目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
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第24話 花と待ち人

 ロウンさんと約束した日までの数日はとても長く感じられた。お祖父さんも結局翌日も漁に出られず、家の中でゆっくりと男のロマンの時間を楽しんだ。お祖父さんはみつけた地図にドットトラウトが書かれていたことが読み直しほどうれしかったらしく、何度も机に広げては見ている。日にかざしてみているのは、ミドリ鮫の透かし絵でも探しているのかもしれない。自分のほうはノートに地図と関係した記述がなかったかを読み直しながら再確認している。ノート氏がいろいろなヒントを文章の中に紛れ込ませているのではないかと思うのだけれど、それらしいものはなかなかみつけられない。ほんとうに紀行文であるなら、そんなものはないのだろうけど、この記録がそれだけで終わっているとは思えない。時間がゆるりと動くことの答えなりヒントがどこかに残されているのではないだろうか。それは自分の思い出せない記憶と何かしら関係あるという思いは消えない。

 

 

***** ノート *****

 

潮が満ちるときには海面が上がり、川の下流は海とひとつになるように広がっていきます。そしてそんな日には海から群れをなした魚が川に抗うように遡上してくるのです。魚が一斉に飛び跳ねると日の光を受けて金色に輝き、上へ上へと先を争うように向かう姿は、まるで川の水面があふれるように見え、それを見ていたナツヨビは歓喜の乱舞をはじめます。これを目印にするかのように魚や鳥を追うミドリ鮫の群れを海面下の影で見ることもあります。その光景は生き物たちの命をかけた競演ともいえるもので、海の中ではさらにさまざまな生き物が生を謳歌するための生存競争や共存生活に加わっているのではないかと想像してしまうのです。突然集まる魚たちはどこから来るのでしょうか。海の深い底にはまだまだ見たこともない生き物がいるのかもしれません。

 

***** ノート *****

 

 

「オルターさん、ここに書かれてい跳魚という魚はドットトラウトとは違うのかい」

 

「そうは書かれてないんですよね。跳魚は今でも釣れます。あ、そう言えば、つい最近光る魚がウォーターランドにもいることがわかって。もしかするとそちらのほうが近いかもしれないですね」

 

 言ったあとに、それを見たのは意識を失っていたときではなかったかと思った。

 

「書いた人がこの村出身なら、ドットトラウトを知らないと思えないが、新聞社に勤めていたようだと、魚には興味がなかったか」

 

「そうですねえ。ドットトラウトも死ぬと別の魚のようになりますから、漁をしない人にはあの輝く姿を見ても同じものと思えないかもしれないですね」

 

「確かにそうかもしれないな。ということは、ウォーターランドにはドットトラウトがいる可能性もあるということか」

 

 ドットトラウトがウォーターランドにいるという可能性は低いかもしれない。それでもこういう話は永遠に続く夢のようで楽しい。お祖父さんは地図を横に置いて、ノートの束のほうに目を移し一枚一枚めくりはじめている。

 

「はっきりはしないですが、どうも光る魚が島のそばの洞穴のようなところに潜んでいるようなんですよ」

 

「その島のあたりで産卵しているとしたらどうだ。これはおもしろくなるぞ」

 

 自分の記憶にもノートを読んだお祖父さんの推測にも根拠はないが、もしそうであればノイヤール湖とウォーターランドがドットトラウトの回遊でつながっているという夢のような話になる。環境が似ていることを考えるとそれもありえなくもないのではにかと思った。以前はたくさんの跳魚がいたと思っていたが、今読み直してみるとドットトラウトのことだったと考えたほうがはるかに説得力がある。ノート氏は名前を知らなかっただけで、それを見ていたのかもしれない。なによりも水玉模様はウォーターランドの動物に共通する模様なのだから。お祖父さんとの間にミドリ鮫だけでなく、ドットトラウトのつながりが日に日に強くなっていく。このつながりはオールドリアヌでのかけがえのないものになりはじめている。二人でいつかドットトラウトの一生を解明しようという話で盛り上がっていく。

 

 ひとしきり話をしたところで、お祖父さんのみつけた地図に書かれていたジギ祖母さんの昔住んでいたというところに行ってみることにした。ハロウズと同じで、石の建物は残っているものの、家具等は長年の年月の経過で元の形がわからないほどに崩れてしまっている。玄関先にはだれかが活けているのか、古いガラス瓶に入れられた小さな花が置かれていた。ジギ婆さんがわざわざ戻ってきているとも思えないから、その昔のの記憶を残そうとしている人がいるのかもしれない。しばらく敷地内の置き去りにされたものを見ていると、通りがかった人がいたので呼び止めて話しかけてみた。

 

「すみません。ちょっとお尋ねしますが、この場所は何があったところでしょうか」

 

「聞いた話だと、以前は花屋だったこともあるらしいが……」

 

「そうなんですか。今はどなたが花を置かれているのですか」

 

「そこのつきあたりの家の人だと思うよ。理由はわからないけど、何もない廃屋は殺風景だからね」

 

 お礼を言って、ジギ婆さんとなにか関係のある人かもしれないと思い、その家を訪ねてみることにした。

 

「どなたかいらっしゃいますか」

 

 返事はなく、しばらく部屋からの物音もしなかった。不在かと思い家の中を覗き込むようにしていると不意に窓が開き、ジギ祖母さんに劣らず歳を召した女性が顔を見せた。

 

「あ、突然ですいません。ちょっとお尋ねしていいですか。あそこの花を置かれているのはこちらですか」

 

「それがどうかしたか?」

 

「いや、その、きれいだなあって思ったもので」

 

「あんた、ここのもんじゃないね」

 

 どうやら不審者と思われてしまったようだ。怪訝な顔でこちらを見ている。

 

「ちょっと人を探してまして。村を探して歩いていたときに偶然見かけたもので」

 

「あれは、ジギ婆さんに頼まれてやってるだけだ。生家の花屋だったことの目印にな」

 

「目印ですか」

 

「村もどんどん変わっていくもんでな。戻り待ちの人がいるっていうが、いつの話になるんだかね」

 

 ジギ祖母さんがずっと誰かを待っているというコノンさんの話は正しかった。よほど大切な人なのだろう。

 

「これからもずっと花を?」

 

「そりゃ、ジギ婆さんの頼みだからな」とだけ言うとお礼も聞かずにそそくさと窓を閉めてしまった。もしかすると待ち人が来たとでも思ったのだろうか。そうであればよかったのに残念だっただろう。閉まった窓に向かって頭を下げてから生家跡に戻った。

 

 花に頭を下げながら、待ち人が戻ることを心から祈った。自分がノート氏を探すように、誰しも会いたいと思う人はいるもののだろう。そう思うとジギ婆さんに少し親近感を感じた。花を見ているとふと、リブロールで待たせているミリルさんのことを思い出した。考えてみればマリーさんとナーシュさんだってそうだし、船長やお祖父さんはミドリ鮫を待っていると言えなくもない。待っている人と戻れない人の関係というのも不思議なつながりだ。ここにいると、会えない心のつながりのほうが強いと言われているような気がする。それこそ記憶のなせる業なのだろうか。なぜ、待つのか、どうして離れてしまうのか。そんなことが頭の中にぼんやりと浮かんでは消えていく。どうして戻れなくなるのか。戻りたいけど戻れないのか、戻りたくないのか……戻れない旅とはなにか。自分の旅も戻れない何かが起こりうるのだろうか。花の前でしばらく立ちすくんでしまった。

 

 しばらくいるうちに、さすがに寒さが堪えられなくなってきたので、答えの出ない考えごとに見切りをつけて、ジギ祖母さんの旧宅を離れた。地図の花の絵が書かれた場所はやはりジギ祖母さんのいたところで正しかった。そこであらためて村人のジギ婆さんに寄せる気持ちを知ることになった。村人たちの思いには並々ならぬものを感じる。ジギ婆さんの人望は巫女であり長老であり、若き日の美しさであり、花そのものであり、ノイヤール湖とともに村の生きた伝承そのものになっているようだ。


第25話 書庫の入口

 ロウルさんとは、シナモン跡地を使った公共の場所で待ち合わせをした。開口一番、私だけに教えると言って、誰にも言わない約束をすることになった。ロウンさんもナーシュさんの失踪以来、そのことが頭から離れないらしく、こちらから話したノートのことでお互いに共通する問題を感じたのだろう。そうでなければ島の生活などから同じ外ものである自分に親近感を感じてくれたのかもしれない。もちろん、お祖父さんとの紹介もあってのことだろう。

 

 小屋の中は公共の場として殺風景なほどに片付けられているものの、利用する人は少ないらしく、今日も自分たち以外に誰もいない。中から鍵もかけられるようになっているから個人的にも使える公共スペースというところだろうか。主に月に一度の村の集会で使われる場所ということだった。カウンターには営業していた当時のカフェのメニューが書かれた板や骨董ものの食器などが置かれている。今は当然誰かがお茶を入れてくれるわけでもなく、自分で火をおこして持参したものを飲むという利用方法になっていた。カフェというようりも炊事場のついた打ち合わせ部屋という感じだ。それがこの村には合っていると思った。

 

 ロウルさんは、今日はこちらがお客さんだと笑顔で言うと、準備してきたお茶を入れてくれた。手作りで水草を使って試作中のものだそうだ。うまくいけばサークルに出す予定だとうことらしく、味についての感想を聞かれた。水草のお茶は飲んだことはないけど、なんだか懐かしい気分になれる味がした。

 

 「ここのことはご存知かもしれませんが、シナモンティーが有名だったようですよ。昨日見せていただいたノートにも出ていたけれど、それが後に店名になったようです。そうか、シナモンティにすればよかったかな」

 

 それを聞いて、まさにここがノート氏が旅立ちの日に立ち寄った場所だということに気がついた。数百年前の店と当時の暮らしが蘇ってくるような気がした。使っている骨董のカップさえもノート氏が使っていたものかもしれない。当時の彼の痕跡をみつけることはむずかしいけれど、ノート氏の旅と重なるように、今からほんとうに自分探しの旅が始まるのかもしれないと思った。

 

 ロウルさんは机に座るとカップを横に置いて、紙にさらさらと絵を書き始めた。やはり手先の器用な人だけあって、絵も立体的で製図を見ているような綺麗な線が印象的だった。なにか迷路のようなものを書いているように見えた。

 

「これが地上の建物で、これがノイヤール湖。ここから横穴があって、この先から一度下がって上に、下がったところで湖の水面下とつながる通路に。あがったところは行き止まりの書庫で、ひと部屋ほどの空間になっているというわけです」

 

 どうして公書館から離れたところに入口を会いているのか理解できなかった。別々に描いて説明しようとしているのだろうか。

 

「ということは、この絵でいうと下がったところは水の中を抜けて行くということですか」

 

「そうです。わかりますか? 部屋も水面下の高さなのですけど、空気は常時入っているので水は上がってこないわけです。空気穴がどこかは今でもわからないですが」

 

「公書館のほうの入口はどのあたりになるわけですか? 裏庭の地下は通路があるということですか?」

 

「そちらはダミーでしょうね。ホーラーが手伝って作った隠し部屋だと思います。

 

「ということは、入口は湖のほうだけということですか」

 

「そうなんです。なので、実はそこには本はないんですよ。ナーシュさんの手書きの資料はたくさんありますが、おいらには学がないのでそのほとんどは何を書いているのかも理解できないようなものばかりで」

 

「ノート氏が書いたノートの残りはありそうですか」

 

「なんとも言えないですね。ナーシュさんもいつか戻るだろうから、あまり触らないようにしていますし。おいらたちは留守番をしているだけと思っているので」

 

 たしかに、ナーシュさんの隠れ書斎のようなものであれば、勝手に見るのもはばかれるような気がしないでもない。

 

「そこへは私もいけそうですか」

 

「オルターさん、水のほうは?」

 

「潜るようなことはあまりやったことはないですが……」

 

「数分がまんができれば」というと頬を膨らませてみせた。

 

「心配いりません。ロウル特性の潜水具もあるので、それを被ればだいじょうぶでしょう」

 

 ロウルさんもスロウさんと同じように発明をできる人なのだろう。素潜りや潜水はすぐには無理にしてもその入口だけは見ておきたいと思った。場合によっては中のものは皮の袋にでも入れて持ち出してもらえばなんとかなるだろう。

 

「まずは、公書館のほうを先に見てもいいかもしれないですね。ナーシュさんが集めたものはすべてあそこにあるので。地下は手稿中心でなかなか難解ですし」

 

 手稿という言葉が気になって、地下の入口を一度は見ておきたいと思った。見るだけでも先にという熱意をわかってくれて案内してもらうことになった。もしかすると、まだ場所を教えるほど信頼されていないのかもしれないとも思ったが、それはんなかったようだ。

 

「行く前に、緑石のほうの話もしておきましょうか」

 

 信頼してないどころか、ロウルさんはなんでも話すつもりらしい。お願いすると、石切を始めた経緯を話し始めた。もともとスロウさんにそういう技術があったわけではなく、ナーシュさんが自分で切り出していたのだということだった。仕事もなく食べるのもままならない水上生活を見て不憫に感じたのか、手伝わないかとナーシュさんのほうから誘われたのだそうだ。切り出した石は、昔からの風習に習って六角錐にしてジノ婆さんの近くにもいくつか置いたけど、そのためにわざわざ湖底から切り出す必要があったのかどうかはわからないとのことだった。後になって、石窟を知られないための偽装として切り出しをしていたのではないかと感じたとも言った。スレイトンケープの骨董市で見たものもハロウさんからの提案か依頼に応えてつくられたものだったのかもしれない。骨董市にはいい品になるだろう。もしかすると、ダルビー船長がリアヌシティから締め出されたのは、緑石の持ち出しが原因だったと想像できなくもない。

 

 「最初から石窟のことはすぐに教えてもらったのですか」

 

「いやいや、ナーシュさんもそこまでお人好しじゃないですよ。聞いたのは失踪する直前でしたから、よほどの覚悟をした後に、何かあったらという思いだったのではないかな」

 

 戻れないかもしれないという気持ちで、何をい残そうとしていたのか。きっと石窟に答えがあるに違いない。それが何か行かなければわからないことがあると思った。

 

「じゃあ、早速入口にご案内しましょう」

 

 外に出るとまわりをぐるりと見渡して誰もいないことを確認して、すばやく船着場に向かった。


第26話 地下迷路

 「今日はお祖父さんも大漁になるかもしれませんね。漁にはうってつけの日ですよ」

 

 まったくその通りだ。最高の日が最低の日にならないことを祈りたい。 

 

「スロウさんも漁をされますか」

 

「いやあ、漁はお祖父さんにはかなわないですから、石の切り出しに精を出していますよ。お陰であの石を欲しがる人もいて」

 

 船大工が仕事という話でなかったのが意外だった。

 

「船大工は村に何人かいますし、百年近く続けている腕のいい人はいますから、私なんか新参ものですよ。お祖父さんが贔屓にしてくれているのでがんばってますが」

 

 ノート氏が見ていたという舟大工の家系も続いているのいるのかもしれない。戻ったらお祖父さんに聞いてみよう。

 

「石の切り出しのほうが本職なんですね」

 

「そうですよ。ナーシュさんのおかげですね。とくに湖底の緑石を切り出す人はほかにいませんから、これだけは自慢できますね」

 

「六角錐は誰が作っているんですか」

 

「それは石工さんがいるので、そちらにまかせてます。オルターさんも興味あればまた紹介しますよ」

 

「私も作ったほうがいいのかなあ」

 

「うーん、ここに戻れることを願うものなので、どうですかね。お土産ぐらいでもいいかも」

 

 話をしながら、ロウンさんは何かしら様々な機材を舟に乗せ始めた。

 

「今日も石切りですか」

 

「ああ、そういうことではなくて……でも、そうとも言えるかな」

 

「あの、こんな質問もおかしいですが、どうして私には入口を教えていいと思われたのですか」

 

「お祖父さんの知り合いだし、遠くからわざわざここを訪ねてきて人を探しているわけですよね。公書館を本当に必要としているのはすぐにわかりましたよ。もともと、自分もオルターさんのような立場だったわけだから、お手伝いできるならと思って。なんだか同じなにかを探しているような気がしたのかな」

 

 やはり昨日話したことが伝わったのだと感じられてうれしかった。

 

「それに、失踪してしまったナーシュさんのこともあるし。スレイトンケープで待つマリーさんという人のためにもなりますよね」

 

 言われてみてはじめて、この旅が自分探しというだけでなく、いろいろな人の気持ちを背負っているのだということに気づいた。もしかすると知らないうちにノート氏の成し遂げられなかったことを引き継いでいるのかもしれない。

 

「オルターさんこそがキーマンかもしれないですよ」と言うと、意味ありげにこちらを見て同意を求められた。自分が何のキーマンだというのだろうか。ただ、気の向くままにその場の状況にまかせているのに、みんなの期待を裏切るのではないかという不安がよぎった。

 

 公書館を通りすぎて、湖の淵のあたりまで来たときにロウルさんは舟を止めた。そこは一昨日気候の調査をしていたところだった。到着するなりすぐに潜水の装備を説明しながら身に着け始めた。それほど複雑なものではなく、皮で作られた服のようなものとホースがつながる頭にかぶるものだった。こんな簡単なもので大丈夫かと思うが、もう何年も使いながら手を加えてきたものなので心配はないという。この地で暮らす人たちの伝統的な装備も参考にしているそうだ。草原で馬と暮らす人の馬具と同じで、湖で暮らす人たちの知恵を集めたものなのだろう。背中には石切りの道具まで背負っている。聞くと、石切りだけでなく重しの役割になるそうで、持たないと湖底に降りれないのだということだった。

 

「ここですよ」

 

 一瞬、ロウルさんが何を言っているのかがわからなかった。

 

「あはは、公書館の隠し書庫」

 

 ロウルさんはこちらの顔を見てうれしそうに笑っている。こちらは意味がわからず呆然とするだけだった。公書館の書庫が湖の中にあるという現実は簡単には受け入れられなかった。それもここは緑石の切り出しをしているところだ。

 

「じゃあ、ちょっと見てきますね。このパイプが命綱なので絶対踏まないでくださいね」そう言い残すと湖にゆっくり身体を沈めていった。皮に何かの動物の脂を塗ったパイプが水面下に生き物のようにするすると伸びていく。どのぐらい潜るのだろうか。


第27話 潜水

 湖の水はきれいでも、呼吸の泡のせいでロウルさんの姿は見えない。時々小さな魚たちが興味ありげに泡と戯れ泳ぐ姿が見える。ずっと一人で湖を見ていると、突然ミドリ鮫が現れるのではないかと、不安な気持ちにならなくもない。ロウルさんからはミドリ鮫の話を聞いていないけど、この湖で見たことがあると言われたら、落ち着いて舟に乗ってなんかいられたものではない。そんなことを考えながら時間がすぎていった。

 

 しばらくして湖底からの泡が大きくなったと思ったら、ぽこんとスロウさんの頭が水面に飛び出してきた。手で大丈夫ですよという合図をしている。無事書庫まで行けたようだ。舟に這い上がるようにして乗り込むと頭にかぶっていたものを取り、ふーっと大きく息を吐いた。

 

「どうですかねえ。行けそうですか?」

 

「というと?」

 

「オルターさん、やってみます?」

 

 誰でも簡単にできますよと言いたげな笑顔で聞かれた。まさか、いきなり自分に潜れと言われるとは思いもしなかった。そうしないと秘密の書庫に行けないと言っているのはすぐに理解できたけれど、さすがに自分のような素人がやることとは思えなかった。

 

「あの、実は泳ぎが苦手で…」

 

「泳げなくてもだいじょうぶですよ」と屈託のない笑顔を返された。

 

 ミドリ鮫に囲まれながら浮遊しているときと同じような感じなのかと想像しながらも、現実はそんなものではないということはだれでもわかることだ。

 

「心配ないですよ。これをかぶればだれでもできますから」

 

 これと言われてもかぶり方もわからないし、どういうふうに呼吸するのかもわからない。それでもロウルさんの待つ様子からは自信しか感じられない。そんなに簡単なことなのだろうか。こうなると覚悟を決めるしかない。公書館に入れなかったでは、さすがにトラピさんやナミナさんに申し訳が立たないだろう。

 

「あの……水は冷たいですよね」

 

「おいらは素潜りで行くので、これを着てください。温泉気分でだいじょうぶです」そう言うと、着ていたものをするすると脱いで手渡された。裏にはゴムのようなものが貼られていた。ロウルさんの勢いに押されるままに潜水の準備が整っていく。その間にも、こんなことがほんとうにできるのかという不安感は消えない。装備を着け終わると早速練習ということで、何度か水面に頭までつけながら少しずつ水中にいる時間を伸ばしていった。ロウルさんは素潜りでいっしょにいてくれるので、言われるがままに1時間も潜水を繰り返していると、湖底のほうに横穴があるのが見えてきた。そうなると逆に早く行きたいと気がせいてきて、練習にも自ずと気合が入っていく。徐々にまわりを泳ぐ魚見て楽しむ余裕も出てきた。

 

「オルターさん、なかなか上手です」

 

「いやいや、道具をつけると地上と同じようになるだけで、私の力ではないですよ」

 

「はじめてでここまでできれば、大したものです。ちょっと休憩しながら石窟の話をしましょう」

 

 湖畔で薪をすると火照った身体がさらに温まる。こんな寒い日なのにおかしな気分だ。冷水を浴びると身体の芯から温まる感じがするのと同じようなことなのだろうか。水の中のほうが暖かく感じるのも新鮮な経験だった。地下も気温差を受けにくいけど、水中も同じなのかもしれない。 

 

「それで、書庫にはどういうものがありますか」

 

「おいらにもわからないものが多くて、ナーシュさんの手稿のようなものばかりなんです。村の資料は公書館のほうにあるので、それだけみても秘密はわからないよと言わんばかりですよね」

 

「ナーシュさんの書いたもので何かわかることはないですか」

 

「なんだか一見は村と関係のないようなものばかりで、数式や記号のような記録ものもたくさんあるんです」

 

「何かを計算していたとか。ノート氏が書いたようなものはありませんか」

 

「どうでしょうか。おいらは何かを探して見たわけではないので、あれが宝の山であってもなんのことだかわからないのかもしれない」

 

 確かに興味のない人にとっては、あってもなくてもいいものなのかもしれない。はたして自分にその価値がわかるのかは行ってみるまでわからない。ナーシュさんだけが知る知識か経験を通してみないと理解できないことも多いのだろう。博識な人の考えることは凡人には理解しえないということか。

 

 話は石窟の構造の説明となった。ロウルさんは話を聞かせることによって興味を持たせようとしているようだ。はじめての潜水も楽しみがあればはずみがつくと考えているようだ。穴は途中藻のようなものがカーテンのようになっていてその先で一旦下に下がって上がったとことに水のない空間があるのだという。寝起きするのに十分な広さがあるらしい。空洞の先はさらに水の中に伸びているけれど、その先はどこにくかっているのかわからないとのこと。そもそも人が通るような大きさがないのだと説明してくれた。

 

 聞いていると、水中の通路を使って紙の本が持っていくのは簡単ではないと思い始めた。

 

「ナーシュさんはどうやって紙を持ち込んだのでしょうね」

 

「たぶん、向こうで紙を漉いたんだと思いますよ」

 

「紙を漉く……」

 

 言われて気がついた。ハロウさんもユイローでノートの紙を漉くと言っていた。紙漉き簀桁(すけた)さえあれば、石窟の中で紙が作れるというわけだ。

 

「ロウルさんも、紙を漉いたことがあるんですか」と尋ねると、あるという答えが帰ってきた。石窟で試してみたというのだ。この人は人一倍好奇心が旺盛なようだ。なんでも自分で試してみたいのだという。

 

「でも、石窟の中で作業をしていると意識が遠のくようなこともあって、やめてしまいましたけど」

 

「意識が遠のく?」

 

「オルターさんと同じですよ。おいらも体験者」と言いながら片目を閉じて笑ったと思うと、先を急ぐように潜る準備を始めた。スロウさんもミドリ鮫を見たことがあるのだろうか。


第28話 石窟

 意を決して石窟に身体を押し込んだ。とは言っても、人が立ったままでも十分余裕のある高さがあり、圧迫感はまったくない。余計な心配がひとつ減ってほっとした。穴の中は真っ暗闇かと思っていたら、壁がぼんやり緑色に光っていた。以前、ノーキョさんのところで見たものと同じ種類の苔だろう。そこを少し進んだところで頭上から光が射し込んでいた。気がつくと部屋に出られるように足元は階段状になっている。地上からの光かと思って、ロウルさんに従って上がってみると思った以上に広い空洞に出た。暗闇にならないよう事前に明かりをつけてくれていたようだ。空洞は石の壁に囲まれていたので、閉じられた密室での火は危険ではないかと尋ねてみると、どこかから空気は流れ込んでいるという話だった。少なくとも酸欠になるような密室ではないようだ。自然がつくった完璧な部屋がそこに現れた。

 

「ようこそ、ナーシュの部屋に」おどけるように言うロウルさんに握手を求められた。

 

「お陰でなんとかたどり着きました。ありがとうございました」

 

「秘密結社への入会を祝って」と言いながら、手を強く握り返された。

 

 ここを知る人はナーシュさんを含めても3人だけということに身が引き締まるような思いがした。あのホーラーでさえ知らないし、おそらくお祖父さんやお祖母さんも聞いていない。もしかするとジノ婆さんでさえ知らない場所かもしれないと考えると、秘密結社という言葉もあながち間違いではない。当然、ここの話は誰にも言わないという約束を求められていることもわかった。

 

「お祖父さんたちにも言わないほうがいいですよね」一応確認してみた。

 

「そうですね、しばらくは二人の間だけに留めておきましょうか。この部屋の意味がわかってからの判断でも遅くはないでしょう」

 

 そうなると、マリーさんや船長にも言えないということになる。せっかくの収穫と思いながらも、今の状況では納得せざるを得ないだろう。ロウルさんは部屋のものがなくなっていないかどうかを確認するように丁寧に見回している。置いてあった位置も変えないように気を使っているように見える。隅のほうには衣類も干してあり、今でも誰かが出入りしているように思える。盗難をさけるために不在を感じさせないようにしているのかもしれない。まるで、ナーシュさんがどこかに隠れているのではないかと思えてくるほどの気配を感じさせる。ひとつひとつがナーシュさんがいたときの痕跡だと思うと、静かな興奮に満たされていくのがわかる。

 

 部屋に出てきた穴に溜まっている水が部屋の床すれすれの位置まできている。部屋の中に水の入口があるというのもなんとも不思議なものだ。そこを魚が泳ぐのを見ると、隠れ潜んで何日でも過ごせるだろうということは容易に想像できる。水の村ならではの構造に驚かされる。要塞としてのこの土地の真価を見たような思いだ。のんびりした表向きの生活と裏腹に緻密な生き残り策が寝られていたのだろう。

 

 ロウルさんとは別に、自分でも部屋にあるものを見てみたが、事前に聞いていた通り、書庫というにしてはまったく本がないということに驚いた。その代わりというわけではないだろうが、ノートのように綴じられた紙もあれば、綴じられないままの紙片でいくつかにわけられて重ねられている紙の山もある。机の代わりにしていたと思われる石の棚には書きかけのメモのようなものとペン、おそらくこれもここで作ったのだろうと思われるインクが石の窪みに入れられている。

 

 目を壁の隅に移すと暗がりの中に紙漉き道具の簀桁(すけた)が置いてあった。見ているうちに、ここは保管する場所ではなく、なにかを作ったり、まとめたりする場所だったということがわかってきた。スレイトンケープの書斎が趣味を楽しんでいるような部屋だったのに比べて、この石窟の部屋は何かを成し遂げる使命を感じさせる空気が漂っている。ナーシュさんはここで何を書き残そうとしていたのだろうか。机の上を見ていた時に、きれいな緑石の六角錐を文鎮にした一枚の手紙のようなものがあるのに気がついた。書き出しには「親愛なるあなたへ」と書かれていた。

 

「ロウルさん、これは?」

 

「オルターさん、心当たりありますか。少なくともおいら宛ではないようなので。ナーシュさんが消えた後に残されていたんです」

 

 手に取って見ると、書かれている文に思わず目を奪われた。

 

******

 

 親愛なる君へ

 

 私がオールドリアヌに身を置いて数年がたちました。その間、この土地で起こる自然の災い、多くの未見のできごとことなどを知りました。そしてそれらは受け入れるにはあまりにも理不尽で不可解なものであり、愛すべき村を守るには多くの苦難を伴うことになるだろうことを知るに至りました。人知の及ばないことはいつの世にもあり、人が知らないほうがよいことも多くあります。しかし、私はその困難を克服すべく、理想の地を目指して自らの得た知と力を尽くすことを心に決めました。そして、そのためにはこの世界から姿を隠すことが最善と考えることとしました。詳細を語ることは災いを広げるばかりになると思われるため、この書置きではあえて伏せることにします。いずれ、この手紙をみつけた人があなたの手元に届ける日が来ると思います。その人が私をみつけ出さないことを祈りつつ筆をおきます。

 

******

 

 ナーシュさんの生の声をはじめて聞いた気がした。同時にマリーさんの顔が目に浮かんだ。マリーさん宛というより、そうあってほしいという思いが強かったからかもしれない。ナーシュさんは人に言えない苦悩を抱えたまま、人知れず姿を消す思いをこの石窟の中でしたためたということだ。あとはここのメモや公書館の資料から推し量ってほしいとでも言わんかのような簡単な書き残しに、こちらの大きな期待が闇の中に封じられていくように思われた。一帯何が起こっているというのだろうか。

 

「ナーシュさん、どこに……」思わず口をついて出てしまった。

 

「オルターさんの探しているものとのつながりはみつけられそうですか」

 

「ああ、なんとも言えないというか、接点があるのかどうかさえ……」

 

 ロウルさんが少し残念そうな顔をするのがわかった。

 

「手紙では見つけてくれるなとなってますが、みつけるのはオルターさんではないかと……」

 

 どうしてロウルさんがそう思ったのかはわからない。それでも自分がナーシュさんを探していることは間違いないし、マリーさんは自分の比ではないだろう。これが誰かに強要されて書いたものでなければ、村のために何かに身を投じたということなのだろう。それがリアヌシティとの約束と関係していて、お祖父さんのいう悪くなしないという話ということだろうか。

 

「あの、ロウルさん、気になったことをお聞きしていいですか。ロウルさんも意識をなくしたことがあるということですか?」

 

「たぶん、ユイローのなにかの作用だと思ってるんですが」

 

「やはりそうですか」

 

「ミドリ鮫は見たことはありますか」

 

「見たような気がするってところでしょうか。お祖父さんから散々聞いていたので、ほんとうにみたのかどうかもおいらにはわからない」と言いながらメモ用紙を探り、中から、ミドリ鮫とドットトラウトは対になって弧を描く絵を見せてくれた。

 

 まさにハロウズの透かしになっていた紋章と同じだ。絵に添えて、善悪という文字が書き添えられていた。ナーシュさんは何を知っているのだろう。



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