目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

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第10話 島便り +

 船長の置いていった印刷機を使って、すぐにでもなにかを刷ってみたくてなかなか寝付けなかった。結局翌日も、大人気もなく朝早くから目が覚めた。これではまるで子供だと思いながらも、夜が明けるとすぐにだれもいないリブロールに行った。あらためて印刷機を眺めてみると、年月を経た木肌になんともいえない風格を感じる。最新の印刷機では見かけない独特の金属活字が味わい深い。この文字に惹かれたたくさんの人の手を渡ってきたのだろう。作業台の表面はつるつるで、インキのシミもあちらこちらにある。眺めているだけでも使い込まれた道具の温もりを感じる。ミリルさんが印刷係をやってくれるというのなら、船長が言うように島の新聞をつくるというのはいい考えかもしれない。


 ホーローの赤色ポットでコーヒーを入れながら窓の外に目をやると、船長の船はまだすぐそこに見えた。もう10時間も前に桟橋を出たのに、いつものように外洋に出るのに手間取っている。こんな面倒な島に来てくれてほんとうにありがたい。もしかすると、この島を一番愛しているのは船長かもしれない。


「おはようございます」入り口のほうから声が聞こえた。


「あ、ミリルさん、おはよう。今日も早いですね」


「いえいえ、今日も特別ですよ。この印刷機が気になったので早く目が覚めちゃいました。オルターさんもですか?」


「ほんとうに思ったように印刷できるものかどうか早く試してみたくてね。今、灯台から持ってきた機械油を差していたところです」


「これだけ古いものだと、飾るだけの骨董品として保存されていたのかもしれないですものね。ほんとうに何百年も前の人と同じように使えたらすてきですけど」

ミリルさんも私に負けず劣らず好奇心が強い。


「こんな珍しいものを使わせてもらえるなんて、ほんとうに本屋冥利に尽きるね。これを納屋にしまい込んでしまっては作った人に申し訳ないというものだ」


「メーンランドの人に向けて新聞が出せるなんて考えただけでわくわくします」

ミリルさんもすっかりその気になってるようで、気がつくと操作方法の確認をはじめていた。

 

 紙と鉛筆を持って、最近島で起こったことを思い起こしてみる。今週に入って、夏を告げるナツヨビが数羽飛来してきたのはもうみんな知っているだろうか。エモカさんの長時間発酵のパンの話しもいいかもしれない。エモカさんの了解が得られれば、あのおいしさをみんなに教えてあげたい。こうしてみると、この小さな島にもいろいろな話題がありそうに思える。

 

 ナツヨビは春の終わりのころになると南から渡ってくる。熱帯地方の鳥で白地に淡い水玉模様のあるとても珍しい鳥だ。ヒョウやキリン、牛のような模様ではなく、ほんとうに水玉の斑点なのだからおもしろい。この島に来るまで自然界にこんな模様の動物がいるとは思いもしなかった。水玉模様の動物はナツヨビに限らず他にもみられるから、この地域だけに生息する特異な種なのだろう。もし、水玉模様の動物を見ることがあったら、この島から渡って来たと思っていいかもしれない。

 

 

「昨日、コピちゃんが配達を担当してくれるって言ってましたよね」

 


「あれはいい考えだね。あの子は島の隅々までよく知ってるから、配達さんとしてはうってつけだ。はじめは島内に向けてつくってみるのもいいかもしれないし」

 

「コピちゃんはみんなに好かれているし、記事になるいろいろな情報も集めてくれそうすね」

 

「そうと決まったら、記念すべき第一号の記事をさっそく考えることにしましょう」

 

「そうだ、オルターさん、ちょっとお願いを聞いていただけますか」 


「なんですか?」 


「新聞になくしもの欄もつくってもらえないでしょうか?」 


「なくしもの?」 


「ええ。ずっと考えていたんですけど、この島って物がなくなることが多くないですか?」 


「ああ、鳥のいたずらだね。しばらくするとちがうところでみつかることもあるけどね。それにしても多いことは間違いないですね」 


「東浜に住んでいるお友達のないないさんは……
あ、ロスファさんのことです。いつもないないってなにか探してます。ものがなくなるのを気にしていると、この島には住めないですけど……」 


「島の掲示板に時々貼られている ”探しもの” の張り紙を欄外記事のようにしてあげればいいのかな?」 


「そうしていただければ。ないないさんのほかにも困ってる人いるみたいなんです」

 

 ないないさんは物忘れをするような年とも思えないから、動物かなにかのいたずらだろうけど、これを毎号載せるのはさすがに気が引ける。きっと島の印象も悪くなってしまうだろう。とりあえず島の中だけの限定の発行のときだけにしておいたほうがいいかもしれない。島の人なら、なくなることをいちいち気にするような人もいない。のんびりしすぎかもしれないけど、そういうところもこの島のいいところだ。

 

「わかりました。ちょっとどうしたらいいか考えてみましょう」

 

 

「よかった。それで、新聞の名前はもう決められました?」

 

「新聞というのも大げさだから、とりあえず ”島便り” という名前にしておいたらどうでしょう。南のどこか遠くの島から届く季節の便り。のんびりとした島の生活をお届けします。というのはどうですか?」


「それいいかもしれないです。町の人たちもきっと遊びに来てみたくなりますね」

 

 

「お昼までにはなにか原稿を書いてみるので、午後からためしに印刷してもらっていいですか? 文字は少なめにしますから」

 

「まかせてください。第一号のお手伝いをできるなんてがんばらないと。リブロールのお店番をしていてほんとうによかったです。きっと、島の人たちやメーンランドの人たちをつないでくれるすてきな新聞になりますよ」 


「それは私をかいかぶりすぎかもしれないですよ 。とにかくひとつ作ってみないことにはね」

 

 そのとき、海の上をナツヨビが2羽すーっと横切った。もしかすると、彼らの島に私たちが住まわせてもらっているのかもしれない。ふとそんなことを思った。

 

 

第11話 なくしもの

ごとん、ごとん。ぎーぎー。

 

ごとん、ごとん。ぎーーぎー。

 

 思った以上にきれいに刷れている。数百年前の印刷機とは思えない仕上がりだ。とくにインキの瑞々しさがすばらしい。島で採った夕暮草の顔料がこの印刷機にあっているのだろうか。

 

「ないないさん、なくしものの記事はこんな感じでいいでしょうか?」

 

 ミリルさんに呼ばれて来ていたロスファさんに尋ねてみる。

 

「ええ、ええ、もうこんな風にしてもらって何とお礼していいやら。ほんとにほんとに」

 

 最近島に来たばかりのロスファさんは、とにかく遠慮深い人だ。先に住んでいる人に迷惑をかけないようになんでも自分でやろうと一生懸命にがんばっている。それなのにこの島はないないさんにやさしくないようだ。

 

「ないないさん、島はいい人ばかりですから、心配しないで大丈夫ですよ」

 

 面倒見のいいミリルさんがやさしく声をかける。

 

「ええ、ええ、とてもとても助かってます。もう、わからないことだらけな上になくしものばかりで。ご迷惑ばかりおかけして」

 

「とりあえず、枕だけでだいじょうぶですか? もし他にもあれば……」

 

 なくしものがたくさんあると聞いていたので一応確認してみた。

 

「いえいえ、もう枕さえみつかれば、あとは自分でなんとか探し出しますので。心配しないでください。きっと風でどこかに飛ばされているに違いありませんから」

 

 刷り上ったものを見ながら、ないないさんは何度も何度も頷いている。

 

「島便りという名前好きです。これをメーンランドの人が見れば、きっとすぐに旅支度をはじめるでしょうね。ほんとに、ほんとに。ここに書かれている水玉模様の鳥がいることすら知らない人も多い」

 

 ないないさんも新聞を気に入ってくれたようだ。

 

「じゃあ、さがしものがあるので、このあたりで失礼させていただきます。ほんとに、ほんとに、ありがとうございます。枕はみつからなければ、それはそれでなんとでもしますので。お気持ちだけでありがたいことです」

 

 ほんの10分ほどいただけで、またなくしもの探しに出かけてしまった。あんなに一日中さがしものをしていたんじゃあこの島のゆったりした時間なんて楽しめないのではないかと心配になってしまう。

 

「ミリルさん、これなかなかいい出来ですね。とても年代ものの印刷機で刷ったものとは思えない仕上がりですよ」

 

「私は言われたとおりにやっただけなので、印刷機のおかげですね。この印刷機は島になくてはならないものになりそうですよ。コピちゃん、どう思う?」

 

「なくてはならないもの? なくてもなるもの? コピにはよくわからない」

 

「あはは、ないと困るものだから、ないといけないものだな」

 

 椅子の上にハンカチが置いてあるのに気づいた。ないないさんが汗を拭いていたハンカチだ。ないないさんはものわすれをよくする人かもしれないと思った。無意識のうちに枕をどこかにおいてきてしまったのかもしれない。

 

「ないないさん、今度はハンカチがないないって探してるかもしれないな」

 

「え?」

 

 ミリルさんが不思議そうにこちらを見るので、椅子の上を指差すと、すぐに気づいて笑いをこらえていた。

 

「コピはもうくばるの?」

 

「もう少しまってね。インクが乾いたらお願いするわね。それより、乾くまで発行記念のお茶パーティーはいかが? 草屋さんでおいしいハーブティーをいただいてきましたよ」

 

「それはいいね。ひと仕事した後のお茶は格別です」

 

「コピにもおちゃちょうだい」

 

「はいはい、配達さん。たくさん飲んでいってくださいな。みんなに幸せを届けてあげてね」

 

 新聞発行をした数日後の赤い満月の日に、ないないさんその人の行方を尋ねる島便りを出すことになるとは、このときは思いもしなかった。枕がみつかったという連絡を最後にその姿を見かけなくなってしまった。島を突然出て行く人はたくさんいるけど、食べかけのパイをテーブルに置いたままで消えてしまった人はいない。地面が少し揺れたときだったので、大潮に流されてしまったのではという人もいたけれど、それにしては食事途中の台所は不自然だ。みんなで探したけれど、その消息を知るものはなにもみつからなかった。メーンランドのほうに戻ったのであればいいのだけど。


第12話 別々の名前 * +

 今日は印刷の後片付けですっかり遅くなってしまった。夕ご飯を薪ストーブでつくりはじめると、いつものように青猫のインクが臭いをかぎつけて擦り寄ってきた。
 
「インク、コピが戻ってくるまでもう少しつきあってくれるかな。今日はいい仕事をしてきたよ。ほら、この新聞だ」
 
 インクはいつものようにこちらを見ないで、ストーブの横で丸くなっている。そこにはインク用のアルミの餌入れがおいてある。お腹がすいているのかと思いミルクを入れてやるとすぐに飛び起きた。今日は好物の魚がみつけられなかったのかもしれない。
 
「くばってきた!」元気のいい声がしたと思ったら、コピが勢いよく駆け込んできた。
 
「お疲れ様、コピ。みんな喜んでくれたかい?」
 
「うん。もう、ナツヨビがきたのって。コピはもうみた。いえをつくてた」
 
「ほお、巣の場所もみつけたのかい?」
 
「はんとうのさきのほう。きょねんとおなじナツヨビ」
 
「同じナツヨビ?」
 
「うん、なまえある」
 
 鳥を一羽一羽見わけて、全部に名前をつけるなんて特異な才能を持った子だ。まるでこの島の申し子のようだ。
 
「きょうはインクもちがうよ」
 
「え? インクはいつも同じだが。どこか違うのかな?」
 
「いろんなインクがいるよ。きょうは赤インク。赤インクはおばあさん」
 
 なんともおもしろい子だ。その日によってインクに別の名前をつけているようだ。7色のインクがいるという。今日もいつもと同じ青い猫インクだけど、名前は赤インクらしい。毛の色と名前は一致しない。
 
「コピ、スープでも飲んでいくかい? お客さんがね、採れたての野菜でつくったものだからとお裾分けしてくれた。野菜に詳しい人だからきっとおいしいよ。よかったらいっしょに晩御飯にしよう」
 
「はいたつさんのごほうび!」
 
 今夜はコピとインクでにぎやかな夕食になった。食後はコピにせがまれてまたノートの続きを読んで聞かせることになった。
 

*** ノート ***

 
 3日目もとてもさわやかな朝を迎えることができました。澄み渡った空には水平線から無数の入道雲が天に向かって伸びています。どこまでも続く海を見ていると、この世界を独り占めしているような気にさえなります。季節が違うせいか文献にあったミドリ鮫の姿もなく、時折カモメに似た水色の鳥が海の上を横切っていくだけです。彼らが渡り鳥なのかどうかさえもわかりませんが、今のところこの鳥だけがこの島の住人ということのようです。天敵のいそうにないこの島は繁殖にちょうどいい場所なのでしょう。
 
 出発のときにいただいた携帯用の日時計を出して、地面に置いてみました。着いて3日目の今日からこの島の記録がはじまることになります。ゆるりと動く時間をみつけるために役立つ記録になるかどうかはわかりませんが、季節か気温、そんなものと関係しているのではないかと思います。日時、気温、天候などを記録していくうちに時間がゆるりと動く予見をできるのではないでしょうか。
 
 今日は、6月20日。天候は晴れ。風は南西で、湿度は低め。空はどこまでも青く。
 
 鳥は無理にしても、魚は捕食することも可能かもしれない。魚がいるのだから餌もどこかにあるだろう……
 
*****
 
「コピ?」
 
……
 
「おや、寝たのかな? 今日は配達さんで疲れたからね。たくさんの人に喜んでもらえてよかったね」
 
 毛布を一枚掛けてやると、寝返りを打って寝息を立て始めた。そばでインクは毛づくろいをしている。今夜も夕焼けできれいに空が染まっている。
 

第13話 時間のはじまり *

*** ノート ***
 
日時計を置いて5日目。
 
 今日も南からの風が続く。夏に向かっているせいか空の色が日に日に深くなっている。
 
 日時計で毎日記録をしはじめてから、少しずつこの島の生活になじんできたように思います。なにもないこの島では町にいたときとは比べ物にならないほど1日の時間が長く感じられます。リアヌシティで仕事をしていた先週のことさえも何年も前のことだったように思えるほどです。朝日が上るのを見ること、鳥が餌をついばむ様子を眺めること、風に揺れる草花の音に耳を傾けること、太陽の日を浴びながらたっぷりと昼寝をすること、夜空の星を数えること、どれもがこの島での大切な生活です。それらが、日時計のゆっくり進む影ともに島の記録として刻まれていきます。この穏やかで、誰にも動かせそうにない時間の流れがほんとうに大きく揺れるような日がくるとはとても想像できません。うっかりすると、このままこの島に来た目的さえ忘れてしまいそうです。
 
 日時計の針の先で小さな虫が休んでいます。彼にとっては時間が流れようが流れまいがどうでもよい話。日が昇り、日が落ちること以外にとりたたて考えることもないようです。まわりに気を配ることもなくずっと前足で顔をぬぐっています。ここの動物は天敵が少ないせいか人の姿にまったく驚くこともなく自分の時間と生活を楽しんでいるようです。もし仮に時間が反転して、太陽が上るのと落ちるのが逆になっても大きな問題がないようにさえ思えます。ふと、今まで何のために休みも取らないで働き続けてきたのだろうという考えが頭をよぎります。もしかすると時の音に耳を寄せることを忘れてしまっていたのかもしれません。この島には時計もなければ、時報もありません。それなのに、風に乗って流れる時間の音が聞こえるような気がするのです。街にはないほんとうの時間が今始まったように思います。
 
 日時計は、手ごろな石の上において、磁石が壊れてもわかるように正午が真南になる方向に固定しました。そしてその先に小さな木の苗を植えました。石とこの木が時の刻みをいつまでも教えてくれることでしょう。いつまでも、この島がある限り。
 
*** ノート ***
 
 彼の生きた時代にはまだ時計は一般家庭まで行き届いていなかったのだろうか。今では当たり前になっている時計がなければ、生活は日の出、日の入りに合わせていかざるを得なかっただろう。もっともそういう生活が一番健康的とも言える。自然に逆らって生活することはそれなりの負担を強いられているに違いない。この島にはほとんど電燈もないから、夜になれば月明かりと少しのランプだけが頼りの生活になる。ノートの時代とそれほど違わないのかもしれない。そして、夜明けとともに1日がはじまる。夜が明けても起きる以外にとりたててやらなければならないこともない。当時も今も人々はなにかをすることを探そうとする。探さなくても何かに追い立てられるように家を出て行くに違いない。そして日が落ちた後までも、それに意味があるようになにかをやり続ける。彼らは何に向かっているのだろうか。
 窓からリブロールのほうを眺めると、たくさんの星を散りばめた夜空が広がる。星は夜になったから輝く、それだけのことだ。
 
 そのとき、草の間を何かが動いたような気がした。気になって近づいてみた。
 
「あ、インク、いつの間にお出かけしていたんだ? もう遅いから中に入っていなさい」
 
 ミャアとひと声鳴いたと思うと、また灯台を離れて行ってしまった。一瞬星が流れたように感じて空に目を向けたときにインクを見失ってしまった。こんな夜に出歩くこともないだろうに。
 
 彼女には彼女の生活もあるのかもしれない。こちらは、明日もあるし、そろそろベッドに入ることにしよう。
 
「じっじ、ノートが見つかってよかった……」
 
「コピ? 起きてたのかい?」
 
「……」
 
寝言だった。コピもノートのことが気になっているようだ。また、続きを読んであげよう。島のことに詳しいコピなら何か思い当たることもあるかもしれない。

第14話 跳魚釣り

「おはようございます。慣れた手つきですね」

 

「いやいや、まだほんとにはじめたばかりで。知り合いの船乗りの人に竿をゆずってもらったので暇つぶしにでもなればと思いましてね」

 

「時間つぶしという割には、1、2、3、4……もう7匹もいる。これなんという魚ですか?」

 

「跳魚です。いつもだとこうはいかないから。ほんとにたまたまです。羽虫を捕食するときに跳ねるので島の人はみんな跳魚と呼んでます」

 

「餌は羽虫を?」

 

「あ、これは羽虫に似せてるだけですよ。虫を鳥の羽でつくって、水面の少し上をふわふわさせておくだけ」

 

「そうなんですね、鳥の羽さえあれば釣れるということなんだ」

 

「まあ、少しそれらしく見えるように細工はしますけど。たいした手間はかからないですよ」

 

 今朝は朝から天気がよくて、以前船長からもらった竿を持ってチャルド川に来ていた。 チャルド川は湧き水の出る池から海に流れ込んでいる小さな小川で、川といっても小さい島なので塩分を少し含んだ汽水になっている。

今日は羽虫が多いせいか、跳魚の食いつきが思いのほかいい。さっきからナツヨビがおこぼれを狙って上のほうを旋回しながらこちらの様子を伺っている。  

 

 跳魚は身がやわらかく、少し干して酢漬にするととてもおいしいので、知り合いに届けてあげると喜ばれる。マリネのようにして食べる人もいるらしい。島の周辺には大きな魚もいるようだけど、私にはここで跳魚に相手をしてもらうのがちょうどいいようだ。老人と海ならぬ老人と川というところか。今日は、草屋の先生においしいスープをいただいたお返しになればと思い朝早くから釣りに精を出している。

 

「今朝は、お散歩ですか?」  トラピさんはまだ30代だろうから、早起きするというような年でもない。

 

「僕は、もともと大道芸をやっていたので、家の中にずっといると身体がなまってしまって」  

 

「大道芸はパントマイムのようなことを?」

 

「いやいや、手品ですね。なんでも隠してしまう。よくある手品です。」ないないさんはもしかするとトラピさんが隠したのかもしれないとありもしない考えが頭をよぎった。いやいや、そんなわけはない。

 

「見ててくださいね。このハンカチを」 

そう言うと真っ白なハンカチをポケットから出して、私の手の上に乗せた。  

 

 「いいですか、ハンカチを丸めて」  

と言うと、トラピさんは自分の手で私の手を覆った。 

 

「はい、これでハンカチは消えてしまいました。手をゆっくり開いてみてください」 

 

「ほー、まったくわからなかった。これは見事だ。どこに行ってしまったんだろう」  

 

「これはほんとうに簡単な手品ですよ。種も仕掛けもありますから」

 

「人を隠してしまうこともできるんですか?」思わず口をついて出た。

 

「場合によってはやりますけど、それなりの仕掛けは必要ですね」

 

「そうですよね。そんなに簡単にできるわけでもないですよね。うんうん、それはそうだな」   

 

「また、みんなの集まったときにいろいろ見せてください。この島にはたいした娯楽もないですからね」

 

「もちろん機会がありましたら喜んでやらせていただきます。それより……」

と竿の先を指差すのでそちらをみると、竿の先がぴくぴく動いて羽が見えなくなった。

 

「あー残念、逃げられてしまいましたね」

タイミングが少し遅れてうまくあわせられなかった。 

 

「釣りの邪魔をしちゃってますね」トラピさんは頭をかきながら申し訳なさそうに言った。

 

「それより、少し持っていかれませんか。遠慮はなしですよ。島の名物も知らないとなると隣人としてほっておくわけにはいきませんからね」川に入れてあった魚籠を引き上げすすめてみる。 

 

「ほんとにいいんですか? やっぱり早起きするといいことがあるなあ」と魚籠を覗き込んでいる。

 

 うれしそうな顔を見ていると、こちらも思わず笑ってしまう。2、3匹を手にしたと思うとあっという間に手品のようにどこかに消えてしまった。

 

 トラピさんはしばらく料理の話などをしたところで、もう少し散歩してくると言ってリブロールのほうに姿を消した。 気がつくとナツヨビもいつのまにかいなくなっていた。着の身着のままでこの島に来たというトラピさん。荷物らしいものもほとんどないのだそうだ。ものがなくなる人もいるし、何も持ってこない人もいる。どこまでもモノと縁のない島だと思う。でも、モノに縛られない幸せはやってみた人にしかわからない。それが本当の自由というものだろう。

 

 さて、お土産の跳魚も釣れたから、草屋さんに行って印刷用のインキのことを相談しよう。あそこなら、きっとこの島ならではのインキがあるはずだ。



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