しちゃだめだ。いいな」

 

 船長が妙に真剣な顔をしている。やはり、メーンランドのほうで何かあったのかもしれない。その話をしようとしたときに、時間もないからと新聞の話になった。

 

「おお、いいじゃないか。これだな。俺にまかせとけ。悪いようにはしないから」

 

 船長にまかせておけばきっとうまくいく。頭のいい人だから心配ない。それに、この島のことを大切に思ってくれている。

 

「お、待てよ、この包みなんだか臭うな。なにか入れてるのか?」

 

「それがインキの匂いなんですよ。海の匂いがするでしょ?」ミリルさんがうれしそうに言う。

 

「海の匂いか。おもしろい。どこかで嗅いだことがある匂いだな。どこだったかな……」天井を見上げて、昔の記憶をたどっているようだ。

 

 船長には何か心当たりがあるらしいが、どうしても思い出せないようだ。新聞を手にした人からいい知らせが入る予兆かもしれないと期待がふくらむ。

 

 船長は、水をドラム缶に入れ終えると、先を急ぐようにリブロールを後にした。どうも雲行きが怪しいのだそうだ。海が荒れないといいのだけど。

先を急ぐ船を3人でいつまでも見送った、東の空に黒い雲が見え始めていた。

 

 



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