閉じる


炎上のブログ

 最新の情報には鋭いが、学校内の情報はなかなか手に入らない。

 情報の授業を受け持つ橋本恭也にはそういう欠点があった。

 授業は十分前に必ず終わる。テストはちゃんと範囲を指定してそれ以外からは、ほとんど出題しない。生徒に答えさせるときは、平等に扱う。これらのことを守っていたから生徒にはそこそこ好かれている先生である。

 しかし、他の教師からはあまり快く思われてはいない。生徒から良く思われることが先生にとって良いことではないからである。十分前に終わる授業は、さぼっているとみなされることもあるし、範囲外からはでないテストというのも伸びる生徒の芽を摘んでいるとなじられる。できる生徒とできない生徒を平等に扱うことは、できる生徒にとって不平等なことだと、諭されることもある。

 恭也が生徒よりの先生であるのは、恭也自身がまだ若く、高校生だった頃の気持ちを嫌と言うほど覚えているからだ。年をとるにつれて、長いものに巻かれて、ゆくゆくはそんな気持ちを忘れてしまえる日が来るのを心待ちにしている。でも、今は無理だ。今はまだ忘れように忘れようがない。

最近、あのころの恭也を彷彿とさせる炎上がツイッターやミクシーで相次いでいる。しかもそれらは、実名や出身地などの個人情報付きだ。だから、授業の説明を兼ねつつ恭也はプリントを作成した。印刷をしていると、隣の席の筧明菜も印刷するプリントがあるらしい。恭也の隣で待っている。

「ども。もう終わります」

「何のプリントですか?」

 ツイッター、ミクシーの文字が筧さんの興味を惹いたようだ。恭也は原版を渡した。データはもう印刷機に読み込んである。ふむふむと筧さんは原版を眺める。

 恭也はその当時の事を思い出していた。

 

 恭也の高校生のときのブログは、今もそこにある。記念すべき最初の投稿は、こんなかんじだった。ブログ名は『キョーヤのひとりごと』

【人の心の中に土足で上がり込んでくる奴が嫌いだった。だけど、最近、土足は、まだましだと知った。スパイクとか履いてくる奴がいる。一歩歩くごとに棘が刺さる刺さる刺さる。竹馬に乗ってくる奴もいる。バランスを崩しかけて重心を調整するときにとても痛い。あと雨が降った日に長靴履いたまま上がり込んでくる奴ってなんなのあれ。びっちゃびちゃで本当に気持ち悪いんですけど。それから靴は脱ぐけれど、臭っい靴下とか穴のあいた靴下とか裸足とかで上がってくるのも、やめてほしい】

【僕の心はとても狭くて、たぶん、三ミリ平方メートルくらいしか面積がないのだろう。足の踏み場もないから、スパイクとか竹馬で上がり込まれることもない。とにかく今の僕は、そうだろう?】

 

 これを見ると、あのころの自分を殺したくなる。タイムマシンがあったら迷わずに過去に戻ってタイムパラドクスがどうのこうの考える間もなく、自分を殺しに行くだろう。

 若気の至り。

 それだけでは弁解のしようがないほど、あのころの自分は痛かった。それでも消さないで置いてあるのは、その最初の投稿から一年ほどが経過した頃、恭也のブログが炎上したからだ。

 きっかけはささいなことだった。

 嫌いな芸能人がテレビでほぼ毎日、恭也の気に食わないことをべらべらべらべら話していた。虫唾が走った。テレビを消した。それでも嫌悪感は収まらず、ブログにどこがどう嫌いなのかを書きつづった。

【あいつ、今日もテレビに出ていやがった。ほんっとーにうっぜー。消えてくんねえかな。まじで。だってさ、あいつがでてくると、むさ苦しいていうか暑苦しい? そこはかとない存在感? 何自分で言っちゃんてんのー。もうまじだせぇ。俺、あいつがテレビでてるなら一生テレビ見れねー】

 

深夜、その投稿のコメント欄は見事に燃え上がった。

 恭也がどれほど嫌いな芸能人であっても、一定のファンはいるものだ。その中でも特に熱心なファンの目に止まったらしい。

 そのファンの考え付く限りの罵詈雑言が並べ立てられていた。

【はぁ? てめーが死ねよ。まじお前が死ね。てめーはあの方がどれほど努力して笑いをとっているのか知らねえんだよ、この青二才。一回自伝本読んでみろ。泣くぞ。社会に出たことのない餓鬼が偉そうな口を叩くんじゃねえ。テレビは、二度と見るな】

 

その言葉に傷ついたが、やはり大嫌いな芸能人である。引き下がれなかった。恭也と同じようにその芸能人を嫌っている人も多く、味方もたくさんいた。

 一週間の泥試合。泥沼だった。あとから振りかえって見てみると、本当に時間の無駄、青春の浪費だったと改めて思う。

 幸い恭也はブログに目立った個人情報を載せていなかったため、家を特定されることも個人を特定されることもなかった。もし、本名を載せていたらと思うとぞっとする。その頃は、ブログが流行りだしたころで今のように実名で発言するというよりはハンドルネームで投稿することの方が多かった。命拾いをした。特に熱心なファンが恭也の家を突き止めて、恭也を殺しかねない勢いだったからだ。またその熱心なファンが法的なことを匂わせなかったことも幸運だったといえる。誹謗中傷や侮辱で芸能人本人から訴えられる可能性だってゼロではなかったのだ。結局、恭也はお詫びの文章を載せた。不本意ではあったが、自分にも非があることは確かだったし、このままずるずると言い合いをしても無意味だと一週間経過して気がついたからだ。

 今もそのブログに訪れると、お詫びの文章がトップページに出てくる。そのお詫びを最後に恭也は更新をやめた。面倒くさくなったというよりは、受験で忙しくなったからブログを書いている暇さえなくなったのである。


 しばらくして読み終えた筧さんが、恭也に尋ねた。

「これ、ほんとに橋本先生が書いたんですか?」

「はい、まあ」

「なんか厳しいですね。普段の橋本先生から、こんなこと言うなんて想像できません」

「いえ、まあ」

「らしくないですよ」

「ええ、まあ」

 そりゃそうだろ、と恭也は思った。このプリントの読まなくていいと書いた下の部分は生徒たちに向けて書いたものではない。なぜなら、その言葉は怖いもの知らずでただ突っ走ることしかできないくせに誰かれ構わず攻撃的な高校生の頃の自分に向けて書いたものだったからだ。別にわざわざ話すつもりなどなかったが、つい言葉が口を出る。何故か筧さんには話しても良い気がした。

「実は、これは生徒に向けてというより、昔の僕に向けてかいたものなんです。あのときに戻れるのなら、僕は殴りつけてでもやめさせますよ」

「橋本先生にもそんな頃があったんですね。まぁ、私もですけど」

 え? 筧さんにもそんな過去が? 恭也は驚いた。筧さんは恭也よりも年下の社会の教師である。わりと美人であるが、歯に着せぬもの言いをするため、恭也と同様年配の教師たちからは少し距離を置かれている。恭也は少し好意をもっていたが、態度には現れない。

「そんなに驚くことですか? 誰にだってそういう時期ってありますよね。でも、高校の教師をやっていて、毎日そういう時期の子たちを見てるとつい思い出しちゃいません? 私は、もう過去の黒い歴史を忘れようと思うけれど、やっぱり駄目で」

 しゅん、となった筧さんはとんでもないことを言いだした。

「私は、ブログとかツイッターとかやってないんで、炎上はしないんですけど。でもね、昔、炎上させてしまったことがあったの。ブログの名前は忘れたけれど、なんだか根暗な感じの人のブログで。別に根暗なことが悪いとは思わないんだけど、ただどうしても許せなかったのは、私が大好きだった芸人を侮辱していたの。それはもう悔しくてね。何とかして発言を撤回させたんだけど、今となっては青かったと思うの。とても酷い言葉を吐いたりして。まだ中学生だったし」

 お前だったのかよ。恭也は内心驚愕しながらも冷静な顔で言った。

「へぇぇ。あきにゃんは明菜からのハンドルネームですか。僕は、キョーヤでしたよ」


奥付



炎上のブログ


http://p.booklog.jp/book/33270


著者 : 都 恵司
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/123miki/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/33270

ブクログのパブー本棚へ入れる
http://booklog.jp/puboo/book/33270



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.



この本の内容は以上です。


読者登録

都 恵司さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について