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◆本人訴訟と本人手続

 日本は訴訟社会になりつつあると言う。アメリカがそうである。すぐ訴訟をやる。
 
「アメリカは良くないわね。訴訟が多すぎる。そしてお金を取る。つまらない離婚の慰謝料でも多すぎるわ。
 億単位の判決が出たりするじゃない。バカみたい。あたしが貰うんならいいけどな」
「しかし奥さん。アメリカの大文化、西部劇がそうじゃないですか」
 
 そう。西部劇は初めはインディアンが敵の役目だ。ジョン・フォード監督の名作「駅馬車」がそうだ。撃ち合いだ。
主演俳優はジョン・ウエインか。懐かしい。
インディアンのアイディアが尽きると、次はならず者と保安官。いずれも撃ち合いで解決する。
今度のは、遠くからポっポっポと汽車がやって来る。だいぶ時代が変わったな。
ゲーリー・クーパーとグレイス・ケリーか。その撃ち合いが、今では訴訟に変わっただけだ。
昔のアメリカは全部が田舎だ。勝ち負けは本人次第だ。昔も今も、時代が変わっても同じだ。
社会成立の歴史も違い伝統も異なるが、訴訟社会がそれだ。
 
 ここで一つ、難しい話をして差し上げよう。
日本の民事法はローマ法とゲルマン法の伝統を引いている。特にローマ法が主流だ。
ローマ法はナポレオン民法ーフランス法となり、明治初年に訳され、日本の訴訟には日本法の骨子となった。
しかし第2次大戦の敗北によりアメリカ法も受継されたから、その参照も必要である。
日本も訴訟社会になりつつある、ということは、日本も社会が変化してきたのだ。排撃はできない。
「素人が訴訟をやる。なに、勝てばいいんだ」これを本人訴訟という。
 
 英語でオペレーションと言えば、法廷用語では訴訟である。医学では手術のことである。
軍事用語では作戦のことだ。ともに玄人がやるのが常識である。しかし本人がやって悪いと言うことはない。
ナポレオンは本人がやって皇帝になった。
 
 訴訟は本人がやるか、そうでなかったら弁護士を代理人にするのが、民事訴訟法の基本的な制度である。
ただし簡易裁判所では例外がある。

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