目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

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第22話 生き写し

「オルターさん! オルターさん!」

 

 辛うじてこちらの世界に踏みとどまれたのか。お祖父さんの呼ぶ声が聞こえる。

 

「雪かきでがんばりすぎたか。お、大丈夫そうだな」

 

 徐々に焦点が合って、見えてきたのはまぎれもないスロウさんその人だった。

 

「スロウさん、どうして……」

 

「よっぽど似ている人がいるようだな。世界には同じ顔の人が何人かいるというからな」

 

「だいじょうぶですね」というスロウさんの声を聞くとまた頭が混乱してくる。

 

「水を飲みなさい。軽いめまいだろう」

 

 お祖父さんの横で心配そうな顔をしているのは間違いなくスロウさんだと確信した。他人の空似というにはにあまりに似過ぎている。どう考えても本人に間違いない。これが同一人物でなければ双子がいたとでもいうのだろうか。スロウさんからそんな話を聞いたことはない。もしかして本人があえて他人のふりをしているなら、関係を明かせない理由でもあるのかもしれない。ここはことを荒立てないほうがいいのかもしれない。二人きりになるのを待とう。

 

「スロウさんじゃなくてロウンさんだから、オルターさん頼むぞ」

 

「あはは、どちらでもいいですよ。おいらのほうは」

 

 この現実として簡単に受け入れるわけにはいかない。自分がどこにいるのかのわからないほど深刻な状況なのだ。ドットトラウトも緑鮫も見た覚えがなくて、スロウさんだけが突然目の前に現れた。わからない。どうにもわからない。二人はこちらの気持ちを知ってか知らずか、勝手に話をはじめた。

 

「ロウンさん、また舟の滑りがわるくてな。時間のあるときに見てくれないか」

 

「お安い御用ですよ」

 

「それと、あんたはホーラーと知り合いなんだって聞いたが」

 

「ああ、普通に話しているだけですが、おかしいかなあ」

 

 ロウンさんと呼ばれているスロウさんは不思議そうな顔をした。スロウさんがホーラーを知っているわけはないと心の中で叫んでいた。

 

「そのホーラーにオルターさんを紹介してもらいたくてな」

 

「へえ、何かあったんですか」

 

「あいつが公書館の門番になっているものだから、誰も中に入れなくなってな。このオルターさんが調べ物をしたいというわけなんだがね」

 

「あそこの書庫はかなり複雑ですからね」

 

「ロウンさんも知っているのかい」

 

「というより、ホーラーも知らないんじゃないかなあ」

 

「それは、地下のことか」

 

「そうです。そうです。あそこの地下はかなり特殊ですよ。おいらは乾季に緑石を彫り上げていたときに気づいたんですけど、普通ならわからないですよ」

 

「なるほど。何かありそうだな。まあそちらのほうはオルターさんの話を聞いてもらってからだな。なあ、オルターさんそうしたほうがいいだろう」

 

「そ、そうですね。スロウじゃなくて、ロウンさん、よろしくお願いします」なんとか声を絞りだした。

 

 丁寧に自己紹介をはじめたロウンさんを見ていると、最初からかわれているのではないかという気にもなったが、不自然さのまったくない落ち着き払った様子を見ているうちに、だんだんとロウンさんとして受け入れざるを得なくなっている自分がいた。 

 

「あとでゆっくり島の話を聞いて…ください。あの、最近どこかの島に行っていたとか、最近ここに移ってきたということはないですか?」

 

「オルターさん、ロウンさんが来たのは十年以上も前の話だし、それ以降はどこにも行ってはいないからな」

 

「あはは、でも南の島に行っている夢はたまに見ますよ。そういう意味では島に行ってるかな」

 

 夢で島に行っている…でも、こちらは夢の話をしているのではない。ダルビー船長の船で来たし、それこそダルビー船長はスロウさんをかっている。船長がいてくれればすぐにわかる話だ。

 

「戻ったら、舟を見に行くので」

 

「今日は石切か」

 

「いや、氷の具合と水路の定点ですね。水量を調べているので。雪も雨も関係なく」

 

 湖底の石の切り出しもこのロウンさんがしているというなら、スロウさんでもロウンさんでももうどちらでもよいから話を聞かせてもらいたいものだと思い始めた。二人のやること、やっていること、考え方や話し方まで似ているならば、どちらでも同じことではないかと自分に言い聞かせた。


第23話 島の話

「オルターさん、お祖母さんには内緒だぞ」

 

 先を歩くお祖父さんは、振り返って念を押すように言った。

 

「ドットトラウトとの関係なんてお祖母さんは何もわかっちゃいないから、とにかく何もなかったことにな」

 

 今回は疲れのめまいだから嘘をついているわけではない。当然、今この時が現実世界のままだという前提ではあるけれど。ドットトラウトも鮫も見てないことが、自分にしかわからない自信となっている。それでもお祖父さんにまで気を使わせているのが申し訳なく思う。

 

 スロウさんは夕方近くに訪ねてきた。簡単な道具が入った袋を肩から掛けている。直せるものならその場で直してしまおうということなのだろう。

 

「水漏れしているわけではないですよね」とお祖父さんの要望を再確認しながら、すぐに舟を見たいというと、舟置き場に二人で向かった。さすがに今回は自宅で待つようにと言われてしまった。

 

 お祖母さんもスロウさんを信頼しているようで、スロウさんを見る目が優しいのがわかる。

 

「あの人はほんとに器用でね。ここの窓がこわれたときも助けてもらったんだよ。船大工というのはなんでもできるんだね。うちの人は漁にかけちゃ村一番だけど、そのほかのことはてんでだめだからね」

 

「ロウルさんとは長い付き合いなんですか」

 

「来たときは流れ者だと言っていたけど、あれだけの腕を持っていたら村の人間が話すわけないさ。本人もノイヤール湖に一目ぼれしちまったわけだし、さすがにこの先どこかに行くということはないだろうね」

 

「実はロウルさんにそっくりな人を知っていて、会ったときは腰を抜かしてしまいそうになりました」

 

「そうなのかい。コノンのウサギとおんなじだね。みんなおんなじ顔をしてるだろ。模様のないのなんか瓜二つだって思わないかい」

 

 お祖母さんの話は、あらぬ方向に進んでしまって、ロウンさんのことはどこかに行ってしまった。似ていると言ってもその程度にしか受け取られないのだと思った。

 

 お祖母さんの話を聞いているうちにロウンさんたちが戻ってきた。

 

「舟は修理に一週間ほどかかるので、また預かれる日を教えてください」

 

「そうか。その間、別の舟を頼むな」

 

「もちろんです。ご心配なく」

 

 それを聞くとお祖父さんは何か用を思い出したように席を離れた。その隙をみてロウンさんに小さな声で話しかけてみた。

 

「スロウさんですよね?」

 

 しばらく目を大きく開いたまま沈黙の時間が流れた。

 

「え? 私はその人ではないですよ。困ったな。そんなにそっくりなんですか?」

 

 あまりにつれない答えに返す言葉もなかった。ふりをしているのでなく、ほんとうに別人らしい。

 

「失礼ですが、ロウンさんはご兄弟は?」

 

「一人っ子です。でも子供のころに両親と生き別れになったので確証はないですが。オルターさんにスロウさんと呼ばれて、もしかして知らない兄弟がいたのかもって思いましたよ」

 

「ほんとうにスロウさんじゃないですよね」

 

「あはは、おいらはそう思ってるけど。その似てる人に会ってみたいものですね」

 

「オルターさんの言うスロウさんという人は島にいるのかい?」

 

 台所にいたお祖母さんに聞こえてしまったらしく、お祖母さんが興味ありげに話に入ってきた。

 

「そうだ、もしかするとコノンさんは会ったことがあるかもしれないです」

 

「コノンさんはその島に行ったことがあるわけですね。彼女が会っているならどれぐらい似ているか聞いてみることにしよう」

 

 お祖母さんもコノンさんの行った島の話を詳しく聞きたいというので、お祖父さんが戻るのを待って、ウォーターランのことを少し詳しく説明することにした。温暖な気候、平坦な地形、真っ赤な大きな月のこと、ナツヨビのこと、同じ名前の川のこと、跳魚、船長の定期船のこと、自由に出入りして干渉しない住民生活のこと。それに、ウィローがあることもわすれずに話した。お金もないし、税金もないことでは、メーンランドの都市との違いを説得力のある言葉で伝えるむずかしさを感じた。暮らしている本人でさえ、メーンランドに来てみるとありえない島に思えてしまうのだからどうにもならない。聞かされている側からするとそんな環境で何の問題もなく生活できているのが信じられないだろう。

 

「共同体というかほんとうに自給自足のようなところなんですね。おいらに合いそうだな」

 

 そのあと、自分かノートさんのことを知りたくてリアヌシティを訪ねて来たことを話そうとしたときにロウンさんが突然思い出したように言った。

 

「オルターさん、お話の途中なんですけど、その島の話、おいらの夢で出てくる島に似てますよ。おもしろいなあ」

 

「え? 夢にですか?」

 

「昔、オールドリアヌに来る前にいろいろな島をめぐる旅をしていたことがあって、そのころの記憶が断片的に出てくるのかなと思っていますが」

 

「夢の中でだれかに合いませんでしたか。まさか本屋はなかったですよね」

 

「うーん、いつも同じように島の周りをぐるぐる回っている夢で、ほんとうに島を船で回っているだけなんです。他に人はいないかったかな。朝目覚めるとほとんど忘れていますから確かではないですけどね。夢ってそんなもんですよね」

 

 こうして話していても、スロウさんとほんとうによく似ていると思う。スロウさんだって船で島の周りをまわっていると言えなくないし。

 

「あの、ロウンさんも自分の六角錐を作っているんですか」

 

「もちろん、その石を掘り起こしていますから、自らが作らないとだめかなと思って。緑石は見たことありますか」

 

 「ナーシュさんのつくったものとかはジノ婆さんの家の近くで」

 

「そうそう、ナーシュさんはおいらに仕事をくれた人ですからね」

 

  ロウンさんがナーシュさんとも知り合いだったことに驚いた。そうであれば、ホーラーとも話せるということにも納得がいく。ナーシュさんの失踪前に六角錐で関係していたとなると、いよいよノートの核心に近づいてきた気がした。スロウさんに生き写しな人に会えたのは、偶然ではなく何かに引き寄せられたのかもしれないと考えはじめた。

 

 話を終えたころにはロウンさんのほうも自分にとても親近感を感じてくれているのがわかった。スロウさんとも気が合うのだから、ロウンさんと合わないわけがないのだ。

 

「オルターさん、もしよければ、公書館のことを案内するときに緑石のこともいっしょにお話ししますよ。2、3日中に時間をつくりましょう。何か発見があるといいですね」

 

 お祖母さんとお祖父さんもロウンさんがいるなら安心という顔をしている。いよいよノートの核心に踏み込む日が来たようだ。


第24話 花と待ち人

 ロウンさんと約束した日までの数日はとても長く感じられた。お祖父さんも結局翌日も漁に出られず、家の中でゆっくりと男のロマンの時間を楽しんだ。お祖父さんはみつけた地図にドットトラウトが書かれていたことが読み直しほどうれしかったらしく、何度も机に広げては見ている。日にかざしてみているのは、ミドリ鮫の透かし絵でも探しているのかもしれない。自分のほうはノートに地図と関係した記述がなかったかを読み直しながら再確認している。ノート氏がいろいろなヒントを文章の中に紛れ込ませているのではないかと思うのだけれど、それらしいものはなかなかみつけられない。ほんとうに紀行文であるなら、そんなものはないのだろうけど、この記録がそれだけで終わっているとは思えない。時間がゆるりと動くことの答えなりヒントがどこかに残されているのではないだろうか。それは自分の思い出せない記憶と何かしら関係あるという思いは消えない。

 

 

***** ノート *****

 

潮が満ちるときには海面が上がり、川の下流は海とひとつになるように広がっていきます。そしてそんな日には海から群れをなした魚が川に抗うように遡上してくるのです。魚が一斉に飛び跳ねると日の光を受けて金色に輝き、上へ上へと先を争うように向かう姿は、まるで川の水面があふれるように見え、それを見ていたナツヨビは歓喜の乱舞をはじめます。これを目印にするかのように魚や鳥を追うミドリ鮫の群れを海面下の影で見ることもあります。その光景は生き物たちの命をかけた競演ともいえるもので、海の中ではさらにさまざまな生き物が生を謳歌するための生存競争や共存生活に加わっているのではないかと想像してしまうのです。突然集まる魚たちはどこから来るのでしょうか。海の深い底にはまだまだ見たこともない生き物がいるのかもしれません。

 

***** ノート *****

 

 

「オルターさん、ここに書かれてい跳魚という魚はドットトラウトとは違うのかい」

 

「そうは書かれてないんですよね。跳魚は今でも釣れます。あ、そう言えば、つい最近光る魚がウォーターランドにもいることがわかって。もしかするとそちらのほうが近いかもしれないですね」

 

 言ったあとに、それを見たのは意識を失っていたときではなかったかと思った。

 

「書いた人がこの村出身なら、ドットトラウトを知らないと思えないが、新聞社に勤めていたようだと、魚には興味がなかったか」

 

「そうですねえ。ドットトラウトも死ぬと別の魚のようになりますから、漁をしない人にはあの輝く姿を見ても同じものと思えないかもしれないですね」

 

「確かにそうかもしれないな。ということは、ウォーターランドにはドットトラウトがいる可能性もあるということか」

 

 ドットトラウトがウォーターランドにいるという可能性は低いかもしれない。それでもこういう話は永遠に続く夢のようで楽しい。お祖父さんは地図を横に置いて、ノートの束のほうに目を移し一枚一枚めくりはじめている。

 

「はっきりはしないですが、どうも光る魚が島のそばの洞穴のようなところに潜んでいるようなんですよ」

 

「その島のあたりで産卵しているとしたらどうだ。これはおもしろくなるぞ」

 

 自分の記憶にもノートを読んだお祖父さんの推測にも根拠はないが、もしそうであればノイヤール湖とウォーターランドがドットトラウトの回遊でつながっているという夢のような話になる。環境が似ていることを考えるとそれもありえなくもないのではにかと思った。以前はたくさんの跳魚がいたと思っていたが、今読み直してみるとドットトラウトのことだったと考えたほうがはるかに説得力がある。ノート氏は名前を知らなかっただけで、それを見ていたのかもしれない。なによりも水玉模様はウォーターランドの動物に共通する模様なのだから。お祖父さんとの間にミドリ鮫だけでなく、ドットトラウトのつながりが日に日に強くなっていく。このつながりはオールドリアヌでのかけがえのないものになりはじめている。二人でいつかドットトラウトの一生を解明しようという話で盛り上がっていく。

 

 ひとしきり話をしたところで、お祖父さんのみつけた地図に書かれていたジギ祖母さんの昔住んでいたというところに行ってみることにした。ハロウズと同じで、石の建物は残っているものの、家具等は長年の年月の経過で元の形がわからないほどに崩れてしまっている。玄関先にはだれかが活けているのか、古いガラス瓶に入れられた小さな花が置かれていた。ジギ婆さんがわざわざ戻ってきているとも思えないから、その昔のの記憶を残そうとしている人がいるのかもしれない。しばらく敷地内の置き去りにされたものを見ていると、通りがかった人がいたので呼び止めて話しかけてみた。

 

「すみません。ちょっとお尋ねしますが、この場所は何があったところでしょうか」

 

「聞いた話だと、以前は花屋だったこともあるらしいが……」

 

「そうなんですか。今はどなたが花を置かれているのですか」

 

「そこのつきあたりの家の人だと思うよ。理由はわからないけど、何もない廃屋は殺風景だからね」

 

 お礼を言って、ジギ婆さんとなにか関係のある人かもしれないと思い、その家を訪ねてみることにした。

 

「どなたかいらっしゃいますか」

 

 返事はなく、しばらく部屋からの物音もしなかった。不在かと思い家の中を覗き込むようにしていると不意に窓が開き、ジギ祖母さんに劣らず歳を召した女性が顔を見せた。

 

「あ、突然ですいません。ちょっとお尋ねしていいですか。あそこの花を置かれているのはこちらですか」

 

「それがどうかしたか?」

 

「いや、その、きれいだなあって思ったもので」

 

「あんた、ここのもんじゃないね」

 

 どうやら不審者と思われてしまったようだ。怪訝な顔でこちらを見ている。

 

「ちょっと人を探してまして。村を探して歩いていたときに偶然見かけたもので」

 

「あれは、ジギ婆さんに頼まれてやってるだけだ。生家の花屋だったことの目印にな」

 

「目印ですか」

 

「村もどんどん変わっていくもんでな。戻り待ちの人がいるっていうが、いつの話になるんだかね」

 

 ジギ祖母さんがずっと誰かを待っているというコノンさんの話は正しかった。よほど大切な人なのだろう。

 

「これからもずっと花を?」

 

「そりゃ、ジギ婆さんの頼みだからな」とだけ言うとお礼も聞かずにそそくさと窓を閉めてしまった。もしかすると待ち人が来たとでも思ったのだろうか。そうであればよかったのに残念だっただろう。閉まった窓に向かって頭を下げてから生家跡に戻った。

 

 花に頭を下げながら、待ち人が戻ることを心から祈った。自分がノート氏を探すように、誰しも会いたいと思う人はいるもののだろう。そう思うとジギ婆さんに少し親近感を感じた。花を見ているとふと、リブロールで待たせているミリルさんのことを思い出した。考えてみればマリーさんとナーシュさんだってそうだし、船長やお祖父さんはミドリ鮫を待っていると言えなくもない。待っている人と戻れない人の関係というのも不思議なつながりだ。ここにいると、会えない心のつながりのほうが強いと言われているような気がする。それこそ記憶のなせる業なのだろうか。なぜ、待つのか、どうして離れてしまうのか。そんなことが頭の中にぼんやりと浮かんでは消えていく。どうして戻れなくなるのか。戻りたいけど戻れないのか、戻りたくないのか……戻れない旅とはなにか。自分の旅も戻れない何かが起こりうるのだろうか。花の前でしばらく立ちすくんでしまった。

 

 しばらくいるうちに、さすがに寒さが堪えられなくなってきたので、答えの出ない考えごとに見切りをつけて、ジギ祖母さんの旧宅を離れた。地図の花の絵が書かれた場所はやはりジギ祖母さんのいたところで正しかった。そこであらためて村人のジギ婆さんに寄せる気持ちを知ることになった。村人たちの思いには並々ならぬものを感じる。ジギ婆さんの人望は巫女であり長老であり、若き日の美しさであり、花そのものであり、ノイヤール湖とともに村の生きた伝承そのものになっているようだ。


第25話 書庫の入口

 ロウルさんとは、シナモン跡地を使った公共の場所で待ち合わせをした。開口一番、私だけに教えると言って、誰にも言わない約束をすることになった。ロウンさんもナーシュさんの失踪以来、そのことが頭から離れないらしく、こちらから話したノートのことでお互いに共通する問題を感じたのだろう。そうでなければ島の生活などから同じ外ものである自分に親近感を感じてくれたのかもしれない。もちろん、お祖父さんとの紹介もあってのことだろう。

 

 小屋の中は公共の場として殺風景なほどに片付けられているものの、利用する人は少ないらしく、今日も自分たち以外に誰もいない。中から鍵もかけられるようになっているから個人的にも使える公共スペースというところだろうか。主に月に一度の村の集会で使われる場所ということだった。カウンターには営業していた当時のカフェのメニューが書かれた板や骨董ものの食器などが置かれている。今は当然誰かがお茶を入れてくれるわけでもなく、自分で火をおこして持参したものを飲むという利用方法になっていた。カフェというようりも炊事場のついた打ち合わせ部屋という感じだ。それがこの村には合っていると思った。

 

 ロウルさんは、今日はこちらがお客さんだと笑顔で言うと、準備してきたお茶を入れてくれた。手作りで水草を使って試作中のものだそうだ。うまくいけばサークルに出す予定だとうことらしく、味についての感想を聞かれた。水草のお茶は飲んだことはないけど、なんだか懐かしい気分になれる味がした。

 

 「ここのことはご存知かもしれませんが、シナモンティーが有名だったようですよ。昨日見せていただいたノートにも出ていたけれど、それが後に店名になったようです。そうか、シナモンティにすればよかったかな」

 

 それを聞いて、まさにここがノート氏が旅立ちの日に立ち寄った場所だということに気がついた。数百年前の店と当時の暮らしが蘇ってくるような気がした。使っている骨董のカップさえもノート氏が使っていたものかもしれない。当時の彼の痕跡をみつけることはむずかしいけれど、ノート氏の旅と重なるように、今からほんとうに自分探しの旅が始まるのかもしれないと思った。

 

 ロウルさんは机に座るとカップを横に置いて、紙にさらさらと絵を書き始めた。やはり手先の器用な人だけあって、絵も立体的で製図を見ているような綺麗な線が印象的だった。なにか迷路のようなものを書いているように見えた。

 

「これが地上の建物で、これがノイヤール湖。ここから横穴があって、この先から一度下がって上に、下がったところで湖の水面下とつながる通路に。あがったところは行き止まりの書庫で、ひと部屋ほどの空間になっているというわけです」

 

 どうして公書館から離れたところに入口を会いているのか理解できなかった。別々に描いて説明しようとしているのだろうか。

 

「ということは、この絵でいうと下がったところは水の中を抜けて行くということですか」

 

「そうです。わかりますか? 部屋も水面下の高さなのですけど、空気は常時入っているので水は上がってこないわけです。空気穴がどこかは今でもわからないですが」

 

「公書館のほうの入口はどのあたりになるわけですか? 裏庭の地下は通路があるということですか?」

 

「そちらはダミーでしょうね。ホーラーが手伝って作った隠し部屋だと思います。

 

「ということは、入口は湖のほうだけということですか」

 

「そうなんです。なので、実はそこには本はないんですよ。ナーシュさんの手書きの資料はたくさんありますが、おいらには学がないのでそのほとんどは何を書いているのかも理解できないようなものばかりで」

 

「ノート氏が書いたノートの残りはありそうですか」

 

「なんとも言えないですね。ナーシュさんもいつか戻るだろうから、あまり触らないようにしていますし。おいらたちは留守番をしているだけと思っているので」

 

 たしかに、ナーシュさんの隠れ書斎のようなものであれば、勝手に見るのもはばかれるような気がしないでもない。

 

「そこへは私もいけそうですか」

 

「オルターさん、水のほうは?」

 

「潜るようなことはあまりやったことはないですが……」

 

「数分がまんができれば」というと頬を膨らませてみせた。

 

「心配いりません。ロウル特性の潜水具もあるので、それを被ればだいじょうぶでしょう」

 

 ロウルさんもスロウさんと同じように発明をできる人なのだろう。素潜りや潜水はすぐには無理にしてもその入口だけは見ておきたいと思った。場合によっては中のものは皮の袋にでも入れて持ち出してもらえばなんとかなるだろう。

 

「まずは、公書館のほうを先に見てもいいかもしれないですね。ナーシュさんが集めたものはすべてあそこにあるので。地下は手稿中心でなかなか難解ですし」

 

 手稿という言葉が気になって、地下の入口を一度は見ておきたいと思った。見るだけでも先にという熱意をわかってくれて案内してもらうことになった。もしかすると、まだ場所を教えるほど信頼されていないのかもしれないとも思ったが、それはんなかったようだ。

 

「行く前に、緑石のほうの話もしておきましょうか」

 

 信頼してないどころか、ロウルさんはなんでも話すつもりらしい。お願いすると、石切を始めた経緯を話し始めた。もともとスロウさんにそういう技術があったわけではなく、ナーシュさんが自分で切り出していたのだということだった。仕事もなく食べるのもままならない水上生活を見て不憫に感じたのか、手伝わないかとナーシュさんのほうから誘われたのだそうだ。切り出した石は、昔からの風習に習って六角錐にしてジノ婆さんの近くにもいくつか置いたけど、そのためにわざわざ湖底から切り出す必要があったのかどうかはわからないとのことだった。後になって、石窟を知られないための偽装として切り出しをしていたのではないかと感じたとも言った。スレイトンケープの骨董市で見たものもハロウさんからの提案か依頼に応えてつくられたものだったのかもしれない。骨董市にはいい品になるだろう。もしかすると、ダルビー船長がリアヌシティから締め出されたのは、緑石の持ち出しが原因だったと想像できなくもない。

 

 「最初から石窟のことはすぐに教えてもらったのですか」

 

「いやいや、ナーシュさんもそこまでお人好しじゃないですよ。聞いたのは失踪する直前でしたから、よほどの覚悟をした後に、何かあったらという思いだったのではないかな」

 

 戻れないかもしれないという気持ちで、何をい残そうとしていたのか。きっと石窟に答えがあるに違いない。それが何か行かなければわからないことがあると思った。

 

「じゃあ、早速入口にご案内しましょう」

 

 外に出るとまわりをぐるりと見渡して誰もいないことを確認して、すばやく船着場に向かった。


第26話 地下迷路

 「今日はお祖父さんも大漁になるかもしれませんね。漁にはうってつけの日ですよ」

 

 まったくその通りだ。最高の日が最低の日にならないことを祈りたい。 

 

「スロウさんも漁をされますか」

 

「いやあ、漁はお祖父さんにはかなわないですから、石の切り出しに精を出していますよ。お陰であの石を欲しがる人もいて」

 

 船大工が仕事という話でなかったのが意外だった。

 

「船大工は村に何人かいますし、百年近く続けている腕のいい人はいますから、私なんか新参ものですよ。お祖父さんが贔屓にしてくれているのでがんばってますが」

 

 ノート氏が見ていたという舟大工の家系も続いているのいるのかもしれない。戻ったらお祖父さんに聞いてみよう。

 

「石の切り出しのほうが本職なんですね」

 

「そうですよ。ナーシュさんのおかげですね。とくに湖底の緑石を切り出す人はほかにいませんから、これだけは自慢できますね」

 

「六角錐は誰が作っているんですか」

 

「それは石工さんがいるので、そちらにまかせてます。オルターさんも興味あればまた紹介しますよ」

 

「私も作ったほうがいいのかなあ」

 

「うーん、ここに戻れることを願うものなので、どうですかね。お土産ぐらいでもいいかも」

 

 話をしながら、ロウンさんは何かしら様々な機材を舟に乗せ始めた。

 

「今日も石切りですか」

 

「ああ、そういうことではなくて……でも、そうとも言えるかな」

 

「あの、こんな質問もおかしいですが、どうして私には入口を教えていいと思われたのですか」

 

「お祖父さんの知り合いだし、遠くからわざわざここを訪ねてきて人を探しているわけですよね。公書館を本当に必要としているのはすぐにわかりましたよ。もともと、自分もオルターさんのような立場だったわけだから、お手伝いできるならと思って。なんだか同じなにかを探しているような気がしたのかな」

 

 やはり昨日話したことが伝わったのだと感じられてうれしかった。

 

「それに、失踪してしまったナーシュさんのこともあるし。スレイトンケープで待つマリーさんという人のためにもなりますよね」

 

 言われてみてはじめて、この旅が自分探しというだけでなく、いろいろな人の気持ちを背負っているのだということに気づいた。もしかすると知らないうちにノート氏の成し遂げられなかったことを引き継いでいるのかもしれない。

 

「オルターさんこそがキーマンかもしれないですよ」と言うと、意味ありげにこちらを見て同意を求められた。自分が何のキーマンだというのだろうか。ただ、気の向くままにその場の状況にまかせているのに、みんなの期待を裏切るのではないかという不安がよぎった。

 

 公書館を通りすぎて、湖の淵のあたりまで来たときにロウルさんは舟を止めた。そこは一昨日気候の調査をしていたところだった。到着するなりすぐに潜水の装備を説明しながら身に着け始めた。それほど複雑なものではなく、皮で作られた服のようなものとホースがつながる頭にかぶるものだった。こんな簡単なもので大丈夫かと思うが、もう何年も使いながら手を加えてきたものなので心配はないという。この地で暮らす人たちの伝統的な装備も参考にしているそうだ。草原で馬と暮らす人の馬具と同じで、湖で暮らす人たちの知恵を集めたものなのだろう。背中には石切りの道具まで背負っている。聞くと、石切りだけでなく重しの役割になるそうで、持たないと湖底に降りれないのだということだった。

 

「ここですよ」

 

 一瞬、ロウルさんが何を言っているのかがわからなかった。

 

「あはは、公書館の隠し書庫」

 

 ロウルさんはこちらの顔を見てうれしそうに笑っている。こちらは意味がわからず呆然とするだけだった。公書館の書庫が湖の中にあるという現実は簡単には受け入れられなかった。それもここは緑石の切り出しをしているところだ。

 

「じゃあ、ちょっと見てきますね。このパイプが命綱なので絶対踏まないでくださいね」そう言い残すと湖にゆっくり身体を沈めていった。皮に何かの動物の脂を塗ったパイプが水面下に生き物のようにするすると伸びていく。どのぐらい潜るのだろうか。



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