目次
第1章 誘い
第1章の主な登場人物
地図
第1話 ことのはじまり *
第2話 残されたノート 
第3話 旅立ちの日 *
第4話 おくれて話す老人 *
第5話 青い猫 *
第6話 お店番
第7話 リブロールの朝 *
第8話 定期船 *
第9話 印刷機
第10話 島便り +
第11話 なくしもの
第12話 別々の名前 * +
第13話 時間のはじまり *
第14話 跳魚釣り
第15話 海の見えるインキ
第16話 乾かない文字
第17話 きまぐれな友達 *
第18話 豚の素性
第19話 時間のカタチ
第20話 ハトの手紙
第21話 ミドリの海 *
第22話 かすむ目
第23話 水の島 +
第24話 雨の夕暮れ
第25話 針のずれ *
第26話 おいしい水
第27話 雨上がり
第28話 小さな楽団
第29話 窓の記憶 +
第30話 食堂の夜 +
第31話 水玉の光 +
第32話 飛行船
第33話 レンズの掃除 *
第34話 名前の由来
第35話 留守
第36話 並ばない頁 * +
第37話 火炎
第38話 新しい朝 +
第39話 楽しいお湯
第40話 残された印
第41話 望郷 *
第42話 呼び声 *
第43話 旅立ちのとき
第44話 手紙
第2章 彷徨
第1章のあらすじ
第2章の登場人物
第1話 反転する海
第2話 遥か天空
第3話 水の悪意
第4話 イルカの歓迎
第5話 旧世界への入港
第6話 新しく古い港
第7話 ウテラス様式のドーム
第8話 サーカス小屋.
第9話 ホテルの夕食
第10話 望郷 *
第11話 同じ川
第12話 守られた村
第13話 湖面の幻影
第14話 中州の文庫
第15話 消えた男
第16話 雲の塔
第17話 水の革命
第18話 来客
第19話 家族の家
第20話 湖水の道
第21話 出島
第22話 赤い灯台 *
第23話 水に映る顔
第24話 海の使者
第25話 覚醒
第26話 なくしたもの
第27話 うさぎの庭
第28話 もうひとつの扉
第29話 水調べ
第30話 水彩
第31話 見送り
第32話 紋章の透かし
第33話 砂浜のスケッチ
第34話 骨董の日
第35話 花瓶の花
第36話 はぐれた子供たち
第37話 トマト色の兆し
第38話 礎石の力
第39話 離脱
第40話 ノイヤールの緑石
第41話 ロマン
第42話 善と悪
第43話 静寂の時
第44話 光る魚
第45話 罪
第46話 汽水の調査
第47話 黒い六角の紋章
第48話 水上の村
第49話 豊漁の予兆
第3章 螺旋
第2章のあらすじ
第1話 再生する記憶
第2話 メビウスの時
第3話 時間の澱み
第4話 変わらない人たち
第5話 見えない鮫
第6話 薬草
第7話 二度目の下船客たち
第8話 入れ替わり
第9話 時間の層 *
第10話 偶然の地の灯台
第11話 島地鶏の卵料理
第12話 もうひとつの出航
第13話 季節のあいだ
第14話 飛行士
第15話 灯台のローソク
第16話 黒服の試飲
第17話 湖の正夢
第18話 魚拓のドット
第19話 幻の釣り
第20話 夕立
第21話 再会
第22話 赤色の宴 *
第23話 消えなれ
第24話 漂流するヨット
第25話 救護に
第26話 もぐらの話
第27話 おいしい世界 **
第28話 自分の手紙
第29話 夜の散歩
第30話 密漁
第31話 海の穴
第32話 ぬめる水 **
第33話 重なる影
第34話 同じ手帳
第35話 キノコステーキの薬味
第36話 かくされたもの **
第37話 摘み取り
第38話 走る光
第39話 時の流れ
第40話 ふたつの影
第4章 失踪
第3章のあらすじ
第1話 男の性
第2話 探さないこと
第3話 変わらないノート *
第4話 夕食の煮物
第5話 光りもの
第6話 白い朝
第7話 ノートの家
第8話 宿帳の名前
第9話 使者
第10話 悲しい空想
第11話 一切れのパン
第12話 タワーの理由
第13話 晩餐
第14話 召された子供たち
第15話 天気計画
第16話 水の約束
第17話 古地図
第19話 雪かき
第20話 期待
第21話 氷上の舟
第22話 生き写し
第23話 島の話
第24話 花と待ち人
第25話 書庫の入口
第26話 地下迷路
第27話 潜水
第28話 石窟
第29話 知らない言葉
第30話 再会
第31話 夜の時間
第32話 洪水の周期
第33話 共生
第34話 二人だけの話
第35話 昏睡
第36話 夢想
第37話 二匹の猫 
第38話 水の声
第39話 時間の重さ
第40話 増えたページ *
第41話 内なること
第42話 戻り道
第43話 図書目録
第44話 旅の途上の小説
第45話 あたらしい船
第46話 つづく
つづく
奥付
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第1章のあらすじ

 時計がなく、時間に追われることのない辺境の小さな島ウォーターランド。大陸メーンランドから遠く離れたこの島は、都会の喧噪を逃れた人たちが自然と共に暮らす自由な生活を楽しんでいるところです。

 
 この島には200年以上も前に島を一人で訪れた人によって書かれたノートの一部が残されています。そのノートには大きな時間がゆるりと動き、島が消えるという謎めいた話が書かれています。しかし、今そのことについて知っている住人はだれもいませんし、それを目にしたものもいません。
 
 さらに島での生活の記録として、ミドリの鮫との遭遇、方位のずれ、ゆがむ虹など常識では考えられないできごとが次々に起こったと記録されています。しかし、ノートの一部しか残されていないため、そこからすべてを知ることはできません。一人で生活していたノートの主がどうなったのかさえも謎のままです。
 
 住民で最古参になる本屋のオルター爺さんがそのノートを手がかりに、島で起きるふしぎな出来事の秘密をなんとか解き明かそうとします。一方で、住民の失踪やおいしい島の水の発見、島特有の動植物との暮らし、不審火など、島では都会とは違う出来事が頻繁に起きます。
 
 住民たちは予想もつかないそれらの出来事を自然の一部として受け入れています。不思議と発見が交互に現れては消える暮らしがこの島の日常です。島のおおらかで、時間やお金に縛られない自由な生活はそれらのできごとを楽しみに変えてしまうほどに豊かなものなのです。
 
  メーンランドとの連絡船の船長もこの不思議な島に魅せられている一人です。島のすばらしさをメーンランドに伝え、ノートに関する情報を得ることを提案します。古い印刷機を手に入れみんなで島便りを定期的に出すことになりました。それを読んだ人が少しずつ訪れはじめたころ、メーンランドに仕事で渡っていた島の住人から、オルターに知らせたいことがあるのですぐに来てほしいとの手紙が届きます。
 
 島をまったく出たこともなくのんびりと生活していたオルターでしたが、ノートの謎が解かれる期待を持って船長の船でウォーターランドを後にすることにしました。
 

第2章の登場人物

オルター    うたた寝書店リブロールの店主

ダルビー    定期船の船長

マリエール   船長のパトロン 俗称マリー

ルーラー    スラント・ケーブ港の情報屋

ナーシュ    行方の知れないマリエールの主人

トラピ     大道芸の手品師

ナミナ     小さな楽団をもつ トラピさんの友達

ネモネ     おいしい水を探しカバと旅する人

コノン     ウサギを背負った女性

お祖父さん       コノンさんの祖父

お祖母さん       コノンさんの祖母

ミオ      家族の家に住む赤毛の少年

ヨシュア    家族の家の主催者

ターク     ヨットマン

ホーラー    自称公書館管理人の男

ハロウ     歴史ある雑貨屋の主人

ジノ婆     湖に住む180歳の老婆

 

その他


第1話 反転する海

 ドッコン、ドッコン、ドッコン……エンジンの音が船底のほうから響いてくる。荷馬車のようにずっしりと重いリズムが足から身体に伝わる。慣れるまでに少し時間がかかるかもしれない。

 

「船長、こんな日が来ると思わなかったね」

 

「おれは、いつかこの日が来ると思っていた。爺さんはメーンランドに行くだろうってな

 

「どうして?」

 

「船乗りの勘ってやつだな。航海と人生って似たようなものよ。おおよそは見当がつく」

 

「そういうものかね」

 

「そこに海図があるだろ。それを見てみな。方位計と合わせると位置がわかる」

 

  言われた通りに地図と方位計を合わせてみる。

 

「島からメーンランドの方向へ向けて離れている? ということだね?」

 

「島は見えるか?」

 

「あれ、地図の向きがおかしいのかな?」

 

「いや、合ってる」

 

「しかし、窓に見える島の方向が……違う」

 

「おかしいだろ? この島の入口は普通じゃないってことだ。常識じゃあり得ない航路だからな」

 

「島の見える方角が磁石の示すものと違うということ?」

 

「早い話がそういうことだ。島に方位計通りに入ろうとすると入れない。常識じゃあり得ない方位の組み合わせでやっと到着できるってわけよ」

 

「そんな話、聞いたことないね」

 

「ないだろうな。俺しか知らない」と言って高笑いした。

 

「ただ、俺にはなぜだかわかっている。誰でも自由に島に行かれちゃ困るから教えないけどな」船長の笑い声が操舵室に響く。

 

 外に出て、今出たばかりの島を眺めて見る。いつも島から見ていたのと逆にとても早く遠ざかってるように見える。島から見たとき、遠いものが近くに見えるのとは逆に、目の前にあるはずのものが水平線の端にあるように感じる。まだ出向して数分なのに。

 

「船長、これはどういうことなんだろう」

 

「さあな、こればかりは俺にもよくわからない。いずれにしても、見えるものと実際は違うということだ。海から島に入る人は今でも少ないだろ? 昔と変わらず、今でもやっかいな島ということだな。わはは」

 

「飛行船も同じなのかね」

 

「俺は飛行船乗りじゃないし、わからねぇな。でも、似たようなことは起こるんじゃないか。今度飛行船のやつに聞いてみな」

 

 船は、一歩ずつしっかりと海底を踏みしめるようにして進んで行く。船長の船は後ろに3つの貨物船を連結しているので相当の馬力が必要だろう。まるで海を走る蒸気機関車だ。

 

「爺さん、あらためて紹介するよ。こいつはマリエールだ。マリーでいい」客室には何人か人がいたようだったが、その一人なのだろう。妖艶な佇まいの女性だ。

 

「はじめまして」しっとりした落ち着きのある声だ。

 

「俺の仕事のパトロンってところだな。それでいいな?」と言いながらマリーさんの方を見た。

 

「この人とは長いつきあいで、私が昔働いていたお店のお客だったの。船乗り相手のバーね。今は私の気まぐれにつきあってもらってる人かしら」

 

「お抱え運転手ってとこか」と言って船長は大きな声で笑う。

 

「そうね。よく窓も磨いてくれるわね」となにか意味ありげに言った。

 

「まあ、あれやこれやで持ちつ持たれつってとこだな」

 

いいも悪いもお互いを知り尽くしている関係のようだ。

 

「爺さん、マリーと知り合いになっておくといいぜ。こいつはいい女だ」

 

「いい女……」マリーさんが無表情に繰り返した。

 

「と、俺は思ってる」にやりとこちらを見た。

 

「パトロンとしてね」

 

「金だけじゃないぜ。爺さんのこころの隙間を埋める手伝いをしてくれるはずだ」

 

「こころの隙間……」船長は何を思っているのだろうか。

 

「オルターさん、あの島に時々伺っていいかしら?」遠くに見える島を見ながら言った。

 

「あそこはだれのものでもないですよ。自給自足のようなところだから、マリエールさんのような人に納得してもらえるか心配ですけど」

 

「ははは、すっかりお嬢様と思われたようだな」船長がおかしそうに笑った。

 

「私はだいじょうぶ。メーンランドから離れる時間さえあればいいの。必要なのはそれだけ」

 

「それなら、だいじょうぶでしょう。現実世界からかけ離れたようなところですから」と言うと、マリーさんが少し微笑んだように見えた。

 

 彼女は、ずっと船窓から水平線を見ている。その言葉や物腰からはするとただ漫然とぜいたくな生活をしているというわけでもなさそうだ。お金にはまったく興味がないようにさえ見える。

 

「いい島だっただろ? あれが俺の愛するウォーターランドだ」

 

「わかるわ、ダルビーの気持ち」

 

「なにもない島ですけどね」

 

「なにもないから大切なものがわかるの」

 

「そういうことだな。メーンランドは何が大切なんだかわからなくなってるからな」

 

「なんでもあればいいというものじゃないわ」

 

気がつくと船の振動も気にならなくなっていた。島を離れるにつれて波も高くなり、海面が巨大な生き物のように大きく呼吸する。

 

「おっと、灰皿は?」落ちそうになった灰が船長の葉巻にぶらさがった。

 

「そのドアの横のキャビネットに」マリーさんが落ち着いた声で言う。

 

「ありがとよ。爺さんこういう関係だ。わははは」

 

 葉巻を灰皿に置くと、船長は舵輪を両手を使って右に大きく回した。島は今まで見えていた左後方から右側に移った。まるで島に戻るように見える。その瞬間、大気がハレーションを起したように原色にフラッシュした。何が起こったのかわからなかったけど、世界の何かが入れ替わったように思えた。気がつくと今まで見えていた島が視界から忽然と消えていた。マリーさんは何事もなかったかのように、船窓から外を見ている。船の向いていた方向に反して、ウォーターランドでの生活がとても遠くにいってしまったような寂しさを感じた。

 

 


第2話 遥か天空

 日没の少し前、夕食の時間になった。ベルの音が用意のできたことを知らせてくれる。キッチンと言ってもいいぐらいの小さな食堂に食事が用意された。

 食卓は木箱を並べただけのもので、その上に洗い立ての白いテーブルクロスがかけられている。テーブルに置かれたローソクのやわらかな明かりが、ささやかな夕べの集いを豊かな時間に変えてくれた。

 

 乗客はマリーさんの他に3人いた。そのうちの一人はあのうさぎを背負っていた少女だった。島を楽しめただろうか。火事で島のイメージを悪くしていなければいいが。残りの二人は、やはり島便りを見てきたという夫婦連れだった。1時間ほどの食事の間、二人から島の生活についていろいろ質問をされた。うらやましいと言いながらも、あまりに都会と違った生活に驚きを隠せないようだった。とくにお金にまったく意味がないということはにわかには信じられないと言われた。

 うさぎの少女のほうは口数も少なく、頷くか、相槌を打つだけのことが多く、自分から話題をつくることもなかった。まわりの大人たちに気後れしていたのかもしれない。

 船の夕食は簡素なものだったけれど味付けに工夫がされていてとてもおいしくいただいた。もともと客船ではないから、必要最低限の食料しか積んでいないのだろう。詳しくは聞かなかったが、船長が料理をしている風でもなかったので、マリーさんが腕を振るったのかもしれない。

 

 この船にはゲストルームのようなものもないので、船首に近いところに小さな空きスペースをみつけて食後に休憩する場所をつくった。船を運転する人は船長しかいないので、船長と話せるのは操舵室にいるときぐらいしかない。船長が休む時はエンジンを止めて船が海の静寂とひとつになるときだ。夜9時ぐらいまでは船長の自由になる時間はないと言われた。リブロールにいるときのようにゆっくりはできない。

 島よりもさらに視界を遮るものの少ない星空の色は、生々しい宇宙の姿そのものだった。今まで見ていた空さえも、ほんの一部でしかなかったことに気づく。空が広いせいもあって、流れ星が途絶えることなく現れては消えていく。これでは願い事がいくつあっても足りない。旅がうまくいくことと、みんなの健康をお願いをしたあとは、ただぼんやりと数だけを数えていた。100を超えるあたりからは寝る前のおまじないのようになり、意識のない世界に引き寄せられていった。

 

「おじゃまかしら」 うとうとしていたとき、マリーさんに声をかけられた。

 

「あ、こんばんは。どうぞどうぞ。すばらしい星空ですね。島でもこれほど美しい夜空は見られませんよ。粉末のような細かな星まで見えるせいか、漆黒ではなく流し絵のようなさまざまな色が見えるんですね。それが遥か天空で大きく回転するのですから」

 

「オルターさんは、星空を見て一人を感じるのかしら?」

 

「どうでしょう。たくさんの友達のほうを思い出すかな」

 

マリーさんからの答えはなかった。

 

 少しして「島には長いの?」と聞かれた。

 

「島の住人では一番長くなりましたね」

 

「そう」

 

「定住という感覚で来る人が少ないですから」

 

「住んでみたいと思う人はきっと多いでしょうけどね」

 

「都会に長いと、島の生活にもいろいろ不便も感じると思いますよ」

 

「何が大切かね……」マリーさんは自問自答しているようにも見えた。

 

「みんな、あの島の時間を持ち帰りたいらしいですよ」

 

「時間を?」

 

「時間というか思い出というか」

 

「ああ、そういう意味ね」と言うと静かに目を閉じた。星の囁きに耳を傾けているように見えた。

 

「野焼きはいつもこの時期に?」

 

「野焼き? あ、あれは火事です。大変でした」

 

「そうだったの……」

 

 マリーさんからそのあとの言葉は続かなかった。こちらもなぜか遠い昔にあったことのように思えた。

 

「マリーさんは、何かお仕事を?」

 

「いまは何もしてないわ。しなければいけない理由もないし」

 

 夜の静寂もあってか口数も少なくなってしまう。お互いもよく知らないこともあって、その後は差し障りのないメーンランドの暮らしについて聞かせてもらった。

 

  船長はマリーさんと仲良くなっておくといいと言っていたけど、その意味はまだわからない。もしかすると、メーンランドのほうでいろいろな伝手を持っている人なのかもしれない。

 


第3話 水の悪意

  マリーさんは30分ほど夜風に当たって部屋に戻った。満天の夜空が30度ぐらい回転して船が天の川と同じ向きになったころに、エンジンは回転を落とし始め、最後にひとつため息をつくようにして止まった。その後に静寂な世界が訪れると、自分以外はだれもいないという空疎な感覚にとらわれた。それを待っていたように、色を消してうねり踊る海面が目の前に姿を現した。空と海、世界はこの二つの巨大な生き物のためにあるかもしれない。
 
「お、爺さんここにいたのか」仕事を終わった船長が葉巻をくゆらしながらやってきた。「星がすごいだろ?」
 
「きれいなもんだね。島で見るより空が大きい気がする」
 
 船長はさっきまでマリーさんが座っていたのと同じ場所に腰を降ろした。よく見ると片手に氷の入ったグラスを持っている。グラスを目の高さにして、「これが命の水だ」と言った。
 
「もしかして、島の水?」
 
「これさえあればまた精気を取り戻せる。1日のいろんな汚れがきれいさっぱり落ちる。島のおかげだな」
 
「私も一杯もらっていいかな」というと、船長は大きく頷き、自分の持っていたグラスを差し出した。口いっぱいの水を一息に飲み干した。
 
「うまいね。いい水だ」
 
「わはは、いい水だな」船長はうれしそうに笑った。
 
「そう言えば、ボルトンのやろう、この水に感づきやがったな。よけいなことをしないように釘はさしておいたけど、あいつらはどんな手を使ってでも自分たちのものにしようとするからな、気をつけたほうがいいぞ」
 
「水公社のボルトン?」以前ハトポステルで送られてきた手紙のことを思い出した。
 
「以前、メーンランドで理由もなく身体が動かなくなる病が流行ったときに、不治と思われたその病をある水で治癒できるということがわかってな、それ以来いい水があると聞くと片っ端から利権を抑えようと躍起になってやがる。ほんとうに必要な人の治療に使うならまだしも、買い占めて高値で売りさばこうとするところが許せねぇ。あいつらの後ろには金まみれのネイコノミーがあるから始末が悪い」
 
「そのネイコノミーというのにウォーターランドの水も狙われていると?」
 
「ネイコノミーというのは自然換金主義経済のことで、すべての自然を経済活動としてとらえるというやつだな。まったく人間様も偉くなったもんだ。今回の件で実際に動いているのはボルトンだ。それは間違いない。手を出すなとは言っておいたが、そんなことで怯むようなやつらじゃない。くれぐれも気をつけたほうがいい。最近は水そのものがあらゆるエネルギーの元にもなるという研究もあって、まるで産業革命のころの蒸気機関のような勢いだ。このままだと世界の水はすべて誰かのものになる。もちろん水にとどまらずすべての自然が経済に取り込まれるって仕掛けだけどな」
 
 浮世離れした島に住んでいると、そんな話はまったく耳にすることもない。それどころか水の価値すら忘れている。それだけ水に恵まれ、水の恩恵を受けていたということなのかもしれない。
 
「そうだ、マリーのことだけどな、俺は船に乗っていることが多いからメーンランドに着いたら、あいつの世話になるといい。一人暮らしで暇を持て余してるし、マリーのところでやっかいになれば寝起きする場所に困ることはない。わかったと思うが、料理もうまいからな」
 
 船長は宿泊や食事のことまで気にしてくれたのかと思うと感謝に耐えない。
 
「まあ、この広い世界、これも何かの縁ってことだ。あの星全部とつながろうなんて思ったって所詮無理な話だしな。こういうつながりを大切にすることだ。これが港を渡り歩く船乗りの生きる術というやつだ」
 
 勝手な一人旅と決め込んで気楽に楽しもうと考えていたけれど、ちょっと安易すぎたことがはずかしくなってしまった。いつまでも船長頼みではいけない
 
「爺さん、余計な心配はしないでいいぞ」こちらの気持ちを察したように船長が言った。
 
俺に遠慮はいらない。同じ島を愛する仲間だからな。まあ、せいぜい頼ってくれ。明日は、7時には朝食だ。慣れない船旅だから早く寝たほうがいい」と言うと席を後にした。
 
 その後もしばらく夜風に当たっていた。雨が降るように流れる流星は出向を祝ってくれているのだろうか。まだ見ぬメーンランドは自分に何を教えてくれるのだろう。ノートの行方もさることながら、消えた記憶の何かが目覚めるかもしれないという期待もしてしまう。
 
 寝室に戻る途中で船長に会った。望遠鏡に補助器具をつけたような道具をもって海を眺めている。聞くとセクスタント(六分儀だと教えてくれた。星と水平線の位置関係で船の場所と向かう方位を確認するものだという。その細かな記録をつけるうちにウォーターランドに最適な航路をみつけたということだった。どういう仕組みでわかるのか詳しくは聞けなかったけれど、灯台とこのセクスタントが船長にとって命より大切なものだそうだ。最新の方位計を使ってもウォーターランドの周辺だけは正確には測れないとということらしい。
 
 部屋に戻ってベッドに入っても、慣れない船旅のせいかなかなか寝付けず、ミリルさんに印刷してもらったノートを眺めながらメーンランドに思いを馳せた。きっとコピも同じように枕元に置いているだろう。


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