目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

16 / 186ページ

第14話 跳魚釣り

「おはようございます。慣れた手つきですね」

 

「いやいや、まだほんとにはじめたばかりで。知り合いの船乗りの人に竿をゆずってもらったので暇つぶしにでもなればと思いましてね」

 

「時間つぶしという割には、1、2、3、4……もう7匹もいる。これなんという魚ですか?」

 

「跳魚です。いつもだとこうはいかないから。ほんとにたまたまです。羽虫を捕食するときに跳ねるので島の人はみんな跳魚と呼んでます」

 

「餌は羽虫を?」

 

「あ、これは羽虫に似せてるだけですよ。虫を鳥の羽でつくって、水面の少し上をふわふわさせておくだけ」

 

「そうなんですね、鳥の羽さえあれば釣れるということなんだ」

 

「まあ、少しそれらしく見えるように細工はしますけど。たいした手間はかからないですよ」

 

 今朝は朝から天気がよくて、以前船長からもらった竿を持ってチャルド川に来ていた。 チャルド川は湧き水の出る池から海に流れ込んでいる小さな小川で、川といっても小さい島なので塩分を少し含んだ汽水になっている。

今日は羽虫が多いせいか、跳魚の食いつきが思いのほかいい。さっきからナツヨビがおこぼれを狙って上のほうを旋回しながらこちらの様子を伺っている。  

 

 跳魚は身がやわらかく、少し干して酢漬にするととてもおいしいので、知り合いに届けてあげると喜ばれる。マリネのようにして食べる人もいるらしい。島の周辺には大きな魚もいるようだけど、私にはここで跳魚に相手をしてもらうのがちょうどいいようだ。老人と海ならぬ老人と川というところか。今日は、草屋の先生においしいスープをいただいたお返しになればと思い朝早くから釣りに精を出している。

 

「今朝は、お散歩ですか?」  トラピさんはまだ30代だろうから、早起きするというような年でもない。

 

「僕は、もともと大道芸をやっていたので、家の中にずっといると身体がなまってしまって」  

 

「大道芸はパントマイムのようなことを?」

 

「いやいや、手品ですね。なんでも隠してしまう。よくある手品です。」ないないさんはもしかするとトラピさんが隠したのかもしれないとありもしない考えが頭をよぎった。いやいや、そんなわけはない。

 

「見ててくださいね。このハンカチを」 

そう言うと真っ白なハンカチをポケットから出して、私の手の上に乗せた。  

 

 「いいですか、ハンカチを丸めて」  

と言うと、トラピさんは自分の手で私の手を覆った。 

 

「はい、これでハンカチは消えてしまいました。手をゆっくり開いてみてください」 

 

「ほー、まったくわからなかった。これは見事だ。どこに行ってしまったんだろう」  

 

「これはほんとうに簡単な手品ですよ。種も仕掛けもありますから」

 

「人を隠してしまうこともできるんですか?」思わず口をついて出た。

 

「場合によってはやりますけど、それなりの仕掛けは必要ですね」

 

「そうですよね。そんなに簡単にできるわけでもないですよね。うんうん、それはそうだな」   

 

「また、みんなの集まったときにいろいろ見せてください。この島にはたいした娯楽もないですからね」

 

「もちろん機会がありましたら喜んでやらせていただきます。それより……」

と竿の先を指差すのでそちらをみると、竿の先がぴくぴく動いて羽が見えなくなった。

 

「あー残念、逃げられてしまいましたね」

タイミングが少し遅れてうまくあわせられなかった。 

 

「釣りの邪魔をしちゃってますね」トラピさんは頭をかきながら申し訳なさそうに言った。

 

「それより、少し持っていかれませんか。遠慮はなしですよ。島の名物も知らないとなると隣人としてほっておくわけにはいきませんからね」川に入れてあった魚籠を引き上げすすめてみる。 

 

「ほんとにいいんですか? やっぱり早起きするといいことがあるなあ」と魚籠を覗き込んでいる。

 

 うれしそうな顔を見ていると、こちらも思わず笑ってしまう。2、3匹を手にしたと思うとあっという間に手品のようにどこかに消えてしまった。

 

 トラピさんはしばらく料理の話などをしたところで、もう少し散歩してくると言ってリブロールのほうに姿を消した。 気がつくとナツヨビもいつのまにかいなくなっていた。着の身着のままでこの島に来たというトラピさん。荷物らしいものもほとんどないのだそうだ。ものがなくなる人もいるし、何も持ってこない人もいる。どこまでもモノと縁のない島だと思う。でも、モノに縛られない幸せはやってみた人にしかわからない。それが本当の自由というものだろう。

 

 さて、お土産の跳魚も釣れたから、草屋さんに行って印刷用のインキのことを相談しよう。あそこなら、きっとこの島ならではのインキがあるはずだ。


第15話 海の見えるインキ

 北島と南島の間にあって北島がよく見える場所に草屋はある。ほんとうはアグリズという名前らしいのだけれど、みんなは草屋とか葉っぱ屋とかいう名で呼んでいる、だれも本屋をリブロールと呼ばないのと同じだ。そもそも、島に店の看板らしいものはほとんどない。だれも商売しようなんて思わないのだから当たり前といえば当たり前。売り買いのない支え合いの生活としてつながっているだけの話だ。
 
 もともと理科の先生をしていたというアグリさんの趣味が高じて島のめずらしい草花を集めたというお店だ。草花の種子はもちろん、植物を材料にした何でも屋さんといったところで、アグリさんは島の自然についても詳しい。島一番の物知りとしても知られている。そんなこともあってみんなからは先生と呼ばれている。
 
「こんにちは。ノーキョさんはいますか?」
 
「はーい、ちょっと手を洗いますのでお待ちください」奥のほうからから声が聞こえた。なにか作業をしていたのかもしれない。
 
「これは、これは、オルターさん。なにかありましたか?」手をタオルで拭きながらノーキョさんが奥から顔を出した。
 
「お仕事中のところすみません。昨日いただいたおいしい野菜スープのお礼にと思って、獲れたての跳魚を持って伺いました。大漁だったものものですから」
 
「それはわざわざすみません。今日は釣りをお楽しみでしたか。いい天気になりましたからね」
 
「いつもいただいてばかりなので、たまにはお返しもしないと。お口にあうかどうかわかりませんが、今釣ったばかりです」
 
「おお、これは新鮮ですね。まだ、黄色い筋がくっきり見える」さすがに、生物の先生だっただけあって魚にも詳しい。跳魚は横腹にある黄色い線が鮮度を見る目安になることをご存知だ。
 
「また、いろんな種が増えているみたいですが。これはみんな野菜の種ですか?」
 
「野菜ですね。今撒けばおいしい野菜がたくさん収穫できますよ」
 
「それはいいですね、ノーキョさんの選んだ野菜ならおいしいに違いない。リブロールの横に植えてみます」
 
「ああ、オルターさんはそれには及びませんよ。うちの畑にたくさん植えてありますから、いくらでもお分けしますよ」
 
「いやいや、それでは申し訳ない。そんなことしてたら商売にならない」
 
「その代わりにというわけではないですが、本屋さんをいつも書斎代わりに使わせていただきますから気になさらないでください」
 
 結局また物々交換のような話になってしまう。この島ではお金の価値さえもあいまいで、自分がほしいものがあれば誰かのほしいものをあげるというというのが生活のルールになっている。金銭のともなわない助け合いというところだろうか。
 
「ぜひぜひ、そうしてください。と言っても店主の私はほとんど留守でミリルさんにまかせっきりですが」
 
「ああ、ミリルさんにはいつもおいしいお茶いただいてます。あそこでお茶を飲みながら資料整理するととてもはかどって。海からの風がとても心地いいですからね」
 
「昼下がりのうたた寝の場所と決め込んでいる人もいるみたいですよ。もう、本屋かどうかも疑わしいですね」ミリルさんからいつも言われていることをそのまま話した。
 
「それそれ、ほんとうにうたた寝には最高で、私もよくうとうとてしています。でもそういう時間がまたいいんですよ。そんな本屋がひとつぐらいあってもいいじゃないですか」
 
「ありがとうございます。じゃあ、これからもうたた寝のできる本屋ということでいくことにしましょう。うたた寝屋ですね」
 
「うたた寝屋いいですね。本に困まれてうたた寝なんて、もうほかになにもいりません」
 
「今日は、そんなうたた寝屋からお尋ねしたいことがありまして」
 
「あらたまって、なんですか? 私にわかることでしたら。ただ、女性のことはからっきしだめですよ」
 
「ははは、私も若い頃から女性にはまったく縁がないですからご心配なく。実は先日古い印刷機が手に入ったので、島の新聞とか例のノートを印刷しようという話をしていましてね。それにちょうどいい印刷用のインキがないかものかと」
 
「あ、昨日コピちゃんが届けてくれた島便り、ありがとうございました。とってもいい話なので私もなにかお手伝いできないかと思っていたところなんですよ」
 
そう言うと、奥の棚からまだ何も書かれてないラベルの張られた壜を持ってきた。
 
「えっとこれこれ、実はちょうどいいインキがあるんです。海辺でよく見るナミギワ草から作ったものなのですが、とても深みのあるブルーで、乾いてもまるで印刷したばかりのようにみずみずしい発色なんですよ。ぜひ、これを使ってください。メーンランドの人もきっと驚くと思いますよ。こんなきれいなインキはなかなか見たことないでしょうから。この壜に入ったのがそうなんですけど見てみてください。このインキで本でも作れば世界にふたつとないものができますよ」
 
「ほぉ、これはいい。この島の海の色そのものですね。ナミギワ草からこういう青い顔料が採れるんですね。今日、持ち帰ることはできますか?」
 
「もちろんです。昨日コピちゃんが来たときに預けようと思っていたぐらいですから。どうぞ遠慮なくお持ちください。あの新聞をたくさんの人に読んでもらうお手伝いができれば私もインキをつくった甲斐があるというものですよ」ノーキョさんは楽しそうに話してくれる。ほんとうに誰かに使ってもらうことがうれしいのだろう。
 
「ありがたい。では、早速帰って試してみることにします。あれ、これ海の香りがする。してますよね?」
 
「あ、わかりましたか? それもこのインキのおもしろいところなんです。海の香りのするインキなんてなかなかないですよね。もう、一度読んだら忘れられないですよ。女性の香水みたいに。あはは」
 
「うーん、これはすばらしい。ほんとうに相談しにきてよかった。みんな喜んでくれそうだ。ありがとうございます。紙もノーキョさんにいただいたものだし、何から何まで。ほんとうに助かってます」
 
「紙漉きこそ一番の趣味ですから、捨てるほどありますよ。また印刷機を見に伺いますね。新聞はほんとうに楽しみにしてますからがんばってください」
 
 思いがけないお土産をもらった。気がつくと、リブロールへ戻るまでずっとインキの香りをかいでいた。きっとこのインキを使った新聞を読むときは目の前にこの青い海が広がることだろう。海の見える新聞……これはいいかもしれない。
 
お店に戻るとミリルさんが、いつものように留守番をしてくれていた。
 
「おはようございます。大漁でしたか?」ミリルさんにはなんでも見透かされている。
 
「あれ、トラピさんも」
 
「トラピさんはミステリー小説が好きなんだそうですよ。密室ものなんですよね」
 
「オルターさん、おじゃましてます。」すっかりくつろいだ様子だ。ミリルさんの人見知りしない性格がいつもたくさんの人を集めてくる。
 
「おやおや、早速のご来店ありがとうございます。いい本ありましたか?」
 
「ミリルさんに島の話をいろいろ聞いてました。なんだか島そのものがミステリーみたいで」
 
「歴史伝承みたいなものかもしれないですけど、この島にもいろいろあったみたいですね」
 
「なんだか、はじめて住んでみたいと思うところに出会ったような気がしてます」
 
「あるのは青い空と海だけ。それだけなんですけど、それで十分なところですよ。なにも持たないトラピさんには向いてるかもしれない。小説ほどにはおもしろくないかもしれないですけど、古いことを調べる楽しみもありますし」
 
「そうなんですよね。何もないところに惹かれているのかも」
 
しばらくすると、インキの入った壜からナミギワ草の香りがリブロールに広がっていった。
 
「今日もいいお天気」ミリルさんが海のほうを見ながらつぶやいた。
 
「ほんとに」トラビさんが遠い空を見ながら答えた。

第16話 乾かない文字

「実は僕、もともと旅芸人をやりたかったんです。定住が性に合わないみたいで」 

   

「旅する奇術師さんですね。なんだか素敵な話。いろいろな街に行かれたんですか?」

  

「同じところには1週間から1ヶ月ぐらいです。街の大きさにもよりますが、小さいところだと一週間もすればみんな手品も見飽きてしまいますから」 

 

「そういうものなんですね」

 

「いつまた会えるかわからないのってよくないですか。偶然の再会を待っている楽しみですね」

 

 ミリルさんはいろいろな世界を見てきたトラピさんの話に興味津々で聞き入っている。この島に居ついてしまうと外から来た人との話が唯一外界とつながる機会になるので、若いミリルさんはいきおい話もはずんでしまうのだろう。

 

「あ、コピちゃんも来たのね。こちら旅する奇術師のトラピさんよ」

 

「はじめまして、コピちゃん」

 

「こんにちは、トラピちゃん」

 

「コピちゃん、トラピさんだよ。お兄さんだからね」と私が言うと、

 

「コピもお姉さん!」ちょっと不満そうな口ぶりで言った。

 

「あはは、お姉さんだよねー。よろしくね!」トラピさんもコピを好きになってくれたみたいでよかった。

 

「昨日、東の海にいた」とコピが言った。

 

「あれ、昨日会ってた?」

 

「コピちゃんは、ほんとうに島のことをよく知ってるんですよ。ね?」

 

「コピは配達さん。なんでも知ってる」

 

「みんなに幸せ運んでくれてるのよね」とミリルさんが言うと、コピの自慢げな顔を見てみんな笑顔になった。

 

 トラピさんとひとしきり話した後に、早速 ナミギワ草の青いインキでの印刷を試してみることにした。記事はあらかじめ書いておいた赤い月のことだ。

 

「ミリルさん、これをお願いしていいですか?」

 

「あら、もう原稿できているんですね。さすがはオルターさん、やることが早いですね」

 

「じっじ、がんばった!」

 

「ははは、コピも配達さんがんばったからね。じっじもやらないと。これからミリルさんもがんばってくれるんだよ」 

 

「がんばりますよ。次に船長が来るまでに立派な新聞をつくっておかないと。あー、これの香りだったんですね。さっきから、何の香りかと思ってたの」 

 

「このインキ、島の香りがしませんか?」と誰ということなく聞いてみると、「言われてみると」とインキ瓶を手にしたトラピさんが匂いを嗅いだ。 

 

「自然の香水ですね」 とミリルさんがうなづく。

 

「ノーキョさんのところの自家製ですよ。コピちゃんとミリルさんによろしくって言われてましたよ」 

 

「ノーキョさんはインキも作れるんですか。なんでもできちゃう人ですね」 

 

 

 早速、ミリルさんがインキをセットして試し刷りをはじめた。この時期によく見られる赤い月のことを書いた新聞が次々に刷られていく。真っ白な紙に新しい息吹が吹き込まれていくようで見ていて楽しい。きっとこれを見ればノーキョさんも喜んでくれるだろう。コピも刷られたものをテーブルに運んで乾かす手伝いをしている。みんなでいっしょに何かやるのは楽しいものだ。

 

「この新聞は定期的に発行しているんですか?」本屋だと思っていたら印刷をはじめたのだから、事情を知らないトラピさんが不思議に思うのももっともなことだ。

 

「正式には出していないんです。まだ、テスト印刷中で。島をもっと知ってもらうために、新聞というか島からの定期便りを出そうという話なんですよ」

 

「それはいい話ですね。僕にもできることがあったら声をかけて下さい」

 

「ありがとう。それにしても、ほんとうにきれいな青だ。ノーキョさんの言ってたとおりだな。ほら、最初に刷ったものもこんなにきれいだし。このインクの文字はいつまでも乾かないようだね」

 

「オルターさん、私これと同じような色の文字をみたことがあるような気がします。たしか州立古書文庫だったような」文字をじっと見ていたトラピさんが言った。

 

 「それはリアヌシティの図書館?」

 

「えっと、そうだったかな? 僕はいつも同じところにいないので、レトルシティのほうだった気もします。そこはとくに古い文献ばかり集めているところなんですけどね。この島のこと知ったころで見たような気がします。もしかしてこのインキ、昔はこの島の名産品のようなものだったかもしれないですよ。ミドリ鮫のように」 

 

「じっじ、ノートに手紙のインキ出てた!」

 

「あ、そうだわ。今書かれたばかりのような文字だったってあったよね。きっとこのインキで書かれたんだわ。コピちゃん、すごい!」

 

「 ふーむ……たしかに」

 

「トラピさん、それは本でした?」ミリルさんが興奮した様子で聞いた。

 

「どうだったかな。メモのようなものだったかもしれないですね」

 

「もしかしてそれ、あの手紙そのものだったかもしれないですよ。オルターさん、そう思いません?」

 

「でも、このインキで書かれたものはリアヌシティのほうに行けばたくさんあるかもしれないですから。僕の話はあまり当てにならないかもしれない」 トラビさんも少し困惑している。

 

「トラピさん、もう何十年も謎だらけのノートのことですから、ほんのちょっとした情報でもいいんですよ。これで、新聞をメーンランドに届ける楽しみが増えるというものだね。だれかが気づいてくれるかもしれない」

 

「じっじ、コピの配達さん?」

 

「コピちゃん、メーンランドは遠いから船長にお願いするのよ。コピちゃんには、この島の配達さんをやってもらわないと」ミリルさんがやさしく説明した。

 

「島の配達さんはコピ!」と言いながらうれしそうに飛び跳ねた。 

 

 ノートの主の見た手紙が今もメーンランドに残っていたなら、なんと幸運なことだろう。一度でいいから見てみたいという思いが募る。ノートの主をこの島に呼んだ手紙にすべての始まりがあると思うと、島のルーツにたどり着くようなものだろう。それはとてもロマンチックな話だ。

 

 そうしているうちに赤い月のことを書いた新聞が店の床を覆い尽くしていった。

 

「これだけ刷れば十分だな。テスト印刷だし。みなさん、このままここにいますか?」

 

「僕はもう少し本を見させてもらいます。ミリルさんにも島の話をもう少し聞きたいし」

 

「じゃあ、私は灯台で少しノートを読み返してきます」

 

「コピも行く」

 

 テスト印刷したものは乾いたらまとめておいてもらうお願いをしてリブロールを後にした。


第17話 きまぐれな友達 *

 

 1時間もノートを読んでいただろうか。少しうとうとしかけたときに、トラピさんの声が戸口から聞こえた。

 

「ここが灯台なんだね」 

 

「あ、いらっしゃい。ミリルさんはリブロールに?」

 

「ええ、お店の留守番をされるそうです」 

 

「じっじのお休み場所だよ」と案内してきたコピが説明した。

 

「あはは、コピちゃんはなんでも知ってるんだな」トラピさんがこちらを見ながら笑っている。

 

「この子とは長いつきあいで、どこから来たのかも知らないままに、今ではまるで孫とおじいちゃんの関係ですよ」

 

「子供が一人で暮らせるなんて、島のみなさんに守られているんですね」

 

「両親の居所でもわかれば連絡してあげたいんですが、それもわからないままに数年たってしまいました」

 

「コピはここが好き!」

 

「というようなわけで」

 

「オルターさんは、どうしてこちらに?」 

 

「ああ、それはまた時間のあるときにゆっくり。ただ、まちがいないのは、ノルシーさんと私が今はこの島の最古参ということですね」

 

「そうなんですね」トラピさんが机に目を向けたまま答える。

 

「ここは、オルターさんの寝床兼書斎なんですか」 

 

「ノートの主もここから生活をはじめたようで、そこに対するこだわりかもしれません。ほんとうはこの灯台は誰の物でもないんですが」

 

 その後、少しノートの話を説明した。コピも聞くのを楽しみにしているので、少し読んでみることにした。 

 

***** ノート *****

 

 朝早くまで雨が降り、薄曇りの夜明けに日時計の針は薄くあいまい。針がますます短くなり本格的な夏の到来を予感させる。

 植物の記録をするために島を散策しました。新緑の時期ということもあって草花がところ狭しと咲き乱れています。とくに小さな白い花が印象的でした。雨あがりのせいもあって、ふだんよりも生き生きとして見えます。

 雨の日は一人でいることの不安を感じなくないですが、不思議なものでこの島の生活が長くなると、不安どころか雨がやさしい自然の恵みのように思えてくるのですから不思議です。その恵みを受けて草花が空に向けて恩返しの気持ちを精一杯表しているように感じられるのです。

 島を南のほうに行くと木立の集まった場所があります。それは海に浮かぶ島には似つかわしくないちょっとした林になってます。陸地から突然切り離されたようにさえ思える不思議な景観です。どうしてここにこんな林ができたのか、いつか理由を明らかにできるといいのですが。

 

 島に来て一ヶ月ほどになります。未だに誰一人として会いません。流れついたボートはそのままで、私の後に誰かが島に渡ってきた気配もありません。根を食べられる植物も見つけましたし、手製の石のかまどでひと通りの料理もできるようになりました。持参したなべを使って石でおこした火で煮炊きすることも慣れてきました。

  ちょうど料理ができて火からなべを下ろそうとしていたとき、小さな動物が木の間を横切りました。ねずみのようにも見えましたが、カワウソのような動物だったかもしれません。こちらを襲ってくる様子もなかったので、あとずさりしながらとりあえずその場を離れました。

 しばらくして戻ったときにはなべの横に置いてあった魚が消えていました。このときはじめてこの島に自分以外の生き物がいることを確信しました。こんな穏やかな島なので人に危害を加えるような動物はいないと思いますが、その姿を見るまでは安心して寝ることはかなわないかもしれません。

 

***** ノート ******

 

「この生き物について書かれているのはこれが最初で最後。その後には、その動物を呼んでいるらしい名前しか出てこないです。”きまぐれ” というのがその動物をさしているようなんです。その間のノートがないからはっきりはわからないんですが、たぶん間違いないですよ」

 

「この島に最初からいる動物なんているんでしょうか? 今、そういう動物は島にいるんですか?」トラピさんも興味があるようだ。 

 

「この島独特の哺乳類で斑点のある島もぐらはいますよ。鳥だと水玉模様のナツヨビのようなものも。でも、どちらも人になつくようなことはないですから、もしかしたら、船から落ちて流れ着いたか、だれかが連れてきたのかもしれないですね。繁殖は無理だったのかもしれない。いずれにしても、動物でも友達がいれば島の暮らしも楽しいでしょうからね。彼はその ”きまぐれ” がいたことでいろいろ救われたんじゃないでしょうか」

 

「当時、動物を飼うなんて習慣があったのかな」トラピさんがつぶやく。

 

「一人でいたら、なにか友達がほしくならないですか? トラピさんはそんなことないですか?」

 

「僕は結構平気ですよ。行く先々で出会いがあればそれで十分」

 

「でも、その人もいなかったら?」

 

「そうか、それはちょっと考えてしまうかな。そう思うと、なつくかどうかの問題ではなく、友達だと思えること自体が必要だったのかもしれないですね」

 

「自分が友達だと思える人が一人でもいることは幸せかもしれないですね」

 


第18話 豚の素性

 夏の日差しも少しずつ強くなってきた。最初のナツヨビが来てもう少しで一ヶ月になる。

 

 今日は久しぶりにエバンヌでノルシーさんの入れたお茶をいただいている。ここが島で最北の場所になる。最北と言っても最南端との距離は500mもないから、何も変わるものはない。もともとこの島がメーンランドの南に位置している温暖な場所なので、冬の一時期を除けば、北といってもそれほど寒いわけでもない。  

  話好きなノルシーさんのところには島の情報が集まるので、ときどき遊びに来ると楽しい。今日もおもしろい話が待っていた。

   

「最近豚を連れた人と会わなかった?」ノルシーさんが食器を洗う手を止めて、唐突に話しはじめた。

  

「豚ですか?」

 

「そうそう、普通に豚」ノルシーさんが笑っている。

 

「 でも、ちょっと小ぶりの豚かな」と言うと両手で犬ぐらいの大きさを作ってみせた。

 

 この島には養豚をはじめそうな人はいないから、 最近来た人なのかもしれない。

 

「なんでもね、ここ最近島のあちこちで見かけるみたいよ。この狭い島で豚牧場でもはじめるつもりなのかな?」

 

「豚の牧場?」

 

「ない?」こちらの顔を覗き込むように見ている。ノルシーさんはなんでも受け入れられる人なので、ときどきこちらが呆気にとられるようなことを言う。

 

「どうでしょう……そんな島?」 

 

 ノルシーさんのお店は、お昼まではお客さんがほとんどいない。もっともジャズのお店だからそれは当然のことで、夕方近くからお客さんが入り始める。お店の名前のエバンヌは昔知り合ったピアニストの名前から取ったと聞いた。使い込まれたアップライト・ピアノの音がこの島唯一の音楽というところ。普段ピアノを弾くのはノルシーさんだけだから、ノルシーさんが話し出してしまうと、潮騒の音だけが唯一のBGMになる。そんなのんびりしたお店だ。

  

「あれ、もしかしてトリュフ? トリュフがとれるのかな?」

 

「トリュフって、トリュフ?」と思わず聞き返してしまった。

 

「そうそう、あのトリュフ。豚は嗅ぎ分ける力があるんだよね? たぶんトリュフを探してるんじゃないかな」

 

「トリュフねぇ。この島で採れるのかな? 採れたとしても、あれは都会のお金持ちが好きなものだよ」それが理由でこの島に来る人が多くなるのもどうなんだろうと思う。

 

「お金の匂いがするものにいい話はないし......」

  

「 手に入りにくければいさかいのもとにもなるけど、たくさんあればそんなことにもならないでしょ」

 

「たくさんある? 匂う?」と聞くと、

 

「匂うね。トリュフ狩り名人の気配……」と、鼻に指を当てたノルシーさんは、探偵気取りだ。

 

「 養豚場かトリュフ……

 

「ちょっと待って、もしかすると飼い豚かもしれない。豚と散歩してるだけかも」 

 

「飼い豚って……それにしても人けのないところを歩いてない? 広場あたりでは見かけたこともないし」

 

「散歩ってそういうのものでしょ。違う?」 

 

 エバンヌの店内には、カメラの好きなノルシーさんが撮った島の草花の写真がフレームに入れられてところ狭しと飾ってある。 観光で来た人が最初にこの店を訪れるというのもよくわかる。島を知りたい人にはちょどいい情報が集まってる。 

 

「今度、豚名人見かけたら聞いてみよう。オルターさんもそうしてよ」

 

「トリュフ名人でしょ? その豚はなんですか? って聞くの?」

 

「そうそう、豚の素姓は調べておかないと」

 

「素性ね」

 

 勝手なことをとりとめもなく話しているうちに、 すっかり日が登った。 小さな窓から日が差し込んでカウンターテーブルのコーヒーカップを柔らかく照らしいる

 

 私はカバンから紙と鉛筆を取り出し、島の出来事を書きはじめる。 気がつくと、島便りのために島のことを書くのが習慣になっていた。ノルシーさんはお客のいることも構わず、お店の掃除をはじめた。もともと私を客とも思ってないのだろうけど。こういう気のおけない関係が落ち着く場所をつくる。みんながエバンヌに集まるのもそういうことだろう。いつか島便りで、エバンヌの紹介もしないといけないと思った。 

 



読者登録

noelさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について