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 八月。誰もいない海。僕は彼女とふたり、貸し切りの浜辺に座ってトマトを齧っている。なんでトマト? 好きなの。これ冷えてないよ。元々そういうものよ。塩は? バカだなあ。そのまま食べたほうがおいしいでしょ。彼女はかぷりとトマトにかぶりつき、赤いしずくをじゅるりと啜る。

 深い穴の中に幾千もの箱が転がっている。「TVの墓場だよ。よく見ててごらん」博士がランタンの火を消すとTVたちは青白く輝き始める。「彼らの記憶だ」早回しで映し出される人々の笑顔はやがて醜く歪み、最後には無表情に。ぷつり。そこで画面は消える。博士はランタンを灯した。

記憶

 さいきんどうにも物忘れがひどい。言葉が出ない。漢字が書けない。人の名前が思い出せない。「母さん、この役者誰だっけ」「知らないわよ。検索したら?」つれない返事。まあいい。検索すればすぐに分かる。私は自室に向かいかけ、ふと足を止める。「母さん、検索ってなんだっけ?」

食事

「久しぶりだね。二人で食事」「ああ」「なに食べる?」「寿司」「焼肉だろうが寿司だろうが一人でも余裕。とか言ってたじゃない。一人でも食べてたんでしょ? お寿司」「一人だと色々食えないんだよ」「一人前二カンだから? 言えば一カンでも握ってくれるよ?」「うるさいなぁ」

花火

「すごくきれいだったよ」少年は帰り支度中の老花火師に話しかける。「そうか。そりゃあよかった」「来年もやるよね」「ああ。お前さんが観に来てくれるかぎりはな」少年は去年の夏のやりとりを思い出す。老花火師は現れなかった。世界に一人取り残された少年は小さな手で線香花火を握り締める。

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