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「微熱結晶」   長瀬 承子

 

 僕は咳をしていた。ほの暗い部屋には細かな鉱石粉が舞い、それが僕の小さな机の上でチンダル現象をみせていた。病的に熱を帯びたこの暗闇には、循環するものは何ひとつなかった。すべてが閉ざされていた。僕はもうほとんど呼吸を必要としなくなっていた。無理に空気を吸い込むと、まだ成長しきっていない血液の結晶が胸のあたりでわずかに動き、キチキチと音を立てた。僕は鉱物園から持ち出したひとかたまりのリチア雲母をすべて削り終えると、紙を丸めてろうとを作り、試験管の中にその粉末を静かに落とした。

 

 さまざまの鉱石粉と岩漿水とを混合してできる結晶液で、僕は自らの体を鉱石化させようとしていた。僕は5年にも渡ってこの結晶液を飲み続けていた。僕の体の中にはもうかなりの種となる結晶がひしめき合っているはずだった。僕は結晶液を喉へ流し込んだ。

 

 しばらく時が経つと、僕は突然、全身にけだるさを覚えた。僕はあわてて机の上のあかりを消し、おそるおそるミネラライトを自分の体に照射してみた。部屋の壁がほの青く照らし出された。僕の体から出るりん光を、壁が反射しているのだった。黒曜石のような闇にその光が完全に吸い取られて消えるまで、僕の瞳はうっとりとそのりん光のこぼれ落ちる先を追っていた。

 

 僕はゆうべそのまま眠ってしまったらしかった。ふと気づくと、床に僕の右肩と左脚のももの部分の皮膚がはげ落ちていた。かわりに、僕の肩先と脚には真新しい鉱石の結晶がその顔をのぞかせていた。右腕が全体に重く、鈍い痛みがあった。次はここだな、と僕は思った。腕の自由が完全に利かなくなる前に、僕は作業の仕上げをしなければならなかった。僕は机の引き出しから雲母片やらカルサイトやらを取り出してまた単調な仕事を始めた。そうしてけだるい昼をやり過ごすのだった。僕は光が嫌いではなかった。むしろ光が好きだった。けれど白い光の洪水の中で見えるものは影ばかりだった。夜の闇の中でこそ光は輝きを増すのだった。僕にはそう思えた。

 

 夜が再び僕を訪れてくれた。月が、細く細く天の闇に結晶していた。月を見ていた僕は、一匹の蛾が力弱く硝子窓を叩いているのに気づいた。僕は窓を少し開け、蛾を部屋の中へ入れた。蛾は机の上のあかりに誘われてやって来たのだった。蛾は僕に似ていた。僕は机の前に腰を下ろすと、まだわずかに動く左手で試験管をつかみ、慎重に口元へと運んだ。僕の唇の形をとどめてそこに結晶したモルガナイトと硝子の試験管とが触れ合うたびカチカチと音を立てた。結晶液を飲み干すと、すぐに激しい痺れが襲ってきた。体中が焼けるようだった。僕は崩れるように椅子から床へと倒れ込んだ。手に持っていた空の試験管を落としたらしかったが、もう意識と呼べるようなものはなかった。

 

 

あぁ、僕の中で光は飽和しているだろうか。光は―――。

 

 

 誰もいない夜の部屋で、小さな一匹の蛾だけがせわしなく翅を動かしていた。


奥付



微熱結晶


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著者 : 長瀬承子
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/tsugukonagase/profile


発行所 : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.


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