目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
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第30話 再会

 ロウルさんが、公書館のほうにホーラーを呼んでいる時間だと言うので、残念ではあったけれど、石窟をいったん離れることにした。公書館を見ることによってわかることもあるのではないかという期待もあった。念の為に、またすぐに来られると思って良いかと聞くと、石の切り出しはいつでもしているので、見かけたときに声をかけてもらえばだいじょうぶとことだった。この歳になってやることではないかもしれないけど、ユイローの素潜りを試してみたい気もしている。それほどに水の中にいるのは心地よい体験だった。母体の羊水の中にいるようななんとも言えない不思議なやわらかさを味わう経験になった。ノイヤール湖の水は計り知れない力と豊かさを感じさせる。リアヌシティの名ばかりのウテラスドームとは似ても似つかないものだと思いながら、石窟を後にした。

 

 舟に戻ると冬間近だったことを思い出させられることになった。石窟との気温差は10度以上はあるのではないかというほどで、水を出たあとの寒さが身に堪えた。気が高ぶっているせいでなんとか凌げているものの、気をつけないと体調を崩しまたお祖母さんたちに迷惑をかけることにもなりかねない寒さだ。こんな日に無茶なことをしたものだと自分の身勝手さを呆れた。それでも得られた満足感はなにものにも変えがたく、今日の無謀な潜水がいつかすべての謎を繋ぎ、答えを出す起点になるのではないかという期待が膨らんでいった。

 

 公書館へ移動する時間を利用して、気になっている公書館の地下の話を聞くと、時間があるときに案内をしてもいいけど、実際には席靴を隠すダミーとしてつくられたものとの答えだった。なにかありそうだけど、誰も入れないという場所にしてあるけれど、今そこには何も特別なものもなく、ホーラーの控え室のようなものだとの話しだった。公書館という建前から閉鎖するわけにもいかず、かといってホーラーは自由な立ち入るのを嫌うので、半分ホーラーの隠れ家のようになっているのだとのことだった。裏への抜け道とあわせて知らない人間への牽制ということだろう。ただ、この話は内緒にしておいて欲しいと頼まれた。それが番人ホーラーへの心遣いのようだ。この話は石窟の話も含めて、申し訳ないけどナミナさんたちにはしばらく話さないでおくしかないようだ。

 

 地下の話を聞きながらの移動だったので、公書館に見えるところまではすぐだった。土地勘がつくほどに村が小さく思え、愛おしくもなってくるから不思議だ。

 

「ほら、ホーラーが待ってますよ。ほら、ほら、ホーラー!」

 

 手を振った公書館のほうを見ると人影があるのがわかった。大柄な体は遠くからでもわかる。また、辛辣なことを言われるのではないかと思うと、中に入りたい気持ちと裏腹に再会には正直あまり気が進まない。公書館に近づくと、岸にある木に舟をロープで結びつけて飛び降りた。いよいよ気難しいホーラーさんとご対面だ。

 

「悪かったねホーラー」

 

「なんのことはねえ。とっとと見てくれ」

 

「こちらオルターさん、覚えてる?」

 

「わかんねえな。俺はホーラーだ」

 

 覚えていないのはありがたかった。変な印象を持たれてないほうがいい。ホーラーは粗野な雰囲気は変わらないが、一切を受け付けないという偏屈な態度はあまり感じなかった。ロウルさんがいると落ち着くのかもしれないけれど、根は生真面目なだけで悪い人ではなかったようだ。そうでなければナーシュさんだってホーラーを信じたりはしなかっただろう。うまくすれば、仲間として受け入れてもらえるかもしれないと思った。

 

「中を見せてもらっていいですか」

 

「かまわねえけど、持ち出しはだめだ。位置も変えてはだめだ」

 

 ナーシュさんは、この責任感がここの管理にはうってつけだと思っただろう。いろいろ知ってくると、力持ちの生真面目な大男はなかなかいい図書館員だ。もう少し本好きで繊細なところがあると、言うところなしというところか。横でやりとりを見ていたロウルさんがうれしそうに笑っている。

 

 中に入ると石窟とまったく逆に、本の多さにあらためて目を奪われる。どこからこれだけの本を集めてきたのか驚くばかりだ。この中に謎を解く鍵となった記述があったに違いないと思いながらも、それをみつけられるのかどうかという心配は残る。一人で読んでいてはいつのことになるか想像もつかない。まずはノート氏の書き残したものがないかどうか、ミドリ鮫の記録はないか、ユイローの効能の説明はないか。村の治水や水系も見てみたい。歴史書にも何かの糸口があるかもしれない。戸籍や紳士録があればもっと話は早いのかもしれない。それとナーシュさんの残したファントリアという言葉に関する本がないか……。気になるものだけでも上げると切りがない。

 

「ここはいつでも入らせてもらえるものですか」

 

「俺がいるときならいつでもいい」

 

 ホーラーから、いるときならという制約を聞くとちょっと気が重くなるけど、入れるだけいいと考えることにしよう。ついでに楽しみにしているお祖母さんも入れそうかどうかを聞いてみると、他の人間はだめだということだった。この図書館員はなかなか手ごわい。逆にロウルさんへの信頼は特別なものというのがよくわかった。ナーシュさんとの直接のつながりはなにものにも変えがたく強い絆となっているのだろう。

 

「オルターさん、とりあえず入ってみませんか」

 

 ロウルさんに促されるようにして中に入った。トラピさんとナミナさんへの感謝は言葉で表せられない。

 

 書架がどういう並びになっているかもわからないのでは、目的の本の探しようもない。前回の記憶を思い出しながら蔵書の分類と配置を確認することからはじめた。最初に歴史関係が自然史といっしょになっているのがわかった。一方で人に関するものはないようだ。その代わりに著作や紀行文のようなものはまとまっているようだった。半分ほどは書かれている文字の現代のものとは違うから、ナーシュさんほどの情報がここから得られないことは容易に判断できる。おそらくロウルさんも同じだろう。

 

 日は傾きはじめているので、あまり時間はないという話になったので、今日はホーラーとの顔合わせということで、またあらためてゆっくり来ることにした。石窟も公書館も入れたという程度で終わったけれど、明日以降どういう順番で調べていけばよいか考えるのに頭を悩ませそうだ。ウォーターランドかスレイトンケープの誰かの手助けが必要なことは容易に判断できることだった。 

 

 

 

 


第31話 夜の時間

  お祖父さんの家に戻って、夕食を頂きながら今日の報告をした。ただ、石窟のことは言わない方がよいと思った。おそらくロウルさんも話していないと思ったし、少なくとも話す了解を得てからのほうがよさそうだ。

 

 お祖父さんのほうは久しぶりの漁も釣果があったようでいつになく上機嫌だった。家の中に閉じこもるのは性にあわないと顔に書いてある。

 

 今日はドットトラウトは見なかったかというお祖父さんの言葉から、こちらの心配をしてくれていたことがわかった。お祖父さんはナーシュさんの消えた日とドットトラウトに何かの関係があると確信している。もしかするとお祖父さんにも同じような体験があるのかもしれない。お祖母さんが心配するから言えないのか、あるいはミドリ鮫と同じように、村の男たちの心の中にだけ秘められているのかもしれない。

 

「稚魚はみましたけど、群れには合わなかったですね」

 

「まあ、場所があそこじゃな」とドットトラウトがいるところではないということを再確認するように言った。

 

「しかし、ホーラーも愛嬌がないねえ。本を独り占めして何の役に立つんだか」

 

 お祖母さんは期待を裏切られたのにちょっと納得がいかないようだった。その気持ちはよくわかる。自分だけが入れるようになったことを申し訳なく感じた。

 

「いいじゃないか、オルターさんがそのうちみんなに公開してくれるさ」

 

 一宿一飯のお返しをいつかすることを心に誓いながら、村のためにも今後ホーラーとうまくやっていかないといけないと思った。とはいうものの彼の胸襟をどうすれば開けるのか。なかなか悩ましい話ではある。

 

「ホーラーのことだから、簡単じゃないだろうけどねえ」

 

 お祖母さんは半ば諦めぎみに溜息をつくと、夕食のスープをスプーンですくい口に運んだ。

 

「シナモンズのほうはいつでも入りたければ入れるがな。当時のものもほとんどないからな」

 

「あそこの子孫がまだどこかにいるということはないですか」

 

「聞いたことないねえ。もう何百年も前のことだし、それこそ公書館で調べたいぐらいさ」

 

 お祖母さんは公書館に入れないことがよほど納得いかないと見える。それでも今を淡々と生きることに精を出すのがこの村のよいところで、ウォーターランドとも共通している点のひとつだと思った。過去と未来から切り離されたような暮らしは、高齢者が多いからなのかもしれない。

 

「まあ、わかるとしたらジノ祖母ぐらいだろうな」お祖父さんがあまり興味なさそうに言った。

 

 お祖父さんの言うことももっともで、歴史の事実を見てきたジノ祖母さんの話ほど貴重なものはないのは間違いない。本を見てもナーシュさんの手稿を見ても、最後はジノ祖母さん頼みになるのではないかという予感が頭をよぎった。生き字引のジノ婆さんから聞ける話が一番正確に違いないのだ。明日にでも図書館に行ったついでに立ち寄れたら顔を見に行ってみよう。雪のこともちょっと気がかりだった。

 

「オルターさん、一人でいくのはまだだめだよ」心配性のお祖母さんが釘を刺すように言った。

 

 そうだ、コノンさんが帰ってきたらユイロー採りのついでにつきあってもらおう。家族の家の話をするのにもちょうどいいだろう。

 

 食事を終えると今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといいと言われ早めに寝室に入らせてもらうことになった。寝床に横になると、今日一日の出来事が走馬灯のように頭の中をぐるぐると回った。わからないことが増えただけのようで、前に進んだのか、進んでないのかさえよくわからない一日だった。身体の疲れだけが今日の出来事を忘れさせてくれなさそうだ。

 

 ナーシュさんの漉いた紙の透かしがノート氏の書いた紙と同じかどうかを急に確認したくなって、持ってきているノートで写しでないものがあったはずだと思い明かりにかざしながら探した。みつけたノートにあった透かしは間違いなく同じものだった。できるならハロウさんに見てもらいたいところだけれど、石窟から持ち出すのはむずかしいだろう。それにしても数百年前の紙と数年前に漉いた紙が同じものであるというのは不思議な気分になる。書かれているインクまで同じなら違うのは何だろう。流れた時間ということだろうか。オールドリアヌに来てからというもの時間が流れたという感覚がどんどんなくなっている。書いた人が違うだけで、違う人が同じ何かについて書いているとしたら、いよいよ何が違うのかがわからなくなってくる。時間の後先さえあるのかどうか怪しいと思えてくる。ほんとうに謎の答えを知っているのはノート氏なのかナーシュさんなのか、どれともジノ婆さんなのか……。

 

 うつらうつらしながら考えているうちに、閉じたまぶたの裏にミドリ鮫が現れた。ついて来いというように、頭の奥のほうに向かって泳いでいく。ミドリ鮫はどこで待っているというのだろう。


第32話 洪水の周期

 翌日はホーラーにお礼を持って行くことにした。お祖父さんお手製の村でも人気のドットトラウトの燻製だ。ウォーターランドへ帰るときのお土産として用意してくれていたものだったけれど、事情を話すと快く了解してくれた。ホーラーの心を開くことは、村にとっても悪いことではないはずだ。お祖母さんは暖かいお茶を入れたからと持たせてくれた。筒状のヤカンのような携帯容器でお茶を油で温める仕組みになっているものだった。めずらしい水筒を肩にかけると子供の遠足のような浮かれた気分になっている自分がわかった。

 

 公書館への道のりはすでに勝手知ったる庭のようなもので、たくさんの未知の本に出会えると思うと足取りも軽くなる。雪解けあとの木々のきらめきも新たな始まりを祝ってくれているように感じられた。

 

 公書館に近づくと、門前に大きなホーラーが仁王立ちになっているのがわかった。初めての人が見れば威嚇されているとしか思えないだろうけれど、本人にはまったくそういう自覚はない。ナーシュさんもいい門番をみつけたものだとあらためて思う。

 

 開口一番、「これ、お祖父さんからのお土産です」と切り出して、用意した燻製を手渡した。

 

「うまそうだ」

 

 お礼もなにもないが、それがホーラーならではの感謝の言葉だというのはわかる。朴訥な人柄に徐々に親しみを感じるようになってきていた。ホーラーとロウルさんと3人で旅にでも出られたら、なかなか楽しいものになるかもしれない。ナーシュさんもそういう親しみと信頼を感じたに違いない。自分探しの旅の仲間がまた一人増えたようでうれしかった。いざという時に頼りになるホーラーの姿を勝手に想像してほくそ笑んでしてしまった。

 

 いっしょに入らないのかと聞くと、外で待つという答えが返ってきた。日差しは温かいものの寒空なので中で待つことをすすめたけれど、変な人間も来るので外で見張るのだと言う。それが前回の自分たちへの対応だったと思うとなんだか心苦しい気分になる。それでも、あのときのナミナさんを思い出すと笑いがこみ上げてしまう。ホーラーは何がおかしいのかと言わんばかりの顔で睨んでいるけど、それが怒りではないことはもう十分に理解できる。彼の使命感の邪魔をするのはいただけないと思い、ここは一人で入らせてもらうことにした。

 

 公書館の中に入ると、いつも時間を超えた神聖な場所に足を踏み入れた感じを覚える。音も匂いも空気も外と隔絶された世界に神経が研ぎ澄まされる不思議な感覚だ。オールドリアヌの数百年、いや数千年の歴史が封じ込められていると思うと身震いするような感動を覚える。本から呼びかけられているようにも感じるけれど、それがどの本から発せられているのかはわからない。この蔵書をお祖母さんに見せてあげられたらどれほど喜んでくれるだろう。持たせてくれた、まだ暖かい水筒を手を包みながら必ずいつかナーシュさんを探し出し、村人に公書館を公開することを心に誓った。

 

 昨日の続きでしばらく分類の確認をしていくうちに気になる本も目にとまりはじめた。とは言うもののあまりに年代が古すぎて、何を書いてあるかわからないものが多い。それではホーラーの門番とさほど変わらないのではないかとちょっと情けない気分になってくる。それでも諦めずに順に見ているうちに辞書があることもわかり、時間さえかければ徐々に本が心を開いてくれそうな期待も感じられた。きっとナーシュさんもこの辞書をめくりながら多くの月日をかけて読みすすめたに違いないのだ。そうは言ってもみんなを待たせている身としては悠長なことも言っていられないので、まずは辞書を使わないでもよさそうな年代の浅いものから手に取ってみることにした。

 

 最初に昨日も気になっていた、オールドリアヌの治水に関係した本を開いた。そこには地下水脈の図とともに灌漑技術の遍歴や運河の延伸記録など、水の都と呼ばれた時代からの歴史が詳細に書かれていた。ノート氏が暮らしていたころは水上貿易や遠洋での漁が盛んだったということも再確認することになった。一方では増水による水難事故や干ばつによる飢饉などもあり、その都度甚大な被害が発生したようだ。水の都でも干ばつが起きてきたことには驚かされた。そこから、今の村のおだやかさが常態ではないことが読み取れた。水の恩恵を十分に受けているように見えるこの村も、必ずしもいいことばかりではないことがわかる。近くに洪水だけについて書かれた本があったので開いてみると、最初に洪水の年表があることに気づいた。洪水が年表になるというのはどういうことだろう。どうやら鉄壁の要塞は自滅と裏腹の賭けだったようだ。生きるか死ぬかの自然との攻防が洪水の記述から読んで取れた。その被害の大きさから見ても、この村の水量は想像をはるかにしのぐもので、それが山域から流れ込んでくるのではなく、ノーヤール湖の湧水だというのだからその水量たるやただ事ではない。まるで村の下に水のマグマが横たわっているかのようなイメージが頭に浮かんだ。一度洪水が起きると村は壊滅することを免れない。それでも生き残る人はいる。たとえそれが少数であっても村の選んだ生き残り術ということなのだろう。ジノ婆さんは何度の洪水を乗り越えてきたのかと思うと、今すぐにでもそのときの話を聞きたい衝動にかられた。最後のページまで目を通して洪水の起こった年が一覧になっているのに気づいた。よく見るとその周期はほぼ100年ごとになっている。次の100年後はいつになるか計算してみて驚いた。周期通りならここ数年のうちに大洪水が起きることになるのだ。もしそうなれば、この美しい村は水没し、そこからまた新たな歴史がスタートする。その時もジノ婆さんは生き残れるのか、公書館は大丈夫か、いやそれより自分の命はどうなっているのだろう。ナーシュさんを動かした答えのひとつがここにあったということは想像に難くない。何をすべきかわからなければリアヌシティに頼れと言われているような気がした。自然の刻む制限時間が想像以上に近づいていることに気づくと何をすべきかもわからないままにさらに焦りが募る。

 

 急いで地形に関する本を探した。どうも運河の間の土地は浮島のようになっているようだ。地下の水系というよりも巨大な湖に浮く島のような土地で、ノイヤール湖が独立しているのではなく、運河や水路を含めたすべてが湖の全体のように思えなくもない。ノイヤール湖はその一部が地表に現れていると考えると、土地がまったく違ったものに見えてくる。もともと島状だったのか、湧水が吹き出し島のようになってしまったのかはわからない。地下の巨大な水のかたまりの中にミドリ鮫が潜む様子が頭に浮かんだ。その水溜りは海につながっているようにも海そのものにも見えてくる。ミドリ鮫が何かの警鐘をしているのではと思い、関連の本を探したけれど、ここでもミドリ鮫の関連書をみつけることはできなかった。ミドリ鮫漁の記録を見たというノート氏の記述とは裏腹に、ミドリ鮫は村から消し去られたように身を隠している。彼らは大洪水の日が来るのを待っているのだろうか。

 

 動植物史の本からドットトラウトの生体やユイローの植生などについての本もみつけることができた。いずれもこの地特有のもので、他の土地で見られることのない固有種だと書かれている。それでも、産卵の回遊や覚醒作用についての詳細は得られなかった。料理や活用法の中で、ユイローを使った温浴が書かれていて驚いた。自分の楽しみ方が数百年前からの伝統と同じだったということだ。そして、ここではその実であるユロミは香辛料として紹介されている。香辛料としての歴史のあったユロミは今の食卓からは消えている。食も嗜好や効能にあわせて変わっていくのが歴史だろう。もしかすると覚醒作用の弊害があったのかもしれないと思いコピのことが少し心配になった。早くコピに会いに戻らないと。

 

 帰り際に、ホーラーに握手を求めお礼をいうと、ぎこちなく顔をゆがめた。はじめてホーラーの私情を受け取った気がする。苦虫を潰したような表情が不器用なホーラーらしい。

 

 このまま公書館通いを続けたい気持ちもあるものの、ホーラーやロウルさんとの交流ができたことで少し肩の荷を下ろせたような気もしている。あと一度だけでもジノ婆さんあって歴史のことを聞ければ、一度ここでスレイトンケープに戻りいろいろな相談をしたいとも思う。ほんの数日の予定が思わぬ長期にわたっていることもそろそろ考えなければいけない。 


第33話 共生

「オルターさん、コノンが戻ってきてるよ」

 

 玄関先で掃除をしていたお祖母さんに声をかけられた。予定通りユイローを採りに戻ってきたのだろう。いっしょに行く約束していると言うと、明日行くようだと教えてくれた。

 

 家の中に入ってみてもコノンさんの姿はなかった。家族の家での一件でかなり疲れているのではないかと心配だったけれど、部屋で休んでいるのだろうと思い声はかけないことにした。家族の家では気の休まる時間などないから、ここに帰った時にしっかり疲れを取ったほうがいい。こちらはコノンさんがいない間に勝手な話をするわけにもいかないので、部屋から出てくるまでの間に気になっている洪水の話についてお祖父さんに聞いてみることにした。

 

「あまりいい話ではないですが、昔起きたという洪水のことをおちょっと聞きしたいのですが」

 

 お祖父さんは目を落とし手先をじっと見たままで、何も聞こえてないように押し黙っている。家の中の静けさがお互いの気持ちを丸裸にしているようで辛い。やはり触れたくない記憶だったのだろう。

 

「オルターさん、洪水の話は公書館で見たのか」顔をあげたお祖父さんは心を決めたような表情でこちらを見た。

 

 それを見ていたお祖母さんが、隠したって仕方ないじゃないかというと、お祖父さんは隠しているわけじゃないだろとすぐに言い返した。ちょっと雲息が怪しくなってきた。

 

「あのう、話したくないようであれば……忘れてもらっていいので」

 

「オルターさん、洪水は何度かあったんだよ。私らが生まれてからもね。この人はね、洪水の話は好きじゃないから」

 

「好きとか、嫌いじゃなくて、そんな話をしたって仕方ないってことを言ってるだけだ」

 

「まあ、兄弟も親もみんないなくなってしまうとさみしいもんだけどね」

 

「この村には墓もない。水の中で永遠に生きると考えられているから寂しいとかいうようなことじゃないぞ」

 

 お祖父さんの言葉から人はどこかで生き続けていると言われているように感じられる。本当にそう思っているのかどうかは別として、村にお墓がないというのは事実だった。そういう風習なのかどうかはわからないけど、その代わりになっているのが六角錐のように思えなくもない。生前墓ということなのだろうか。

 

「だいたい、魚や水鳥にとっては洪水なんか知ったことじゃないってことだ。人間だけが特別扱いなわけじゃないだろ。この地に住まわせてもらってるだけだしな。生かされていると思えば、それだけの話だ」

 

「でも、家ごとに舟もありますし……」とあまりに身も蓋もない話になってしまいそうなので助け舟を出してみた。

 

「オルターさん、舟で逃げた人もいたけど、結局どうなったんだか、帰ってこなかったさ。でもね、残った私らのほうが長生きになって今でも元気なんだからおかしなもんだね」

 

「洪水の代償が長寿だったということですか」

 

「そうじゃなくて、ノイヤール湖のあるがままに生かされている結果が、たまたま長寿ということになっているということだな。とは言っても、洪水を乗り切れればの話だから、生かされない場合も受け入れるということだがな」

 

「魚も鳥も人も同じという理解でいいですか」

 

「そういうことだ。この村では動物も草木も補い合う関係にあるし、それぞれの役割を持って生きていると考えられているから、洪水も大雪も嵐もすべてそのまま受け入れる。人間も自然の摂理に従うだけのことだ」

 

「もし、また洪水があるとしてもですか」思わず追い打ちをかけるような質問をしてしまった。

 

「もちろん。ノイヤールとともにだな」

 

 二人の話を聞いているうちにリアヌシティのことを思い出していた。もしかすると人間は神になろうとしているのだろうか。この世界の物語を書く神になろうとしている。 なるようにしかならないと考えるオールドリアヌと、あるべきようになろうとするリアヌシティ。リアヌシティが長寿という話は聞いたことがない。とはいえ、ほんとうに長寿が幸せと言えるのかとも思う。オールドリアヌにしても長寿を目指したわけでもないから。どちらがほんとうに幸せなのかはむずかしい。現にコノンさんはそのいずれでもない。

 

「でも、洪水は村を流してしまうかもしれないですよね」

 

「この家もな」

 

 お祖父さんは達観しているかのように言った。お祖母さんの方を見ると、めずらしく大きく頷いて賛同しているように見えた。

 

「オルターさん、こればかりは心配しても誰にもわからないことだからね。それより今日もご飯は美味しいし、コノンもいるし、何もわるいことはないさね」

 

「ドームに閉じ込められと生かされるのを好きな輩もいるようだが、わしらには理解できないし、魚や鳥たちはどう思っているんだかな」

 

 リアヌシティと同じように見える草木も内心はどう思っているのかはわからない。都合の悪いものや調和に適さないものは排除されている可能性も否定できない。おそらく蚊のようなものはいないだろうし、猛獣もいないはずだ。人にとって害になるものはいないということだ。洪水は起きないはずだし、だからこそ街は中空にあり天気は完全にコントロールされているのだ。

 

 この日コノンさんは部屋から出てくることはなかった。身体が疲れているのか、心が疲れているのか。いずれであっても、ここでゆっくり休んで元気を取り戻して欲しいと願う。お祖母さんたちも考えは同じようで、夕食の用意も残されたまま、翌朝までテーブルの上に置かれたままになった。

 


第34話 二人だけの話

 翌日も天気に恵まれ、絶好のユイロー日和になった。コノンさんはいつもと同じように朝から元気そうに見えて安心した。お祖母さんの家事の手伝いをしながら、ユイロー採りの準備をしている。それを見ていると、オールドリアヌとリアヌシティの二重生活は大変ではないかと思わずにはいられない。ただ、彼女にとっては子供たちもお祖父さん、お祖母さんもかけがえのないものであるのはよくわかる。どちらかだけにするというのは考えられないだろう。

 

 昨日と同じように、水筒にお茶を入れてもらい、ジノ婆さんへも差し入れを持って行くことになった。やはりみんな気にかかっているのだろう。いつもなら舟で行くところだけど、まだ氷の残るところもあるので、歩いて行くことになった。小型の荷車をコノンさんと交代で引きながらユイロー畑を目指すことにした。

 

 道すがら二人だけで話す時間がたっぷりあった。周りに気を使わないで話せる貴重な時だ。これも雪のおかげと考えることにした。

 

「オルターさんはいつまで村にいるご予定ですか」

 

「もうそろそろ帰らないといけないのですが、知りたいことが多くて」

 

「公書館で何かわかったことはありましたか」

 

 コノンさんもノートのことについては気になっているのだろう。興味深そうに聞いてくる。そんな話で気分転換になるのであれば、お安い御用だ。ホーラーと友達になれそうだと言うと、自分のことのように喜んでくれた。洪水の話については、お祖父さんと同じで既知のことだったようだ。村人なら口にはしないでも誰でも知っていることなのだろう。

 

 いろいろ聞くつもりでいたのが、気が付くと聞かれる側になったまま話が続いていた。コノンさんがあえてそうしているのではないかと思うほどに質問は尽きなかった。しばらくは村での体験を報告しながら、こちらが話すタイミングを待った。

 

「そういえば、コノンさんはウォーターランドでスロウさんに会いましたか」

 

「知らない方だと思います」

 

 ロウルさんについても知っているけどあまり面識はないとのことだった。そうなると、そっくりな二人を知る人間は自分だけということになる。スロウさん本人が来るのを待つしかない。ただ、スロウさんがメーンランドに向かったのは意識世界での話だったようにも思うので、実際はウォーターランドを出ていないのかもしれない。記憶が曖昧に薄れていく。

 

 ここでも湖底の石窟のことを話すのはやめにした。もう少しいろいろなことがわかってからのほうがいいだろう。それはスロウさんへの礼儀でもある。

 

「ウサギを島へ連れて行くのが楽しみですね」

 

 この話題ならなんでも気兼ねなくなんでも話せるだろう。

 

「早く、行きたいです。子供たちもきっと喜ぶと思います」

 

 ウサギだけの話とか思っていたけれど、コノンさんの中では子供たちも含めての話だったことに驚いた。もしかすると、家族の家をウォーターランドに作ろうとしているのだろうか。子供たちをリアヌシティから救い出そうと考えているのかもしれない。洪水の起こるオールドリアヌでも、感情の交流のないリアヌシティでもない新天地、ウォーターランドをそういう風に見ているとしてもおかしくはない。

 

「話せなければいいですけど、コノンさんはボルトンとの関係を教えてもらうことはできます」

 

「家族の家の主催者なので、関係というより支援者ということになります」

 

「もしかして、あのヨシュアさんもボルトンの人なのですか」

 

 コノンさんは不思議そうな顔をしながら小さく頷いた。家族の家で何か気になることがありましたかと聞かれたけれど、具体的に話せることがあるわけではなかった。ただ、薄々感じてはいたけれど、家族の家もリアヌシティのコントロールの元にあるということにちょっとショックを受けた。原因を作ったところからの支援で本当の意味の救済になるのか気になる。悪くすると問題隠しにならないだろうか。ボルトンのもとでコノンさんの思いはどこまで伝わるのだろうか。子供たちはほんとうに救われるのだろうか。コノンさんの純真さはどこまで疑いを持たない。

 

「深入りして申し訳ないですが、ご両親はリアヌシティに?」

 

 コノンさんはためらいもなく、あの子たちと同じですと答えた。一瞬何を言っているのかわからなかった。

 

「私たちはライブラインに入れないんです。適性がないらしくて」

 

「感情の交流ができないということですか」

 

「詳しいことはわからないですが、リアヌシティのライブラインに入れないと、家族との関係も消えてしまうらしいです」

 

 そんな馬鹿な話があるかと耳を疑った。はじき出された子供たちが家族の家で昔ながらの交流をしているというのはどういうことなのだろう。家族の家という名前が皮肉としか思えない。

 

「それでウォーターランドに子供たちと行こうと?」

 

「そうですね。それはボルトンも賛同してくれています」

 

 コノンさんの口からボルトンという言葉を初めて聞いた気がする。サーカス小屋でボルトンと話している記憶が蘇ってきた。見えなかった話が一本の線でつながっていくのを感じた。ネイコノミーとボルトン、水の革命、クラウドタワー、家族の家、ウォーターランドの水、ばらばらだったピースがひとつの絵になろうとしている。リアヌシティの完成に向けたロードマップに合わせすべてが進んでいるのだ。クラウドタワーの中枢の計画通りに。

 

「彼らはどうしてタワーに登るのでしょう」

 

 コノンさんがいつになく元気そうなのをいいことに、避けていた質問を大人げもなく口にしてしまった。

 

「私にもわかりませんが、オルターさんが、オールドリアヌに来られ、私がウォーターランドに行くのと同じなのではと」

 

 コノンさんは、家族の家に足りないものがあるということを言っているのだろうか。ただ、それがコノンさんの言葉でなく、ヨシュアさんの言葉のようにも聞こえた。コノンさんの心中を察するのは簡単なことではないかもしれない。

 

「ノートの謎が解けるといいですね」と話を戻された。

 

 コノンさんの気遣いを感じたが、リアヌシティを知れば知るほど、その答えを知らない方が良かったということになる不安が過ぎる。ノート氏の向かった先と自分の過去が悪い方でつながらないことだけを祈る気持ちになる。雪解けでぬかるみ、固まった道は荷車の車輪を滑らせ思うように進ませてくれない。自分の辿る道ははたして希望の道になるのだろうか。

 

 湖畔の道を歩くうちに、二人の考えは、先にジノ婆さんを訪ねることで一致した。まずは元気な顔を見ないと落ち着いてユイロー採りもできない。



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