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1

 君のその体は、親から貰ったものである。では、君の想像力はどうか。それは人類から貰ったものである。人類の英知は、脈々と幼い子に受け継がれてゆく。本を通して。歌を通して。時に薄闇のようなそれは、行動の際に心強い友となる。想像力は一過性の衝動ではない。長く続く季節のようである。冬が次の春に芽吹くように、ゆっくりと現れてくる。

 

 

 風間育子は、机の引き出しから、封をされた小さな包みを取り出した。愛らしい瞳に、やさしい影が映る。包みはキャンディのような甘い彩りをしていた。それは育子の姉からの誕生日プレゼントだった。育子はゆっくりと封を開けた。

 

 風間育子、十七才高校生。将来は何か文章を書く仕事に就きたいと思っていた。それは育子の姉、風間徳子の影響である。徳子は、フリーペーパーのライターをしていた。徳子は七つ上の二十四才。フリーペーパーは街の情報を掲載する、いわゆるタウン紙で十年続く歴史があった。

 

「育ちゃん、お誕生日、おめでとう」

「ありがと、お姉ちゃん」

「コレ、プレゼントね」

 昨晩、徳子はそう言いながらプレゼントを渡してくれた。

 

 ――白の万年筆。

 鮮やかな包装紙から出でたのは、シンプルでカジュアルな万年筆だった。

「素敵。何を書こうかしら」

 育子は箱から万年筆を出してインクを充填した。

「お姉ちゃん、もう起きてるかな」

 育子は早朝のキッチンへと向かった。姉の徳子はキッチンで紅茶を飲んでいた。傍らで育子の父、風間典之が新聞を読んでいる。

「おはよう、お姉ちゃん、お父さん」

「ああ、おはよう」父の典之は気だるげだ。

「育ちゃん、おはよ」

 徳子が育子のマグカップを手渡した。

「ありがと。お姉ちゃん、プレゼント有難うね」

「うん」

「何を書いたらいいかな」

「前に、『小説を書きたい』って言ったじゃない」

「そうだけど……」

「人に見せる、と思って書くと緊張するのかな?」

「ううん、漠然としすぎていて、よく分からないの」

「じゃ、日記はどう?」徳子が問うた。

「うん、でも……」

「いいじゃないか、日記。お父さんも賛成するよ」

「うん……。だけど……」

 いつになく、育子は歯切れが悪かった。

「どうした、育ちゃん」

「うん。物を書くって何なのかな……」

「物を書く?」父の典之が訊き返した。

 少し宙を見つめて、徳子は話し出した。

「育ちゃん、それはね、想像力よ。イマジネーションよ」

「想像力?」育子は反復した。

「うん。相手が何を思うかを想像するのよ。自分が何を表現したいかではなくてね」

「逆かと思った」育子は目を輝かせた。

「これは私の仕事での経験なんだケドね。『こう書いたら、違ったふうに解釈されるかな』とか、『こう書いたら、嫌な思いをするかな』とか、いつも考えるのよ。相手を思うのよ」

「そうなんだ」育子の声が弾んだ。

「新鮮な見方だな」典之も頷いた。

「うん。あとはね、文て、残るものなのよ」

「使い捨てではなく?」

「そう。心に残るものなの。その時の感情や感動は何物にも勝る、得難いものなのよ」

 

 三人はしばしの沈黙を保った。それは夏の雨後のように爽やかな空気感だった。

「さ、ご飯にしましょ」

 母の風間逸子が、オーブンレンジの前からグラタンの皿を持ってきて、声を掛けた。

「そうだね。あ、これ。徳子の会社のフリーペーパーが挟んであるな」と典之。

「どれどれ、お母さんにも見せて」

「今日発行日だった」

 母の逸子を中心に、フリーペーパーの輪ができた。みんなで一つの紙面を見つめる。

「コレ、おいしそう」

「ああ、ムシパン屋さんね。出来立てがすごく美味しいのよ」

「こっちも良いな。肉厚なステーキ!」

「あ、このお店、すごく盛りが良いらしいのよ」

「そのお店、お母さんも行ってみたいな。育ちゃん、今度みんなで行ってみましょうよ」

「お母さんのおごりよねぇ」徳子がほほえむ。

「あら、お父さんのおごりよねぇ」

「まあ、そうだね」

「やったね、お姉ちゃん」

 育子と徳子はハイタッチをした。

 

 四人は朝食のテーブルを囲みながら、会話を続けた。

「徳子お姉ちゃんの仕事って、なんか格好良いよね」

 にこやかに育子が話しかける。

「ありがと、育ちゃん。でもね、割と地味なのよ」

「見た目より?」

「うん。見た目より」

「そうかなぁ」育子は訝しげだ。

「そうよ」徳子が笑う。

「ライターの仕事って大変そうね」母の逸子は心配性で、いつもそんなことを呟くのだ。

「この間はね、午前様だったのよ。でも大丈夫。慣れの問題ね」

「私もお姉ちゃんみたいになれるかな」

 少し俯いて、育子が呟いた。

「育ちゃん、大丈夫よ。育ちゃんが想像力を使えるなら」徳子が力強く告げた。

「うん。ありがと、お姉ちゃん」

 

「みんな、どんどん食べてね」母の逸子が声を張った。

 


2

 育子は机に向かうと万年筆のキャップを取り、ノートに書き始めた。

『カルダ国のイッソクさんは、冒険の旅に出ました』

 ――どんな旅にしよう?

 育子はそこまで書くと、行き詰った。この先は何がいいのかな……。

『戦士の家に生まれたイッソクさんは、お父さんを探して、家を出たのです』

 幾ら考えても、先が続かない。

 ――そうだ、お姉ちゃんに相談しようか。

 

「お姉ちゃん、今、時間ある?」

 徳子の部屋のドアをノックして、育子は入った。

「どうした、育ちゃん」

「うん。物語を考えたんだけど、煮詰まっちゃって……」

「どれどれ、見せてごらん」

 徳子はそう言うと、育子からノートを受け取った。

 ノートをめくって徳子が読み始めた。物語はまだ数行しか書かれていない。

「育ちゃん、面白いよ」

「ホント?」

「この先ね?」

「うん。何を書いたらいいのかな」

「小説の場合は、テーマを先に決めるのよ」

「テーマ?」

「うん。何を書きたいのか、どんなストーリーにしたいのかを決めるのよ。それをプロットと呼びます」

「そうなんだ」育子は頷いた。

「それを別の紙や頁に書いておくのよ」

 

 そんなアドバイスを徳子は十分間位続けた。育子はそれをメモに残してノートを閉じた。

「ありがと。お姉ちゃん」

「あとは育ちゃんのイマジネーション次第よ」

 

 徳子はそういうと軽やかにほほえんだ。


3

「わかりました。それでは十時半頃にお伺いします」

 徳子はそう言って電話を切った。

 

 『ラヴ・山形』の編集室の一角。徳子の他に七人が勤めている。日曜の朝は、アポイントを取ることが多い。徳子は、今日も電話でアポを取っていた。

「風間さん、どうだった?」

 そう訊いたのは、編集長の上山さんだ。上山さんはいつも鳥打帽(ハンチング)を被っている。それが上山さんのトレードマークである。五十代半ば。男性が一番仕事ができる年代の一つだ。

「はい、今日の午前中に伺うことになりました」

 はきはきと徳子は答えた。

「良かった。難しい人だからな、あのムシパン屋さん」

 上山さんが帽子の位置を直しながら呟いた。

「編集長、明日の取材なんですが、着物の着付けの先生……」徳子が口を開いた。

「ああ、倉田さんね」上山さんが続ける。

「倉田さんがどうかした?」

「はい、実はカメラマンの方を同行させて欲しいんです」

 『ラヴ・山形』の編集室では、基本的に取材するライターが写真まで撮影する。写真の力が必要なときだけ、カメラマンも同行して取材するのだ。

「今回の着物の記事に写真を入れたいと思ったので……」

「ああ、それなら良いよ」上山さんがにこやかに頷いた。

「有難うございます」

「なら、山村君に行って貰おうかな」

「山村さんですね、分かりました」

 山村実は、三十五才の独身男性である。少し気恥ずかしいな、と徳子は想いを馳せた。山村はフリーランスのカメラマンで、背が高くがっしりとした体型をしていた。外見とは違って、優しい印象を徳子は抱いていた。

「明日は何時から?」上山さんが尋ねた。

「はい、午後二時からです」

「大丈夫かな、今訊いてみるよ」

「宜しくお願いします」

 上山さんは携帯を取り出すと、電話をかけた。

「やあ、久しぶり。最近どう? ならいいけど。ん、急ぎの仕事。明日の午後は空いてる?ああ、良かった。うん、宜しく」

「大丈夫でしたか?」徳子が電話を切ると直ぐに尋ねた。

「オーケー、オーケー。来てくれるって」

「良かったです」徳子は溜め息をついた。

「じゃあ、今日のムシパン屋さんの取材と、明日の着物の先生の取材、宜しくね」

 上山さんは機嫌良くそう告げた。徳子は頷き、一礼した。

「では、行ってきます」

 

「すると、このムシパンは、無添加なんですね」

「そうです。卵も使用していないので、卵アレルギーの方も大丈夫ですよ」

 

 爽やかな四月の午前中――。雪国の春は待つ心が大きい分、楽しい季節である。その四月の輝きの中で、徳子はペンを走らせていた。

 

「では、後程写真を撮らせて下さい」

「分かりました」

 

 取材は三十分程で終わった。次に写真を撮ろうとした時、徳子はムシパン屋さんの男性店長に言葉を掛けた。

「あの、どうしてこのお店をはじめようと思ったんですか?」

「実は、娘が卵アレルギーなんです。卵を使わない美味しいおやつを、と思って」

「そうなんですか」

「はい」店長は嬉しそうに頷いて続けた。

「娘がこのお店の一番のファンになってくれるように、努力しているんです」

「素晴らしいですね」

「ありがとう」

 

 それから徳子は写真を二・三枚撮ってムシパン屋さんを後にした。心の中に店長の嬉しそうな笑顔だけが鮮やかに残っていた。


4

「ただいま」

 徳子が家に帰り着いた時には、午後七時を過ぎていた。四月の空は大分暮れかかり、肌寒い風が玄関にも入った。

「おかえり、お姉ちゃん」

 育子だった。手には何やらボウルを持っている。夕食づくりの途中だったのだ。

「ただいま。育ちゃん、夕飯のお手伝い?」

「うん。今日はお好み焼きよ」

 育子が生地をこねながら呟いた。

「あら、それは楽しみね」

 二人はキッチンへと入っていった。優しい香りが徳子の鼻腔をくすぐった。

「お帰り、徳子」

 母の逸子がスープを温めている。キッチンのテーブルには、ホットプレートが用意されていた。

「お姉ちゃん、みんなで食べる夕食って楽しいね」

「そうね」徳子が頷いた。

「どんな人も独りではないのよ」逸子が静かに、だが力強く伝えた。

「いつも有難うね、お母さん」徳子が洩らした。

 

 それは慎ましやかな晩ごはんだった。ジューと音を立てる生地を、無言で逸子が返した。香ばしさと甘さが三人の心を温めてくれた。

 お好み焼きのソースをかけながら、育子が徳子に話しかける。

「お姉ちゃん、この間の小説……」

「んー。どうなった、育ちゃん」

 丁度焼き上がったお好み焼きを、逸子がよそってくれた。

「んとね、また詰まっちゃった」育子は苦笑いする。

「あら、どんなお話し?」

 逸子が口を挟んだ。

「お母さんには、内緒よ」

 育子は小声をたてた。「後でお姉ちゃんには見せてあげるね」

「あら、私は仲間外れなの?」

「そうなのよ」徳子が笑いながら、逸子に言葉を返した。

「じゃ、後で持ってくるね」育子はそうとだけ言うと急いでお好み焼きを食べ始めた。

「私も、いただきます」

 それは温かな夜のはじまりだった。

 

『昔、カルダ国には「戦士の集い」という会がありました。その会に、イッソクさんのお父さんが向かったのです。それきり、イッソクさんのお父さんは帰ってきませんでした。

 心配したイッソクさんは、お父さんを探しに会の仲間の所へと行くことを決めました。イッソクさん、十七の誕生日のことでした。』

 

「なかなか良く書けてるよ、育ちゃん」

「ありがとう、お姉ちゃん」

「育ちゃん、タイトルはどうするの?」

「うーん、『イッソクさんの旅』というのは、どうかな」育子が小首を傾げながら呟いた。「ストレートすぎるかな、お姉ちゃん」

「良く伝わるよ。『想い』をカタチにするのが『コトバ』なのよ」

「『想い』?」

「そう、全てのものには『想い』があるの。風にも人にも、神さま仏さまにもね」

「じゃ、この万年筆にも?」

「勿論よ」

 育子は万年筆を愛おしそうに手で掴んだ。白い万年筆が鈍く輝く。

「お姉ちゃんから貰ったこの万年筆は、『書きたい』って言ってるみたいよ」

 育子が恥ずかしそうに告げた。徳子がほほえむ。

「そうね、育ちゃん」

「ありがとう、お姉ちゃん。また書いたら、見て欲しいけど、いいかな?」

「いいに決まってるでしょ」

「うん」

 

 「物を書く」ことは不思議なことである。とりわけ紙に物語を書くときには、忘我と一体感の快楽に満たされる。どんな人も、自分の生み出す物語の結末は、把握できない。時に右往左往する筋書きに、自分でもどうしようもなくなるのだ。「それでいい」と徳子は思った。物語は独りで書くものではないのだ。

 

「育ちゃん、大事なのはイマジネーションよ」

 

 

 徳子は何度もそのことを繰り返した。時々手を止めて「夢想すること」。それが大事なのだ。物語を生み出すのは人である。そして神さまや仏さまの場合もある。その時重要なのは、どんな時も想いを馳せること。物語の主人公に、読む人に。イマジネーションをもって、書くことこそが何よりも大事なのだ。それは徳子の到達した真理なのだった。


5

 翌日のお昼頃、風間徳子は『ラヴ・山形』の編集室に顔を出した。

「お疲れ様です」

「ああ、ご苦労さん。風間君、昨日のムシパン屋さんの記事、なかなか良かったよ」

「有難うございます」

「メールで送って貰った原稿を、いま佐藤君にデザインをかけてもらっているところなんだ」

 佐藤秋吉は、二十代後半のデザイナーだった。記事は徳子のようなライターが書いて、編集長の上山がチェックをする。それをデザイナーの佐藤が、社内でレイアウトして校正用紙をつくるのだ。

「編集長、こんな感じでどうですか?」

「どれどれ。うーん、いいと思うけど……。風間さんにも見て貰って」

「はい」

「では、拝見します。色合いが良いですね。あ、このキャプション、もう少し大きくしてください。……その位で、大丈夫です。いい感じですね」

「どう、風間さん」上山編集長が尋ねた。

「なかなか良いと思います」

「良かった」佐藤が洩らした。

 

「ところで、カメラマンの山村さんですが……」

「ああ、もう少しで来ると思うよ」

「取材ですか」佐藤が訊いた。

「ええ、着物の着付けの先生なの」

「ああ、倉田さんですね」

「ご存じ?」

「ええ、茶道の先生もしているんですよ。姉が昔習っていたんです」

「そうなんだ」

 今日、佐藤は珍しく口数が多かった。機嫌が良いらしく、時々鼻歌も出る。

「佐藤君、何か良いコトでもあった?」

「分かります? 実は僕……」

「どうしたの?」

「新しいゲーム機を買ったんです。これが面白くって」

「どうりでニコニコするわけね」徳子が頷いた。

「今日も帰ったら、直ぐ遊ぶんです」

「良かったわね」

「はい」

 

 そんな会話をしていると、編集室のドアが開いた。

「こんにちは」

 山村実だった。カメラを収めているショルダーバッグを肩に掛けている。

「よう、山村君。元気そうで何より」

 上山編集長が右手を軽く挙げた。

「ご無沙汰しております。今日は宜しくお願いします」

 そう言って、徳子は軽く会釈をした。何か胸に去来したが、それを感じないように徳子は意識を留めた。

「こちらこそ、宜しく。今日の取材先は、着物の先生なんだって?」

「ええ、そうなの」徳子がはにかんだ。

「今日の取材のテーマは?」

「はい、着物着付け教室の生徒の募集だそうです」

「分かった」山村は頷いて、ショルダーバッグからカメラを取り出して、レンズを交換した。

「あと三十分で出発しますから」

 徳子がそう伝えると、山村はにこやかに微笑した。

「今日は、僕が車を出すよ」

「有難う」

 

「……だと、今月末からの教室開始なのですね」

「そうなんです」

 徳子が素早くメモを取りながら丁寧に尋ねた。傍らで山村が静かに聞いていた。

「着物の写真は、この打掛とそれからこっちのが良いかしら」

 倉田は六十近い年齢であるそうだが、全く老けて見えない。四十代と云っても通るだろう。手のつやが年齢を物語っていた。その瞳はよく動き、好奇心旺盛で活発な少女を思わせた。

「着物は広げて吊るして下さいね」

 山村が口を挟んだ。口数は少ないものの、着実に仕事をこなすタイプの男性だった。

「では、これを撮影しておいてください。私ちょっと別な柄を取りに行ってきます」

 倉田はそう言うと部屋を出た。後には徳子と山村実が残された。

 山村は何枚かシャッターを切った。プレビューで見て、徳子の方へと向けて見せてくれた。

「キレイね」と徳子。

「美しいものは、美しく写るんだ」

「難しいものを易しく書くのが私の仕事よ。貴方は?」

「美しいものを美しく写す。醜いものは撮らない主義なんだ」そう言うと山村は笑った。

「なら、私は被写体として合格ラインかしら?」

「どうだろうね」

 そう言って二人は笑い合った。

 

 それは春の午後の事だった。

 



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