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1.はじめに

 自然治癒力は喜びのエネルギーです。
 私達も喜びのエネルギーです。
 だから、私達は自然治癒力そのものなんです。

 

 私は、「この世の中のどこかに必ず本当のことがある」と思っていたけれど、その本当のこととは何かが、全く見当がつきませんでした。
 しかし、自分の心の中に、「この世の中のどこかに必ず真実はある」といった思いを、ずっと以前から感じてきたことは確かでした。
 楽しいことや嬉しいことが日常生活の中であっても、どこかで冷めている自分がありました。なぜなんだろうかと思ってきました。
 心の底から喜び切れないんです。楽しいなあ、いいなあと思ったそのすぐあとから、妙に空しさを感じてきました。
私自身は、何かを買って嬉しい、どこかへ行って楽しい、美味しいものを食べて幸せ、何か目標を持ってそれに向かって頑張っていることに、ある種の充実感、達成感を感じて満足しているのに、それとは別の私がそこにいるんです。実は、私は、ずっとそんなことを感じながら生活をしていました。
 そして、ある時期に、ある現象をきっかけに、「心を見るという学び」に集わせていただいたのです。正確に言えば、集わざるを得ない状況に自分を追いやったということです。
 それから、「『心を見る』とはどういうことだろうか」と自問自答しながら、そして、「別の私がいると感じてきた私を納得させるものがここにはある」と感じながら学ばせていただき、早二十年近くの年月が流れています。
 今は、当時感じてきたことは私の中で納得しています。
 あの時、心の底から喜び切れない自分が本当の自分でした。それまで、私は、ずっと偽の自分ばかりを中心にして時間を過ごしてきました。だから、どんなに楽しくても、どんなに充実感に満たされても、空しさがあとから迫ってくるのは当然でした。
 喜び切れない本当の自分が、それは違っていることを教えてくれていたのでした。

 

 皆さんは、どうでしょうか。
 私が感じてきたことと同じように、「そう言えばそうだなあ。今、私には差し当たりの問題はなく、何となく生活をしているけれど、私も、実は心のどこかに、何かそぐわないもの、しっくりいかないものを感じているんだ。本当にこのままでいいのかなあ」と感じておられるならば、少し、この本を読んでみてください。

 

 ところで、「自然治癒力」という言葉は、割となじみのある言葉かと思います。そこから連想するものと言えば、病気とか、病むとか、傷つくとか、そういうものでしょう。
 例えば、病気とくれば、あなたはどんなイメージが出てきますか。
 私は、「心を見るという学び」に集う約二十年前までは、病気ということに対して、マイナスのイメージしかありませんでした。
 身体が病む、心が病む、それは、できれば自分を含めて、私の周りでは起こってほしくない出来事でした。
 人間は、加齢とともに弱っていき、死を迎えることは理解できても、若くして難病に侵される、あるいは若くして死を迎えることは、私の中で受け入れ難いことでした。
 また、精神的に不安定だとか、そういうややこしくて、理解に苦しむ心の病が、なぜ私達人間に発症するのだろうかと、これもまた暗いマイナスのイメージを私の中から払拭することは困難でした。
 それが、何と、私はその受け入れ難い現象が自分の周りに起こり、前々から母より話だけは聞いていた「心を見るという学び」に集う結果となったのでした。それが約二十年前でした。
 寝耳に水の出来事は、何かの促しだと思いました。それまでの自分の生き方の方向が間違っていたことを、端的に自分に示したとしか言えないと思いました。驚きと戸惑いはありましたが、私は自分を正しい方向に向かわせたと、その当時の早い時期に感じ、自分なりに真面目に学んできました。
 病気ということに対して、マイナスのイメージしかなかった私は、目に見えて触れることができる形のある世界しか考えられなかったし、それがすべてだとしてきたのです。それが私の現実だと思ってきました。
 そんな中で、「死んで花実が咲くものか」と嘯いてきたのです。自分の人生を考えても、有限の中でしか考えられなかったのです。
 そんな自分の考え、思いのすべてが間違ってきたことを、私は学びを進めていく中で知っていきました。
 形の世界が本物であり、それが現実だとするところから、自分の人生を考え、自分を感じてきたのです。私は、それがすべての間違いの元だったことを学んできました。
 と言って、「あなたも『心を見るという学び』をしてみませんか」と強制しているのではありません。また、勧誘しているわけでもありません。
 ただ、「あなたも本当のことを知りたくありませんか」「本当のあなたに触れてみたくありませんか」という思いで、この先を綴っていこうと思います。
 自然治癒力というテーマを通して、私達は、本当の喜びと温もり、優しさを忘れ去ったこと、つまり、本当の自分を見失ってきた私達だったことを伝えていきたいと思っています。
 そして、一人でも二人でも、「本当の自分と出会える道を歩いていける今なんだ」と、心で感じていただけたらと思っています。

 

 その前に、ここで、「心を見るという学び」について、先に少し触れておきたいと思います。

 

 「心を見る」とは、あなたが、日々生活をしている中で、あなたの心の中に浮かび上がってくる思い、特に苦しい思いを確認していくことです。
 苦しい思いとは、例えば、怒る、争う、競う、見下す、責める、支配する、嘆く、卑下する、誇る、蔑む、嫉妬する……といった暗い思いです。
 まだまだ暗くて重い心の内はたくさんあると思いますが、このような暗くてドロドロした苦しい思いを、私達は、常日頃、頻繁に流しているのです。
 しかも、殆どの人達は、そういう思いを無頓着に流しています。
 よしんば、「ああ、そうだったなあ」という人でも、そのような思いが暗いとか、重いとか、ましてや、それがそもそもの誤りだなどということは、全くと言っていいほど知らないと思います。
 とにかく、私達は、朝起きて夜寝るまで、色々なことを見て聞いています。テレビ、新聞、パソコン等を通して様々な情報に触れ、そして、また同居する家族の人達、日々関わり合っていく人達を通して、私達の心の中には色々な思いが起こってくるのです。
 しかし、殆どの人は、心を見るという習慣がありません。
 だから、ある日突然に、何か自分達に不都合なこと、俗に言う不幸せなことが起こってきたときに、「私達は何も悪いことはしていないのに、何で私達だけがこんな目に遭うのか」と、よく言うではありませんか。
 何も悪いことはしていない、それは確かにそうかもしれません。
 世間様から後ろ指を指されるようなことをした憶えもないでしょう。
 しかし、です。
 実際に、今、目の前に起こっている出来事の前に、すでに自分達には色々あったはずなんです。そして、そのたびに、色々と心が動いてきたのです。その心の動きを見ていったならば、先に書いた色々な苦しくて暗くて重い思いを、過去どこかで必ず出してきたと知っていくでしょう。
 もっとも、過去出してきた思いと、今、目の前に展開している出来事とが直接結びつくとは限りません。あの時、こんな思いを出したから、今、こういう目に遭っているんだとは一概に言えないかもしれません。しかし、少なくとも、自分達は何も悪いことはしてこなかったとは決して言えないんです。
 自分達が日々流しているエネルギーのすごさを知っていけば、決してそうは言えません。
 ただし、自分達から流れているエネルギーのすごさを知っていくことは難しいです。そもそも、殆どの人達は、自分達からエネルギーが流れていること自体、知らないのではないでしょうか。
 例えば、怒りのエネルギーは、自分の肉体細胞を破壊していくほどのすごいエネルギーだとは、殆どの人は分からないと思います。
 それほど、もともと敏感だった私達の心は、欲にまみれて鈍感になってしまったんです。
 そして、心というのは目に見えません。だから、心が動いていても、言葉や態度に出さなければ相手に分からないとか、ただ自分の胸の内に秘めていればいいとか、そう思いがちです。しかし、そうではなくて、実は、心が動くということは、あなたの心からエネルギーが流れ出しているということなんです。
 そして、それはどんなエネルギーかと言えば、先ほど語ったように、暗くて重いエネルギーです。エネルギーだから仕事をします。
 そのエネルギーが、色々な形で現象化していくということです。
 もちろん、暗くて重いエネルギーは、言ってみればマイナスのエネルギーです。
 マイナスのエネルギーはマイナスの仕事をします。
 形としては、破壊、崩壊、分裂ということでしょう。
 それでは、そのマイナスのエネルギーは、ずっとマイナスのままなのでしょうか。
 ここからが大きな分かれ道なんです。それは、どういうことかと言えば、形となって表れてきた現象を通して、自分の心を見つめるということをしていくか、していかないか、その岐路に差し掛かっているということなんです。
 心を見ることを知らない人は論外ですが、心を見ていけば、マイナスと思ってきた現象から、私達は色々、色々学んでいけるのです。いいえ、学んでいかなければならないのです。
 つまり、それらの現象は、「今、目の前にこんなことが起こっていますね。それを見て、あるいは聞いて、あなたの心からどんな思いが出てきますか。そして、それは明るい思いですか、暗い思いですか」と、私達に絶えずメッセージを送ってくれています。
 心を見ていけば、そういうふうに受け取っていけるあなたになっていけるんです。
 心を見るということが、現象を通して学ぶということになります。そして、学んでいった結果、必ず、この世にマイナスのエネルギーはなかったことに気付けます。マイナスは必ずプラスへ帰すことができることに気付いていけるんです。
 また、プラスのエネルギーは、さらにプラスが強くなっていく。つまり、喜んでいけばいくほど、喜びのエネルギーは大きくなっていくことも知っていけます。
 一方、自分の心を見ることがなければ、マイナスをマイナスのまま抱え込んでしまいます。だから、また時が経てば、抱え込んだマイナスのエネルギーが噴き出していくんです。

 

 このように、心を見るということが、とても大切なことであり、これしかないことを最初に知っておいてほしいと思います。
 「心を見るという学び」と書きましたが、本当は学びではなくて、私達人間はみんな、心を見ていかなければならないということなんです。そして、私達は、目に見える世界ではなくて、目に見えない世界があることに、もっと注目すべきなんです。つまり、それは、意識、波動、エネルギーの世界です。
 そして、それらの世界には、プラスとマイナスがあって、プラスとはどういったことなのか、マイナスとはどういったことなのかということも、私達は、自分の心で知っていくべきなんです。
 私は、そのことを自然治癒力というテーマから語っていきたいと思います。そして、一般的に解釈されている自然治癒力を含めて、私が感じている自然治癒力とは、どんな世界なのかを綴ってみたいと思いました。
 そして、自然治癒力というのは、もともとプラスのエネルギーですが、目に見える世界を本物とするところで解釈されている自然治癒力と、目に見えない世界を本物とするところから感じる自然治癒力とでは、同じプラスでも雲泥の差があります。
 そういうことも、本書を通して読み取っていただければ幸いです。

 

 面白おかしく生きて、場当たり的に生きて、暖衣飽食、酔生夢死の中で大切な時間が過ぎ去っていって、あるいは、仕事に明け暮れ、家族のために生きて、ああ、私の人生は一体何だったのだろうかと思いながら、この世を去っていくことだけはやめにしませんか。
 「心を見るという学び」は、自分を本当に大切にしよう、自分のことを、もっと、もっと真剣に真摯に考えていこうという学びなんです。
 そして、この心を見るという作業には、体力、気力が必要なんです。
 だから、もともと私達にある自然治癒力をフルに発揮させて、そして、身体も心も元気になって、皆さん、どうぞ、ご自分の心を見ていきましょうと、私はお伝えしたいのです。
 なぜ自分は生まれてきたのか。何をするために生まれてきたのか。なぜ自分は死んでいくのか。死んでどうなっていくのか。そういうことに自分の心で答えが出せるまでにならなければ、本当の喜び、温もり、優しさの中にある自分と出会うことはできないことを知ってください。

 

 さて、前置きはここまでにして、次の章では、私達の肉体細胞について、語っていきたいと思います。


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2.肉体細胞から限りない優しさが流れていることに気付いてください

 「はじめに」のところでも記しましたが、本当の自分を忘れ去ってきた私達にとって、病気というのは、やはりマイナスのイメージでしかないと思います。
 特に、一家の大黒柱が倒れたとなれば、経済的にも精神的にも重い負担が家族にかかってきます。
 それが、重篤ともなれば、それは大変です。高度の先進医療を充分に受けるには、お金がかかります。もちろん、自らを実験台として捧げる覚悟も要ります。
 「まだ死にたくない」「こんなに苦しくて辛い毎日ならば、いっそのこと、ひと思いに死にたい」、病気という疫病神に取りつかれたら最後、私達は、本人も家族も、寝ても覚めても、暗い暗い世界を引きずってしまいます。
 容体に一喜一憂しても、ということは分かりながらも、看守る家族の身体も、心もゆっくりと休まることはないと思います。看護する時間が長引けば長引くほど、家族の疲労は濃くなっていきます。
 それも、快方に向かって看護するならば希望もあるけれど、死を待つだけの看護は、やはり苦しくて辛いものがあるでしょう。
 こういうふうに考えれば、病気という現象は、周りの人達の生活のリズムを崩していきます。特に、死を考えざるを得ない状態ともなれば、本当のことを忘れ去った私達には、非常に厳しい現実を突き付けられているという感覚しかないと思います。
 だから、願わくは、無病息災がいいんです。しかし、生身の人間ですから、そうはいきません。ストレスから肉体的にも、精神的にもダメージを受け、人生半ばにして、人生設計を大幅に変えざるを得ない場合も多々あります。
 生まれつき虚弱体質の人もいれば、健康な肉体を持ちながらも、色々なことが原因で体調を崩し、あっけなくこの世を去っていく人もいます。
 また、長く体調不良が続き、入退院の繰り返しで、いつも、いつも身体のことばかりが気になって、もちろん、医者と薬からは縁が切れなくてという人もいます。
 一病息災ということで、上手に病気と付き合ってという程度のものならば、まだまだ気楽なものです。ところが、死の宣告を受けた人は、そんな心の余裕などありません。
 あちらの医者、こちらの医者、あの治療、この治療、あの薬、この薬、最後は神頼みまでして、何としてでも病気というものをやっつけたいと思ってしまいます。
 世間では、病魔とか、闘病という言葉があるように、病気は、受け入れるものではなくて、闘って克服すべきものとなっています。そして、元の健康体とまではいかないまでも、何とか、何とかという思いは、最後まで捨て切れないかもしれません。死を静かに受け入れることは、なかなか難しいのではないでしょうか。
 懸命な治療は続けられますが、やがて、それもできることはし尽しましたという時期が来ます。
 あとは時間の問題です。最後はホスピスに入所して、延命よりも身体的苦痛、死の恐怖を和らげるということでしょうか。

 

 と、ここまで病気はマイナスのイメージだというところから、一般的なことを書きました。ここまで書いたものは、あくまで一般的なことです。
 ここからは、こういう現実を踏まえて、私の思いを少し語ってみます。

 

 肉体という形を指して、それがその人だとするところから病気という現象をとらえれば、病気はマイナスのイメージしかありません。そして、そういうところからは、死を静かに受け入れることなど絶対にできないし、当然、死の恐怖を和らげることもできません。
 肉体という形を指して、それがその人だとしている医療現場では、死んだら終わりなんです。彼らにとって、私達人間の身体は物体なんです。物体のある部分を切り取ったり、付け替えたりして、修繕して動けば成功、動かなければ失敗。
 もちろん、彼らは間違いなく、人間は死んだら終わりだと思っています。
 もし、仮に、医療に携わる人達が、この学びをして、自分の心の中を見つめ、母親に対する思いを見つめ、自分のエネルギーを心の中にしっかりと包んでいく作業をしてくれたならば、医療現場は、もっと、もっと目覚ましい発展を遂げるでしょう。
 私達人間の本当の姿は、肉体という物体ではなく、目に見えないエネルギーなのだと心で知った医師が、例えば、ここに存在するとしたならば、どうでしょうか。
 その医師からは、間違いなく喜びのエネルギーが流れています。
 だから、例えば、その医師が執刀をすれば、そこにすごいエネルギー、パワーが働くんです。その医師が持つ医療技術の何倍も、何十倍も、いいえ、比べることができない愛のエネルギーが手術中に起こり、本当に喜びで、喜びで肉体細胞を蘇らせていきます。そして、その温かな優しい波動は、患者の肉体細胞から患者の意識の世界に伝わります。
 もし、そのような医師が存在して、医療の場に立ち会っていたとするならば、その患者の身体は、本当に、瞬く間に回復していきます。私はそのことが信じられるのです。
 私達人間の本当の姿は、こうなんだという意識の転回をしていく医師がここに一人いれば、それは本当にすごいことです。医療の常識は完全に覆されるでしょう。
 そして、肉体的に病んでいる場合もそうですが、心の病を抱えている人達には、もっと顕著にそれが表れると思います。
 この場合、医師と患者の信頼関係の中でという条件がつきますが、意識の転回が捗っている精神科医が一言、「お母さんを思いなさい」と言えば、たちまち、喜びのエネルギーがその患者の意識の中に伝わっていくんです。何とも言えない柔らかな波動を感じたとき、その患者の様子がどのように変わっていくかです。元々、心が敏感な患者は、その波動をキャッチできるでしょう。もちろん、すべてがそう簡単にはいかないかもしれません。
 しかし、その医師と何度も、何度も接触をしてカウンセリングを受けるたびに、波動が流れていき、きっと短時間でいい方向に回復していきます。
 ただし、残念なことには、そのような意識の転回が捗っている精神科医は、おそらく皆無に近いと言っていいでしょう。
 まず医師から、ご自分の心を見ることを始めなければなりません。母の反省を通して、自分の心の闇を本当に知っていったとしたならば、もっと、もっと患者に寄り添えるような精神科医になられると思います。
 私は、医療技術云々というよりも、医療に携わっている人達の心の世界が、もう少し明るくなっていけば、医療現場は目覚ましく変わっていけると思うのです。本当の喜びとか温もりを知った人達が、自分達の今持っている医療技術を駆使して、本当の意味で治療に当たられたら、すごいだろうなあと思います。
 しかし、現実は、心を見るということを知らない人達が殆どです。
 医療現場で最前線に立っている人達も、死んでいく人達に死の恐怖を和らげるお話をする人達も、おそらく、自分達人間の本当の姿は何であるのかということが心で分かっておられないから、肉体を離したあとの世界など想像もできないというのが、本当のところだと思います。
 そのような人達に囲まれて、どんなに先進の医療技術を施されても、死の世界を説かれても、心穏やかに自分の人生を全うできるほど、私達が作ってきた心の世界は生易しいものではありません。
 それが心を見てこなかった人達には分からないんです。どんなに凄まじいエネルギーで生きてきたか。もし、そのエネルギーを、それぞれがそれぞれの心で本当に感じるチャンスを得たとしたならば、ああ、こんなすごいエネルギーを、私の肉体細胞は今の今まで受けてくれていたんだと、感じると思うのです。
 病気をして、例えば、身体を自由に動かすことができない状態になったとき、逆に自分の身体を思う時間、自分の肉体細胞に思いを寄せる時間が持てます。
 肉体的に様々な苦痛を伴う病状であっても、その病んで腐ってきている肉体細胞が、どんな思いを自分に伝えているか、そういうところに思いを向けられる人間、それが本来の私達人間の姿ではないでしょうか。
 「自分の本当の姿を見失って、忘れ去ってきた心の世界の醜さ、愚かさから目を背けずに、命の灯が消えるその瞬間まで、自分の肉体細胞とともにある喜びを感じていきましょう」と伝えてあげることが、死を間近にしている人に対する最大の優しさだと私は思うのです。

 

 そもそも、病気というのは、身体に変調を来す、あるいは心に変調を来すということです。
 そうしたとき、私達はまず病院へ行って、医師の診断を仰ぎます。検査を受ける場合もあるでしょう。そして、必要なときは手術ということになります。薬を投与されて、私達はできる限り回復を期待します。
 どれもこれも私達の外側から、その自分の現状を回復させるために施されるものです。
 病院に行くことも、手術を受けることも、薬を飲むことも、みんな具合が悪くなった身体、あるいは心を、外から元の状態に戻そうとする行動です。
 私は、身体などの具合が悪くなれば、もちろん、そういうことは試みて当然だと思っていますが、しかし、それにどうか留まらないでくださいということをお伝えしたいのです。
 というのは、病気という現象は、病気になった本人にとっても、その周りにいる人達にとっても、大きな、大きなチャンスだからです。
 どんなチャンスかと言えば、これまでに綴ってきましたように、自分達の心を見るという大きなチャンスなんです。
 私達は、ある日突然、病気それも大変な病気だという厳しい現実を突き付けられれば、ある時期、落ち込み、そして、嘆いて悲しむということはあるでしょう。色々と考えて、気持ちの整理がつきかねるといって、苦しみの日々は続くかもしれません。しかし、本当に苦しいのは、いつまでもそういうところから抜け出せない自分の心なのではないのでしょうか。
 私は、病気と闘って、病気を克服していこうとする思いは、決して立派な思いだとは思えません。むしろ、とても冷たいことだと思っています。そして、自分の苦しい心をひた隠しに押し殺して、自分の心の叫びに蓋をしたまま、病気の回復ばかりを願っていく苦しさに、目を向けていただきたいと思っています。

 

 今、現実に、肉体的にも、精神的にも苦しい状態の中にあって、その自分達を窮地に追いやっていると思っている病気を、自分達の中に受け入れていくことは確かに難しいことかもしれません。
 病気が自分達を窮地に追い詰めていると思っている間は、難しいです。まさに、病気というのはマイナスのイメージです。ダメージです。そこへ、さらに追い打ちをかけるように、薬攻めの処方が待ち構えています。色々な薬をあてがわれ、これでもか、これでもかと病んだ肉体細胞を攻撃していくのです。
 死滅、撲滅しようとするエネルギーを心から流し、そして、自分の肉体細胞と闘っている自分の姿を想像してみてください。
 助かりたいがために一生懸命することが、その片方では自分を殺していることに気付いていっていただきたいのです。
 治療を受けてはいけないとか、薬を飲んではいけないとかでなくて、治療を受けながら、そして、薬を飲みながら、なぜこういう状態になっているのかという原因を、自分の中に模索していきませんかということなんです。
 病気になるには、なるだけの原因があります。表向きには、不規則な生活、過重な労働、ストレスと様々な要因が重なってということですが、実は、そのもっと根本にあるものがあるんです。
 それは、そういう環境に身を置くようになった、そういう環境を作ってしまった自分の心の中の思いに原因があるんです。ただし、それは、心を見るということをし始めて、段々にそうだと納得することです。
 大抵は、病気になった原因など深く追及することはしないで、ただ元気な身体、元気な心を取り戻したいと、その一点張りです。
 しかし、病気の苦しさ、辛さだけを訴えるのではなくて、根本にある原因を自分の中に探していこうと思えたとき、きっとその時から何かが変わっていくと思います。いいえ、変わっていきます。
 毎日飲んでいた薬に対しても、毎日顔を合わせる医師や看護師、そして、看護してくれる家族の人に対しても、自分の流す思いが変わってくるのです。
 一言で言えば、優しい思いが流れ出していくのです。今まで自分の外にばかり向いていた心が、自分の中に向いていくということが、とても大切なことなんです。

 

 ところで、私は、自分の心を見る学びを始めて、約二十年の年月が経ちました。今、このように語っている私も、二十年くらい前までは、もちろん、肉体細胞に思いを向けるなんてことは、してこなかったです。肉体細胞の存在すら知らなかったと言ってもいいでしょう。
 そんな私でしたが、ようやく、肉体細胞は、いつもあなたに語っているんですよ、あなたにメッセージを伝えているんですよ、ということが感じられ、信じられるまでになりました。
 私は、今は、日々自分の肉体細胞に思いを向けながら、肉体細胞から伝わってくる思いに沿うような生活をしています。そして、一番大切なことは、外に向く習性のある心の針を、自分の中に向けるように心がけていることです。
 そうしたとき、本当に私の肉体細胞から、色々な思いが伝わってくるんです。思いが伝わるというのは、私が自分の肉体細胞に思いを向けたときに、心の中に、本当に優しい、限りない優しさと温もりが広がっていくということです。
 そして、その思いは、私がずっと、ずっと前から知っていた思いと同じ思いだったんです。いいえ、私だけではなくて、誰もがみんな知っているあの思いだったんです。
 あの思い……、あの思いです。
 思わせぶりな表現になってしまって申し訳ありません。
 しかし、どうぞ、あなたもご自分の心で感じてみてください。ご自分の心で体験してみてください。どうするのかという具体的なことは、次の章に譲るとして、次のような肉体細胞からの思いに、まず触れてみてください。

 

 ありがとうございます。ありがとうございます。
 私達肉体細胞は、ただひたすら、どの人の中にもあった喜び、温もりの世界を伝えています。
 私達肉体細胞の波動と同じ波動を流してくださいと、私達はすべての人に伝えています。しかし、私達に思いを向けてくれる優しい、優しい人は、あまりいません。
 自分の身体の調子がおかしくなったとき、肉体細胞に異変が生じたとき、自分の欲で、死にたくない、私は死にたくない、病気から私を救ってくださいという思いばかりが流れてきます。
 私達肉体細胞が病み腐っていけば、目の敵にしてやっつける思いだけが流れてきます。
 私達肉体細胞を切り取り、排除しても、心の中にある闇の部分を自分の中で知らない限り、どこまでも苦しみが続いていくことを知っている人は殆どいません。
 私達肉体細胞はそれを伝えたくて、色々な形でメッセージを送ります。それがいわゆる病という形で、その人の身体に現れていくんです。
 しかし、私達のこの思い、私達の喜びの思いを喜びとして受け入れてくれる人は、ほんの僅かです。
 みんな、みんな私達を邪魔者、厄介者として排除しようと、本当に目の敵として、私達を切り取り、切り捨てます。その冷たい心を見てくださいと、私達肉体細胞は伝えているのです。
 しかし、すべてが闇の中にあったところからは、私達肉体細胞のこの波動は、なかなか、なかなか受け入れてもらえませんでした。
 だから、私達はあなたに伝えます。
 私達肉体細胞の喜びを感じ、そして、ともに歩いていける喜びを感じ伝えてくれたあなたに伝えます。
 私達の存在をもっと、もっと伝えてください。
 あなたの心から流れる波動に乗せて、私達肉体細胞の思いを伝えてください。
 私達肉体細胞は、ただただ喜びを伝えているんです。苦しみを伝えているのではありません。
 気付いてくださいと喜びのメッセージを送っています。肉体細胞の思いを感じていってくださいと、あなたから伝えてください。


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3.自然治癒力をフルに発揮させるためには……

 ここまで、自然治癒力から連想する病気とか、病むということについて、「心を見る学び」のことを少し織り交ぜながら書き進めてきました。
 確かに、病気になったことで、その人なりに改めて色々、色々考えることもあり、気付いていけることもあるかもしれないけれど、私は、それよりも何よりも、病気という現象から、自分の肉体細胞の存在を、本当に心で感じられるようになっていただきたいという思いから、ページを割いてきました。
 自分の肉体細胞に心を向ける大切さ、優しさ、そういうものを忘れていませんかと、私は問いかけたかったのです。
 そして、もっとそこから、自分の心を開いていきませんか。
 心の苦しさ、辛さをただぶちまけるのではなくて、あるいは心の中に押し殺すのではなくて、もっと素直に、そして前向きに、自分と向き合っていきませんか、ということをお伝えしたいのです。
 病気を通して、肉体細胞の思いを受け取っていただきたい。そういう絶好のチャンスに巡り会っていることを感じていただきたいと思います。
 そして、それが現実に自分の心で感じることができたならば、あなたの心は、「病気よ、ありがとう、肉体細胞よ、ありがとう」と、自然に、本当に自然に叫ぶでしょう。
 やがて、その思いは、あなたの中で、マイナスだと思ってきた病気が、実はプラスだったという思いに変えていきます。
 そして、肉体細胞の流す波動と同じリズムの中で存在していける安らかさを感じながら、もう少し元気になるのもよし、もう少し時間をいただいて本当に穏やかな中で生涯を閉じていくのもよし、と本当に自然に思えるようになるのではないでしょうか。

 

 今、病床にある人も、元気に活動している人も、どうぞ、肉体細胞に優しい思いを向けて、日々を過ごしていきましょう。
 そうしていけば、もともとあった自然治癒力のパワーが増し、その人なりに、それぞれの状態の中で、肉体細胞が活性化していくと、私は思っています。このことをあなたは信じられますか。私は信じています。いいえ、必ずそうなっていくんです。

 

 それでは、肉体細胞に優しい思いを向けるには、どうすればいいのでしょうか。
 それには、まず、それぞれの心の中の醜さ、汚さ、愚かさ、凄まじさ、そういうエネルギーを自分の中に確認していくことから始めなければならないでしょう。自分の心の中に、そのようなエネルギーがたくさん、たくさん詰まっていることを、自ら知っていかなければならないのです。
 それが、一言で言うならば、自分の心を見る、自分の出すエネルギーを知るということです。
 特に、今、身体に、心に、何らかの支障がある人は、肉体細胞が、そのサインを送っているんです。肉体細胞は、あなたがあなた自身を壊し、痛め、傷つけてきたエネルギーを流してきた、また流していることを、あなたに訴えているんです。必死になって伝えてくれているんです。
 それは、あなたに本当のことを知ってほしいからです。あなたの中の本当の優しさと温もりを知ってほしいからです。
 肉体細胞の優しさです。その肉体細胞の思いに触れてくださいと、私は語らせていただいています。触れられる、感じられる、そんな優しい、優しいあなたになってくださいということなんです。

 

 実は、あなたの中にたくさんの苦しくて暗いエネルギーがあることを、真っ直ぐに教えてくれた一番身近な人は、あなたを産んでくださったお母さんでした。
 どなたも、自分の母親に使ってきた心は、それは、それはすごい心なんです。自分を産んでくれた母親に対して、日々どんな心を使ってきたか、使っているか、母親との日常生活の中で、その心、その思いを自分の中で見つめていく作業、それを私達は「母の反省」と言っていますが、その「母の反省」こそ、本当はどなたもみんなやるべきことなんです。
 ただし、そんなことを言ってみても、今の世の中では殆ど通用しません。何でお母さんの反省なのかと一蹴されるだけです。
 しかし、これは、やっていけば分かります。いかに、自分はすごいエネルギーを流してきたかが心で分かります。そして、母親に使ってきた心、流してきたすごいエネルギーを知っていけばいくほど、自分の愚かさに心から詫びていける自分と出会えるのです。それが本来の私達なんだということが分かってきます。

 

 私達は、数え切れない転生の中で、数え切れない肉体をいただいてきました。そのたびに、母のお腹の中で、本当の温もり、本当の優しさに触れてきた私達なんです。そして、私達はお母さんのお腹の中で約束してきたんです。
 「今度こそ、今度こそ、本当の自分を知っていきます。知っていく生き方をしていきます。」
 しかし、私達は、その約束を、過去すべて反故にしてきました。私達は、自らを裏切ってきました。自分との約束、母との約束をすっかりと忘れてしまうんです。生まれて成長していく時間とともに忘れ去ってしまう私達でした。
 そして、母のお腹の中で触れていた波動の世界、優しさ、温もり、喜びの世界を忘れ去って大人になっていった私達に、肉体細胞は、あなたが知っている波動の世界を思い出しなさいと、伝えてくれているというわけです。
 だから、病気になってよかったんです。もちろん、病気という現象だけではなくて、間違った方向に暴走していく自分にブレーキをかけて、自分を振り返る時間を用意する、それがどんな形であっても、そういう中に自分を誘っていくということは、自分自身に対する限りない優しさなんです。
 ただし、これは、繰り返しのようになりますが、自分の心を見る、特に一番は、母親に使ってきた心を見て、自分の流してきた思い、エネルギーのすごさを知っていくことなくしては、到底理解できないことだと思います。
 しかし、それをやっていくうちに、肉体細胞とともにある今を喜ぶとか、肉体細胞の思いに沿って生活をしていくとか、そういうことが自分の中で自然にできてくるんです。
 具体的に言えば、暴飲暴食はやめよう。しっかりと食事を摂って、しっかりと睡眠時間を取っていこう。早寝早起きをして生活のリズムを整えよう。しかめっ面をして、怖い顔をして、不満や愚痴や文句ばかり言っている自分とはさようならをしよう。いつも、いつも心の底から笑える自分になりたいなあ……などなどです。
 それは、誰に言われなくても、そして、強制されなくても、本当に自然にそうなってくるし、そう思えてくるんです。
 あなたはそう思いませんか。
 身体が元気になってくれば、心も元気になってくるし、心が前向きになってくれば、身体を本当に厭う優しさが自然に出てきます。
 そして、身体も心も元気に前向きになって、本当の私達の仕事に取り掛かりませんか。
 あなたが本当にその気になれば、自然治癒力があなたの中でモリモリ働いてくれます。
 ああ、やっと、私達といっしょに心を合わせて生きていってくれるんだなあと、肉体細胞も大喜びするでしょう。
 私は、そういう肉体細胞とか、自然治癒力の思いを心に感じられるから、一人でも多くの人が、本当の人生の時間というものを刻んでほしい、そして、自分の中に本当の喜びと温もりがあって、そんな世界が自分の世界だったんだと、心から知っていけばいいなあと思っています。
 なぜ私達は生まれてきたのか。何をするために生まれてきたのか。
 「自分を大切に、命を大切に」とよく言われるが、その自分とはどんな自分なんだろうか。
 命を粗末にするのはよくないことだと分かっているが、それでは、本当に私達は自分の命を大切にしているだろうか。もしかしたら、粗末に扱っているのではないだろうか。
 そういうことを、いつも心のどこかに留め置いて、日々、時間を刻んでいくことは、大切なことだと思います。
 そして、私はなぜ生まれてきたのか。何をするために、ここにこうして存在しているのか。このことに自分の中で答えを引き出せたら、自分を大切にすることがどういうことなのか、どうすれば本当に自分を大切にしていると言えるのかが、自ずと分かってくると思うんです。言うまでもなく、そういう人は、命を大切にしていくでしょう。

 

 自分のことは自分が一番よく知っていると一般的に言われていますが、殆どの人は自分のことを全く知らないと言ってもいいでしょう。
 それは、目に見える姿、形を指して、自分だと思っている人が殆どだからです。
 住所、氏名、年齢、性別、出身地、身長、体重、職歴、家族構成、趣味、将来の夢と目標などを語る一人の人間を指して、これが私ですというのは余りにも常識的です。
 それでは、こんなのはどうでしょうか。
 今、語った一人の人間の中に、無数の自分が存在している、無数の自分が、今一つの肉体という形を窓口にしている、こういうのは超常識の世界でしょうか。
 私は、超常識だとは思っていません。むしろ、そういうふうに自分をとらえていけるというのは、何とも楽しいことではないでしょうか。

 「一つの肉体を通して、様々な映像が入ってくる。様々な音が入ってくる。様々な触感がある。そして、そのたびに自分の心から色々な思いが飛び出してくる。その思いが、一つの肉体をして、怒らせたり、笑わせたり、泣かせたり、喜ばせたりさせていく。
 もしかしたら、自分は操り人形かもしれない。だけど操り人形だったら、一体、誰に操られているのか。ひょっとしたら自分を自分で操っているのか。そう言えば、自分の中に、無数の自分が存在しているとか何とか聞いたことがある。一体どんな自分がいるんだ。どれが本当の自分なんだ。それとも、全部偽物なのか。そんなバカな。だけど、今まで自分だと思ってきた自分が偽物だったら、本当の自分はどこにいるんだ。本当の自分を知っていくにはどうすればいいんだ。」

 

 例えば、こんな思考回路を経ながらも、自分が生まれてきた本当の意味を知っていくことができたなら、いいと思いませんか。
 自分の本当の仕事はこれなんだと知って、その仕事に取り組もうとする人は、徒や疎かに自分を粗末にしません。自分の命も人の命も粗末にしません。
 生まれてきたことを本当に喜べるからです。今という時がいかに大切な時であるか、心に感じられるからです。そして、自分自身がそうだから、あの人も、この人も同じなのだと思えるのです。
生まれてきたことを本当に心から喜んでいったとき、その喜びの思いは、さらに、自分の心を見る作業にエネルギーを注いでいこうという思いになってきます。
 自分をこの世に出してくれた母という一人の人間に対して、果たして自分はどんな心を使ってきたか。ここが非常に大きなポイントだと、自分の心は伝えてくるのです。

 

 「産んでくれたことも、育ててくれたことも、さほどのことには思ってこなかった。少しは感謝してきたが、自分を産んでくれと願い出た憶えもないし、子供を育てるのは親の義務程度にしか考えたことがない。」
 こんな思いの人は案外多いかもしれません。良し悪し云々は抜きにして、まず「母の反省」をお始めになることをお勧めします。

 

 母の温もりを知らない人なんて、この世に存在しないのです。分からない人なんて、本当はこの世に存在しないのです。
 ただ、忘れ去っただけです。心の奥底の底に詰め込んだままなんです。そのままの状態で生まれてきて、そして、死んでいった自分を、いいえ、自分達を知っていきましょう。
 本当の自分を知りたいと言いながら、本当の自分に徹底抗戦してきた自分達だったことを知っていきましょう。
 愚かで哀れで矛盾だらけの自分達だったことに気付いていきましょう。
 肉体細胞は、それに惜しみなく協力してくれます。最後の最後まで、あなたの絶対的な協力者だということを信じて、あなたの中の自然治癒力、プラスのエネルギー、そして、それは母の温もりだということを知っていきましょう。
 温もりも喜びも自分の中にあるんです。自分を癒していく力が自分の中にあるんです。それを一言で言うならば、自然治癒力なんです。
 あなたの中にある自然治癒力は、本来の働きをしたいと、その出番を待っています。あなたがあなたの心を見ることによって、その自然治癒力の思いと出会ってください。
 そして、自然治癒力は、ただ単にあなたを元気にしていくだけのものではありません。本当のあなた自身を心に蘇らせる喜びのエネルギーなんです。
 そのところをあなたの心で感じ知っていけるようになっていただければ、嬉しいです。
 ただし、それについては、心を見るという作業が、どうしても必要となってきます。
 そうです。自然治癒力の世界を本当に心で分かっていくためには、自分の心を見る作業を、丹念にしていく必要があるのです。
 その作業を通して、自分を知っていくほどに、自然治癒力の世界、つまり、本当の喜びのエネルギー、その世界の素晴らしさを感じていけるのです。

 

 私は、私達に心を見ることを教えてくださった田池留吉氏との出会いにより、今、幸せな時間を過ごさせていただいています。
 これもひとえに、心を見ることがすべてだと教えてくれた田池留吉氏のお蔭です。
 その言葉通り、心を見て、自分の出してきたエネルギーを感じてきた私は、長年の自分の中の疑問、「本当のこととは何か、真実とは何か、真実とはどこにあるのか」といった疑問に対して、ようやく、自分の中で答えを見つけることができたのです。
 もちろん、自然治癒力は、喜びのエネルギーであり、私達の肉体細胞はおろか、すべてを生かす喜びのエネルギーであると、私の意識の世界はとらえています。
 そのような意識の世界を背景にして、今、ここにこうして肉体を持たせていただいていることを、私は、本当に喜んでいます。
 だからこそ、私は、心を見るということは、すべての人がやっていかなければならないことだと、分かっていただきたいと思っています。
 みんなが幸せになるためには、私達みんなが自分の心を見ることを始めなければならないと、本書を通して強く訴えたいです。

 

 そこで、次の章では、心を見ることを中心に書かせていただくことにします。
 心を見ることは、非常に大切なことであると同時に、なかなか難しいことです。
 難しいけれどやるしかありません。そして、やっていけば分かります。
 大切なことも、これをするために生まれてきたことも、もちろん難しいことも、そして、なぜ難しいのかということも分かってきます。


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