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はじめに

 二〇〇七年に、本書の初版発刊以来、三年の月日が経ちました。
 今年五月に、『意識の流れ』の増補改訂版(新刊)が発刊されましたこともあり、このたび、『続 意識の流れ』の改訂版を塩川香世さんと私の共著で、出版させていただくことになりました。
 本書は、真実の世界をあなたの心で知っていくための手順を簡潔にまとめています。つまり、正しい瞑想をするにあたっての実践本です。
 従って、まずは、『意識の流れ』をしっかりと読んでいただくことをお勧めします。その上で、私もやってみよう、真摯《しんし》に真剣に自分の人生を振り返り、自分と向き合っていこうと思われたならば、本書に沿って、ご自身の実践をお願いしたいと思います。
 私達の学びは実践あるのみです。自分自身の心の体験を通して、自分の心で分かってこなければならないのです。
 また、心で分かるために、今のあなたがあり、あなたの人生があることを、私達はお伝えしています。
 『意識の流れ』と本書に、私達がお伝えしたいことは、すべて網羅《もうら》しています。どうぞ、この二冊を繰り返し読んでいただければと思います。私達がお伝えしたいこととは何か、ポイントを外さずに読んでいただければ幸いです。
 そして、余力のある人は、直近(二〇一〇年十月)発刊、塩川香世著『その人、田池留吉』を、ぜひ読んでみてください。
 そうすれば、『意識の流れ』と本書の内容が、より身近に感じられると思います。
   
 さて、前置きはこのくらいにしまして、本題に入っていきたいと思います。
  
 先に申し上げましたように、『意識の流れ』に、私が申し上げたいことは、すべて網羅《もうら》しておりますが、今回は、「瞑想」という観点から、真実の世界をもう少し語ってみようと思い、このように『意識の流れ』の続編という形にさせていただきました。
 本書の副題に、「最後は瞑想です」、そして、「正しい瞑想をしましょう」と付けさせていただきました。
 私達は、自分の思いを伝えたり、考えを述べたりするときに、通常、言葉というものを使用します。以心伝心ということもありますが、伝達手段は、言語、言葉です。そして、それらにはそれぞれ万国共通の意味合いがあります。しかし、同じ言葉を用いても、その真の意味合いを、正しく伝達するには限界があって、言葉では表現できない場合があります。
 例えば、愛であるとか、優しさとか温もりであるとか、幸せ、喜びであるとか、辞書で定義づけられているものと、私がお伝えしているそれらとは、全く異なるものであるとは言いませんが、真の意味合いは違うのです。
 そのことをお分かりいただくには、ひとつひとつ手順を踏んでいかなければならないのです。そして、最後に行き着くところは、瞑想です。それも「正しい瞑想です」ということを伝えたいために、私は、ここに本書を記していこうとしています。
 真実の世界が、心で感じられたならば、もう言葉は必要としないのです。そして、言葉を発しながら、実は、私達は波動を流していることを感じてきます。その波動が明るいか暗いか、または荒い波動なのか、それとも柔らかいものなのか、そのような様々なことが、自分の心で感じられてくるのです。
 優しい言葉や態度と裏腹なものを感じたり、その反対もあったりするのは、言葉や態度では、決して誤魔化《ごまか》せない何かがあるからではないでしょうか。
 私は、その世界を、波動の世界と伝えてきました。
 波動の世界とは、目に見えない世界のことですが、私はその世界が、実在することを伝えてきました。いいえ、目に見えない世界が本物の世界であって、目に見える世界は、その世界の影の世界であることを伝え続けてまいりました。
 そして、目に見えない世界を、どのように知っていくのかということになれば、それは、「あなたの心で知っていってください。あなたの心でしか分からない世界です」ということも、重ねて申してきました。
 本当の世界を心で知っていただくために、私は、セミナーを約二十年間にわたり開催してきたのです。
 そのセミナーのこと、そして、その様子の一端は、本文に掲載しておりますので、学びの推移および概略は、お分かりいただけるかと思います。
しかし、何よりも大切なことは、『意識の流れ』の本文に繰り返しあるように、「あなた自身の心を見る」ことに尽きるのです。そして、あなた自身を動かしているエネルギーの実体を知っていくことにあります。
 そのことを知っていかなければ、なぜ生まれてきたのか、何をするために今があるのかということが、分からないのです。そのことが分からなければ、どのように生きていけばいいのか、そして、どのように死んでいけばいいのかも分からなくて、結局は、本当の人生にも、本当の喜び、幸せにも、本当の愛、優しさ、温もりにも出会えないということになります。
 自分の心を見て、自分の出すエネルギーの実体を知って、さらに、正しい瞑想を通して真実を知っていく。それが本当の人生であると、私は確信しています。
 私のこの思いを、「本当のことを知りたい」「人生とは何だろうか」と真剣に考えている人達に、本書を通して、真っ直ぐにお伝えすることができれば幸いだと思っています。
 私達は、一人でも多くの人との出会いを心待ちにしています。『意識の流れ』ともども本書も、どうぞ末永く、あなたの側に置いて、これからのあなた自身の指針にされることを、心より願っています。


    二〇一〇年十一月       田池  留吉


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第一章 私は、田池留吉と申します

 この本は、その表題の通り、『意識の流れ』という本の続編です。
 私は、これまで約二十年の間、主として日本各地で、セミナーを開催させていただいてきました。
 そのセミナーを通して、お伝えしたかったことは、
 「人間の本当の姿は意識、エネルギーです。」
 「人間の本当の姿は目に見えません。」
 「目に見える世界を本物とする思いから、目に見えない世界を本物とする思いへ、意識を転回していきましょう。」

ということです。
 「私達の時間は永遠です。生まれてから死ぬまでが、私達の時間ではありません。私達の時間は、死んで途切れることはなく、ずっと続いています。その時間の中で、今、ひとつの肉体を持っているだけです。」
 ということを、心で知っていただきたいと思いながら、私は、セミナーを続けてまいりました。
 そして、その趣旨の集大成として、『意識の流れ』という本を、二〇〇四年十二月に、その改訂版を二〇〇五年十二月に出版させていただきました。さらに、筆を加え、二〇一〇年五月に増補改訂版を出版しております。
 もう少し詳しい学びの趣旨および経緯は、その本で押さえておいていただければ幸いです。私は、この先、そうしていただいていることを前提にして、話を進めていきたいと思っています。
 また、他にも参考となる図書を巻末に紹介していますので、併《あわ》せて目を通していただければ、さらにご理解が深まるのではないかと思います。
 ところで、書店には、大ベストセラーとなるものをはじめとして、たくさんの書物が並んでいます。
 しかし、その中に、真実とは何か、本当のこととは一体何なのか、そのことを真っ直ぐに伝えているものがあるでしょうか。
 参考になるものはあるかもしれません。
 中には、元気づけられ、そして、勇気づけられる内容のものがあるかもしれません。
 人間の心の奥深くを鋭く突いて、読者に何か訴えるものがあって、それなりの作品に仕上がっているものもあるかもしれません。
 確かに、その時は、感動もしたし、共鳴もした。しかし、時間が経てば、あの感動は何だったのか。
 確かに、相通じるところがあって共鳴もしたけれども……、
 ということはないでしょうか。
 感動や共鳴が長続きしないのはなぜか。
 それは、それらの作品が、人間の本質に届くものを欠いているからです。
 では、人間の本質とは何なのでしょうか。
 私は、人間の本質は、心だと、伝えてきました。
 それらの書物には、表面上、問題提起があって、何かを促すようなテーマがあったとしても、もう一歩踏み込んで、
 人間とは何か、
 人間の本当の幸せや本当の喜びとは何か、
 なぜ、人間には苦悩があるのか、
 では、幸せや喜びと苦悩には関係があるのだろうか、
 といったことについて、本質を鋭く突くというところまでには至っていないと思います。
 たとえ、人間の心の中を上手に描写した内容であっても、人間の本質は、心だという私の言わんとするところと、最終的には合致しないのです。
 それは、どの書物も、人間を形としてとらえ、その土台の上に立って、人間像を描いているからです。
 その土台の上で、人間の様々な心を、色々な角度からとらえたり、色々な味付けをしたりして、文章構成がなされているに過ぎないからです。
 確かに、その土台の上で読めば、感動もするし、共鳴もする内容になっていると思います。人間の心の機微《きび》が、憎らしいほど上手《うま》く表現されていて、いい作品だと高い評価が得られる場合もあるでしょう。
 しかし、です。
 どんなに高い評価を得ても、そこからは、決して、真実を知ることはできないのです。
 なぜならば、私達人間は、形ではなく、私達の本当の姿は目に見えないものだからです。
 その観点から出発していないものは、表面上は人の心を打つとか、とらえることはあっても、本当の意味の「心」には浸透してこないのです。
 一方、「人間の本当の姿は、形ではない」という土台、あるいは基盤に立って語られているものは、その内容が、人間の「心」に浸透していくには時間を要しますが、いずれ読む人の「心」に、本物の感動と共鳴を与えていくと、私は思っています。
 なぜならば、本当の自分というものを、みんなその「心」に知っているからです。
 ところで、私は、心を「心」と強調させていただきました。心と「心」は違うのかと言いますと、そうです、違うのです。その違いを、いくつかの問いかけを通して、語っていこうと思います。
 あなたが連想する心とは、どこにありますか。心は頭の中にある、あるいは、心は胸の中にあると思われている人も多いでしょう。
 しかし、私は、「心」はあなたの頭の中にも胸の中にもありませんとお伝えします。私がお伝えしようとしている「心」とは、そのようなものではないのです。
 あなたというひとりの人物がいて、その人物が「心」を持っているのではないのです。
 私は、人間の本当の姿は意識、その「心」だと申してきました。言ってみれば、あなたは「心」そのものなのです。
 これから、私は、あなたの頭の中にある心、胸の中にある心に訴えるのではなくて、あなたの「心」に、あなた自身に、直球を投げ入れたいと思っています。
 読み進めていくうちに、心というものを、あなたの中で、少しでも認識を改めていかれれば幸いだと思います。
 心はどこにあるのか。
 心とは何か。
 人間とはいかなる存在なのか。
 人間と心の関係は何か。
 人間は、何のために生きているのか。
 人間は、なぜ死んでいくのか。
 このようなことに、少し思いを向けながら、どうぞ、最後までお付き合いください。
 読み進めていくうちに、「うーん、そうだ」と頷《うなず》いていただければ、幸いです。
 ところで、特に、これは予言ではありませんが、これから世の中は、ますます混迷の度合いが増してきます。人々の心の底に眠る、狂ったエネルギーが、形に表れてきます。
 同時に、天変地異の嵐が吹き荒れる時を迎えていきます。
 たくさんの人達が、一瞬のうちに、その命を落としていくでしょう。その規模は、今現在の比ではありません。
 もちろん、日本の国もその例外ではありません。日本各地に吹き荒れる天変地異の嵐、それは、この日本の国の存続を危うくしていくだろうと思います。
 地震国、日本です。その地震のメカニズムは専門家にお任せしますが、地震の規模、エネルギーの実態は、決して専門的な分析で解明できない部分があります。
 それは、地震に限りません。その他の自然現象、人的現象は、すべて意識の世界が反映されたものです。
 従って、その意識の世界から、それらのものをとらえていくことをしていかなければ、なぜ、そういった現象が起こってくるのかという真のメカニズムは解明できないのです。
 やがて、どれだけ人間が頭脳を働かせ、一致団結して事に当たろうとも、そして、祈りを乞《こ》おうとも、形の世界は、崩れ去っていきます。そのことを、はっきりと知っていく時がやって来るのです。
 人間とは、いかなる存在か、それぞれの心に深く訴えてくる時が、遠からずやって来る。私達は、そういう流れの中にあります。
 その流れを、私は「意識の流れ」と伝えました。
 なぜ、人間は、転生を繰り返してきたのか、その答となるものが明確に示されたことは、いまだかつて一度もありませんでした。自分の本当の姿が何であるのか、つまり、真実を知らないまま、この地球上で転生を繰り返してきたのが、人間と呼ばれる生き物です。
 かくいう私自身も、人生の半ばまでは、真実に疎《うと》い状態でした。真実を全く知らないまま、約半世紀を生きてきたのです。その道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
 しかし、私は私なりに色々な不思議な体験を経て、紆余曲折《うよきょくせつ》しながら、人生半ばにして、ようやく本当のこととは何かを知るに至りました。
 これが真実だとする確固たる思いが、その時よりすでに私の中にはありましたが、まだまだ当時は、私自身も勉強の段階でした。
 私は、私の人生はセミナーとともにあったと言っても、言い過ぎではないと思っています。私は、セミナーとともに進化してきたのであって、決して初めから出来上がっていたのではありません。セミナーに集い来る皆さんから、そして、私の家族から、勉強、勉強の日々を重ねてまいりました。
 何分《なにぶん》、私自身も愚かな肉を纏《まと》っていますので、それなりの時間を要したということです。
 そして、人生も半ば前後から、ようやくにして、自分が生まれてきた意味、自分の本来するべき仕事に気付くようになり、私(田池留吉)というひとりの人間とは別の自分の存在を、確信するに至ったということなのです。
 今、別という表現をしましたが、この別という表現は、バラバラという意味ではありません。
 まさに、「私はあなた、あなたは私」という意識の世界の真実を、私自身、肉という形を通して知り得たということなのです。
 つまり、今、私は、田池留吉という名前の付いたひとりの人間であると同時に、私の本当の姿は、実は目に見えないものだということ、その「肉の人間」と「目に見えない私」は、私の中でひとつだと感じています。
 「肉の人間」も私ならば、「目に見えない私」も私です。しかし、どちらが本当の私であるかと言えば、それは言わずと知れたことなのです。今は、自分に肉を持たせて、自分の世界を見ている私であることを、はっきりと確認しています。
 私は、よく永遠の今ということを言ってきました。過去も未来も今この一点と重なって、それが自分に他ならない。私は、そのような視点から、物事を見て、そして、感じてきました。
 まさに、私は、今を生きています。しかしながら、今を生きるということがどういうことであるのかについては、社会通念上の意味合いとは、大きく趣《おもむき》を異《こと》にしていると思っています。時間は流れ去り、時は移ろいでいくけれども、私はその時間の中には生きていないという感覚なのです。
 私には私の時間と空間があります。そして、その時間と空間は、実は私自身であり、あなた自身ですと、私はこのような感覚を持っているのです。
 少々、話が先に行き過ぎました。
 人生半ばにして、私が、本当の私自身に気付き、なすべき仕事に気付いたその仕事とは、真実をお伝えするということでした。
 そのために、私は、今世初めて肉という形を持ってきたのです。田池留吉という名前で、初めて肉を持ちました。
 私には皆さんのように、過去に肉を持っていたということはありません。いわゆる、生まれ変わり死に変わるという転生の体験がないのです。
 このことを、どのように受け取っていただいても結構ですが、私には、それによって、自分を特別視する思いはありません。
 ただ、過去世がない意識が、肉を持ってきたということはどういうことなのか、そのことを正しくとらえていただきたいと思うだけです。
 私は、「意識の流れ」という言葉を使わせていただきました。
 私もあなたも、その「意識の流れ」の中にあることを、あなた自身の心で知っていただきたいのです。
 もうすでに、私がお伝えしてきたことについて証人《あかしびと》が出ています。私の言う通りに実践されていけば、どなたも本当のことが分かる、どなたも本当の喜びと幸せが分かることを、私は伝え続けてきました。
 私に心を向けるとはどういうことなのか、私に正しく心を向けていけばどうなっていくのか。ぜひ、あなたが、あなた自身の証人《あかしびと》となっていただきたいと思います。
 私には、あなたを導いてあげましょうとか、あなたにパワーを授けましょうとか、そのような思いは一切ありません。
 ましてや、あなたを洗脳することなど必要ないのです。
 あなたを導くのは、「本当のあなた」自身であり、「本当のあなた」は喜びのパワーです[#「あなたを導くのは、「本当のあなた」自身であり、「本当のあなた」は喜びのパワーです」は小見出し]と、繰り返し伝えてきました。
 そこで、その「本当のあなた」に出会える方法を、順を追って記していきたいと思います。
 その前に、「人はなぜ生まれてくるのか」「幸せな人生とはどのような人生なのか」について、少し考えてみましょう。


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第二章 人は、なぜ生まれてくるのか

 先ほど、人の心の中に眠る闇の思いが、はっきりと形になって示されていき、世の中は、これからますます混迷の度合いを増してくると申しましたが、どうでしょうか。その気配を、あなた自身、どの程度、感じておられるでしょうか。
 情報に溢れている世の中の移り変わりのテンポは速いです。
 人の考えや生き方、価値観も様変わりしています。
 その中で、一体何を信じていけばいいのか、どのように存在していけばいいのかと問いかけてくる出来事に、それぞれが、これから何度も出会っていくと思います。
 人の心の中に巣食う闇は凄《すさ》まじいものがあります。
 人はそこに、道徳や倫理や一般常識で縛られないエネルギーの出現を見ていくことになるでしょう。つまり、到底頭では理解できない、全く予測し得ない事態が、ある日突然起こってくるのです。
 もっとも、私からすれば、そういう出来事は予測し得ないことでも、ある日突然でもないのです。その要因というか原因となるものは、それぞれに抱え持っていて、そこにある条件が整えば、そのものが表面に噴き出してくるだけだと思っています。
 私は、世の中のこのような流れを「濁流」と表現してきました。今は、「激流」と言ってもいいかもしれません。
 その中で、なかなか、何を信じていけばいいのか、どう存在していけばいいのか、その答となるものを、自分の中に見出すことは難しいかもしれません。
 まさに、その時が、気付きの大きなチャンスなのですが、世の中の濁流、いいえ、激流はすごいです。その流れに飲み込まれていき、運命とやらに翻弄《ほんろう》されたかのように、自らの人生の終焉《しゅうえん》を迎える人が少なくはないというのが、現実だと思います。その現実を踏まえて、私はあえて、この質問を投げかけています。
 「なぜ、生まれてきたのだろうか。そして、なぜ死んでいくのだろうか。」
 素朴な疑問です。
 これから、色々な考えられないことや、予期しないことが起こってきますから、そういう時にこそ、私は、一人でも多くの人が、自分のこれまでを振り返り、「自分というもの」、そして、「自分の生き死に」を、本当に考えてほしいと思っています。
 大変だ、どうしよう、どうしたらいいのか、という思いが、心の大半を占めることは分かりますが、その時に、心のほんの片隅にでもいいですから、自分は何かを間違えてきたのかもしれない[#「自分は何かを間違えてきたのかもしれない」は小見出し]と感じ始めることができたらと思っています。何を間違えてきたのか、今はまだ分からなくても、これらの出来事は、自分に対して何かを告げてくれているのではないか、そういうふうに、目の前の出来事を見て取っていければいいと思います。
 ところで、素朴な疑問のひとつである「なぜ生まれてきたのか。何をするために生まれてくるのか」ということを、あなたは、今まで考えてみたことがありますか。
 生きていくのがやっとだ、今日一日命が繋がればいい、そのような過酷な状況の中で生を受けた人達も、世界中には多く存在します。そのような人達は、生き延びていくことに必死で、なぜ生まれてきたのかということに思いを向けることなど、ほとんど不可能でしょう。
 生まれてきて、そして、戦争、貧困、飢えなどで、あっけなく死んでいきます。短い生涯を苦痛のうちに過ごしていきます。それでも、人間は生まれてくるのです。生まれたいという強い意志があるからです。
 戦禍《せんか》に苦しみ、貧困に喘《あえ》ぐ人達がいる一方で、多くの人間は欲望の限りを尽くしていきます。より快適な生活を望み、経済発展を遂《と》げていくことが、人間の幸せな未来を築いていくことだと信じています。
 また、人間は、世界の平和と繁栄を叫びながら、戦争を続けていくという矛盾の中にあります。
 武力戦争はもちろんのこと、経済戦争も、戦うことに違いはありません。
 戦いのエネルギーを吐き出しながら、世界に平和がやって来るはずはありません。そして、本当の意味での繁栄もありませんが、人間は、そのことにまだ気付いていない有様です。
 なぜ、戦うことをやめないのか。
 それは、自分達がなぜ生まれてきたのか、何をするために生まれてくるのかという根本的なことを忘れ去ってしまって、自分の外に思いを向けるようになったからです。
 しかし、矛盾の中にある人間の「心」は、「自分の本質」「根本」「本当の自分」というものを求めています。「それらに帰ろう、帰りたい」と願っています。
 だから、どのような過酷な状況であろうとも、生まれてくるのです。そして、間違って存在していることを、互いに、知らしめるのです。自分達は戦いのエネルギーを蓄えてきた愚か者だと、自らに示していくのです。それが、武力戦争はもとより、様々な戦争という形となっていきます。
 そうです。人間はみんな、これまで、自分の根本を忘れ去ってきました。それで、幸せになれるはずがないのです。従って、次から次へと気付きの促しがあります。次から次へと起こってくる問題は、気付きの促しです。そして、それらは、根本を抜きにしては、どのような問題も解決できないことを示してくるのです。
 例えば、地球温暖化という問題ひとつを取り上げてみても分かります。
 それは、人間の貪欲《どんよく》な思いが、形となって、私達に返されてきているものです。しかし、今はまだ、私達は、自分達が出してきた思いが、自分達に返ってきていることに気付けない状態であり、分からない状態です。
 私達は、地球環境の悪化に、手をこまねいているわけではありません。環境に優しく、地球をこれ以上汚してはいけないと、国家レベルでも話し合いが持たれています。
 私達、一人ひとりが何かできることから始めましょうと、身近な生活の中から、エコ、いわゆる省エネやリサイクルを呼びかけています。
 しかしながら、そういう方策というのは、ほとんど焼け石に水のような気がします。そのようなもので追いつけないほどのスピードで、さらに地球温暖化は進んでいくと思われます。地球温暖化は、気付きを与える意識の現れだからです。
 本当は、地球温暖化を考える前に、なぜ、生まれてきたのか、何のために今があるのか、それぞれ一人ひとりが、それぞれの環境の中で考えるべきなのです。その根本を見つめることが、地球温暖化を本当に考えていくことに繋がっていくのだと、私は思っています。
 話をもう少し、身近なところに戻します。
 あなたは今、何らかの職業に就いておられますか。
 あなたにとって、仕事とは、一体何でしょうか。
 生活の糧を得るためのものという位置づけから、我が仕事は天職なり、私の人生そのものだという人もいます。
 それは、自分の夢でした。夢が現実になって、私は今、この仕事に打ち込んでいますという人もいます。
 私は、この仕事を通して、夢や勇気や元気を人と共有していると思っている人もいます。
 いずれにしても、それらの人達は、仕事を中心に自分の生活が回っています。自分の人生の時間の大半は、仕事というものに費やしてきた、費やしているということでしょう。もちろん、時間だけではなくて、エネルギーも然《しか》りです。
 その人達は、仕事を通して、様々な場面に遭遇して、色々な人との出会いがあって、自分の成長があると思っておられるでしょうし、実際にそうだと思います。
 苦しいことも辛いこともあるが、反対に達成感や充実感もあって、仕事を抜きにしては、自分を語れないというか、人生を語れないという人も多いと思います。
 また、今度は、あなたの家族について、少し触れてみましょう。家族でなくても、あなたの一番身近にいる人でもいいでしょう。
 人は、一人では生きられないと、よく歌の文句にもありますが、人は人を求めます。人の優しさとか温もりを、知らず知らずのうちに求めていると思います。
 その人達と幸せな時を刻んでいきたい、健やかにみんな仲良く楽しい人生を過ごしていきたいと、自分と自分の家族や、大切な人とのささやかな幸せと、ともに生きる喜びを願うというのは、人としてごく普通のことだと思います。
 このように、自分の人生を思うときに出てくるものは、仕事、家族、夢、その他に何があるのでしょうか。
 総じて、人は、生きている中において、何か自分が生きている証《あかし》を求めているのではないかと思います。
 非力ながら、何か社会のお役に立ちたい、何か自分のできることがあればと、社会奉仕、いわゆるボランティアの活動をする動機も、実はそういうところにあるのではないのでしょうか。人が喜んでくれるのを見て、また、自分が嬉しくなり、自分を必要としてくれている人達がいることを確認することで、自分という存在を模索しているのだと思います。
 こうして見てきますと、夢を実現するために、自分の人生があると思っている人、人に夢や元気を与えることで、自分の人生を満喫し、自分もまた、その人達から元気や活力を与えてもらっていると思っている人、仕事を通して社会に貢献していくことが自分の人生であり、そして、一線を退けば、自分の培ってきたノウハウで、再び社会と接点を持っていくことが望ましいと考えている人、あるいは、あと残された人生は、自分のやりたいことを続けて、生涯現役ですと元気な人、自分の家族を大切に、家族の幸せが私の幸せだと考えている人など、様々ですが、そういう人達は、言ってみれば、ごく普通の善良なる人達です。それなりに、それぞれの分野、持ち場で、日々、前向きに頑張っておられると思います。
 だからと言って、それで、その人達の人生は、良い人生なのでしょうか。
 私は、これが言いたかったのです。
 それでは、なぜ生まれてきたのか、何をするために、今ここにいるのかという答にはなっていないことを、言いたかったのです。
 仕事、家族、夢、生きがいなどをメインに、本当の人生を語ることなどできないことを、知ってほしいのです。
 それらは、人生を知っていくための補助的なものだということに、気付いてほしいのです。
 しかし、人間は、目に見える形の世界を本物だと思っています。自分をはじめとして、形あるものが現実だと思っています。従って、それらをメインに考えるのが普通なのです。
 そして、形を握ります。形にこだわります。形に優劣を付け、上下を付けていきます。「優」や「上」を手に入れるために、どんどん自分のエネルギーを外に向けて出し続けます。
 努力とか、頑張りとか、挑戦という名目で、エネルギーを外に向けます。
 でも、そうではないのです。
 それらのものを手に入れるために、あるいは、手に入れたものを温存し、さらに発展させるために、自分のエネルギーを使ってきたのは、そうすることによって、自分のエネルギー、つまり、自分自身を感じていくためだったことに気付くべきなのです。
 自分を誇示したり、自分に酔いしれたりするのではなくて、しっかりと自分の中で、自分のエネルギーを感じていく、見つめていくために、それらの形を自分の周りに作り上げたと気付くべきなのです。
 しかし、これは難しいです。大概は、その形を誇り、悦に入る方向になってしまいます。作り上げた形の世界に固執していきます。思いをかけ、エネルギーを注げば注いだ分、いいえ、それ以上に、その世界に縛られていきます。人生設計を立派に築き上げた人ほど、人生の本当の目的に気付いていくことは、難しいかもしれません。
 なぜ、生まれてきたのか。もう、お分かりですね。
 自分を知るためです。自分のエネルギーを知るためです。
 仕事や夢に懸命になってもいいのです。色々と工夫しながら、また、目標を設定しながら、エネルギーを傾けていくことが間違っているのではありません。
 また、安らぎとか生きがいを家族、家庭に求めていくのも分かります。家族に何か問題が起これば、一緒になって対処していくのは、ひとりの人間として、一家庭人として普通だと思います。仕事とともに夢とともに、そして、家族とともに生きることは、何も間違ってもいないし、おかしいこともありません。
 ただ、それらが、あなたが生まれてきた意味の最終目的にはならないことを、知るべきなのです。言うならば、それで終わりではなく、また、それがすべてでもありません。
 この人は、こういう形の中で自分を見ていく。また、あの人は、こういう中で自分を見ていく、自分のエネルギーを感じていく。そういうことなのです。形の世界は、そのように活用すべきなのです。言うならば、仕事も家族も、自分を見つめていくための教材です。それらのものを通して、自分を知っていくための大切な教材です。
 大切な教材だから大切にしていきます。
 生まれてきた本当の意味が分かったなら、教材を無責任には扱いません。大切に思い大切にしていくことと、形(教材)を握り、形(教材)にこだわることとは違います。
 形が表れ、崩れていくことに一喜一憂しながら、ただ時が過ぎていくだけでは、本当のことが見えてきません。教材を活かせなければ、残念ながら、人生は失敗だということになります。
 形は有限です。早い話が、いずれ人間は、肉体の消滅する時を迎えます。病気か事故か、あるいは、犯罪に巻き込まれて一命を落とすこともあります。そして、天変地異が起これば、一瞬にして多くの命が失われていくでしょう。
 人間は、生まれてくれば、死んでいくことは当たり前だと思っていますが、同時に、人間は、形の世界に生きていると思い込んでいますから、形あるもの(肉体)が無くなってしまえば、すべて無くなってしまうことも当たり前だと思っています。
 そして、形あるもの(肉体)は有限で、つまり、自分は有限だから、自分の時間も有限だと思っています。
 従って、その有限の時間の中で、何かを成《な》し遂げるために頑張る人や、ひたむきに自分を見つめていこうとする生き方は、いいなあとか素晴らしいと感じるかもしれません。そのような人生に、そのような人達から、感銘を受けるかもしれません。
 しかし、自分達の時間は無限、自分達は無限なのだと知れば、そうは思えないと思います。
 自分達の時間、自分達を、有限だと思うか、無限であると思うかで、生き方の姿勢は変わってくるはずです。
 言い換えれば、自分を「肉」という形として見るか、「意識、エネルギー、心」として見るかで、全く見方が違ってくることにお気付きでしょうか。
 人間は、政治や経済、文化、教育、医療、宗教、その他様々な分野で活動しています。言うまでもなく、自分達を肉という形としてとらえて、その形の幸せと繁栄を追求していくために、それぞれの分野の中で、日夜頑張っているのです。
 頑張っている人間社会に、次から次へと様々な出来事が、なぜ起こってくるのでしょうか。そこに何か深い意味があるとは思えませんか。
 事件や事故や自然災害が起こるたびに、人間社会はもちろん、動物、植物、その他の生態系や、山、川、海、その他の自然界は、その姿を変えていきます。
 ただし、動植物などの生態系や自然界は、意識の流れを感じ、知っています。その流れを素直に受け入れて、その流れとともに悠然《ゆうぜん》と存在していきます。
 知らずにいるのは、人間社会だけです。姿を変え、崩れていくことを受け入れていくことができないのです。
 人間は、己が偉い生き物です。
 意識の流れと反対の方向を向いて、自分達の幸せと繁栄を求めていこうとしても、所詮は、空しい結果に終わってしまうことに気付くことができていない段階です。そこのところが、私達人間と、その他のものとの歴然とした違いです。
 形は有限、しかし、私達は無限。この切り替えが、私達に求められています。
 そのために、今までがありましたし、これからもあります。
 ただし、それにもタイムリミットがあります。
 いつまでも、これまでのような同じ循環の中でとは行きません。循環を断ち切っていく強い衝撃が必要となってきます。
 それが、これからの時間の中で起こってくるということでしょう。
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第三章 自作自演の芝居

 幸せな人生とは、どのような人生を言うのでしょうか。
 あなたは、今、幸せですか。あなたの幸福感を語ってみてください。
 はい、私には、由緒正しき家柄があります。
 はい、私には、賢い頭があります。
 はい、私には、健康な身体《からだ》があります。
 はい、私には、美貌《びぼう》があります。
 はい、私には、お金があります。
 はい、私には、かけがえのない家族がいます。
 はい、私には、楽しい仲間達がいます。
 はい、私には、やりがいのある仕事があります。
 はい、私には、自分を打ち込めるものがあります。
 はい、私には、特別に何もありませんが、日々感謝して暮らしています。生かされている喜びを感じています。
 まだまだ他にもあるかもしれませんが、大体、幸せの基準は、このようなところでしょうか。重複しないと満足感が得られない人もあれば、ひとつで充分に幸せだと思う人もいます。
 人は、みんな幸せを求めています。
 幸せになりたいという願望があります。
 そして、幸せの基準は、人それぞれにあるというのが一般的ですが、本当の幸せを知っている人は、ほとんどいないというのが現実だと、私は思っています。
 みんな、幸せになりたくて生まれてきます。しかし、幸せになれなくて死んでいくのです。
 幸せになりたいのに、幸せになれなかった……。
 幸せになるにはどうすればいいのか……。
 何があれば、幸せになれるのか……。
 心の疑問に答えるべく、人は、それぞれの条件に見合った環境を選んできます。
 自分の設定通り、幸せの条件を選んできます。
 また、あるいは、あえてその条件を外して、環境を設定してくるかもしれません。やはり、そうではなかったことを確認するために……。
 とにかく、自分の設定した中で、自分自身が演じていくわけです。人はみんな自分の中の思いを、自分の肉を通して表面に出してくるのです。
 例えば、人生を芝居に見立ててはどうでしょうか。
 人は、自分に芝居を書きます。そして、その芝居を演じているのは自分であり、その芝居を観ているのも自分です。
 いわゆる自作自演のドラマを、自分自身が鑑賞しているというふうに、自分の今を眺めてみませんか。
 自作自演の芝居のテーマは何か。
 それは、幸せと喜びです。
 いつも、そうなのです。幸せと喜びが永遠のテーマです。
 そのテーマで、舞台設定を変えていくのは、何度設定を変えても、そのテーマをクリアできずにきたからです。
いつも観客から拍手喝さいが受けられない役者は、何度も何度も厳しい稽古《けいこ》を重ねて、再び舞台に立つのです。
 芝居は、ある時は大金持ちに生まれついたのに、最後は没落してしまうとか、ある時は美貌《びぼう》を振りまいて、蝶よ花よだったけれど、結局は、その美貌《びぼう》で身を滅ぼしていくとか、そして、ある時は……、というふうに、幾パターンもあり、その都度、涙と笑いの悲喜こもごも、盛りだくさんです。
 そのように、今の自分の人生も、その中のひとつのパターンだと思えないでしょうか。
 そして、芝居だから、楽しみながら続けていけばいいと思いませんか。一生懸命に、楽しみながら、千秋楽を迎えていけばいいのです。
 ただし、どんなに一生懸命に演じ、また、楽しみながら演じていても、その芝居を通して伝える真のメッセージに行き着くまでは、残念ながら、カーテンコールはありません。
 どのような舞台も、自分に対してのメッセージを託して、その幕が上がります。もちろん、幕が下《お》りるまで、自分が主役です。観客に対してメッセージを送り続けられる役者は幸せです。観客は、下手《へた》でも、一生懸命演じている役者の姿に、何とかエールを送ろうとします。
 しかし、なかなかそのエールは役者に届きません。
 役者は、いつも自分の役柄にすっぽりとはまってしまって、脇目も振らずに、その役を演じ切ろうとします。
 「あなたは、今度はこの役で、私からのメッセージを受けてください」と念押しされても、役が決まって、舞台背景が決まって、衣装を身に纏《まと》ってしまえば、その芝居の中に溶け込んでしまうのです。
 本当は、役者には、芝居を通して伝えたかったメッセージがありました。そして、観客も、役者から本当に聞きたかったメッセージがありました。
 そのメッセージとは、芝居のテーマでもあります。
 伝えたかったもの、そして、聞きたかったものは、互いに共通するところなのだと思います。
 人生を芝居に例えてみましたが、今もまた、世界中で、そのテーマをクリアすることの難しさを感じながら、たくさんの芝居の幕が下《お》りていくのだと思います。
 私は、このように、幸せな人生とは、自分に託してきたメッセージを、自分自身が、正しく受け止めていくことができる人生を言うのだと思います。
 自分に託してきたメッセージとは、人それぞれに違うというものではないと思います。そのメッセージはみんな同じはずなのです。
 まず、そのメッセージに出会うことが難行苦行です。
 次に、ようやく出会っても、それを正しく受け止められるかどうかの難関が待っているのです。
 しかし、このように難行苦行の道のりも、今は過去形になりました。
 一人芝居を演じ続けて、長い、長い時間が経ちましたが、幕が上がり、幕が下《お》り、あと何度それが繰り返されるのかというところまで、ようやく漕ぎ着けたからです。
 いいえ、カーテンコールはもう直前に迫っていることを、私は確認させていただいています。
 「役者が役者でなかったことを知った。私は役を演じているに過ぎなかった。」
 そのことを知った人の人生は、役にばかりに思いが傾くことはもうないでしょう。必要以上に役作りに熱心になるということはないと思います。しっかりとメッセージを受け取りながら、役を淡々と演じていくだけだと思います。
 このように、自分にいただいた役を通して、自分というものを知っていく喜びに出会うことが、喜び幸せの人生だと、私は思っています。
 そして、一人芝居を演じてきた役者が、ようやく唯一の観客と手に手を取ることができるのは、役者冥利《やくしゃみょうり》に尽きると思います。
 この役をもらって登場してきてよかった。ありがとう、ありがとうとなっていくと思います。
 それは「役者人生、万歳」と、思わず叫んでしまうほどの喜びではないでしょうか。
 そこで、
 自作自演の芝居を通して、自分が自分に送るメッセージを正しく受け取ることが、喜び、そして、幸せの人生の登竜門
 
と位置づけましょう。
 その登竜門を通過するためのステップを、これからご紹介していきたいと思います。
 正しい手順を踏んでいけば、人生とは、自作自演の芝居だということも分かるし、それを通して、本当の人生、本当の喜び、本当の幸せに辿《たど》り着くと、私は確信しています。
 「本当のあなた」が、道案内をしてくれるのです。

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