目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

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第34話 二人だけの話

 翌日も天気に恵まれ、絶好のユイロー日和になった。コノンさんはいつもと同じように朝から元気そうに見えて安心した。お祖母さんの家事の手伝いをしながら、ユイロー採りの準備をしている。それを見ていると、オールドリアヌとリアヌシティの二重生活は大変ではないかと思わずにはいられない。ただ、彼女にとっては子供たちもお祖父さん、お祖母さんもかけがえのないものであるのはよくわかる。どちらかだけにするというのは考えられないだろう。

 

 昨日と同じように、水筒にお茶を入れてもらい、ジノ婆さんへも差し入れを持って行くことになった。やはりみんな気にかかっているのだろう。いつもなら舟で行くところだけど、まだ氷の残るところもあるので、歩いて行くことになった。小型の荷車をコノンさんと交代で引きながらユイロー畑を目指すことにした。

 

 道すがら二人だけで話す時間がたっぷりあった。周りに気を使わないで話せる貴重な時だ。これも雪のおかげと考えることにした。

 

「オルターさんはいつまで村にいるご予定ですか」

 

「もうそろそろ帰らないといけないのですが、知りたいことが多くて」

 

「公書館で何かわかったことはありましたか」

 

 コノンさんもノートのことについては気になっているのだろう。興味深そうに聞いてくる。そんな話で気分転換になるのであれば、お安い御用だ。ホーラーと友達になれそうだと言うと、自分のことのように喜んでくれた。洪水の話については、お祖父さんと同じで既知のことだったようだ。村人なら口にはしないでも誰でも知っていることなのだろう。

 

 いろいろ聞くつもりでいたのが、気が付くと聞かれる側になったまま話が続いていた。コノンさんがあえてそうしているのではないかと思うほどに質問は尽きなかった。しばらくは村での体験を報告しながら、こちらが話すタイミングを待った。

 

「そういえば、コノンさんはウォーターランドでスロウさんに会いましたか」

 

「知らない方だと思います」

 

 ロウルさんについても知っているけどあまり面識はないとのことだった。そうなると、そっくりな二人を知る人間は自分だけということになる。スロウさん本人が来るのを待つしかない。ただ、スロウさんがメーンランドに向かったのは意識世界での話だったようにも思うので、実際はウォーターランドを出ていないのかもしれない。記憶が曖昧に薄れていく。

 

 ここでも湖底の石窟のことを話すのはやめにした。もう少しいろいろなことがわかってからのほうがいいだろう。それはスロウさんへの礼儀でもある。

 

「ウサギを島へ連れて行くのが楽しみですね」

 

 この話題ならなんでも気兼ねなくなんでも話せるだろう。

 

「早く、行きたいです。子供たちもきっと喜ぶと思います」

 

 ウサギだけの話とか思っていたけれど、コノンさんの中では子供たちも含めての話だったことに驚いた。もしかすると、家族の家をウォーターランドに作ろうとしているのだろうか。子供たちをリアヌシティから救い出そうと考えているのかもしれない。洪水の起こるオールドリアヌでも、感情の交流のないリアヌシティでもない新天地、ウォーターランドをそういう風に見ているとしてもおかしくはない。

 

「話せなければいいですけど、コノンさんはボルトンとの関係を教えてもらうことはできます」

 

「家族の家の主催者なので、関係というより支援者ということになります」

 

「もしかして、あのヨシュアさんもボルトンの人なのですか」

 

 コノンさんは不思議そうな顔をしながら小さく頷いた。家族の家で何か気になることがありましたかと聞かれたけれど、具体的に話せることがあるわけではなかった。ただ、薄々感じてはいたけれど、家族の家もリアヌシティのコントロールの元にあるということにちょっとショックを受けた。原因を作ったところからの支援で本当の意味の救済になるのか気になる。悪くすると問題隠しにならないだろうか。ボルトンのもとでコノンさんの思いはどこまで伝わるのだろうか。子供たちはほんとうに救われるのだろうか。コノンさんの純真さはどこまで疑いを持たない。

 

「深入りして申し訳ないですが、ご両親はリアヌシティに?」

 

 コノンさんはためらいもなく、あの子たちと同じですと答えた。一瞬何を言っているのかわからなかった。

 

「私たちはライブラインに入れないんです。適性がないらしくて」

 

「感情の交流ができないということですか」

 

「詳しいことはわからないですが、リアヌシティのライブラインに入れないと、家族との関係も消えてしまうらしいです」

 

 そんな馬鹿な話があるかと耳を疑った。はじき出された子供たちが家族の家で昔ながらの交流をしているというのはどういうことなのだろう。家族の家という名前が皮肉としか思えない。

 

「それでウォーターランドに子供たちと行こうと?」

 

「そうですね。それはボルトンも賛同してくれています」

 

 コノンさんの口からボルトンという言葉を初めて聞いた気がする。サーカス小屋でボルトンと話している記憶が蘇ってきた。見えなかった話が一本の線でつながっていくのを感じた。ネイコノミーとボルトン、水の革命、クラウドタワー、家族の家、ウォーターランドの水、ばらばらだったピースがひとつの絵になろうとしている。リアヌシティの完成に向けたロードマップに合わせすべてが進んでいるのだ。クラウドタワーの中枢の計画通りに。

 

「彼らはどうしてタワーに登るのでしょう」

 

 コノンさんがいつになく元気そうなのをいいことに、避けていた質問を大人げもなく口にしてしまった。

 

「私にもわかりませんが、オルターさんが、オールドリアヌに来られ、私がウォーターランドに行くのと同じなのではと」

 

 コノンさんは、家族の家に足りないものがあるということを言っているのだろうか。ただ、それがコノンさんの言葉でなく、ヨシュアさんの言葉のようにも聞こえた。コノンさんの心中を察するのは簡単なことではないかもしれない。

 

「ノートの謎が解けるといいですね」と話を戻された。

 

 コノンさんの気遣いを感じたが、リアヌシティを知れば知るほど、その答えを知らない方が良かったということになる不安が過ぎる。ノート氏の向かった先と自分の過去が悪い方でつながらないことだけを祈る気持ちになる。雪解けでぬかるみ、固まった道は荷車の車輪を滑らせ思うように進ませてくれない。自分の辿る道ははたして希望の道になるのだろうか。

 

 湖畔の道を歩くうちに、二人の考えは、先にジノ婆さんを訪ねることで一致した。まずは元気な顔を見ないと落ち着いてユイロー採りもできない。


第35話 昏睡

 小屋は雪に閉ざされていた。雪かきをした気配もない。中に人がいるとは思えない佇まいに以前来たとき以上の驚きを感じた。さすがにこれではあの歌うように揺れていた草花も枯れてしまったかもしれない。

 

 コノンさんが中に入ると言ったかと思うと、一刻を争うような勢いで雪を書き出しはじめた。すぐに手伝ってドアをこじ開けた。この雪で閉じ込められたとしか思えなかった。小屋の中に入ると、ジノ祖母さんは寝床で横になっていてまったく動きそうな気配がない。雪かきに来なかったことを後悔した。だれかが来ているというのは誰も来ないということではなかったかと今更思ってみてもすべては遅すぎた。

 

 コノンさんがお祖母さんの顔に耳を近づけて呼吸を確認している。青白い顔からは息の音は聞こえない 。コノンさんの気丈さをこういうときに感じる。こちらが慌てているのに落ち着き払って対処しているのだから大したものだ。しばらくすると腕を取って脈をみはじめた。すべてを知っている村一番の長寿の人を失うことになれば、先行きにも暗雲がたちこめるのは間違いない。

 

 そんなことより、まず目の前に起こっていることへの対処をどうするのかが気になりはじめた。急いで医者を呼んでくる必要があるかもしれない。その前に暖房を入れるべきか。そのとき、コノンさんがこちらを向いて微笑んだ。

 

「ジノ祖母さんはよく寝る人だからだいじょうぶです」

 

 寝ているという言葉に耳を疑った。死んだように寝ているというのか。この寒さで寝ていられるというのはとても尋常ではない。

 

「え、冬眠をしているということ?」

 

 この場合、冬眠という言葉が合うとは思えなかったが、どう見ても冬眠にしか見えないのだから仕方がない。

 

「うさぎもここでは冬眠します」

 

 うさぎと同じというコノンさんの言葉に耳を疑った。

 

「でも、人間が冬眠するのでしょうか」

 

「ジノ婆は普通の人ではないですから。そうじゃないと何百年も生きられないかもしれません」

 

 そんな話に納得できるわけはないと思いながらも、そうやって生きてきたのだと言われると信じないわけにはいかなかった。答えは目覚めたときにわかるということか。

 

「じゃあ、起こさない方がよいですか?」

 

「とりあえず、ユイローを集めてからもう一度来てみましょうか」

 

 納得できない話だったけれど、ジノ婆さんと長い付き合いのコノンさんの意見にしたがって、ユイロー集めを先にすることにした。何も知らない自分が口を出すことはよくない結果をもたらすかも知れない。後ろ髪を引かれる思いをなんとか押さえて小屋を後にした。途中、六角錐を見に行くと、トラピさんとナミナさんのものがあるのがわかった。それはひとつの六角錐に二人の名前が刻まれていた。二人はこの地を終の棲家にしたようだ。あの二人が新しくオールドリアヌの住人になるということは、とても心強いものの、ウォーターランドからすると寂しいこととも言えなくもない。それでも、二人の幸せそうな姿はこの村にぴったりだし、それこそ村の未来として大いに歓迎されることだろうと思うとうれしさがこみ上げてきた。ほんとうによかった。スロウさんではなく、ロウルさんとの関係が強くなることもあわせて、自分自身も少しずつオールドリアヌに吸い寄せられていく気がしないでもない。

 

 そこまで考えたときに、洪水の話を思い出してしまった。あの二人は洪水のことを知っているのだろうか。ナーシュさんが本当に約束を守るというなら、リアヌシティとの約束をしたときに洪水を回避することまで考えているのかもしれないと勝手な期待をしてしまった。

 

 ユイローはこんな寒い季節でも枯れることもなく青々と茂っていた。寒暖のどちらにでも対応できる植物というのもめずらしい。ウサギたちも餌の心配をしなくてすむというものだ。コノンさんと手分けして刈り取りはじめた。こういう作業をするとユイロー湯のことを思い出してしまう。こんな季節であれば身体も温まるし、最高の時間が過ごせるのにと思うと残念で仕方がない。

 

 草の間でこそこそという音がすると思ったらウサギが隠れていた。コノンさんのほうを見ると気がついていたようで、指を口にあて静かにというしぐさをしていた。息をこらして様子を見ていると、ぴょんぴょんと跳ねて離れていくのがわかった。二人でそっとその後を追うと、消えたあたりにウサギの穴があった。なんとも言えずむき出しで無防備に見えて思わず笑ってしまった。彼らもこの土地の仲間なのだと思うと愛おしく思えた。いつまでもこの自然が守られる方法はないものなのだろうか。

 

「コノンさんは、この子たちを救うためにリアヌシティに連れて行ったのですか?」

 

「いえ、あれは子供たちのためで。ウサギたちには申し訳ないと思ってます」

 

「それでみんなウォーターランドへということですか」

 

「そうですね。そうすればみんな幸せになれそうで」

 

 コノンさんの考えていることがわかった。彼女は自然豊かで洪水のないところを望んでいるのだろう。そうすればみんな幸せに暮らせる。その気持ちはわからなくない。ただ、そこにボルトンが絡んでいるから話が面倒なことになっているだけなのだ。それにしてもこの話の根っこに何があってこんな複雑なことになっているのか、考えれば考えるほどにわからなくなってくる。

 

「オルターさん、もうこれぐらいで大丈夫です。ありがとうございました」

 

 ユイロー集めをいつもはコノンさん一人でやっていると思うと、ほんとうに彼女の努力には頭が下がる。ホーラーにでも手伝ってもらえないものかと思ってしまう。あれでは力の持ち腐れというのものではないか。

 

 ユイローの葉は刈り取りなので、ユイローの実を見ることはなかった。それでも気になって掘り起こしてみると根の周りにたっぷりとユロミが生っているのがわかった。なにかの役に役に立つかもしれないと思い、掴み取るようにしてポケットに入れた。このユロミでナーシュさんが何かのきっかけをつかんだのかもしれないのだ。コピの好きなユロミが何かを教えてくれるかもしれない。

 


第36話 夢想

 小屋に戻ると、ジノ婆さんは出る前と同じようにこんこんと眠ったままだった。ジノ婆さんは冬眠すると言われても、はいはいと信じられるような話ではない。それがコノンさんの言葉であったとしてもだ。目の前で寝たきりのジノ婆さんを見ると心配な気持ちはさらに増すことになった。

 

「コノンさん、だいじょうぶなのですか?」

 

 コノンさんはジノ婆さんに目を向けたまま小さくうなづいた。これまでと同じように目覚めの時を待っているのか。

 

「熱もないですし」

 

 人は死ぬときには熱を出さないのではないかとも思うけれど、この場合は熱のないのがほんとうに良いことなのだろうか。いざという時、この村には医者はいるのかも心配になってくる。いないのは健康で長寿である証だなど言ってられない。

 

「ジノ婆さんは、いつまで眠ているのでしょうか?」

 

「1日のときもあれば、一週間のことも」

 

 そうか、冬眠と言っても数ヶ月も寝るわけではないのだ、冬眠自体が自分の勝手な思い込みだとわかって少し気が楽になった。人は7時間しか寝られないというのも決めつけかもしれないし、ひどく疲れると24時間ぐらいなら寝てしまうこともある。ジノ婆さんがよく寝るのは特殊な代謝のせいで、そのおかげで寿命が伸びているとしたらわからない話でもない。余分なエネルギーを使わなければ、通常の数倍も寿命が延びるということだ。考えてみるとコノンさんのお祖父さんやお祖母さんも時間さえあれば寝ている。寿命を細く長くすることは村の生き方そのものかもしれない。余分な力を使わず、ゆったりした時間にあわせれば、身体に余計な負担もかからず、消耗を最小限にできるのだろう。

 

 閉じられた小さな小屋の中でそんなことをつらつら考えていると、それまでまったく動かなかったジノ婆さんが不意に寝返りを打った。

 

「ううう、どこに……いる……の、か」

 

「どこにいるのかと言いましたよ、ジノ婆さん」コノンさんの顔色を伺った。

 

「いつもなんです」

 

 ただ、何を探しているかはわからない。誰を待っているのかもわからないと。

 

「ジノ婆さんが帰りを待っているという人でしょうか」

 

「私はそう思うのですけど……」

 

 旧宅に置かれていた花を思い出した。ジノ婆さんは村を出て生き別れになったままの誰かをずっと待っているのだろう。きっとそれは冬眠の間も忘れることができないほどに大切な記憶なのだ。

 

「オルターさんは意識のなかったときはどうでした?」

 

 一瞬なんのことを言われているのかわからなかった。

 

「あの時も数日間お目覚めにならなかったですよ」

 

 そうか、この状態は自分が湖畔で意識を失ったときと同じということを言っているのだ。コノンさんに言われてはじめて、ジノ婆さんも意識世界に行っているのかもしれないと疑い始めた。もしかすると、向こうの世界にいる誰かを探しているのだろうか。それがノート氏だとしたら、いやナーシュさんかもしれない。それとも若い時に生き別れた人だろうか。

 

「あの、私もあの時何かうわ言を言ってましたか」

 

 コノンさんは微笑みながら何も聞いてないと言った。

 

 意識世界は夢の世界と何が違うのだろうか。ジノ婆さんが夢占いでお告げと伝える巫女だとしたら、寝るのが商売ということだ。夢を見るように意識世界を行き来する術を知っているのだろうか。いずれにしても、ジノ婆さんが起きないことにはすべては推測の話だし、無事に起きてはじめて、何日も寝る話の信ぴょう性を得られるというものだ。

 

 しばらくジノ婆さんの様子を見守っていたが、うわ言のあとはまた死んだように身じろぎもせず、眠りの淵に沈み込んで行った。

 

「コノンさんも、長く寝たことはありますか」

 

「昨日は久しぶりに」

 

 それは、そうだ。家族の家の手伝いを考えればゆっくり寝てなどいられないのはわかりきったことだった。疲れて寝ていれば夢を見ることもないだろう。

 

「想像することはあります」

 

「寝ていることをですか」

 

「あ、そうではなく、起きている時に夢をみるというか。子供たちとどこか幸せな土地へ移り住むような」

 

 コノンさんが言っているのは、寝ているときの夢ではなく、目覚めている時に夢をいろいろ考えるという話しだった。寝ているときの夢と起きているときの夢想がつかず離れず形になっていくようななんとも言えない気分になった。ジノ婆さんの見た夢は明日起こることを予見することになるのだろうか。


第37話 二匹の猫 

 ジノ婆さんの様態を見ながら1、2時間が過ぎただろうか。

 

「コノンか?」

 

 ジノ婆さんは何事もなかったように静かに目覚めた。

 

「雪たいへんだったね。寒くなかった?」コノンさんが聞いた。

 

「ふほほ、なんのことはない。これもノイヤールの思し召しだ」

 

 こちらの心配を知る由もなく、まるで課されたものか、天の恵みでもあるかのような口ぶりだ。過去の洪水を経験してきた身からすれば恐るに足らずというところなのだろうか。コノンさんの言うとおり心配は取り越し苦労だったようだ。

 

 コノンさんがいるとジノ婆さんが饒舌なのにちょっと驚いた。知らない人間が来た時と大違いだ。

 

「うぬは?」

 

 ベッドから身体を起こしながら、不吉なものを避けるような目で見られた。前回来たことを覚えていないのか、話をしてないのであらためて確認されているのかはわからない。

 

「オルターと申します。今日は、コノンさんとユイローを……」

 

「ユイロー……か」

 

 そう言うと、事情がわかったとでもいうように首を左右に振りながら頭を下げた。寝覚めた直後でまだ意識が不安定なのかもしれない。それでも、コノンさんのおかげで警戒心が少しずつ解かれていくのがわかる。

 

 お茶を入れると言いながらコノンさんが立ち上がった。そちらに目を向けると窓の外にノイヤール湖の水面のきらめきが見えた。まだ、氷の張っているところも多いだろうけど、あの下にドットトラウトが息を潜めているかと思うとどうにも気持ちが落ち着かなくなる。意識を失いそうな予兆を感じるわけではないけれど、ジノ婆さんの目覚めを見たことで、その入口が大きく口を開けているように思えなくもない。

 

 そんなことをつらつら考えていると唐突に「なにも、心配はない」と独り言のようにジノ婆さんが言った。雪のことを言っているようにも、意識世界へ落ち込む恐れのことを言っているようにも聞こえた。表情を読まれたのだろうかとも思ったけれど、すぐに目が不自由なことを思い出した。

 

  ジノ婆さんはベッドから起き上がると、手探りで椅子を探しゆっくりと腰掛けた。

 

「どこからか」

 

 多少なりともこちらを気にしてくれているようだ。悪いことではない。

 

「ウォーターランドという南の島から来ました。灯台がある小さな島です。うたた寝のできる本屋をやっています」

 

 ジノ婆さんは天を仰ぎ、しばらく考え事をするように押し黙ってしまった。なにか気に障ることでも言ったのではないかと、自分の言ったことを反芻してみたが、嫌な気分になるようなことは言っていない。気持ちを落ちつかせて次の言葉を待ったが、二人向かい合って座っているうちに間が持たなくなってしまった。場つなぎと思い横にいた猫の話をしてみた。

 

「猫がいるんですね」

 

「気まぐれな居候よ」ジノ婆さんが足元にいた猫を撫でながら言った。

 

 気まぐれ……猫はいつでもそうだ。ジノ婆さんにも飼っているという意識はなさそうだ。勝手に居着いただけなのだろう。それにしても見れば見るほどにインクと瓜二つだ。名前を聞いてみたけれどないという。猫のほうはそれを知ってか知らずか、飼い主でもないジノ婆さんに身体を押し付けている。もしやと思いインクと呼んでみると、ゆっくりと歩み寄って来た。近くまで来たところでくるりと背を向けて座った。その瞬間ウォーターランドの灯台に戻ったような錯覚にとらわれた。ウォーターランドとオールドリアヌは遠い、そのふたつの点を結ぶように同じ色の猫が居ついている。青い色の艶っぽくなめらかな毛並みだけが真実を物語っているかのように目を捕らえて離さない。

 

 それを見ていたコノンさんが、オルターさんはともだちみたいですねと言った。インクであれば、間違いなく友達なのだけれど、この離れた土地にいる猫なのだからそうとも言えない。

 

 ジノ婆さんは無表情のまま、猫のほうを見ている。ジノ婆さんにつかず離れず寄り添い生活する猫は妙に存在感を感じさせるけれど、それを感じているのは自分だけなのだろうか。

 

「ふほほほ、近いな」

 

 ジノ婆さんが猫に話しかけるかのように言った。あえて聞き手に判断をまかせるような言い回しをしているのか、何かの確信をもって言っているのか判然としない。洪水が近いと言っているのだろうか、あるいは意識世界が近いと言っているのか。それとも単に猫との距離か。それを質問しようとしても、心を見透かされているような気がして言葉が出てこない。近いという言葉が時間と距離の両方を言い表しているのだとしたら、時空を超えているなにかともとれる。いや、たぶんジノ婆さんはそのことを言っているに違いない。きっと、それをわかるかどうかを試されているのだ。気がつくとジノ婆さんの世界に取り込まれているような気がしてきた。これが村を守ってきたジノ婆さんの力ということか。

 

 

 ジノ婆さんに心を読まれているような感覚を感じているうちに、リアヌシティのライブラインもこういうコミュニュケーションになっているのかもしれないと思いだした。しゃべらずともわかり、感情さえもコントロールされる世界はあるのかもしれない。

 

 ジノ婆さんの膝の上ではインクに似た猫が喉を鳴らしている。二匹の青い猫は遠くて近い一匹の猫ではないかと考えると、背筋を冷たいものが走るのを感じた。インクは赤い灯台にもいたはずだ。世界が二重、三重に重なって見え始めた。

 


第38話 水の声

 コノンさんが淹れたてのお茶を進めてくれた。ジノ婆さんの話しに気を取られて寒さすら忘れていた。おいしいですねというと、カルミーナティだと教えてくれた。このお茶を飲むときはいつもノートのことを思い出す。あのノートが何を教えてくれようとしたのか未だにはっきりしない。それでも、何かが少しずつではあるけど解きほぐされていくのは感じられる。はたしてジノ婆さんはその答えを持っているのだろうか。鍵を握っているのはナーシュさんではないのだろうか。ゆるりと動く時間を追ったノートさんはいったい何を見たのだろうか。モザイクのように散り散りになった世界の記憶が一枚の絵になるときは来るのだろうか。

 

 コノンさんも戻り、お茶の飲んで落ち着いたところで、洪水の話を切り出してみた。

 

「洪水はまた来ますか?」

 

 ジノ婆さんは答える気がないように見えた。

 

「聞こえないか」

 

 そう言うと、耳を澄ませるような仕草をした。こちらにもそれを促した。

 

「水の声が聞こえただろう」

 

 ジノ婆さんの表情がにやりと緩んだように見えたが、こちらにはなにも聞こえない。聞こえるのは湖畔に寄せる水音ぐらいだ。それを水の声と言っているのであれば、だれもが耳にしている水音と変わりない。

 

「ジノ婆には聞こえるらしいです」とコノンさんが言った。

 

「地の底の水が、呻き、ドットのざわめきを受け止めておるだろう」

 

 ドットという言葉に驚いた。コピに以前どこから来たのか聞いたときにドットがいる場所と言ったはずだ。これは偶然の一致だろうか。

 

「ドットというのは?」

 

「ノイヤールに自分で感じるものじゃ」

 

 そういうと目を閉じて、また静寂が訪れた。瞑想をしているような静かな時間が過ぎていく。心を湖に集中すると水の声が聞こえるのだろうか。その先にあるドットというのは水の神のようなものを言っているのかもしれない。自分の知らない世界が開けていくような気がした。そのとき、ポケットの中にユロミが入っているのを思い出した。指先でいくつかのユロミを潰すとユイローの香りが微かに漂った。しばらくすると、意識の中にドットトラウトの群れが押し寄せてくるのを感じた。もしここで意識世界に行ってしまったとしても、目の前にはジノ婆さんがいる。そう思うとなぜかしら不安な気持ちは払拭される。必ず戻ってこられるはずだ。自分の意思で意識世界に行くことができるのだろうか。すべての条件は整っているように思う。

 

 閉じたまぶたを通してノイヤール湖が輝きを増してきているのがわかる、それに合わせるように座っているはずの椅子の感触がなくなっていく。すべての音が意識世界に吸い取られていくようだ。輝きが立ち上がり天を目指し始めているのがわかる。目を開こうとしても力が抜けてしまって思うようにならない。前に座っているのがジノ婆さんかどうかもわからなくなってきた。その身体が陽炎のように揺れている。顔が笑っているように見える。ジノ婆さんからはどう見えているのだろう。コノンさんの気配はすでに消えてしまった。時間が徐々にスピードを落とし始めた。水の音の繰り返しが緩慢になっていく。しばらくするとどこからか漆黒の闇が迫ってきているのがわかった。その先にはミドリ鮫が待っているはずだ。

 

「会いたいか……ぶくぶく……そこに……」

 

 闇の中からまたあの声が聞こえた。間違いなく意識世界に入ろうとしている。それも自分の意思でだ。ノイヤール湖、ユロミ、それと……ドットトラウト……。もしかすると、そこがフォントリアではないのかと思った瞬間に、六角錐が弾け飛び、無数のミドリ鮫がその隙間を縫うように乱舞するのが見えた。自分の六角錐はまだない。それでも現実世界に戻ってきている。オルターではない自分がつくった六角錐があるはず。私は誰なのだろうか。

 



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