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仮面の街

街灯の下の方で、4人ばかりの男どもが立っています。

薫がそばを通ると、それまでてんでな方向を見ていた男どもは、一斉にこちらに顔を向けました。ですが、その頭には顔がなく、仮面が付けられていたのです。

薫はどきりとして、あたふたしながら、男どもの傍を通り抜けようとしました。

仮面には眼も口もありませんでした。ですが薫は彼らが薫を穴があくほど見つめているのが分かりました。

男どもは話もしなければ身動きさえもしませんでしたが、それが却って薫の心臓を絞るのです。

一時間もかかったように感じられましたが、その実、ほんの数分のことには違いはないのです。

ようやく街灯を通り過ぎると、道は真っ暗になりました。というよりも、そもそもそこには道さえないのです。ただ淡い闇が、どんよりした倉庫のように広がっているばかりなのでした。

そしてその闇の向こう側には、薫の顔を剥がしてずらそうとする悪寒ばかりが広がっているのです。

そこに至って、薫は自分が最涯の街に来たことを思い出したのでした。自分の言葉も身体も通じなくなりつつある最涯の街に来たことを、はじめて思い出したのでした。

宝玉浴

気がつくと薫は沈み込んでいるのです。

深い宝玉のなかを、静かに、ですが確実に沈み込んでいるのです。

薫のスカートは上のほうにたなびき、髪の毛も上へ上へと伸ばされていきました。

髪の毛に絡めていたヘアピンも、すっかりほどけて流れて行きました。

なぜどうしてこの宝石を沈み込んでいるのか、薫には思い出せませんでした。

いつ沈み込んだのかもはっきりしません。ほんの5分前のような気もしますし、5日前のことのような気もしました。

石のなかは暖かで、遠い日暮れにおいて来た筆箱や、幼いころに譲り渡したままごとセットなどが、岩壁にしまいこまれていたりして、それを手に取っては戻しながら沈み落ちるので、そう退屈はしていないのです。

そして沈みこみつつ、ゆるやかに世界の中心に向かっていることが、薫には確かに感じられたのです。

ですから最早行きつく先がどこなのか、自分はどうしてここに落ち込んだのか、もうどうでも良いことなのでした。

良いはずなのに、水がゆらぐたびに薫は震えるのです。そして誰かが語りかけてくるような、そんな切ないそよぎに瞳を奪われるのです。

地の虹

地下鉄の帰り道、薫はエスカレーターを降りていました。

下に下に降りていました。


とても長いエスカレーターで、先などかすんで見えません。


振り返ると乗ってきた入り口は幽かに見えてましたが、すぐにそれも見えなくなりました。


あんまり長いので、薫はスカートのすそを伸ばして鉄段に座りました。


まわりの壁には、最初は化粧品だのパチンコ屋だのの広告が鈍く光っていました。触ると指にはうっすらと埃が付いて、埃が取れた部分はきらきらと輝き始めるのですが、すぐに後ろの方へと流れてしまい、やがて剥き出しの煉瓦塀だけが延々と続くようになるのです。


さらに降りると灯りさえも途切れ途切れになり、薄ぼんやりした中を、薫はただただ流されていくのでした。


少し怖くなった薫は立ち上がってだんだんと降りてみるのですが、いつまで降りても同じ光景が続くので、やがてくたびれてまた座り込むのでした。


しばらくいくと、昇りエスカレーターの上に誰か乗っているのに気がつきました。最初はやけにのっぺりした顔の男だと思いましたが、近付いて来ると、それは目も口もない仮面をかぶった男でした。


薫は勇気を出して聞きました。


「あの・・このエスカレーターはどこに行くんでしょう?」


男の口?からは、トロンボーンのような声が漏れました。それは人間の声というよりは、大きな獣の唸り声のようで、恐ろしいようで悲しいような、それでいていつまでも聴いていたいような声でしたが、すぐに昇りエスカレーターは男を連れて行ってしまいました。


しかしすぐにまた別の男が昇ってきて、やはり同じように薫に語りかけては去っていきました。


男の数は次第に増えてきて、じきに隣のエスカレーターは仮面をつけた男どもの、深く太い声でいっぱいになりました。


気がつくと、その奇妙なコーラスのうえに、ありありと極彩色な虹が立ち上がっていました。


それは虹にしてはあまりに鮮やかで、地下の真っ暗闇に、王冠にようにそそり立っていました。


虹の光に薫はなぜだか不安になりました。そして指についた埃を取ろうと、いつまでもハンカチで指をこすり続けていたのです。

泣く女

道端で女のひとが泣いているのです。

ガードレールによりかかって、アスファルトの上にぺたんと座り込み、こどものように膝をかかえて泣きじゃくっているのです。

その足ははだしです。薄汚れた足裏です。

男のひとが彼女を引き上げようとしているのですが、そのたびに女のひとはいやいやしながら、地べたにへばりつくのです。

たまりかねた男は無理やり引きずって行こうとしますが、女はガードレールにしろい手足を絡ませて、懸命に泣きじゃくるのです。

そばを何台もの車が通り過ぎて行きます。熱い排気ガスがアスファルトにこぼれます。

そのガスのなかで、初夏の空気はぎりぎりまで引き伸ばされていきます。おののくような、切ない苦しみがながれます。恐ろしいほど暗い真昼です。

サルビア・キッス

そのまやかしのように紅い色に誘われて、薫はつい口をつけてみました。一瞬、サルビアの甘いような、みずみずしさが舌先を貫きました。どこかのプールで浮かび上がるように、遠い夏の記憶がよみがえります。


好奇心に駆られてキスをした、そのキスの甘さ。驚いた同級生の瞳と、その胸の震え。薫はひりつくような太陽の背丈を感じていました。その汗ばんだ素肌を抱きしめようとして、薫の手が触れたのは、サルビアでした。


房なりに生ったサルビアの淡い花花を、薫の手はするりと抜けていったのです。そのとき、いつか置き忘れていた日々が、戻ってきました。偽りの虹が燃え尽きようとしています。その遠い日々を沈み込みながら、いつしか薫は石になりました。


石は甘いようでいて、よくよく噛んでみると、やはり苦いのでした。吐き出した石の欠片には、紅い花弁が混じっていました。振りむけば、路なりに並んで咲いたサルビアの列だけなのです。そこにいたはずの薫は、もう影しか見えません。



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