目次
あいいん 合印 「あいじるし」とも読む
あしよわ 足弱
あん 案 案文ともいう
あんもん 案文 案ともいう
い 移
いけん 意見 異見とも書く
いけんふうじ 意見封事
いみけもんじょ 伊美家文書
かじょう 款状 「かんじょう」とも読む 欵状とも書く
かっせんておいちゅうもん 合戦手負注文 合戦太刀討注文ともいう
がひょう 賀表
かんもん 勘文 「かもん」とも読む
がんもん 願文 願書・願状・祈願状・祈願文ともいう
ぎしょ 偽書
きしんじょう 寄進状
きしんふだ 寄進札
きょうこう 向後 「こうご」とも読む
くぜんあん 口宣案
げ 解 解状・解文ともいう
けい 啓
げゆ 解由 解由状ともいう。
げゆじょう 解由状 解由ともいう
けんもつちょう 献物帳
こきゃくじょう 沽却状
こけん 沽券 估券・売券・沽却状・避状ともいう
こもんじょ 古文書
こ 孤
ごようじょう 御用状 御用書ともいう
ささえじょう 支状 陳状ともいう
さりじょう 去状
さりぶみ 去文
しぜん 自然 「じねん」とも読む
じひょう 辞表
じゅんたつ 順達
しょうしょ 詔書 「みことのり」とも読む
じょうしんもんじょ 上申文書
しょうそくせんげ 消息宣下
じょうだいとくしゅかなづかい 上代特殊仮名遣
じょうだいよう 上代様
しょうもん 正文
しょゐ 所為
しりょう 史料
すべて 都而 凡而とも書く
せきでんそうししょしゅうたはらもんじょ 碩田叢史所収田原文書
せにゅうじょう 施入状 
せんみょう 宣命
せんもん 占文
そう 奏
そうじしき 奏事式
そうまちだいちょう 惣町大帳(享保3~文久2)
たっし 達
だんそう 弾奏
ちゃくとう 着到
ちょうじょう 重畳
ちょく 勅 勅旨ともいう
ちんじょう 陳状 支状・答状ともいう
つけたり 附
てつぎけんもん 手継券文
てつぎじょう 手継状
てつぎしょうもん 手継証文
てつぎもんじょ 手継文書
どだい 土代
なんぎ 難儀
にちじかんもん 日時勘文 風記ともいう
にょほうぎょう 如法経
にょほうきょうりょうそくきしんふだ 如法経料足寄進札
ねんごうかんもん 年号勘文
ばいけん 買券
ばいけん 売券 沽券・估券・沽却状・売却状・売券状ともいう
ばいけんじょう 売券状 売券・沽券ともいう
はんせつのほう 反切の法
ひえきしき 飛駅式
ひっきょう 畢竟
ひょう 表
ひょうせんぶん 表箋文
ひょうびゃく 表白
ひょうぶん 表文
ひょうりのしょうもん 表裏の証文
ひらがな 平仮名
びんそう 便奏
びんそうしき 便奏式
ふしん 普請
ふどき 風土記
ふよげゆじょう 不与解由状
ぶんげん 分限 「ぶげん」ともいう
ぶんしょ (もんじょ) 文書
へんたいがな 変体仮名
ぼうしょ 謀書
ほうばい 傍輩 朋輩とも書く
ぼうはん 謀判
ほのき 風記
まんようがな 万葉仮名
みくだりはん 三行半
みもち 身持
もうしじょう 申状 言上状ともいう
もうしぶみ 申文 申状・解文ともいう
もんちゅうかんもん 問注勘文
もんちゅうじょう 問注状
りえんじょう 離縁状
りょうけん 了簡
りょうばう 凌暴
れんけん 連券 →手継証文
ろんそう 論奏
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にちじかんもん 日時勘文 風記ともいう

日時勘文 にちじかんもん。 風記(ふうき・ほのき)ともいう。

 儀式・行事など事を行うに当って、吉日・吉時を選ぶため、諮問をうけた専門家が日時を選定・具申した文書。公私の行事について、その日取りを定めるため占わせたもの。凶事・事変の予測もある。

 事柄上、陰陽道関係が主で、陰陽博士・陰陽師などの勘申が多い。

 誕生・臍緒切・乳付・深曾木(ふかそぎ)・着袴・元服・婚嫁・着帯・葬送・即位・立親王・入内・立后・移徙・改元・日食・月食など、王朝貴族の通過儀礼や主要行事にしばしば見える。

 

(製作中)






 

 

Last updated  2019/08/11 09:50:03 AM      

にょほうぎょう 如法経

如法経 にょほうぎょう。 「にょほうきょう」とも読む。のちには法華経の別名になった。

 

 法にかなって書いた経。一定の法式に従って書写する経文。如法とは、清浄に写経することで、如法経と題する経典(きょうてん)があるわけではない。

 用紙、書手の身体・衣服、書写の部屋など、すべて清浄を旨とした。

 天長年間(824~833)、円仁(慈覚大師)が、六根懺悔の三昧行法を修し「法華経」などを如法作法によって書写し、小塔に安置したことに始まるという。

 奈良時代には、法華経に限定されないが、「慈覚大師伝」によれば、平安時代中期には、如法経とは法華経の如法書写をさす用語になった。これに伴い法華懺法が必修の作法となった。如法経は、初期には如法堂に置かれたが、十一世紀以降は、寺社・霊山・墓地などに埋納された。永承1(1052)年が仏の教えが衰える末法(まっぽう)元年とされ、武士の台頭とともに社会不安の高まりがあり、人々は極楽往生(ごくらくおうじょう)を願い、56億7千万年後の弥勒(みろく)出生まで経典を伝えるために、容器に入れて地下に埋納(まいのう)した。稀に標識として記念碑(如法経碑)が建てられた。

 

(製作中)

 

 

 


にょほうきょうりょうそくきしんふだ 如法経料足寄進札

如法経料足寄進札 にょほうきょうりょうそくきしんふだ。

 

 如法経料足の寄進札。

 如法経とは、如法に経を書写するの意で、法華経または法華三部経等の経を書写供養し、これを名山あるいは墓辺等に埋置する行事をいう。

 天平十(833)年に、慈覚大師円仁によってこの行事が始められた。

 もと福井県小浜市の明通寺の本堂に掲げられていた如法経料足寄進札は、現存数は405枚、腐朽または欠損したものを除き、399枚が福井県文化財に指定されている。

 延慶二(1309)年の記年銘を有するものが最古のもので、以後、元禄7(1694)年のものまで、約390年間の史料が残っている。ただし、延慶2年の寄進札は、殺生禁断山河境寄進札で、その他のものはすべて如法経料足寄進札である。

 

 如法経料足の寄進は、父母親族等の追善供養、自身の逆修供養のため行われたもので、大部分は、米を寄進していたが、後期には、銭貨を寄進したものもある。願主は、近在の土豪、士族、百姓、町人、僧侶等である。

 木札の形状にも時代的な変遷がみられ、銘文の表現方法も様々で、素面墨書のものが最も多く、黒漆朱塗白塗に白書墨書朱書、あるいは陰刻したもの等、その形状書様ともに多種多様である。

 なお、小浜市羽賀寺の如法経料足寄進札(正和5年~永禄8年)100枚、妙楽寺の如法経料足寄進札(寛正5年~天文22年)23枚、飯盛寺の如法経料足寄進札(文明16年~天文13年)33枚も同じく福井県文化財に指定されている。

(製作中)

 


ねんごうかんもん 年号勘文

年号勘文 ねんごうかんもん。 

 改元にあたって選考の資料として新年号の候補を、諮問を受けた学者らが提出した文書。

 年号は、元号ともいい、一定の元(起算点)を定めて年数を数える方法。中国では、漢の武帝の時から行われた。

 日本では、公式年号以前の法興・白鳳・朱鳥などの逸年号(私年号・偽年号ともいう)も伝えられている。

 法興(591~)は、崇峻天皇四年の年号とされ、白鳳は『続日本紀』にみえる天武天皇時代の年号であるが、正式のものではなかったらしい。

 日本最初の公式年号は、孝徳天皇時代の大化元(645)年とされている。しかし、これは後年に追号されたとする説もあり、大宝元(701)年以降、連続して用いられるようになった。

 古くは、一代の天皇の間に、祥瑞・災害・迷信などにより年号を変えることがしばしば行われた。

 年号勘文の作成者は、文章博士が主で、藤原氏・菅原氏・大江氏の三流が当り、室町時代中期以後、菅原氏が主となった。

 選出した数個の年号を、いちいちその理由を、出典をあげて記したもので、菅原氏と他氏では若干書式が異なる。

 菅原氏は、冒頭の「勘申」「年号事」を二行書きにし、末尾は「年月日・位・官・兼官・名」を記す。

 他氏は、冒頭を「勘申年号事」と一行書きにするほか、末尾は「官・兼官・名」のみを記し、年月日・位は書かない。

 納言以上の者の勘申は、この例によらなかった。

 選出の年号は、中国の古典、漢書・後漢書・史記・晋書・書経・詩経・礼記・文選に依拠する場合が多かった。

 

 

(製作中)

 


ばいけん 買券

買券 ばいけん。

 財産の買得証明書。財産の売買を証明する証文を、買主の立場からみた場合に、このような言い方になる(平成13年 松井茂「ばいけん 買券」『古文書用語事典』柏書房)。

(製作中)



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