目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第8話 入れ替わり

 ひとしきり船長の話が終わったところで、ノーキョさんがいつものように資料整理にやってきた。
 
「あれ、オルターさん、もう出発ですか?」大勢のお客さんがいるのを見て驚いている。
 
「いや、明日の予定だったんですけどいろいろあって……」ここから前のときと時間の流れが違う方向に向かうことになると思った。
 
「オルターさん体調を崩したみたいで、とてもメーンランドなんて行けそうにないんですよ」
 
 ミリルさんは、この話はなしだと決めてしまったようだ。まわりの誰からも異論が出ることもなく、それは残念ですねとまで言われてしまった。
 
そのとき、「仕方ない、じゃあ、おいらが代わりに行ってこようか」という声が聞こえた。遅れて来たスロウさんが店に入るなりいきなり代理の渡航をしてもいいと言ったのだった。
 
 一瞬みんなえっという顔をしたものの、すぐにそれがいいかもしれない思ったようだ。どこかでノートの謎解きに対する期待を捨て切れなかったのだろう。
 
「いや、おいらもここに流されてたどり着いたようなものだから、前から一度船長の船の航路というのを体験してみたいと思ってて」
 
「お、ダルビー商会の副社長狙いか」船長も悪い気はしていないようだった。
 
「このどでかいオフェーリア号を自在に操る船長の剛腕を一度は体験させてもらわないと」スロウさんは船を横目に見ながら言った。
 
 船長もまんざらでもないような顔をして「やっと俺の腕に惚れたやつが出てきたな」とにんまりした。
 
 船上生活をしているスロウさんも海とともに生きるのを信条としているような人だし、船長と通じるものがあるのかもしれない。決してお世辞で言っているわけでもないようだ。
 
「往復するだけ?」ノーキョさんがあまりに急な話だったのであきれ顔をしている
 
「うーん、メーンランドにおもしろいところでもあればそっちもだけど」スロウさんの興味はあくまで船長の操舵と海に限られているようだった。しばらくスロウさんと船長は航路や大型の船の特徴などの話で盛り上がった。
 
「あの……きれいな湖があるんだけど、そこも見てきてもらえないかな」思わず口をついて出てしまった
 
「おい爺さん、湖があることをどうして知ってるんだ」船長がおかしな話をすると思ったのか、こちらの顔を覗き込むようにして見た。
 
「夢で見たからほんとうにあるか確かめて欲しいと思ったんだけど……不用意に言ってしまったことをなんとか言い繕った。船長は納得がいかないような顔をして首を傾げている。
 
「そんなことよりオルターさん、トラピさんが向こうで待ってくれていますからそちらのほうをお願いしないと」
 
 ミリルさんは、湖は夢の話と決めつけているから手紙の方が気になるようだ。船長はなにか引っかかるところがあるというような顔をして髭をさすっている。
 
「スロウ、いい機会だから行くといいよ。火事のあとはなんとかするから」ノーキョさんが言うと船長もスロウさんの気持ちを受け止めたようにうなづいた。
 
「火をつけたやつのことも気になるし、わかることは全部調べてくる」
 
 船長の船に乗りたいだけではなく、いろいろな思いがあって渡航を決めたようだった。その気持ちが親友のノーキョさんにはよくわかるのだろう。
 
「さて、そうと決まったら客といっしょに名残惜しい島巡りでもしてくるか」ダルビー船長が椅子から立ち上がって大きく背伸びをした。
 
 ノーキョさんとスロウさんは火事の後のことやメーンランドのことをいろいろ話し合っている。まだ、焼け跡の草木の生育が早いことには気づいてないようだ。
 
 船長の行く先を見ると、まっすぐに灯台をほうを目指していた。すぐにマリーさんのいるところにたどり着き二人で何か話している。周りの景色を楽しむわけでもなく、腕組みして六界錐のそばに立つとずっと石を見ている。
 二人にはあの六界錐がだれのものかわかるのだろうか。以前見た時には石にソダーと刻んであった。あれはナーシュさんのものではない。それは機会をみて話した方がいいのかもしれないと思った。
 
「オルターさん、スロウさんに行ってもらえることになってよかったですね」ミリルさんも安心したような顔をしてこちらを見ている。一番喜んでいるのはミリルさんかもしれない。
 
「あ、おいらは自分が勝手に行きたくなっただけだから」スロウさんが恐縮したように笑っている。
 
「オルターさんが夢で見たという湖も探してくるよ。それ、なんていう名前だっんだろう」
 
「夢の湖に名前なんてないですよね」ノーキョさんが口をはさむと、「夢でも名前ぐらいはあるよ」とスロウさんが返した。
 
「たしかノイヤール湖だった」うる覚えのふりをして言ってみた。
 
「ほらね。あるじゃない」とスロウさんが言うと、ノーキョさんがどこかで聞いたことのあるような名前だなと言いながら手元に会った水の本をめくった
 
「OK、時間があったら見てくるよ」と約束をしてくれた。みんなが夢の話と思っているのにスロウさんだけが真剣に答えてくれたのがうれしかった。
 
「夢だとそこに光る魚がいてね。湖も光っていた」この際だから全部話しておこうと思って湖の不思議な話をいくつか紹介した。
 
「また、その話。オルターさん、夢の話はわすれて休んでくださいよ」ミリルさんが横で呆れた顔をしている。世話の焼けるのはどこにいても同じなのだから気にしなくいていいと自分に言い聞かせた。
 
 灯台のほうに目をやるとマリーさんと船長の姿は見えなくなっていた。ノートを見に灯台に入ったのかと思ったら、照射灯の展望デッキのところに現れた。マリーさんも、世界に二つとないあの景色に目を奪われていることだろう。大海原に小さく浮かぶ島に身を置いて、母なるな自然の大きさを心ゆくまで堪能しているにちがいない。それはきれいということばだけでは言い尽くすことのできない、すべての喜びと悲しみを包み込むような豊かな感情にも似た情景だ。だれもがあの大いなる水に心を奪われる。
 
 よく見るとマリーさんがこちらのほうに向かってゆっくりと手を振っていた。横にいたミリルさんが手を高くあげてそれに応えた。

第9話 時間の層 *

 こちらが落ち着いたのを見届けるように、みんながそれぞれの用事を片付けるために行ってしまったので、一度灯台に戻ってみることにした。そうすれば、今が夢か現実かわかるかもしれないと思った。
 
 灯台への道のりはほんの数分だけど、このあぜ道をどれだけの人が歩いてきたのだろうと思うと、それぞれの時代の景色が重なって見えてくるような気がする。
 
 あぜ道の先を薄くかすれた人影が同じ方向に向かっているのが見えた。狭い肩に不釣り合いな大きなザックを背負って、よろめきながら一歩一歩地面を踏みしめるようにして進む。ザックに入っているのは集めたばかりの薪だろうか。冬が来る前に暖を取るための燃料を用意しているのかもしれない。それとも今夜の料理に使う燃料か。
 向かう先にある灯台を見上げると白い灯台の裏側に赤い灯台が重なって見えた。漆喰の白い灯台の画像がぶれるように小刻みに動くとき、その輪郭からはずれるようにして赤いレンガの灯台が見え隠れしている。少し強い風が吹くと赤い灯台が前に浮き上がってくる。まるで2つの陽炎が重なってるようだ。
 そう思っていると周囲に生えている同じ草木も微妙に色合いや形が違って見えてくる。だれも訪れることもない辺境の地に生える草に時代ごとの違いがあるとも思えないけど、時間が層をなして重なっていると考えると、200年前の草と交配で生まれた新しい草がそれぞれ仲良く共生することを謳歌しているようにも見える。
 
 時間は流れると誰もが言うけど、世界は時間が幾重にも幾重にも積み重ねられ成り立っているのだその隙間に入り込めればたくさんの重ねられた時間と記憶を本をめくるように訪ねることができる。自分のものだと思い込んでいる”こころ”さえも過去の積み重ねでできていると考えれば、今置かれている状況も説明がつくような気がしないでもないでもない。一つの世界がこの瞬間を支配しているのではなく、幾重にも重なった時間がこの景色をつくり、この身体や心をつくっているということだ。
 もしノート氏も同じ考えを持っていたなら、そこに孤独などなくなり無限とも言える世界の営みとひとつになれたのではないだろうか。
 
 空にはやわらかな刷毛ではいたような薄い雲が大きく広がっている。夏にたくさんいたナツヨビもめっきり少なくなった。島が黄金色の紅葉でいっぱいになるのも近い。
 秋の夕暮れ時は光輝く海に抱かれ、艶やかな錦糸で織られたブランケットに包まれる。そして、実った果実をいただく生き物たちの冬越しの準備がはじまり、役割を終えた木々からこぼれ落ちる滋養が海にたっぷりと流れ込む。明日への命をつなぐ恵みに島全体が満たされるときだ。そして、その恵みはこの島にしかないおいしい水となって循環していく。
 
 リブロールのほうを振り返ると船長のオフェーリア号が無骨な船体を宿木に身を寄せるようにしてデッキに沿って横たわっている。
 あの一隻の船がこの島と水平線の果てのどこかの世界をつないでいると思うととても不思議でもあり、頼もしくもあった。オフェーリア号だけが向こうの世界へつながる航路を知っている。そう考えた時に、リアヌシティのドームに飛び込んで行くエクスポーラーの姿が重なった。船と列車の違いこそあれ、非日常の場所へと誘う道を走り抜けていく。
 そこでは現実とまるで生き写しの生活が繰り広げられている。あたかも夢で見る世界と同じように。いや、夢よりも正確な相似した世界と言っていい。そしてそれは、写したり見たりするだけの世界というよりも、存在するすべての生を育むために有機的に広がっている生き物のような何かである気さえする。
 現実と非日常の世界を判別することは叶わない。なぜなら、どちらがどちらを映すものでもない。どちらもが、それぞれに少しの繋がりと影響を持ちながら、独立した世界をつくりあげている。表と裏、正と負、プラスとマイナス……すべての相似形に意味があるのと同じだ。そして、カノンさんのお祖父さんがいうように相互の関係にも偶然はなく、いずれもが深い必然性を持ってつながっているのだろう。
 
 灯台の入口に近づいたときに中から物音がした。立ち止まって様子を伺うとミャーオという鳴き声がしてインクが入口から顔を覗かせた。こちらを一瞥すると、何の興味もないというそぶりで横を向いてそのまま外に出ていった。私がいてもいなくても大した問題ではないのだろう。逆に、その何ものにもとらわれないあるがままの自由な姿に救われた気がした。
 空を見ると夕日がまぶしく輝き、紅色のベールが海をやさしく包みはじめていた。水は世界をつないでいると最初に考えたのは誰だっただろうか。果てしない航海に出て、見たこともないものを見つけた時に、この世界に終わりはないと感じたのではないだろうか。
 
 インクが海を見ている姿は無心を形にしたようにも見える。彼女は海を見て何を考えているのだろう。人間の戯れに付き合うことに何の意味も感じず、時間とひとつになって世界に溶け込んでいる。人間だけが時間に意味を持たせ、困惑する世界に閉じ込められてもがき苦しむ。時間に縛られ、世界にしばられ、生きることにしばられる。
 
 海からインクに目を戻してしばらく見ているうちに、彼女の姿が薄く霞んで行くのがわかった。目がかすんでいるのではなく、インクのほうが風にかすれて視界から消えようとしているのだ。きっとその先にはもう一つの世界があるのだろう。自由に行き来できる術を知っているのであれば、その方法を教えて欲しい。
 そう思った瞬間に、インクがこちらを向いてしっかりと目を合わせてきた。ついて来てと言われた気がした。
 
 近づいて行くとインクの姿はさらに薄くなり、しばらくすると最初からいなかったように、景色の中から消えてしまった。
 
 灯台に入ってベッドに横になった。マリーさんたちもノートを見ただろう。すべての答えはきっとあのノートに残されている。その答えはまだだれにもわからない。それがわかったときに何が得られるのかもわからない。
 
 ノートを見ているうちに、鞄の中にハロウさんの店でいただいたノートが入っていたことを思い出した。突然思い立って、こちらに来てからのできごとを書き記しておくことにした。そうすることに何の意味があるのかは自分にもわからない。ただ、そこにいた事実だけは残しておかないとと思った。またいつか誰かが目にすることもあるだろう。
 
***** ノート ****
 
 自分がここに来たのがはじめてかどうかわからない。はじめてかもしれないし、ずっと昔からいるのかもしれない。ただ、ほとんどすべては同じで変わらない。同じように太陽はのぼり、海は輝き、風が頬をさすっていく。
 ウォーターランドでは、時間がゆるりと動くと言われる。不思議な力を持つ水もあるという。ただ、目に見えるのはこの自然だけ。自然だけが現実としてここにある。
 今日から、この島でのほんとうの生活がはじまる気がする。ここで起ることをこのノートに書き記していくことが、私に課せられた仕事と考えよう。
 
***** ノート ****
 
 書き終えると、今日の日付のスタンプを押した。はたして日付に意味があるのだろうか。ノート氏の書いたものと自分の書いたものの前後関係すらあまり意味がないのかもしれない。ただ、ハロウズの紋章の透かしと日付印は間違いなく今日をここに留めるだろう。
 ノートはなくさないように引き出しの底板のさらに下に入れた。ミリルさんたちが見て私の行動を不審に思われても困ると思ったのだ。ここなら、誰にもノートの存在を気づかれない。

第10話 偶然の地の灯台

 考えてみると、コノンさんにはじめて会ったのがこの灯台だった。彼女と出会ったときから何かが違う方向に回り始めたような気がしないでもない。その後に火事が起き、メーンランドに渡り、オールドリアヌで意識の世界へと入ってしまった。
 コノンさんが来る前は何も起きていなかったのか、ネモネさんがおいしい水をみつけたことは関係なかったか、その前につくっていた島便りが引き金になっていなかったか、思い当たることはいくつもある
 島便りは船長が印刷機を持ってこなければ作ることはなかった。そう考えると船長がここに偶然立ち寄ったことに遡り、さらにその先の自分とノルシーさんが島に来たときからすべてがはじまっているとも言える。もっと言うなら、それ以前にノート氏が書いた島の記録や自分たちの知らない前にいた住人の暮らしもある。
 
 コノンさんのお祖父さんの言うようにすべてに関連性があって、原因と結果が無限に繰り返されるのだろう。それが因果と言われるものだ。意図したものでなければ偶然として片付けられるし、誰かが意図しているとなれば必然ということになる。偶然と思える物もすべて必然であると言うことならば、そこにいる誰かというのは神ということになるのかもしれない。
 もし、すべてが偶然に見えてしまうウォーターランドと真逆なところがあるとしたら、それがリアヌシティのようなところなのだろう。リアヌシティのドームコンストラクションはきっと神になろうとしているのだ。すべての関係をコントロールして必然の結果にしてしまおうということだ。それは恐れを知らない考えで、ひどく歪んでいびつな必然を作り出してしまうような気もしてくる。超えてはいけないものもあるのだ。
 そんなことを考えていると、仮につながりが必然であってもそれは誰にもわからなくていいのだとさえ思いたくなってくる。人間一人が関係したり、知ることのできる範囲なんてそれほど広くはない。船長が話していたように、今ある小さなつながりを大切することが重要なのかもしれない。科学文明とかけ離れたところにあるウォーターランドではそんなことぐらいしか思い浮かばない。
 
 そう考えてみると、小さな島便りであってもとても大切なもののように思えてくる。リアヌシティとオールドリアヌを行き来するコノンさんの手に島便りが届いたということを考えると、島便りによって生まれる新しいつながりは想像する以上に広範囲になっていくかもしれないほんの少しの文字がとても多くの人とのつながりをつくっていく。見えなかったつながりを見えるようにしてしまう文字は、人を人たらしめた偉大な発明だったのかもしれない。
 それでも、島の話を書くことが、いい方向に進むのか、悪い方向に進むのかは誰にもわからない。言えるのは、そこに新しい何かの関係が生まれるということだけだ。それによってこの世界の謎が解けることもあるかもしれないし、何もみつからないかもしれない。仮に解けないまでも、そこに生まれる関係から新しい世界が作られていくだろう。
 
 
 この前の島便りで何を書いたかを思い出せない。そうだ、あのとき書いた原稿をコピに頼んだところで意識が薄れていってどちらの世界に居るのかわからなくなったのだった。あの後、船に乗って船長が情報屋のルーラー氏に島便りを手渡した。そして島便りは現実世界か意識世界かのどちらかに渡っていったはずだ。
 
 しばらくは、メーンランドのオールドリアヌのことや鮫のいたところのことばかりが走馬灯のように頭の中を巡り、島便りの内容についての記憶がなかなか浮かんでこなかった。
 温泉のことを書いたのを思い出したのは夕日が水平線に落ちはじめるころだった。こんなに曖昧な記憶でしかないことがこの世界で起きたとは到底考えられない。はたして連続した島便りとしてメーンランドに届くのかどうか、それこそ神のみぞ知るだ。
 
 何を書くか考えているうちに時間だけが過ぎていった。灯台のことを書こうと決めてからも文字にしていくのに手間取った。この灯台のことをどう書くかがとても大切なことのように思え、それにふさわしい言葉を探すのに頭を悩ませることになった。
 ただ、そうしているうちに居場所を見失っていた心が落ち着きを取り戻していくようにも感じられた。現実の世界だろうが、意識の世界だろうが、この灯台のことだけ忘れなければなんとかなりそうな気もしないでもない。灯台に赤と白の違いがあったとしても、どちらもこの場所にある灯台には違いない。この場所がいくつもあったとしてもこの場所はこの場所だ。違う灯台と思ってしまうのは、現実世界しか知らない人間の考えることだと割り切ってしまえば、気持ちが楽になる。灯台はきっと自分の居場所を明るく照らしてくれるはずだ。
 ノート氏もこの灯台を居処をした。今の自分に必要なのもそういうものなのだろう。どんな世界であれ、闇を照らす灯台とそこから見える世界がありさえすれば、居場所を見失ったとしても必ず戻ってくることはできる。それまで、行き場を見失い揺れ動いていた気持ちに、雲の切れ間からさす陽光のように一筋の明かりが見えたような気がした。
 
 島便りの原稿を書き終えるころになって、灯台に名前がないことに気づいた。いい機会だからここで灯台に名前をつけるのもいいと思った。ところがいざ考え始めると、島を象徴するランドマークとも言える灯台にふさわしい名前がなかなか浮かんでこない。悶々としているうちに日もすっかり落ちてしまった。
 
 
「オルターさん、調子はどうですか」ミリルさんとコピが様子を見に来てくれた。
 
「もうすっかりよくなりましたよ。船に乗れそうな気もしてきました」
 
「あら、今朝のオルターさんとは別人ですね。でも、今回はやめたほうがいいですよね」こちらの反応を伺うように首を傾げてみせた。
 
「ミリルさんに言われるとなあ」と言うと、ほっとしたような笑みを見せた。
 
「いい話があって。コピちゃんが島地鶏の卵をみつけてきたんですよ。それでみんなで元気の出る夕食会を開きましょうということになって」
 
「それはすごい。めったに手に入らない卵だ」
 
 島地鶏はコークと呼ばれている鳥で鶏やウズラのように地面を走り回るだけで空は飛ばない。鳥は地上に天敵がいないと空を飛ばなくなるのだという。コークそのものは島ではよくみかけるものの卵を目にすることはめったにない。
 
「じゃあ、今夜は卵パーティーですね。ありがとう」
 
 ミリルさんの話を聞いているとますます元気がでてきた。卵料理に目がないのを知っていてコピといっしょに探してくれたのかもしれない。ありがたいことだ。
 
「そうだ、この灯台のことを島便りを書いていて、灯台に名前がないと思っていたのだけど、なにかいいアイデアないでしょうか」
 
「ウォーターランド灯台じゃだめですか」とミリルさんが言った。
 
「それもいいんだけど、地名の灯台ならどこにでもあるし、何か意味のある名前ないかなと思って」と悶々としていた気持ちを伝えた。
 
 じっと話を聞いていたコピの顔を見ると、しばらくきょろきょろと周りを見渡したと思ったらあ、燭台を指差して「ローソク!」と言った。
 
「ローソク灯台……」あまりにもそのままのイメージでぴんとこなかった。
 
「でも、オルターさんいいじゃないですか。大海に凛とたたずむローソクってなんだか神秘的でイメージがいいかもしれないですよ。昔の灯台は松明の火だったって船長も言ってたし」
 
 ミリルさんが燭台のローソクに火を灯してテーブルに置いた。薄暗くなりかけていた小屋がほんのりと明るくなった。いつものオイルランプよりも繊細でやわらかな明かりだった。さっきまで頭にあったいろいろな迷いが霧が晴れるように消えていくのがわかった
 
「それでは、あとでグレン語の辞書でも見てみましょう。みんなとも相談しないといけないですね」
 
「私たちはリブロールで待っているので、準備ができたら来てくださいね。今夜は灯台の命名式もいっしょですね」と言うと、二人はリブロールに戻っていった。
 
 ローソク、ローソクというコピの声がゆれるように遠ざかっていく。ローソク灯台もなかなかいいネーミングかもしれない。

第11話 島地鶏の卵料理

 草原で虫の音の合唱がはじまったころ、ミリルさんに連れられて村の食堂に出かけた。今回は、オルターの快気祝という名目で開かれるのだと言う。病気になったわけでもないので快気祝というのもおかしな話だと思いはするものの、いつもと変わらないみんなの気持ちがうれしい。急な話だったので特別な案内もされないこじんまりした会になるようだった。船長たちは別の計画もあったので招待はされていないそうだ。あくまで親しいご近所さんだけの夕食会といったところだろうか。
 
 食堂に入る前に、目と鼻の先にある半島のほうをながめて見てみたけれど、草木はまだそれほど伸びていなかった。ネモネさんの言っていた驚くほどの早さというのは一体どれほどのものなのだろうか。
「ノーキョさんが、とりあえず水だけは絶やさないようにしましょうと言ってました」とミリルさんが緑の半島を取り戻すための計画について説明してくれた。今はなにもわからないので、とりあえずは水の力を信じましょうということらしい。悪いものを洗い清めるようなものかもしれない。
「それがいい」とつぶやくと、ミリルさんも真っ黒になって立ち枯れた木々を見ながら「きっともとに戻ります」と祈るように言った。
 
 食堂に入ると、いつもと同じようにノーキョさんが厨房の中で料理の準備をしていた。コピも水を張った桶の前で玉ねぎの皮むきを手伝っている。
 こちらに気づいたノーキョさんが「夜にマフィン料理というのも変ですかね」と笑いながら言った。ノーキョさんにはマフィンは朝食というイメージがあるのだろう。
 
「いやいや、この島の恵みを楽しめればそれだけで幸せです」と言うと、ミリルさんもノーキョさんを応援するように「エモカさんの特製イングリッシュ・マフィンとコピちゃんの卵、それにノーキョさんの自家製の調味料が揃えば島一番の豪華料理ですよ」と言った。
 
「それにおいしい水もありますからね」ノーキョさんもみんながわかってくれたのがうれしそうだった。
 
「素材が一級品で、料理するのが素材を知り尽くした理科の先生だなんて、こんな食堂は世界にふたつとないです」と言うと、ノーキョさんに「オルターさんそれほめてますか?」と笑われてしまった。でも、ほんとうにそう感じたのだから仕方がない。
 
 料理ができるのを待ちながら話しているこの時間が、かけがえのないひとときのように感じる。あまりの幸せに、今この場所にないものはないとさえ思えてくる。それほどにみんなの優しさが身に沁みる。
 
 テーブルの上のカゴには調理を待つ卵が10個ほど入っていた。島に長くいてもこれだけの数を一度に目にすることは珍しい。それほど珍重され、島ではなにものにも勝るご馳走のひとつとなっている。卵はみんなが大切なものと思っているから、 偶然みつけられても乱獲されるようなこともない。口にするのはよほど特別なときだけだ。
 
 しばらくするとマフィンの焼けるいい匂いがしてきた。
 
「パンの焼ける匂いってどうしてこんなに幸せな気分にしてくれるんだろう」
 
「ほんとですよね」というミリルさんの目が元気になって良かったと言っているように見えた。
 
「パンって生きる糧だからじゃないですか」と卵を焼く準備をしていたノーキョさんが言った。
 
「パンを食べないと生きられないということですか?」ミリルさんが聞いた。
 
「食べ物というだけじゃなくて、生きる糧というのは生きることを支えるすべての意味を含めてですね。なにかに例えて言うメタファーというやつです
 
「そうか、パンってすごいんですね」とミリルさんが感心したように言った。
 
「あはは、エモカさんのパンは別の意味でもすごいですけどね。長い時間をかけてこの島の空気をたっぷり取り込んだ特製のパンですからおいしくないわけはない」
 
 ノーキョさんが目玉焼きを慣れた手つきでフライパンからすくい上げて返した。何をするのも器用な人だ。
 
「オルターさんはターンオーバーでだいじょうぶですよね」
 
「ターンオーバー?」
 
「あ、両面焼きのことです。マフィンに挟むならそのほうがいいですよ」
 
「そうか目玉焼きにもいろいろあるんだね」
 
 口に入りさえすればいいと思っているから焼き方なんか考えたこともなかった。
 
「私はお日様のようなサニーサイドアップで」とミリルさんが言うと、「僕は混沌が好物だから、ぐちゃっとなったスクランブル派です」とノーキョさんが言った。
 
「なるほど、目玉焼きにも個性がでるものだな。ターンオーバーだと何でしょうか?」
 
「きっと裏表のない人」ミリルさんが言った。
 
「それならスクランブルもそうだよ。怪しいのはサニーサイドアップじゃない」とノーキョさんが笑った。
 
 そう言われてみると、ターンオーバーには両面がしっかりあるけど裏表はない。自分がふたつの世界を行き来するのもターンオーバーみたいなものだと思った。そこには裏も表もないと考えるのも悪くないかもしれない。
 
「ターンオーバー、いいですね。私はターンオーバーで」とあらためてノーキョさんにお願いした。
 
 久しぶりにいただいたコークの卵は、少し気持ちが晴れたせいもあってか今までになく楽しめた。
 
 食事のあとは、島の特産物の話になった。ノートに出てくるピーチプルは昔のようにふやせないだろうかとか、ナツヨビの卵はどうなんだろうとか、跳魚も島ならではの特産と言えるのだろうかとか、食べ物のことなると話はつきない。ほんとうに自然の幸に恵まれた島だとあらためて思う。
 ノートの主が孤独を感じていたかもしれないと言うのも人の勝手な基準であって、たくさんの命の宿る島にいたと考えると島の生き物たちとの生活を楽しんでいたのかもしれない。
 
 お腹いっぱいになったころにミリルさんが、灯台の命名のことを思い出してくれた。今夜決めないと明日の船に島便りが間に合わない。
 
「そうだ、わすれるところでした。島便りに灯台のことを書いているんですけど、名前のない灯台がないのは寂しいという話していたんです」
 
「たしかにこの島のシンボルだし、名前があってもいいですね。何かいい案は出たんですか?」
 
「ローソク灯台!」と言いながらコピが手を高く上げた。
 
「コピちゃん、ローソクって消えそうじゃない?」ノーキョさんのイメージとも少し違っていたようだ。
 
「グレン語の辞書で調べたら、ローソクはキャドリンって言うらしいんですけど」と言うと、ミリルさんがキャドリンというのはキャンディとか教会を連想しますねと言った。
 
 その後、3人でいろいろな名前を出し合ってみたもののなかなかいいアイデアが出ないままに、なんとなくキャドリン灯台という名前に落ち着いた。ミリルさんの提案で、島に長いノルシーさんにも意見を聞いた上で決めることになった。
 
 今夜は記念すべき命名の日になると思うと自分自身の再出発にもなるような気がした
 この島に来てから自分でつけたオルターという名前も本当の名前ではない。いつか閉ざされた記憶の扉が開いて本当の名前で呼ばれる日が来るのだろうか。夕闇に包まれ始めた白い灯台を見ながら思った。

第12話 もうひとつの出航

 いよいよ定期船の出る日の朝を迎えた。早朝からの突貫工事のような仕事だったけれど、新しい島便りもなんとか間に合わせることができた。灯台の名前も、コピちゃんがローソクっていうのならそれでいいじゃないというノルシーさんのひとことでキャドリン灯台に決まった。ノーキョさんも島名物になるロウをつくるとはりきっている。
 
 ここから前の自分の旅ではないもうひとつの時間がはじまることになる。ふたつの時間に整合性はない。上書きされるように前の旅が幻に帰するのだろうか。スロウさんのことだからたくさんの発見をしてくる気がする。これはこれで心配にはおよばないのかもしれない。できればナーシュさんの行方も探ってもらえたらなどと勝手な期待までしてしまう。それよりも、水に関心のあるスロウさんのことだからノイヤール湖の秘密のほうを明らかにしてくれるかもしれない。必ず行くと言ってくれたあの言葉を信じて待とう。ノイヤール湖へ戻れなくなるとしてもいいのかもしれない。こちらが現実と思えばいいだけのことだ。
 
 コノンさんが来たので出かける前に少しでもと思って声をかけた。とくに臆する様子もなく挨拶を返してくれた。隠し事をしているようには到底思えない、あのやさしいコノンさんそのままだ。
 
「島はどうでしたか」差し障りのなさそうな話からしてみた。
 
「ほんとうにいいところでした」うれしそうに答えてくれた。
 
「気に入ってもらえてよかったです。また遊びに来てもらえそうですね」
 
「それは私の方からお願いしたいぐらいです。きっとまたすぐに戻ってきます。頼まれていたこともできなかったので」
 
「頼まれていたこと?」
 
お世話になっている牧師さんが前に一度ここに興味を持たれたらしくて、子供たちと移り住めないかと考えているらしいんです。島の環境保護のための収集箱を置いてきてほしいと言われていたんです。半島の木の枝にかけておいたのですが、あの火事でだめになってしまいました。環境保護というより、その前の環境調査と言ったほうが正しいのかもしれません」
 
「あ……そうなんですね。この島はだれでも自由に住めますけど……調査を?」
 
「子供たちは特別に管理された環境で暮らしているので免疫力が低くて、下調べしておかないと環境不適合障害を起こしてしまうかもしれないんです。ひどいと命にもかかわってしまうので」話し終えると唇を強く結んだ。何か思うことがあるようだ。
 
「強いアレルギーのようなものなんでしょうね。それで調査箱を?」
 
「そうなんです。でも、戻ったらあやまらないと」と残念そうな表情をした。それは頼まれた人にというよりも子供たちに対して申し訳ないという気持ちのようにも見えた。
 
 黒いパーカーのことも気になっていたので島は寒くなかったかと聞いてみた。この時期はまだパーカーを着るほどの寒さではない。日中ならまだ半袖でも過ごせるぐらいだ。
 
「朝方少し冷え込んだかなと思った時はありましたけど大丈夫でしたよ。親切な方がパーカーも貸してくれましたし」
 
 心当たりを考えてみたけれど貸したという人が思い浮かばなかった。腑に落ちないという顔をしていたせいか、コノンさんがさらに話を続けた。
 
「何だか、船で魚を捕りに来たと言われてましたけど。私は魚のことはよくわからないので」
 
 スロウさんじゃないとしたら、この島で魚を獲りそうな人もいない。だれだったのだろう。
 
「あ、そうだ。パーカーを預けておきますので貸したと言う人がいらしたらお返しいただけると」鞄を開けて黒いパーカーを出した。
 
 創造していたよりも薄手のものだった。防寒というより雨よけに近いようなものだった。
 
「わかりました。リブロールのほうでお預かりしておきますね」
 
 まさか黒いパーカーそのものが手に入るとは思いもしなかった。これがあれば犯人の手がかりが得られるかもしれない。
 
「でもほんとうに牧師さんが言ってたとおりのすばらしいところで、思い切って来てよかったです」島を離れるのが名残惜しそうだった。
 
 あのヨシュアという牧師さんにこの島に行くことを勧められて来たのだろう。彼が以前来たという記憶もなかったので、かなり昔の話だったのかもしれない。その時はどうやって来たのだろう。
 
「野営場でしたよね。火事で怪我はありませんでしたか?」彼女の居場所もちょっと気になったので聞くと、怖くて最後はボートで逃げることまで考えて、北のボート乗り場の方まで走ったということだった。コノンさん自身というよりも、背中の歩けないうさぎピールのほうが怯えていたのかもしれない。
 
「また、すぐ会えますね」と聞くと「はい、戻って相談してみます」と言って半島の方に目をやった。
 
 少なくともコノンさんには罪を犯したという自覚はまったくないようだ。実際のところ、その調査箱が出火元だったかどうかさえもわからない。ただ、彼女にないものがあるとしたら、人の悪意を感じられないことかもしれないと思った。管理されて免疫のない世界に生きると言うのはこういうことなのだろうか。
 
「そろそろ船に乗ります」と言うと慎重に足下を確かめながら船に乗り込んだ。
 
 コノンさんの背中で、ウサギのピールが首を振りながら手をぱたぱた動かしている。
 
「マタクルヨ」とピールが言った。いや、言ったように思えた。
 
 彼ももっと島にいたかったのかもしれない。こちらに向かって手を振っているようだった。
 
 ほどなくして乗客全員が船に乗り込んだ。マリーさんとはどうしても話す気になれなくて、結局ことばも交わさないままに見送ることになった。ここで話しても何かが変わるわけでもないだろうし、話せば話すだけ自分自身が混乱してしまいそうな気がした。向こうに戻ったときに落ちついて話した方がいいだろうと思った。
 
「じゃあな、爺さんまたな。あまり考えすぎない方がいいぞ」と船長が言った。
 
「船長、ミドリ鮫見つけたら教えてくれないかな」唐突だと思ったけど、何を言っていいかわからなかったので思いつきを口にだしてしまった。
 
「わはは、ミドリ鮫だな。爺さんも見たことあるんじゃないのか?」と言うと人の顔を覗き込むようにした。
 
「見たのかな……」当然、答えにはならなかった。
 
「じゃあ、スロウ兄ちゃん行くぞ」と言うと仕事の顔に戻って操舵室に入って行った。
 
「オルターさん、お土産話楽しみにしててよ!」と言いながらスロウさんが船長に続いて乗船すると、船にかかっていた板を手際よく船に取り込んだ。もうすっかり船長の片腕になっているようだ。
 
 出航はみんなで見送った。ノルシーさんは灯台から見送ると言って出て行った。
 
「スロウさん、いい旅になるといいですね」とミリルさんが言うと「スロウは寝座を持たないやつだから、どこに行っても心配ないですよ」とノーキョさんが頼もしそうに答えた。
 
 オフェーリア号は大きな汽笛を鳴らすと、力強いエンジン音を響かせながらメーンランドに向けて出向した。あの時船でずっと見送ってくれたスロウさんが操舵室の窓からこちらに向かって手を振っている。島がすぐに米粒ぐらいになってしまうのを見て驚くことだろう。
 定期船の見送りはいつもと同じであっけないほど簡単に終わった。その先に待ち受けているいろいろなことを考えるとスロウさんにちょっと申し訳ないことをしたような気持にもなる。
 
 
 見送りが終わって椅子に腰を下ろすと、机の上に見かけない本が置いてあることに気づいた
 
「ミリルさん、これは」
 
「あ、船長の今回のお土産ですって」
 
 前に乗った時はメーンランドのことで頭がいっぱいだったけれど、船長はお土産をしっかり持って来ていたのだ。
 
「これはまたずいぶん古い本ですね」一目で骨董価値のある本だということがわかった。
 
「オルターさん、びっくりしますよ。タイトルを見てください」
 
「Travels into Several Remote Nations of the World……なんですかこれは? 」
 
 ノーキョさんがこちらを見て笑っている。もう一冊には、The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoeというタイトルがつけられていた。
 
「え? ロビンソンクルーソー?」
 
「びっくりですよね。もう一冊はガリバー旅行記ですよ」ミリルさんが自分のことのようにうれしそうに話す。
 
 奥付を見るといずれも初版本のようだった。どちらにも初版本があるなんて考えたこともなかった。スゥイフトという作家もいるのだから初版があってもおかしくないわけだけど、ギリシャ神話のような古い伝承のような話とばかり思い込んでいた。
 
「なんでこの本を?」
 
「ノート氏がこの島にきた頃にこの本が出版されていたんじゃないかって言われてましたよ」ミリルさんも理由を詳しく聞いたわけではなかったようだ。
 
「ある意味、この島も似たところがあるかもしれないですよね」と資料の整理をしていたアグリさんが言った。
 
「ガリバーとロビンソンがここに来たとか?」
 
「あはは、さすがにそれはないでしょうけど、船長からすると同じように見えるかもしれないですよ」と船を見ながら言った。
 
 どちらの本も本物に出会えるとも思ってなかったし、詳しくはどんな本かも知らない。この世界にいる間に読んで見るのもいいかもしれない。もしかしたら現実世界ではお目にかかれない希少本という可能性だってありえるだろうから。
 
「オルターさん、これ」ミリルさんから小さな袋を渡された。
 
「ありがとう。大切にしますね」
 
 それは虹の石が入ったあの袋だった。この石があればきっとなんとかなるだろう。なくしても、落としても手元に帰ってくる石に不思議な力を感じ始めていた。


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