閉じる


<<最初から読む

7 / 17ページ

試し読みできます

p7

 合法的な行為によっての利得は、納税と生活費での支出と裁量による支出や投資によるリスクのために場合によってはロスしてしまうという以外は、失われることがないことを保障する、つまり、他者からの侵害によって失われることのないことを保障する。

 また、社会保障制度によって、何度でも合法的に社会参加・合法的なチャレンジ、がより容易に可能な体制が用意する。

 その中で、各自は、合法的に自己利益の最大化のみを追求、達成してゆけばいい。そうする中で、うまくすれば、勝利者・成功者、になれる。そういう社会。

 社会は、そのようなもの・そのような状態、でなればならない・が健全な状態である・が健全な社会である。

 つまり、共生、共存、共助、共和、の社会であるべきであるが、その具体的な取り組みの大枠は、累進課税制度と社会保障制度に頼る。一個人一個人は、人権侵害を禁止した法律の中で合法的に活動して、合法的な自己利益の最大化に励む。それが自由で効率的な社会である。

 なお、健全な社会を実現する責任は、公権力の側にも、一個人一個人の側にも、存在する。

 健全な社会の中で、合法的に合法的な競争を行って、合法的な自己利益の最大化を追求、達成、して生きてゆくことが、一個人一個人のしあわせの実現のあるべき姿である。

 その追求、達成に手抜かりがあれば、敗北してしまう、不成功者になってしまう。

 敗北しても、不成功に終わっても、社会保障制度によって、生活と学習時間とその費用の工面が保証されていることで、全個人が、常に競争に参加し続けられる社会、合法的に合法的なチャレンジを行い続けてゆける社会、つまり、全個人が合法的に希望を持って活躍しつづけてゆける社会が実現する。

 


試し読みできます

p8

 

 

 年金制度は、高齢者が少なく、労働者が多く、そして、寿命が短い時につくられた制度である。

 現状の少子高齢化による人口構成や現状の長寿命は、年金制度の想定外の状況である。

 以上のような主張をテレビで耳にすることがある。

 しかし、年金制度は、社会保障制度の柱である。社会保障制度は、一個人一個人および社会全体を、スムーズに向上、発展させてゆくために必要不可欠なものである。

 そして、少子高齢化や長寿化は、天災のような一朝一夕で降って沸いて発生したことではない。

 毎年か何年かおきかの統計調査で、少子高齢化、長寿化、人口構成の変化の傾向、は、1年か何年かくらいのタイムラグはあるかもしれないがほぼリアルタイムで把握できていたはずである。

 毎年毎年、想定を見直せたはずである。

 年金制度が国民一個人一個人の安心安全の根幹に関わるものであり、必要不可欠なものであり、その水準の維持も死守すべきものである、という認識があって当然であるし、そうであれば、人口構成の変化で年金の収入が減少したならそれを補填する体制の整備が図られるべきである。

 


試し読みできます

p9

 税金からの補填で、国家財政が逼迫したなら、適正な累進課税制によって、高額所得者により一層にの負担を強いるべきである。

 また、国民一個人一個人の所得をスムーズに増大させられるような施策を実施すべきである。

 所得の増額のためには、能力の拡大が有効である。

 能力の拡大のためには、学習環境、情報環境、が整備される必要がある。

 たとえば、国語辞典に載っていることば以外については定義の説明漏れのない書籍、おなかつ、論理の飛躍のない書籍、なおかつ、一意に内容が確定する文章構成で記述された書籍、を、用意、整備、してゆく。

 また、上記の書籍と同等の内容の、講義の動画を、用意、整備、する。

 その促進策を立案し実施する。

 それによって、だれもが、比較的安い価格で、より容易に独習が果たせて、スムーズにに能力を拡張してゆける社会を実現する。

 それによって国民各個人が有能化し、収入の増大の可能性が高まる。

 となれば、革新的な技術もよりスムーズに生まれてくる社会となる可能性が高まる。

 そして、成功したひとからの高額徴税に支えられて、すべてのひとが、学習に取り組めて、能力の拡張に取り組み続けられる社会。

 そのことにより、技術革新のより起き易い社会。

 そのような、よりスムーズに、一個人一個人および社会全体の向上と発展が継続してゆく社会。

 それを実現する責任が国家にはある。それを実現する責任が社会にはある。それを実現する責任が政治にはある。

 


試し読みできます

p10

 

 人権侵害を禁止した法律のもと合法的に自己利益の最大化を追求し、自業自得で、成果を追求して達成してゆく。そして、成功すれば、累進課税制により高額の納税を果たし、失敗したり被災したり障害を負ったりしていれば、社会保障制度によって救済されて、生活と能力を立て直すことが果たせて何度でも再挑戦してゆける社会。それによって、すべてのひとが社会の新陳代謝に、社会の競争に、参加し続けていられる社会。それが、一個人一個人の向上、発展も、社会の向上、発展も、より自由に速やかに進展させてゆける社会である。

 

 

 知識をどう使用するかは、意思・志(=こころざし)、の問題である。

 意思・志、によって知識の利用の仕方は、コントロール・管理、されてゆかなければならない。

 ただし、知識は、それ自体で、完結しているというか、知識は実態を述べたものなわけであって、実態の組み合わせを述べたものでもあるわけであって、つまり、実態に一致しない対応関係や実態に一致しない状態は、不正解なわけである。

 なおかつ、人権は守られなければならない。人権が守られた中での実態の組み合わせを考えて、意識・志、にあったものを実現してゆく、ということになる。

 たとえば知識は、数学なわけである。数学は、規準体系であり演繹体系であり、そこからもたらされる対応関係は確定済みなものなわけである。

 


試し読みできます

p11

 確定済みの状態のものの中から役立つものを見繕って取り出してきて、記録、提示、して、使用に供するようにるという性質のものなわけである。

 物理やケミカル・化学、にしても、実態が存在していて、その実態を反映した記録というか理解というか解釈というか、を記録、提示して、それを使用して実態を、意思・志、にあわせたものに改変して役立ててゆこうというものである。

 役立てることを主眼にするか、実態の解明を主眼にするか、という違いはあるにせよ、実態が解明されなければ実態を役立てる手段は手に入らないわけである。実態解明を優先たにしても、結局のところ、実態を役立てる手段の獲得につながってゆく。

 知識は、実態を役立てる手段の獲得、実態解明、であるから、その内容は、実態の実情、実勢に縛られることになるわけである。

 実態の実情、実勢に反したことは不正解なわけである。

 実態が備えている対応関係を把握してその対応関係を目的に合わせて、意思・志、に合わせて利用させてもらうことしかなし得ない。それが科学技術、科学テクノロジーなわけであって、実態に反したことが叶えられるということはないわけである。

 意思・志、によって、実態の性質上実現し得ないことが叶えられるなどということはない。

 しかし、実態において実現し得ることのうち、何を実現してゆくかは、意思・志、によって決定し得る。

 



読者登録

genritomechanismさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について