目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
奥付

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第9話 ホテルの夕食

 スレイトン・ケーブに帰ると日はすっかり落ち、行くところもなかったので、ハトポステルだけ確認してまっすぐにララ・ホステールに戻った。
 
 ドアを開けるとエントランスのソファーでマリーさんと船長が話していた。
 
「船長、オルターさんが戻られたわ」
 
「お! 無事でなによりだ。こりゃ生還を祝って祝杯だな」満面の笑みで迎えてくれた。
 
 生還は大げさだけど、実際このホテルに戻ってみると、あらためてさっきまでいた世界との違いに愕然とする。
 
「船長、あそこは私みたいな者には大変なところだね。ずっといたんじゃ身が持たない」
 
「俺は身が持たないというよりもお尋ね者だからな、入れてさえもらえない。入れなくて上等だ。わはは」船長はそれを喜んでいるようにみえた。
 
 スレイトン・ケーブやウォーターランドのようなところに住んでいる人間がリアヌシティに行くと、お尋ね者になってしまうというのもわかる。自由きままにしていると、なにかにつけて目をつけられてしまいそうなところだった。すべての考え方と基準が違うのだからそれはそれで仕方がないだろうけれど田舎者にとっては釈然としないものがある。
 
「お食事はどうされます?」とマリーさんが疲れを気遣ってくれる。
 
「お願いしていいですか? ずっと移動していたのでさすがに」
 
「爺さん遠慮しないでいいからな。俺が案内した客はすべてフリーパスだ。な、マリー?」
 
  船長は、昼間買った葉巻を取り出すと、いつものオイルライターを使って火をつけた。
 
「今度ウォーターランドに来られたときは、しっかりお返しさせてもらいます」と言うと、マリーさんは「気にしないで」とにっこり微笑んで席を立った。
 
 奥の調理場のほうから「食べられないものはあるのかしら?」というマリーさんの声が聞こえたので、なんでもいただきますと答えた。
 
「それで、爺さん、リアヌシティのほうはどうだった? えらいところだろ」
 
「いやあ、想像もできない街だね。あれは街じゃなくて、なんというか……大きな生き物に飲み込まれたようなと言うか」
 
「まったくだな。俺も5年以上行ってない。あれを暮らしやすいというやつらの気がしれないな。年々でかくなってやがるのが信じられない」
 
「ドームが大きくなる?」
 
「メインドームがでかくなるときもあるし、衛星ドームができることもある。今時のやつらはああいうところがいいらしい。まったく情けないやつらだ。事業運営はドームコントラクションという半官半民の会社がやってるんだが、あの水公社ボルトンも同じ系列ってわけだな」
 
「考えようによっては、ああいう生活が一番安全なのかもしれないけどね」
 
「その代わりに、失うものも多いと思わねえのかな。俺にはさっぱり理解できないな」
 
「どうみても、私や船長やマリーさんには合わないだろうけどね」
 
  明日、行ってみないことには何もわからないけど、オールドリアヌはノートの主がいたころの面影を残しているのだろうか。そこがドーム都市の救いになっていることを願わずにはいられない。彼が生まれた地を離れウォーターランドに行ったころに今のようになる兆しがあったとは思えないけど、まったく関係ないことでもなかったような気もする。町が合併するという話もあったことを考えると、大きくなるには大きくなるだけの理由があったのだろう。
 
「リアヌは、もともとあんな街じゃなかったんだが、自然主義経済のネーコノミーにいいようにやられちまったな。エクスポーラーもやつらが権益を得るためにつくっただけだからな」
 
「そういうことなんだね」
 
「線路沿いの小汚いグレーに整地されたところが、利権を得るための既成事実として押さえられたってわけだ」
 
「それで、誰も乗らないと?」
 
「まあ、そんなとこだな。ただ、リアヌはあれに乗らないことには入れなくなってるけどな。そうじゃなければ、あんなもん乗る理由はないだろうな」
 
「なるほど」
 
「ただ、あのドームのなかにノートのやつがいたとなっちゃあ、検閲特急のエクスポーラーで行くしかない。まったく、うまくいかない」
 
「そういえば、ウサギの少女に会ってね。ウォータランドで読んだ手紙はどうも彼女宛のものだったらしくて。トラピさんに会えたのはほんとに運がよかったよ」
 
「なんてこった。あの子、そんなこと何も言ってなかったな。サーカス見物ときたか」
 
「ビジネスマンのような男と話してた。入居手続きでもしてたかな。」
 
「ボーイフレンドとサーカス見物なんじゃねえのか」
 
 船長はうさぎ少女には端から興味はないようだ。
 
「マリーのいるときにはあまり話せないが、あいつの旦那もリアヌの利権主義者と戦った一人だ。あの旦那がいなかったらオールドリアヌさえ残らなかったかもしれないな。ナーシュはこの町のためにがんばってた。そんな男がある日突然町から消えてしまったんだからな。生死さえもわからないままの別れっていうのはきついだろ?」
 
  マリーさんが船の中での言動がひとつひとつつながってきたような気がした。今でも、この大きなホテルを一人で守っている理由もわかる。
 
「明日は、そのオールドリアヌのほうにトラピさん達と行くことになったよ。やはり、そこにノートさんの住んでいたところがあったらしくて」
 
「それはよかったな。まあ、余計なことはしないことだ。おとなしくさえしていれば、奴らも手出しはできない。一応、プライバシーが一番強い権利であることはエリア憲章でもうたわれているし。まあ、ブレイン・センターから外にはデータは出しませんというだけの話で。意味ねぇけどな」
 
「お食事の用意ができたわ」マリーさんの声が聞こえた。
 
  今日は1日歩いていたので、お腹も空いていたこともあるけれど、それ以上にマリーさんの料理がすばらしくおいしかった。ホテルをやっていたときもおもてなし料理をつくるのが楽しみだったという。この料理を忘れられないでここを訪ねる人がいるというのもわかる気がする。港を見下ろせる高台でいただくマリーさんの料理は極上の時間を提供してくれる。
 
「オルターさん、向こうはどう?」しばらく食事をしたところで、マリーさんが聞いてきた。
 
「とにかくあんな巨大な都市になってるとは思ってもみませんでしたよ」
 
「そうなのね」あきらめたような言い方が寂しそうだった。
 
「こっちは、でかいから巻かれるってわけにはいかないからな」船長が大皿の海老料理を取りながら言った。
 
「エクスポーラー周辺はリアヌの権益地区になるのは聞いたと思うけど。もうそこまで近づいてきているの。誰にも止められない」
 
「マリー、止められないというのは諦めがよすぎないか。俺らにだってまだチャンスはある。ドームコンストラクションの大気利権とボルトンの水脈利権が一致してるからめんどうだけどな。このスレイトン港まであいつらの手に落ちると、あとは海を超えて拡張して行くのは時間の問題だぞ。ウォーターランドだってどうなるか。それだけは許せない。ナーシュがオールドリアヌを守ったように俺たちもこの港と海を守るんだろ。そうじゃないか?」
 
「でも、オルターさんはノートのことだけを考えていて」マリーさんがこちらを向いて諭すように言った。
 
「そうだな。そこになにか答えがあるような気もするしな」
 
 3人で食べる夕食はとても楽しい時間だった。ここを船長に紹介してもらってよかったと心から思った。

第10話 望郷 *

 食後はすぐにシャワーを浴びて、ほてった身体を冷ますために窓を開けて風を入れた。しばらく何もする気になれなくて横になって港の夜景を眺めた。
 この凪いだ海を見ていると、昼間見た光景がすべて嘘の世界のように思えてくる。ウォーターランドのようななにもない辺境の地とリアヌシティのようなすべてが揃う未来都市とどちらが理想の世界なのだろうか。何が正しいのかさえもわからなくなってくる。
 
 そろそろ島を出て一週間になる。手紙は明日には届くだろうか。それを見たミリルさんが、みんなに無事到着をしたことを知らせてくれている姿が目に浮かぶ。
 
 島のことを考えているうちに、コピにもらった虹の石を思い出した。袋から取り出してみると、光の加減か島にいるときに見えた虹が見えない。昼間でないとだめなのかもしれないと思う。明日、夜が開けたらもう一度見てみよう。虹を見れば、ふらふらと落ち着かない不安定な気持ちも少し楽になるような気がする。そうすれば、またあのリアヌシティへ行く元気もでるだろう。
 
 寝るにはまだ少し早かったので、明日の準備もかねて、鞄から印刷して来たノートを出した。島を離れてみると、ノーキョさんの漉いた紙の手触りとインキの香りがとても懐かしい気持ちにしてくれる。
 
***** ノート ******
 
 新聞社の校正に疲れると、近くの公書館の庭に休憩にいくことも多かったことを思い出します。今、書いているノートが本にでもなっていつかあそこの書架に入れてもらえるとうれしいだろうと思ったりすることもあります。
 リアヌシティは移民してきた祖先の血の滲むような努力によってつくられた街なので、住む人みんなが自分の生きた証をそこに残そうとします。あの地を離れて思うのは、私の存在したことを証明してくれる唯一の場所だったということです。いずれ、この島がそうなるのかもしれませんが、生まれ育った町への郷愁は簡単には消えそうにはありません。
 
 公書館の庭には移民を記録した年月を記録した石碑があって、その横に昼寝をするのにちょうどいいお気に入りの石のテーブルがありました。
 公書館に行くといつも顔なじみの館長が声をかけてくれました。館長と言っても、事務員と二人で文書管理しているだけなので、結構時間に自由がきく仕事だったのかもしれません。
 仕事を休むことを決めてから出発までの間、毎日のように仕事帰りに立ち寄りましたが、ミドリ鮫漁の話以外にはとくに得られるものもなかったのは前にも書いたとおりです。館長に役に立てなくて申し訳ないと恐縮されたのが昨日のように思い出されます。もちろん館長には何の責任もないわけですが、今思うと、自分たちの町の歴史を残しているという仕事に対する強い思い入れがあったのでしょう。
 館長のそんな気持ちに応えるためにこのノートを書き記したと言っても過言ではないかもしれません。だれも知らない土地の紀行文をまとめて感謝の気持ちとして寄贈したいと思ったのです。あのとき自分のことのように親切に面倒を見てくれた館長のために。それが私たちが生まれ育った町へのお礼にもなるような気がしました。
 
***** ノート ******
 
 彼の思いは、館長に届いたのだろうか。もしかして、失われている残りのページがすでに公書館に届けられていれば、それはそれでうれしいことだ。ノートに託された思いの半分はもう叶っていることになるだろう。もしそうであれば、今回持ってきたノートも寄贈として受け取ってもらえるとうれしい。ノート書いた人の夢を叶えることも自分の役割のような気がするのだ。
 
 港の明かりが少しずつ消えて、街灯が見えるだけになっている。街灯だけになるとしなやかに湾曲した入江の形がとてもきれいだ。それは、外海から訪れる人たちを優しく受け入れるためにもっとも適した形に見える。
 深夜には漁に出る漁師でまたにぎやかになるのだろう。それまでのつかの間の休憩というところか。
 
***** ノート ******
 
 リアヌシティのたくさんの水路は、私たちの生活を支えるものでした。朝夕になるとたくさんの舟が行き交い、各地の産物を市場に運び込んで来ます。南は港と町をつないでいたので、海のものもたくさん入って来ました。いつの日かこの島のピーチプルを市場に届けられればと思うこともあります。
 木立の間を抜けて、山のほうに向かって入っていくと、湧き水でできた大きな湖に出ます。そこは町のみんなの憩いの場所になっているところで、家族や友達とピクニックに行くこともありました。両親の家業を継いで牧羊をしている兄ともよく訪れたものです。
 その湖でもこの島に負けず劣らずきれいな水が湧き出していました。私がこの島に抵抗なく住むことができたのも、生まれ故郷でも水そのものが近い生活だったせいもあったかもしれません。
 祖先たちがリアヌシティの永住の地としたのも、あの湖があったからだと思います。そして同じように、私もこの島の水を飲んだときに二つ目のふるさとになると感じたのです。水との相性はそれほど大切なものなのだと思います。
 
***** ノート ******
 
  明日は彼の生まれ育った本当のリアヌシティに足を踏み入れる。公書館が残っていれば立ち寄ることにしよう。当時の記録が保管されていれば、彼の生きた時代の様子も詳しくわかるだろう。
  ノートを鞄にしまい、カーテンを閉めてベッドに入った。窓を見ると降り注ぐような星空が見えた。

第11話 同じ川

 2度目のエクスポーラーは早朝だったためか、ほかに乗る人もなく、たった一人の乗客になった。マリーさんがみんなで食べるようにとお手製のサンドイッチを用意してくれた。ほんとうに面倒見のいい人だと思う。見聞きしたことを忘れないようにと新しい手帳も渡された。ミドリの表紙にスレイトンの紋章がついたものだった。 その上、ご主人がよく使っていたという万年筆までいただいてしまった。いくら資産があるとは言え、思い出の品までいただくとさすがに恐縮してしまう。この手帳に見聞きしたことをきちんと書くことがマリーさんへのお礼になればと思わずにはいられなかった。
 
 前と同じように車外のグレーの景色を見ていると、時折大きなタンクが置かれていることに気がついた。同じグレーなのでスピードが早いこともあって、この前はわからなかったのだけれど、目が慣れると定間隔で置かれているタンクの多さに気づきさらに驚いた。
 タンク以外に何かないかと思って窓に顔を押し付けるようにして見ていると、赤い制服を着た年老いた車掌が車両に入ってきた。ちょうどいいと思い尋ねてみると、よく聞こえなかったのか、少し間を置いて返事があった。「お客様、あれはドームのエネルギー安定のために使用する大量の水を貯めておくタンクでございます。このエクスポーラーと併走するように地下水脈がありまして、それがドームシステムの安定稼動を支えているのです」と堅苦しいほど丁寧な口調で説明してくれた。どうやら、ドームの飲料水として使われているわけではないようだ。
 
 2回目のせいか、リアヌシティのセントラル・ステーションまではほんの少しの時間にしか感じられなかった。巨大なドームは港から目と鼻にあることをあらためて感じた。
 
 駅につくと、乗り換え口近くにいたトラピさんとナミナさんたちの姿がすぐ目に入った。どうも、外から来た人間は整然としたこの街では特別に目立つようだ。それがちょっとおかしくもあった。
 
「オルターさん、なんだか目立ちすぎー」と手を振って近づいてきたナミナさんが言った。
 
 向こうから見ると私のほうが逆に目立のだろう。一人ふらふら降りてくる挙動不審な乗客なのだからそう見られても仕方ない。いずれにしても、妙に目立つお上りさんのツアーのはじまりというわけだ。
 ナミナさんが、「今日はたのしいピクニックですよ。天気もいいし」と双子の二人に話しかけている。
 
「オルターさん、バスはこっちです。あの階段の下に乗り場が見えますか?」トラピさんが先導してくれて、その後をあひるの行進のようにペタペタとついていく。
 
 しばらくすると、バスがどこからともなくすーっと現れた。水を分解した水素を使っているバスだった。メーンランドで水の価値が高まっているというのは、こういうところとも関係する話なのだろう。  動き出してみるとエクスポーラーと同じようにほとんど動力の音が聞こえない。目を閉じると移動していることさえ忘れてしまうほどだ。この静けさはなれない者にとっては、少し落ち着かないところがある。
 
 町並みには特別見るべきものもなく、前日のメタリックな高層ビルのイメージに変わって、熱帯雨林にでもいるのかと見間違えるほどだ。緑以外に目に入る建物はほとんどない。遠くから見たメタリックな高層建築も、近くにくるとまったく視界から消えてしまう。地面は苔のようなもので覆われ、その下には水が見えている。どうやらドーム全体が水の上に浮かぶ睡蓮のような構造になっているようだ。いずれにしても、信じられないほどの美しい木々の緑に圧倒される。これがよくないこととはとても思えない。
 
 オールドリアヌのあるエリアは、ルーラーさんの言う箱庭のようなものでは決してなく、違和感を感じることもなく自然に石造りの街へと入って行った。境界や入口のようなものが設けられているわけでもなかった。
 
「オルターさん、ここがノートさんの生活していたリアヌシティです。どうです、今のリアヌシティとは大違いでしょ」トラピさんが外の景色を見ながらうれしそうに言った。
 
「ここなら、私も住んでもいいわ」ナミナさんもすっかりお気に入りのようだ。
 
  町の中心部と思われる小さな橋のところに着いたところでバスを下りた。
 
「これはまた、趣のある橋だね。橋脚が眼鏡になっているところも愛嬌があっていいし」
 
「オルターさん、驚かないでくださいよ。この川なんていう名前だと思います?」
 
「あれ、ノートに書いてありました?」
 
「なんと、チャルド川!」
 
「ええー、ほんとうに? 信じられない……」思わず口を開けたまま川に見入ってしまった。
 
 このことを聞いただけで、涙が出そうなほど嬉しかった。それは、300年の時を隔ててノートの主となにかがつながった瞬間だった。ウォーターランドの川と同じ名前の川がオールドリアヌにあった。ノートの主の誰にも話せなかったふるさとへの思いがいやなほど伝わった。そして、その場所に今自分自身がいる喜びは言葉にもならなかった。

第12話 守られた村

 

 橋に続く道は石の敷き詰められた細い道で、何百年ものあいだ人や荷車が往来したために、真ん中が少し窪んでいる。歴史保存地区というだけあって、石造りの古い街並みが延々と続く。ここにノートの主が実際に暮らしていたと考えると感慨深いものがある。今にもその人が路地から出てきそうな気さえする。広場をみつけては空虫がいた場所はどこだったろう、建物を見てはカフェや文具屋はここだったかもしれない、そんなことを考えながら歩いていた。そうしていると、苔むす石だけの町が色づいて見えてくるから不思議だ。

 

 歴史保存地区と聞いて、人が住んでない場所と思い込んでいたけれど、どうやらそれも思い違いだったようだ。ときどき農作業をしたり、洗濯をしたりしている人がいるのだ。

 町の生活を知りたくて、小川のほとりで洗い物をしている女性に声をかけてみた。

 

「ちょっとよろしいですか」

 

「はい?」面倒そうにこちらを振り向いた。

 

「こちらは住んでいる方もいらっしゃるんですね」

 

「そりゃそうだよ。みんな生活してるしね。遊んで暮らしているわけじゃないよ。」

 

「これは、失礼しました」

 

「毎日同じことを聞かれるもんでね。住んでることがそんなにおかしいものなのかね」

 

「ああ、そりゃそうですよね。町に人がいておかしいなんて道理はない」思わず苦笑いをしてしまった。

 

 トラピさんと、ナミナさんがこちらを見て笑ってる。

 

「みなさん、代々こちらに?」

 

「ここの住人はここ以外に住んだことなんてありゃしないさ。生まれてから死ぬまでこの町といっしょだ……」

 

 

「町から出た人はいないんですか?」

 

「さあね。そんな人間いるのかね。聞いたことはないがね」

 

「そうですか。外でこの町の出身だという人がいたと聞いたもので」

 

「へえ、そりゃあ結構なことだね。そんなお方は村に戻ることはないだろうけどね」

 

 洗い物の邪魔をしたせいか、どことなく棘を感じる話し方だった。こういうのが人間味であるなら、歓迎すべきことなのだろうけど。

 

「あの、このあたりに公書館ってありますか?」

 

「コウショカン?」

 

「本やいろいろな資料の置いてあるところなんですが」

 

「ああ、歴史文庫のことかい? それならこの道の先に行けばあるよ。ものの5分も歩けば着くさ。悪いけど、洗い物を片付けないといけないから、今は案内できないよ」

 

 ぶっきらぼうな話し方をする人だったけれど、この人はいい人だったかもしれない。こちらが仕事のじゃまをしたのがいけなかったのだろう。

 

「オルターさん、そこの川の辺に舟工房があるでしょ」トラピさんが、指を差した。

 

 木立に隠れてみえなかったけど、言われてみると木造の古びた建物の中に作りかけの枠だけの舟が見える。2、3人が乗れる程度の一本マストの小型の舟だ。細長い楔のような見られない形からすると、当時と同じ製法でつくられているものなのだろう。

 

「こういう素朴な舟が当時の生活を支えていたんだろうね。どこかで乗れるところがあったら試してみたいね」

 

「それ、いい考え。あとでみんなで乗りましょ。この町は運河の町だから、舟から見ないと何もわからないよね」ナミナさんが言うと双子が飛び跳ねて喜んだ。

 

「なんだか、ほんとうに観光旅行みたいになってきましたね」トラピさんがこちらを見て笑っている。

 

「せっかくこんないいところに来たんだから楽しまない手はないですよ、ねえナミナさん」

 

「それで、あそこに見える少し大きな建物が新聞社だったところではないですかね」トラピさんが言った。石造りの建物はすべて数百年の昔からあるものらしいから、新聞社の建物がそのまま残っている可能性は十分あるということだ。

 

「あの、壁の半分ない建物のこと?」

 

 近づいてみると、屋根はすっかり崩れて、苔むした石の壁だけがある小さな公園だった。壁には町の歴史と歴史保存地区についての説明の書かれた木のプレートがひとつ掛けられている。読むとそこにナーシュさんの名前があった。ナーシュ・ヤイハブ氏からの寄贈と書かれている。マリーさんのご主人のことだろうか。この建物を寄贈したということのようだ。旦那さんはほんとうに資産家だったのだろう。もしかするとマリーさんもここに町に住んだことがあったのかもしれない。

 

 入口の椅子に座っていた人に聞いてみると、ナーシュさんがこの町を残してくれたということを身振り手振りで一生懸命説明してくれた。町を守るために私財を投げ打ってくれたことを心から感謝しているという。話を聞くと、どうやらオールドリアヌはリアヌシティのドーム外に位置する自治区のようになっているらしい。その権利を守ってくれたのがナーシュさんだというのだ。ここの人にとっては村を救った英雄なのだ。その人が失踪して久しいというのだからさぞや心配なことだろう。彼の身に悪いことが起きていないことを祈らずにはいられない。

 

「オルターさん、ここで一休みにしませんか?」トラピさんの声が聞こえた。見ると建物の端のほうにできた木陰の涼しいところのテーブル席に座っていた。

 

 さっそく、マリーさんのつくってくれたサンドイッチをテーブルの上に並べた。

 

「あら、おいしそうなサンドイッチ。オルターさんがつくったの?」ナミナさんがびっくりした顔で見ている。

 

「まさか、まさか。いただきものです」

 

「やだ、オルターさんも来て日も浅いのに隅におけない」

 

 トラピさんが笑いなが「これが新聞社の跡だとしたら、この辺りに仕事机があったかもしれないということですよね」と言った。

 

「そうそう、ここで例の古い手紙を読んだというわけだから、ノートさんの旅のはじまった場所だよね」と言うと、トラピさんは真剣な顔をして周辺を見回した。

「この新聞社はいつごろまであったんだろう。当時の新聞なんかも残っていたりするのかな」

 

「公書館に行けばきっとありますね」

 

 ナミナさんと双子はノートのことも詳しく知らないので、私たちの話には興味ないとばかりに、きれいな花の咲いた庭をくるくる踊るようにしながら回っている。

 

 ウォーターランドよりも北に位置するリアヌシティは気温が少し低く、夏の時期にもかかわらず、春先のように穏やかな陽気だ。屋外で食事をするのにちょうどいい。

 

 ノートの主がウォーターランドなら住んでもいいと感じたように、ここオールドリアヌならナミナさんも言ったように住んでもいいと思った。どちらも同じようにすばらしい。それでもこんなに美しい故郷を後にしたのは、リアヌシティが今のようになりそうな予感があったのかもしれない。

 

 耳元を一筋の風が吹き抜けたときにどこからか「ソダーさん、ソダーさん……」と呼ぶ声が聞こえた。あたりを見回して見たけれど、近くにトラピさんとナミナさんたち以外にまったく人影はない。ソダーさん……どこかで聞き覚えのある名前だ。こんな景色の場所で聞いたような覚えがある。あれはどこだっただろうか。

 

 

 


第13話 湖面の幻影

 食事が終わると、すぐ近くの水路が交差するところにボート乗り場をみつけた。まず最初に大きな案内板の出ていた湖のほうに行ってみることにした。
 船は水路に合わせるように細く、その分長かったけれど、3人も乗ればいっぱいになり、2組に別れて分乗することにした。トラピさんが帆の操作を試してみたけれど前に進むこともままならず、結局オールで漕ぐことになった。
 
「お客さん、どうでしょうか。チャルド川のトラピ・ボートの乗り心地は」と案内人になりきったトラピさんが聞いてきた。
 
「いやいや、トラピさんの船頭さんは最高ですよ。これはもう、ノートさんのいた町に違いないですね。景色がどうのこうのというよりも、水と空気の色が知らない土地とは思えない。彼もウォーターランドに着いたときに同じことを感じたんだと思いますよ、きっと」
 
「そうなんですよね。なので僕も、もうここ以外に考えられないなって」
 
「これがドームの自治区じゃなければどんなにいいところだったか」ナミナさんが残念そうに言った。
 欲を言えばそうだけれど、ナーシュさんによってこの町が守られただけでも神様に感謝しなければいけないだろう。オールのかくゆっくりした水音を聞いていると、それこそ天上の世界にいるような気もちになる。人が自然と共生している世界というのはこういうことなのだろう。
 
「あ、見えますか? あれが、湖ですよ」
 
 言われた方を見ると、木立に囲まれるように流れるチャルド川の上流が少し開けて見えた。そこがノイアール湖だった。
 
「あの湖、湖底まで見えるほど透明度が高くて、それが名前の由来だそうです。ノイというのは透明という意味と吸収という2つの意味があるらしくて……」
 
「吸収?」
 
「吸い込まれるほどきれいっていうことなんでしょうか?」
 
「ああ、無色透明でなんでも受け入れるみたいな感じなのかもね」
 
「あら、それっていいですね。ドームの何も”ない”感じとは違う豊かな感じがするわ。どちらも同じ ”ない” なのに何が違うんだろう?」巧みなオールさばきで並走していたナミナさんが不思議そうに言った。
 
「なにも ”ない” にも、いろいろな ”ない” があるってことだねえ」と言うと、「奪われているのと、無垢の違いじゃない?」とトラピさんが言った。
 
「それだ。それで純真無垢な私はこっちのほうがあってるってことなんだな」
 
 それを聞いてみんなで大笑いになった。ナミナさんもおもしろい人だ。でも、ほんとうに彼女は純粋な人のような気がする。きっと、自分の気持ちに素直に生きているんだろう。
 
 湖は想像もつかないほどたくさんの光にあふれていた。それは、湖面から世界を照らす無数の光の粒が生まれ出ているかのように見えた。なにもないところから世界のすべてのものが生まれる不思議を感じさせる幻想的な光景だった。それほど神聖な輝きに包まれていたのだ。
 
「あれ、オルターさん、シャツの下、胸元が光ってる」と向かい合って座っていたトラピさんが声をあげた。
 
「え、どこどこ?」手探りで探すと、コピからもらった虹の石だった。あわてて首からはずすと、確かに光を発しているように見える。
 
「ずっと光ってた?」
 
「どうでしょう。今気がつきましたけど……光のいたずらなのかな」
 
 それを聞いたナミナさんが船を寄せて不思議そうに石を覗き込む。
 
「あれ、虹が見えますよ」
 
「そうそう、この石ね、虹が見えるんですよ」
 
「すごい、すごい。こんなきれいな石、見たことない。ほんとに虹が出てるよ」
 
  突然輝き出した石を見ていると、今度は揺れる湖面の上にコピが見えた。ウォーターランドの緑の絨毯の上で蝶々を追いかけているように見える。それもその場所はこの前火事になったところだった。信じられない出来事に思わず目を擦った。コピの姿は波間に上る陽炎のようにゆらゆらと揺れている。
 
「トラピさん、見えます? あそこ」湖面を見るように促した。
 
「お、コピちゃん?  え、なんでだ?」
 
「えー。これどういうことなの。なにここ!」ナミナさんが驚いて声をあげた。
 
「わからない。この湖普通じゃない。それとも石のほうが普通じゃないのかな」
 
 みんなで唖然として見ていると、太陽が雲に隠れ、石の虹と水面に見えたコピの姿もゆっくり消えた。
 
「なんていうこと……目の錯覚じゃないよね?」ナミナさんの興奮が収まらない。
 
「ここ、何かがあるんでしょうね。超常現象っていうのかな」
 
「人智の及ばない自然の力か……」一人つぶやいた。
 
 やはり、ここリアヌオールドには何かがあるという思いが一層強くなった。それがノートの主と関係あることなのかどうかはわからないけど、ウォーターランドとオールドリアヌはきっと何かで繋がっているに違いない。
 
 湖面に見えたコピは元気いっぱいだった。あれは今のコピを投影したものか、自分たちの記憶の断片が表出したものか、まるでわからない。そう考えているうちに、この湖そのものがなにかの意識を持っているのではないかとさえ思い始めていた。
 
 雲から太陽が現れて、また石から虹が現れた。あわてて湖面を見たけれど、さっき見えた映像は二度と現れることはなかった。


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