目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第7話 リブロールの朝 *

***** ノート *****

 
 干潟のような土地の端に立つとすぐに、そこに似つかわしくない7メートルほどの小さな灯台があることに気付きました。だれもいないこの島にぽつりと佇む姿は、まるで孤高であることを楽しんでいるかのようにさえ見えました。ただ、この手積みレンガの灯台をつくるためにかつて人が足を踏み入れていたということは間違いありません。浅瀬の多い島の周辺でミドリ鮫漁が行われていたことを考えれば、灯台も安全な漁のために必要なものだったでしょう。本に書かれていたミドリ鮫のことが事実であったのだと考えると、人の気配も感じられるような気がして少し楽になりました。
 
 灯台の建つあたりは海から2m程度の高さがありましたが、島の大部分は海抜のほとんどない土地で、人の住むことを許さないきびしい環境であることはすぐにわかりました。もし今日が潮の引く時期であるのなら、潮が満ちたときには間違いなく海に水没して島の姿は見えなくなってしまうでしょう。島と言うにはあまりにも低いその土地は、水平線との境もあいまいで、澄み渡った青空の中に溶け込んでしまいそうでした。
 
 少し先のほうになにか動くものがあったので目を凝らして見ると、それは昨日寝る前に見たもう一艘のボートでした。誰かが自分より先にこの島に渡っていたのか、それとも引き潮に流されてこの島に流れ着いたのか。メーンランドの街から2日もの時間をかけてこんなところ来る人がいるとも思えませんが、あの入り江からこの島に渡る手だてはなくなったということを考えると、ここで誰かに会うことを祈らずにはいられませんでした。
 
 おーい、おーい...
 
 広い空に浮かぶ雲はなにも答えることもなく先を急ぐように大きい空を横切って行きます。しばらく空を眺めていると、自分の立っているこの島のほうが流されているような錯覚を覚えました。そして、地面の多くは草とも海草とも判別のつかないような植物で覆われていたため、一歩進むたびにずぼりずぼりと足先が地面に沈みました。不安定な足元を確かめながらゆっくりと灯台の見える内陸に向かって歩きました。とりあえず、この島の少しでも高いところに居場所を確保することを急ぎました。天候が崩れでもしたら小さな島は波に逆らうこともできず見渡す限りの海原に押し流されてしまうことでしょう。
 
 
 世界の果てまで続く紺碧の空と海 その隙間にとぷとぷと漂うこの島
 
  
***** ノート *****
  
 灯台に来たときには、いつもこのページに書かれている情景を思い出す。彼もきっとこの場所に立って海を見渡したことだろう。今と変わらないこの360度見渡せる水平線を眺めながら、だれも知らない島の神秘に畏敬の念を感じたかもしれない。潮の心配が無用だったことだけは救いだったことだろう。干潮で土地は広がって海に沈むことはなかったはずだ。灯台を出たところの道端にある石碑に書かれている文字は長年の風雨にさらされて読むことはできないが、きっとこの灯台にゆかりのあるなにかを後世に伝えようとしたに違いない。それはノートを書いた主を弔うために誰かの手によって書かれたものなのかもしれない。そう思うとこの場所が時間を超えて遠い昔へ一本の線でつながっていくような不思議な心持ちになる。
  
 灯台を出てすぐ東に向かうと左の海辺にメーンランドで流行するジャズを聞かせてくれる喫茶店がある。私がこの島に来たばかりのころ、同じようにあてもなく一人で歩いていた人にばったり出会った。1日中本を読んで暮らしたいという私と、ジャズを聴いて過ごしたいというノルシーさんはすぐに意気投合した。いつかみんなが好きなものを持ち寄って楽しく過ごせるような島にしたいとよく話したものだ。そんな二人も今では島でもっとも古参の住人になってしまった。店先で窓を磨いているのはノルシーさんだろう。朝までお店にいることも多いからもしかすると昨夜も寝てないのかもしれない。話好きで好奇心旺盛なノルシーさんのお店には客人が絶えない。週末はいつも朝方まで明かりがついている。カウンターに座った常連客と何かを話すわけでもなくジャズに耳を傾ける時間だけが静かに流れている。時折楽器を手にして弦をはじいてみる人もいるようだけど、演奏をするわけでもない。そして、鳥たちのさえずりが聞こえる時間になるとだれに声をかけるでもなくぽつりぽつりと席を立ちそれぞれの家路につく。
 
「ノルシーさーん、おはよー!」
少し遠いとは思ったけど声をかけてみた。
 
「オルターさーん! 昨日は灯台に遅くまでランプがついてたねー! あまり根を詰めないほうがいいんじゃない!」
 ノルシーさんもこちらに気づいていたみたいだな。灯台とノルシーさんのお店の間をさえぎるものもないから、お互いの窓からよく見える。
 
 ノルシーさんの店を左に見ながら、草花の咲く小道を海沿いに数分歩くと私の店「リブロール」に着く。古来から使われているグレン語で、「ゆっくりしたとか穏やかな生活」という意味だそうだ。島に最初に届いた本の中からもらった名前だ。しかし、本屋の店名なんてあってないようなものなので、今でも名前も知らない人も多いかもしれない。
 
 店の近くまで行くとミリルさんがお店でだれかと話していた。こんな時間にだれかと思ったらコピだった。あの二人がこんな朝早くからお店で話しているのを見るのもめずらしい。とにかくコピは朝にめっぽう弱くて、午前中に姿を見かけることはまずない。
 
「おはよう、コピ。今日は早いね」
 
「トリさんのめざまし! きれいな本をどうぞ」
 
「きれいな本?」と言いながら本棚に目をやった。
 
「あ、この前入った、あの『青い扉』って本のことですよ。表紙と裏表紙しかなかった本。ページのない本なんてめずらしいねってお話をしたあの本です」
と机の上の開いて置いてある本をミリルさんが目で示す。
 
「ああ、あの絵本ね。おもしろい本だから見てごらん。ページがまったくなくてね。本と言っていいものなのかどうか。文字がないから絵本なのかな。船長の選んでくる本はいつもおもしろい。あの時も表と裏表紙しかない究極の本だって聞かないから、本ならせめて1ページはほしいと言うと、中身なんて読む側が考えるものだから、表紙だけあれば十分物語になるって聞かなかった。おもしろいことを言う人だよね」
 
「おそらにあるおまど。おひめさまとおじさまのおうち!」
 
「あら、コピちゃんすごい。そんなこと考えてたの? 私なんて『赤い扉』はあるのかなーって思っただけよ。だめだわねー」
 
「じっじはおまど?」
 
「そうだな...。ある大潮の日にこの本が海の水を全部飲み込んで、島民を救うっていうのはどうかな?」
 
「あら、それも面白いですね。本当に、そういう役に立つ本だといいわ。本棚の一番上に飾っておこうかしら。島の守り神として毎日安全祈願をしないと。お店に来た人に話すのも楽しいかもしれないですね」
 
「おひめさまもたすかるの」
くりくりした目を輝かせる。
 
「あはは、こんなふうにそれぞれの話ができてしまうのがこの本の面白いところかもしれないね。さて、今日は船が入ってくるまでここでゆっくり待たせてもらおうかな。ミリルさん、ちょっとおじゃましますよ。今日こそは船が桟橋に入ってくるのを期待しましょう。あのままじゃあ、まるで蜃気楼だからね」
 
「あら、おじゃまするなんて、ここはオルターさんのお店ですよ。どうぞ遠慮なく。ちょっと朝のお茶を入れてきますね。コピちゃんもよかったらどうぞ」
ミリルさんはティーポットにお湯を入れながら楽しそうに夏の唄を口ずさんだ。

第8話 定期船 *

***** ノート *****
 
 足を取られながらなんとかたどり着いた灯台は人ひとりがどうにか入れるほどの小さな建物でした。もともと泊り込むためにつくられたわけでもないでしょうから、一人寝られるスペースがあったことに感謝しなければいけないのかもしれません。気候もいい時期なので野天で寝起きしてもなにも困ることはありませんでした。水のなくなるような乾季がありはしないかということのほうが心配だったかもしれません。
 2つの丸い小さな窓からはいつも変わらない潮騒のきらめきが見えます。時折、水平線の端に船の陰が見えることもありましたが、一向に近づいて来る気配もなく、それは絵に描かれた船でも見ているようでした。いつまでも同じ場所に見えていたかと思うと、ある日気がつくと消えていたということもたびたびありました。どこから来る船かはわかりませんでしたが、長い航海の休憩場所にでもなっていたのでしょうか。いつも同じように通って行くものの、それらの船がこの島に立ち寄ることは一度たりともありませんでした。まるでこちらが見えていないようにさえ感じられました。
 
 島での生活は食料探しからはじまりました。最初に試したのは小さな赤い実をつける草でした。雑草のような草に食べられる実がつくものかとも思いましたが、鳥たちがついばんでいるのを何度か確かめてから口にしてみると、それはイチゴのようなちょっと甘酸っぱい味がしました。生まれて初めて味わったものでした。この実は天日干しにしておくと干葡萄のような形になり、保存食としても食べらそうでした。名前もわからないので草葡萄という名前をつけ鳥たちとの食事を楽しむ生活が始まりました。
 
***** ノート *****
 
 赤く錆びた船長の船が接岸したのはお昼を2時間ほどすぎたころだった。
 
 「やっほーい。やっとついたぜ! 爺さん元気だったか? おやおや、今日はたくさんのお客さんだ。お待たせしちまったようだな。とにかく島が見えてから長いこと長いこと。いつものことだけど、この島の周辺は特殊海域でいつまでたっても着きやしない。霧のせいもあって島影も見えたりみえなかったり、その上浅瀬だらけときちゃあ、進むものも進まないってもんだぜ。まったく、やっかいな島だな。きれいなお嬢さん元気だったかい。またちょっと休ませてもらうからな。まずはおいしいお茶でもいただくとするか」
 
 どれだけ苦労してこの島に来ているかという話を恒例の挨拶のように船長は一気にまくし立てる。船の航路からこの島に入ったことはないけれど、とにかくとてもやっかいな島だという話をいつも聞かされる。それは島から見ても同じで、見えてる距離と時間のずれは考えられないぐらい大きい。空気がきれいで遠くまで見えるせいではとか、蜃気楼のようなものではないかということで、最後はいつもあいまいなままに話は終ってしまう。
 
「船長、今日のお茶はおいしいですよ。島でとれたばかりのお茶なんですよ」
ミリルさんが赤いホーローのポットでお茶を運んできた。
 
「おー、ありがたいねー。このお茶を飲むのを楽しみに来ているようなものだからな。長旅の疲れも取れるってもんだな。おれはお世辞は言わないからな
 
「今日の荷物はちょっと大物だから。少し休んでから荷降ろしだ」
 
「あら、それは楽しみ。今度は世界一大きい本ですか?」
 
「まあ、見てのお楽しみだ」
 
「コピもてつだう」
 
「おお、コピにもお願いしないとな。とても一人じゃ無理ってもんだ」
 
 船長はみんなを驚かせたいのかどんな本かをなかなか言わなない。それだけ自信のある仕入をしてきたということか。最近メーンランドで流行っているお店のことや気候がすぐれないことなどで船長の話はつきない。
 
「そういえば船長、この前の本はおもしろかった。船長の言ったページのいらないという意味が少しわかってきたよ」
 
「おうよ。あれは無限の物語をつむぐ本だ。読む人によってどんな話でもできてしまうんだからな。俺の言ったことに嘘はなかっただろ」
 
「オルターさんが海の水をぜんぶ飲み込んでくれる本じゃないかって言われるので、島の守り神にしようかと」
 
「おいおい、海がなくなったらこちとらの仕事があがったりじゃないか。そりゃ困った本だ」
 
「うふふ、そうならないようにお祈りしましょうね」
 
「船長はあの本で何が読めたのかな?」
 
「俺はな、あの本が俺たちをどこかに案内してくれそうな気がしたんだ。そう思ったときに、この島のことを思い出したってことだな。この島ってよ、終わりじゃない気がするんだよな。なんていうか、どこかへの入り口なんじゃないかって」
 
「ほほう。そう思うかね?」
 
「俺はそう思ってる。でなけりゃ、こんな面倒な商売にもならないところに来ると思うか?」
 
 みんな、船長がいつも本を届けてくれる理由が少しわかったような気がした。あのノートを書いた青年も同じようなことを感じていたのだろうか。『青い扉』の本はコピも言うようにどこかへの窓になっているというのがいいかもしれない。ただ、それは想像世界の話ではあるのだけれど。
 
「さてと、そろそろ荷降ろしとするか。悪いがみんなも手伝ってくれ」
 
「はーい、コピちゃんもいっしょに行きましょ。オルターさんは待っててくださいね」
 
「また、爺さん扱いだな」
 
「ええ、ええ、腰でも痛めて寝込まれると大変ですから。無理をされないように」
 
 いつもながら入荷の日ほど楽しい日はない。今回の大きい荷物には何が入っているのか。船長が話すうんちくにも否応なく期待が高まる。
 
「あらー、これ本じゃないですね。コピちゃん気をつけてね」
 
船のほうからミリルさんの驚くような声が聞こえた。

第9話 印刷機

 ミリルさんが驚いたのも当然だった。船長が持ってきた荷物はとんでもなく大きいものだったのだ。
 
「コピちゃん、荷物に足をはさまれないように気をつけてね」
 
「だいじょうぶ。せんちょおといっしょ」
 
「もう少しだ、ほらこのコロの上にゆっくり下ろせ。気をつけてな
 
 荷物の下にコロを置いてやっと店内に運び込まれた荷物は大きいだけでなくて、重さも人2、3人分もありそうに見える。船長は何を持ってきたのだろう。
 
「よし、ここらでいいだろう。梱包を解くから爺さんも手伝ってくれ」
 
「また、しっかり梱包してきたものだね」
 
「そりゃあ、そうだろ。なかなか手に入らないからな」
 
 最初、本棚かと思ったものは、開梱しはじめてみると機織り機のようにも見えた。
 
「これ、机じゃないですか?」ミリルさんが言った。
 
「ほら、これを取り付けてみろ。その大きなねじの下に。そうだ、それでいい。それがつけばわかる人にはわかる」
 
「なーに、これ?」コピもさっぱりわからないみたいだ。
 
「ああ、歴史ものの印刷機だね、これは。それもかなりの骨董品だ」
 
「さすがお目が高い。爺さんの言うとおりだ。かなり昔の印刷機だな。というか、おそらく活版印刷がはじまったころに作られたものだろう」
 
「えー、そんなに古いものなんですか?」
 
「そうともよ、こいつはなかなか手に入らないものだ。市場で知り合ったの骨董屋の納屋で偶然みつけたんだ。その場で買い取った。誰かに買われる前にな。もちろん使うには古すぎると言いくるめて破格の値段でいただきよ」
 
「それを何でここの本屋に?」
 
「こんなでかいもの置くとことなんて俺のちっぽけな住処にあると思うか? すぐに思いついたね。ここに置けばいいって」
 
「あら、今回は本の販売じゃないんですか?」
 
「そうとも言えるし、印刷機は本の素と考えれば本を売っているとも言えなくもない」
 
「すごいこじつけ...…ミリルさんが笑いながらこちらを見ている。
 
「それは冗談としてな、爺さんがいつも読みふけっている例のノート、あれを印刷しておいたほうがいんじゃないかと思ったわけよ。あれには、こういう歴史ある印刷機が似合うだろ?」
 
 船長の発想にはいつも驚かされる。あれを本にしようなんて思いもしなかった。
 
「それを、あの『青い扉に』綴じ込むんだ。そうすりゃ、世界最高の一冊ができるってわけだ。どうだ、おもしろくねぇか?」
 
「それじゃあ、物語がひとつだけになっちゃいますよ?」
ミリルさんが怪訝な顔をした。
 
「それがひとつの話になるのかどうかなんて誰にもわからないだろ? あのノートも全部がそろっているわけじゃないしな
 
 そう言われてしまうと納得せざるを得ない。ノートのすべてなんてだれにもわからない。残りのページが見つからない限りは未完の本とも言える。
 
 外で赤く錆びた運搬船が船長の話にうなづくように波に揺られてぎっしぎっしときしむ音を立てている。船長と話していると潮の流れに乗ってノートの作者の書いた物語に流れ込んで行くような気がしてきた。
 
「ノートを本にするだけじゃなくて、印刷機を使って島の新聞でも作ったらどうかとも思ったわけよ。この島の魅力をメーンランドの人にも知ってもらいたいと思ってな。こんないいところはどこの国に行ったってみつかりゃしないぜ。俺の知る限り最高の島だ。空気はいいし、見たこともない自然がたくさんあるし、時間も止まってしまうんじゃねぇかと思うほどゆっくりだ。その上、住人がみんなとびっきりのお人好しばっかりときちゃあ言うことないだろう」
 
「島の新聞をつくれということかな?」
 
「チラシか手紙のようなものでもいいな。このところのメーンランドは忙しすぎる。実際に来られなくったっていいじゃねぇか。そんなところからもらう新聞でも手紙でも読んでりゃあいっときでも忙しい時間から離れられるだろ?」
 
 そんなことは考えたこともなかった。自分たちで楽しむことだけを当たり前のように思っていたけど、神から与えられたこの島を独り占めにしてしまう理由なんてなにもない。ノートの主も仕事に忙殺された生活から離れるというのが旅の理由のひとつだったというようなことを書いていた。これもなにかの縁かもしれない。心はすぐに決まった。
 
「もちろん、そういうものをつくっていれば、ノートの残りに関連した情報が入ってくる可能性もある。どうだ、いい考えだと思わないか? 爺さんがくたばるまでにノートの謎も明らかになるってわけだ」
 
「おいおい、まだくたばるつもりはないよ」
 
「まぁ、その後は俺が引退してここに来るから心配しないでいい」
 
「まあまあ、二人でなんの話をしているんですか。それで、これはどうやって使いましょうか? よかったら私が印刷係を買って出てもいいですよ」
 
「おお、そりゃ心強いな。爺さん、話は決まった。次からは戻りの積荷もできるってことだな。売り上げの半分は店に落とすから心配しないでいい」
船長がにやりとしてこちらを見る。
 
「みんなの負担のことを考えただけで、商売なんて考えないよ。船長の話にはいつもうまく乗せられてしまうけれど、冥土の土産にちょうどいいかもしれないし」
 
「あら、オルターさんもご冗談を。そんな話ばかりしてないで早く印刷機の話を聞きましょうよ。コピちゃんがもう興味深々ですよ」
 
 今回も船長の思いもかけない掘り出し物で話がはずんだ。なんだかまた面白いことが始まりそうな気がしてきた。明日からは島を見る目も変わりそうだ。そして、持ち主だった人がメーンランドに持っていったかもしれない残りのノートのページもほんとうにみつかるかもしれない。
 
 船長の説明と試し刷りは夕方まで続いた。黒い印刷インキが夜の帳と重なって仕入のあわただしい1日が暮れていった。

第10話 島便り +

 船長の置いていった印刷機を使って、すぐにでもなにかを刷ってみたくてなかなか寝付けなかった。結局翌日も、大人気もなく朝早くから目が覚めた。これではまるで子供だと思いながらも、夜が明けるとすぐにだれもいないリブロールに行った。あらためて印刷機を眺めてみると、年月を経た木肌になんともいえない風格を感じる。最新の印刷機では見かけない独特の金属活字が味わい深い。この文字に惹かれたたくさんの人の手を渡ってきたのだろう。作業台の表面はつるつるで、インキのシミもあちらこちらにある。眺めているだけでも使い込まれた道具の温もりを感じる。ミリルさんが印刷係をやってくれるというのなら、船長が言うように島の新聞をつくるというのはいい考えかもしれない。


 ホーローの赤色ポットでコーヒーを入れながら窓の外に目をやると、船長の船はまだすぐそこに見えた。もう10時間も前に桟橋を出たのに、いつものように外洋に出るのに手間取っている。こんな面倒な島に来てくれてほんとうにありがたい。もしかすると、この島を一番愛しているのは船長かもしれない。


「おはようございます」入り口のほうから声が聞こえた。


「あ、ミリルさん、おはよう。今日も早いですね」


「いえいえ、今日も特別ですよ。この印刷機が気になったので早く目が覚めちゃいました。オルターさんもですか?」


「ほんとうに思ったように印刷できるものかどうか早く試してみたくてね。今、灯台から持ってきた機械油を差していたところです」


「これだけ古いものだと、飾るだけの骨董品として保存されていたのかもしれないですものね。ほんとうに何百年も前の人と同じように使えたらすてきですけど」

ミリルさんも私に負けず劣らず好奇心が強い。


「こんな珍しいものを使わせてもらえるなんて、ほんとうに本屋冥利に尽きるね。これを納屋にしまい込んでしまっては作った人に申し訳ないというものだ」


「メーンランドの人に向けて新聞が出せるなんて考えただけでわくわくします」

ミリルさんもすっかりその気になってるようで、気がつくと操作方法の確認をはじめていた。

 

 紙と鉛筆を持って、最近島で起こったことを思い起こしてみる。今週に入って、夏を告げるナツヨビが数羽飛来してきたのはもうみんな知っているだろうか。エモカさんの長時間発酵のパンの話しもいいかもしれない。エモカさんの了解が得られれば、あのおいしさをみんなに教えてあげたい。こうしてみると、この小さな島にもいろいろな話題がありそうに思える。

 

 ナツヨビは春の終わりのころになると南から渡ってくる。熱帯地方の鳥で白地に淡い水玉模様のあるとても珍しい鳥だ。ヒョウやキリン、牛のような模様ではなく、ほんとうに水玉の斑点なのだからおもしろい。この島に来るまで自然界にこんな模様の動物がいるとは思いもしなかった。水玉模様の動物はナツヨビに限らず他にもみられるから、この地域だけに生息する特異な種なのだろう。もし、水玉模様の動物を見ることがあったら、この島から渡って来たと思っていいかもしれない。

 

 

「昨日、コピちゃんが配達を担当してくれるって言ってましたよね」

 


「あれはいい考えだね。あの子は島の隅々までよく知ってるから、配達さんとしてはうってつけだ。はじめは島内に向けてつくってみるのもいいかもしれないし」

 

「コピちゃんはみんなに好かれているし、記事になるいろいろな情報も集めてくれそうすね」

 

「そうと決まったら、記念すべき第一号の記事をさっそく考えることにしましょう」

 

「そうだ、オルターさん、ちょっとお願いを聞いていただけますか」 


「なんですか?」 


「新聞になくしもの欄もつくってもらえないでしょうか?」 


「なくしもの?」 


「ええ。ずっと考えていたんですけど、この島って物がなくなることが多くないですか?」 


「ああ、鳥のいたずらだね。しばらくするとちがうところでみつかることもあるけどね。それにしても多いことは間違いないですね」 


「東浜に住んでいるお友達のないないさんは……
あ、ロスファさんのことです。いつもないないってなにか探してます。ものがなくなるのを気にしていると、この島には住めないですけど……」 


「島の掲示板に時々貼られている ”探しもの” の張り紙を欄外記事のようにしてあげればいいのかな?」 


「そうしていただければ。ないないさんのほかにも困ってる人いるみたいなんです」

 

 ないないさんは物忘れをするような年とも思えないから、動物かなにかのいたずらだろうけど、これを毎号載せるのはさすがに気が引ける。きっと島の印象も悪くなってしまうだろう。とりあえず島の中だけの限定の発行のときだけにしておいたほうがいいかもしれない。島の人なら、なくなることをいちいち気にするような人もいない。のんびりしすぎかもしれないけど、そういうところもこの島のいいところだ。

 

「わかりました。ちょっとどうしたらいいか考えてみましょう」

 

 

「よかった。それで、新聞の名前はもう決められました?」

 

「新聞というのも大げさだから、とりあえず ”島便り” という名前にしておいたらどうでしょう。南のどこか遠くの島から届く季節の便り。のんびりとした島の生活をお届けします。というのはどうですか?」


「それいいかもしれないです。町の人たちもきっと遊びに来てみたくなりますね」

 

 

「お昼までにはなにか原稿を書いてみるので、午後からためしに印刷してもらっていいですか? 文字は少なめにしますから」

 

「まかせてください。第一号のお手伝いをできるなんてがんばらないと。リブロールのお店番をしていてほんとうによかったです。きっと、島の人たちやメーンランドの人たちをつないでくれるすてきな新聞になりますよ」 


「それは私をかいかぶりすぎかもしれないですよ 。とにかくひとつ作ってみないことにはね」

 

 そのとき、海の上をナツヨビが2羽すーっと横切った。もしかすると、彼らの島に私たちが住まわせてもらっているのかもしれない。ふとそんなことを思った。

 

 

第11話 なくしもの

ごとん、ごとん。ぎーぎー。

 

ごとん、ごとん。ぎーーぎー。

 

 思った以上にきれいに刷れている。数百年前の印刷機とは思えない仕上がりだ。とくにインキの瑞々しさがすばらしい。島で採った夕暮草の顔料がこの印刷機にあっているのだろうか。

 

「ないないさん、なくしものの記事はこんな感じでいいでしょうか?」

 

 ミリルさんに呼ばれて来ていたロスファさんに尋ねてみる。

 

「ええ、ええ、もうこんな風にしてもらって何とお礼していいやら。ほんとにほんとに」

 

 最近島に来たばかりのロスファさんは、とにかく遠慮深い人だ。先に住んでいる人に迷惑をかけないようになんでも自分でやろうと一生懸命にがんばっている。それなのにこの島はないないさんにやさしくないようだ。

 

「ないないさん、島はいい人ばかりですから、心配しないで大丈夫ですよ」

 

 面倒見のいいミリルさんがやさしく声をかける。

 

「ええ、ええ、とてもとても助かってます。もう、わからないことだらけな上になくしものばかりで。ご迷惑ばかりおかけして」

 

「とりあえず、枕だけでだいじょうぶですか? もし他にもあれば……」

 

 なくしものがたくさんあると聞いていたので一応確認してみた。

 

「いえいえ、もう枕さえみつかれば、あとは自分でなんとか探し出しますので。心配しないでください。きっと風でどこかに飛ばされているに違いありませんから」

 

 刷り上ったものを見ながら、ないないさんは何度も何度も頷いている。

 

「島便りという名前好きです。これをメーンランドの人が見れば、きっとすぐに旅支度をはじめるでしょうね。ほんとに、ほんとに。ここに書かれている水玉模様の鳥がいることすら知らない人も多い」

 

 ないないさんも新聞を気に入ってくれたようだ。

 

「じゃあ、さがしものがあるので、このあたりで失礼させていただきます。ほんとに、ほんとに、ありがとうございます。枕はみつからなければ、それはそれでなんとでもしますので。お気持ちだけでありがたいことです」

 

 ほんの10分ほどいただけで、またなくしもの探しに出かけてしまった。あんなに一日中さがしものをしていたんじゃあこの島のゆったりした時間なんて楽しめないのではないかと心配になってしまう。

 

「ミリルさん、これなかなかいい出来ですね。とても年代ものの印刷機で刷ったものとは思えない仕上がりですよ」

 

「私は言われたとおりにやっただけなので、印刷機のおかげですね。この印刷機は島になくてはならないものになりそうですよ。コピちゃん、どう思う?」

 

「なくてはならないもの? なくてもなるもの? コピにはよくわからない」

 

「あはは、ないと困るものだから、ないといけないものだな」

 

 椅子の上にハンカチが置いてあるのに気づいた。ないないさんが汗を拭いていたハンカチだ。ないないさんはものわすれをよくする人かもしれないと思った。無意識のうちに枕をどこかにおいてきてしまったのかもしれない。

 

「ないないさん、今度はハンカチがないないって探してるかもしれないな」

 

「え?」

 

 ミリルさんが不思議そうにこちらを見るので、椅子の上を指差すと、すぐに気づいて笑いをこらえていた。

 

「コピはもうくばるの?」

 

「もう少しまってね。インクが乾いたらお願いするわね。それより、乾くまで発行記念のお茶パーティーはいかが? 草屋さんでおいしいハーブティーをいただいてきましたよ」

 

「それはいいね。ひと仕事した後のお茶は格別です」

 

「コピにもおちゃちょうだい」

 

「はいはい、配達さん。たくさん飲んでいってくださいな。みんなに幸せを届けてあげてね」

 

 新聞発行をした数日後の赤い満月の日に、ないないさんその人の行方を尋ねる島便りを出すことになるとは、このときは思いもしなかった。枕がみつかったという連絡を最後にその姿を見かけなくなってしまった。島を突然出て行く人はたくさんいるけど、食べかけのパイをテーブルに置いたままで消えてしまった人はいない。地面が少し揺れたときだったので、大潮に流されてしまったのではという人もいたけれど、それにしては食事途中の台所は不自然だ。みんなで探したけれど、その消息を知るものはなにもみつからなかった。メーンランドのほうに戻ったのであればいいのだけど。



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