目次
はじめに
はじめに
もくじ
第1部 08.12.19~09.01.03
第1部
08.12.19 今日は誕生日
08.12.20 地図は現地ではない
08.12.21 消えてしまいたい指数
08.12.22 言葉に振りまわされる毎日
08.12.23 狂ったサル
08.12.24 あえて、その名は挙げない
08.12.25 遠い所、遠い国
08.12.26 横たわる漱石
08.12.27 信じてはいけない言葉
08.12.28 そして、話はお金に行き着く
08.12.29 匿名性の恐ろしさ
08.12.30 再び「消えてしまいたい指数」について
08.12.31 その点、ナンシー関は偉かった
09.01.01 私家版『存在と無』―序文―
09.01.02 論理の鬼
09.01.03 うつとあ・そ・ぼ、あるいは意味の構造について
第2部 09.01.04~09.01.19
第2部 
09.01.04 haiku と俳句、ベースボールと野球
09.01.05 翻訳の可能性=不可能性
09.01.06 ひとり歩きを言い訳の道具にしてはならない
09.01.07 名のないモンスター、あるいは外部の思考
09.01.08 見えないものを見る
09.01.09 読めないけど分かる言葉
09.01.10 聞こえるけど聞けない言葉
09.01.11 目は差別する
09.01.12 投資って何だろう? お金って何だろう?
09.01.13 架空書評:狂った砂時計
09.01.14 ん?
09.01.15 「ん」の不思議
09.01.16 あなたなら、どうしますか?
09.01.17 やっぱり、ハンコは偉い
09.01.18 架空書評 : 何もかもが輝いて見える日
09.01.19 こんなことを書きました(その1)
あとがき
あとがき
『うつせみのあなたに 第1巻~第11巻』の各記事タイトル
奥付
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はじめに

 本書を第1巻とするシリーズは、2008年12月19日から2010年3月11日までの間に書いたブログの記事を再録したものです。初めて開設したブログのタイトルは「ネガティブに生きる」で、ハンドルネームは「パリス・テキサス」でした。ヴィム・ヴェンダースが監督した映画、"Paris, Texas"(文字通りには、米国の「テキサス州、パリス市」という意味ですね)から取りました。大好きな映画です。邦題は、なぜか「パリ、テキサス」ですね。

 

 どうして「ネガティブに生きる」なのかと申しますと、うつとの闘いと共存をテーマ、あるいは目的にしていたからです。つまり。「ネガティブに生きる=頑張らない」ほどの感覚で、名付けました。

 

 私のブログは、当初の日記的な色彩が薄れ、徐々にエッセイや論考に近いものになっていきます。ブログにしては長めの記事をほぼ毎日書いていたので、データとしての全体の量はかなり大きいです。したがって、いくつかに分冊する形で電子書籍化していく予定です。

 

 ブログで長文の記事を投稿していた時期には、パソコンや携帯電話で読まれる文章であることを意識し、読者がモニターや液晶の画面で読みやすくするための工夫をしていました。具体的には、各段落を短くし、段落間の改行を頻繁に行うようにしました。また、1センテンスでの読点をなるべく多くし、中には読点を打つ個所で改行するといった少々乱暴な書き方もしています。

 

 そんなわけで、今回の電子書籍化に当たっては、もとの文章がブログ記事であったことを、できる限り忠実に再現し、上述のような独特のレイアウトをそのまま反映させるように努めました。

 

     *

 

 以下は、過去に開設したブログの記録です。

 

*「ネガティブに生きる」2008-12-19~2009-02-27
*「うつせみのあなたに」2009-03-01~2009-03-09 
*「でまかせしゅぎじっこうちゅう」2009-03-10~2009-03-15
*「うつせみのあなたに」2009-03-26~2009-04-08
*「でまかせしゅぎじっこうちゅう」2009-04-06~2009-04-08
*「うつせみのあなたに」2009-04-17~2009-07-17
*「でまかせしゅぎじっこうちゅう」2009-08-01~2009-08-08
*「うつせみのあなたに・・・」2009-08-11~2009-09-01
*「小品集」2009-09-04~2009-11-14(ハンドルネームとして「恵」を使ったブログ)
*「うつせみのあなたに」2009-09-04~2009-11-19
*「うつせみのあなたに」2009-11-27~2009-11-29
*「うつせみのあなたに」2009-12-01~2009-12-11
*「でまかせしゅぎじっこうちゅう」2009-12-02~2009-12-10
*「ヒト観察記」2009-12-06~2009-12-10
*「うつせみついたうつせみのおと」2009-12-08~2009-12-10
*「うつせみのな」2009-12-12~2009-12-15
*「うつせみのくら」(それまでに削除したブログ記事のバックアップを再ブログ化したもの)
*「うつせみのあなたに」2009-12-16~2010-02-28
*「うつせみのうわごと」2010-03-04~2010-03-11

 

 ブログを作り、壊し、またもや、作り、壊し、の繰り返しです。お恥ずかしい限りです。とはいえ、以上の記事のバックアップは、ちゃっかりとすべて保存されています。実は、言霊が怖いのです。文章を捨てられない、消せない、つまり削除できないのです。冗談ではなく――。

 

 このシリーズのタイトル、また現在もあるブログのタイトル「うつせみのあなたに」は、いろいろな意味に取れます。その意味の多重性については、本書で何回か触れています。そのため、意味の複数の解釈は保留にしておきますので、どうか想像してみてください。大きめの辞書で「うつせみ」と「あなた」を引いてみると、何通りかの意味に取れることが、お分かりになると思います。

 

 本書「第1巻」では、その後の数々のブログ記事でテーマになる、いくつものトピックスがぞろぞろと出てきています。その意味では、「助走」と言えます。本格的に真正面から大きなテーマに取り組んでいく前の準備運動とはいえ、かなり突っ込んだ論考もあります。全体に共通するのは、表象の仕組み、つまり「何かの代わりに何かではないものを用いる」という観点です。

 

 本書の読み方として、本編最後の「09.01.19 こんなことを書きました(その1)」に目をお通しになった後に、該当する各記事をお読みになるのも、よろしいかと思います。

 






もくじ

はじめに

もくじ


第1部 

08.12.19 今日は誕生日
08.12.20 地図は現地ではない
08.12.21 消えてしまいたい指数
08.12.22 言葉に振りまわされる毎日
08.12.23 狂ったサル
08.12.24 あえて、その名は挙げない  
08.12.25 遠い所、遠い国 
08.12.26 横たわる漱石 
08.12.27 信じてはいけない言葉
08.12.28 そして、話はお金に行き着く
08.12.29 匿名性の恐ろしさ 
08.12.30 再び「消えてしまいたい指数」について 
08.12.31 その点、ナンシー関は偉かった
09.01.01 私家版『存在と無』―序文―
09.01.02 論理の鬼 
09.01.03 うつとあ・そ・ぼ、あるいは意味の構造について

 

第2部 
09.01.04 haiku と俳句、ベースボールと野球
09.01.05 翻訳の可能性=不可能性
09.01.06 ひとり歩きを言い訳の道具にしてはならない
09.01.07 名のないモンスター、あるいは外部の思考
09.01.08 見えないものを見る 
09.01.09 読めないけど分かる言葉  
09.01.10 聞こえるけど聞けない言葉 
09.01.11 目は差別する 
09.01.12 投資って何だろう? お金って何だろう? 
09.01.13 架空書評:狂った砂時計
09.01.14 ん? 
09.01.15 「ん」の不思議
09.01.16 あなたなら、どうしますか?
09.01.17 やっぱり、ハンコは偉い 
09.01.18 架空書評 : 何もかもが輝いて見える日
09.01.19 こんなことを書きました(その1)

 

あとがき

『うつせみのあなたに 第1巻~第11巻』の記事タイトル







 


第1部

ブログタイトル:ネガティブに生きる (2008年12月19日~2009年1月3日)

08.12.19 今日は誕生日

◆今日は誕生日
2008-12-19 19:52:24 | Weblog

 万歳! 朝起きたら、肩凝りと頭痛が治っていた。

 昨日は最悪だった。家の中の問題が原因でストレスが生じたせいか、昼過ぎあたりから猛烈な肩の凝りを感じ始めた。そのうち頭痛がしてきたため横になってじっとしていたが、ひどくなる一方で処置なし。悪寒がして風邪っぽくなるし、例の「死にたい」「消えてしまいたい」という気持ちが鈍く全身を貫く。そんなときは、寝ているのがいちばん。

 そのうち、夜になる。何とか軽めの食事をとり、やっとの思いで風呂に入り、医者が処方してくれている薬をいつもより1錠多めに飲んで寝入った。  

 それが効いたのか、よく眠れた。目覚ましの音を聞いて、恐る恐る体にご機嫌伺いをすると、肩凝りと頭痛が嘘のように去っていた。

 まあ、そんなわけで、きょうは久しぶりにいい朝を迎える。朝食を終えてからはさっそくパソコンに向かい、検索エンジンで各社のブログを対象にした比較サイトをはしごする。

 goo  が初心者向け、とのコメントがいくつかあった。で、ここを選んだというわけ。

 前からブログを始めたいと思っていたが、ようやく開けた。そう言えば、きのう、横になってうんうん唸りながらも、ブログを始めたいなあ、という考えが何度か頭の中をよぎった。  

 この苦しみを、誰かに伝えたい。というか、何でもいいから、とにかく発信したい! って感じかな。

 さて、タイトルの「ネガティブに生きる」にあるとおり、このブログのテーマは「うつとの闘い」、いや、「うつとの付き合い」というべきか。

 うつなために、ポジティブに生きられない。頑張れない。だから、ネガティブに生きることで、うつと闘う、または共存する。そんな日々を送っている自分が考えていることを、このブログに書いてみたい。

 ネガティブに生きると言っても、ネガティブとポジティブは反意語のようでありながら、実際にはかなり重なりあっている部分がある。「頑張らない」が実は「頑張る」という表現の言い換えである場合が、いい例だ。

 言葉というものは、いい加減なものだから、こんなことは珍しくない。「嫌い」と「好き」、「温かい」と「冷たい」、さらには「善」と「悪」、「正しい」と「間違っている」に至るまで、その線引きが難しいのは日常的に誰もが経験していることではないか。  

 ああ、疲れた。

 きょうはこの辺にしておこう。ネコを呼んで、えさをあげなくては。
 


08.12.20 地図は現地ではない

◆地図は現地ではない
2008-12-20 18:59:36 | Weblog

 

 きのうも書いたことなんだけど、言葉というやつ、言語といってもいいけど、これまで自分は言葉に振りまわされて生きてきたような気がする。

 

 大学でも、文学と哲学との間みたいなところでウロウロしていた。そのころ、身近にいた誰かが「地図は現地ではない」(=「言葉は物ではない」)とか何とか力説していて、「あっそうだ。そのとおりだ。こりゃ、ひょっとして大問題じゃないか」と密かに納得してしまった。

 

 それ以来かな。自分が言葉に妙にこだわる人間だと思うようになったのは。

 

 別に、言葉遣いや「美しい日本語」とやらに、うるさいっていうのとは違う。どちらかというと、方言や、いわゆる「若者コトバ」や、または不正確と「言われている」言葉遣いが存在することを積極的に肯定するほうだ。

 

 言葉にこだわるというのは、太古にヒトが言語を使うようになってしまったことが、とてつもないポジティブとネガティブの「ごったまぜ」状況を生み出してしまったのではないか――という思いというか、感慨というか、憤りというか、とにかくガツーンときてしまったわけで、それが今も自分の中で尾を引いている。

 

 卒論に「世界には男根はない」(※前後関係を詳しく書かないと誤解される表現なのだけど)という意味のことを書いて、それっきり言葉と真剣に向きあうのは止めようと決意した(※あのころは今に比べれば元気もあったし「純粋」だった)。

 

 で、一時は活字のデザイナーになろうかとか、書道の師範にでもなって小学生相手に書道塾でもやろう、などと考えていた。今振り返ってみると、当時は必死になって「言葉の意味と文字とを切り離そう」としていたのではないかという気がする。

 

 文字から意味を消し去るとも言えることなんだけれども、具体的には「書道」のイメージだ。緊張しながら筆で文字を書いている時には、その文字の意味が頭から消えてしまう。文字の形だけに神経が集中する。そんな感じ。

 

「言語を去勢しよう」と必死になっていた。そう言っても、いいかもしれない。

 

     *

 

 きょうの記事をここまで読み直してみると、かなり支離滅裂な文章を書いたものだと思う。

 

 ミシェル・フーコーとか、赤塚不二夫とか、ロラン・バルトとか、ジル・ドゥルーズとか、ジャック・デリダとか、サルトルとか、ヴィトゲンシュタインとか、ゲーデルとか、道元とか、の書物から引用しないと、ちょっと言葉が足りなすぎると思うけど、今はもう、そんな本は手元にない。

 

 でも、理解してほしい。こうやってブログに書いているわけだから、他人に自分の思いを伝えたいと願っているのは確かだ。

 

 どうして、うつと言語とが自分の中でつながっているのかを、このブログにつづってみたい。少しずつ整理しながら、気長に構えて、徐々に書いていこうと思う。

 

 ネコが邪魔をし始めたし、自分も疲れたので、この辺でネコに遊んでもらうことにします。

 



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