目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
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第13話 季節のあいだ

 翌日から前と同じように灯台とリブロールを往復する生活に戻った。変わったことと言えば、スロウさんの船が岸に繋がれたままになってることと、ネモネさんの温泉に行くのが日課になったこと。それに、船長の本が2冊増えたこと。
 
 温泉は石できれいに浴槽がつくられて、更衣用の小さな小屋もできた。湯船は2、3人入ればいっぱいになりそうな大きさだけれど、温泉付きのプライベートアイランドとして一人のんびり時間をつぶすのにちょうどいい。とくに朝日を眺めながら朝霧の中で湯船につかっていると、もやもやした気持のときでもきれいさっぱりと心のわだかまりが洗い流されてしまう。
 海の温泉なのでさすがに苔むす古びた風情というわけにはいかないけど、水平線とひとつになれる温泉などというのもそうそうあるものじゃない。それが楽しくなる水の温泉というのだからなおさらだ。
 半島のほうから聞こえる鳥の声が、のんびりゆっくりやればいいよとさえずってくれる。
 
 本のほうはメーンランドに行かなくてぽっかり空いた心の隙間を埋めるのにちょうどよかった。船長がそこまで考えて持って来たとは思えないけど、船長の持ってきたお土産がいつも先に起る何かとつながっていくような気がする。なんだか船長の思うようにことが運んでいくように思えてしまうのは考えすぎだろうか。もしかすると、船長には自分にはない人並みはずれた洞察力があるんじゃないかと思ったりもする。
 
 それにしても、ロビンソン・クルーソーがこんな分厚い本だとは知らなかった。これを読むとどうしてもノート氏の生活を思い起こしてしまう。自分で選んだとはいえ無人島での一人暮らしは楽ではなかっただろうと思わずにはいられない。当時はこんな温泉があることも知らなかっただろう。自分のとった行動を早まったと後悔することもあっただろうか。
 それとも、ガリバーのように好奇心旺盛な青年で、見たこともない世界を心行くまで楽しんだのか。もしそうであれば、現実を映す鏡のような世界に驚き、今までにないものの見え方に歓喜したかもしれない。それはだれも気づかなかった新しい世界の発見だったのだから。
 2冊の本の出版された年がノート氏の出発したころとそれほど違わないことも旅に出たことと無関係ではなかっただろう、時は大航海時代も終わって、夢や野望を持った人々の関心はさら次の新世界へと向かっていたのだ。ただ、ノート氏がリアヌシティを離れたのが何かをみつける旅だったのか、何かを捨てる旅だったのか、その答えはわからない。
 
 船長自身は船乗りとしてこの本を読んだのだろうか。海に取り残される怖さを思いつつ、新しい世界に向かう勇気と冒険の素晴らしさに共感することもあったかもしれない。そんなことより、ノート氏の時代の本だということがあったから、そちらへの興味の方が強かったのだろうか。
 意識世界のウォーターランドに取り残された自分の方はと言うと、本に書かれている二人とも違って、もとの世界に帰る手だてもきっかけもみつけられないままに、時間だけが無駄に過ぎて行くような気がしてしまう。覚えておかなければいけないことが何なのかもわからなくなりそうだ。メーンランドで体験した記憶すべてが、この世界に取り残されたまま消え去ってしまうかもしれない。ただ、時間が経つにつれて、それはそれで悪い気がしなくなっていく。とくに本の世界に入り込んでしまうと、そんなことはどうでもよくなるから不思議だ。
 
 季節は日毎に秋の気配を感じるようになっていった。
 ウォーターランドの秋から冬への季節変わりはとても早い。秋の紅葉は2週間ぐらいであっという間に冬になってしまう。冬は北から氷のように冷たい海流が流れ込むために、気温も急に下がり、島の景色も大きく変わる。ほんとうに思い切りがいいことだ。
 雪は多くはないものの、島一面に咲く真っ白なユキニ草の花と白く枯れ落ちるシロノキの枯葉のせいで、まるで雪で覆われたような風景になる。はじめて見た人は本物の雪と見紛うかもしれない。その上、上空に寒気が吹き込んだときには実際に粉雪が降ることもある。それほど寒くならないのに降る雪はこの島の豊かな自然を感じる時でもある。
 
 冬が近づいてくると灯台に夏の間取り外していた窓をつける。夏のあいだは建物の必要さえ感じないほど穏やかな日が続くけれど、冬は夏のようなわけにはいかない。風も幾分強くなるのもこの季節の特徴だ。取り付けられた窓が夜風できしむような日もある。
 ノート氏にとっても冬はさすがに心細くなったかもしれない。そんなときにあのきまぐれが彼の寂しさを忘れさせてくれたのだろうか。
 
 島に残ったノーキョさんはスロウさんのあとを引き継いで、植物の育成と水の関係を毎日観察している。そして、もっぱらその手伝いをしているのがコピということのようだ。ネモネさんの言っていたとおり、みんなコピのことを実験班長と呼んでいる。この島に詳しいコピがやれば、みんなの気づかないこともみつけられるかもしれないという期待もあるだろう。コピはノーキョさんのことを先生、先生と呼んで、いいコンビになっているようだ。彼らが大発見をする日も遠くないかもしれない。
 
 半島の焼けた草木のほうも聞いていた通り驚くほど早く成長し、二週間もすると木々の高さこそ前ほどでないにしても、焼け跡とわからないほどにたくさんの草花が焼けた地面を覆った。自然のもつ治癒力にはほんとうに驚かされる。スロウさんが言うように、この周辺の汽水の持つ力に負うところも大きいだろうけど、自分たち人間よりも草木の回復は遥かにスピードが早い。彼らは必然にあわせるだけで、人間のように運命に抗い、偶然を妄信することもない。それだからこそしなやかに回復していけるのだろう。

第14話 飛行士

 船長の船が出て2週間ほどしたころに入れ替わるようにして飛行船がやってきた。
 
 降りたのは黒い服を着た男一人だけだった。
 
 背の高い男は降りるとすぐに半島のほうに向かって急ぎ足で行ってしまった。手にはあの六角のスーツケースを持っていた。
記憶ははっきりしないが、コノンさんがサーカスの広場で話していた男に似ているような気もする。ただ、黒装束が個性を消しているので同じように見えるのかもしれない。彼らはドームにあっては目立ってはいけない黒子のような存在なのだろう。都市のインフラに関わる仕事なんて、なくなってはじめてわかるようなものだから、それまでは身を潜めて目立たないようにするのが一番いいのだ。
 飛行船はその男の帰りを待っているのかプロペラを止めてその場に留まった。いつもと違ってすぐに飛び立つ気配はなかった。
 
 社交的なミリルさんが、飛行士さんもお疲れかもしれないからお茶でも勧めてくると言いながらコピといっしょに出て行った。
 
 見ていると、飛行士に声をかけられたのか、少し話していていたと思ったら船内に入って行こうとしている。なんだかそのままさらわれてしまうのじゃないかと、ありもしないことを想像してしまった。ほんとうにミリルさんとコピがいなくなったら、意識世界のことであったとしても生きる希望もなくなってしまいそうな気がした。こんなことを思うようだからまだ正気じゃないのかもしれない。
 
 15分ほどしても出てくる気配がないのでさすがに心配になって飛行船まで行ってみることにした。タラップのところまで来ると、操舵席にコピがちょこんと座っているのが見えた。慣れないことをさせられて緊張しているようだ。さすがに原っぱを走り回るのとはわけが違うだろう。
 
 こちらに気づいたミリルさんが、オルターさんも乗せてもらいませんかと声をかけてくれた。3人いっしょにさらわれるのであればそれもいいかもしれない。
 
 見ていると、もう一人乗せてもらえないか飛行士に聞いているようだ。あまり多いと飛行船に負担でもかかったりするのだろうか。
 
 こんなに近くまで寄って飛行船を見るのははじめてだった。真下で見る機体は思った以上に大きかった。リブロールを2つ3つ並べたほどの長さがあるだろう。エンジンは暖機運転でもしているのか、ドクンドクンという鼓動のような音が聞こえる。セントラルステーションで聞いた音にも似ていた。横風が気球にぶつかって、ぼおぼおと大きな音を立てている。飛行船にとってはなにもないところにじっとしているのが一番苦手なのかもしれない。
 
 船長は、ボルトンはこの飛行船とも関係あると言っていた。コノンさんから火事の報告を聞いて、島に何かの証拠品が残ってないか見にきたのかもしれない。それでも、もし火事がボルトンの仕業であれば、のこのことこんなところに来るだとうか。火事は別の原因だったのだろうか。
 
「オルターさん、OKですって」船内からミリルさんのうれしそうな声がした。
 
 せっかく交渉してくれたのを断るのもどうかと思って乗り込んだ。
 
「はじめまして。シーゲルです」と飛行士が挨拶をした。悪党の顔を想像していたけど、人相だけで言えば船長の方がよっぽど悪党面をしている。思った以上に若く、その紳士な振る舞いにちょっと拍子抜けしてしまった。
 
「シーゲルさん、もともとは船乗さんだったのに、とってもむずかしい試験を受けられて飛行士になられたんだそうですよ。海も空も自由に行けるなんてすごいですよね」ミリルさんが言うとシーゲルという飛行士は照れたような笑みを見せた。飛行船乗りになるような人だから人間のできもいいのだろうか。だれにでもなれるものでもない。
 
 コピは操縦席に座っているのに退屈したのか、足をぶらぶらさせながらつまらなそうな顔をしてこちらの方を見ている。実際、操縦席の計器を見て見ても何がなんだかさっぱりわからない。
 
「飛行船は風を読まないとだめでして、あの鳥たちの苦労もわかるというものですよ」飛行士が南に向かって飛ぶナツヨビを見て言った。
 
「それにしてもこんな大きなものがガスだけで浮かぶんですねえ」と言うと、「あ、これは熱気球です。ただプロペラは最新の水エネルギーを使っていますけど」と教えてくれた。
 
 なんだか聞けばなんでも答えてくれそうな人だったので、「ここに来るのは大変だって聞いたことがあるんですけど、飛行船もそうなんですか」いきなり核心に迫るような質問をしてみた。その答えでこの島がどこにあるのかわかるかもしれないと思ったのだ。
 
「よくご存知ですね。たぶん飛行船乗りでも知っているのは僕ぐらいだと思います」驚いた様子もなく淡々と説明してくれた。
 
「船長とおんなじですね」ミリルさんがこちらに向かって小さな声で言った。ミリルさんの飛行士を見る目が少し変わったように見えた。
 
「この辺りの潮がおかしいということは前から知っていたので、飛行船乗りになってからも度々調べに来ていたんですが。結局は船のときと同じで、天候の悪い時に気流に流されてて予期せず辿り着いてしまいました」
 
「島には上がらなかった?」
 
 船のときは座礁の可能性もあるということで、島には上がりませんでした。あのときは積み荷もほとんど失うし、船は修理もできないほど壊れてしまって散々な航海でしたよ。港に戻れたのは運が良かったですね。そんなこともあって船乗りをやめて飛行士になることにしたんです。飛行船で何度も飛んでいるうちにここに来るための気流の流れもなんとかわかったのでこの仕事を」
 
「自分で気流を読めるなんてすごい」ミリルさんが目を丸くして聞き入っている。
 
「この仕事というのはボルトンとの契約のことですか」
 
「あ、ボルトンをご存知でしたか。そうではなくて、僕はどこの会社にも属さないでやってるんです。ここだけが航路というわけでもなくて、ここもいくつかの仕事のひとつですね。今回もそうですが、お客さんの依頼があれば来るというだけですよ。儲けだけを考えるとやめたほうがいいんですけどね。気流に流されるリスクも高くてとても割にあいませんから」と言うと飛行計画表のようなものを見ながら苦笑いをした。
 
 シーゲルというこの飛行士はこの島を特別の場所とは思っていないようだ。そこは船長が島を好きで来ているのとは違う。向こうで依頼があったときに来るだけなので、船長が定期的に来るというのとも違う。もちろんこちらから来てもらう連絡をとることもできない。
 
「この領域に入るのにはそれなりに労力はかかるので、仕事じゃなければ好んでは来ないでしょうね。みなさんはどうしてここに?」逆に質問をされてしまった。
 
「みんなここの自然が好きで、街の生活は性に合わないという人ばかりです」
 
「ああ、そいうことですね。そうなんだろうな」と言うと、ちょっと失礼と言いながらキャビネットからカメラを取り出し周りの写真を撮り始めた。シーゲルさんもこの
島の自然をきれいだと思ってくれたのだろうか。
 
 こういう話を聞いていると、船長が定期的に着てくれているのは当たり前のことではないのだとあらためて思った。
 
 少し島の気候などについて話したところで、飛行士は機体の整備があるのでと言ってロープを掴んで気球によじ登り始めた。この作業は灯台のレンズ磨きどころの騒ぎじゃなさそうだ。好きじゃないとやれない仕事かもしれない。
 
 どうやら、水は渡さないと言うべき相手はこの飛行士ではないようだ。

第15話 灯台のローソク

 コピも操縦席にすっかり飽きていたようなので、気球に登ったままのシーゲルさんのほうに向かって戻ることを言って飛行船を降りた。少し歩いたところで飛行船を振り返ってみると、シーゲルさんは気球の一番上に座って島の景色を見ているようだった。
 あそこからすべり落ちでもしたら大けがをするんじゃないかなと言うと、そんなことを考えるようでは飛行船の飛行士なんてなれないですよとミリルさんに笑われた。
 コピのほうは飛行船にすっかり興味をなくしたのか、広場のあちらこちらから聞こえる虫の声を追いかけながら歩いている。いつでもほんとうに興味関心のあるものに対して素直に反応する子だ。自然に生きるというのはこういうことなのだろう。変に知恵のついてしまった大人にはまねができない。
 
 リブロールに戻るとノーキョさんが資料整理に来ていた。熱中しすぎてこちらが戻ったことにも気づかないようだ。
 
「飛行船見てきました」とミリルさんが言うと、ふいをつかれたように顔をあげて、「ああ、おどろいた。ミリルさんですか」と言いながら笑った。
 
「ミリルさんかって。お勉強のじゃまをしてしまいました?」
 
「あはは、だいじょうぶ、だいじょうぶ。ローソクのことで頭いっぱいになっていたので」
 
「すごい、もうローソクづくりの準備ですか。コピちゃん、ノーキョさんがローソクだって」ミリルさんがうれしそうに言うと。コピがなんのことかわからないというような顔をしてノーキョさんを見た。
 
「えっと、まだ調べているところなんだけど。冬が近くなると葉が白くなって落ちるシロノキってあるじゃないですか。あれがハゼの木の仲間じゃないかと思って」
 
「ハゼノキ?」
 
「ローソクの材料ね」
 
「言われてみると、ローソクって何でできているかわからないな」
 
「今はだいたいパラフィンワックスでつくるんですけど、この島だと蜜蝋かハゼや漆などの植物からかなと考えていたところです」
 
「さすがは先生。なんでも知ってるんですね」ミリルさんが本を横から覗き込んでいる。
 
「パラフィンワックスは石油からつくるので、自然なものしかないこの島ではちょっと無理かなと思って」
 
「できれば、自然な素材を使って作れるといいですね」と言うと、「でも、石油も自然のものなんですよね?」ミリルさんが不思議そうな顔をした。
 
「あ、そうですよ、オルターさん。よくよく考えればこの世界にあるもので自然じゃないものってないんですよ。ミリルさんの言うのが正しいな」
 
 言われてみれば、石油も化石からできたものだと聞いたことがある。ビルだって、船だって、みんな自然なものから作られている。本だってそうだ。人為的に手を入れられたものが自然じゃないということだろうか。考えれば考えるほど自然の境目がわからなくなってきた。人工と言うことすら人間のおごりでしかないのかもしれない。人間だってもともと自然の一部だったはずだ。
 
「ミリルさん、自然はやはり奥が深いですね」と言うとノーキョさんは本で一生懸命勉強するような格好をして見せてみんなを笑わせた。
 
「それで、島で適当な材料はみつかりそうですか?」
 
「そのシロノキからローソクをつくるのがいいかなと思っていたんですけど」
 
「あの木からローソクが?」
 
「木と言うか実ですけどね」
 
 ノーキョさんが言うには、背丈はふつうよりあるものの葉っぱの形からして間違いなくハゼノキの仲間だとということらしい。船長に頼んでパラフィンワックスを運んでもらうのもいいのだけど、ロウソクの形だけを島でつくるというのはノーキョさんの自家製魂が許さないのだという。島で取れた材料からロウソクができるのであればそれにこしたことはない。また、ノーキョさんの腕前に頼ってしまうのだけれど、そこはいつものように期待してしまう。
 
「ロウソクは灯台の形にしますか?」ミリルさんも手伝いたいようだ。
 
「そうですね。灯台の型枠はミリルさんにお願いしますね。色もちょうど白だし、ロウソクにぴったりだ」
 
「早くできあがったロウソクの灯台に炎を灯してみたいな。暖かなたくさんの炎に包まれた島を想像するだけでも楽しそうです。クリスマスのころには島をロウソクでいっぱいに飾れますね」
 
「ああ、それいいですね。みんなでキャンドルナイトを楽しみましょう」
 
 白い灯台と聞いたときに、赤もつくれないだろうかと思った。赤と白のセットの化粧箱に入った灯台を島のお土産にしてもらえればこれほどうれしいことはない。みんな赤い灯台のほうはどうしてかと思うだろうけれど、それがみんなの心に残れば自分の知っていることの何かが伝えられるような気がする。この島には白い灯台だけじゃなくて、赤い灯台もあるのだから。
 
「ロウソク一杯で遠くから見える?」コピが聞いた。
 
「そうだな。今より遠くから見えるようになるかな」
 
 炎が島をいつまでも照らしてくれることを祈ろう。

第16話 黒服の試飲

 秋の足音が聞こえるようになると、わけもなく心がざわついてくる。特別に何かが変わるわけでもなく、夏の単なる延長にあるはずなのに……降り注ぐ陽射しを遠い日のことのように懐かしんだり、冬の蓄えもないままに涼やかな風に倦怠を感じてみたり。枯れ葉の舞うころになれば、なにが起きることもなく過ぎてしまった1年の追想でもしてみようかと考え始める。
 なにも悪いこともしていないし、心残りなことがなくても、秋はどういうわけか心がざらざらして穏やかではいられなくなる。そんなときにはそばにいる人の息づかいにやすらぎを感じたりもする。そして夏への郷愁になんとかけじめをつけたところで、自然が見せる最後の宴とも言える木々の彩りと虫の音が島を飾る。その後には白く透き通った季節がやってくる。そして、部屋に閉じこもって暖を取りながら、南の端から来る春の到来を待ちわびることとなる。
 窓の外の風景は変わらなくとも、秋を感じさせる小さな変化があちらこちらに感じられる。景色は人の心をただ映しているだけなのかもしれない。
 
 そんなことを思いながら窓の外を見ていると、黒服の男が半島の方からこちらに向かって近づいて来るのが見えた。彼はこんな島にまで来ても仕事がわすれられないのか。
 
「おじゃまします」ていねいに挨拶して店内を一瞥すると、ここは本屋なんでしょうかと聞いてきた。
 
 背丈は1m80cmはあるだろう。この高さで黒装束となると、黒子というよりも威圧感すら感じさせる。顔は何も見えていないように無表情で、コピが羽虫を追いかけて店内を走り回っていてもまったく動じる様子もない。リアヌシティのセントラルステーションで行き来していた人の顔を思い出してしまった。
 
「いい本がありますね」棚の本をかがむようにして見ている。
 
「メーンランドに目利きの船長がいて、その人のみつくろいです」と言うと、「なるほど」とひとことだけ言うと、こちらを振り向くこともなく書棚を眺め続けた。
 
「この本は……」と言うと船長が持ってきた水の本を手にとって、しばらく興味深そうに見入っていた。同じページを行ったり来たりしているので、何か気になるところでもあったのかもしれない。
 
「この島の水は身体にも心にもいいものらしいんですよ。試してみられます?」ミリルさんがいつも客さんにするように声をかけた。
 
「いいんですか」遠慮ともお願いともとれるようなあいまいな返事だった。読みかけの本を元の棚に戻してピッチャーのあるところに場所を変えて、ミリルさんの給仕をじっと見ていた。視線の向かっている先からすると、給仕ではなく水そのものを見ているようだった。
 
「はい、どうぞ」ミリルさんがおいしい水を手渡した。
 
 男は水を受け取るときもほとんど表情を変えなかった。そのまま一気に飲み干すと、コップに残った水を手のひらに少しだけこぼして、それをもう一方の中指でゆっくりとさするようにしている。まるで水の不純物でも確認しているかのようだった。
 
「あ、何か入ってました」心配そうな顔をしてミリルさんが聞いても答えはなかった。
 
 水のついた指先をじっと見ていたと思ったら、六角のスーツケースを開いて何かを確認しはじめた。一人頷いてスーツケースを閉じると「この水はここに?」と聞いてきた。
 
 おいしかったですかと聞くミリルさんの後ろで、コピが隠れるようにして見ている。
 
「この島の代表者はどなたですか」
 
 聞かれたミリルさんは、何か返事をしてくれというようにこちらを見た。横で植物図鑑を開いていたノーキョさんが、オルターさんでいいのではと言った。
 
「この水を譲ってもらうことはできますか?」黒服がこちらに向かって聞いた。
 
「私が代表というわけではなくて、島に長いというだけですが。水は島民みんなのものなので、外の方にお譲りするほどなくて」と答えると、黒服の男は「お願いしてもだめなのですね」と再度念を押すように言った。
 
 ミリルさんが、オルターはまだ意識がしっかりしていないのではないかと不安そうな表情をしている。コピはミリルさんの後ろに隠れたまま顔も出さなくなった。
 
「そうですか。それは残念です。メーンランドの困った人に役立つと思いましたが」と言うと時間が気になるのか飛行船のほうを振り返った。飛行士は、操縦席に戻ったのか姿が見えない。
 
「オルターさん、少しぐらいなら困った人のために……」ミリルさんが横に来て耳元で囁いた。
 
 それを見ていたノーキョさんが「ミリルさん、水はこの島のものだから」と言うと、様子を伺っていた黒服の男は少し間をおいて「独り占めはよくないですよ」とだけ言った。
 
 重苦しい空気が流れて、みんなしばらく押し黙ったままの時間が流れた。その場の空気を察した黒服は「また、あらためて伺うことにします」と言うと名前も告げずに足早に出て行ってしまった。飛行船はそれから5分もしないうちに音もなく地上を離れ、うろこ雲のたなびく大空へゆっくり吸い込まれるように上がっていった。
 
「オルターさん、あそこまで言わなくても」ミリルさんが少し不満そうな顔をしてこちらを見た。頼まれれば嫌と言えないミリルさんからすれば、ひどい接客と見えたかもしれない。ノーキョさんは理由を知ってか知らずか、何も言わないで植物図鑑をずっと読みふけっている。
 
「あの人、また来そうですね」ミリルさんはこれで終わりにするつもりはないようだ。船長から断った理由を聞けば納得してくれるだろうか。
 
「コピ、どうした。恐かったかい」
 
「ううん。悪い人」とひとことだけ言うと身を固くして飛行船の飛んで行った方を見た。
 
 黒装束がそう思わせたのか、表情のない顔がそう感じさせたのか、コピには何かがわかったのかもしれない。
 
「いい人じゃないね」本に没頭していると思ったノーキョさんが独り言のように小さな声で言った。
 
 ほんとうのところはどうなのかはよくわからないけど、船長たちの話を聞く限りでは、島にとってあまり好ましい人ではないだろう。悪くすると島の水を全部抜き取られてカラカラにされてしまうかもしれない。水位の低くなることが多くなったというノイヤール湖の情景が頭に浮かんだ。
 ミリルさんは黒服の使ったコップを片付けながら、まだ腑に落ちないという顔をしている。
 
「ほら、この木を見てください。シロノキにそっくりでしょ」ノーキョさんが気分を変えるように本の写真を指差して言った。
 
「おんなじ葉っぱ!」コピが言った。
 
「あの実でロウソクが作れるとは思わなかったね」
 
「こんど黒服の人が来たらロウソクをプレゼントしましょうね」
 
「ミリルさんは、どこまでもいい人だね」とノーキョさんが笑うと、コピが「いい人、悪い人、いい人、悪い人」と繰り返しながら、写真の葉っぱを数えていった。
 
「……いい人」と言って最後の葉を数え終えた。
 
「まあ、誰にとっていい人なのかという問題だけどね」ノーキョさんが言うと、「この島を好きな人に悪い人なんているのかなあ」とミリルさんがぽつりと言った。
 
 
 意識世界と思っているこの島にも船長の話していたとおりボルトンの男がやってきた。それを知っていた私は、ミリルさんを制して水を提供することを断った。時間が前後していることと、自分自身がそこにいるかいないかという違いはあるものの、水をめぐる話に変わりはなかった。
 
 現実世界と意識世界は明確な境もなくつながっているのだろうか。現実と意識の境目がないとしたら、この世界は二重、三重にいくつもの次元が重なってできているようにも思える。どうしてそんなところに迷い込んでしまったのかはわからない。ただ、ある日突然人が消えたり、見えなくなることがあったなら、この夢と見紛うような時空の淀みに入り込んでしまっているのかもしれない。そこは、どちらが現実で、どちらが意識世界という明確な判別すらことすらできない。

第17話 湖の正夢

 飛行船が行ってしまったあとには、また秋の訪れの感じる静かな生活だけが残った。島の木々は日の当りのよいところから紅葉が始まっている。島の住人たちもそれにあわせるようにそれぞれの住処で思い思いに衣替えをはじめる。
 
「スロウさん、元気でしょうか?」テーブルの拭いていたミリルさんが、急に何かを思い出したように手を止めて言った。
 
「スロウさんのことだから心配はないでしょう。知らせのないのはよい便りと言いますしね」
 
「なんだか知っている人のいないままに季節が変わっていくのってさみしくないですか?」
 
「気持ちまで違うところにいってしまう感じですかね」
 
 スロウさんは向こうの生活には慣れただろうか。窓の外を吹く風も日ごとに冷たくなっていることだろう。庭の木々はすっかり落ちて、橙色の葉が艶やかな模様の絨毯のように小石の敷き詰められた庭を覆っているかもしれない。
 オールドリアヌの探索が順調に進んでいるのかは気になるところだ。夢の話と思っていたノイヤール湖が実在することがわかれば、約束したことを思い出してくれるはずだ。トラピさんに案内されてコノンさんのお祖母さんの家を案内されたころかもしれない。もし、ジノ婆さんのところ行っていたら私は来てないと言う話になるだろうし、そもそもそんな話にさえもならないのかもしれない。
 
「あの、ネモネさんはメーンランドに行きたいって言ってませんか?」
 
「ここの温泉も見つかったし、しばらくはのんびりされるつもりじゃないですか」ミリルさんは何を急に言い出したのかと言うような顔をしている。
 
「いや、なんとなくね、向こうにもいい水があるんじゃないかと思って」
 
「なんとか湖ってところのことですか?」
 
 夢の話ということにしたものの、ミリルさんも多少は気にかかっているのかもしれない。
 
「オルターさん、私、船長の持ってきた水の本を見ていたら、オルターさんの言っているところかもしれない湖を見つけたんですけど……」ミリルさん自身、半信半疑のようだった
 
「え、それノイヤール湖という名前でした?」
 
「名前はなかったんですけど、なんだかきれいな鱒がいるので太公望の憧れだとか書いてありましたよ」
 
「へえ、そういうこともあるんですね」こちらも、おもしろいこともあるものだというような言い方をしてミリルさんの顔色を伺ってみる。
 
「正夢っていうことですか?」
 
「そうか、正夢だ。名前まで同じならびっくりですけどね」
 
 ミリルさんに教えてもらって湖のことが書いてあるページを開いてみた。確かに名前こそ書かれていないもののノイヤール湖に間違いなさそうだ。黄色い斑点のある鱒が釣り人を集めていると書かれている。当時の自然の豊かさからすれば、それほど際立った美しさというわけでもなかったせいか、湖がきれいかどうかについては特に触れられていない。記述があったのは周辺の水路の発達のことだった。そのあたりの話もノイヤール湖の周辺と一致する。何よりも説明に添えられている挿絵の鱒がドットトラウトそのものだった。その鱒はこの湖にだけ生息すると書かれている。
 
「このページにしおりがはさんであったんですけど、スロウさんが調べていたんでしょうか」
 
「どうでしょう。スロウさんが湖を見つけたということをミリルさんに知らせたのかもしれないですね」
 
「え、このしおりで?」ミリルさんが、目を丸くしてこちらを見た。
 
「いや、冗談ですよ。でも、ちょっとそんな気がしたもので」
 
 ミリルさんは、変なことを言わないでくださいと言って笑ったけれど、実際、スロウさんがノイヤール湖から自分と同じようにこの世界に来ていると考えられなくもないし、何が起きてもおかしくないような気がしている。
 もう少しすれば、トラピさんたちも帰ってくるだろう。黒服やノーヤール湖、夢の話と思われていた世界が少しずつみんなのいるこの意識世界と重なってきている。
 
 
「そうだ、ノーキョさんが今日ロウソクの試作をするのでいっしょにどうですかって言われてましたよ」
 
「お、お誘いですね」
 
「コピちゃんは、今朝から葉っぱの実験班長に行くってはりきっていたので、もうお手伝いしているかもしれませんね」
 
 コピもノーキョさんから実験班長を頼まれたのだ。スロウさんと自分のメーンランドへの渡航が入れ代わったままに、前と同じように島の時間は流れていく。
 
「じゃあ、食事をしたらロウソクのお手伝いに行きましょうか」
 
「そうですね。そろそろクリスマスの準備もしないといけないし。いいローソクができるといいですね」
 
 赤い灯台のあるウォーターランドに来た時、たくさんのローソクで島でいっぱいだったら、さぞや幻想的だっただろうと想像してみた。赤い灯台が過去であるなら、そんなことはあり得ないことなのだけど、時間の順番さえここにはないのかもしれないとも思う。まだ、夢が覚めているかどうかさえもはっきりしないのだから、何が起きるかどうかなんて誰にもわからない。


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