目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第46話 汽水の調査

 スレイトン・ケーブに着くと夕暮れで町が黄金色に照らされていた。荷物も持たないで降りることに焦燥感を感じるばかりだった。
 
「もうオールドリアヌには行けないね」ネモネさんが日焼けが癒えたようにすっかり元の色に戻ったミームに話しかけている。
 
 あれほど楽しみにして、期待通りの素晴らしい水に出会えたのに。ほんとうに二度と行けなくなるとしたら、ネモネさんの水探しの旅に終止符が打たれてしまうといっても言いすぎではないように思う。それほどノイヤール湖の水は特別なもののような気がする。しかし、それを意気消沈しているネモネさんに言うわけにはいかない。どうして水の持ち出しが危険だということに気がつかなかったか、あのとき自分が持ち込みの手続きをしていればどうなっていただろうと考えると、後悔するばかりだ。
 
 ホテルに戻ると、ネモネさんの様子がおかしいのをマリーさんもすぐに察したらしく、とにかくゆっくり休むようにと言ってくれた。私のほうはどうしても今日リアヌシティに戻らないといけないと言うと。理由も聞かないで、そうなのとだけ言ってソファーに腰を下ろした。
 
「あの、またノイヤール湖の話なんですけどね……」と言いかけると、マリーさんが残念そうな顔をしてこちらを見るので、ネモネさんの話に変えた。
 
「いや、あの、ネモネさんが、私じゃないですよ、水を持ち帰ろうとして集めたんですよ。そうしたらですね、エクスポーラーの車内チェックに引っかかってしまったようで、キャビネットに入れたまま取り出せなくなってしまって。それで、ネモネさんはすっかり……」
 
「そうだったの。行く前とあまりに様子が違っていたから」
 
「なんだかひどい話じゃないですか。ネモネさんの気持ちを思うと」
 
「でも、はじめてであれば、また行くことはできるわ」
 
「そうなんですか?」
 
「ダルビーは何をやったのか知らないけど、一度や二度の話ではなかったみたいだし。ただ、ナーシュのようにならないとも限らないわね」
 
「そうですか。じゃあ、ネモネさんに教えてあげないと」
 
「オルターさん、今はやめて明日にでもしたほうがよくない?」戻って来られないかもしれないと言っているのがどうしてわからないのかというような顔をされてしまった。
 
「そうか。問題は水を持ってこられなかったことですしね」椅子に座り直した。
 
「あそこの水はいろいろないわく付きだから気をつけることね。オルターさんのこの前の一件もあるし」
 
「ああ、たしかに……」それを言われると返す言葉もない。ジノ婆さんの言っていた水の力という言葉が遠くから聞こえてくる。
 
 その後は、気まずい雰囲気になってしまって、お互いに何をするでもなく時間だけが過ぎて行った。
 
 マリーさんは、オールドリアヌをさけているように感じる。それはナーシュさんの失踪が原因なのだろうけど、とにかく口にもしたくないほど嫌っているようだ。ナーシュさんを探しに行ったこともあるのかもしれないが、そのときにもいろいろあったのだろう。それから10年も経っていることを考えると、オールドリアヌの記憶さえも消し去ってしまいたいという気持ちもわからなくもない。そんなところに来て、オールドリアヌとの行き来をしているのだから、マリーさんの気持ちを逆なでしているようなものだろう。
 
 夕食も終わって、着替えを取りに自分の部屋に入ろうとしていたときに船長が戻ってきた。ドアをいつになく勢いよく開けて、八つ当たりをしている。少し飲んでいるようだ。
 
「お、爺さんいるのか。あいつらウォーターランドに探査装置のようなものを持ち込もうとしてたから、勝手なことをするなって怒鳴りつけてやったぞ。ずうずうしいにもほどがあるってな。それも、大気とか海水が汚染されていないか調査したいって適当なことを言ったっていうんだから、どうしようもないやつらだな」
 
「ミリルさん、困ってなかったですか」相談する店主もいなくて途方に暮れている姿が目に浮かんだ。
 
「まあ、やつらのことだからうまく丸め込んだだろうな」船長の腹の虫が収まらないようだ。
 
「何か水のことで具体的なことでもわかったのかな」というと、マリーさんが「ボルトンに理由もなにもないわ」といつものことだとでも言わんばかりに言い捨てた。
 
「ボルトンとの関係はわからないが、スロウって兄ちゃんが言うには、島のどこかに汽水の流れ出してるところがあるっていうんだな。もちろん池は真水に近いのはわかっているんだが、どうも海底から湧き出しているって話だ。例の火事があったあとの植物の成長を調べてて気がついたって言ってたな。あの、兄ちゃんなかなかやるな。大したもんだぞ」
 
「その汽水にボルトンも目をつけたってことかな」
 
「どうもそうみたいだな。やつらはウォーターランドに限らず可能性のあるところは片っ端から掘り起こしている。スレイトン・ケーブの先に続く水脈をしらみつぶしに当たってるってことだろうな。なんでも、たまに来る飛行船もボルトンの関連会社のものだっていうじゃねえか。あんなの許してたら、どんどんわけのわからないやつらが入ってくるぞ。一応飛行船の勝手な離着陸も許可しないって言っておいたけどな。自分だけで利権を独占するつもりかって言いやがったよ。まったく、利権だけしか頭にないくず野郎のくせしやがって」
 
「飛行船もそうだったんだ。島便りを出してる場合じゃないかな」話を聞いてさすがに考えてしまった。
 
「新聞を見てあの静かな島を守ろうという人も出てくるだろうけど、ボルトンだけはいただけないな。ネーコノミーの餌食になっちまう」
 
 得体の知れないボルトンという会社の影がどんどん大きくなることに不安を感じる。静かで美しいウォーターランドが見えない何かに汚染されていくような気がして悲しくなってしまった。

第47話 黒い六角の紋章

「そうそう、火事の後に残っていたバッチ。あれはボルトンのマークだぞ。qなんかじゃなくてボルトンのbだ。六角にbはボルトンだからな。やつらが置いた何かが失火したんじゃねえか」
 
「え? 火事のときにボルトンがあそこにいた? 見かけない黒いパーカーの着た人を見たっていう人もいるんだけど」コノンさんのことは言わず船長の考えを聞いてみた。
 
「そいつは限りなく黒だろうな。とんでもないな」
 
 やはり船長も黒いパーカーをボルトンと思うようだ。それぐらいウォーターランドにいる人は気心の知れた関係なので、珍しい人の記憶は強く残る。悪く言うと狭い世界に閉じこもっているともただの田舎者と言えなくはないのだけれど。それがいいところなのだ。
 
「ボルトンの紋章も六角なんだね。言われてみれば雲の塔も六角だったし、リアヌシティで見た黒服の持ってるスーツケースも六角だった」
 
「黒い六角を見たら、まずはボルトンって思っていい。ボルトン以外の人間で好き好んで黒の六角を持つやつもいないだろう」船長もやっと苛立ちが納まってきたのかポケットからシガレットケースを出して葉巻をとった。この前の骨董市で買ったケースだろう。
 
「じゃあ、六界錐はどうなるんだろう。ボルトンにも繋がってるのかな」
 
「もともと六角はリアヌシティの紋章だから、同じところに生まれて、白と黒に分家したようなものだからな。正確には緑と黒ということだろうけどな。もちろんボルトンのやつらは自分たちこそが六角の直系だと考えているだろうが」船長はそんなことは許さないとでも言いたそうだった。
 
「オールドリアヌ側が緑なわけだね。同じ六角の派生だとするとボルトンも悪いやつばかりじゃないって可能性もあるだろうね」
 
「白も黒に混じれば真っ白なままじゃいられないだろう。せいぜいグレーってとこだな。やつらの性善説を信じるやつがどれほどいるか俺にはわからない」葉巻を大きく吸って、少し間をおいてゆっくりと煙を燻らせた。
 
「それを言ってしまうとリアヌシティの住民はみんな黒になるよね。そんなことはないと思いたいけれど」話しながら、家族の家にいた子供たちの顔が目に浮かんだ。
 
「人を信じるのもほどほどにってことだろうな。騙されてる本人は気がついていない。それが幸せと言うやつもいるけど、そんなもんじゃないだろう。ちがうか?」
 
 コノンさんのお婆さんと同じようなことを言ってると思った。
 
「さっきの汽水の話だけど、ウォーターランドの汽水が木々の成長の源だとしたら、スロウさんにノイヤール湖のほうも調べてもらいたいなあ。あそこのお年寄りはみんな驚くほど長生きだし」ネモネさんの気持ちも考えて言ってみた。船長はスロウさんのことを買っているようだからこれはいい提案かもしれない。
 
「そこだな。まかり間違って水脈が同じということであれば、なにか共通することがあるのかもしれない。爺さん、湖探検で何かわかったことはないのか?」
 
 思わずマリーさんの顔を見てしまった。マリーさんは聞いてないふりをしている。いや、してくれているのか。
 
「あそこの光る湖底に緑の岩盤があるらしいね」当たり障りのなさそうな話からしてみた。
 
「緑?」
 
「ナーシュさんたちの六界錐がその緑の石なんです」
 
 話に夢中になっていて、ネモネさんが2階から降りて来ていたことに気づかなかった。思ったよりも元気そうなので安心した。スロウさんの話も聞いていたかもしれない。
 
「緑……緑か……。やっぱり緑と黒だな」と緑と黒という言葉を船長が繰り返した。
 
「船長、鮫は緑だったね」
 
「それ言うと、草木も苔もみんな緑じゃねえか」
 
「草木はもともと緑じゃない」とマリーさんが笑った。
 
「船長の見た鮫は緑だったんだよね」と確認すると、あれは確かに緑だったなと記憶を辿るようにして言った。
 
「船長が見たのは日中だった?」
 
「いや、月もない真っ暗な夜だった。だから鮫が光っているのがわかったってことよ」
 
 それが、現実か幻想なのかはよくわからない。ただ、自分がオールドリアヌで鮫と出会った時と同じような状況にも思える。問題は、現実の話に神話とか幻想とかが入り混じって、鮫が一体どこにいるのかはよくわからなくなっているところだ。
 
「そのミドリの鮫って、今でもどこかで見られるものなのかしら。ナーシュも一時期鮫のことばかり話してたわね」マリーさんが思い出したように言った。
 
「なんだか、男の世界らしいですよ。ロマンなんだそうです」ネモネさんが村でお祖父さんに聞いた話をした。
 
「鮫はロマンか。そいつはおもしろい。鮫探しに人生を賭けてるって……おい、それは俺のことじゃないか。わははは」
 
「考えたらダルビーも親の仇だとか言って鮫を追いかけてるものね」とマリーさんが言うと、それのどこが悪いというようにむくれた顔をした。どうやら船長もロマン男の仲間らしい。
 
「緑の鮫は、もしかして汽水にいるんじゃないでしょうか」とネモネさんが言った。
 
「汽水か……ありえなくもない話だな。汽水に住む鮫か」と船長が言うとみんなそれぞれに思い当たることがないか考えているようだった。だれも何も言わなかったけれど、それぞれの目は心当たりのあることを思い浮かべているように見えた。
 
 やはりミドリ鮫が鍵を握っている気がする。ジノ婆さんがミドリ鮫のことを知っているのかどうかわからないままだ。早く戻って、ジノ婆さんを訪ねよう。
 
 船長は明日にも定期便で出ると言うから、その便でスロウさんに来てもらえるかもしれない。そうすればこちらで何か手がかりがみつかる可能性も出てくる。
 
 急いでスロウさんに手紙を出そうと思った。待ち合わせ場所はサーカス小屋にしておけば、自分がいなくても、ナミナさんかトラピさんはつかまえられるはずだ。あの二人があと一ヶ月もリアヌシティにいないことを考えると急いだ方がいいだろう。
 
 ネモネさんに、次の船で帰ることを言ってホテルを出た。
 
ミテホシイトコロ ガ アリマス リアヌシティノ サーカスゴヤ デ マツテマス
 
 ハトポステルで手紙を書き終えると、その足でそのままエクスポーラーに飛び乗った。
 エクスポーラーの最終の時間が気になって慌てて書いたら、差出人と宛先を書くのを忘れたことに気づいた。船長が行けばオルターが書いたということはわかるから大丈夫だろう。
 
 エクスポーラーからの景色は夕闇に染まり、空にはまだどんよりした雲が垂れ込めている。明日はジノ婆さんにノイヤールのサメの話と緑石のことを確かめよう。どれも住んでいるノイヤール湖の話だから何か知っている気がする。きっと何かが関係しているに違いない。

第48話 水上の村

 リアヌシティに着くとすぐにトラピさんたちのところに行った。水を持ち帰れなかった話をすると、やっぱりそういう制限がかかってるんだと、リアヌシティへの不信感を募らせた。その上で、やはり水そのものがすべての謎の鍵を握っているのではないかという話になった。トラピさんはそれに確信を持っているようだった。    

 私は、今回のオールドリアヌ訪問を終えたら一度ウォーターランドに戻るので、もしスロウさんと行き違いになったらこれまでの経緯を話してもらうことと、その上でノイヤール湖の水を二人もいっしょに調べてもらいたいということを頼んだ。

 二人とも望むところだと言わんばかりの張り切りようで、次にウォーターランドに帰るまでに必ず水の秘密を解き明かすと意気込んでいた。

 

 どこからともなく視線を感じたので周囲を見まわすと、建物の陰に家族の家のミオ君の姿があるのに気づいた。遠くから遠慮がちにこちらを見ていた。家族の家に行きたい気持ちもあったけど、最後のバスの時間が迫っていたので、手を高くあげて、またあらためて来るという気持ちだけを伝えた。こういう風にされると一時でもリアヌシティを離れるのが寂しくなる。一方で、リアヌシティが黒に染まってしまうなら、その前に彼らを助けないという気持ちも強くなった。何か言いたげなミオ君のまっすぐな目が脳裏に焼きついた。

 
 オールドリアヌのコノンさんの家に戻ると、おばあさんとお爺さんが二人で静かに夕食をとっているところだった。一脚の燭台がテーブルを明るく照らしていた。食事は3人分が用意してあった。お祖母さんにお腹が空いただろうとすすめられて、部屋に入らずそのまま食卓についた。
 
「ネモネさんがいなくなると淋しいね」とお祖母さんが言うと、「また、そのうち来るだろ」とお祖父さんが気に留めないようなそぶりを見せた。

 二人に水を持ち帰れなかったとは言えなかった。あんなに一生懸命壜を集めてくれたお祖母さんのことを思うとどうしても言い出せなかった。

「ネモネさんも早くまた来たいと言ってましたよ」とだけ言うとお祖母さんはいつものように、「そうかい、そうかい」と言いながらお皿に煮物をよそってくれた。外が少し肌寒かったので、朝から煮込んだという鍋料理が身体を芯から暖めてくれた。この温もりがいつもこの家にはある。ノイヤール湖で意識を失わなければ二人に出会うこともなかったことを考えると、危険な目にあったとはいうものの偶然の巡り合わせに感謝したい。これもお祖父さんに言わせると必然だというのだろうけど。こういう必然ならいつでも歓迎だ。

 お祖父さんがその日獲ったドットトラウトは、食卓には出なかった。

「今夜はトラウト料理はなしですね」と言うと、「持ち帰れるように、燻製にしているからな。うちのはサークルでも一番の人気だぞ」と言うと、おいしい燻製作りのコツをいろいろと説明してくれた。
 ドットトラウトには湖畔に茂るスモールリーフの木のチップが合うのだという。同じ土地のもの同士を合わせると相性がいいのだろう。それを弱い火で何日もかけて燻すのだ。この燻し方が門外不出の秘伝だと自慢しながら話を聞かせてくれた。この土地ならではの光を閉じ込めた魚とその光を吸収した木とほどよい時間をかける腕前が極上の自然の恵みを作り出す。
 いただけるものならこれほど嬉しいことはない。ウォーターランドのみんなへの最高のお土産になる。お土産はドットトラウトの薫製とオールドリアヌの水彩絵具で描いたスケッチで決まりだ。
 
 
 あらためてこの家の祖先の話を聞いてみると、想像したとおり昔は耕作のために人を雇うほどの農地を持っていて、このあたりではちょっと名の知れた農家だったのだそうだ。しっかりした岩盤と粘土質の土地の上に位置することもあり、交通手段としての水路には恵まれていたたものの農地は水はけが悪く苦労したという。その当時に、生活の糧として半水生の農作物を作ることもいろいろ試されて、今夜の煮物にも使われている大ハスネや水芋、沼大根などは今でもこの村の特産品になっているらしい。農作地でもある水辺の沼と低木がつくる木陰と朝方の霧は、この村ならではの美しい景観をつくる。
 
 農業をやめたあとは住み込みの手伝いをする人もいなくなって、部屋を貸して生計の足しにしていた時期もあったそうだ。お祖父さんが生まれた頃には、湖の漁だけで暮らすようになっていたのだと言う。
 
 
 食後の果物とお茶が出た時に、もう一度ジノ祖母さんのところに行きたいという話をした。やはり、一人で行くのはよくないという話になって、また、お祖父さんの漁に同行して、昼時になったらジノ婆さんのところに連れて行ってもらうことになった。
 
 
 今夜の空は、今にも降ってきそうなほどの星空に埋め尽くされ、熟して今にも崩れそうな満月がノイヤール湖のほうにそろりそろりと登りはじめていた。いつもの夜よりも赤い空の色が窓越しにもわかるほどだ。

 お祖父さんは明日も早いからと言って、寝室に入った。

「オルターさんも、あの人と行くのなら早く休まないといけないね」お祖母さんが残念そうに言った。

「そうですね。漁は早いですからね」先に失礼することを許してもらった。

第49話 豊漁の予兆

 投網を投げると、最初から20匹ほどのドットトラウトが網にかかった。

「今日は特別な日になりそうだな」おじいさんがぽつりと呟いた。

 特別な日という言葉に大漁というだけではない別の何かを感じた。

「鮫が現れるとか?」気になったので聞いてみた。

「ああ、鮫か……そうかもしれないがな」と言いながら、光るトラウトを網から一匹ずつビクに移していく。


 投網を手繰り寄せると、輝く湖面にもう一投した。お祖父さんが続けて網を打つのは珍しい。網は湖に被さるように大きく開いて落ちた。その瞬間、網の中で驚くほどたくさんのドットトラウトが跳ねるのが見えた。

「今日は早めに引き上げたほうがよさそうだな」

「獲れ過ぎですね」と笑って言うと、「獲れ過ぎはよくないからな」と独り言のように言った。

「なにか起きますかね」お祖父さんの顔を伺った。

「あんた、ナーシュを知ってるか? あいつの消えた日にそっくりだ」

 思わず湖底を覗き込んだ。会ったこともないのにナーシュさんの影がそこに見えたような気がした。

「今日は早めに漁を切り上げて、ジノ婆のところにだけ寄って戻るとしよう」

 結局、霧が晴れるのを待つこともなく、ビクは一杯になってしまった。なぜ何かが起きる日に限ってトラウトがたくさん獲れるのかはお祖父さんにもわからないという。

 漁の道具を片付けると舟を北に向けた。

「わしの後をしっかりついてくるんだぞ」強い口調だった。

 帆掛け船はアメンボウのように水の上を滑って進む。それに対してこちらの櫓を使って漕ぐ船はどうにも効率が悪い。ちょっと気を抜くとすぐにお祖父さんの舟との間が開いてしまう。もう若くはないので、10分もすると息が切れてくる。そうすると、こちらの様子を察したお祖父さんがしかたなく舟のスピードを落とす。

「景色が揺れて見えるようならすぐに言うんだぞ」と心配そうにこちらを見た。

 なにも聞いてはいないが、お祖父さんも同じような体験をしたことがあるに違いないと思った。

 さらに、10分も進むと、ジノ婆さんのいる出島が見えてきた。同じ湖でも北のほうは霧が深いようだ。気温の差があるのだろう。南の沼地とはちょっと違った土地になるせいか、木々が茂る雑木林のような景観に変わる。農業にはやはり適さないように見える。

 お祖父さんの指示で、舟を桟橋にしっかりくくりつけた。今日は舟を流されるような天気でもないだろうと思ったけれど、地元の人にしかわからないこともあるのかもしれないから、言われた通りに何度も何度も杭にロープを巻きつけた。

 先に出島に上がったお祖父さんのジノ婆さんを呼ぶ声が聞こえた。舟を降りてからあの時と同じように、またユイローの匂いがしてきたのでちょっと心配になったが、すぐにあとを追って出島に向かった。お祖父さんがジノ婆さんを呼び続けている。足が悪いのにどこかに出かけたのだろうか。

 柵を越えて出島に入ろうとしたときに一瞬足元を何かに取られた。おかしい、また普段と何かが違い始めている。顔を上げると、目の前の景色がずれ始めているのがわかった。湖があのときと同じように光り、一点に集中しはじめている。よく見るとドットトラウトだった。数えきれないほどのトラウトが湖の中心に向けて集まっている。お祖父さんが心配していたのはやはりこのことだったのだ。集まったトラウトの輝きが水面を盛り上げる。それと合わせるように光の粒子が弾け飛ぶ。

 水面が今にも張り裂けそうなほどに大きく膨れ上がり始めた。

 その時、光を背景にして立つ人の影を感じた。一人……いや、二人か……。お祖父さんとジノ婆さんがこちらに手を差し伸べてくれているようにも見える。すでに喉は自由を失って、助けを求めることさえもできない。三度も同じ失敗をしたことを責める声も聞こえてくる。
 もがいても、騒いでも、光り輝く景色は焦点を合わせさせてくれないし、手足の自由が戻るわけでもない。なぜ、何度も同じような目に会うのだろう。コノンさんのお祖父さんは今どうなっているのだろう。この前のトラピさんとナミナさんのように、この状況にまったく気づいていないのか、それとも同じような目にあっているのだろうか。
 このまま、ここに戻れないとしてもそれは本望だろうと自分自身に言い聞かせた。

 ゆっくりと揺れ続けていた景色が光を受けて走馬灯のようにぐるぐると回転しはじめた。そして、光とひとつになって空に向かって吹き上げるように登った。それは徐々に黄金色の束となってねじれ、うねりながら太い光の柱となったと思ったら、一気に天まで立ち上った。

遠くのほうで、鮫はまもりじゃ、という声が聞こえた。ジノ婆さんの声だろうか。まもり……マモリ……何かの護りか。

 その声は消えることなく止まったままに遠ざかって行く。音が時間とともに消えず、もののように止まる。それは意識の中にとどまっているということとも違う。いろいろな音が止まっていくに連れて、ブオーンという不快な濁った音に変わっていく。

 それを待っていたように真っ黒な闇が辺りに立ち込め始める。明かりを閉じ込めてしまう闇の大きさは計り知れない。世界を包むのは光ではなく、闇なのではないかとさえ思える。それほどに闇の力は強く大きかった。
 漆黒の闇と思っていたのは、深い深い緑色の世界だった。光がすっかり消え去っていたために限りなく黒に見えたのだろう。真っ暗闇と思われた世界には緑が微かに残されていたのだ。
 緑の痕跡を少しでも見つけようと目を凝らしていると、闇に散らばる六界錐が何処かを起点に徐々に広がっていくのがわかった。それも闇の中にあるためにほんのかすかにしか見えない。

 気がつくと首から下げていた虹の石がわずかな光を放っていることに気がついた。

「そうか。この石が闇の世界にあって唯一明かりを発し六界錐を照らし出しているのか……」

 この前もこの虹の石をたくさんの鮫が取り囲むように集まっていたことを思い出した。彼らもあの真っ黒い目で微かな明かりに引き寄せられていたのだろうか。

 虹の石のほんの微かな光だけが、暗黒の中に唯一の光を発している。どこかでコピが呼ぶような声がした。それと合わせるように、ひとつの六界錐との距離が狭まっていくのがわかった。あの六界錐の向こう側にコピたちがいるように感じた。そこにみんなのいるウオーラーランドが待っている。そう思った。
 
 六界錐はどんどん近づいてくる。いや、こちらが近づいているのかもしれない。それとともに暗闇にどこからともなく明かりが差し込んできた。
 
 自分はどこに行くのだろう。すでに、ジノ婆さんとお祖父さんのいるオールドリアヌではないどこかに意識は移っているようだった。後ろの方に鮫の姿が見えた。あの巨大なミドリ鮫だった。
 こちらを追っているように見えたが、明かりが強くなり始めたところで、大きく身体を反転させ来た方に頭を返した。あっという間に鮫の後ろ姿は闇の深みへと消えて見えなくなってしまった。
 
 そのあとは、意識が途切れたときのように、頭の中が白い光で満たされた。書き残されたすべての記憶が強烈な光でかき消されていくようだった。

第2章のあらすじ

 都会を逃れた人が暮らす小さな島ウォーターランド。本屋リブロール店主のオルターと住人たちは豊かな自然に囲まれてのどかな生活を楽しんでいます。島には数百年前に訪れた旅人が残したノートがあり、そこには時間がゆるりと動き島が消えるという謎めいた話が書かれています。

 あるときノートを書いた旅人の出生の地がわかり、オルターはその秘密を証すために大陸メーンランドに向かうことになりました。たどり着いた先リアヌシティは想像もしなかった未来都市で、そこは暖かな交流が忘れられ合理性と安全性だけが優先されるところでした。それを管理をしていたのがドーム・コンストラクションとその関連会社のボルトンでした。

 そして、旅人の故郷であるオールドリアヌがかろうじてその管理の手を逃れた自治エリアとなっていました。オルターたちはこのオールドリアヌに度々足を運びノートの秘密と村の謎に迫ろうとします。しかし、答えが隠されていると思われた公書館にさえも近づくことを阻まれ、思うようにノートの真相を探ることができません。

 その後、島の秘密を知ると思われるノイヤール湖の出島に住むジノ婆さんのところを訪ねることになりますが、六界錐のある場所に近づくとまるで何かに囚われたようにオルターの意識は混濁し、ミドリの鮫が棲む世界に引き寄せられてしまいます。そこはノートの主がいたと思われる場所であるようですが、それを確信することができないままに現実の世界に連れ戻されてしまいます。鮫はどこから現れるのか、六界錐は何を意味しているのか、それともノイヤール湖の光る水にすべての答えがあるのか。確信に迫ろうとしたそのとき、オルターの意識がまた遠のいていきました。



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