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5月31日のおはなし「ある秋の晴れた午前、コネチカットの原っぱで」

 スミソニアン博物館と言うと通りがいいのでスミソニアン博物館に勤めていることになっているが、実際には私の勤務先はワシントンD.C.にはないし、もっぱら自宅とその周辺のフィールドで働いている。私が所属しているのは厳密にはスミソニアン・インスティテュートに属する研究機関の植物学研究部門の一プロジェクトで、その主たる目標は子どもたちに植物学の魅力を伝える教育プログラムの開発である。

 多くの人は、他の博物館と同様に、スミソニアン博物館という建物がワシントンD.C.のどこかに一棟見つかると考えていることだろう。無論それは間違いではない。でも合ってもいない。ジェファーソン・ドライブにある協会本部のビルは確かにスミソニアン博物館と呼んで差し支えないだろう。でもそれだけではないのだ。

 月の石が展示されている「航空宇宙博物館」もスミソニアン博物館だ。モネの「日傘をさす女」を所蔵している「ナショナル・ギャラリー」もスミソニアン博物館だ。歴代の全ての大統領にまつわる展示品が人気を集める「国立アメリカ歴史博物館」もスミソニアン博物館だ。映画『ナイト・ミュージアム』にも登場した「国立自然史博物館」もスミソニアン博物館だ。ここには恐竜の骨の展示や、呪いの伝説で有名なホープダイヤモンドなんかがある。それぞれ、アフリカ、中近東、東洋をテーマにした三つの博物館もみんなスミソニアン博物館だ。それどころか、もっと言うと、ニューヨークにある「国立デザイン博物館」だって、スミソニアン博物館だ。

 驚いただろうか? 確かに、一棟の建物を思い浮かべていた人からすると訳が分からないかもしれない。説明する方も面倒くさくて仕方がない。とはいえ、現在国立スミソニアン博物館といえば、これら十九の博物館と研究センターを合わせた複合体をさすことになる、らしい。もっとも、私が勤め始めた頃はそんなに複雑ではなかった。いま本部の管理局とインフォメーションセンターが入っているビルだけがスミソニアン博物館だった。シンプルで、とてもわかりやすかった。当たり前のことだが。

 そのスミソニアン博物館は、ワシントンD.C.で初めて子ども専用の部屋を設けたということもあり、子どもたち向けプログラムの充実は私たちの誇らしい伝統だ。今の私は一度リタイアしたシニアスタッフということで半分ボランティア扱いだが、それなりの発言権と裁量をまかされている。なにしろ半世紀もここで過ごしてきたのだ。今となってはぶくぶくに肥大してとらえどころのなくなった、これらの博物館群および教育研究機関複合体の変遷を眺めてきたのだし、本家本元のスミソニアン博物館を知る数少ない生き残りでもある。

 現在、私はめちゃくちゃにクールなiPadアプリをつくっている。植物のことならなんでもわかるアプリだ。花でも葉でも実でも幹でも好きな部分を撮影するとたちどころにそれが何という植物で、どんな虫や動物の好物で、どんな環境を好んでいて(逆にどんな環境が苦手で)、といった博物館的な知識が得られるのはもちろんのこと、同じ植物を記録した植物ファンの仲間がアメリカの、あるいは世界のどこで撮影して、そこはどんな環境でどんな人が暮らしているのかがわかる。もしもそうしたければ、お互いに簡単な情報交換もできる。

 これは本当にスゴいアプリで、たとえ自分が撮影した植物が同定できなかったとしても、そのうち世界の誰かが同じ植物を撮影し、その土地の名前を登録してくれれば、おのずと答が分かるようになる。仮に英語の植物図鑑にはまだ記載されていない植物であっても、アプリ上ではそれが何なのか、人類全体の知識としてわかるようになるのだ。例えばこれがあれば、あの糞ったれな戦争の真っ最中、1963年から69年にかけて私がベトナムで見つけた無数の珍しい植物について大量の記録を取ることだってできたはずだ。

 ええっと。

 もちろん、その時代にはiPadもなかったし、インターネットもなかった。失礼。このアプリがあれば、というのは言い過ぎだ。でもまあ言いたいことはわかってもらえると思う。そういうことなのだ。iPadを持っていれば━━いま隣でジェロームがGPS機能付きと言うべきだし、iPad2以降と書き添えるべきだと注釈を加えてきた。GPS機能がなければ場所を特定できず、“2”以降でなければカメラがついていないらしい━━GPS機能付きのiPad2以降の新しいiPadを持っていれば(やれやれ)、そしてこのアプリをインストールしていれば、誰がどこでどんな植物と遭遇したのかが人類規模で共有される。言ってみれば世界規模の植物調査隊が結成されたも同然なのだ。すごいだろう?

 私はこれを使って、子どもたちと一緒に野原に出かける教育プログラムを立ち上げた。コネチカット州の子どもたちと一緒に。ジェロームとアヴリルは私をサポートしてくれるスタッフだ。ふたりともとても若い。三十歳にもなっていない。私の半分以下の年齢だ。私たちは、よく晴れた秋の日の午前、集まった子どもたちにひととおりゲームのやり方を解説する。あとは子どもたちがてんでに散らばって、好きなように植物探検するのを見守るだけだ。

 牧羊犬の役割は若い二人に任せて、私は原っぱを歩き回りながら自分でも写真を撮り、ときどきは子どもたちとおしゃべりをする。冬が近いはずなのに暖かな日差しのもと、たっぷり敷き詰められた落ち葉を踏みしめながら。子どもたちが悲鳴とも歓声ともつかぬ声を上げる。「なんだこりゃ!」そして笑い声と「何? どうしたの?」という声が続く。私はすかさず傍らのアヴリルに言う。あれだよあれ。あの、なんだこりゃ!こそが、科学する心の一番肝心な所なんだ。

 iPadにメールが入る。見てみるとそこには日本語で「アプリ新企画(案)」と件名が書かれている。日本語だって? どうしてそんなものが私に読めるんだ? 
「なんだこりゃ! 前世の記憶か? いや、違うか」
 そして私は目を覚ます。もちろん、言うまでもなく私は日本人で、アプリ開発のプランナーで、いま見た夢の何もかもが訳が分からない。スミソニアン博物館がたくさんあるって? なんだそりゃ!

(「前世の記憶」ordered by akikumi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

新作スタート。お題募集中。

2011年10月1日。
Sudden Fiction Projectの新作発表が始まりました。

1日1篇ペースをめざしていますが、これはどうなるかわかりません。
毎日、その日のお題を見て、いきなり書き始めていきなり書き終わる。
即興的に書くSudden Fictionをこれからお楽しみください。

お題募集中です。
急募!お題」のコメント欄で受け付けています。
どなたでも気軽にご注文ください。初めての人、大歓迎です。

(お題の管理上、TwitterやFacebookでは見逃しがちなので、
 どうか上記コメント欄をご利用ください)

それではこれからしばらく新作のシーズンをお楽しみください。

※発表済みの作品をご覧になりたい方は
 をご活用ください。

奥付



ある秋の晴れた午前、コネチカットの原っぱで


http://p.booklog.jp/book/38226


著者 : hirotakashina
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/hirotakashina/profile


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公開中のSudden Fiction Project作品一覧

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運営会社:株式会社paperboy&co.



この本の内容は以上です。


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