目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
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第23話 消えなれ

 雨上がりの日にはいつも大きな虹がでる。それもきれいに半円を描かず、方向を見失ったように蛇行して天へと伸びていく虹だ。オーロラのカーテンのようではなく、地表近くをまるで大きな眼鏡橋のようにうねり、気象条件によっては立ち上がるように上にねじれて昇る。世にも稀なる自然のつくる芸術だ。この変わった虹もこの土地ならではの風物詩と言っていいだろう。
 
 島のあちらこちらに朝の支度をする煙が見える。長時間発酵のパンを食べて以来、エモカさんのところの煙を見るのが日課になっている。食べる食べないに関わらず、パンを焼いている煙を見るのは幸せな気分になるから不思議だ。
 リブロールの煙突からも薄い煙が出ていた。ミリルさんが掃除用にお湯でも湧かしているのだろう。家々から立ち昇る朝の白煙は、一日の始まりをみんなであわせているようで楽しいひとときだ。
 
 この灯台にも古いストーブがひとつある。これが冬になると出番を待ちかねたように活躍する。鉄でできた四角いだけの無骨なストーブだけれど、ミドリ鮫漁のころの昔から灯台守の孤高の生活をずっと支えきた頼もしい友だ。その気になればオーブンとしても使えるようだけれど、これといった料理もしないので残念ながらその機会は少ない。古いホーローのヤカンが天板でお湯を温めている。
 
 ないないさんはもう起きただろうか。まずはミリルさんに薬草のお願いをしにいかないといけない。もともとないないさんと親しくしていたのはミリルさんだから、きっと戻って来たと聞けば大喜びするにちがいない。ミリルさんお手製の美味しいスープでも届けてあげればきっとすぐに元気になる。
 ないないさんの家の方を見てみた。まだ煙があがってないところをみるとすっかり寝込んでいるのだろう。体調をおかしくすることはないにしても、移動の疲れを取るにはそれなりの時間がかかる。
 
 日課にしている灯台の朝の掃除を終えてリブロールに行くと、ちょうどミリルさんが店内に吹き込んだ落ち葉を掃き出しているところだった。秋の枯れ葉はリブロールを埋め尽くしてしまうほど多く、これも自然を楽しむ流儀だとは思うもの、掃除する人のことを考えるとやはり大変だ。
 
「ミリルさん、いいニュースですよ」
 
「え、光る魚釣れてしまいました? 大きかったんですか」
 
「あ、いや、そっちではなく……もっとびっくりするニュースが」
 
「えーなんですか。もったいぶらないで教えてください」
 
「あのないないさんが戻ってきましたよ」
 
「え、今どこに?」
 
 もうすぐにでも会いに走り出して行きそうな勢いだったので、事情を説明して準備ができたらいっしょに行くということでなんとかはやる気持ちをなだめた。
 
「何も変わりはなかったですか」鍋の用意をしながらミリルさんが聞くので、「外見には変わりはなかったですね。というよりいなくなったときのままでしたよ」と見たままに答えた。
 
「ここに来られたときと同じということを言われてます?」
 
「もしかしたらそうかもしれない」
 
「同じ服のままということです? まさか誰も気がつかないところで意識不明のまま数ヶ月たったと言われてないですよね」
 
「うーん、そんな気がしないでも……」
 
「オルターさんたらまた変なことを。きっと内緒で遊んでたんですよ」
 
 ミリルさんに私の言っていることの真意がわかるはずもない。それはいつかないないさんの口から説明される日を待つしかないのかもしれない。
 
「ちょうど新鮮な牡蠣が手に入ったので、これでスープでもつくりましょうか」
 
「ああそれはいい。あの牡蠣があれば薬草もいらないかもしれない」
 
 誰が養殖したわけでもなく、牡蠣は島の周辺の岩場に自然のままに繁殖している。緑豊かな島の滋養をたっぷり取り込んで、これから旬になる牡蠣もこの島の風物だろう。インクも実はこの牡蠣が好きでこの島に住み着いたのかもしれない。
 
 しばらく薬草を入れた鍋の煮えるのを見ていたミリルさんが、突然思い立ったように「やっぱりないないさんのところに行ってきます」と言うなり一人戸口の方に向かって歩きだした。
どうしても会いたい気持ちを抑えられなかったようだ。
 
「料理もあるし、こちらに来てもらいましょうね。ちょっとお鍋を見ていてください」と振り返ってひとこと言うと楽しそうに走って行ってしまった。
 
 ミリルさんはほんとうにないないさんのこととを大切な友達と思っているのだろう。居ても立っても居られない気持ちもわからなくもない。ないないさんのような遠慮がちな人を見るとミリルさんのお世話魂が黙っていられなくなるのだ。
 
 薬草を煮詰める鍋の水がなくなってきたころにミリルさんが戻ってきた。
 
「もう、起きてましたか」
 
「オルターさん、ないないさんとはどこで会いました?」
 
「あれ、何も言ってなかったですか?」
 
「ないないさん、どこに行ってもいないんですけど」
 
「しまった……」
 
 また、何も聞けないままに行方知れずになってしまったかもしれない。
 

第24話 漂流するヨット

 結局この日はみんなでないないさんを探して回ることになった。考えられる限りのところを当たって、出会った人にはだれかれ構わず聞いた。それでもないないさんの消息はまったくつかめず、また私の夢だったのではないかという疑念だけがみんなの中に残った。だれも口に出しては言わないものの、こちらを見る目を見ればわかる。
 ちょっと気まずい雰囲気になってしまったので、言い訳しても仕方ないと思い、気分を変えるために思いつきで次に出す新聞の話をしてみた。ないないさんがまた別の世界に行ったのであれば、すぐに帰って来ることはないだろうというあきらめに似た気持ちもあった。一方で、そうしているうちに、またふらりとないないさんが現れるかもしれないという淡い期待もあったかもしれない。

 ないないさんのことは気になるものの、それを新聞に書くのはさすがに気が引けた。今一番気になることではあるけど、人が突然消えてしまうのではいくらなんでもいい印象は持たれないだろう。かといって、幻の光る魚というのも、書くなら釣れてからの話であってまだ記事にするには早い。
 結局、ミリルさんの意見もあって、キャンドール灯台のことを紹介するのが一番いいということになった。ノーキョさんのロウソクもできたことだし、船長も船いっぱい持ち帰ると言うに違いない。ハロウさんたちの朝市に並ぶのが目に浮かぶようだ。この島に定期的に来ても、水の補給以外に船長の収入につながることもないだろうから、島の名産品として持ち帰ってもらうのも悪い話ではない。
 しかしよくよく考えてみると、ここでつくった新聞やロウソクは現実世界に届くかどうかの方が気になる。意識が覚めて出島に戻った後に、はたしてこの新聞を手にすることができるのだろうか。あくまでもこちらの意識世界の話しであって、現実世界のほうには届かないようにも思える。もし、向こうで手にすることができたら……何がどうなっているのか……それはまたそのときになってみないとわからない。今は余計なことは考えないことにしよう。

 久しぶりに書き始めると、書きたいことがたくさんあって、短い文章にまとめようとするとなかなか思うようにはいかない。ロウソクのことをどう説明するかも意外にむずかしい。
 まだ実際の使い心地を試してないことに気づいて、試しに火を灯してみた。思ったよりも炎が大きい。その分早くなくなってしまうのではないかと思ったけれども、これがなかなか短くならない。シロノキの蝋はとても長持ちするいいロウソクになるのかもしれない。よくよく見ていると、溶けて流れ落ちる蝋もほとんどないし煙もでない。普通のロウソクよりも蝋の燃焼効率がいいのだろうか。もしかすると、芯の素材もいろいろ考えられているのかもしれない。風が吹いても消えそうにないから、なかなか実用性があるものに仕上がっているようだ。
 長持ちロウソクだということをノーキョさんに教えてあげるときっと喜ぶだろう。でも、もともとそういうロウソクにしたんですよと言われるかもしれない。ノーキョさんのことだからいろいろ実験してこの蝋にしたのだろう。何も考えてないのはこちらだけという話になってしまいそうだ。

「長いと言えばエモカさんの長時間発酵のパンも長いですね」とミリルさんが言った。

 言われてみればあの酵母も発酵に時間がかかる。島の時間は壊れた時計と同じですべてが長い。すべての時間が長い島という話は、メーンランドの人たちにも興味をもたれるかもしれない。時間に追われて生活している人たちにとっては夢のような話だろう。

 新聞をウォーターランドの長持ちロウソクという内容で書き終えて、また消えてしまったないないさんの行方のことを話していると、コピが息を切らして飛び込んで来た。

「じっじ、船が来た!」

「あれ、船長? 今回はいつもよりちょっと早いな?」

「ううん、小さなお船」

「え? 船長の船じゃなくて?」

 島に船が来るなんて何年ぶりのことだろう。この前来たのがスロウさんだったから、かなり前の話になる。スロウさんは手製の船で海上暮らしをしていて嵐の日にたまたまこの島に流れ着いてしまったという話だった。島に来る人は偶然で来るだけで、この島にいつでも来られる人は船長以外にはいないと言ってもいい。

「あ、もしかしてないないさんかもしれないですよ」とミリルさんが言うと、「こっちこっち」と言いながらコピが灯台の方に向かって駆け出した。

 ミリルさんと、ないないさんだといいねと話しながら後を追った。

先に着いたコピが「あそこ、あそこ」と大きな声あげた。

「あ、ほんとだ。あれヨットじゃないですか」ミリルさんはすぐに見つけて言った。年寄りの目には海面のきらめきばかりがまぶしくてなかなかわからない。

 波のきらめきでよく見えないので、展望のデッキからなら見えるかもしれないと思い上がってみることにした。

「オルターさんわかります? この方向ですよ」ミリルさんが下で指差してくれた。

 言われてみるとヨットなのかなあと思うぐらいではっきりしない。

「望遠鏡!」と言うと、コピはリブロールにおいてある単眼鏡を取りに走って行った。

 灯台の上からは島が一望でき、コピの走っていく姿がジオラマのように見える。ここからの景色は島民の生活がひと目でわかり、まるで島の物語を時間に合わせて読んでいるように思える。それはこの島の生活そのものが小説なんじゃないかと思う瞬間でもある。本を読む人なら一度は経験したことがある、自分自身が物語の中にはいってしまうような感覚に近いかもしれない。
 そんなことを考えていると、もし今いるところが意識世界なのだとしたら、小説の中に入り込むのと同じことを実際に体験しているのかもしれないと思った。

 久しぶりに展望デッキに上がってみると、昨日の雨もあってレンズはひどく汚れてくすんでいた。灯台としての用をなしていないように見えた。よく見えない船の話はそっちのけで、すっかり忘れていたレンズ磨きのほうが気にかかってしまった。

「ミリルさん、掃除道具お願いしていい?」ロープのついたバケツを下に下ろして頼んだ。

「今、やります?」

「そうそう、だってあれがヨットならきれいにしないと」

 ミリルさんに掃除道具をまとめてあげてもらった。

「オルターさん、やっぱりあれはヨットですよ。ないないさん、どこでヨットなんか」

 もし、ないないさんであれば、なおさら掃除を急がないといけない。なにかの手違いで沖に流されてしまったのかもしれない。磨く手のにも自然と力が入る。すぐにミリルさんも上がって来ていっしょに手伝ってくれた。

「じっじ」下からコピの声が聞こえた。コピは子供なので急な階段は登ってこない。掃除の続きをミリルさんにお願いして下に降りた。

「どれどれ……」

 心の中でないないさんの元気な顔が見えることを期待していた。もし、ないないさんでないなら、正直ミドリ鮫でもドットトラウトでもよかったかもしれない。とにかく現実世界と繋がりそうなものならなんでもよかった。

「帆が見えるのかな……」

 遠くを見ると視界が狭くなるのでなかなかみつけるのがむずかしい。コピが前に立って方向を教えてくれるけど、思うように単眼鏡で覗く円の中に入ってくれない。

「水平線のちかくを見るといいかもしれないですよ」上でレンズを磨いているミリルさんの声が聞こえた。

 水平線に会わせて左右になめるように見ていると何度目かにやっと視界に入った。

「あー、あれは……たしかにヨットかもしれない」

「え、ヨットですよね」

「ヨットか……人が見えないから大きさがよくわからないけど帆はあがってるからヨットだよね」

「じっじ、お船見えてよかった!」コピがうれしそうに顔を左右に動かしている。

「オルターさん、あれ誰が見てもヨットですよ」レンズを磨いているミリルさんは早く戻って手伝ってほしいとでも言いたげだ。

「どのぐらいの距離があるのかな。こっちに向かっているかどうかだな……」

 昔、遠くに見えた船が結局は島に来ないままに何度も見送ったのを思い出した。とにかくこの島は見えてから来るまでにとんでもなく時間がかかる。それも今だに理由はわからないまま。船長の船に乗った今でもわからないのだからどうにもならない。やっと見えたヨットがこの島を目指しているとしても、まだしばらく島に着くことはないだろう。

「オルターさん、掃除終わっちゃいますよ。これだけは人にまかせられないんじゃなかったんですか」

 そうだった。レンズ磨きは灯台を守る灯台守だけの仕事だった。ミリルさんが掃除をしたのでは灯台を守っているプライドもなにもあったものじゃない。

「最後の仕上げはやるから、そこまででいいですよ」

「えっと、もう終わりますけど……」


 灯火台の油差しも終って、一向に近づく気配もないヨットのほうを3人でしばらく眺めていた。

「オルターさん、あのヨットぜんぜん人が見えないですけど変じゃないですか」単眼鏡を覗いていたミリルさんが言った。

「中で寝てるのかな」

「そうであればいいですけど、そういう時は帆を出しておくんですか?」

「人のみえないヨット」コピがミリルさんの言ったことを復唱するように言った。

「なんだか幽霊船みたい」

 それがあのタークさんのヨットだと気づいたのは翌日だった。

第25話 救護に

 翌日もからりと晴れた晴天だった。単眼鏡を覗くとヨットはほとんど同じ場所に見えた。いつもと同じで、いつまで立ってもこのシムに近づく気配はない。もしかしたら遠ざかっているのかもしれないとさえ思ってしまう。
 
 凸レンズと乙レンズの関係はよくわからないけど、島のまわりを何かそういうものが囲っているのではないかと考えたこともある。今度、船長がきた時にレンズの本をなにか適当に探してきてもらうことにしよう。うまくすると水の本のようにいろいろな疑問が晴れるかもしれない。
 
「ほんとうに漂流してるんですか?」めずらしく朝から資料整理に来ていたノーキョさんが言った
 
「まちがいないですよね。人が見えないのは倒れているからですよね」ミリルさんがこちらに同意を求めるように言った。
 
「ヨットだけどこかから流れて来たというのではないのかなあ?」
 
「帆をあげたままで漂流するヨットなんてないでしょうね」自分で言いながら、やはりあれはタークさんが遭難しているんだという思いを強くした。
 
「あやまってヨットから落ちたんでしょうか」
 
 ミリルさんの言うことも考えられなくないが、あれがタークさんのヨットだとするならヨットの中で倒れていると思ったほうがつじつまが合う。
 
「ちょっと近くまでボートを出してみましょうか」ノーキョさんが開いていた本を閉じて言った。
 
 船長の船も肉眼で見えてから船がつくまでには時間がかかる。もし、それと同じであればとても手漕ぎのボートで行ける距離ではないような気がした。
 
「まあ、見えている距離感と実際の距離はずいぶん違うんですけどね」ノーキョさんはこちらの気持ちを察したように言葉を続けた。
 
「それでも行きます?」
 
「もし、人が乗っていたらほっとけないですし、とにかく行けるところまで」
 
「あまり沖に出ると潮の流れも早いでしょうから無理しないほうがよくないですか」ミリルさんもさすがに心配なようだ。
 
「あ、そんなに無理するつもりはないですから、だいじょうぶですよ」いつもと同じ笑顔にちょっと安心した。
 
 その後すぐに簡単な身支度をして、いっしょに行くというのを聞かないでボートに乗り込むと行ってしまった。ノーキョさんは、ちょっとした荷物もあるので島のボートだと二人だと無理だというようなことを言った。なにか考えがあるのかもしれない。
 
「ノーキョさん、ロープや非常食まで持って、あれは軽装備っていうんですか?」
 
「海のことはよくわからないけど、陸とは違うからね」
 
 現実世界で起こったことは、タークさんは無事この島にたどり着いたのちに体力を回復してスラントンケープまで元気にたどり着いた。そうだとすれば何も心配することはないのかもしれない。もしノーキョさんが連れて帰れなくても、潮に流されて島に打ち寄せられるのだろう。
 
「こういうときにスロウさんがいればよかったかも」ミリルさんがポツリとつぶやいた。
 
「ほんとですよね。スロウさんならエンジンつきのボートだからすぐに助けられた……」
 
 そうか、現実世界ではノーキョさんでなくスロウさんが助けに行ったんだ。だとすると……。
 
「ミリルさん、ノーキョさんを追いかけましょう」
 
「え?」
 
 理由も言わないでボートの向かった方向にある灯台を目指して走った。途中コピに会って、三人で灯台のある高台に向かった。
 
「ボート、ボート!」海の上に浮かぶノーキョさんをみつけたコピが叫んだ。
 
「ノーキョさーん! 危ないから気をつけてくださいよー!」声の限り叫んだ。横でミリルさんが驚いた顔をしてコピと顔を見合わせている。
 
「あ、聞こえたみたいですね。手を降ってますよ」
 
「ボートー! 」コピもいっしょになって叫んでいる。
 
 ノーキョさんの向かう先には小さな点のように見えるヨットがある。
 
 こちらから見える海の先は虫眼鏡のレンズを通して見ているようなもので、すべて拡大されて見える。それでも、点ほどにしか見えないのだから、丸1日漕いでも辿り着かない可能性だってある。そう考えると、ノーキョさんが軽装備と言ったのも間違いではなかったかもしれない。もっと重装備をした方がいいというべきだったと後悔の念で頭がいっぱいになった。
 
 結局、夜遅くまで待っていてもノーキョさんは帰ってこなかった。灯台のレンズを磨いたからきっと島を見失うことはないですよねとミリルさんが不安な気持ちを振り払うように言った。明日の朝にはきっと何事もなかったように元気な顔で帰ってくると自分に言い聞かせた。
 幸い夕方になっても雲一つない晴天だった。満天の星たちがノーキョさんを助けてくれるだろう。この島を見失うことはないはずだ。それだけが救いだった。

第26話 もぐらの話

 それからしばらくの間も、いつになく凪いだ静かな日が続いた。ノーキョさんのボートはいつまでも視界から消えることなく、島とヨットを結ぶ線の上にじっと止まったままで、まるで静止画のようだった。ノーキョさんの姿が見えている限りは命に別状はないということだと話ながらヨットとボートが重なるときを待った。
 トラピさんとナミナさんがメーンランドに興行に行って、次にスロウさんがメーンランドに渡って、ないないさんがまた行方不明になって、今度はノーキョさんが島から出て行ってしまった。ユーヨアさんもこのところ見かけない。誰かが現れないまま、次々に島から人がいなくなるのはなんとも寂しい心持ちになる。それが秋の訪れに重なるからなおさらだ。
 
「オルターさん、ロウソクをたくさん並べてみませんか?」突然ミリルさんが言った。ノーキョさんが島を見失わないようにという思いから言っているということにしばらく気がつかなかった。
 
「でも、灯台もあるし……」
 
「そうですよね」と言うと力なく肩を落とした。
 
 リブロールにじっとしていてもなにもできることもないので、ネモネさんの温泉にでも行ってみてはどうかと薦めると、そうですよねと答えると放心したような足取りでリブロールを出て行った。ミリルさんもみんながいなくなっていくのが寂しいのだろう。
 
 一人店にいても来る人もなさそうなので、本を持ってエバンヌの近くにある森の紅葉でも見に行くことにした。
 
 森にはノルシーさんが切り株と倒木をつかってつくったベンチが置いてある。雨ざらしなので苔が生して一見ベンチに見えないけど、座るところだけはみんなのおかげでいつもつるつるに磨かれている。一番磨いているのは休憩時間に座っているノルシーさんだろう。もともとノルシーさんはこの小さな雑木林の美しさに惹かれてエバンヌを作ったぐらいだからこの場所に対する思い入れも人一倍だ。
 ここの池はわき水なので、その流れがチャルド川となって海に流れ込む。島の周辺は汽水域だけどこのわき水はほぼ真水に近い。それを知っているいろいろな生き物が水を求めてここに集う。
 
 ベンチの横に目をやると島モグラの穴があった。島モグラも飲み水をもらいに来ているのだろうか。彼らは用心深い性質なので人の歩く気配があると顔も見せない。知らない人は枯れ葉や草に隠れた5センチほどの小さな穴は見逃してしまう。
 ここは島モグラとの根比べと思って、息をひそめてじっと見ていると、土を掻き出しているのか、ときどき穴から小さな土の固まりが投げ出される。30分ぐらいたったとき、仕事に熱中するあまり油断してしまったのか、穴からときどきしっぽを見せるようになった。その後一度穴に入ってしまったと思ったら、今度はひょっこりと顔をだして鼻を拭うような仕草をした。
 
 すぐにこちらに気づいて、「あっと、みつかった」と言った。というかそう言ったような気がした。
 
「だいじょうぶだよ。つかまえたりしないから」と言うと、「人間は信じるなって言い伝えもあるしな」と言いながら疑り深そうな目をしてこちらを見た。
 
「悪い人間もいるかもしれないけど、私は違うよ。この島は人間だけの物ではないし」と言うと、にわかには信じられない話だとでも言いたげに「そういうことにしておこう」と答えた。そして、すぐにまたもぞもぞと方向を変えて穴の中に消えていった。
 もぐらがしゃべるわけはないと思いながらも、犬と話せるという人もいるし、仮に話せないにしても何か通じることもあるのかもしれないと思った。
 
 また出てこないかと穴を見ていると、その横に人が立っているのに気がついた。顔をあげるとすぐ目の前にネモネさんがいた。
 
「オルターさん、何をされているんですか?」
 
「あ、動かないで。そこに島モグラが……」
 
「さっき顔を出しましたね。かわいいモグちゃん」
 
 まったく気がつかなかったけど、ネモネさんもいっしょに見ていたようだ。横でカバのミームが興味なしという顔で大きなあくびをしている。これだけの観衆がいる中で島モグラが出て来たのはちょっと驚きだった。よほど穴掘りに夢中になっていたのだろう。冬支度でもしているのだろうか。
 
「島モグラを見たのははじめてですか?」
 
「何度かありますけど、物音を立てるとすぐに逃げてしまいますよね。モグラって目が見えないと言いますけど音には敏感みたいで」
 
 ネモネさんも島モグラの用心深さは知っているようだ。短い滞在期間に水をさがしながら島のいろいろなものを見てきたのだろう。
 
「そう言いますね。だとしたら、こちらを見るなんてこと自体があり得ないのか……」
 
「その分、耳とか鼻がいいんじゃないでしょうか?」
 
「髭がアンテナになっていたりするのかな。空気の振動でわかるとか」
 
「それもあるかもしれないですよね。音だって空気の振動ですものね」そういいながらミームの頭をよしよししている。ミームは鼻で水を嗅ぎ分けるのだろうか。こちらに見られているのがわかったのか、ふんと勢いよく鼻息を鳴らした。
 
「さっきね、人間は信用できないって言うから……」
 
「もうモグちゃんと友達になってしまわれたんですね。さすがオルターさん」と言いながらネモネさんがにっこりとほほえんだ。
 
「さすがというか、向こうが勝手に話しただけなんですけどね……ミームとも話したりします?」
 
「いつも話していますよ。この子の気持ちはなんでもわかります。ご機嫌がいいとか悪いとか。こう見えてもなかなかわがままなんですよ。ね、ミーム」
 
「話していてもまわりには聞こえないだけなんだろうね」
 
「聞こえるかどうかはその人次第なんでしょうね。仲良くなればいろんな動物たちとも話せるな気がします」
 
 すると、行ってしまったとばかり思っていた島モグラが穴からぴょこんと顔をのぞかせた。
 
「聞こうと思えば聞こえるのさ」とひとこと言うと、こちらを恐れる様子もなく、またヒゲの泥を拭いはじめた。終るとすぐにでんぐり返しをして、ばたばたと手足を動かしながら忙しそうに穴の中に戻って行った。
 
「大きいから働き者のお父さんモグラですね。何か言ってましたか」とネモネさんが楽しそうに聞くので、島モグラが言ったとおりのことを話した。
 
「モグラのお父さんもなかなか哲学的なことを言いますね」
 
 哲学的という意味もよくわからなかったけれど、そもそもモグラに教えられることがあるのだろうか。見ると、ネモネさんは地面にしゃがみ、ミームと顔の高さを合わせて楽しそうに話しはじめた。ミームのしっぽがぷるぷる動いているのをはじめて見た。
 この島にいると、動物だけでなく、草木の歌声もよく聞こえてくる。幻聴の類ではなく、きっと自然に近づけば近づくほど彼らの声が聞こえてくるのだ。耳を傾けさえすれば、すべての生き物の言葉は心に届くということなのだろう。
 
「オルターさん、ミリルさんに聞きましたよ」
 
「あ、ヨットのことですか」
 
「ノーキョさんは一人で行ってしまったんですか」
 
「そうそう、モグラと話している場合じゃないですよね。灯台のところからはずっと見えているんですけど」
 
 自分で言いながら蜃気楼のような話だなと思った。ノイヤール湖で陽炎のように見えたコピの姿も思い出した。モグラの話といい、地平線の彼方にいつまでも見える船といい、この島とノイヤール湖の自然はほんとうに不自然なことでいっぱいだ。
 
「もしかしてノーキョさんプロペラを持っていました?」
 
「プロペラ?」ネモネさんが何を言っているのかわからなかった。
 
「もしかしてスロウさんと作っていたプロペラができたのかなって思ったんですけど」
 
「それはもしかして、スクリューのこと?」
 
「あ、そうか、船だとスクリューですね。そうでした」恥ずかしそうに笑った。
 
 ノーキョさんはスクリューを積み込んでいたとすると、モーターかエンジンのようなものでも作ったのだろうか。それを使って助けようと言うことなのだろうか。
 

第27話 おいしい世界 **

 ネモネもさんもノーキョさんのことが心配だというので、二人で灯台に戻ることにした。
 
「あんな遠くに……」ネモネさんがとても信じられないとでもいうように言った。
 
「ノーキョさんって、海には出ない人だと思ってたからびっくりですよ。人一倍、正義感が強いというか、やさしいひとだから、だまって見ていられなかったんでしょうね。この島にはいなくてはならない人だし、なんとしても戻って来てくれないとね」
 
 なんだか変なことを言ってしまった。戻らないわけないはずなのに。
 
「きっとあのスクリューが役立ちますよ」ネモネさんがノーキョさんの力を信じているというように言った。
 
 ロウソクをつくりにノーキョさんのところを訪ねたときに、スクリューのようなものがあったかどうか記憶をたどってみたけれど、それらしいものが思い出せない。
 スクリューは動力がないと回らないから、それを持って行くというのもイメージしにくい。手回しスクリューのようなものでも発明したのかと考えてみたけど、想像すればするほどオールで漕いだほうが理にかなっているような気がする。そうなると、ノーキョさんは何か動力になるものを考えついたということだろうか。
 動力、動力……水力、火力、風力……いずれにしても電気を起さないと何もはじまらない。エンジンならガソリンとかオイルがなければただの鉄の塊でしかない。エンジンを動かす燃料が島で手にはいるとは考えにくいので、やはり水力や風力で電気を起こす方法でも考えついたのだろうか。それなら理科の先生のノーキョさんであればできてしまいそうな気もする。
 灯台の電気はいつの頃からか水力を使った小さな機械で電気を起こすようになっている。 それほど大きな機械でもないので、一晩中照らし続けられるのが不思議なぐらいだけれど、波はどんな時も止まることはないから、有り余るほどの電力をつくれるということなのかもしれない。きっと海がある限り発電し続けるのだろう。
 
 そのときふと思い浮かんだのが、どこかにいるはずのドットトラウトがたくさん集まったら、彼らから電気をもらうことはできないのだろうかということ。電気うなぎだって本当に電気を出しているらしいから、それができればちょっと楽しいことになりそうだ。ただそうなるとせっかくこの島ならではのお土産としてつくったローソクが喜ばれなくなるかもしれない。なかなかすべてうまくというわけにはいかないものだ。
 
「そうだ、おいしい水なんですけど、どうも南のほうの海から湧き出ているようなんですよ」海をじっと見ていたネモネさんが唐突に言った。
 
「半島の森のほうということ」
 
「たぶん。それも海の中なんじゃないかって話をしていたんです」
 
「へえ、それは考えてもみなかったなあ。海の中で湧き出ているとしたら、相当薄まっているということですよね」自分で言いながらばかなことを言っていると思った。
 
「どうなんでしょう。薄まっているのか、海全部がおいしい水になっているのか」
 
 ネモネさんが言うように海までおいしい水なら、まるで海そのものがわき出しているようだと思った。この島が、いやこの世界がおいしい水の中に浮かんでいるということだ。おいしい水は楽しくなる水、まるで楽園そのもののような話に聞こえる。そんな水に浮かんでいるボートであれば命を落とすようなことはないと思えてくる。ネモネさんはそれを言いたかったとでも言うように穏やかな顔で静かに海を見ている。
 
 
***** ノート *****
 
このノートを見るかもしれないあなたにお願いしたいことがあります。この島には中世の昔から光る魚が住んでいて、彼らがまるで光り輝く銀河のように世界を照らします。一度でも目にすればそのあまりの美しさに目を奪われることでしょう。もし、この島と時空を超えてつながるオールドリアヌを訪ねる機会があったなら、ノイヤールという湖を訪ねてみてください。そこには信じられないぐらいの数の光る魚がいて、湖底から湧き上がるように湖面を目指します。お願いはそのドットトラウトからなんらかの力をもらうことはできないかということ。もしそれができるなら、この島はドットトラウトの光を通じて未知の自然世界とひとつになれるような気がします。そしてこの島とオールドリアヌもまたひとつになれそうに思えるのです。この世界はきっとおいしい水に浮かんでいて、その水をドットトラウトが光とともにすべての世界に運んで行くのです。オールドリアヌとウォーターランドは遠くて近い関係です。目を閉じさえすればいつでもこのウォーターランドに来ることはできるのです。そして夢から目覚めた時にはドットトラウトの眩しい光に包まれていることでしょう。
 
***** ノート ******
 
 ネモネさんが帰ったあと、将来見るだろうだれかに向けてノートを書いていた。こんなことでもノートに書いていると、不思議と気持ちが落ち着いてくる。現実世界でも意識世界でも、オールドリアヌでもウォーターランドでも、そんなことはどうでもよくなってしまう。それぞれの世界が繋がっているということに意識が向かうからだろう。いや、もっとたくさんの世界とつながっているのかもしれない。
 そして、それがドットトラウトのつくる光の連なりであったとしたらどんなに楽しいだろう。それらの世界をつないでいるのがあの六界錐だと思えば、ジノ婆さんの言っていたこともなんとなくつじつまが合うようにも思える。あの虹のように輝く石もほんとうはそこにあったものなのかもしれない。


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