目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
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第1話 再生する記憶

 深い緑の闇から抜け出すと、潮の香りのする暖かい風の吹くところに出た。明るい陽射しに目が慣れてくると、そこが慣れ親しんだ場所だとわかった。それは間違いなくウォーターランドの灯台だった。一瞬遅れてインクが淡い光と共に目の前に姿を現した。この子は私のいる場所をどうしてわかるのだろう。気がつくとインクのいることだけが意識を失った世界にいるときの唯一の救いになっている。

 

 そんな気持ちを知ってか知らずか、何も変わることはないとでも言いたげにいつものように机の下で毛づくろいをはじめた。ベッドから身体を起こすと、不思議なものでもみつけたようにじっとこちらの様子を伺っている。もしかして、また違う顔になっているのだろうか。自分の顔を恐る恐る触ってみたがよくわからない。

 

「インク、おいで」声を掛けると、少しこちらの様子を見ているようだった。なにか違うところがあるのだろうか。何度か呼んでいるうちにオルターの声だとわかったのか、忍び足で近づいて来て身体をすり寄せた。

 

 ここはこの前来た場所と同じなのだろうか。すべてが今のウォーターランドに似すぎている。ベッドも前のような藁の寝床ではなく、いつも使っていた布地のシーツが掛けてある。それも洗いたてだ。

 

 一番気になるのは東と西の方位の入れ替わりだけれど、日が高いこともあってよくわからない。太陽は少し南に傾いているようにも思える。そうであればほんとうのウォーターランドと同じということになる。

 

 灯台の中に何か違ったものはないか探したが、とくに記憶と違うものは見つけられなかった。もしかして、ノイヤール湖が人の記憶をどこかに再現して見せているのではないかと想像してみた。ここが自分の記憶を元にした創造の世界だとしたら、それは夢と同じようなところなのかもしれない。 

 

 前回ウォーターランドと似たところに行ったときにはミドリ鮫が現れて元の世界に帰ることができた。来るときにも現れたことを考えると、今回も鮫を見つければいいのかもしれない。急いで鮫に連れていかれた海のほうを見たが、そこに鮫の姿はなかった。しばらく見ていてもなにも起る気配がなかったので、彼らは夜に現れるのだと自分に言い聞かせた。そうでもしないと、不安な気持ちが押さえられなくなりそうだった。

 

 ベッドの枕元には読みかけのノートが置いてあった。手にしてみると、舟遊びをしていた場所のことを書いてあるページだった。ウォーターランドを出る前に読んでいたところだ。ここには水路のことしか書いてなかったけれど、もしかするとノイヤール湖のことも書いていたのかもしれないと思った。

 

 ノートを読んでいるうちにノート氏もノイヤール湖で意識を失ったのではないだろうかという考えが頭をよぎった。彼も出島に六界錐を作っていたのだろうか。そうだとしたら、そのあと訪れたというウォーターランドも、実世界にあったかどうかさえ疑わしくなってしまう。でも、ノートそのものはウォーターランドに存在している……

 

 もし、夢の世界を他人と共有できるのであれば、自分のいるところとノート氏のいるところが同じ夢の中と考えればいい。同じ夢であれば……。

 

 それよりも今は、出島で別れてしまったコノンさんのお祖父さんはジノ婆さんと何も気づかないままに話をしているのかどうかのほうが気になる。そこではなにも変わらずに時間が進んでいるのだろうか。自分がこんなことをしているこの瞬間も、きっと向こうの世界はいつも通りに動いているのだ。そう思うと一体何が正しい現実なのかわからなくなってしまう。

 

 ノートをめくってもみても、いつも見ていたものと同じものに見える。間違いなく自分で書いた写しだ。横にいるインクにも何の違いも感じられない。いつもと同じように足先の毛づくろいをはじめている。まるで、今のウォーターランドに戻ったような錯覚を覚える。

 

 人が歩いてくる気配がしたので、あわてて風呂の後ろに隠れて小さくなった。一人で来た人はすぐには出ていかなかった。机で何か作業をしているような物音が聞こえる。書き物でもしているのだろうか。インクもなついているようだ。喉を鳴らしているのが聞こえた。

 

 前にも感じたようにこの世界の人と目を合わせることがとても危険な行為であるように思えて仕方がなかった。それは、二度と現実世界に戻れないのではないかという不安だったと思う。なぜそう思ったのかは自分でもよくわからない。

 

 普段、夢に見る世界というのは、自分自身の目線なのか第三者の目線なのかは曖昧なものだけれど、今おかれているのはその感じに似ている。机に座っているのは自分自身のような気さえする。

 

 そんなことを考えているうちに、不覚にも風呂の横の壁にもたれたまま、また深い眠りに落ちてしまった。その後、机のところにいた人がどうしたかはわからない。  目覚めたのは、すっかり日が落ちた時間だった。一瞬出島に戻ったかと思ったものの、目の前のバスタブを見てそうではないことはすぐにわかった。夢の中で夢を見ることもあるのだろうか。せめて目覚めたところが寝入る前と同じところであってほしいと思った。そうでないと、自分の居場所がまったくわからなくなってしまいそうだった。道に迷うどころの騒ぎではない。無限に広がって行く意識の中で遭難してしまいそうだった。

 

 明かりのない部屋は真っ暗で何も見えなかった。手探りで窓をみつけ外を眺めて見たが、月も星もない闇の世界が広がっているだけだった。


第2話 メビウスの時

 あたりを見回しても人の気配はまったくない。ノート氏が現れそうな気配も感じなかった。気がつくとインクの姿も見失い、すべては暗闇の中に消えてしまった。

 また、前と同じようにボートに乗って海に出れば出島に戻ることができるかもしれないと思い灯台を出た。
しかし、そこで目にしたのはまったくあり得ない光景だった。

「え、どうして……」思わず声を出してしまった。

 エバンヌがある。耳を済ませるとジャズが流れているのが聞こえ、窓には動く人影まで見えた。この前のような孤独な世界ではなくそこに人がいることに孤独感以上の恐怖を感じた。

 店を覗いてみたい気もするものの、そこに誰がいるのかは想像もつかない。たとえノルシーさんがいたとしても、ほんとうのノルシーさんかどうかを見きわめることもできないだろう。もし、ノルシーさんの顔がこの前の自分と同じように違っていたらと思うと、とてもドアを開ける気になれなかった。
 ここはほんとうのウォーターランドに似すぎている。それは、まるで自分自身の記憶の中に入ってしまったかのようだった。

 そのままボートのあった場所を目指した。ただ、この前乗ったボートはいっしょに海深く沈んでしまったことを考えると、そこにあの赤いボートがある保証などなかった。月もない暗闇の中で必死に探してみたものの、なくなったボートを見つけることはできなかった。
 もしやと思い、北のほうに行ってみると思ったとおりボート乗り場があった。それは今のウォーターランドにあるボート乗り場とまったく同じだった。とりあえず鮫に会うだけなら、同じ赤いボートでなくても構わないだろう。海に出られさえすればいいのだと自分に言い聞かせ乗り込んだ。
 少し沖に出たところで前と同じように西に向けて方向を変えた。左手にはさっき通り過ぎたエバンヌが見える。鮫が現れるのを期待しつつ西に向かって少しずつボートを進めた。

 ときどき後ろを見ながら西に向かったもののあのときのように鮫は現れなかった。ふと気になってボートの下を覗き込むと思っていたほどの深さはなく、そこに巨大なミドリ鮫が現れるとはとても考えられなかった。
 後ろを振り返っても、鮫の背ビレをみつけることはできなかった。この前と違っているのは月も星もない夜ということ。それに前に来たときは白い灯台やエバンヌはなかった。その違いが何を意味しているのかはわからない。

 深夜過ぎぐらいまで灯台の先の海に浮かんだまま時間をやりすごすことにした。しかし、待てど暮らせどミドリ鮫が現れることはなかった。仕方なく灯台の近くにボートを寄せることにした。エバンヌには数時間前と同じように明かりが灯っていたけれど、灯台のほうには人が入った様子はなかった。

 これで現実世界に帰れなくなれば、またマリーさんに心配させてしまうし、コノンさんのお祖母さんやお祖父さんにも余計な気苦労をかけるだろう。そして何よりもあの美しいオールドリアヌに戻れなくなることが悲しい。できれば、帆掛け船を自在に操れるようになって、お祖父さんとたくさんのドットトラウトを獲ってみたかったし、マリーさんのところで手伝いをしながら、ハロウさんといっしょにオールドリアヌに水彩画を描きにも出かけたかった。

 そんなことを考えているうちに、もしかしてナーシュさんも今の自分と同じようなめにあっているのかもしれないという気もしてきた。行方が知れなくなって10年経つという。10年は長すぎる。戻るきっかけをつかめないでいることも考えられなくはない。もしそうであれば、ジノ婆さんが言ったように六界錐が出島に呼び戻してくれるのを期待するしかないのか。そんなことより六界錐を持たない自分のほうはどうすればいいのかのほうが心配になる。トラピさんのようになぜすぐに作らなかったのか悔やんでも悔みきれない。
 それとも、この世界からも船を使ってオールドリアヌに行くという方法もあるのかもしれない。ここが自分の知っているウォーターランドと何も変わらないのであれば、船で行った先にあるオールドリアヌも同じかもしれない。オールドリアヌがこの世界にもあればの話だけれど。

 机にあるノートを見ていると、ノート氏の体験と自分の今の状況がなんだか同じようにも思えてくる。ノート氏もどこかで意識を失って同じように別の世界で旅をしたのではないか。もし、そうだとしたら、意識世界と現実世界の両方にあるノートの存在はどういう関係と考えればいいのだろう。どこかにそれを繋ぐものがあるということか。
 現物か写しかの違いこそあれ、内容に違いがあるわけでもない。そんなことを考えているとやはりノート氏はまだどこかにいるのではないかと思えてくる。もしかして、昼間にここにいた人がノート氏その人ではなかっただろうか。時間と空間と現実と夢が混在してどこから考えていけばいいのか糸口がまるでわからなくなってしまった。

 そうこうしているうちに、東の空が明るくなってきた。空を覆っていた雲にも切れ間が見える。明るくなると人目にもつきやすくなるので、灯台を出て建物の裏側に身を隠すことにした。
 波際のところまで降りるとさすがに波しぶきが強く、人も近づきそうにない。身を隠すのにはちょうどいい場所だ。灯台のデッキに登る人さえいなければみつかることはないだろう。
 ここで鮫が現れる夜が来るのを待つことにしよう。

第3話 時間の澱み

 この灯台が白い灯台に変わったのはいつごろのことだったのだろうか。この前来た場所には赤い灯台があった。同じ場所に六界錐はあるものの読み取れなくなった文字は年月の経過を感じさせる。赤い灯台か白い灯台かは時代の違いなのかもしれない。

 結局夜明けまで待ってもミドリ鮫が現れることはなかった。エバンヌのほうを見てみるといつの間にか明かりが消えていた。
 南のほうに回ってリブロールの方を見てみようとしたとき聞き覚えのある声がした。

「じっじ、昆布拾い?」

「あ、コピおはよう……」何も考えずに思わず返事をしてしまった。

 現実ではないとわかってはいてもコピに会ったのが無性にうれしかった。

「コピも手伝う!」と言いながら元気良く駆け下りてきた。

 しばらく呆気にとられて次のことばが出てこなかった。一生懸命なところはいつものコピと何も違わない。また、湖のときと同じように幻影を見ているのではないかと思いながらも、目の前で起っていることは現実としか考えようがないほど実際の世界と寸分の違いもなかった。

 ありがとう……と言いながら顔を見ると、いつもとまったく変わらない無邪気な笑顔が返ってきた。

 そうなると、今度は逆に自分のほうはどう見えているのかが気になった。

「あの、じっじの顔、変じゃないかい……」と聞くと「寝ぼけた顔!」と言っていつものようにころころと笑った。

「じっじ、ほんとうに今日いくの?」と言われて、何を言っているのかがすぐには理解できなかった。何か約束でもしているのだろうか。

「虹の石があって助かったよ」と言いながら胸元に手をやると、「虹の石ってなあに?」と言って目をくりくりさせた。コピには何のことを言われているのかわからないようだ。
 指先で首から下がっているはずの虹の石を探ったがみつけることはできなかった。また、なくしてしまったのだろうか。鮫たちが虹の石の光を求めて集まっていた光景がふっと浮かんで消えた。

「船長は今度は何を持ってきてくれるかな」と聞いてみると、「いいもの!」とうれしそうに答えた。いいもの……船長はまだ来ていない、というよりこの世界にも船長は来るということだ。
 メーンランドに向けて船で出たのが夏至から24日目だったことを思い出して日にちを尋ねてみると、今日は23日目だという。今日は出発の前日ということのようだ。時間のずれた記憶の世界に来てしまったのだろうか。

「コピはウォーターランドに来る前はどこにいたの」唐突な質問だとは思ったけれどどうしても聞きたかった。

「木と川のあるきれいなところ!」うれしそうに言った。

「そうか……木と川のあるところね。そこにはじっじはいなかったよね」まさかそれはないだろうと思いながらも一応確かめてみた。

「ドットだけだよ」

「ドット? ドットって魚のこと?」

「ドットはドット」と言って昆布取りに夢中になっている。コピはドットトラウトを見たことがあるのかもしれない。コピの生まれ育ったところにもいるということだろうか。

 話しているうちにコピが突然リブロールに現れた日のことを思い出した。あのころは、船長の船もなかったし、この子はどうやってこの島に来たのだろう。そう考えると、コピも今の自分と同じようにしてここに来たのかもしれないと思った。つまりそれはどうやってきたのかわからないということに他ならないのだけれど。

「スロウさんやノーキョさんたちはどうしてるかな。火事の後の実験広場はうまくいってる?」ネモネさんの言っていた話はここではどうなっているかと思い聞いてみると、「火事はたいへん、たいへん。実験広場はなあに?」きょとんとしてこちらを見ている。

 やはり、火事があった後だ、木々が想像以上に成長していることにはまだだれも気づいてないということか。コピはまだ広場の実験班長にはなってないようだ。

 コピといる時間を懐かしく思い出しながら、昆布取りをしていると、「ミリルさん来た」と言って突然立ち上がった。

「え、リブロールがある?」思わず口をついて出た。

「じっじ、へん」と言うと、初めて会った人でも見るようにこちらをじっと見た。

 少しして「ねぼけてる」と言って笑い出した。

 言われてみると、昨日からリブロールを見てないことに気づき灯台の裏に回ってみると、そこには朝日を受けて立つリブロールがあった。昨夜は月明かりもなかったので気づかなかっただけだろうか。

「ミリルさんと昆布の朝ごはん!」と言うとぴょこんと立ち上がって誘うようにこちらに手を伸ばした。

 コピはいつもの調子で話している。その様子に自分の知っているコピと違うところは何もない。過去の記憶にこういう場面があっただろうか。自問自答してみるものの思い当たることがない。

「じっじ、いこいこ」コピが急かすけれど、どうにも足が前に出ない。

 そのとき、コピの後ろの海面に背びれが見えた。海面に大きな背中を見せたと思ったらすぐに水の中に消えてしまった。一瞬だった。ミドリ鮫はここにもいるのだ。もう少し早く現れてくれていればという思いが込み上げた。ただ、まだあの鮫といっしょに戻れるチャンスはあるということにほんの少しではあるけど救われた気がした。

 手を引かれるようにして、波打ち際の湿った砂地を歩いてリブロールに向かった。リブロールが近づくにつれて、これでしばらくは出島には戻れないだろうという諦めの気持ちがまた頭をもたげてきた。晴れ渡った空を見上げると、太陽がいつものウォーターランドと同じように東の空に登っていた。
 ほんとうのウォーターランドと寸分も違いのない世界があるとしたら、現実と意識世界を切り分けることに何の意味があるのかわからなくなってくる。

 目を伏せるように歩いていくとリブロールから「あら、オルターさん。お出かけの日で寝られませんでした? ユイローは効かなかったのかしら」ミリルさんの明るい声が聞こえた。心を決めて顔をあげると、そこにいたのはいつもと何も変わらないミリルさんだった。その姿のどこにも違いはなかった。

「昨日はせっかくの満月だったのに途中から曇がかかってしまいましたね」

「曇っていた……」この二人は昨日もここにいたということだ。この同じ空の下に。

「旅の用意の方はどうですか」

「用意……そうか、用意だよね」と自分でも意味不明なことを言っているなと思った。

「メーンランドは遠いところだから、準備も大変ですよね」

 やはり、船長の船が来て、これからその船でメーンランドに行くということのようだ。

「えっと、ちょっと今回は思うところがあって……」自分でも何を言いたいのかよくわからなかった。ただ、ここを離れるといよいよ出島に戻る道が閉ざされて時間の迷宮に迷い込んでしまうような気がしたのは間違いない。

「でも、トラピさんが待っているかもしれないですよ」と言いながら引き出しから取り出したロールペーパーの手紙を渡された。

「あの、それは……」トラピさんからの手紙ではなかったとは言えなかった。もちろん現実世界での話だったので、この意識世界でも同じなのかどうかさえもわからない。

 丸めてあった手紙をもう一度開いて読み直した。

「じっじ、トラピさんと会うの?」とコピが覗き込むようにして言った。

 開いた手紙はトラピさんからの手紙ではなかった。それどころかボルトンがコノンさんに宛てたものでもなかった。

ミテホシイトコロ ガ アリマス リアヌシテイ ノ サーカスゴヤ デ ……

 これは、自分がスロウさん宛に書いてハトポステルに投函した手紙そのものだった。急いで書いたので読みにくくはあったけど、オールドリアヌに戻る前に書いた手紙だ。あの手紙がねじれた現実と意識世界を超えて今ここにある。時間を遡るばかりか、前後の関係さえ崩れている。

 何がずれて、現実と意識の世界がどうつながっているのかまったくわからなくなってきた。ただ、あらゆる出来事が混在した現実だけが目の前にある。理由などわからなくてもいいので、とにかく目が覚めて出島に戻れないものかと思わずにはいられなかった。無意識にミドリ鮫の迎えが来ることを祈っていた。

「オルターさん、なんだか具合が悪いみたいですよ。顔色がよくないわ」ミリルさんが心配そうにこちらを見て言った。

 それを聞いたとたんに一気に疲れが出て、そのまま倒れるようにして横になった。

「じっじ、だいじょうぶ?」

「心配ないよ。昨日遅くまでノートを読んでたのがよくなかった」ウォーターランドを出る前の日を思い出しながらなんとか話をあわせた。

 出発の前の日の夜、灯台でノートを読んでいるうちに寝てしまった。そのあとはどうなったのか。翌日はほんとうに目覚めたのだろうか。今いる世界がほんとうの現実世界だとしたら、メーンランドでの出来事はすべて夢の中で起ったことだったのか。

 今日は船長がやって来る日だという。その船に乗ってメーンランドに渡って、オールドリアヌのノイヤール湖で意識を失ってしまう。そして目覚めるのがまたここになったら……
 時間の澱みに取り残されたまま延々と時間がループするということだ。今日、来るという船長は、こちらを見たときになんと言うのだろう。

第4話 変わらない人たち

 ソファーに横になっていると、ミリルさんが採ったばかりの新鮮な昆布でスープとサラダをつくってくれた。夢の世界には色がないとか、味がないとか聞くこともあるけれど、このスープにはしっかりとした味もついていたし、昆布は茹でられてきれいな緑色になっていた。
 口にしただけで気持ちが少し落ち着いた。考えたら昨日の昼から食事をしていなかったのだ。現実でも意識の世界でもどうやら空腹だけは時間通りにやってくるらしい。
 
 スープを飲みながらリブロールに変わったことはないかと店内をあらためて見回してみたものの特別違和感を感じるものもなかった。本棚には青い表紙の本も置いてある。船長とページのない本にノートを印刷して綴じ込むとそれが終わりのない旅の入り口になるという話をしたのを思い出した。あの時からノートの世界の旅が始まっていたのかもしれない。
 
「船長が着くのはお昼頃でしょうか」とミリルさんが言うと、いいもの、いいものとコピがうれしそうに飛び跳ねた。
 
「オルターさん、具合が良くないなら、メーンランドは次回にしたほうがよくないですか」
 
「そうだねえ」どちらとも言えない曖昧な返事をした。ミドリ鮫が現れるのをここで待つべきか、船長の船で島を離れるべきかの判断ができない。ループする時間の起点すらよく思い出せないからどうにもならない。何かわかるまではこのまま様子を見るしかないのだろうか。そのうち目が覚めるのかもしれない。
 
「だれか代わりの人に行ってもらうのも方法ですよね」ミリルさんは諦めることが決まったと思っているようだ。
 
「代わりの人にノイヤール湖まで行ってもらうというのも……
 
「ロイヤル湖ってどちらに?」
 
「あ、ノイヤール、オールドリアヌノの……
 
「ノートに書いてあるんですか?」ミリルさんが初めて聞いたという顔をしてこちらを見た。
 
「そうか、夢でみたのかな……」と言って口ごもってしまった。ミリルさんの言う通り、オールドリアヌは実際行った人間にしかわからない。夢で見たと思えば、何も不思議ではなくなる。
 
「オルターさん、少し休んだ方がいいみたいですよ」ミリルさんが心配そうな顔をしている。
 
「横になっていてくださいね。ちょっと、エバンヌに行ってきます」と言って急ぎ足で出て行った。
 
 コピは本棚から青い本を持ってきて、隣でおとなしくページをめくっている。
 
「コピ、その本の向こうに何かありそうかな」
 
「きれいな水のところ!」とうれしそうに言った。
 
「きれいな水が見えるのかな」と聞くと、うんうんと首を大きく振った。
 
 静かになったのでしばらく目を閉じてみた。もしかすると出島で目覚めないかという期待もあったけど、目を開いたところはやはり同じリブロールだった。
 横目で本を読むコピのやさしい顔を見ているうちに、この世界から船長の船でメーンランドに行くのはやめようと思いはじめた。現実と何も変わらない世界からあえて別の方法で戻る必要はないということもあったけれど、それ以上に二つの世界の時間の狭間に落ち込んでしまいそうな恐怖感が拭い去れなかったことが一番の理由だったかもしれない。
 
「今回は船に乗るのを止そうかな」と言うとコピもうれしそうに頷いた。
 
 いっしょに青い本を眺めているとミリルさんが小走りに戻って来た。
 
「おじゃましますよー、オルターさん調子はどう?」ノルシーさんがいっしょだった。
 
「また張り切りすぎちゃったかな」と言いながら額に手を当ててきた。
 
「熱はないみたいね。でも、今回はよしたほうがいいかもね」と言ってミリルさんと何か話している。
 
「変な夢を見たんだって?」と言うとソファーの近くにテーブルの椅子を持って来て座った。
 
「夢というか……」説明のしようもなかった。
 
「ね、ね、また赤い灯台見えたんじゃないの?」長い付き合いのノルシーさんにはこちらの気持ちが見抜かれているように思うことがある。
 
「赤い灯台って、ほんとうにここにあったのかな」と思わず心を許して聞いてしまった。
 
「あったかどうかって、ノートに書いてあったんだよね」ノルシーさんが言った。
 
「いや、ノートには書いてあるけどね。実際にここにあったのかなって……
 
「ほら、だからノートの読みすぎに注意って言ったのに」困った人だと言わんばかりの顔をしてミリルさんの方を見た。
 
「現実じゃないのかなあ」時間の違いだけでもない気がして仕方がなかった。
 
「どちらでもいいけど、今回はやめだね。どうしてもっていうのなら、別の人に行ってもらったほうがいいね」
 
「そうか、ネモネさんはまだ島に?」
 
「そうかって、船長の船も来てないし。これは相当重症だよ」困った人だという顔をして笑った。
 
 やはり、ここは出発する前日の夏至暦23日のウォーターランドなのだろう。そう思うとすべてのつじつまが合う。オールドリアヌで起きたことはすべて夢の中でのできごとだったと。
 
「とにかく、少し様子を見た方がいいかもね。ノーキョさんのとこで薬草でももらってこようか」
 
「いや、大丈夫だから。少し休めば」
 
「昨日は遅くはなかったよね。明かりついてなかったし」
 
「寝た時間は覚えてないけど遅くはなかったような。記憶があいまいで」
 
「こりゃ、薬草投与決定だ」
 
 みんなの話を聞いているうちに、今度はここはほんとうのウォーターランドではないかと思いはじめた。夢で見ていたわけでもなく、何かの間違いで灯台の横にある六界錐に引き寄せられてここに戻ったとも考えられる。そうだとすると昨日の夜のことがどうだったか気になる。
 
「ミリルさん、昨日の夜は灯台に来ましたか?」
 
「あ、わかりました? ユイローがあったのでお風呂にどうかと思ってお届けしましたよ。お風呂に入っていたの気がつきましたか? オルターさん、かなりお疲れみたいでしたよ」
 
 風呂に隠れていたのではなく、ベッドで寝ていたということだ。あのときの人影はミリルさんではなかったということか、それとも向こうの世界のことだったのか。
 
「ああ、ノートを読んでたら眠くなってしまってね」とこちらの世界に話を合わせた。
 
「月がすごく綺麗で。満月の日のユイローは身体にいいって聞いたことがあったので」
 
「そうか、昨日は赤い満月の日だったんだね」
 
「そうですよ。でも、あのあと雲に隠れてしまったから、あまり効き目がなかったかも」
 
 意識を失う時にいつもユイローが関わっている気がする。
 
「じゃあ、ノーキョさんのところに行ってくるね。ミリルさん、正気になるまで見張っててね」と言ってノルシーさんが出て行った。

第5話 見えない鮫

 ソファーから起き上がると、ミリルさんが心配そうにこちらを見ている。まるで管理下に置かれた希少動物扱いだ。
 
「オルターさん、あまり無理しないで横になっていたほうがいいですよ」
 
 きびしい指導がされる。身を隠していなければいけなかったかもしれないのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
 
 違う世界から来たからなんて言ってもわかってくれる人もいない。傍目に見ているとただの病人にしか見えないだろう。
 
「ちょっとミドリ鮫のことを調べたくてね」実際、それは嘘ではなかった。こちらにしてみればミドリ鮫を見つけられるかどうかは死活問題だからゆっくり寝てからなんて言ってはいられないのだ。
 
「ミリルさんはこのあたりでミドリ鮫を見たことないですよね」
 
「私はないですけどコピちゃんはよく見るって言いますよ」
 
「コピはどこで見るの?」横にいたので聞いてみた。
 
「みるのはここ」
 
「ここって、ウォーターランドだよね?」
 
「ここ、ここ」両足をそろえてぴょんぴょん跳ねている。ここというのは今いる意識世界のウォーターランドのことを言っているのだろうか。ミドリ鮫は現実世界にはいない生き物ということなのか、それともただ見つかりにくいというだけなのか。
 
「あの、今朝ね、ここに来る前に見たような気がしたんだけど……」ミリルさんの反応を伺いながら聞いてみた。もしかするとこちらの世界ではミドリ鮫がいるのが当たり前かもしれない。うかつなことは言えない。
 
「今朝はイルカの家族が入江に迷い込んでいましたけど。イルカではなくてですか?」
 
「え、イルカがいたの?」
 
「さっきまであのあたりで遊んでましたよ」灯台の横あたりを指差した。自分が見たあたりと同じだ。
 
「コピちゃんは見た?」ミリルさんが聞いた。
 
首を横に何度か振った。コピが見てないのか。
 
「コピちゃんは一番最近はいつ見たの?」一度も見たことがないというミリルさんもどんなときに見られるのか知りたそうだった。
 
「きのうみた!」
 
 一瞬時間が逆回転して目の前の景色が昨日に巻き戻された。
 あのときミドリ鮫がこの海にいたなんて。どうしてその鮫を見つけられなかっただろう。コピだけにしか見えないとでも言うのか。みつけられなかった悔しさがこみ上げてくる。
 
「コピちゃん、それいつ頃だったの?」ミリルさんもさすがに納得がいかなかったのだろう。
 
「よるのまえ」質問の意味がよくわからないというように首をかしげながら答えた。ミドリ鮫のことをなんでみんなしつこく聞くのかわからないようだ。いつでも見えるコピにとっては当然だろう。
 
 鮫が現れたのが探していた深夜ではなかったとすると、自分がここに来たころだろうか。風呂の後ろに隠れたころと同じ時間かもしれないと思った。
 
「オルターさん、何か心当たりがあるんですか?」こちらが何か考えているように見えたのかミリルさんが聞いてきた。
 
「いやただ、そのときどこに居たかなと思って……
 
「私がユイローを届けたころだったのかなあ。ほんとうにいると信じないといつまでたっても出会えないのかもしれないですね。でもオルターさん、絶対コピちゃんにしか見えないものってあると思いませんか」
 
「子供のころにしか見えないものがあると言うしね」自分で言いながら、それはなんだろうと思った。妖精の類いのものだろうか。妖精がほんとうにいるかいないかは別として、妖精なら子供の目でしか見られないような気がした。
 
「もしそうだとしたら大人ってつまらないですね」ミリルさんが頬杖をついて海を見ている。
 
 話をしているうちに、現実世界で船長が届けてくれた水の本のことを思い出した。あの本には鮫の話は出てなかっただろうか。ミリルさんに聞いてそんな本の話は聞いたこともないと言われるても困るので自分で棚を見てみることにした。
 棚を順番に眺めているとコピが何を探しているのと聞いてきたので、小さな声で水の本と言ってみた。そうすると、テーブルでスロウさんが見てたと教えてくれた。出航前の記憶とこの世界はほぼまちがいなくすべてが一致している。
 
「ミリルさん、船長のもってきた水の本のどれかにミドリ鮫のこと出てました?」
 
「水の本ですよね。どれかに出ていたってスロウさんが言ってましたよ」
 
 そこになにかヒントが隠されているかもしれないと思って、”ミドリ鮫”という文字がないか探した。それから30分ほどページを黙々とめくって、やっと5行程度の記述があるのをみつけた。
 
 水のご利益で命を救われたというミドリ鮫漁の漁師の話から、ウオーターランドの湧き出る水を手に入れようとする人が絶えない。一部では聖水だと言う人まで現れて、その水を得たものはすべての災いから解放されるとまで言われた。そして、同じ地域に生息するミドリ鮫も神の使いとして崇められるようになった。ミドリ鮫漁の漁師たちが多く暮らしているセイレーン港は、聖地への入口としてその名を知られるようになった。
 
 ミドリ鮫は神の使いとして崇められていた……セイレーン港と言うのはどのあたりだったのだろう。それが今のスレイトン・ケープであったとしてもおかしくはない。実際ノートの主もミドリ鮫漁の話を知っていたわけだし、コノンさんのお祖父さんの話ともつながる。ただ、これだけでは、ウォーターランドがどこにあったのかがはっきりしない。ここは一体どこにあるのだろう。
 
「スロウさんは何か言ってました?」
 
「ミドリ鮫ってどのあたりに生息していたんだろうってノーキョさんとずっと話してましたよ。男の方って謎の生き物にロマンを感じるんですね」
 
 ロマン……ここにもロマンを求める男たちがいる。それは未知の世界への憧れなのか、それとも知らないものに対する畏れなのか。もしかするとミドリ鮫のロマンがこの意識世界をつくってきたのかもしれないとさえ思えてくる。ほんとうはなにもないのに、みんなの夢や希望、祈りだけで作られた世界があるとするなら、鮫は自分たちをどこに向かわせようとしているのだろう。彼らが棲む水はどこに流れていくのだろうか。
 
 そんなことを考えながら海を眺めていると、水平線にキラリと光るものが見えた。
 
「オルターさん、船長の船が見えてきましたよ」ミリルさんが目の上に手をかざして言った。
 
「いいもの、いいもの!」コピがいつものようにぴょこんぴょこん飛跳ねた。
 
 船長はどこからこの島にわたって来るのだろう。スレイトン・ケープであれば、この意識世界にも同じ大陸と同じ港までもあるということか。夢ともうひとつの世界が頭の中で交錯していく。


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