目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第44話 光る魚

 年を取ると誰もが目覚めが早くなる。4時にもなれば起きるという人も多い。どうも寝るのにもそれなりの体力がいるということらしい。
 
 朝の支度をする音を聞きながらスケッチの仕上げをしていると、階段を登ってくる足音が聞こえた。木の階段は古いこともあってギシギシと音を立てる。眠りが浅いとあの音だけで目を覚ましてしまうだろう。
 ドアの外で様子を伺っているようなので、こちらのほうからから朝の挨拶をした。
 
「漁に行くなら30分後に」ドアの外から聞こえたのはお祖父さんの声だった。それだけ言い残すとまた下に降りて行った。
 
 突然の誘いに少し戸惑った。ただ泊まってるだけじゃなくて手伝いでもしろということだろう。こちらから先に言うべきだったか。湖に倒れてから合えないままでいたのも、お祖父さんが朝早くから漁をしていたためだと考えると申し訳なく思った。
 スケッチブックを閉じて、急いで出かける用意をした。用意と言っても釣りの道具があるわけでもなく、洗面をして少し厚着の洋服を着たぐらいだ。釣りに合う気の利いた服など持ち合わせてないから重ね着をした。夜明け前のこの時間はまだまだ寒い。
 
 玄関と居間が一緒になった部屋に降りるとお祖父さんがひとりで出かける準備をしていた。お祖母さんはまだ起きてないようだった。昨夜ネモネさんと話し込んだせいかもしれない。
 
「早くから起こしたな」お祖父さんが少し申し訳なさそうに言うので逆に恐縮してしまった。
 
「あの、少しでも手伝いができれば……」
 
「素人のあんたにゃ無理ってもんだな」と言うとテーブルの上の袋を指差して、「それを頼むな」と言いながら玄関を先に出た。
 
 外に出てみると、白夜ではないにしてもウォーターランドの夜よりははるかに明るいことに気づいた。月明かりかと思っていたけれど空は薄い雲に覆われ、月はもとより星のひとつも見えなかった。
 お祖父さんの舟小屋は公共の船着場の横だった。とても小さい小屋だけれど、場所は一等地といってもいいだろう。小屋にはジギという札が書いてあった。
 
「ジギというのは名前ですか?」
 
「屋号のようなものだな。ジギを使っていた漁師仲間もずいぶん減ったけどな」
 
ノートに出てきたジギ婆さんのことを考えていたが、あれは本当の名前ではなかったのかもしれない。釣具屋か舟宿の屋号のようなものだろう。船はこの前乗ったものよりさらに小さい、一人乗りと言ってもいいほどのものだった。
 
「これに?」と聞くと「あんたのはそっちだ」と隣の船を指差した。その船には帆はなくオールで漕ぐようになっていた。どうやら自分で漕げということらしい。それではますます手伝いにならないと思った。
 
 漁の道具をぜんぶ積み込むとお祖父さんの乗った舟は滑るように出て行った。帆掛け舟を使うのは、魚を驚かせないためというだけでなく、神聖な湖に対する心遣いでもあるという。お祖父さんが言うには、地元の人は間違ってもオールは使わないという。今日は釣果を期待していないと言われているような気がした。お祖父さんが誘ってくれたのは手伝いでなかったのだと思った。
 
 船小屋を出ると、トラピさんたちときた時と同じ水路を伝って湖の方に向かった。ただ、途中近道のような狭い水路に入った。
 
「落ちないようにな。ここいらは水の下の地形が入り組んでいるのと水草が多くて、絡まると助からないからな。特に櫂を使う舟は気をつけた方がいい」公書館の近くに来た時に、お祖父さんが言った。ここで行方が知れなくなった人も多いとのことだ。
 
「乾燥期に2mも水が引けばわかるが、この下は洞穴のような地形で間違った方に泳ぐと水面に出られない。少しぐらい泳ぎが得意でもだめさ。あんたが溺れたのがここでなくてよかったな」
 
「洞穴のようになっているんですか?」
 
「もともとこのあたりは洞穴が多い地形だから、要塞に適してると判断した祖先が移住先に選んだという話もあるぐらいだ」
 
「公書館のあたりにも洞穴が?」と聞くと、「どこにでもあるさ」ととくに驚く様子もなかった。「だがな、それは村人同士でもあまり話さない。お互いに知らないし勘ぐらない約束になっている」
 
 おそらく、地下がそれぞれの家系に伝わる秘密の藏のようになっているのだろう。大切な食料を保存するためだったかもしれない。それとも、現代の金庫のような役割だっただろうか。詮索していると思われるのもいやなので、お祖父さんの家にもあるのかと聞きたかったけどやめておいた。
 そうなると、公書館の下に地下があるのは間違いないとして、それが特別な意味あるのかどうかは自分の力で入口を見つけない限り誰も教えてくれないということになる。当然掘り起こすことは厳禁だろう。謎解きの入口は近いようでまだ遠い。
 
 湖が近づくに連れて、水面の明るさが増してきた。昼間に来た時には気がつかなかったけれど、月もないような深夜に来るとその明るさが尋常でないことに気づく。とくに湖底のほうに行くほど明かりが集まっているように見える。普通ならば暗くなるはずの水深の深いところに大きな光源があるようだ。光源というか、そこが昼間のようにも思える。地球の反対側が見えているとでも言いたくなるような不思議な光景だった。
 以前来た時に見えた光の粒子は少なく、その結果として夜が作られているようにさえ思った。太陽は光の粒子が吸い寄せられて集まっただけのものかもしれない。まるで天動説にも似たばかげた考えではあるけれど、そんな考えが頭をよぎるほどに朝靄につつまれた湖は幻想的な気配をたたえていた。
 
 湖の北の方まで来るころには湖面を離れ立ち昇る粒子も多くなって、それに合わせるように夜が明けてきた。
 
 お祖父さんは何も言わず一人で漁を始めた。30分に一度ぐらい網を打つだけで、それ以外はじっと瞑想でもしているように湖面だけを見ている。魚がいないのか、そもそもそれほどの釣果を必要としてないのか。
 こちらもすることもなく、ボートから覗き込むようにして光る湖の底を見ている。夜の沈黙とは違い、光の揺り籠に寝かされているような穏やかな気分になる。ノイヤール湖の持つ力が何かはわからないけれど、そこに正と負のすべての方向から目に見えない大きな力が働いているのではないかと思った。
 
 お昼近くになるとお祖父さんは舟を岸に寄せた。
 
「昼時だからそろそろ飯だな」と言って、草の葉に包んだパンと瓶詰めのミルク、根野菜のようなものを出した。飲み水がいるならノイヤールの湖水を汲んでくるようにと言われた。お祖父さんは、ボルトンが言うような水じゃないから大丈夫だと付け加えるように言った。
 
 食事をしながら午前中の釣果を二人で確認した。ビクに入っている魚はそれほど多くはないものの、思っていたよりも鮮やかな魚で水玉模様が鮮明に見えた。
 
「こいつが、ドットトラウトだな。きれいだろ」ビクの中の一匹を指して教えてくれた。
 
 ウォーターランド以外の場所にも水玉模様の動物がいるとは思わなかったけれど、それよりもなによりもその美しさに目を奪われた。ノイヤールに住む魚はとんでもない輝きを持っていた。お祖父さんはこれを見せたかったのかもしれない。
 
 そのドットトラウトも水からあげるとすぐに別のもののようにくすんだグレーになって、水玉の模様もかすんで微かに見える程度になってしまった。彼らは湖だけで輝きを与えられているのだ。

第45話 罪

 漁は夕方まで続いた。実際には食事の後の日の高い時間は昼寝していたので、夕方の羽虫が飛ぶ時間になって2時間ほどの漁をしただけだったというのが正しい。
天気の方が気になっていたが、雨にはならず薄曇りの一日となった。お祖父さんが言うにはこういう日が一番たくさん捕れるらしい。今日の釣果が少ないとしたらこちらのせいということだ。ビクを見ても10匹ぐらいしかいなかったので、ちょっと心配になった。
 
 漁を終えると、湖に棲む魚の話をいろいろ聞かせてもらった。土地を知るのに自然体系を知ることは大切なことだと思う。お祖父さんが言うには、季節や時間により釣果が大きく異なるという。それだけでなく、ドットトラウトがよく網にかかるときに限って何かが起こるそうだ。実際、自分自身が溺れたあの日もたくさん現れたらしい。
 漁の成否が細かな仕掛けの調整とタイミングで決まるのと同じで、この世界に偶然なんていうものはないというのがお祖父さんの言いたいことのようだった。問題は、気づいているかいないかだけで、あらゆることは必然としてつながっているのだと。
 
 トラウトと持ち帰ると、お祖母さんがムニエルにしてくれた。料理されたトラウトに湖で見たあの輝きはなく、食用としてしまうことに若干の抵抗を感じた。こちらの様子を見ていたのか、お祖父さんが「これも必然さな」と言った。
 
 カバのミームもたくさんの晩御飯をもらって満足している。彼もここに来てからはおいしい水さがしに大活躍だった。どこを歩いてもピンクになるわけだから休むわけにもいかない。そのおかげでネモネさんもたくさんの水のサンプルを集めることができた。
 
 食事の終わる頃にネモネさんが「オルターさん、私、水もたくさん集められたのでそろそろウォーターランドに戻ろうとかと思います」と言った。今度は一日も早く、スロウさんたちと水の秘密を解き明かしたいということだろう。
 
「次の船長の船で?」と聞くと大きくとうなづいた。
 
「せっかく友達になれたのに残念だね」とお祖母さんが言った。
 
「ミームもここの水大好きなので、またときどき遊びにきます」とお祖母さんを気遣うように答えた。お祖父さんは何も言わずにムニエルを淡々と口に運んでいる。
 
「オルターさんはどうします?」
 
「えっと、ジノ婆さんにミドリ鮫のことだけは聞いておきたいから」
 
 一人で行くのはよくないと思いながらも、それだけは聞いておきたいという気持ちが抑えられなかった。
 
「明日は、トラピさんなんかも来るかもしれないしね」ちょっと言い訳のようなことまで言ってしまった。
 
「ジノ婆さんにはまだまだ聞きたいことありますものね」ネモネさんはこちらの気持ちを察してくれたのか、ことばのままに受け止めてくれた。お祖母さんはみんないなくなると淋しくなると思っていたのかニコニコしながら話を聞いている。
 
 
 翌日は、水を入れた瓶でいっぱいの荷物もあったので、スレイトン・ケーブまでネモネさんと一緒に日帰りで戻ることにした。
 
 途中、トラピさんたちを訪ねて、次の休養日を確認した。ふたりの話だと4、5日後になりそうだという話だった。サーカス小屋の公演のほうが盛況でなかなか休みが取れなくなっているようだ。その時もナミナさんと双子はリアヌシティを演奏して回っている最中だった。トンテケ、トンテケという音が遠くから聞こえてきた。彼らの演奏と思いがここの人たちの心に届くことを祈ってサーカス小屋をあとにした。
 
 エクスポーラーは、時間通りに駅に着いた。ネモネさんと二人で、荷物を抱えて乗り込んだ。エクスポーラーの荷物置き場は、客席と別のキャビネットに収めるようになっていて、乗り込む前に荷物チケットを受け取る仕組だった。瓶の入った袋は大きかったので仕方なくそもチケットを受け取ってキャビネットに入れた。
 
 二人で並んで席に座ると、ネモネさんはあらためてオールドリアヌに来てよかったと言った。ミームがあんな色になったのをみたことがないと未だに興奮覚めやらない様子だ。この水からウォーターランドの謎のひとつが解けるかもしれないねと言うとうれしそうに笑った。
 
 いつものようにディスプレイが現れて生体チェックがはじまった。そのときだった。ネモネさんのディスプレイが赤くなって、crimeという赤い文字が点滅した。
 
 クライム……犯罪? メッセージを覗き込んで見ると、域内の水を外に持ち出すことは禁じられているという説明が表示されている。
 
「え……」ネモネさんが小さく声をあげた。
 
 ネモネさんはショックを隠せなかった。もちろんこちらも同じ気持ちだが、水を集めたネモネさんお気持ちは察するに余りある。なによりも楽しみにしていた水の成分を調べられないということに対してひどく落ち込んでしまった。この一週間あまりのメーンランドの旅が不毛なものになってしまったようにさえ感じられただろう。
 
 エクスポーラーの車窓から見えるグレーの景色が、すべての楽しみや喜びを押しつぶしてしまうように思えた。スレイトン・ケーブに着くまで話しをすることもできず黙ったまま呆然として30分の時間を過ごした。
駅についたときに念のためキャビネットを開けようとしてみたが、それはまったく無駄だった。固く閉じた扉は二度と開くことはなかった。

第46話 汽水の調査

 スレイトン・ケーブに着くと夕暮れで町が黄金色に照らされていた。荷物も持たないで降りることに焦燥感を感じるばかりだった。
 
「もうオールドリアヌには行けないね」ネモネさんが日焼けが癒えたようにすっかり元の色に戻ったミームに話しかけている。
 
 あれほど楽しみにして、期待通りの素晴らしい水に出会えたのに。ほんとうに二度と行けなくなるとしたら、ネモネさんの水探しの旅に終止符が打たれてしまうといっても言いすぎではないように思う。それほどノイヤール湖の水は特別なもののような気がする。しかし、それを意気消沈しているネモネさんに言うわけにはいかない。どうして水の持ち出しが危険だということに気がつかなかったか、あのとき自分が持ち込みの手続きをしていればどうなっていただろうと考えると、後悔するばかりだ。
 
 ホテルに戻ると、ネモネさんの様子がおかしいのをマリーさんもすぐに察したらしく、とにかくゆっくり休むようにと言ってくれた。私のほうはどうしても今日リアヌシティに戻らないといけないと言うと。理由も聞かないで、そうなのとだけ言ってソファーに腰を下ろした。
 
「あの、またノイヤール湖の話なんですけどね……」と言いかけると、マリーさんが残念そうな顔をしてこちらを見るので、ネモネさんの話に変えた。
 
「いや、あの、ネモネさんが、私じゃないですよ、水を持ち帰ろうとして集めたんですよ。そうしたらですね、エクスポーラーの車内チェックに引っかかってしまったようで、キャビネットに入れたまま取り出せなくなってしまって。それで、ネモネさんはすっかり……」
 
「そうだったの。行く前とあまりに様子が違っていたから」
 
「なんだかひどい話じゃないですか。ネモネさんの気持ちを思うと」
 
「でも、はじめてであれば、また行くことはできるわ」
 
「そうなんですか?」
 
「ダルビーは何をやったのか知らないけど、一度や二度の話ではなかったみたいだし。ただ、ナーシュのようにならないとも限らないわね」
 
「そうですか。じゃあ、ネモネさんに教えてあげないと」
 
「オルターさん、今はやめて明日にでもしたほうがよくない?」戻って来られないかもしれないと言っているのがどうしてわからないのかというような顔をされてしまった。
 
「そうか。問題は水を持ってこられなかったことですしね」椅子に座り直した。
 
「あそこの水はいろいろないわく付きだから気をつけることね。オルターさんのこの前の一件もあるし」
 
「ああ、たしかに……」それを言われると返す言葉もない。ジノ婆さんの言っていた水の力という言葉が遠くから聞こえてくる。
 
 その後は、気まずい雰囲気になってしまって、お互いに何をするでもなく時間だけが過ぎて行った。
 
 マリーさんは、オールドリアヌをさけているように感じる。それはナーシュさんの失踪が原因なのだろうけど、とにかく口にもしたくないほど嫌っているようだ。ナーシュさんを探しに行ったこともあるのかもしれないが、そのときにもいろいろあったのだろう。それから10年も経っていることを考えると、オールドリアヌの記憶さえも消し去ってしまいたいという気持ちもわからなくもない。そんなところに来て、オールドリアヌとの行き来をしているのだから、マリーさんの気持ちを逆なでしているようなものだろう。
 
 夕食も終わって、着替えを取りに自分の部屋に入ろうとしていたときに船長が戻ってきた。ドアをいつになく勢いよく開けて、八つ当たりをしている。少し飲んでいるようだ。
 
「お、爺さんいるのか。あいつらウォーターランドに探査装置のようなものを持ち込もうとしてたから、勝手なことをするなって怒鳴りつけてやったぞ。ずうずうしいにもほどがあるってな。それも、大気とか海水が汚染されていないか調査したいって適当なことを言ったっていうんだから、どうしようもないやつらだな」
 
「ミリルさん、困ってなかったですか」相談する店主もいなくて途方に暮れている姿が目に浮かんだ。
 
「まあ、やつらのことだからうまく丸め込んだだろうな」船長の腹の虫が収まらないようだ。
 
「何か水のことで具体的なことでもわかったのかな」というと、マリーさんが「ボルトンに理由もなにもないわ」といつものことだとでも言わんばかりに言い捨てた。
 
「ボルトンとの関係はわからないが、スロウって兄ちゃんが言うには、島のどこかに汽水の流れ出してるところがあるっていうんだな。もちろん池は真水に近いのはわかっているんだが、どうも海底から湧き出しているって話だ。例の火事があったあとの植物の成長を調べてて気がついたって言ってたな。あの、兄ちゃんなかなかやるな。大したもんだぞ」
 
「その汽水にボルトンも目をつけたってことかな」
 
「どうもそうみたいだな。やつらはウォーターランドに限らず可能性のあるところは片っ端から掘り起こしている。スレイトン・ケーブの先に続く水脈をしらみつぶしに当たってるってことだろうな。なんでも、たまに来る飛行船もボルトンの関連会社のものだっていうじゃねえか。あんなの許してたら、どんどんわけのわからないやつらが入ってくるぞ。一応飛行船の勝手な離着陸も許可しないって言っておいたけどな。自分だけで利権を独占するつもりかって言いやがったよ。まったく、利権だけしか頭にないくず野郎のくせしやがって」
 
「飛行船もそうだったんだ。島便りを出してる場合じゃないかな」話を聞いてさすがに考えてしまった。
 
「新聞を見てあの静かな島を守ろうという人も出てくるだろうけど、ボルトンだけはいただけないな。ネーコノミーの餌食になっちまう」
 
 得体の知れないボルトンという会社の影がどんどん大きくなることに不安を感じる。静かで美しいウォーターランドが見えない何かに汚染されていくような気がして悲しくなってしまった。

第47話 黒い六角の紋章

「そうそう、火事の後に残っていたバッチ。あれはボルトンのマークだぞ。qなんかじゃなくてボルトンのbだ。六角にbはボルトンだからな。やつらが置いた何かが失火したんじゃねえか」
 
「え? 火事のときにボルトンがあそこにいた? 見かけない黒いパーカーの着た人を見たっていう人もいるんだけど」コノンさんのことは言わず船長の考えを聞いてみた。
 
「そいつは限りなく黒だろうな。とんでもないな」
 
 やはり船長も黒いパーカーをボルトンと思うようだ。それぐらいウォーターランドにいる人は気心の知れた関係なので、珍しい人の記憶は強く残る。悪く言うと狭い世界に閉じこもっているともただの田舎者と言えなくはないのだけれど。それがいいところなのだ。
 
「ボルトンの紋章も六角なんだね。言われてみれば雲の塔も六角だったし、リアヌシティで見た黒服の持ってるスーツケースも六角だった」
 
「黒い六角を見たら、まずはボルトンって思っていい。ボルトン以外の人間で好き好んで黒の六角を持つやつもいないだろう」船長もやっと苛立ちが納まってきたのかポケットからシガレットケースを出して葉巻をとった。この前の骨董市で買ったケースだろう。
 
「じゃあ、六界錐はどうなるんだろう。ボルトンにも繋がってるのかな」
 
「もともと六角はリアヌシティの紋章だから、同じところに生まれて、白と黒に分家したようなものだからな。正確には緑と黒ということだろうけどな。もちろんボルトンのやつらは自分たちこそが六角の直系だと考えているだろうが」船長はそんなことは許さないとでも言いたそうだった。
 
「オールドリアヌ側が緑なわけだね。同じ六角の派生だとするとボルトンも悪いやつばかりじゃないって可能性もあるだろうね」
 
「白も黒に混じれば真っ白なままじゃいられないだろう。せいぜいグレーってとこだな。やつらの性善説を信じるやつがどれほどいるか俺にはわからない」葉巻を大きく吸って、少し間をおいてゆっくりと煙を燻らせた。
 
「それを言ってしまうとリアヌシティの住民はみんな黒になるよね。そんなことはないと思いたいけれど」話しながら、家族の家にいた子供たちの顔が目に浮かんだ。
 
「人を信じるのもほどほどにってことだろうな。騙されてる本人は気がついていない。それが幸せと言うやつもいるけど、そんなもんじゃないだろう。ちがうか?」
 
 コノンさんのお婆さんと同じようなことを言ってると思った。
 
「さっきの汽水の話だけど、ウォーターランドの汽水が木々の成長の源だとしたら、スロウさんにノイヤール湖のほうも調べてもらいたいなあ。あそこのお年寄りはみんな驚くほど長生きだし」ネモネさんの気持ちも考えて言ってみた。船長はスロウさんのことを買っているようだからこれはいい提案かもしれない。
 
「そこだな。まかり間違って水脈が同じということであれば、なにか共通することがあるのかもしれない。爺さん、湖探検で何かわかったことはないのか?」
 
 思わずマリーさんの顔を見てしまった。マリーさんは聞いてないふりをしている。いや、してくれているのか。
 
「あそこの光る湖底に緑の岩盤があるらしいね」当たり障りのなさそうな話からしてみた。
 
「緑?」
 
「ナーシュさんたちの六界錐がその緑の石なんです」
 
 話に夢中になっていて、ネモネさんが2階から降りて来ていたことに気づかなかった。思ったよりも元気そうなので安心した。スロウさんの話も聞いていたかもしれない。
 
「緑……緑か……。やっぱり緑と黒だな」と緑と黒という言葉を船長が繰り返した。
 
「船長、鮫は緑だったね」
 
「それ言うと、草木も苔もみんな緑じゃねえか」
 
「草木はもともと緑じゃない」とマリーさんが笑った。
 
「船長の見た鮫は緑だったんだよね」と確認すると、あれは確かに緑だったなと記憶を辿るようにして言った。
 
「船長が見たのは日中だった?」
 
「いや、月もない真っ暗な夜だった。だから鮫が光っているのがわかったってことよ」
 
 それが、現実か幻想なのかはよくわからない。ただ、自分がオールドリアヌで鮫と出会った時と同じような状況にも思える。問題は、現実の話に神話とか幻想とかが入り混じって、鮫が一体どこにいるのかはよくわからなくなっているところだ。
 
「そのミドリの鮫って、今でもどこかで見られるものなのかしら。ナーシュも一時期鮫のことばかり話してたわね」マリーさんが思い出したように言った。
 
「なんだか、男の世界らしいですよ。ロマンなんだそうです」ネモネさんが村でお祖父さんに聞いた話をした。
 
「鮫はロマンか。そいつはおもしろい。鮫探しに人生を賭けてるって……おい、それは俺のことじゃないか。わははは」
 
「考えたらダルビーも親の仇だとか言って鮫を追いかけてるものね」とマリーさんが言うと、それのどこが悪いというようにむくれた顔をした。どうやら船長もロマン男の仲間らしい。
 
「緑の鮫は、もしかして汽水にいるんじゃないでしょうか」とネモネさんが言った。
 
「汽水か……ありえなくもない話だな。汽水に住む鮫か」と船長が言うとみんなそれぞれに思い当たることがないか考えているようだった。だれも何も言わなかったけれど、それぞれの目は心当たりのあることを思い浮かべているように見えた。
 
 やはりミドリ鮫が鍵を握っている気がする。ジノ婆さんがミドリ鮫のことを知っているのかどうかわからないままだ。早く戻って、ジノ婆さんを訪ねよう。
 
 船長は明日にも定期便で出ると言うから、その便でスロウさんに来てもらえるかもしれない。そうすればこちらで何か手がかりがみつかる可能性も出てくる。
 
 急いでスロウさんに手紙を出そうと思った。待ち合わせ場所はサーカス小屋にしておけば、自分がいなくても、ナミナさんかトラピさんはつかまえられるはずだ。あの二人があと一ヶ月もリアヌシティにいないことを考えると急いだ方がいいだろう。
 
 ネモネさんに、次の船で帰ることを言ってホテルを出た。
 
ミテホシイトコロ ガ アリマス リアヌシティノ サーカスゴヤ デ マツテマス
 
 ハトポステルで手紙を書き終えると、その足でそのままエクスポーラーに飛び乗った。
 エクスポーラーの最終の時間が気になって慌てて書いたら、差出人と宛先を書くのを忘れたことに気づいた。船長が行けばオルターが書いたということはわかるから大丈夫だろう。
 
 エクスポーラーからの景色は夕闇に染まり、空にはまだどんよりした雲が垂れ込めている。明日はジノ婆さんにノイヤールのサメの話と緑石のことを確かめよう。どれも住んでいるノイヤール湖の話だから何か知っている気がする。きっと何かが関係しているに違いない。

第48話 水上の村

 リアヌシティに着くとすぐにトラピさんたちのところに行った。水を持ち帰れなかった話をすると、やっぱりそういう制限がかかってるんだと、リアヌシティへの不信感を募らせた。その上で、やはり水そのものがすべての謎の鍵を握っているのではないかという話になった。トラピさんはそれに確信を持っているようだった。    

 私は、今回のオールドリアヌ訪問を終えたら一度ウォーターランドに戻るので、もしスロウさんと行き違いになったらこれまでの経緯を話してもらうことと、その上でノイヤール湖の水を二人もいっしょに調べてもらいたいということを頼んだ。

 二人とも望むところだと言わんばかりの張り切りようで、次にウォーターランドに帰るまでに必ず水の秘密を解き明かすと意気込んでいた。

 

 どこからともなく視線を感じたので周囲を見まわすと、建物の陰に家族の家のミオ君の姿があるのに気づいた。遠くから遠慮がちにこちらを見ていた。家族の家に行きたい気持ちもあったけど、最後のバスの時間が迫っていたので、手を高くあげて、またあらためて来るという気持ちだけを伝えた。こういう風にされると一時でもリアヌシティを離れるのが寂しくなる。一方で、リアヌシティが黒に染まってしまうなら、その前に彼らを助けないという気持ちも強くなった。何か言いたげなミオ君のまっすぐな目が脳裏に焼きついた。

 
 オールドリアヌのコノンさんの家に戻ると、おばあさんとお爺さんが二人で静かに夕食をとっているところだった。一脚の燭台がテーブルを明るく照らしていた。食事は3人分が用意してあった。お祖母さんにお腹が空いただろうとすすめられて、部屋に入らずそのまま食卓についた。
 
「ネモネさんがいなくなると淋しいね」とお祖母さんが言うと、「また、そのうち来るだろ」とお祖父さんが気に留めないようなそぶりを見せた。

 二人に水を持ち帰れなかったとは言えなかった。あんなに一生懸命壜を集めてくれたお祖母さんのことを思うとどうしても言い出せなかった。

「ネモネさんも早くまた来たいと言ってましたよ」とだけ言うとお祖母さんはいつものように、「そうかい、そうかい」と言いながらお皿に煮物をよそってくれた。外が少し肌寒かったので、朝から煮込んだという鍋料理が身体を芯から暖めてくれた。この温もりがいつもこの家にはある。ノイヤール湖で意識を失わなければ二人に出会うこともなかったことを考えると、危険な目にあったとはいうものの偶然の巡り合わせに感謝したい。これもお祖父さんに言わせると必然だというのだろうけど。こういう必然ならいつでも歓迎だ。

 お祖父さんがその日獲ったドットトラウトは、食卓には出なかった。

「今夜はトラウト料理はなしですね」と言うと、「持ち帰れるように、燻製にしているからな。うちのはサークルでも一番の人気だぞ」と言うと、おいしい燻製作りのコツをいろいろと説明してくれた。
 ドットトラウトには湖畔に茂るスモールリーフの木のチップが合うのだという。同じ土地のもの同士を合わせると相性がいいのだろう。それを弱い火で何日もかけて燻すのだ。この燻し方が門外不出の秘伝だと自慢しながら話を聞かせてくれた。この土地ならではの光を閉じ込めた魚とその光を吸収した木とほどよい時間をかける腕前が極上の自然の恵みを作り出す。
 いただけるものならこれほど嬉しいことはない。ウォーターランドのみんなへの最高のお土産になる。お土産はドットトラウトの薫製とオールドリアヌの水彩絵具で描いたスケッチで決まりだ。
 
 
 あらためてこの家の祖先の話を聞いてみると、想像したとおり昔は耕作のために人を雇うほどの農地を持っていて、このあたりではちょっと名の知れた農家だったのだそうだ。しっかりした岩盤と粘土質の土地の上に位置することもあり、交通手段としての水路には恵まれていたたものの農地は水はけが悪く苦労したという。その当時に、生活の糧として半水生の農作物を作ることもいろいろ試されて、今夜の煮物にも使われている大ハスネや水芋、沼大根などは今でもこの村の特産品になっているらしい。農作地でもある水辺の沼と低木がつくる木陰と朝方の霧は、この村ならではの美しい景観をつくる。
 
 農業をやめたあとは住み込みの手伝いをする人もいなくなって、部屋を貸して生計の足しにしていた時期もあったそうだ。お祖父さんが生まれた頃には、湖の漁だけで暮らすようになっていたのだと言う。
 
 
 食後の果物とお茶が出た時に、もう一度ジノ祖母さんのところに行きたいという話をした。やはり、一人で行くのはよくないという話になって、また、お祖父さんの漁に同行して、昼時になったらジノ婆さんのところに連れて行ってもらうことになった。
 
 
 今夜の空は、今にも降ってきそうなほどの星空に埋め尽くされ、熟して今にも崩れそうな満月がノイヤール湖のほうにそろりそろりと登りはじめていた。いつもの夜よりも赤い空の色が窓越しにもわかるほどだ。

 お祖父さんは明日も早いからと言って、寝室に入った。

「オルターさんも、あの人と行くのなら早く休まないといけないね」お祖母さんが残念そうに言った。

「そうですね。漁は早いですからね」先に失礼することを許してもらった。


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