目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第30話 水彩

 船長たちがそれぞれの部屋に入った後、オールドリアでの奇妙な体験を書き残しておこうとナーシュさんの書斎を借りた。昨日まで使われていたように皮製のペントレイに置かれた鉛筆を手にした時に、指先に感じた手触りがあの六界錐を思い出させた。不思議な体験を解き明かす何か手がかりがあるとするなら、どう考えても六界錐以外に思い当たるものがない。ユイローの幻覚というのであればウォーターランドにだって同じ草はある。それが理由とはとても思えない。ましてやジノ婆が悪いいたずらをしたわけでもないだろう。

 

 鉛筆を指先で回しながら起こった出来事を書いていると、鉛筆の6つの面それぞれに釘穴のような小さな点が打たれているのに気がついた。面の違いをはっきりさせるためのような穴だった。それぞれにあけられている穴の数は3つで、奇数の3、5、7がそれぞれ2面ずつある……。サイコロのように1から6数字が並んでいるわけではない。他の鉛筆も見たが、全く同じ数の穴があけてある。ナーシュさんが気まぐれに開けたとも思えない。転がすと、3、7、3、5、7、5、7……と同じような確率でそれぞれの数字が出る。

 

 この不規則な数字を紙に書いてみると、どこかで見たことのある数字だと思い始めた。もしやと思って2階に上がって廊下に立ってみると、部屋の番号は鉛筆と同じ数字を含めた2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37……。飛び飛びの数字が73までつけられていた。縁起のいいと言われる奇数を並べているわけでもないようだ。

 部屋数と合わないから宿泊客の部屋割りをこの鉛筆を転がして決めていたとも思えない。その後も、廊下を挟んだ部屋の配置から、それぞれの数字を足したり引いたりして見たもののなんの規則性も関係性も見つけることができなかった。六界錐と鉛筆と不規則な数字に何の意味があるのかわからないままに時間だけが過ぎていった。

 

 考えるのをやめて、体験したことを書き起こしているとさらに時間は過ぎて、気がつくと夜中の12時を回っていた。そろそろ終わりにしようと、鉛筆で描いたオールドリアヌの地図を手に持って、照明に照らし出来工合を見ていると、本棚の端に置かれていた絵筆が目にとまった。ナーシュさんが絵を描くという話は聞いていない。絵筆と金属製のパレットが本でいっぱいの書斎のバランスをどこか崩しているように感じた。

 

 その筆を一本を手に取って紙の上をすべらしてみると、どこかで昔書いた水彩画の記憶が蘇ってきた。絵を書くのは得意ではないけど、白い紙に色を付けるのはきらいではなかった。滲んだ色が混ざり合い、そこに知らないあたらしい世界が生まれていくような感覚が好きだったのかもしれない。

 筆の横に立ててあった金属製のパレットを取り出してを開いてみると、使い古された固形の透明水彩の絵の具が並んでいた。人のものを勝手に使うのもどうかと思いながらも、ちょっと地図に色付けしてみたくなってしまった。コップの水に筆先を浸し青色の絵の具を少し溶いて湖のところを塗ってみた。湖が少し緑がかっていたのを思い出し、緑色も少し載せてみた。紙の上にのった小さな湖の中で2色の水彩絵具がゆっくりと重なり、まるであのときのもうろうとした意識のように、静かにお互いを受け入れながら混ざり合って行った。しばらく、その様子に見入った。この透明な水が世界を成すもので、色が人や鮫であったら……というようなことをぼんやりと想像してみた。

 

 さらに妄想は膨らみ、湖の水を使って描いてみたらどうだろうとも考えた。湖の水を使って今回の旅を絵に残しておくのもいい思い出になるかもしれない。湖の水でなくとも、その土地の湧き水で絵の具を溶くと土地の何かが加わった色が出るように思う。明日、マリーさんに絵の具を貸してもらえないか聞いてみて、了解がもらえたらこの港の風景から描いてみよう。

島から持参したスタンプを机の上に置くと、まるで自分の書斎のように思えてきた。今日書いた記録に日付のスタンプを押してライティングデスクを閉じた。

 こうしていると、この港にいる間はララホステルの副支配人というのも悪くはないかもしれないと思えた。ただ、自然とかけ離れた人工的な生活に染まっていくと考えると、それは甘い蜜のような話なのかもしれない。きっとマリーさんや船長はいやというほどわかっているのだろう。

 

 昨夜、船長がめずらしく時間があるから、明日は港を案内してくれるようなことを言っていた。そのついでにどこか景色のいいところをみつけて写生してみよう。じっとホテルの中にいるよりは、なにかしているほうが湖のことを忘れられていいだろう。

 

 窓から入る風は少し秋の気配を感じさせる涼やかなものだった。港のほうをながめると、もう漁船が出港の準備をしていた。

 


第31話 見送り

 翌日は、ネモネさんの出発準備で朝早くから賑やかだった。というより、船長がいたからそう感じたのかもしれない。

船長はしばらく仕事がないので港でゆっくり過ごすという。船長の休んでいるところなんてみたことがないから、休みの日は何をするのか想像もつかない。働き者の船長がずっと寝て過ごすとも思えない。

 

「ネモネさん、ほんとうに一人でだいじょうぶ?」年寄りはどこまでも心配が先に立つ。

 

「なにかお土産買ってきますね」と出発を前にしてますます元気だ。カバのミームも玄関で準備万端の様子で待っている。背中に荷物の鞄を載せてやる気満々のように見える。

 

「爺婆じゃあるまいし、ちょっとそこまで行くのにみんなで何を心配してるんだ? なんなら俺が抱っこしてエキスポーラーに載せてやろうか」

 

「そういうことではなくて、女性が一人行くようなところではないから……」

 

「利権さえからんでなきゃ、ただの観光になるに決まっているだろ。きれいな湖とやらを心ゆくまで楽しんでくることだな」

 

「はい……」ネモネさんが微笑んだ。

 

「エクスポーラーって、動物もだいじょうぶなのかしら?」と思い出したようにマリーさんが言ったので、「うさぎを連れて乗ってる人もいるからだいじょうぶでしょう」と答えると、船長が「エキスポーラーも俺様を乗せないで、カバやウサギ相手してるんじゃ大変だな」と笑い飛ばした。

 

 忘れないうちにと思って、昨日描いた地図をネモネさんに渡して湖への道を簡単に説明した。とくに出島の周辺には気をつけるように伝えた。旅慣れているせいかさすがに理解は早く、こちらが逆に説明に戸惑うぐらいだ。一通りの説明を聞き終えると、鞄の中身を確認すると言ってミームのところに行った。今朝のミームは普通にカバの色をしている。

 

 

「そうだ、マリーさん、昨日ナーシュさんの部屋で水彩画のセットをみつけて、勝手にお借りしました。すいません」

 

「ああ、いいの。あれは何を思ったかナーシュが突然買ってきて。絵もかけないのに……。遠慮しないで使って」

 

「この近くに画材屋があるんですか?」

 

「画材屋というか文具屋が港の方にあるの。ナーシュの知り合いだから、付き合いで買ったのかもしれないわね」

 

「ハロウか? だったら、あとで俺が案内してやるよ」

 

 画材屋のある港町というだけで、ここの人たちの豊かな生活を感じる。人間も捨てたものじゃない。絵だって果てしなく広がる世界と自然を愛し、それとひとつになろうとしている行為と言えなくもない。絵の具の顔料が自然からつくられたものであればなおさらだ。それが、美しい自然の一部を紙に切り取るだけにすぎないとしてもだ。

 

「そうだ、マリーさん。部屋の番号のことなんですけど……なにか理由が?」

 

「ああ、あれは、ナーシュが好きな番号を勝手につけたの。わたしも1から並ぶよりもいいわねって」

 

「俺はいつも2だ。港を見るにはあそこが一番いいからな」

 

「3はダルビー海運の事務所。オルターさんの5も見晴らしはいいわね。7だけは空き部屋がないとき以外は使わない……」

 

「そりゃ、マリーとナーシュの部屋だからだ。わはは」

 

「それは、どうかしら……」

 

マリーさんが呆れた顔をしているところをみると、何か違う意味があるのだろう。

 

とりとめもない話しが終わると、エクスポーラーの時間になったので駅まで見送った。

 

 

 その後、約束通り船長が案内してくれるというので、話に出ていた画材屋に立ち寄ることにした。

 

 海に沿って西の方角に5分ほど歩くと目当ての店に着いた。軒先にはHAROW'Sという看板がかかっていた。銅板でつくられたもののようで、見るからに年期の入ったものだ。裏には店に来る客が係留するための小さなヨットハーバーも見える。マリーさんが言っていたように、ヨットマン相手の雑貨屋といういうほうがイメージに近いかもしれない。

 

「ハロウさんよ、いるかい? 客を連れてきたぞ」

 

「船長、まだ店を開いてないようだよ」9時を回ったばかりだった。

 

「この街には営業時間なんてしゃれたものはない。あるのは店と客だけだ」店の奥を覗き込むようにしながら言った。肩越しにのぞくと工房のようなところが見えた。

 

「ほんとうにいないみたいだな……夜逃げでもしてなければそのうち帰って来るだろう」いつもと同じで勝手なことを言っている。

 

 店内にはヨットでの生活に必要というもというわけでもなく、日常生活に必要なものがところ狭しと並んでいる。鍋、紐、糊……。画材は店の一番奥の隅の方にあった。昨日使った鉛筆もここで買ったのだろう、同じものがあった。

 

「ご覧の通り、どこにでもある雑貨屋だな。もともとリアヌシティにあった店だが、ハロウもドームとの関係に嫌気がさして、看板だけ持ってこちらに引越しというわけだ。ただ、売り物はオールドリアヌでつくられたものを昔と同じように揃えているみたいだな。壁に歴代のオーナーの肖像画がかけてあるだろ」

 

「なるほど、歴史のある雑貨屋なんだね」

 

「店の奥にお宝があるって聞いたな。昔の貴重な生活用品でもあるんだろ。ハロウがここに来たときにはじめた骨董市が、毎月一回日曜日の朝に開かれるから来てみるといい。そこの壁に予定が書いてあるだろ」

 

 船長の指す方を見ると、黒板に予定が書かれていた。次は今週の土曜日だ。朝6時から2時間。骨董好きは早起きする人が多いのかもしれない。

 

 画材を見ていると、その横にいろいろな紙があるのに気がついた。見ると一枚一枚にHAROW'Sの透かしが入っている。古風な店構えにも通ずる店主のこだわりを感じさせる。そうでなければ、ナーシュさんもひいきにすることもなかっただろう。画材の棚を眺めていると絵の具のうんちくが書かれたメモが置いてあった。リアヌシティの特産の原料を使っているという説明書だった。昨日使ったパレットや筆はやはりここのオリジナルだった。

 画材以外にもオールドリアヌの職人がつくったというものも多く、それぞれに製作者の名前がついていた。この作者を訪ねて行くのもいいかもしれない。店の品物を眺めているだけで、オールドリアヌの街並みが目の前に浮かんでくるようだ。

 

船長も何かの物色に夢中になっている。葉巻のところを見ているところをみると好きな葉巻のシガレットケースでも探しているのかもしれない。


第32話 紋章の透かし

 しばらくして店に戻ってきたハロウさんは、見るからに人柄のよさそうな紳士だった。文化人というのはこういう風体の人を言うのだろう。

 

「いや、リアヌシティは正直離れたくはなかったんですが」

 

「みんなそう言うな。オルター爺さんの話じゃどうもそうでもないらしいが、な?」いたずらっぽい顔をしてこちらを見るので、わざとらしく憤慨して見せた。

 

「いつから変わってしまったのか誰にもわからないですよ。まあ、どこにあっても心は古き良きリアヌシティのままですから、こちらで細々とでも伝統を守れればと思いまして。同じ場所にあっても心まで失ってしまうよりはいいでしょう」

 

「向こうではどのあたりだったんですか?」ちょっと気になって聞いてみた。

 

「今、バス停になってるところをご存知ですか? 眼鏡橋のところの……」

 

「ああ、あのあたりならよくわかります。コノンさんの家がありますね」

 

「あのすぐ近くでした。昔は村の中心で栄えていたんですが。今じゃさっぱりでしょう」

 

「それにしても、これだけの店を数百年に渡って守ってきたんですから大したものですよ」

 

「代々不器用なところがよかったのかもしれません」と言って肩をすくめたのを見て、「頑固一徹ってやつだな。優柔不断なのに比べればよっぽどましだ」と船長にしてはめずらしく褒めた。

 

「このお店を見れば、ハロウさんのこだわりはわかりますよ。このペンといい、入れ籠の箱といい。いい味が出ている。こちらの紙は手漉きですか?」

 

「ああ、それはお店ができたころからのオリジナルの紙で、もう何百年も前から同じ方法でつくってます。創業時からずっとあの湖の湧き水を使って漉いてきたんですよ」

 

湖の水でというのを聞いて、昨日考えた水彩画に使う水のことを思い出した。紙にも水質は当然関係するだろう。

 

「ハロウさんよ、早速、例のやつを見せてやってくれないか」

 

「ああ、この方がそうでしたか」と納得したようにうなづくと、店の奥に入って古い本のようなものを持ってきた。何とも言えない風合いが年月の経過を感じさせる。

 

「これが、初代がつくったものなのですが、そのころから何ら変わらないですね。当時は羊皮紙という皮を薄くしたものがよく使われていたみたいですが、あのあたりでは、私どもの創業者が植物から紙をつくることをはじめたようで」

 

 革ひもで綴じられた古い本が出てきたので、何か由緒あるのかと思い、「これはめずらしい本なんですか」と聞くと、「おいおい、これを見てもわからないのか」船長がひとこと言いたげな顔をしてこちらを見た。

 

「えっと、これがあたらしい船長お勧めの本ということ? そういうこと?」

 

「これだからな、まったく。ページを開いてみな」と呆れた顔をしている。

 

「あ、今度は文字のない本というわけだ」

 

「そうじゃなくて、これはノートだろ? ハロウズの」

 

「え? これがハロウズのノート?……ノートの主が買ったあのノート?」

 

「まったく感が悪いな。この店で買ったんだよ」

 

 ハロウさんがにこにこしながら、こちらのやりとりを聞いている。

 

「それで、ここをわざわざ案内したんじゃないの? 世話がやける爺さんだな、まったく」

 

 ここまで言われてやっと話がわかった。船長もきちんと説明してくれないから人が悪い。

 

「いやあ、これは驚いた。あなたの祖先が作ったノートを持ってウォーターランドに来た人が……」と言いかけると 、「船長から聞いていますよ」とハロウさんが笑った。「船長に売ってくれと頼まれましたが、これだけは」と申し訳なさそうな顔をしているので、こちらのほうが恐縮してしまった。

 

 きっと船長はなんとか手に入れて、ウォーターランドに届けようとしたのだろう。

 

「それでだな、ここは顧客台帳が代々引き継がれているわけだ。ノートの透かしでおおよその特定ができるんじゃないかってお話。おわかりいただけましたか」

 

「わかった、わかった。船長もそれなら早く言ってくれればいいのに」とさすがにひとこと言うと、「こっちだって、いろいろ考えたあげくにやっとここを突き止めたのに、そうやすやすとお教えられるわけないだろ」まんまとひっかかったと言わんばかりの大笑いをした。

 

 話を聞いた後、もう一度手製という紙を見てみた。なるほど、電気にかざしてみると、薄い紋章のような透かしが入っている。

 

「それは創業者が紙の出来具合をみるためにつけはじめたようで、のちには漉いた年を明らかにするという目的に変わったようです」

 

「なるほど、じゃあ、買ってすぐに書き始めていればばかなり正確な年がわかりますね」いつも記録を書いたあとに押している日付スタンプのようなものだと思った。いくつかの紙があったので、何か違いがないかと見比べていると、後ろの方で「ハロウさんよ、紙の代金は俺が払うから頼むな」という船長の声が聞こえた。

 

 結局、船長に押し切られ、水彩画によさそうなスケッチブックを買ってもらうことになってしまった。

 

「いつも申し訳ないね」

 

「気にすることはない。幻覚の世界で宝の山がみつかったときは山分けということだけをわすれなければな」と言うと、自分の行きたいところがあるからと、反対側の路地に入って行った。船長も幻覚の話をまったくありえない話でもないと思っているのかもしれない。まだ、誰にも本当のことはわからないのだ。

 

それにしても、あの店をみつけたのは船長の大きな手柄だ。これでノートの主にまた一歩近づけるだろう。今、ノートの現物を持っていないことが返す返すも残念でならない。すぐにまたハトポステルを出さないと。

 

「オルターさん、よかったらこれを」ハロウさんから包みに入った何かを手渡された。

 

 見るとほんの少し色の褪せかけた紺色と白のチェック柄の布ばりのノートだった。

 

「いや、何も気にされないでいいですから。少し前のノートなので使ってやってください

 

「これはありがたい。遠慮なくいただきます。お礼は今度島に来られたときに

 

 ノートの主と同じようにここでノートを手に入れられたことがとてもうれしかった。ここからこのノートの旅もはじまるのだろう。

 

 船長と別れてから。さらに西のほうへと歩いてみた。町はずれまでそれほどの距離はなく、10分もすると人影もまばらになってきた。堤防が切れたところで浜辺に出るとスレイトン・ケープが一望できるところがあった。そこは、浜に打ち寄せる波が耳に心地よい、プライベートビーチのような趣きをもった白い砂浜だった。平日のせいか人影もまばらで絵を描くのにちょうどいい場所に思えた。


第33話 砂浜のスケッチ

 砂浜に手頃な流木があったので、そこに腰掛けて鉛筆でデッサンの真似事をしてみた。空と海ばかりの景色を書くのはなかなかむずしい。これに色を付けるだけでは、どこで書いても同じような絵になってしまいそうに思う。青色の絵の具だけあれば終わってしまいそうだ。折角の紙を無駄にしているような気になってしまう。

 

 うまく色が出せないで四苦八苦していると、後ろから声をかけられた。

 

「あ、ハロウさん」

 

「うまく描けそうですか」

 

 みっともない絵を見られていたかと恥ずかしさで逃げ出したくなった。

 

「その絵の具はいかがですか?」

 

「ああ、ほんとに素人なのでいいも悪いもなくて、こんな絵ですいません」

 

 とてもじゃないけど、絵の具の良し悪しを語れるほどの技術なんて持ち合わせていなかったからそう言うしかなかった。

 

「でも、その青い空と澄んだ水の色は本物のようですよ」

 

 ハロウさんは、人をその気にさせるのがうまいようだ。その上こちらはおだてられるとすぐその気になるのだからどうしようもない。自分の絵を見てなかなか捨てたものじゃないかもしれないと悦に入る始末だ。

 

「いやあ、この絵具と紙のおかげですよ。そうか、ノイヤール湖の水のおかげかもしれない」

 

「そう言ってもらえると、職人冥利に尽きます。もしよかったら、いかがですか」と昼食用に持ってきたサンドイッチを差し出された。

 

「あ、でもそれはハロウさんの……」

 

「さっき、オルターさんがこちらに向かわれるのを見たので、きっとここで絵を描かれているだろうと思いましてね。私の分もありますので心配なさらないでください」

 

 ハロウさんの気持ちをありがたく受け取って、二人で絵画談義をしながら昼食をとることになった。

 

 絵具も創業当時からあったものなので、もしかしたらノートの主も持っていたかもしれないという話になった。当時は写真もなかったころなので、旅をするときに記録用に求める人も多かったというのだ。まさに、この港に来てから自分が思っていたことと同じだ。そうだとしたら、ノートに書き残されていた植物を描いたという話は、きれいな色がつけられた絵としてどこかに残っているのかもしれない。

 

「これはナーシュさんが使っていたものらしいんですけど、ナーシュさんも絵を?」

 

「ナーシュさんは、筆を取られることはなかったんじゃないでしょうか。そのパレットもどなたかからの頂き物だったかもしれないですね。かなり年季の入ったものですね。ちょっと手前味噌な話になりますが、この絵具は光を閉じ込めたような透明感のある輝きが特徴で、時間がたっても瑞々しさを失わないんですよ。あの湖そのものです」

 

「ウォーターランドで作られたインクもいつまでも乾かないような輝きを保つようなんですけど、これは水の問題なんですか?」

 

「それは私にもわからないですが、まちがいないのは、この絵具はオールドリアヌの水と顔料で作られているということですね。それも在庫限りの絵の具というわけです」

 

そう言われてあらためて絵具を見てみると、小さな金色の粒子が光っているように見えた。この粒子がノイヤール湖産の証なのかもしれない。

 

「もう、この絵の具はつくられていないのですか」

 

「湖の水もないですから、同じものをつくるのはむずかしいですね」

 

ノイワール湖を離れると、絵の具もノートも創業当時のものと同じというわけにはいかないのだろう。ナーシュさんはそれを思って、絵の具を買い求め手元に置いたのかもしれない。

 

「オルターさんは、船長とは古い友達なんでしょうか?」

 

「船長は定期船で島に本を届けてくれるようになってからのつきあいで、ここ3年ぐらいですね」

 

「私はたまたま骨董市で知り合いましてね。船長も古いものが好きなようで、いつも本や古い写真などを探されてますね 」

 

「たぶんそれを島に届けてくれているのだと思います」

 

「そうでしたか。印刷機もそちらに?」

 

「そうなんです。それで島の新聞をつくることになって」

 

「ああ、あの島便りがそうなんですね」

 

「素人仕事でお恥ずかしい限りです。あの印刷機は市に出されていたものですか」

 

「印刷機は知り合いの伝手で話がありまして、見る目のある人にと思って船長に話したら一つ返事で決まりました。なにか目的をお持ちなんだろうとは思っていましたが。あの印刷機もオルターさんの島で新聞をつくれるなんて幸せですね。あれも昔オールドリアヌにあったものなんですよ」

 

「そうだったんですか。なんだかどんどんこちらのものが増えていきそうですよ。ハロウさんも是非一度遊びにいらしてください」

 

「ありがとうございます。早速家内と相談してみましょう」

 

「そうだ、また骨董市にも伺います」

 

 食事を終えるとハロウさんはまたお店番をするのに戻って行った。もしかすると、この砂浜はハロウさんの休憩場所だったのかもしれない。

 

 また、筆を取ると空に薄い雲がかかっていた。海にも大きなヨットが停泊している。これで少し絵らしくなるかもしれないと思い白い絵具を塗り重ねた。そうすると海も空も白い絵の具で汚れたようになった。なかなか思うようにいかない。水がよくても腕がなければ、どうにもならないと絵具にたしらめられているような気分だ。もしかして、ナーシュさんも同じだったのかもしれないと思うと、会いもしてない人に勝手に親近感を感じた。

 

 なんとか絵を描き終えると砂浜から街の方に戻った。この前のカフェでルーラーさんと船長が話しているのが見えた。さすがに情報屋と言われる人の嗅覚は鋭い。船長がどこにいてもわかるようだ。また、顔を寄せて新しい情報交換をしているようだ。邪魔をしないように声をかけるのを遠慮して通り過ごした。

 

 そのまま、ララホステルに戻って書斎でスケッチブックを開いていると、マリーさんが興味津々の顔で覗き込んできた。

 

「あら、オルターさんすてきな絵」

 

「これなんだかわかります?」

 

「夢に見た紺碧の世界かしら。この白いのはきっと白い壁の家ね。羊の群れもいたのかしら」

 

「あ、そう見えますか……」

 

 なにを書いたかさえ言わなければ、これでなかなかの才能を持っているのかもしれない。それともこれも絵具のお陰か。いずれにしても、一度どこかで描き方を教えてもらったほうがよさそうだ。


第34話 骨董の日

 ネモネさんは、トラピさんと会えただろうか。出かけてから2日が過ぎた。

 

 コノンさんのお祖母さんのところにお世話になっているのだろう。もともと野宿も平気な人だから、自分で宿を探したかもしれない。

それにしても、自分自身の体調が回復してくると、迷惑をかけたことも忘れてまた出かけたくなる。コノンさんたちが向こうにいるうちにオールドリアヌを訪ねられないかと思い始めるのだから我ながら困った性分だと思う。

 

「知らせのないのは良い知らせと言うから」と、マリーさんはさほど心配もしていないようだ。人によっても心配する度合いも違うということだろう。わかってはいるもののちょっと情けない気持ちになる。

 

「そう言えば、今日は骨董市の日でしたね」気晴らしもいいかもしれないと思って言ってみた。

 

「一ヶ月が経つのはほんとうに早いわね。早いのはいいことなのかしら」マリーさんはお客さん用に置いてある卓上のカレンダーをめくって来月の予定を確認している。

 

歳とともに早く感じるようになるのは、惰性で毎日を過ごすようになるからだと思ったけれど、それを言うのはやめにした。

 

「マリーさんもいっしょにどうですか? 船長も朝一番から掘り出し物探しをしているようだし」

 

「ごめんなさい。私は古いものにはあまり興味がないの。男の人ってどうして古いものばかりにこだわるのかしら」

 

 言われてみると古いものが好きな女性にあまり出会ったことがないしれない。男の方が物へのこだわりが強いのだろうか。古ければ古いほど味が出ると思っているところはある。女性は、もの自体よりも使っていた人のほうに意識がいってしまうのかもしれない。

 

「ナーシュも好きだったけど、彼の場合はオールドリアヌそのもが骨董だったわね」

 

「なるほど、そう考えると骨董って郷愁のようなものなのかもしれないですね」

 

「男は移動し続ける生き物みたいだから、自分の心の置き場がどこかに必要なのかもしれないわね。それがモノであったとしても。女は今がすべてなの……」

 

 言われてみるとそんな気もする。自分自身もそうだし、船長もナーシュさんもハロウさんもみんな当てはまる。そしてみんななぜかオールドリアヌに吸い寄せられて行く。猟をして移動する男の本能に関わることなのかもしれない。ネモネさんは女性だけど、彼女の場合は土地ではなくて水へのこだわりだから、他の男たちとはちょっと違うのだろう。

 

「マリーさんにとってのオールドリアヌはどういうところですか?」

 

「そうね、ナーシュの故郷でとても水のきれいなところかしら。でもそれ以上のものではないわね」

 

「ウォーターランドは?」

 

「あそこは私にとっての自由とこれからにあたるところ」

 

「これから?」

 

「おそらく……」

 

ちょっと真意をつかみかねる言い方だったけど、すくなくとも郷愁ではない。

 

 

 一人で出かけることを決めて部屋の窓から窓港のほうを見ると、レンガ通りが小さなテントの露店でいっぱいになっていた。ヨットハーバーにもたくさんの船が入っているところからすると、骨董市はかなり広く知れ渡った催しなのだろう。赤や黄色の縞模様のテントが楽しそうな雰囲気を伝えてくる。想像する骨董市よりも明るい雰囲気のように思えた。

 

 ノートを作った店をみつけたことをわすれないうちにと思ってレターロールに書いた。

 

 準備を終わって一階に降りると、マリーさんが「オルターさん、これ」と言って紙封筒を手渡された。

 

「これは?」

 

「ホテルのお手伝いをしてもらってるから」と言うと、お礼はいらないとでもいうように庭の隅にある納屋の方に行ってしまった。

 

 なんだか、マリーさんや船長の気持ちをあらためて感じた。お金を持たない生活をしながらお返しする方法なんてあるのだろうかと考えてしまう。でも、それをみつけることがあの二人へのお返しになるような気もする。

 

 ホステルを出ると同じように港に向かう人たちが前を歩いていた。いっしょに歩いているうちに、何か楽しいものが待っているかもしれないという期待が膨らんでくる。

 

 レンガ通りは思った以上にたくさんの人で溢れていた。こんなに人がいる港を見たことがない。家族連れも多く、骨董市というよりも朝市と言った方が正しいかもしれない。いつものむさ苦しい男たちの働く港とは趣を異にした、陽気な笑い声でいっぱいのお祭り会場になっていた。マリーさんはこの雑踏があまり好きではないのかもしれない。実際、マリーさんがたくさんの人が往来する雑踏の中で買い物をする姿は想像しにくい。

 

 駅に近い港の中心部から露天や出し物を見ながらハロウさんの店のほうに向かうと、本来の骨董市にふさわしいお店が増えてきた。その中に六界錐だけを扱う店もあった。骨董と言われるだけあって、金細工の高級なものから、陶磁器でできたものなど様々だった。用途もペンダントから、宝石箱、置物まで様々なものがあった。これを見るだけで生活の一部になっているのがよくわかる。お土産にと思っていくつか手にとって見たものの、いただいたお金を使うとなるとなかなか心が決まらないものだ。無意識のうちに、お金とモノの生活に囚われてしまっていると思うと余計に躊躇してしまう。

 

 しばらく歩いていると船長の姿をみつけた。店の主人らしき人と話し込んでいる。お店にはどう見ても船長の嗜好に合いそうにない古い陶器の花瓶が並んでいた。ここで仕入れて他のところに転売するのだろうか。もしかすると骨董を買うのが目的ではなくいろいろな人と話すのが楽しくてここに来ているのかもしれない。そういう風にも見えた。

 

「船長、いいものあった」と聞くと、「ここが目利きの腕の見せどころよ」と言って片目をつぶってみせた。

 

「ダルビーの旦那にかかっちゃ、全部言い値になっちまうよ」店主らしき人があきらめたような顔をして笑っている。

 

「よし、こいつに決めた」と船長が言うと「はいはい」と観念したように返事をしているのがおかしかった。

 

 ハロウさんの店までたどり着いてみると、どうやらここが骨董市の最後の場所になっているようだった。お店の横の空き地が運営する側の休憩所になっているようだ。よく見るとそこにはハロウさんも姿があった。

 

「オルターさん、先日はどうも」こちらが見ていることに気づいたようだ。

 

「主催側は大変ですね」

 

「いやいや、そんな大そうな話ではないですよ。道楽者のお祭りですから」と照れ臭そうに言った。となりにいた女性が、「この人、骨董市がないと生きちゃいけないですよ」と笑っている。おそらくご婦人なのだろう。なんとも微笑ましい光景だ。

 

「なにかいいものみつかりましたか」と聞かれたので、六界錐の話をするとそのお店を出している人を紹介すると言って、さっき見ていたお店のところまで案内してくれた。その上、ハロウさんの友達価格ということで、思わぬ値引きまでしてもらった。六界錐がたくさんあるだけで幸せな気持ちを感じるようになるとオールドリアヌの仲間としての資格を得られたようでなんだかうれしくなる。



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